2008年3月21日金曜日

ハイチへ

2008.3.15(土)

昨日、地図を買った店の人の反応を見て、ハイチは大丈夫と思えたため、無性にハイチに行きたくなる。

ただ『ロンリープラネット』には2日前には予約を、というようなことが書いてあったので、今日は席がないかもと思いつつ、とりあえずバスターミナルに行くことにする。

6時過ぎに起き、ハイチに行けることになった場合のために、荷物をまとめる。もし、ハイチがダメだったら国内の内陸部に行こうと思い、辞書などをキューバで買ったビニール製の手提げカバンに入れて宿を出る。

宿のドアはまだ閉まったまま。年寄りの管理人が、起き出してきて開ける。外はやや涼しいが、ハバナほどではない。昨日の日中はあんなに走っていたタクシーなどもこの時間帯ではほとんど動いていないようで、車の通行量も人通りも少ない。

昨日、インフォメーションで教えてもらったカリブツアー(Caribe Tours)のバスターミナルに向かう。地図上では歩くと30分くらいの位置にある。

うまく迷うことなく、カリブツアーのターミナルに到着。メキシコほどではないかなかなか立派なターミナルだった。施設の案内も英語が併記されている。

インフォメーションでハイチに行きたいというとここでは売っていないというようなことを言い、あっちだというふうに指さす。とりあえず時間と料金が知りたかっただけだったが、その人はチケット売場の方を指さすので、そっちで同じように聞くと、今度は建物の入り口の方を指さし、右の方のなんとかと言う。

言われたとおりに右の方に行くと、Travel Agent、Atlantic Toursと書かれたオフィスがあり、どうもここのようだった。だが、まだ開いていない。ガラス張りになっている壁をのぞき込んでいると通りがかりのドミニカ人の男性が8時半になったら開くと教えてくれる。

まだ50分ほどあったので、施設内をうろうろしたり、来る途中に買った新聞(25ドミニカペソ)を見たりする。新聞はジャマイカと同じく、縦長で4部ほどに別れており、広告雑誌も入っており、けっこう分厚い。

記念に新聞の写真を撮っていたらセキュリティのおじさんが話しかけてきてぼくが持っているカメラの値段を聞いてくる。値段を言うと、ふ~ん、そうかといったような反応。

8時半過ぎにオフィスが開いたので、窓口にいた人にハイチに行きたいと言うと、いつ行きたいのか聞かれる。出発時間を聞くと、11時だという。今日でも大丈夫そうだったので、値段を聞く。よく聞き取れなかったので料金を紙に書いてもらうと、片道が66USドルプラス100ドミニカペソ、往復だと129USドルと200ドミニカペソだと言う。

まだ3時間近くあるし、お金もなんとかなるので、行くことに決定。歩いて宿に帰る。

宿に戻り、受付のおじさん(というよりおじいさん)にハイチに行く旨を伝え、前払いしていた宿代を払い戻ししてもらえないか聞く。スペイン語だけのやりとりなので、なかなか伝わらないが、やっとこさこっちの言いたいことは伝わる。だが、その人は雇われている人のようで、ホテルの主が10時までには来るから、その人が来てからというようなことを言われる。ちょっと遅いなと思いながらもしょうがないので、それまで待つことに。

とりあえず部屋に戻り、荷物の整理。リュックの下の方に入れていたフランス語を含む5カ国会話帳を取り出すなど、荷造りをして受付に行く。

受付には2日前に予約をしにきたときにいたおじさんが来ていて、何かようかと言われる。それで同じように用件を伝えると、雇ってるガードマンらしき細いおじさんに80USドルくらいを渡し、外に両替しに行かせる。

事前に4泊ぶんの1800ドミニカペソ(約60USD)を払っていたが、900ドミニカペソ(約30USD)を返金してくれる。

時間は10時。バスの発車時刻の11時まで1時間を切ろうとしていたので、宿近くに停まっていたタクシーを使ってターミナルまで行く(150ドミニカペソ=約5USD)。

ハイチ行きのバスを扱っているトラベルエージェントのオフィスには6人ほど客が列を作っていた。中に入って並ぶ。先頭の窓口には、アフリカ系の男性がスペイン語で窓口の人と話している。その傍らにはアメリカ人らしきアングロサクソン系の女性(20代前半)が立っており、ときおりその男性と英語で話をしている。どうもその男性はトラベルエージェントの人のようで、そのアメリカ人らしき人等をツアーかなんかでハイチに連れていくようだった。

ぼくの前にはハイチと書かれたパスポートを持った人が3人並んでいる。その人等は窓口ではスペイン語ではなく、フランス語かクレオールで話していた。

20分ほど待ってぼくの順番がまわってくる。窓口の人は朝のことを覚えていて、パスポートをお金を出すと何も言わずに手続きをしてくれる。朝のやりとりのとおりに、今日出発で17日ハイチ発の往復のチケットを手早く準備してくれる。

129USDに200ドミニカペソをここで全部払ってしまうのかと思っていたが、そのうちの28USDと50ドミニカペソぶんは帰りに払うと言う。料金の内訳がどうなっているのかよくわからない。チケットを見ると代金のところには行きにも帰りにも75USDと書いてある。

パスポートは窓口で預ける。どうもバスの添乗員が乗客のパスポートはまとめて管理し、出入国の時の手続きも基本的にしてくれるよう。

10時45分に1番パーキングに来るように言われる。あと10分ほどしかない。施設内の待合室は100人以上座れるがすでに満杯。施設内にある売店で飲み物だけ買って、1番パーキングで待つ。

同じバスを待っている列には白人系の人が10人ほど並んでおり、みな英語を話している。学生らしき男女がほとんどだが。50代くらいの年輩の夫婦も見える。

予定通りの時間に乗車する。バスはきれいで外観は新品同様。内部もなかなかきれいで座席は背もたれとシートが動くタイプ。50人乗りのバスはほぼ満席で、3割くらいが旅行客のほかはだいたいハイチ人のよう。

幸いぼくの隣は誰も座らなかったので、2席独占できる。

発車予定時刻を過ぎた11時20分頃、バスはターミナルをでる。例のごとく車内はキンキンに冷える。温度計を取り出して計ると座席の上で20℃。外は30℃くらいあったから調子が狂う。

1時間もしないうちに郊外にでる。サトウキビ畑やバナナ畑、果樹園などが見える。

大統領戦のポスターがこれでもかというくらい貼られていて、道路沿いでもまちに入るごとに候補者のポスターを見る。途中のまちでは、それぞれの候補者の(政党の?)シンボルカラーの旗を持った人や服を来た人が選挙運動なのか、道ばたにずらっといた。

