2011年3月7日月曜日

[diary]ビザ受領、おじさんたちの正体判明

ビザ受領、おじさんたちの正体判明

2009/02/27(金) 晴れ 日中10~15℃
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=96円

※時間は自治区の時間

和田から戻ってきてカシュガル5日目。

昨日の酒のせいか、暗いうちに目が覚める。

しばらく書き物。

新彊時間の9時頃から支度をして、同室の旅行者とともに3人で公安に向かう。外はやや冷えている。気温は3~5℃くらいか。

公安に行くと昨日も会った日本語を話す女性が既に来ていた。挨拶をした瞬間「今、何時? 昨日何時に出来るって言った? 日本人は時間を守るでしょ」と軽く怒られる。昨日の話では9時に来るように言われていたのだが、すでに9時半を過ぎていたのだった。

彼女は彼女自身の手続きのことで男の職員とあれこれと話している。ぼくらは椅子にかけて待つ。

別の職員が10分もせずにパスポートを手渡してくれる。ビザのシールを確認。1ヶ月のビザが貼られてあった。デザインは中央アジアと比べるとやや地味。ここでビザ代160元(約2500円)を払う。

彼女の手続きが終わるまでしばらく待つ。ぼくは壁に貼られていた各種手続きの名前とその代金が書かれている板を眺める。台湾への渡航1次(シングルエントリー)ビザは20元、多次(マルチエントリー)ビザが100元とあった。

彼女の手続き後、事務所を出たところで少し話す。彼女が話しかけるのはぼくではなく、もっぱら同室の日本人女性旅行者の方。明日、うちに来ないかと誘われる。なので、明日行くことを約束する。料理をご馳走してくれるというので、その料理などの手伝いも兼ねてお邪魔することに。

そこで彼女とは別れ、ぼくらはアトシュバスターミナルに向かう。その途中のウイグル料理屋で朝飯。メニュー板の漢字を見て適当に注文。出てきたのは鶏肉の入ったカレー風味の汁と白飯だった。メニューに大小とあったので安い小の方を頼んだのに、結局伝わっていなかったらしく、大の値段8元取られる。

ぼくはこれに加えてマントゥ(包子:肉まんみたいなの)を注文。てっきり1個1元かと思い、2元ぶん頼んだら6個ぶんが皿に乗って出てきた。肉は羊肉。ミンチにはなっておらず、細かく切られた肉片とタマネギなどが入っている。油がなかなかすごい。

食事後、再び歩いてアトシュバスターミナルへ。

途中、たまたまアトシュに行くというタクシーが声をかけてきたので、ぼくはそこで彼女らと別れる。彼女らはアトシュへ。ぼくは国際バスターミナルに行く。

そこから歩いて20分足らずで国際バスターミナルに到着。この間、ここを使ったのでだいたいわかっていたが、改めて眺めてみるとあたりは昔ながららしい土壁の家がやはり多い。路面は舗装されていないのか、舗装されていたアスファルトが剥がれてしまったらしく、バイクや車やバイクの後ろに荷台をくっつけた馬車型バイクタクシーが土ぼこりをあげて走っていく。

その土ぼこりの巻き立つ道沿いにはパン屋が3軒ほど並んでいて、釜で焼いたパンを店の前の台に並べて売っている。ぼくがその近くの路地を写真に撮ったら、それを見ていたおばちゃんがこの子どもの写真を撮ってと仕草で伝えて来る。3~4歳くらいの男の子で、カメラを向けるとぎこちなく固まる。写した写真を見せるとその子は顔を崩して笑った。

国際バスターミナルではコルラ行きのバスを確認したかったのだが、ただの空き地みたいなこのターミナルにはそれらしきチケット売場が見あたらず収穫はゼロ。トイレとかの管理をしている女性に聞いたがぼくの中国語が伝わらず、結局何もわからないまま帰ることに。

帰り道さっきのパン屋でピザ生地のような平たい円形のナンを2枚買う。1枚1元(約15円)。直径は40cmくらいある。

それから大きな通りに出てバスに乗って人民広場へ。お金を両替市内と行けないので、中国銀行に行ったところすでに昼休みに入り、閉まっていた。

なので、近くのネット屋に行って時間つぶし。いくつかのメールに返信したり、東南アジアのビザ情報や飛行機情報を検索したり、中国の山峡ダム情報などを集めたり、膵臓炎について調べたりなどなど。円が1米ドル=90円から98円まで急激に安くなっているのに驚く。ネット代は1時間2元(約30円)。日本語のIMEはインストールされているようで、表示もされるのだが、いざ中国語から変更しようとするとなぜか使えない。

