2008年3月21日金曜日

サントドミンゴへ

2008.3.13(木)

朝、5時前にドアベルが鳴り、タクシーが来たことがわかる。それからすぐに部屋のドアが開き、宿主が起こしにくる。荷造りをして部屋を出る。

玄関の鍵を開けてもらい、グラシアスと言って宿を出る。監獄のような古びたエレベーターで10階から1階までおり、道路に出るとタクシーの運転手は運転席に座りスタンバイしていた。今度は、TAXIのマークが入った車。運転手は後部座席に荷物を入れるのを手伝ってくれる。今回は運転手一人だけで、髭をはやした50歳くらいの男の人。15CUCということだけ確認し、発車する。あたりはまだ真っ暗。

運転手は音楽をかけ、無言で車を走らせる。5時半には空港に着き、そこで15CUC払う。

空港には早朝のカンクン行きの飛行機に乗る人たちがいて、にぎやか。

チェックインし、エアポートタックスの25CUCを払う。出国審査のところに行き、さてどの人だったらすんなりいけそうかなと思い、左端にいたおばさんところに行く。ジャマイカに行くときは若い男の人を選んだら質問もなく、すんなりいけたのだが、今回の選択ははずれだった。

サントドミンゴに行って、トランジットでまたハバナによってカンクンに行くというチケットを見せるのに、何やら言って通してくれない。スペイン語しか解さない人のようで、ぼくも相手も何をお互いに言っているのかわからない。そもそもこっちは何が問題なのかがわかってないし。

それで、そのおばさんは別の年輩の男性の職員に相談する。するとその人は、ぼくにメキシコから日本に行くチケットを持っているかと聞いてきて、持っていないと言うと、いくらカネを持っているか聞いてくる。それで適当に現金とトラベラーズチェックの金額を言うと、そのおじさんはイミグレの事務室に行ってしまう。事務室に入るときに、こっちを見てノープロブレムと言うが、すでにプロブレムは起きてるじゃないかとつっこみたくなる。

しばらく待たされ、おじさんが出てきて、やっと解放してくれる。

ここの手荷物検査は相変わらずなんの問題もなく、通る。待機中なのかなんなのか男性職員2人は机に伏せて寝ている。

本屋などは開店の準備をすでに終わっていた。本屋で英語の本を買う(15CUC+10USD:CUCがなかったので)。内容はCIAなどアメリカがキューバに仕掛けたいろんなテロ攻撃について。アメリカに亡命したキューバ人が主犯だったりする。

腹が減っていたので、昨日まちで買ったしけたビスケットを食べる。閉じているはずの空港のベンチは、なぜかスズメかなにかの糞で汚れている。

予定通り8時半に搭乗開始。9時過ぎには離陸する。機内は寒く24℃。離陸すると例のように何十年前のものだというような救命用具の使い方の説明がある。

10時半。眼下に島が見え、ドミニカに入ったことがわかる。あとで確認したところ、ハイチ上空は飛ばずにドミニカの北の方から入ったよう。本で読んでいた通り、木が少ない。きれいな畑も見える。

10時50分着陸。入国審査はまったく一言の質問もなく、素通りのような形で通過。すばらしい。荷物をピックアップし、空港の外に出る。他のようにタクシーの客引きがいるかと思いきや、それはない。造りや雰囲気がロサンゼルスに似ている。

空港のインフォメーションで地図をもらう。そしてバスで町中までいけないか聞くが、タクシーしかないと言われる。値段を聞くと30~40ドルと恐るべき値段を言う。

念のためドミニカペソに両替。タクシー乗り場に行くと、おじさんが話しかけて来る。行き先を告げると40ドルと言って、料金表を見せてくれる。それにはホテル名がずらりと書いてあって、すべて40ドルとなっている。

他にタクシーもないので、そのおじさんに20ドルくらいでいけないかというと、25ドルにまでしてくれる。それで手をうち、タクシーに乗る。

タクシーの運転手は陽気な人で、窓の外に広がる海に手を広げながら、ハイテンションでスペイン語で何やら言う。これまでの空港からまちへの移動で言うと、一番景色が良い。

海はコバルトブルーで波もなく静か。車もジャマイカで乗ったほどきれいではないが、まぁまあ良い。道路は片道4車線で道路沿いには牛乳やなんだかんだの商業看板に加え、おっさんが写ったどでかい看板やポスターがこれでもかって言うくらい設置されている。"tu Presidente"などと書かれているので、大統領選のポスターのよう。

