2011年3月7日月曜日

[diary]ビザの延長手続き、日本語を話す女性と出会う、白酒

ビザの延長手続き、日本語を話す女性と出会う、白酒

2009/02/26(木) 晴れ 日中10~15℃
[Kashgar:China]
レート:1米ドル=6.8元=96円

※時間は自治区の時間

和田から戻ってきてカシュガル4日目。

・Sさん再びのチェックイン
・二人で公安へビザの延長へ
・日本人男性を夫に持つウイグル人女性と遭遇
・彼女の家に招かれる
・彼女から聞いた話
・食事をごちそうになる
・本屋へ
・バスターミナルへ
・プリクラ
・写真の現像
・新たな日本人客
・3夜連続でおじさんたちと飲み会

カシュガルの色満賓館のドミトリー室。1泊30元。

まだ暗いうちに目が覚める。昨日の火鍋の会で調子に乗って辛い方のを食べたせいか、それとも鍋に入っていたニンニクを10粒ほど食べたせいか、腹の具合がおかしい。

新彊時間の7時頃、同室のSさんも起床。バタバタと支度をして彼女は宿を出ていった。

ぼくは大量にたまっている日記の始末をしなければならなかったのだが、旅にでる前に友達が贈ってくれた『文明の生態史観』に逃げる。前半部分だけだが、読んでて面白かったのが、著者が日本の人口問題を憂いていることだった。本書が書かれたのは1950年代半ばだから、後に団塊の世代と呼ばれる人たちが生まれてちょっとした頃。今や人口減少期に入っているので人口問題も増えることを憂えるよりもその逆になってしまった。そのことがなんだか面白い。

その他、日本には英語看板が少ないことに気づいたという話などは今もけっこう変わらないだろうなと思う。同じルートを通っていないので、なんとも言えないが、おそらく著者がパキスタンやインドで見た光景の中には今はだいぶ見られなくなっているだろう。洗濯物を二人で持って乾くまで待つというような仕事をしている人は今でもインドにいるのか?

と、本を読んでいたら部屋のノブがガチャガチャ言う。新たな客かと思いやさっき出ていったばかりのSさんが再びのチェックインですとか言ってやってくる。

聞くと、宿の下にはソレットおじさんはいず、自力でキルギス行きのバスが出ているバスターミナルに行ったものの国境までしか行かないと言っているのにオシュまでの運賃450元を払えと言われ、値切ったところ100元まで落ちたが、結局高くつくのでやめて戻ってきたらしい。

というわけで彼女もここでビザの延長をするというので、一緒に公安に行くことにする。前回行ったときはビザが切れる来週の月曜日に来いということだったが、週末が近いからなんとかなるかなと見込んでいた。

公安に行く前に申請に必要な宿の領収書のコピーを近くのコピー屋で取る。コピーは1枚0.3元(=3角)。

で、歩いて1本向こうの公安がある通りへ行く。

公安の入り口のすぐ手前にあるビザ延長事務所に入る。先客が2人。地元の人っぽい女性とやや地元の人にしては彫りの深い男性が一人。いずれも40~50代。

書類を取り出し、カウンターにいた女性に見せる。そこへ隣にいたおばさんから声がかかる。「日本人ですか?」と日本語でおばさんは聞いてくる。二人して驚く。こんなところで日本語を話す人に出会うとは。

おばさんが言うには、旦那さんが日本人で、日本では神戸に住んでいるらしい。

カウンターの職員は、ぼくらに中国の入国スタンプがあるページもコピーして来るように言う。こちらではパスポートの写真があるページのコピー1枚と宿のレシートのコピー1枚、それにパスポートサイズの証明写真2枚を用意していたのだが、それだけでは足りなかったよう。

おばさんは、ぼくらがコピー屋に行こうとするとすぐ近くにあるから案内してすると言って、道路を渡った向かいにあるコピー屋までついてきてくれる。そして、そこの店主にウイグル語で注文を伝えてくれる。コピーは1枚にパスポートの写真があるページと入国スタンプがあるページをコピーして、料金1元。

再び事務所へ。

先客の書類をさばくのに時間がかかっていたので、ぼくはちょっとトイレ休憩。同じ通りにあるシャワー屋も兼ねているらしい有料公衆便所で用を足す。料金0.5元(約7円)。大の方は、大人がしゃがむと頭が見えるか見えない程度の高さのしきりがあり、ドアもちゃんとついていた。ウズベクやキルギスのように各便所のしきりはあるが入り口のドアがないというタイプではない。10年近く前に聞いた話では、中国の公衆便所は、各個別の便所の入り口のドアはおろかしきりもないと聞いていたのだが、こういう大きなまちではそういう状態は改善(?)されたということか? 