12時すぎると車内では弁当が配られる。弁当のことは聞いてなかったんで、ラッキー。あとコーラのサービスもあったが、炭酸嫌いなので却下。ペットボトルの水がただでもらえるようだったので、そっちをもらう。

バスは海沿いに出ては、また内陸に入る。初日飛行機から見たとおりに山には木がない。

3時間も走るとまちらしきところを見ることはなくなり、州道路沿いの集落を見るのみ。ある集落では集落内に1mほどの幅の川が通っており、そこで子どもたちが素っ裸で水遊びをしていた。その川はみた感じだと川というよりも人工的な用水のようだったが定かではない。

例の選挙ポスターはこんな田舎の集落にも貼られていた。政治体制が違うからなんとも言えないが、カストロならこんなポスターにカネをかけるよりも、サンとドミンゴの靴磨きをしている子らにカネを使うだろうなと思ってしまう。候補者はいずれも”肌の色の薄い”人。

マシンガンを持っている兵士が検問をしているところを2カ所通過する。バスは特に止められることもなく進む。

そして出発から約5時間後の15時40分にハイチとの国境地帯に到着。外務省の安全情報などを見て、もっと物々しいところかと想像していたが、軍人がたくさんいるわけでもなく、他とあまり変わりはない。

まずはドミニカ出国。乗客はバスの中で待機。添乗員がみなのパスポートなどを持って外に行く。

驚いたのはすぐそこが湖で、増水しているのか今にも道路に水が入り込もうかというくらい水位が高い。淵に立って手を伸ばせばすぐ届くところに水がある。

実際、ドミニカ領からハイチに入る短いトンネル(10mもない)の中には水が入って来ていて、バスはみずしぶきをあげながら通っていた。ハリケーンが来たときなどは、一帯は沈むのではないか。

出国はぼくは問題なかったもののアメリカ人らしきグループのツアー参加者の中から一人女性が呼ばれて外に出る。あとハイチの人が何人か呼ばれて出ていく。

アメリカ人の人は戻ってきて、ツアーの方の添乗員の男性にお礼を言っている。なんかいろいろ聞かれたらしいが、その添乗員が話をしてくれたよう。こういうことがあるときにはツアーの添乗員がいると心強い。

結局、出国手続きだけで50分ほどかかり、16時半にバスは発車。ハイチ側に入り、今度は全員が降車し、歩いてイミグレの建物へ。このときにもまだパスポートは手元になく、バスの添乗員に預けた状態。

バスを降りてイミグレの建物までの10mほどを歩く。両替商のおじさんたちが何人か声をかけてきて、持っている札束を見せ、両替しないか聞いてくる。またぼろぼろの格好をした10歳くらいの子どもが、カネをくれというように手を差し出してくる。後ろからUNの文字の入った車が通り過ぎる。車の荷台には武装した国連軍の兵士が数人。

イミグレの建物に入る。他と同じく一人一人質問などされるのかと思っていたが、そういうことはなく、名前を呼ばれ入国スタンプが押されたパスポートを受け取るだけだった。さっき出国時にひっかかっていたアメリカ人らしき女性は、またもやひっかかり何か質問を受けているが、添乗員がついていきすぐに質問は終わっていた。

10人目くらいでぼくの名前が呼ばれ、パスポートを受け取る。中を見てスタンプを確認。バスに戻る。バスはすでにハイチ側に移動しており、乗客は歩いてハイチ側に入る。その間、50mほど。

ハイチ側に入ると向かって左手に鶏の唐揚げなどを売っているおばさんが4人ほどいる。ハイチのお金は持っていなかったので、さっき両替すれば買えたのに。1人のおばさんが何やら言ってくるがどうもスペイン語のようではない。フランス語とクレオールをきっちり聞き分けられるほど、フランス語を知らないので、どちらなのかもよくわからない。

バスの入り口にはさっきと別だがほとんど同じくらいの年の男の子がカネをくれと立っている。ドミニカのコインをやってもしょうがないかなと思いつつ、20ドミニカペソのコインを渡す。その子はにこっとして受け取る・・・。

バスに乗り込む。他の客が左の窓からバスの下をのぞき込んでいるので何事かと思い、ぼくも見ると、乗客の荷物がバスの外に持ち出され、その持ち主らしき人と検査官らしき人が何か言い合いをしている。

でかい長方形上の金属で作られたもので、なんかの機械のようだが、何かはよくわからない。しばらくもめて、その機械はバスの荷物置きのところに男が3人がかりで戻される。

結局、バスが国境を離れたのは17時15分。サンとドミンゴを出てすでに6時間たっていた。バスのチケットを買うときにはサンとドミンゴまで7時間と聞いていたので、暗く前につくかと思い行くことを決めたのだが、これでは着いた頃には暗くなっていそう。

右手に湖を見ながらバスは走る。しばらくすると石灰岩の山なのか、真っ白い山を切り崩して土を運んでいる現場を通り過ぎる。ハイチ側に入ったからと言って急に風景が貧しくなるということはない。

ドミニカ側でもトタンを貼り合わせたような家家があったが、それと同じ程度。もしくはブロック塀やコンクリートで作られた同じ形の家が立ち並んでいるところもある。

道路沿いに多くの人が出ていて、派手なトラックバスも走っている。様子を見ているとけっこう安定している感じ。

バスが走る道路は舗装されていて、基本的に問題はない。

前方には山。ポルトープランスは海に面しているところだから、あの山を越えていくのか。太陽の傾き具合を見ると、まだ2時間はもちそう。

国連のキャンプのようなところを右に見ながら通る。左手では濁った水で洗濯などをしている人がいる。それからしばらく行って、登り道に入ったところで左手にHYUNDAIやHONDAといったメーカーの看板が目に入る。共同オフィスなのかそれらしききれいな建物が見える。その隣にはよく整備されているグランドもある。

坂道を上っていくとまちらしき雰囲気になる。建物が密集し、道路脇では野菜などの食料品や石鹸や化粧品などの生活用品などが売られており、電気屋の店舗も見える。見た感じでは一通りの生活用品はそろっている。問題は買えるかどうか、という段階っぽい。

坂を上りきると空が開け、前方が海であることがわかる。ヨーロッパ調の町並みの中に入り、その一画でバスは止まる。どうも終点のよう。時刻は18時40分(ドミニカ時間。ハイチでは17時30分くらい)。まだ明るい。もう30分ほどは持ちそう。