ちなみに他の人の画面をちらっと見てみるとチャットや映画を見ている人、ゲームしている人が多い。

2時間後、再び銀行へ。ここで両替する。

それからバスに乗って鉄道駅へ。このルートは運賃1.5元(約25円)。

20分ほどで駅に到着。駅の周りは閑散としていて、いくつかの食堂や商店があるだけ。本当であとから取って付けたような雰囲気の場所だった。

しかし駅舎はなかなか立派。手持ちの荷物を荷物検査の機械に通してから中に入ると正面に電光掲示板があり、1週間先くらいまでの各地へのチケットの販売状況が映し出されている。ここからウルムチだけでなく、ウルムチから上海や北京、西安などへの列車についても残りの座席数が、座席の種類ごとに表示されるのでわかりやすい。壁には各地への時刻表とそれぞれの運賃が整理されたものが張り出されている。

窓口は5つほどあったのだが、開いているのは左端の1つだけ。そこに20人くらい人が並んでいる。

ぼくは残りの座席数を示す電光掲示板を眺める。同室の日本人旅行者の話では、彼女がチケットを買った昨日の時点で今週末のぶんはだいぶ少なくなっていたと言っていたので、もう座席はほとんどないのではと思っていたのだが、土曜発は売り切れていたものの日曜発はまだ十分に空きがあった。座席の種類は無座(座席なし※なお”無”の字は日本では使っていない漢字)、硬座(日本で言う普通の座席)、硬臥(ベッドが堅い3段寝台)、軟座(ベッドがそれらしい2段寝台)とあり、硬座も無座も200席以上空きがあった。

窓口は完全に電子化されており、ここの窓口で国内各都市への列車のチケットも買えるよう。

ウルムチ方面に戻って西安に行くか成都に行くか、それとも重慶に行くか。まだ次の目的地が絞れていなかった。バスを乗り継いであちこち行こうかと思っていたが、バスが予想以上に高かったので、列車の硬座で移動した方がはるかに安い。お金を考えれば一気に列車で移動する方が安く済む。

電光掲示板を見ていると西安や成都方面の列車もまだだいぶ空きがあるようだったので、とりあえず今日はチケットは買わず、宿に戻ってからまた考えることにする。

駅近くのウイグル食堂で遅めの昼飯。料理名を知らないので適当に頼んだら前にも食べたことがある料理だった。麺ではなくラザニアに使われているような各辺が3cmほどの平たいもの。だが、上にかかるソースはラグメンと同じ。5元(約75円)。

ぼくが料理を待っている間手帳を開いてあれこれ書いていると店の女性がのぞき込んでくる。手帳を渡すと文字が珍しいようで、ページをぺらぺらめくりながら微笑む。

食事後、バスに乗って中心部に戻る。写真屋に行き、現像を頼んでいた写真を受け取る。現像代は1枚1元(約15円)。日本で言うLサイズなので、現像代は日本よりも高い。

宿に戻り、しばらく今後のルートを考えたり、書き物をしたり。

そのうち同室の日本人旅行者2人の1人が帰ってくる。聞くとこちらに戻ってきてからはぐれてしまったらしい。そのうちもう一人も帰ってくる。

同室のSさんのベッドの横にキリル文字で書き置きされた紙があった。彼女が「何これ?」と言うので読んでみると、ロシア語で”明日、バスでウルムチ。電話する”とある。主はハキムおじさん。記されていた部屋番号が昨日の部屋と違ったので、部屋を変えたのかと思い、その部屋番号の部屋に行ってみたが違う人たちがいた。

なので、フロントに行って聞いてみると、彼らはチェックアウトしたらしい。

そういえばさっき部屋の電話が鳴ったのは、おじさんからかもしれぬと思い、紙にあった電話番号にかけることにする。ロシア語での電話には自信がなかったので、同室の中国語がそこそこできる日本人を連れて、ホテルの敷地内にある電話屋に行く。

電話するとおじさんが出た。声は相変わらずハイテンション。予想通り一部の言葉しかわからず。しかもわからないまま切れる。昨日、こちらから火鍋が食べたいと言ったのでそのことだろうと思い、もう一度かけ直して宿で待っていればいいのかと言うと、そうそうと言うので部屋で待つことにする。

するとしばらくしてからドアをノックする音がして、ハキムおじさんが登場する。そして挨拶代わりに同室の日本人女性の名前を呼ぶ。相変わらずぼくの名前は覚えていないようで、ぼくの名前は呼ばれず。

