2008年3月21日金曜日

ハイチへ

2008.3.15(土)

昨日、地図を買った店の人の反応を見て、ハイチは大丈夫と思えたため、無性にハイチに行きたくなる。

ただ『ロンリープラネット』には2日前には予約を、というようなことが書いてあったので、今日は席がないかもと思いつつ、とりあえずバスターミナルに行くことにする。

6時過ぎに起き、ハイチに行けることになった場合のために、荷物をまとめる。もし、ハイチがダメだったら国内の内陸部に行こうと思い、辞書などをキューバで買ったビニール製の手提げカバンに入れて宿を出る。

宿のドアはまだ閉まったまま。年寄りの管理人が、起き出してきて開ける。外はやや涼しいが、ハバナほどではない。昨日の日中はあんなに走っていたタクシーなどもこの時間帯ではほとんど動いていないようで、車の通行量も人通りも少ない。

昨日、インフォメーションで教えてもらったカリブツアー(Caribe Tours)のバスターミナルに向かう。地図上では歩くと30分くらいの位置にある。

うまく迷うことなく、カリブツアーのターミナルに到着。メキシコほどではないかなかなか立派なターミナルだった。施設の案内も英語が併記されている。

インフォメーションでハイチに行きたいというとここでは売っていないというようなことを言い、あっちだというふうに指さす。とりあえず時間と料金が知りたかっただけだったが、その人はチケット売場の方を指さすので、そっちで同じように聞くと、今度は建物の入り口の方を指さし、右の方のなんとかと言う。

言われたとおりに右の方に行くと、Travel Agent、Atlantic Toursと書かれたオフィスがあり、どうもここのようだった。だが、まだ開いていない。ガラス張りになっている壁をのぞき込んでいると通りがかりのドミニカ人の男性が8時半になったら開くと教えてくれる。

まだ50分ほどあったので、施設内をうろうろしたり、来る途中に買った新聞(25ドミニカペソ)を見たりする。新聞はジャマイカと同じく、縦長で4部ほどに別れており、広告雑誌も入っており、けっこう分厚い。

記念に新聞の写真を撮っていたらセキュリティのおじさんが話しかけてきてぼくが持っているカメラの値段を聞いてくる。値段を言うと、ふ~ん、そうかといったような反応。

8時半過ぎにオフィスが開いたので、窓口にいた人にハイチに行きたいと言うと、いつ行きたいのか聞かれる。出発時間を聞くと、11時だという。今日でも大丈夫そうだったので、値段を聞く。よく聞き取れなかったので料金を紙に書いてもらうと、片道が66USドルプラス100ドミニカペソ、往復だと129USドルと200ドミニカペソだと言う。

まだ3時間近くあるし、お金もなんとかなるので、行くことに決定。歩いて宿に帰る。

宿に戻り、受付のおじさん(というよりおじいさん)にハイチに行く旨を伝え、前払いしていた宿代を払い戻ししてもらえないか聞く。スペイン語だけのやりとりなので、なかなか伝わらないが、やっとこさこっちの言いたいことは伝わる。だが、その人は雇われている人のようで、ホテルの主が10時までには来るから、その人が来てからというようなことを言われる。ちょっと遅いなと思いながらもしょうがないので、それまで待つことに。

とりあえず部屋に戻り、荷物の整理。リュックの下の方に入れていたフランス語を含む5カ国会話帳を取り出すなど、荷造りをして受付に行く。

受付には2日前に予約をしにきたときにいたおじさんが来ていて、何かようかと言われる。それで同じように用件を伝えると、雇ってるガードマンらしき細いおじさんに80USドルくらいを渡し、外に両替しに行かせる。