バスを降りると例のごとくタクシー屋が待っている。一人のおじさんは「コンニチハ」と日本語で話しかけてくる。無視して一旦通り過ぎるが、荷物を取り出していたところへまた話しかけてくる。値段を聞くと20USDと言う。ロンリープラネットの地図に載っているバス乗り場に着いたのであれば、乗り合いタクシーを使ってなんとか事前に調べておいた宿までは行けそう。だが、そうでなかったら時間的に厳しいなと思いつつ、とりあえず高いし、それほど危険そうではなかったので、断る。

とりあえず同じバスに乗ってたハイチ人の人に聞く。ロンリープラネットの地図を見せると、どうも載っていないようなことを言う。それでグアグア(乗り合いタクシー?)にそこから乗っていけと、スペイン語で教えてくれる。

ターミナルを出て、とりあえず歩く。だいぶ日が傾いてきた。早く着かないといけないと思い、ちょうどすれ違いそうになったおばさんに聞く。スペイン語で聞いてみるが、通じていない。宿は中心部のChamps de Marsにあるので、その文字を見せると、フランス語らしき言葉でなんとかと言う。ただ”マシーン”だけ聞き取れたので、車に乗らないと遠いことくらいはわかる。

親切にもおばさんはそのマシーンが車で一緒に待ってくれる。だが、2分ほど待ってもこないので、おばさんはまたマシーンに乗るんだよというようなことを言ってぼくが来た道を歩いていく。

するとすぐにマシーンが来た。おばさんはこちらを振り返り、マシーンの方を指さし、これに乗れと言うような仕草をする。

横に手を挙げ、マシーンを止める。キューバのバラコアで乗ったときと同じような乗り合いトラックバス。幌が付いているトラックの荷台に載る。中には乗客が10人ほど。空いていて良かった。

隣のおじさんにChamps de Marsの文字を見せると、「シャンマッ」とわかった様子。まさか「シャンマッ」と発音するとは・・・。おじさんは他の乗客に声をかけ、シャンマッに行く人を見つけてくれた。若い20代くらいの男の人が手を挙げる。で、おじさんは彼と一緒に行けというようなことを身振りも交え言う。

外は暗くなった。車もライトをつける。車内で代金を集められる。ハイチのお金はなかったので用意していた1ドル札を渡すと、ハイチのお金で20ハイシャングード(?)札1枚とコインをもらう。1ドル札をそのままいかれるかと思ったが、トラックの人は正直な人だった。


坂道を下り20分ほどで降りる。歩いたら1時間近くかかりそうな距離だった。

一緒におりたお兄さんの後に着いていく。トラックを降りたところから左に入ると目の前に広い広場が現れる。ここがシャンマッのよう。なぜかお兄さんのテンションがあがってきて、なにやら言う。その様子から、これはカネを要求されるなと感じる。

行きたいホテルの住所も見せていたのに、公園で別れようとする。そして、予想通りカネを要求される。片言英語を聞いているとどうもタクシー代が浮いたんだから、そのぶんをよこせと言っているよう。

1ドル札を見せると首を横に振るので、次に大きかった5ドル札を渡すとさっさと離れていく。まぁ、20ドルにくらべれば安かったからいいかと自分を納得させる。

広場ではコンサートがこれからあるようで、設営されたステージ上では準備が進められている。ステージ横には横3mくらいの巨大スクリーンが立てられ、そのコンサートのタイトルのようなものが映し出されている。

1泊20~30ドルというゲストハウスは、この公園から近いはずなのだが、そのゲストハウスがある通りを歩いてみたものの、すぐには見つかりそうになく(看板が見あたらない)、人に聞いても知っている人がいない。その宿がある方角はわかったものの、周りはすっかり暗くなっていることもあり、また夜の様子を見るのには公園に近い方がいいと思い、公園に面している通りにあるPark Hotelに泊まることにする。

フロントに行き、予約をしていないが泊まれるか聞くと、OK。愛想はよくない。1泊の部屋代は38USDなのだが、それに税金だ、電気代だというのが付いて結局49USDかかる。トラベラーズチェックで払えるかと思っていたら、フロントにはキャッシュオンリーという文字が。2泊するので、その2泊ぶんここで払えと言うので、100USD払い、お釣りをもらう。

ホテルの造りはプールが2つあり、部屋もきれいで広々としていて豪華。部屋にはサンヨーの強力な扇風機とエアコンあり。シャワーはお湯も問題なく出る。トイレも水洗で良好。トイレットペーパー、バスタオル、石鹸つき。

腹が減っていたので、とりあえず公園の方に行く。人がだいぶ集まってきており、数百人はいそう。屋台もジャマイカにあったようなジャークチキン屋やスープを売っている人、スパゲッティ屋、クーラーボックスで飲み物を売っている人、その他歩き回りながら、タバコやお菓子、電話機などを売っている人がいる。

ジャークチキン屋に行って、いくらか聞くと。数字を言われても理解しなかったぼくに100ハイシャンググード札を見せて、これだと教えてくれる。手元には20しかなかったので、とりあえず宿に戻り、両替をする。

5ドルぶん両替すると、ハイチのお金では200程度にしかならなかった。あまりドミニカと物価は変わらない。

それを持ってさっきの屋台に行き、チキン弁当を買う。それからペットボトルの水(500ml)を買う(20)。コンサートはまだ始まりそうになかったので、一旦、宿に戻ってそれらを食う。チキン弁当は、鳥ももの炭火焼きにゆでたキャッサバとバナナ、あとキャベツを千切りにしたサラダが入っている。味付けは塩味で、ちょっと塩気がきついものの、まぁうまい。

食べ終わってからまた公園に戻る。さすがに外国人らしき人は一人も見あたらないので目立つ。大人も子どもたいていの人が、じっとこちらを見つめる。公園には親子連れや友達連れなどで賑わっていて、その中に混ざってストリートチルドレンらしき子も数人見える。

コンサート会場は円形状になっており、中央はなにもない平面の広場で、周囲が階段状になっている。舞台のすぐしたのところにはすでに人だかりができており、階段状になっているところにも多くの人が座って、コンサートの始まりを待っている。

やがてアフリカ系の女性が出てきて、演奏が始まる。ハイチで人気のある女性なのか、そこそこの歓声があがる。ただその人は4曲ほど歌ったら舞台を去ってしまう。どうも前座だったよう。

その間、汚れた服を着た10歳くらいの男の子3人が寄ってくる。ストリートチルドレンのようで、腹が減ってるからカネをくれというような仕草をする。一旦は首を横に振る。するといろいろ話しかけてくるのだが、まったくわからない。3人のうち右側に座った子がどうもリーダーのようで、その子が一番しゃべる。

