2011年3月4日金曜日

[diary]タシュケントからアンディジャン、オシュへ

タシュケントからアンディジャン、オシュへ

2009/01/28(水) 曇り
[Tashkent:O'zbekiston→Osh:Kyrgyzstan]
※レート:1米ドル=1402スム(タシュケントの銀行で)
1000ウズベキスタンスム=240キルギスソム(オシュ国境で)

・検問所での約束
・警察に拘束
・日暮れ後のキルギス入国
・ウズベク系キルギス人の家に宿泊

タシュケントのおんぼろなハドラホテル。暖房は文句ないが、便所とシャワールームを考えると12000スム(約900円)は高い。

まだ暗い6時頃起床。荷造りをして6時半過ぎに部屋を出る。1階に降りるがフロントには誰もいない。ただ監視役らしいおじいさんが、ぼくの手にあった部屋の鍵を見て、鍵は3階の管理人室に直接行って返すようにロシア語で言ってくる。4階から降りてきたのにまた3階に行かねばならない。面倒なのでおんぼろエレベーターを使う。

管理人室と思って叩いた部屋は、普通の客室だった。しかもなかから出てきたのはヒヴァで会った日本人旅行者。寝ていたところを起こしたよう。謝ってから正しい管理人室に行く。そこで昨晩の宿泊費12000スムを払い、鍵を返す。例のごとく”ありがとうございました"という言葉はない。今回の旅で実感したが、買い物や宿泊をしたときに売り手や宿主が客に向かって”ありがとう”なんて言う習慣を持っている地域はほとんどないように思う。おそらくでかい金額の商談とかになればそういうのはあるのだろうが、日常的な買い物などではないところの方が多いように思う。

7時近くになり、やや明るくなり始めていた。歩いて地下鉄の駅に向かう。昨日21時頃でも開いていた沿道の食堂はもう開店していて、客が5~6人すでに入っている。

地下鉄の駅までは徒歩10分ほど。階段を下り、中途半端に開いているドアを押して、地下道に入る。地下にはいるとすぐがジェトン(切符代わりのプラスチック製の硬貨)売場があるので、そこでジェトンを1枚買う。地下鉄の運賃は1回の乗車に付き400スム(約30円)。

エスカレーターで下ってホームに降りる。エスカレーターはモスクワやトビリシと比べると短い。日本のデパートなどのエスカレーターと同程度の長さ。警官が相変わらずうろうろしている。そして当然のようにぼくの方に来て、一礼をしてからドキュメントを見せるようロシア語で言ってくる。なので、パスポートを見せるとビザの欄などを見て、すぐに返す。

間もなくして電車がホームに入ってきたので乗り込む。まだ朝が早いからか車両はがらがら。リュックを背負ったままドカッと座席に座り込む。

タシュケントの鉄道駅まで行き、地上に出る。地上で路面電車を待つ。10分ほど待ってコイルックバザール行きの13番の路面電車が来たのでそれに乗り込む。乗り込むと運賃回収係のおばちゃんが回ってきたので、その人に運賃400スム(約30円)を渡し、チケットをもらう。

時速で言うと15km程度だろうか、トロトロと路面電車は走る。今日は故障などハプニングなく、無事終点まで何事もなく到着。もうすっかり夜は明け、あたりは明るくなっている。時計を見ると8時前。

歩いてアンディジャン方面行きの乗り合いタクシーが出ている駐車場に行く。朝だともっと人でごった返しているかと思っていたが、意外に人は少ない。

駐車場に行くと運転手が数人寄ってきてどこに行くのかと聞いてくる。マルギランというまちに行こうと思っていたので、その名前を言うと運賃は2万スム(約1400円)と言う。高い。1万5千程度のはずなのだが、言っても下げない。じゃあと思い、もっと手前のコーカンまでと聞いたらこちらは1万5千スム(約1000円)だと言う。またキルギスとの国境に近いアンディジャンまでの運賃を聞いたら1万5千スムだと言う。

正直に言えばタシュケント到着以降、ウズベキスタンに対する関心が急速に薄れたため、各地での宿代や宿探しを思うとマルギランやコーカンに行くのが面倒に思えてきた。また運賃を考えてもどうせ2万スム近く払うならいっそのことキルギスに近いアンディジャンまで一気に行ってしまった方が出費も抑えられていいかと思い、行き先を変更。アンディジャンに行くことにする。

運賃を確認してからタクシーに乗り込む。乗客はまだ他にいない。しばらく客待ち。

9時前になって政府の制服を着た若い男2人とおじさんが乗り込んでくる。これで乗客がそろい、出発。運転手は最初に値段の話をした男とは違う別のおじさん。念のため隣のおじさんに運賃はいくらか聞くと1万6千スムと言う。目的地はナマンガンでアンディジャンより近いのに、ぼくよりも1000スム余計に払っている。