おじさんはりーちゃんに電話する。彼もまた登場するらしい。りーちゃんが来るまでしばらく部屋で待つ。

各々書きものをしたりしていたため、おじさんは手持ち無沙汰。加えて部屋の照明が暗いことをあれこれ言う。確かにここの部屋は3つある部屋のうち2つの部屋の照明がダメ。暗すぎる。

しばらくしてりーちゃんが到着。フロントに降り、そこでりーちゃんと合流。りーちゃんはこの宿は良くない(不好)と言う。鼻をつまんで臭いというような仕草をする。

てっきり火鍋に連れていってくれるのかと思いきや、ハキムおじさんは腹の調子が悪いらしく、火鍋はウルムチで食べればいいと言う。ウルムチにおじさんの妹がレストランを持っているからそこで食べればいいというわけ。

飯を食ったのかとロシア語で聞くので、食べていないと言うと近くのウイグル料理店に連れていってくれる。今日は質素に定食のようなものをごちになる。一人12元(約200円)。

りーちゃんはすでに食事を済ませていたらしく、何も食べない。タバコを吸おうとするが、店内は禁煙。なので、外でタバコを吸ってくると途中で退席。

ハキムおじさんは昨日、一昨日の勢いがない。腹の調子のせいなのかりーちゃんのせいなのか。

食事後、タクシーに5人ぎゅうぎゅうで乗る。

りーちゃんの会社に行く。最初の話ではぼくらの部屋のシャワーがダメ(お湯が出ない)なので、ハキムおじさんの部屋のシャワーを借りることになっていたのだが、それが急遽変更になり、りーちゃんち(家)へとなった。後にハキムおじさんは自分の部屋は小さいからと言っていたが、タクシーに乗った後で行き先を争っているふうがあったので、おじさんたちの間で何かあったよう。

ハキムおじさんはウイグル語が多少わかるから運転手とはそちらの言葉で静かに話す。が、りーちゃんは例の勢いで行き先などを告げる。

りーちゃんはハルピンの出身のため、こちらの人の中国語と比べるとずいぶん勢いが違う。こちらの人の中国語はやさしいが、りーちゃんの中国語はいかにも中国語という感じでひとつひとつの音が強くはっきりしている。

りーちゃんにすれば普通に話しているのだろうが、こちらの中国語になれた日本人にすると、そもそもが日本語よりも勢いが強いので、さらに口調が強いように感じる。おそらくウイグル人にとっても、他の国の人にとってもそうなのでは、と思えてしまう。

言葉の勢いということで言えば、ぼくは中国語と大阪弁は似ているように思う。一度日本で電車に乗っているとき、おばちゃんが二人で話している声を聞いて中国語かなと思い、注意深く聞いてみたところ、まったくの大阪弁だった。自分でも、なぜあのときおばちゃんたちの声を聞いた瞬間に中国語と判断したのか不思議なのだが、確かにそう聞こえたのだった(なお、その時点では中国語はまったく勉強したことがなかった)。おそらく大阪弁のイントネーションと中国語のピンイン(声調)、それから大阪弁特有のはっきりした発音がそれっぽく聞こえた原因だったのだろう。日頃、大阪弁を聞き慣れている人にとってはそんなことないだろうが、そうでない人にとっては、それは中国語のように聞こえるときもあるのでは。

夜の通りはえらく派手だった。一部の通りはライトアップされているのだが、その色合いが日本で言うとパチンコ屋的。人民広場も毛沢東像も観覧車もライトアップされていた。

タクシーで走ること15分ほど。到着したのは、昼間に鉄道駅に行く途中に見たどでかい商業施設だった。ここがりーちゃんの会社だと聞いて驚く。

奥行きはわからないが、道路に面しているぶんだけでも全長100m以上ある。建物は数棟にわかれていて、一番立派なのは中心部方面にある建物。日本で言えば会館のような建物がどどんとあり、その並びに四角い4階建てくらいのコンクリートの建物が並んでいる。見た目はちょっと公営アパートっぽい。その1階部分には商店などが入っており、タクシーはその商店の前で止まる。

商店でビールやつまみなどをりーちゃんが買う。

表に並ぶ建物の裏手に従業員寮みたいなのがあり、その1室がりーちゃんの部屋だった。鉄製のドアを開けるとすぐ右手にシャワー兼トイレルームがある。床も壁もコンクリートそのまま。部屋は12畳ほどの広さであるのは机とベッドが2つとけっこう大きめのテレビだけ。本棚やタンスがないので、広い。端の方には野菜と小さなまな板、電気コンロ、炊飯器があった。聞くとここで自分で料理しているらしい。