その子が握手を求めてきたので、握手。それからぼくの髪の毛を触る。ジャマイカの女の子同様、直毛の髪の毛を触ってみたいらしい。ただあんまり長く触るので、途中で手をどかす。

カネをもらうまでどうも離れる気がなさそうなので、コインを数枚と20のお札を渡す。さっき買い物をした感じでは、これだけのカネだけでは3人で何か食べられるものは買えそうにないが。カネを受け取ると3人は歩いて、どっかに行ってしまった。外国人はまずいないから、きっと地元の大人の人からカネをもらいに行ったのだろう。

周りを見渡すと携帯電話で話している人やCDプレイヤーで音楽を聞いている人もいる。あとローラーブレードで走り回っている10代中ばくらいの男の子が2人ほど見える。身なりはメキシコやドミニカと変わらない。

しばらくしてヨーロッパ系の女性が出てくる。この人が看板に出ていた人のようで、こちらが本番らしい。ケベックの方の人なのか、歌詞はフランス語のよう。レゲエのように特に特徴があるというような歌ではない。

座って聞いていると、今度は左隣に座っていた人が話しかけてくる。若い男性の4人グループ。一人は30~40代くらいの人で、他は20代くらい。ぼくの隣に座っていた人が、一番英語を話せるようで、その人ともう一人少し年がいった人がいろいろ聞いてくる。

年がいった人は英語で話しかけているのだが、文法が間違っているか発音が違うかで、何を言っているのかよくわからない。それを若い子が通訳してくれる。

年のいった人は名前をStanleyと言い、若い方はMenleyと言う。2人はいとこ同士でStanleyは、ドミニカからいろんなものを仕入れてハイチで売る仕事をしてり、Manleyは大学生で英語とスペイン語を勉強しており、将来は教師になろうと思っているらしい。

2人に聞かれたのは、ビジネスで来ているのかそれとも観光かということや、ここは怖くないかということ、日本への飛行機の運賃やぼくの給料、日本のどこに住んでいるかということ。それからジャッキーチェンに会ったことはあるかといったことも。

彼等が日本のことで知っていたのは、ヤクザのこと。映画で見たらしく彼等は危険だというようなことを言う。それからぼくが埼玉に住んでいるというと、Menleyの方は埼玉を知っていて、なぜ知っているのか聞いたらワールドカップの会場だったからと言う。そして日本にはいい選手がいると言って、中田ヒデや小野伸二などの名前を挙げる。聞くと彼は大学でサッカーのチームに入っているらしい。

また、彼は言葉を勉強していることもあってか、MotherやI love youなどを日本語でなんと言うのかと聞いてくる。それで紙に日本語とアルファベットで書くと、日本語を見てフランス語とぜんぜん違うと驚き、他の仲間にもぼくが書いた文字を見せたりする。

Stanleyの方は、どうも商売をやりたいような雰囲気で、ぼくにいつ会社の幹部になれるのかといったようなことを聞く。それから、もしぼくがハイチに来て商売をすればビッグマネーをつかめるとも。例としてアラブ人がハイチに来て、なんかの商売でもうけ、大金持ちになったという話をしてくれる。

その話を聞いていて、さっきの男の子らの状況や以前に読んだことのあるハイチの村むらの状況とを合わせると、ここも相当の貧富の差があることが推察できる。

コンサートの方は、そっちのけでそうした話をしているうちに、コンサート自体が終わってしまう。終わるとみなそれぞれ帰っていく。彼等とはメールアドレスを交換し、会場を後にする。歩きながら閑散となった会場を振り返って見ると、さっきの3人の男の子が階段状のところに並んで寝ていた。

22時すぎ、宿に戻り、シャワーを浴び、寝る。夜中、付けていた扇風機が切れていたようで、暑くて目が覚める。どうも停電のよで、スイッチを押しなおしても、コンセントを挿しなおしても扇風機はまわらない。

おわり。

2008.3.20 カンクンからアップ

宿代え、マーケット、野球

2008.3.14(金)

9時頃、銀行にお金をおろしに行く。

11時前、荷物を背負ってチャックアウト。メインストリートを通り、新しい宿に向かう。

途中、ベンチに4人で座って話していた10代半ばくらいの男の子たちの前を通り過ぎようとしたとき、一人の男の子が、”チーノ”とか”ジャッキーチェン”と言って囃すので、わざと睨みつけるような顔をして突然立ち止まり、その子の方をふち返る。すると、その男の子は慌ててベンチを立ってぼくから離れる。自分が人を怒らせるようなことをしているという自覚はあるよう。キューバなどではチーノと言われても、たいてい言うのはおじさんか小さな子ども、たまにおばあさん、おじいさんで商売でもしてない限り若い人が声をかけてくることはなかった。それも、声をかけてきても、たいていの人がただ手を振ったりするだけで、あからさまにバカにするようなことは表面上はなかった(ぼくの経験した範囲では)。が、どうもここは違うらしい。

その男の子らを通り過ぎたら、今度は社会科の見学なのか小学校高学年から中学生くらいの集団とすれ違う。そのとき、”チノ”がどうということを一人のガキが言ったので、振り返って声がした方を見ると、言ったと思われるガキは目をそらして知らぬ存ぜぬという顔をする。こちらも確信犯のよう。

メインストリートには中華料理屋もあるし、中国系らしき若い男の人がネイル屋をやっていたりもするから、チーノはわりと身近であるはずなのだが、バカにする対象になっているよう。

新しい宿にチェックインし、前払いで4泊ぶん1800ペソを払う。

部屋に荷物を起き、ツーリストインフォメーションに行く。サントドミンゴは小さなまちで、きれいに道路も整備されており、治安もいいのでこの時点ですでに退屈してしまった。

ツーリストインフォメーションで田舎に行くバスターミナルを教えてもらう。対応は丁寧で親切。地図も3種類くれ、長距離バスの時刻表のコピーもくれる。英語可。

Caribe Toursというところがハイチよりの西側の地域に行くバスのターミナルになっているらしく、とりあえずそこに行ってみることにする。

地図を見ると途中にメルカドがあるようなので、そこを通ることにする。観光スポットとなっている歴史的な街並みが残っているゾーンから400mほど北のAv. Mellaという通りに出ると、そこは商店街になっており、文具店や安売りの服屋、電化製品店、ホームセンターなどが立ち並んでいる。歩道はせまく、片道1車線の通りをボロボロのワゴンのルートバスが走っていく。