走り出した車はしばらくして給油をする。それから畑の中に続く舗装道をひたすら走る。舗装道はときおりぼこぼこ穴があいていて車もけっこう揺れる。舗装状態のよくない区間がいくつかある。

見える景色は広大な農地。平たい。綿花畑をしばしば見る。

タシュケントを出て2時間ほどたった11時頃、峠の検問に到着。これまで通ったことのある検問よりも立派な施設があり、通過する車両は警察によってすべて止められている。

ぼくが乗っていた車も止められ、パスポートを見せるよう言われる。運転手にぼくのパスポートを渡し、彼が警察に対応する。道路の脇にプレハブの詰め所があって、そこに運転手とともに呼ばれる。そこで警察からいくつか質問を受ける。ウズベキスタンで何をしているのか、これからどこに行くのかなど。

質問された後、しばらく車で待機するよう言われる。車の方に行くとブハラやサマルカンドで一緒だった日本人旅行者と再会。彼は今日中にキルギスのオシュまで行き、そこに住んでいるキルギス人の友達の家に泊まるという。そして、もし良かったら一緒にその友達の家に泊まらないかと誘ってくれる。

こんな機会はなかなかないだろうと思い、誘いに乗る。別々のタクシーに乗っていたので、キルギス側の国境を越えたところで待ち合わせすることにする。そうした話をしていたら今度は彼が詰め所に呼ばれる。同時にぼくのパスポートが戻ってきたので、先に出発。今、思えばこのときどっちかのタクシーに一緒に乗っていれば、あとの面倒なことはなかった。

車はまた走り出す。山々に挟まれた峠はさすがに雪景色だったが、たいして雪の量は多くない。路面にはまったく雪がないので、スリップなどの心配もなかった。

13時頃、沿道の道の駅的なちょっとしたバザール前で車は停車。一時休憩。駐車場の脇にはここのバザールを宣伝する看板あり。売られているのはパンやお菓子が中心。

車から降りるとビニール袋を売っている少年が2人寄ってきて、ビニール袋を買わないかと尋ねてくる。どうもパンを買ったときにそれを入れるためのビニール袋のよう。

30~40人の人がそれぞれ両手を広げたくらいのスペースで物を売っていて、客が来ると声をかけ手招きをして客を呼ぶ。ぼくは何も買うつもりはなかったので、外から眺めるだけ。同乗のおじさんや若い男たちは5枚、10枚とパンを買っていた。

14時過ぎ、ナマンガンのまちに到着。ここで昼ご飯。車は食堂の前に止まり、運転手等に促されるままに食堂に入る。食堂はシャシリク(串焼き屋)。適当に串を一本頼む。パンはさっき買ったパンを同乗のおじさんが提供してきて、それをみなで食べる。

串焼きはつくねだった。ぼくは肉そのものの方が良かったので、1本追加。味は特別な物は何もないが、うまい。

食べ終わってお金を払おうとしたら、パンを提供したおじさんがぼくの分を払うと言う。いやいやそれには及ばないと断るが、運転手がぼくを制止しておじさんにご馳走になるようにぼくに言う。というわけで、ありがたくご馳走になる。

再び車に乗り込む。未舗装の住宅地帯に車は入っていき、ある門の前で停車。ここがおじさんの家だった。ここでおじさんとはお別れ。

後部座席は2人となったので、やっとゆったり座れるようになる。

葉の落ちた木々が立ち並ぶ片道一車線の道を走り、車はアンディジャンに向かう。途中で同乗の若い男1人をおろし、またアンディジャンに入ってしばらくした頃、もう1人の若い男を彼の家の前で降ろす。

こうして客はぼく1人になる。だんだんとコンクリートの建物が増え、市街地に近くなる。おじさんは携帯電話で時折誰かと話をしている。

と、突然おじさんは車を停め、自分の息子(?)だと言って反対車線に止まっていた車を指さす。そして、その車を呼び、ぼくにこっちの車に乗り換えるよう言う。ここで運賃の1万5千スムを払う。おじさんはそのうち2千スムを彼に渡し、自分は家に帰って寝るからというようなことを言って去る。

DAEWOODの軽自動車に乗り換え、アンディジャンの中心部に向かう。10分ほど走って中心部に到着。そこで国境行きの車に乗り換える。車から降りるとタクシーのおじさんたちが一斉に寄ってきて、どこに行くのかと聞いてくる。ドストリックと言うとそのうちの1人のおじさんが来いと言うので、そちらに行く。運賃はいくらなんだと聞くがなかなか答えないので、別の車を探すかなと思っていたとき、制服を着た警官が一人やってくる。