事前に4泊ぶんの1800ドミニカペソ(約60USD)を払っていたが、900ドミニカペソ(約30USD)を返金してくれる。

時間は10時。バスの発車時刻の11時まで1時間を切ろうとしていたので、宿近くに停まっていたタクシーを使ってターミナルまで行く(150ドミニカペソ=約5USD)。

ハイチ行きのバスを扱っているトラベルエージェントのオフィスには6人ほど客が列を作っていた。中に入って並ぶ。先頭の窓口には、アフリカ系の男性がスペイン語で窓口の人と話している。その傍らにはアメリカ人らしきアングロサクソン系の女性(20代前半)が立っており、ときおりその男性と英語で話をしている。どうもその男性はトラベルエージェントの人のようで、そのアメリカ人らしき人等をツアーかなんかでハイチに連れていくようだった。

ぼくの前にはハイチと書かれたパスポートを持った人が3人並んでいる。その人等は窓口ではスペイン語ではなく、フランス語かクレオールで話していた。

20分ほど待ってぼくの順番がまわってくる。窓口の人は朝のことを覚えていて、パスポートをお金を出すと何も言わずに手続きをしてくれる。朝のやりとりのとおりに、今日出発で17日ハイチ発の往復のチケットを手早く準備してくれる。

129USDに200ドミニカペソをここで全部払ってしまうのかと思っていたが、そのうちの28USDと50ドミニカペソぶんは帰りに払うと言う。料金の内訳がどうなっているのかよくわからない。チケットを見ると代金のところには行きにも帰りにも75USDと書いてある。

パスポートは窓口で預ける。どうもバスの添乗員が乗客のパスポートはまとめて管理し、出入国の時の手続きも基本的にしてくれるよう。

10時45分に1番パーキングに来るように言われる。あと10分ほどしかない。施設内の待合室は100人以上座れるがすでに満杯。施設内にある売店で飲み物だけ買って、1番パーキングで待つ。

同じバスを待っている列には白人系の人が10人ほど並んでおり、みな英語を話している。学生らしき男女がほとんどだが。50代くらいの年輩の夫婦も見える。

予定通りの時間に乗車する。バスはきれいで外観は新品同様。内部もなかなかきれいで座席は背もたれとシートが動くタイプ。50人乗りのバスはほぼ満席で、3割くらいが旅行客のほかはだいたいハイチ人のよう。

幸いぼくの隣は誰も座らなかったので、2席独占できる。

発車予定時刻を過ぎた11時20分頃、バスはターミナルをでる。例のごとく車内はキンキンに冷える。温度計を取り出して計ると座席の上で20℃。外は30℃くらいあったから調子が狂う。

1時間もしないうちに郊外にでる。サトウキビ畑やバナナ畑、果樹園などが見える。

大統領戦のポスターがこれでもかというくらい貼られていて、道路沿いでもまちに入るごとに候補者のポスターを見る。途中のまちでは、それぞれの候補者の(政党の?)シンボルカラーの旗を持った人や服を来た人が選挙運動なのか、道ばたにずらっといた。

12時すぎると車内では弁当が配られる。弁当のことは聞いてなかったんで、ラッキー。あとコーラのサービスもあったが、炭酸嫌いなので却下。ペットボトルの水がただでもらえるようだったので、そっちをもらう。

バスは海沿いに出ては、また内陸に入る。初日飛行機から見たとおりに山には木がない。

3時間も走るとまちらしきところを見ることはなくなり、州道路沿いの集落を見るのみ。ある集落では集落内に1mほどの幅の川が通っており、そこで子どもたちが素っ裸で水遊びをしていた。その川はみた感じだと川というよりも人工的な用水のようだったが定かではない。

例の選挙ポスターはこんな田舎の集落にも貼られていた。政治体制が違うからなんとも言えないが、カストロならこんなポスターにカネをかけるよりも、サンとドミンゴの靴磨きをしている子らにカネを使うだろうなと思ってしまう。候補者はいずれも”肌の色の薄い”人。

マシンガンを持っている兵士が検問をしているところを2カ所通過する。バスは特に止められることもなく進む。

そして出発から約5時間後の15時40分にハイチとの国境地帯に到着。外務省の安全情報などを見て、もっと物々しいところかと想像していたが、軍人がたくさんいるわけでもなく、他とあまり変わりはない。