乗用車はみな日本並み(ジャマイカ同様日本車が多い)にきれいなのだが、ことこのワゴンのルートバスとなるとすさまじいほどおんぼろ。さびているのは当然として、フロントガラスが割れてへこんでいるものや車両のドアがないもの(取り外している?)、ライトが壊れていたり、フロントがへこんでいたり。キューバのおんぼろさは、さびて古くなったという感じだが、ここのおんぼろさはあちこちにぶつけまくって壊れかけているようなおんぼろさ。運転はジャマイカ並みに荒い。

やがて『ロンリープラネット』にもあるメルカド(市場)についたのだが、ここもメキシコのカンクンと同じ土産物専門のメルカド。絵と民芸品ばかり。客はヨーロッパ系の観光客が少々。がっくり。

だが、付近に農産物市場を発見。市場と言っても通りに簡易な造りの露天が並んでいるだけだが。規模はとても小さい。たぶん200mくらいしかない。野菜は他と同じくじゃがいも、小さな人参、キャッサバ、キャベツなど。

同じ地帯は倉庫街になっているようで、大型のトラックが道ばたに停まっており、トラックの下の日陰で雇われているらしい人たちが寝そべって休んでいる。

ぼくはその1角で弁当を売っていたおばちゃんから昼飯を買う(80ペソ:約300円)。4種類の鍋があり、それぞれ肉や魚が入っている。ぼくは魚の方を頼む。ご飯に魚、キャベツの千切りのサラダが発泡スチロールの弁当箱に詰められる。

その辺で食べようとしたが、路上が汚く、水たまりもあって蠅がうようよ。倉庫らしきところの入り口のブロックに座って食べていたら、おにいさんが電話帳3冊を持ってきて、この上に座れと日陰のところにその三冊をどさっと置き、どっか行く。ありがたくそこに座ったものの、目の前に水たまりがあり、蠅がぶんぶん飛んでいる。

ので、移動。狭い歩道にはなかなか適当なところが見つからず、かといって公園もなさそうなので、適当に水たまりのないところで食う。

それからまたCaribe Toursを目指す。Av.Mexicoという片側2車線のきれいに舗装された通りに出る。道路沿いには新築らしき5階建てのきれいなマンションが並んでいる。大型の路線バスが通り過ぎていったので、試しに乗ることにする。当たりを見回しバス停を発見。ベンチも日除けもあるきれいなバス停。

そこに行く途中。路上生活者らしいおじさんとすれ違う。ズボンが尻辺りまでずれ落ち、後ろから見るとハンケツ状態。髪の毛も髭も伸び放題で、異臭がするので、だいぶこの生活が長いよう。すれ違うときにこちらを見てパッと手を出されるが、反射的に避けてしまう。

おじさんはスルスルと車道に出ていく。あぶねぇなと思い見ていると、信号で停まった車に近づいて行き、物乞いをしている。相手にする人はいない。道路を渡って反対側のバス停にいたおばさんたちにも物乞いをしているが、何も手に入らない。おじさんは、そのバス停から10mほど離れて歩道に座り込んだ。

バスが来て、乗る。前乗りで乗車すると回転バーがあり、その横にお金を回収する女性が座っていた。その人に適当にコインを渡すをお釣りをくれる。どうも15ペソ(約180円)のよう。回転バーを教えて中に入る。

冷房付きのバスで車内もきれい。Caribe Toursに行く予定だったが、せっかくなのでしばらくバスに乗る。官庁街らしきところをぬけ、Av.Independenciaという片道2車線の大通りに出る。通り沿いにはレストランやコピー屋などが見え、さらに大型ショッピングセンターが右手に見える。その道路を挟んで反対側には野球の練習場があり、外野は混在しつつ、各4角がホームベースとなって4面で練習試合らしきことが行われている。

ぼくはそっちが気になってバスを降りる。ドミニカはアメリカを除いた国では一番メジャーリーガを輩出している国。金の卵がいるかもとグランドに行く。

4面のうち3面は小学生くらいの子たちが試合形式で練習している。みんなユニフォームにグローブ、スパイクを身につけている。これまたキューバと大違い。

1面では体格としては高校生くらい子らが試合をしていた。ぼくが行くとじろじろと見られる。が、チーノはない。

バックネット裏にいた人たちに混じって観戦。180cm近くあるピッチャーは130kmくらいの球を投げており、なかなか速い。話しかけてきたおじさんに彼等の年齢を聞くと13~15歳という。ボールは硬式ボールでバットは黒の木製バットを使っている。ペイントの剥げかけているバットで2本を使い回ししているところを見ると、そんなに道具が豊富なわけではなさそう。

どのくらいの重さなのかわからないが、この年にしてはかなりスイングスピードの速いものもいる。それからぼくが知っている中学野球と比べると肩の強さがまったく違う。こちらは日本でいうと高校野球でも強いチームなみに強い。キャッチャーは特にセカンドまで低い弾道で軽々と投げる。おそるべしドミニカ。

30~40分ほど試合の様子を見て、終わったところでぼくも切り上げる。どうもグランドの利用は時間制になっているようで、ある時間が来ると一斉に利用するチームが入れ替わっていた。

それから道路を挟んで向かいにあるショッピングセンターを見学。ここにもグローブやバットなどが売っていた。電化製品もiPodなどはないが、デジタルオーディオなどはある。

物量は豊富でアメリカのスーパーと変わらない。客も多い。

水とヨーグルト、ハガキを2枚買う。約150ペソ(600円)。ヨーグルトが高かったよう。

またバスに乗って戻る。

いつもホテル前で果物を売っているおじさんからメロン4分の1とパパイヤ4分の1を買う。100ペソ(約400円)札を渡すとお釣りがないというので、100ペソぶんということで小さなパイナップル2分の1を追加で買う。メロンはたいしたことないが、パパイヤとパインは抜群にうまい。

それから道ばたで売っていたキーぺという円錐系のメンチカツみたいなものとパナダという餃子を広く薄っぺらくしたような揚げ物を買って食う(キーぺ1個15ペソ、パナダ1個20ペソ)。

晩飯をどっかで食うつもりだったが、果物と揚げ物で腹が膨れる。

明日はドミニカの田舎の方に行こうと思い、メインストリート沿いのビルの3階にある地図専門店に行き、地図を買う。ドミニカと世界地図を買う(それぞれ200ペソ:約800円)。

店主のおじさんと若い店員がいて、二人とも気さく。店主のおじさんがけっこう話しかけてくるが、スペイン語のみなのでわからずにいると、若い店員が英語に訳してくれる。どこから来たのか、JICAの仕事で来たのか、どれくらいいるのかと聞かれる。