警官はロシア語で何か言ってくるがよくわからない。詰め所かどこかに連れていくというようなことを言うので、拒否する。まわりにはすぐに人だかりができ、ぼくらのやりとりを見ている。その人だかりの中から英語で話しかけてくる青年がいた。10代後半の青年で高校からの帰りらしい。流暢ではないが、十分に理解可能な英語。「Can I help you?」と聞いてきたので、彼に何が問題で、どうしたいのかと警察に聞いてもらう。

警察の答えは、ぼくの荷物のチェックをしたいとのことらしい。なので、彼に英語で彼らはただカネがほしいだけだから、そんなことは不要だし、こっちは国境での待ち合わせがあって急いでいるんだと伝える。彼はぼくが急いでいることを警官に言うが、警官は納得しない。そこへさらに警官が二人やってくる。

ぼくを乗せようとしていたタクシーのおじさんは警官になにやら抗議っぽいようなことをしていたが、そのうち去ってしまう。

青年が警官となにやら話し、自分が通訳に入るからというので、やむなく警察の詰め所へ行くことにする。そこで彼らはぼくのリュックなどをチェック。パスポートなどを眺める。時折質問あり。こっちは急いでいる分いらいらが募る。

青年がいてくれたおかげか、わりとまともな警官だったからかカネの要求はなし。最後は彼らのボスが現れ、ぼくのパスポート情報をなにかのノートに書き写し、それで解放される。

タクシー乗り場に戻りながら英語ができる青年は、警察は何も取ったりしないから心配しなくて良いというようなことを言う。事実を彼にも教えてやろうかと思ったが、やめる。

タクシー乗り場に行くとまた運転手のおじさんらが群がってくる。値段を聞くと一人なら1万スム(約700円)、相乗りタクシーだと4000スム(約300円)と言う。タシュケントから乗ったタクシーの運転手は国境のドストリックまでは2000スムだと言っていたので、どれも却下。彼に聞くとバスがあるというので、多少時間がかかりそうだが、そちらにする。

彼の家はドストリック近くにあるらしく、一緒にバスに乗る。運賃は1500スム(約100円)。彼はぼくにぜひ家に来てほしいと言う。ドストリックには近いからキルギスに行くなら今晩彼の家に泊まって明日の朝に出ればいいとも。

時刻はすでに17時をすぎていた。警察に捕まらなければ16時過ぎには国境に着いていたはずなのに大幅に遅れている。国境まではまだ50kmほどあるからバスだと1時間かかる。つまり、国境に着くのは暗くなってからだ。国境での手続きに時間がかかればキルギス入りは19時をすぎる可能性もある。そうなると国境での待ち合わせを約束した彼はたぶんぼくを待っていないだろう。

そんなことを考え、彼の家に泊まるのもいいかなと思うが、万が一彼が待っていたとしたら申し訳ないので、彼には家には泊まれない旨を伝える。が、何度も家に来てくれると嬉しいんだけどと英語で言ってくる。困ってしまうが、諦めてもらう。

彼は自分が降りる前、出会った記念にと上着の内ポケットに入れていた指輪をくれる。なので、そのお返しにこちらはアイスランドのキーホルダーを渡す。彼の運賃くらいは出そうと思って、彼に言うがそういうことはしないで欲しいと彼ににこっと言われ、やめる。

彼が降りてからさらに20分ほど走った頃、国境に到着。あたりは真っ暗。急いでウズベキスタンのイミグレに行く。入国時にずいぶん時間をくった荷物チェックは特になく、税関申告書を2枚書いて提出し、スタンプをもらって終了。

歩いて100mほど行くとそこがキルギス側のイミグレ。こっちもすんなりと通過。イミグレの建物を出ると警官が3人ほどいて、パスポートを見せろと言う。彼らは入国スタンプを確認してからパスポートを返してくれる。そして、一人の警官が10米ドルくれと言う。「ニェート、ニェート」と言ってさっさと彼らの前を離れる。しつこくはなく、それでおしまい。

両替所が開いていたので、とりあえず10米ドルぶんのスムをキルギスソムに両替。レートは1000ウズベキスム=240キルギスソム。

そうしてキルギスに入ったのだが、やはり彼はいなかった。暗くてどこに誰がいるかもわからなかったが、うるさいタクシーの運転手らをかわしながら、一帯をちょっと歩いてまわり、彼を探す。しかし、やはりいない。

さて、どうするかなぁと悩む。タクシーの運転手は町中まで200ソム(約500円)だと言う。高い。ガイドブックを見ながら宿をどうするか考える。

近くには食堂やお菓子などを売る売店があったので、お菓子を売っている売店の女性に聞いてみる。彼女は20代くらいに見えるが、前歯の数本が金歯になっているし、一番上に羽織っている服もおばちゃんたちがよく着ている臑まであるカーディガン(?)だったため、けっこう年はいっているのかと想像してしまう。