まずはドミニカ出国。乗客はバスの中で待機。添乗員がみなのパスポートなどを持って外に行く。

驚いたのはすぐそこが湖で、増水しているのか今にも道路に水が入り込もうかというくらい水位が高い。淵に立って手を伸ばせばすぐ届くところに水がある。

実際、ドミニカ領からハイチに入る短いトンネル(10mもない)の中には水が入って来ていて、バスはみずしぶきをあげながら通っていた。ハリケーンが来たときなどは、一帯は沈むのではないか。

出国はぼくは問題なかったもののアメリカ人らしきグループのツアー参加者の中から一人女性が呼ばれて外に出る。あとハイチの人が何人か呼ばれて出ていく。

アメリカ人の人は戻ってきて、ツアーの方の添乗員の男性にお礼を言っている。なんかいろいろ聞かれたらしいが、その添乗員が話をしてくれたよう。こういうことがあるときにはツアーの添乗員がいると心強い。

結局、出国手続きだけで50分ほどかかり、16時半にバスは発車。ハイチ側に入り、今度は全員が降車し、歩いてイミグレの建物へ。このときにもまだパスポートは手元になく、バスの添乗員に預けた状態。

バスを降りてイミグレの建物までの10mほどを歩く。両替商のおじさんたちが何人か声をかけてきて、持っている札束を見せ、両替しないか聞いてくる。またぼろぼろの格好をした10歳くらいの子どもが、カネをくれというように手を差し出してくる。後ろからUNの文字の入った車が通り過ぎる。車の荷台には武装した国連軍の兵士が数人。

イミグレの建物に入る。他と同じく一人一人質問などされるのかと思っていたが、そういうことはなく、名前を呼ばれ入国スタンプが押されたパスポートを受け取るだけだった。さっき出国時にひっかかっていたアメリカ人らしき女性は、またもやひっかかり何か質問を受けているが、添乗員がついていきすぐに質問は終わっていた。

10人目くらいでぼくの名前が呼ばれ、パスポートを受け取る。中を見てスタンプを確認。バスに戻る。バスはすでにハイチ側に移動しており、乗客は歩いてハイチ側に入る。その間、50mほど。

ハイチ側に入ると向かって左手に鶏の唐揚げなどを売っているおばさんが4人ほどいる。ハイチのお金は持っていなかったので、さっき両替すれば買えたのに。1人のおばさんが何やら言ってくるがどうもスペイン語のようではない。フランス語とクレオールをきっちり聞き分けられるほど、フランス語を知らないので、どちらなのかもよくわからない。

バスの入り口にはさっきと別だがほとんど同じくらいの年の男の子がカネをくれと立っている。ドミニカのコインをやってもしょうがないかなと思いつつ、20ドミニカペソのコインを渡す。その子はにこっとして受け取る・・・。

バスに乗り込む。他の客が左の窓からバスの下をのぞき込んでいるので何事かと思い、ぼくも見ると、乗客の荷物がバスの外に持ち出され、その持ち主らしき人と検査官らしき人が何か言い合いをしている。

でかい長方形上の金属で作られたもので、なんかの機械のようだが、何かはよくわからない。しばらくもめて、その機械はバスの荷物置きのところに男が3人がかりで戻される。

結局、バスが国境を離れたのは17時15分。サンとドミンゴを出てすでに6時間たっていた。バスのチケットを買うときにはサンとドミンゴまで7時間と聞いていたので、暗く前につくかと思い行くことを決めたのだが、これでは着いた頃には暗くなっていそう。

右手に湖を見ながらバスは走る。しばらくすると石灰岩の山なのか、真っ白い山を切り崩して土を運んでいる現場を通り過ぎる。ハイチ側に入ったからと言って急に風景が貧しくなるということはない。