話ついでにハイチのことを聞く。ハイチに行きたいというと、ハイチに行くにはけっこうお金がかかるといわれる。往復で150ドルくらいらしい。また、バスは橋は結局行かなかったCaribe Toursから出ているという。危険なのかと聞くと、首をかしげ、それほど危険というわけではない、というような反応。その反応を見て、明日はハイチに行こうと決める。

宿の近くの日本語が読めるネットカフェでハイチ情報を検索。外務省の安全情報は「渡航の延期をおすすめしまう」。やっぱりそれなりに危ないよう。その他見てみると、最近、行ったという人の話も見つかり、またメキシコかどっかの宿の情報ノートにも2月上旬くらいに行ったという情報があったので、行くことに決定。

あたりはすっかり暗くなっている。今頃になってCaribe Toursに今日、行っておくべきだったと思うも、朝早く行けばなんとかなるかと思い、とりあえず明日行けることを前提に荷物を整理して、寝る。

2008.3.20 カンクンからアップ

サントドミンゴへ

2008.3.13(木)

朝、5時前にドアベルが鳴り、タクシーが来たことがわかる。それからすぐに部屋のドアが開き、宿主が起こしにくる。荷造りをして部屋を出る。

玄関の鍵を開けてもらい、グラシアスと言って宿を出る。監獄のような古びたエレベーターで10階から1階までおり、道路に出るとタクシーの運転手は運転席に座りスタンバイしていた。今度は、TAXIのマークが入った車。運転手は後部座席に荷物を入れるのを手伝ってくれる。今回は運転手一人だけで、髭をはやした50歳くらいの男の人。15CUCということだけ確認し、発車する。あたりはまだ真っ暗。

運転手は音楽をかけ、無言で車を走らせる。5時半には空港に着き、そこで15CUC払う。

空港には早朝のカンクン行きの飛行機に乗る人たちがいて、にぎやか。

チェックインし、エアポートタックスの25CUCを払う。出国審査のところに行き、さてどの人だったらすんなりいけそうかなと思い、左端にいたおばさんところに行く。ジャマイカに行くときは若い男の人を選んだら質問もなく、すんなりいけたのだが、今回の選択ははずれだった。

サントドミンゴに行って、トランジットでまたハバナによってカンクンに行くというチケットを見せるのに、何やら言って通してくれない。スペイン語しか解さない人のようで、ぼくも相手も何をお互いに言っているのかわからない。そもそもこっちは何が問題なのかがわかってないし。

それで、そのおばさんは別の年輩の男性の職員に相談する。するとその人は、ぼくにメキシコから日本に行くチケットを持っているかと聞いてきて、持っていないと言うと、いくらカネを持っているか聞いてくる。それで適当に現金とトラベラーズチェックの金額を言うと、そのおじさんはイミグレの事務室に行ってしまう。事務室に入るときに、こっちを見てノープロブレムと言うが、すでにプロブレムは起きてるじゃないかとつっこみたくなる。

しばらく待たされ、おじさんが出てきて、やっと解放してくれる。

ここの手荷物検査は相変わらずなんの問題もなく、通る。待機中なのかなんなのか男性職員2人は机に伏せて寝ている。

本屋などは開店の準備をすでに終わっていた。本屋で英語の本を買う(15CUC+10USD:CUCがなかったので)。内容はCIAなどアメリカがキューバに仕掛けたいろんなテロ攻撃について。アメリカに亡命したキューバ人が主犯だったりする。

腹が減っていたので、昨日まちで買ったしけたビスケットを食べる。閉じているはずの空港のベンチは、なぜかスズメかなにかの糞で汚れている。

予定通り8時半に搭乗開始。9時過ぎには離陸する。機内は寒く24℃。離陸すると例のように何十年前のものだというような救命用具の使い方の説明がある。

10時半。眼下に島が見え、ドミニカに入ったことがわかる。あとで確認したところ、ハイチ上空は飛ばずにドミニカの北の方から入ったよう。本で読んでいた通り、木が少ない。きれいな畑も見える。

10時50分着陸。入国審査はまったく一言の質問もなく、素通りのような形で通過。すばらしい。荷物をピックアップし、空港の外に出る。他のようにタクシーの客引きがいるかと思いきや、それはない。造りや雰囲気がロサンゼルスに似ている。

空港のインフォメーションで地図をもらう。そしてバスで町中までいけないか聞くが、タクシーしかないと言われる。値段を聞くと30~40ドルと恐るべき値段を言う。

念のためドミニカペソに両替。タクシー乗り場に行くと、おじさんが話しかけて来る。行き先を告げると40ドルと言って、料金表を見せてくれる。それにはホテル名がずらりと書いてあって、すべて40ドルとなっている。

他にタクシーもないので、そのおじさんに20ドルくらいでいけないかというと、25ドルにまでしてくれる。それで手をうち、タクシーに乗る。

タクシーの運転手は陽気な人で、窓の外に広がる海に手を広げながら、ハイテンションでスペイン語で何やら言う。これまでの空港からまちへの移動で言うと、一番景色が良い。

海はコバルトブルーで波もなく静か。車もジャマイカで乗ったほどきれいではないが、まぁまあ良い。道路は片道4車線で道路沿いには牛乳やなんだかんだの商業看板に加え、おっさんが写ったどでかい看板やポスターがこれでもかって言うくらい設置されている。"tu Presidente"などと書かれているので、大統領選のポスターのよう。

3人くらいの候補者の看板やポスターが、気持ち悪いくらい大量に設置されていて、すれ違う車の中には、それぞれの候補者の政党のシンボルカラーの旗を立てているものや、ステッカーをびっしりと貼っているのもある。ドミニカってこういう選挙をするところなのかと感心する。と同時にキューバと比較して、民主主義はこんなものにカネをかけなきゃいけない(政治家にとっては)のだなと思う。

車は30分ほどしてヨーロッパ調の街並みの中心部に着く。予定していたホテルに行くが、1泊40ドルと事前情報よりも高かったため却下。

どうしようかと思っていたら道ばたのおじさんが、安い30ドルのところがあると言ってついてこいと言う。最初はただの親切心で案内してくれているのかと思ったが、やたらとおじさんが話しかけてくるので、これは下心ありだと感じる。

荷物を持ちながらの移動も面倒なので、1泊くらいはいいかとその宿に行くと35ドルと言うので、却下して出ようとするとドミニカペソで1000ペソ(約30ドル)になる。それならいいかと部屋を案内してもらう。

いわゆる1DKの部屋でキッチン、テレビ、シャワー・トイレ付き、寝室にはベッドが2つあり、エアコンは故障しているようだが、天井に備え付けの扇風機は使える。自分にしてみれば、余計なものばかりで無駄に広いのだが、記念に泊まることにする。