彼女に近くにホテルはあるかとロシア語で尋ねるとあると言う。でもやや遠いらしい。なので、そうかと考えていると店の椅子を持ってきて座って休むように言う。さらに彼女はお茶を出してくれ、加えて店の商品である量り売りのお菓子を2~3個くれる。

約束した日本人旅行者がもしかしたら来るかもしれないと30分ほどそこで待つが、19時を過ぎたのであまり遅くまでここにいると後が面倒になるかと思い、彼女にタクシーで町中に行くわと伝え、お茶代を尋ねる。

しかし、彼女はこの近くの宿に連れていくからタクシーはやめた方がいいと言い、ちょっと待っててとまた椅子をすすめる。また、お茶代はいらないとも。

彼女ともう一人10代後半らしき男の子がその店にはいて、彼女らが店を閉めるのを終わるのを待つ。

20時前に店の片づけが終わり、彼女と10代後半くらいの男と3人で宿に向かう。店の裏側の道を歩く。道は舗装されておらず、あちこちに足を突っ込めば足首までは浸かりそうな大きな水たまりができている。街灯がないため、足下がおぼつかない。ぼくは懐中電灯を取り出し、足下を照らしながら歩く。足下はどろどろ。

彼女は歩きながらロシア語で話しかけてくる。”タクシーはすごくお金がかかるから乗らない方がいい。明日の朝になればマルシュートカ(乗り合いワゴン)があるからそれだったら7ソム(約15円)で町中まで行けるから”などと言う。

暗い道を10分ほど歩き、ある民家らしい家の前で立ち止まる。ここらしい。てっきりホテルだと思っていたのだが、彼女らは一緒に敷地内に入る。おじさんが出迎えしてくれたのだが、そのおじさんは彼女らの父親だった。つまりは彼女らの家に泊めてくれるらしい。

家は一軒屋で周りの家と同じく、鉄門があり、そこを入ると正面は果物でもなりそうな木が8本ほど植わっている庭というか空き地というかがある。右手の建物が自宅。2階立てのようだが、実際には1階しか使っていないようで、2階には灯りもついていないし人気もない。

促されて自宅内に入る。入り口のドアのところで靴を脱ぎ中に入るとそこは8畳ほどの部屋だった。10人くらいが一緒に食事できるくらいの大きなテーブルがあり、壁にはどこかの滝のポスターが貼られている。床には絨毯が敷かれ、テーブルのまわりには細長い布団のようなクッションが座布団のようにして敷かれている。

角に荷物を下ろすとテーブルに座るようすすめられ、座るとお茶とお菓子を出してくれる。

ここの家族はウズベク語を母語とする人たちで、夫婦と子ども4人で暮らしているらしい。ここに案内してくれた売店の女性が長女のようで、その下に男が二人いて、一番小さいのが4歳の女の子らしい。一番下の女の子は母親の陰に隠れてこちらを見ているだけで、目を合わすと隠れてしまう。なので、持っていた紙で手裏剣と紙飛行機を作って渡すとパッと受け取ってまた隠れる。

夫婦は見た目は50代後半のように見えたが、子ども年齢からすると50歳前後のよう。

まずはいくらで泊めてくれるのか尋ねる。相手はちょっと考え、いくら払うかと聞いてくるので、予定よりも出費が多くなるが、1泊2食(朝晩)付きで10米ドルでと聞いてみる。するとそれでオッケーとのこと。

またおじさんは自分はまちのあちこちを知っているから案内してやると言うが、タダではないだろうと思い、いくらかと尋ねるといくら払うかとまた聞いてくるので、こっちはオカネは払えないから自分で回るということにする。

その他、ロシア語でいろいろ尋ねてくるが、なかなか難しい。手持ちの会話帳などで言いたい言葉を探してもらうが、けっこう載っていない。辞書の必要性を感じる。

尋ねられたのは、どこからどう来たのか、これからどこに行くのか、日本では何をしているのか、結婚しているのか、両親はどこにいるのかといったこと。

23時くらいまで会話帳をまじえ、あれこれとしゃべってから寝る。

寝る前にトイレの場所を聞くと、トイレは外にあった。庭は奥行き30mほどあり、幅が5mほどある。トイレは一番奥にあったのだが、なんだか家畜糞くさいなと思っていたら、牛が4頭いた。トイレの横の建物が牛小屋になっていて、聞くと一番の年寄りは5歳で若いのは1歳くらいの牛だと言う。その他、鶏と犬もいた。

Fin

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