ドミニカ側でもトタンを貼り合わせたような家家があったが、それと同じ程度。もしくはブロック塀やコンクリートで作られた同じ形の家が立ち並んでいるところもある。

道路沿いに多くの人が出ていて、派手なトラックバスも走っている。様子を見ているとけっこう安定している感じ。

バスが走る道路は舗装されていて、基本的に問題はない。

前方には山。ポルトープランスは海に面しているところだから、あの山を越えていくのか。太陽の傾き具合を見ると、まだ2時間はもちそう。

国連のキャンプのようなところを右に見ながら通る。左手では濁った水で洗濯などをしている人がいる。それからしばらく行って、登り道に入ったところで左手にHYUNDAIやHONDAといったメーカーの看板が目に入る。共同オフィスなのかそれらしききれいな建物が見える。その隣にはよく整備されているグランドもある。

坂道を上っていくとまちらしき雰囲気になる。建物が密集し、道路脇では野菜などの食料品や石鹸や化粧品などの生活用品などが売られており、電気屋の店舗も見える。見た感じでは一通りの生活用品はそろっている。問題は買えるかどうか、という段階っぽい。

坂を上りきると空が開け、前方が海であることがわかる。ヨーロッパ調の町並みの中に入り、その一画でバスは止まる。どうも終点のよう。時刻は18時40分(ドミニカ時間。ハイチでは17時30分くらい)。まだ明るい。もう30分ほどは持ちそう。

バスを降りると例のごとくタクシー屋が待っている。一人のおじさんは「コンニチハ」と日本語で話しかけてくる。無視して一旦通り過ぎるが、荷物を取り出していたところへまた話しかけてくる。値段を聞くと20USDと言う。ロンリープラネットの地図に載っているバス乗り場に着いたのであれば、乗り合いタクシーを使ってなんとか事前に調べておいた宿までは行けそう。だが、そうでなかったら時間的に厳しいなと思いつつ、とりあえず高いし、それほど危険そうではなかったので、断る。

とりあえず同じバスに乗ってたハイチ人の人に聞く。ロンリープラネットの地図を見せると、どうも載っていないようなことを言う。それでグアグア(乗り合いタクシー?)にそこから乗っていけと、スペイン語で教えてくれる。

ターミナルを出て、とりあえず歩く。だいぶ日が傾いてきた。早く着かないといけないと思い、ちょうどすれ違いそうになったおばさんに聞く。スペイン語で聞いてみるが、通じていない。宿は中心部のChamps de Marsにあるので、その文字を見せると、フランス語らしき言葉でなんとかと言う。ただ”マシーン”だけ聞き取れたので、車に乗らないと遠いことくらいはわかる。

親切にもおばさんはそのマシーンが車で一緒に待ってくれる。だが、2分ほど待ってもこないので、おばさんはまたマシーンに乗るんだよというようなことを言ってぼくが来た道を歩いていく。

するとすぐにマシーンが来た。おばさんはこちらを振り返り、マシーンの方を指さし、これに乗れと言うような仕草をする。

横に手を挙げ、マシーンを止める。キューバのバラコアで乗ったときと同じような乗り合いトラックバス。幌が付いているトラックの荷台に載る。中には乗客が10人ほど。空いていて良かった。

隣のおじさんにChamps de Marsの文字を見せると、「シャンマッ」とわかった様子。まさか「シャンマッ」と発音するとは・・・。おじさんは他の乗客に声をかけ、シャンマッに行く人を見つけてくれた。若い20代くらいの男の人が手を挙げる。で、おじさんは彼と一緒に行けというようなことを身振りも交え言う。

外は暗くなった。車もライトをつける。車内で代金を集められる。ハイチのお金はなかったので用意していた1ドル札を渡すと、ハイチのお金で20ハイシャングード(?)札1枚とコインをもらう。1ドル札をそのままいかれるかと思ったが、トラックの人は正直な人だった。


坂道を下り20分ほどで降りる。歩いたら1時間近くかかりそうな距離だった。

一緒におりたお兄さんの後に着いていく。トラックを降りたところから左に入ると目の前に広い広場が現れる。ここがシャンマッのよう。なぜかお兄さんのテンションがあがってきて、なにやら言う。その様子から、これはカネを要求されるなと感じる。