一旦1階のフロントに戻り、用紙に記入し、鍵をもらって2階にあがる。荷ほどきをして、飛行機用に長袖を着ていたのを着替える。さて、あのおじさんをどうまこうかと考えるが、おじさんの方から部屋のドアを叩いて”アミーゴ”などと言ってくる。無視してしばらく部屋におり、その後、下に降りるとやはりおじさんはいた。

鍵は持ったまままちに出る。おじさんがついてきて、両替に行くのかとかあれこれ聞いてくるのを無視していると、親切にしてやったんだからカネをくれないかと言い出す。そういうのは親切心とは違うと思うのですが・・・と思いつつ、うっとうしいのでいくらか聞くと5USDと言う。ドルをやるのはもったいないので、ペソで聞くと150ドミニカペソと言う。多少いらつきながら、ハイよ、とカネを渡すとまっすぐ行けばどこに行くとか教えてくれるが、そんなの地図を見ればわかること。さっさと別れる。後で思えば、カネをやるぶん、もっとおじさんに案内してもらうなり身の上話を聞くなリすれば元が取れたような気もするが・・・。

この宿から中心のコロン広場までは歩いて5分もかからない。広場にはヨーロッパ系の観光客が目立つ。スペイン語を話しているので、スペイン人のよう。10歳くらいの少年5人くらいが、靴磨きの道具を持って観光客や道行く大人に、靴を磨かないか聞いている。子どもが単独でこうして働いている姿を見たのは久々。メキシコのサンクリストバルの少女たち以来か。

公園で売っていた移動式屋台のアイスを買う。20ドミニカペソ(約80円)。やっぱり物価は高い。

コロン広場から西にEl Condeというメインストリートが伸びており、そこは歩行者天国になっている。両脇に土産物屋やスーパーや、服屋、スポーツ用品店、ネイルアートの店やアイスクリーム屋、ケンタッキーやピザーラ、ゲームセンター、ネットカフェなど、いわゆる先進国と変わらない。

歩いている人は、少なく観光客と地元の人が半々。地元の人はムラートと呼ばれるアフリカ系とヨーロッパ系の人が多く、ジャマイカのキングストンよりもアフリカ度は低い。キューバと感じが似ているが、キューバよりもアフリカ度は高い。メジャーリーガーで言うと、アレックスロドリゲスなどの系統。

キングストンでは、女性のほとんどの人が縮毛を生かした多様な髪型をしていたが、ここはストレートヘアの人が多い。

道が交差しているところには、リヤカーなどに積んで椰子の実やマンゴー、パパイヤ、バナナを売っている人たちがいる。試しにバナナを一本買ってみると、1本で15ペソ(約50円)。ジャマイカと同じくらい。キューバと比較すると1本当たりで言えば、10倍以上高い。それから切って4当分になっていたパパイヤを買う。こちらは30ペソ(約110円)。

スポーツ用品店をのぞくと、野球の道具がグローブからバット、ユニフォームまで一式あったので、店内に入って見る。野球の道具の他、バスケットボールやサッカーボール・シューズ、フィットネスマシンなどもある。グローブの質は、日本のものと比べるとかなり安っぽいが、バットは変わりない。日本で数千円するものばかり。

記念にボールを買おうと思い、4種類ほどあった公式ボールを見比べる。officialとマークの入った公式ボールは150ペソ(約500円)ほどで、"MADE IN CHINA"の文字がデカデカと書いてある。これはちょっと興ざめなので、中古品のボールが85ペソ(約300円)だったので、こちらを購入。ボールには”Team Ball” "Official PROFESSIONAL LEAGUE"と文字が入っているので、たぶん試合か練習で使われたボールのよう。擦れていてはっきりとはわからないが、"ODSHIONEDOORK CENTER HAITI"の文字もある。

まちを歩きながら明日からの宿を探す。そのメインストリートに小さな看板が出ていたホテルで聞いてみると50USドルなのでダメ。メインストリートが終わった正面にはParque Independencia(パルケ インディペンデンシア)という円形の広場とその中に博物館みたいなのがあり、その広場の周りを囲んでいる壁には絵入りのパネルが360度貼られている。文字はスペイン語なので、よくわからないが、その絵からドミニカが独立するまでの過程を説明しているもののよう。

Independenciaと聞いて、メキシコかどっかの宿で、安宿があると書いていた情報を思い出し、探してみるとHotel Independenciaという路上に出ている看板を見つける。

フロントはおじいさんで、4泊泊まるというと1800ドミニカペソ(約7000円)という。部屋を見せてもらうとベッドが二つあり、シャワー・トイレ付きの部屋を見せてもらう。扇風機もある。今晩泊まるホテルに比べれば施設は使えないことはないが、ぼろぼろ。1泊20ドルを切っているが、メキシコの10ドルくらいの宿などと比べると、施設からすると3ドル程度。

他に宿を探すのも面倒なので、予約だけしてまたまちをうろつく。

海岸線沿いに出ると、どでかいコロンブスの像が見える。近くまで行くと、その像の下狭いスペースで20歳くらいの男3人がキャッチボールをしていた。公式ボールにグローブ。キューバではさんざん街角で野球をしているのを見たが、まもとなグローブできれいな硬式ボールを使ってやっているのはほとんど見なかった。キャッチボールの様子を見るだけでも、経済的にどれだけ豊かがわかる。

その東どなりには船体にPANAMAと書かれたでかい客船が停まっていた。乗るつもりはなかったが、船着き場の入り口の警備員にいくらか聞くと、相手は乗るものだと思って、往復200ドルくらいでパスポートが必要などとスペイン語で言う。パナマ行きかを訪ねるとプエルトリコ行きらしい。今日の20時に船は出るという。

話だけ聞いて、その船着き場の横の道路を歩いていると、こちらに船乗り場があった。3mくらいある鉄壁の向こうにフェリー乗り場と書かれた建物があり、入り口には人がごった返している。

中心街に戻ろうと、陸橋で道路の反対側に渡る。すると降りたところでおじさんに何時かと聞かれる。いかにもという怪しげなおじさん。体に合っていない服に、何年履いているのだろうかと思うような汚れた革靴。

時計を見せるとチノかコリアンかと聞いてくる。ハポネスと言うと、親しげに話しかけてくる。メレンゲ(ドミニカの音楽)がどうとかと言って、テンションが高いのが怪しい。どこに行くのかと言うのでホテルだと言うと、自分にコーラをおごらないかといったようなことを言い出す。ほらきた!と思い、さっきのおじさんのこともあり、いらついてきたので、少しイジメることにする。

