2011年3月7日月曜日

[diary]ビシュケクでだらだら 再々々々

ビシュケクでだらだら 再々々々

2009/02/10(火) 曇り
[Bishkek:Kyrgzstan]
※レート:1米ドル=41ソム(両替屋にて)
1米ドル=91円

昨晩もおしゃべりして夜更かし。朝の3時過ぎまでしゃべっていた。

よって朝は大幅に寝坊。腕時計が動かなくなったままなのは不便だ。

しばらく書き物をしてから出かける。同室の人に教えてもらった安い食堂に行ってみる。宿から歩いて5分ほど行ったところに小さな小さなバザールがあってその一角にあると聞いていたのだが、いまいちわからず。なので、適当にその一角にあったカフェに入る。先客が2組ほど。

メニューを眺めてこれまで注文したことのない名前を探す。それから値段を見て100円程度の料理かどうかを確認。なんだかわからなかったがアシュリャムフという料理を注文。が、これがないという。じゃあ何があるのだと尋ねたらメニューにあった30ほどの料理のうち10ほどしかないと言う。その中から食べたことがある気がするけどはっきりしないショルポという料理を注文。

しばらく待つ。台所の方を見ていたら自分のものらしい料理が出てきたのだが、ウェイトレスの女性がこっちに持ってこない。他の客としゃべっていて動く気配がないから自分で取りに行く。すると彼女はあわてて「イズヴィニーチェ」と謝る。彼女に声をかけて持ってきてもらう方法もあったのだが、ここも客から代金の他にサービス料を取るようだから、こうして自分で取りに行ったことで彼女はそれを請求しないだろうという読みそうしてみた。

料理は以前にも食べたことのあるものだった。トルクメニスタンでだったかな。肉の出汁が出ている透明のスープに羊のバラ肉の固まりと小さなじゃがいもが丸ごと2個。ただそれだけ。お茶やパンは別料金になるから頼まず。

あっと言う間に食べてしまう。会計を頼むとなんと彼女は恥ずかしげもなくサービス料を請求してくる。料理代40ソム(約90円)とサービス料3ソム(約8円)。額が小さいので素直に払ったが、なんのためのサービス料かわかってないなぁ。

それから写真のデータを整理するためにネット屋に行く。あれこれやってたら2時間ほど経過してしまった。1時間40ソムだから合計80ソム(約180円)。

それから明日のバス代のためのソムがなかったので、オシュバザールに両替に行く。バス(6ソム)に乗って1本。昨日も両替した両替屋で10米ドル札2枚を出し、両替してもらおうとしたところ、一方のお札にちょっとした破れ目(約1cmほど)があり、他にも破れそうな皺(しわ)があるため、こっちは両替できないと言い出す。そのくせしてこちらに渡すソム札はボロボロ。しわくちゃで一部破れているものはいくらでもある。やれやれ。ソムはボロボロでもいいが、米ドルはそうはいかないらしい。

オシュバザールでは通路でナン(円形のパン)を売っていたおばちゃんからナンを3枚買う。

またバスに乗って宿に戻る。

17時過ぎに宿に戻ってしばらくした頃、宿のチャイムが鳴る。また一人旅行者がやってきた。日本人男性。22歳の学生らしい。

ロシア語を勉強している別室の日本人男性(ぼくとほぼ同年代。以下、A君)と今来たばかりの彼(以下、B君)とでしばらくおしゃべり。なぜキルギスに来たのかとB君に聞く。彼はインドからカザフスタンに飛行機で行き、そこから南下してきたらしい。ちなみに中央アジアにはまったく来る気はなく、カザフスタンとかキルギスについてはどこにあるのかさえ知らなかったと言う。

ちなみに彼は日本の下関から韓国の釜山に船でわたり、その後韓国の仁川(インチョン)から中国のどこかだかにやはり船で行き、そこから陸路でラオス、ミャンマーなどに行き、飛行機だったかでインドに飛び、そしてここらしい。特に最終目的地はなく、カネが続くまで旅行すると言う。

ぼくとA君は、二人してキルギス、特にビシュケクのダメな部分についてあれこれ彼に説明する。これはもはやちょっとしたネガティブキャンペーン。一通り聞いた後、B君は「宿から出る気がしなくなったんですけど・・・」と言う。キャンペーン成功!

A君は、たとえばロシア革命時に日本に逃げてきた白系ロシア人のこと(具体的にはプロ野球の巨人軍で活躍したビクトル・スタルヒンのこと)や、チョコレートのモロゾフもその系統であることを知っているなど、ロシアや中央アジアのことについてけっこう詳しいので聞いたら、大学の卒論で中央アジアのことをやったらしい。彼は、ロシア・旧ソ連の歴史をもう一度詳しくやってみたいと言う。その理由として、たとえば、こんなところ(カザフやキルギス)にドイツ人がいたり、チェチェン人がいたり、タタール人がいたりと、わけのわからないことがけっこう多いから、といったことを彼は挙げる。

ぼくも彼同様、特にスターリン時代に何が起こったのかが気になる。滅茶苦茶なことをしたということは知っているが、具体的にどんなことをしたのかまでは知らない。

またソ連崩壊後の出来事についても同様。ぼくもA君もソ連崩壊については覚えているが、その後、たとえばタジキスタンで血で血を洗うような内戦があったことなどは、ぼくは今回ガイドブックで読むまで知らなかった。またアゼルバイジャンでもソ連崩壊後のどたばたの中で虐殺があったらしいことは、バクー市内にあったモニュメントを見て初めて知った。とにかくソ連及びその崩壊後の出来事については知らないことばかりだ。

話している中で面白かったのが、A君の友人のロシア人かキルギス人だかが、母親を連れて日本に行ったときの話。
その母親は日本に来て、日本のあるテレビ番組を見たとき腰を抜かしそうになるくらい驚いたことがあったらしい。何が母親をそれほど驚かせたのか? 母親を驚かせたもの、それは他でもない俳優(?)の岡田真澄だった。母親は岡田真澄を一目見たとき、完全にスターリンだと勘違いし、”生きていたんだ!”と驚いたらしい。

ちなみにぼくは腰を抜かすほどではなかったけれども、同じように驚いたことがある。ぼくの場合はその母親とはまったく逆でテレビで「映像の20世紀」というシリーズものを見ていたとき、その中でスターリンが出てきたときに、”あっ、岡田真澄じゃん!”と思って興奮したことがある。

彼の話を聞いてやはり旧ソ連人でも見間違えるのかと面白かった。ちなみに岡田真澄の父親だかはロシアからやってきた人だったはず。理由はロシア革命だったような気がしたが、うろ覚えで自信がない。

その他もろもろの話をしていたら眠くなる。いつの間にか日付が変わり、時間も1時を過ぎていたので解散。

明日の出発の準備をしてから寝る。

Fin

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