行きたいホテルの住所も見せていたのに、公園で別れようとする。そして、予想通りカネを要求される。片言英語を聞いているとどうもタクシー代が浮いたんだから、そのぶんをよこせと言っているよう。

1ドル札を見せると首を横に振るので、次に大きかった5ドル札を渡すとさっさと離れていく。まぁ、20ドルにくらべれば安かったからいいかと自分を納得させる。

広場ではコンサートがこれからあるようで、設営されたステージ上では準備が進められている。ステージ横には横3mくらいの巨大スクリーンが立てられ、そのコンサートのタイトルのようなものが映し出されている。

1泊20~30ドルというゲストハウスは、この公園から近いはずなのだが、そのゲストハウスがある通りを歩いてみたものの、すぐには見つかりそうになく(看板が見あたらない)、人に聞いても知っている人がいない。その宿がある方角はわかったものの、周りはすっかり暗くなっていることもあり、また夜の様子を見るのには公園に近い方がいいと思い、公園に面している通りにあるPark Hotelに泊まることにする。

フロントに行き、予約をしていないが泊まれるか聞くと、OK。愛想はよくない。1泊の部屋代は38USDなのだが、それに税金だ、電気代だというのが付いて結局49USDかかる。トラベラーズチェックで払えるかと思っていたら、フロントにはキャッシュオンリーという文字が。2泊するので、その2泊ぶんここで払えと言うので、100USD払い、お釣りをもらう。

ホテルの造りはプールが2つあり、部屋もきれいで広々としていて豪華。部屋にはサンヨーの強力な扇風機とエアコンあり。シャワーはお湯も問題なく出る。トイレも水洗で良好。トイレットペーパー、バスタオル、石鹸つき。

腹が減っていたので、とりあえず公園の方に行く。人がだいぶ集まってきており、数百人はいそう。屋台もジャマイカにあったようなジャークチキン屋やスープを売っている人、スパゲッティ屋、クーラーボックスで飲み物を売っている人、その他歩き回りながら、タバコやお菓子、電話機などを売っている人がいる。

ジャークチキン屋に行って、いくらか聞くと。数字を言われても理解しなかったぼくに100ハイシャンググード札を見せて、これだと教えてくれる。手元には20しかなかったので、とりあえず宿に戻り、両替をする。

5ドルぶん両替すると、ハイチのお金では200程度にしかならなかった。あまりドミニカと物価は変わらない。

それを持ってさっきの屋台に行き、チキン弁当を買う。それからペットボトルの水(500ml)を買う(20)。コンサートはまだ始まりそうになかったので、一旦、宿に戻ってそれらを食う。チキン弁当は、鳥ももの炭火焼きにゆでたキャッサバとバナナ、あとキャベツを千切りにしたサラダが入っている。味付けは塩味で、ちょっと塩気がきついものの、まぁうまい。

食べ終わってからまた公園に戻る。さすがに外国人らしき人は一人も見あたらないので目立つ。大人も子どもたいていの人が、じっとこちらを見つめる。公園には親子連れや友達連れなどで賑わっていて、その中に混ざってストリートチルドレンらしき子も数人見える。

コンサート会場は円形状になっており、中央はなにもない平面の広場で、周囲が階段状になっている。舞台のすぐしたのところにはすでに人だかりができており、階段状になっているところにも多くの人が座って、コンサートの始まりを待っている。

やがてアフリカ系の女性が出てきて、演奏が始まる。ハイチで人気のある女性なのか、そこそこの歓声があがる。ただその人は4曲ほど歌ったら舞台を去ってしまう。どうも前座だったよう。

その間、汚れた服を着た10歳くらいの男の子3人が寄ってくる。ストリートチルドレンのようで、腹が減ってるからカネをくれというような仕草をする。一旦は首を横に振る。するといろいろ話しかけてくるのだが、まったくわからない。3人のうち右側に座った子がどうもリーダーのようで、その子が一番しゃべる。