まずは”Porque(ポルケ)?"とぼくがおじさんにおごる理由を聞く。するとおじさんは一瞬戸惑い、口ごもってから”友達だから(・・amigo・・)"みたいなことを言う。この間、話しかけてきてから3分ほど。ふ~ん、て感じでおじさんを見るとさっきまでのテンションの高さは消える。

ま、付き合ってみるかと、行こうという仕草をすると、あっちの方だと案内される。着いたのは街角の立ち飲み屋みたいな店。おじさんはさっそくカウンターにいたおじさんに注文する。何を注文するかと思いきやいきなり酒。ラムのようだった。値段を聞くと80ペソ(約300円)と言う。コーラだったらかわいいもんだから買ってやろうかと思ったが、結局、酒が飲みたいだけかと思い、高いと言っておじさんを置いて店を出る。

するとおじさんは早足でついてくる。コーラじゃなかったのかと言うと、わかったというような感じで、別の店に連れて行かれる。そこは酒を含めた各種飲み物とお菓子などを売っている店。だんだんカネを出す気がなくなってきたので、おじさんが店に入って店主に話しかけているのを見て、気づかれないように黙って外に出る。まったく性格が悪い。

するとおじさんはあわてた顔して走ってついてきて、50ペソでどうだと言う。しかも現金で。首を横に振り、30ペソまでならいいとおじさんに言うと、うなづいて別の店に案内される。こっちもさっきと同じような店。

おじさんはぼくにコーラなどをすすめてくるが、ぼくはいらないと言って、おじさんが選ぶのを待つ。おじさんは冷蔵庫から500mlの紙パックのジュースを手に持ったり、冷蔵庫に戻したりを2度ほど繰り返す。どれを買うか迷っているというよりも、これを買っても意味がないから、またぼくと交渉するかどうしようかと迷っている様子。その姿を見ていて、だんだんちょっとやりすぎた気がしてくる。

おじさんは結局、冷蔵庫から商品は持ってこないで40ペソを現金でくれと言い出す。さっさとおじさんを無視して別れる選択肢もあったのに、ここまで引っ張ってきて、何も得る物がなかったとなるとおじさんに悪いから、40ペソをコインで渡す。

何も買わずに店を出るのも悪いので、ちょうど必要だった水(500mlペットボトル)を買って(20ペソ?)その店をでる。

コロン広場を通って、宿に戻る。ドミニカにはメレンゲという音楽があるからハバナのように観光客が多い店では演奏でもしてるかと思ったが、音楽はどこからも聞こえてこない。

ドミニカのカネがなくなったので、両替しようとさっきのメインストリートに行ったが、両替屋は17時くらいで閉まるようで開いていない。しょうがないので、歩いて宿に戻る。

途中、立ち止まったときに後ろから肩を軽く叩かれる。振り返ると路上生活をしているらしきおにいさん。見た目はまだ20代っぽかった。にこっとして手のひらを上にして右手を差し出してくるので、ポケットにたまっていたコインをジャラジャラっと適当に渡す。にいさんはグラシアスと言って、メインストリートと交差している横道をコインを数えながら歩いて行った。

靴磨きをしていた少年たちは、もう客がつかないと判断したのか、それとも店じまいの時間なのか、道具を抱え3人くらい一緒になってメインストリートを郊外の方に向けて歩いている。

すっかり暗くなる。宿の入り口近くで6歳くらいの女の子を連れた女性が弁当を売っていたので、それを買う。ゆでたバナナにキャッサバ、豚肉、キャベツのサラダで50ペソ(約200円)。

宿でテレビのチャンネルを回しながら食べる。ケーブルテレビなので、CNNからBBC,Nationa Geographic,Discover、映画チャンネルなど30チャンネル以上ある。ドミニカの番組を見ようと思ったが、ニュースをやっているチャンネルが4つか5つほどあったが、キャスターがしゃべるか、討論するかというような内容で、映像があまりない。わからないので、BBCを流しっぱなしにする。中国の出稼ぎのことやインドの信仰についてのドキュメンタリーをやっていた。

ドミニカ(サントドミンゴ)の第1印象は、はっきり言ってこれまでのどのまちよりもインパクトがないということ。ヨーロッパ調の小さな街並みには、なんだかもう飽きてきたし、店で売ってる物はありきたりのものだし、道路はきれいだし、歩いている人は少ないし、アイスは日本並みにおいしいし、まぁ、過ごしやすいところではあろうが、とにかくインパクトがない。

自分のこれまでの日常とは違うものが見たいという、ある種傲慢な欲を原動力に動いている現状から言えば、そんなふうにサントドミンゴは感じたのであります。

おわり

2008.3.20 カンクンからアップ

2008年3月20日木曜日

カンクン到着

現在、3月19日夕方6時44分、メキシコのカンクンです。

無事、大陸に戻ってきました。
メキシコはやはり大国です。ここがリゾート地ということもありますが、経済的な環境は日本とほとんど変わりませんね。

ここに2泊した後、陸路でベリーズに向かいます。その後、また海路と陸路でグアテマラを目指します。

この間の出来事は明日にでもまとめてアップする予定です。

では。

2008年3月18日火曜日

サントドミンゴ到着

現在、3/17 20:30 ドミニカのサントドミンゴです。
無事、ハイチから戻りました。

明日は午前中に空港に行き、午後の便でハバナに行き、20時間のトランジットで
明後日メキシコのカンクンに戻ります。

1か月のカリブ海の旅も終わりです。

では。

2008年3月17日月曜日

ハイチ

今、ハイチはPort au Princeにいます。
昨日のよるに国際バスできました。

ハイチはこれまでの中で一番貧しい国と言われているところですが、
そのとおりでなかなか水道などがせいびされてなくて、
まちのなかでも水道があるところにみんな水くみに来てるのをみます。

治安もずっとわるいといわれていたけど、そこまで悪い感じはしません。
今日、午前中4時間ほど歩きましたが、特に問題はありませんでした。

ただ武装した国連軍がパトロールしているからやっぱり悪いんでしょうが。

明日の朝のバスでさんとどみんごに戻ります。
では。

2008.3.16.12;39 from Port au Prince,Haiti

2008年3月15日土曜日

サントドミンゴ到着

昨日(3/13)サントドミンゴに着きました。
ここもタクシー代の高さには閉口。しかも代替手段がないというのが、最悪。

物価も高い。野球シーズンも終わっているし。

第1印象は、これまでのまちで一番なにも感じないというあまり来た甲斐を感じないまち。

ここに5泊の予定でしたが、うまくいけば明日からでもハイチに行こうかと思っています。
では。

2008.3.14.19:36 de Santo Domingo