社長だと言うからもっと豪勢な部屋かと予想していたが、田舎から出てきたばかりの学生の部屋のような雰囲気。一時期滞在するだけの部屋などにはお金をかけずに節約するというのが、慣習なのだろうか。

女性陣はシャワーをここで借りる。お湯の温度も湯量も申し分ないとうれしそうだった。りーちゃんは毎日朝と夜にシャワーを浴びていると言う。

聞くとりーちゃんも結婚しているらしく、家族はハルピンにいるらしい。だから日本で言う単身赴任のよう。3月の後半にはキルギスのオシュに行くという。

そんな話をしながらりーちゃんが大量のパスポートを出してきて見せる。数は30ほどある。それを見てようやくりーちゃんとハキムおじさんの関係が判明する。つまり、ハキムおじさんはりーちゃんの会社の従業員たちのキルギスビザの手配を代行しているということだった。

りーちゃんはウルムチには行かないと言っていたので、ハキムおじさんだけ明日ウルムチに行って、ウルムチのキルギス領事館でビザの受給手続きをし、またここに戻ってくるっぽい。

この間、一緒に食事をしたキルギスの大統領のいとこもとりーちゃんのキルギスでの仕事を円滑にするための会食だったということのよう。そもそもキルギスの大統領はオシュ出身だし、あのおじさんはジャララバード近辺のボスだと言っていたから、キルギスのいろんな面倒なことを彼らに抑えてもらうのだろう。

りーちゃんは窓辺に行って、外を指さし、あれを見ろと言う。行ってみると外には大型トラックが並んでいる。このトラックで商品を運んでいると言う。行き先はパキスタン、タジキスタン、キルギス、ウズベク、カザフなどらしい。

そういえばさっきりーちゃんの部屋に来る途中に見た建物には中国語でパキスタンなんちゃらとあったから意外と国家レベルのプロジェクトにも関係しているのかもしれない。

テレビではジャッキーチェンのコミカル映画が流れ、その後にはチベットの旅行番組が流れた。

りーちゃんたちがビールを勧めるのでいただく。ウルムチ産のビールらしい。瓶ビールは1本620ml。女性陣の一人は腹がいっぱいで飲めないと言うのだが、けっこうしつこく飲むように勧める。というか、何度も乾杯(かんべい)と言ってくるので、飲まざるを得ないような状況を作られる。

ハキムおじさんはかなり無口。りーちゃんのことが嫌いだみたいなことはこの間から仕草等々で語っていたので、腹の調子が悪いだけでなく、こういう場にいることが面白くないのかもしれない。一方のりーちゃんは上機嫌。

中国語のわからないぼくにもいろいろ話しかけてくる。中国と日本は昔戦争をしたが、今は「友好(※この言葉だけわかった)」だと仕草を交えながら言う。

こちらが言葉が不十分な人間ばかりなので、いろいろ会話を楽しむというよりも、ノリでこの場を楽しむという雰囲気。ぼく自身はそうしたノリがないから、こうしたときに他の人がいるのは助かる。

ウルムチではただビザを入手するために時間を潰さないといけないと当初は思っていて、この1週間は毎日部屋にこもってたまっている日記の始末をするんだなと思っていたが、まさかこんな展開になるとは。これもたまたま同室になった人のおかげ。どう贔屓目(ひいきめ)に見ても彼女らがいなければ、ぼくはこういう場に出会うことはなかっただろう。だいたい始まりはハキムおじさんのナンパだったのだから。

そういうことからすると、男性旅行者よりも女性旅行者の方がこうした予想外の展開に出会う確率はずっと高いのだろうと思う。もちろんそうした誘いには常に危険性がつきまとっている。日本人であることが吉と出ることもあれば、凶と出ることもある。ただ、運が良ければそれによってとても楽しい旅となる。

今回は人数がいたので、お互いにとってメリットがあった。彼女は一人では行かなかったと言うし、ぼくはそもそもそのきっかけ自体が得られなかっただろう。

新彊時間の23時頃、りーちゃんの部屋を出る。ハキムおじさんは自分のホテル前で降り、その後、ぼくらのホテルまで行く。タクシー代の5元(3人で)は自腹だった。きっと連日ぼくらのために酒を買ったりしているので、ハキムおじさんの懐もだいぶ厳しくなってきたのだろう。

宿に着く頃には、ぼくの頭はギンギンに痛み、何もできなくなる。やはり酒など飲むものではない。

部屋に戻ると電話が鳴る。出るとハキムおじさんだった。「フショー ノルマーリナ?」とだけ聞いて、電話を切る。

さらに夜中、電話の音がなる。これはSさんが対応。翌日聞いたところによるとりーちゃんからの電話だったらしい。

Fin

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