その子が握手を求めてきたので、握手。それからぼくの髪の毛を触る。ジャマイカの女の子同様、直毛の髪の毛を触ってみたいらしい。ただあんまり長く触るので、途中で手をどかす。

カネをもらうまでどうも離れる気がなさそうなので、コインを数枚と20のお札を渡す。さっき買い物をした感じでは、これだけのカネだけでは3人で何か食べられるものは買えそうにないが。カネを受け取ると3人は歩いて、どっかに行ってしまった。外国人はまずいないから、きっと地元の大人の人からカネをもらいに行ったのだろう。

周りを見渡すと携帯電話で話している人やCDプレイヤーで音楽を聞いている人もいる。あとローラーブレードで走り回っている10代中ばくらいの男の子が2人ほど見える。身なりはメキシコやドミニカと変わらない。

しばらくしてヨーロッパ系の女性が出てくる。この人が看板に出ていた人のようで、こちらが本番らしい。ケベックの方の人なのか、歌詞はフランス語のよう。レゲエのように特に特徴があるというような歌ではない。

座って聞いていると、今度は左隣に座っていた人が話しかけてくる。若い男性の4人グループ。一人は30~40代くらいの人で、他は20代くらい。ぼくの隣に座っていた人が、一番英語を話せるようで、その人ともう一人少し年がいった人がいろいろ聞いてくる。

年がいった人は英語で話しかけているのだが、文法が間違っているか発音が違うかで、何を言っているのかよくわからない。それを若い子が通訳してくれる。

年のいった人は名前をStanleyと言い、若い方はMenleyと言う。2人はいとこ同士でStanleyは、ドミニカからいろんなものを仕入れてハイチで売る仕事をしてり、Manleyは大学生で英語とスペイン語を勉強しており、将来は教師になろうと思っているらしい。

2人に聞かれたのは、ビジネスで来ているのかそれとも観光かということや、ここは怖くないかということ、日本への飛行機の運賃やぼくの給料、日本のどこに住んでいるかということ。それからジャッキーチェンに会ったことはあるかといったことも。

彼等が日本のことで知っていたのは、ヤクザのこと。映画で見たらしく彼等は危険だというようなことを言う。それからぼくが埼玉に住んでいるというと、Menleyの方は埼玉を知っていて、なぜ知っているのか聞いたらワールドカップの会場だったからと言う。そして日本にはいい選手がいると言って、中田ヒデや小野伸二などの名前を挙げる。聞くと彼は大学でサッカーのチームに入っているらしい。

また、彼は言葉を勉強していることもあってか、MotherやI love youなどを日本語でなんと言うのかと聞いてくる。それで紙に日本語とアルファベットで書くと、日本語を見てフランス語とぜんぜん違うと驚き、他の仲間にもぼくが書いた文字を見せたりする。

Stanleyの方は、どうも商売をやりたいような雰囲気で、ぼくにいつ会社の幹部になれるのかといったようなことを聞く。それから、もしぼくがハイチに来て商売をすればビッグマネーをつかめるとも。例としてアラブ人がハイチに来て、なんかの商売でもうけ、大金持ちになったという話をしてくれる。

その話を聞いていて、さっきの男の子らの状況や以前に読んだことのあるハイチの村むらの状況とを合わせると、ここも相当の貧富の差があることが推察できる。

コンサートの方は、そっちのけでそうした話をしているうちに、コンサート自体が終わってしまう。終わるとみなそれぞれ帰っていく。彼等とはメールアドレスを交換し、会場を後にする。歩きながら閑散となった会場を振り返って見ると、さっきの3人の男の子が階段状のところに並んで寝ていた。

22時すぎ、宿に戻り、シャワーを浴び、寝る。夜中、付けていた扇風機が切れていたようで、暑くて目が覚める。どうも停電のよで、スイッチを押しなおしても、コンセントを挿しなおしても扇風機はまわらない。

おわり。

2008.3.20 カンクンからアップ

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