一方で旅行者に聞いた話では、しゃがんだら尻に付きそうなほど糞が山盛りになっていたり、女性用便所では使用済みの生理用品が踏み場もないほど足下に散らかっていたりすると言うから、地域や便所によるのかもしれない。

事務所に戻る。Sさんの書類はすでに処理されたようで、すぐにぼくの番になった。まずは申請書に記入。名前や生年月日や国籍その他いろいろ記入欄はあったもののぼくが書くのは名前とサインの欄だけで良いと言う。他の欄は職員がぼくのパスポートを見ながら必要な情報を書き込む。職業などパスポートには記載されていない事柄についても記入する欄があったが、そこは空欄でいいらしく、特に質問されることもなかった。なお、申請用紙は漢字と英語の併記。

その書類を書いた後に写真撮影。カウンターの椅子に座って、パソコンに接続されている小型カメラで写真を撮られる。

これで手続きは終わり。受け取りは明日だという。パスポートを預けたままになるので、その引換証みたいなものをくれるのかと思ったが、それはなし。まぁ、まちでパスポートの提示を求められることはないからたいして問題ではないが。

おばさんは、自分の家に来ないかと誘ってくれる。というわけで、2日連続で二人してウイグル人の家におじゃますることにする。

おばさんの家は、ガイドブックでは旧市街と呼ばれているところにあった。一帯はウイグルの伝統的な家が並ぶところで、家々の間をくねくねと石畳の道が通っている。各家の敷地は壁で隔ていられているものの道に面した部分は一枚の壁のようにして続いている。

ときおり玄関のドアが開いているところがあるが、ドアが開いていても布生地がカーテンのようにしてぶら下がっているので、中の様子は見れなかったりする。それでも隙間などから、ドアを入るとすぐ家の中ではなく、まず中庭のようなものがあり、そこを通ってからまた家本体の玄関のドアを開けるという二段階方式になっているのが一般的であるらしいとわかる。

おばさんの家もその方式で、道に面した壁に埋め込まれているドアを開けると、まず中庭があった。中庭の広さは5m四方ほどで、一角には中央アジアなどではたまに食堂などでで見かけるベッドのような形をした家具(食堂ではベッドの上にちゃぶ台が乗っており、客は靴を脱いであがり、飯を食う。日本で言えば、食堂の座敷部屋に相当するような感じ)が置かれている。中庭と便宜上書いているが、地面は石畳なので植物などが栽培されているわけではない。こういうスペースのことを何というのだろうか?

家の本体は2階立てで、2階には中庭から階段を登ってあがる。階段も石製。昨日聞いた話では2階や3階で鶏を飼っている家もあると言っていたが、ここはそうではないよう。

ぼくらはまず家本体の居間に案内される。靴を脱ぎあがる。床にはじゅうたんが敷かれ、壁にも飾りとしてか大きな絨毯が架けられている。Sさんに言われてなるほどと思ったが、こうして壁に絨毯を架けることで部屋を暖かくする機能もありそう。なお、この家は父親がたが代々使ってきた家らしい。

座布団代わりに細長い布団がコの字型に敷かれ、座ってくださいと勧められる。間もなくして平たく円いナンとベーグルのようなナンが山盛りになって出てくる。それと一緒に薄緑色のレーズン、殻付きアーモンド、ナツメヤシが出る。ヤシの木をここらで見たことがなかったので、ナツメヤシがどこから来たものなのか聞くと、サウジアラビアからの輸入品だと言う。

彼女は自分でナンや

ちゃぶ台を置いてバザールの食堂などこと。

2階にあがる階段があり、藁などが塗り込まれた黄土色の土壁が一帯にあった。

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