3人くらいの候補者の看板やポスターが、気持ち悪いくらい大量に設置されていて、すれ違う車の中には、それぞれの候補者の政党のシンボルカラーの旗を立てているものや、ステッカーをびっしりと貼っているのもある。ドミニカってこういう選挙をするところなのかと感心する。と同時にキューバと比較して、民主主義はこんなものにカネをかけなきゃいけない(政治家にとっては)のだなと思う。

車は30分ほどしてヨーロッパ調の街並みの中心部に着く。予定していたホテルに行くが、1泊40ドルと事前情報よりも高かったため却下。

どうしようかと思っていたら道ばたのおじさんが、安い30ドルのところがあると言ってついてこいと言う。最初はただの親切心で案内してくれているのかと思ったが、やたらとおじさんが話しかけてくるので、これは下心ありだと感じる。

荷物を持ちながらの移動も面倒なので、1泊くらいはいいかとその宿に行くと35ドルと言うので、却下して出ようとするとドミニカペソで1000ペソ(約30ドル)になる。それならいいかと部屋を案内してもらう。

いわゆる1DKの部屋でキッチン、テレビ、シャワー・トイレ付き、寝室にはベッドが2つあり、エアコンは故障しているようだが、天井に備え付けの扇風機は使える。自分にしてみれば、余計なものばかりで無駄に広いのだが、記念に泊まることにする。

一旦1階のフロントに戻り、用紙に記入し、鍵をもらって2階にあがる。荷ほどきをして、飛行機用に長袖を着ていたのを着替える。さて、あのおじさんをどうまこうかと考えるが、おじさんの方から部屋のドアを叩いて”アミーゴ”などと言ってくる。無視してしばらく部屋におり、その後、下に降りるとやはりおじさんはいた。

鍵は持ったまままちに出る。おじさんがついてきて、両替に行くのかとかあれこれ聞いてくるのを無視していると、親切にしてやったんだからカネをくれないかと言い出す。そういうのは親切心とは違うと思うのですが・・・と思いつつ、うっとうしいのでいくらか聞くと5USDと言う。ドルをやるのはもったいないので、ペソで聞くと150ドミニカペソと言う。多少いらつきながら、ハイよ、とカネを渡すとまっすぐ行けばどこに行くとか教えてくれるが、そんなの地図を見ればわかること。さっさと別れる。後で思えば、カネをやるぶん、もっとおじさんに案内してもらうなり身の上話を聞くなリすれば元が取れたような気もするが・・・。

この宿から中心のコロン広場までは歩いて5分もかからない。広場にはヨーロッパ系の観光客が目立つ。スペイン語を話しているので、スペイン人のよう。10歳くらいの少年5人くらいが、靴磨きの道具を持って観光客や道行く大人に、靴を磨かないか聞いている。子どもが単独でこうして働いている姿を見たのは久々。メキシコのサンクリストバルの少女たち以来か。

公園で売っていた移動式屋台のアイスを買う。20ドミニカペソ(約80円)。やっぱり物価は高い。

コロン広場から西にEl Condeというメインストリートが伸びており、そこは歩行者天国になっている。両脇に土産物屋やスーパーや、服屋、スポーツ用品店、ネイルアートの店やアイスクリーム屋、ケンタッキーやピザーラ、ゲームセンター、ネットカフェなど、いわゆる先進国と変わらない。

歩いている人は、少なく観光客と地元の人が半々。地元の人はムラートと呼ばれるアフリカ系とヨーロッパ系の人が多く、ジャマイカのキングストンよりもアフリカ度は低い。キューバと感じが似ているが、キューバよりもアフリカ度は高い。メジャーリーガーで言うと、アレックスロドリゲスなどの系統。

キングストンでは、女性のほとんどの人が縮毛を生かした多様な髪型をしていたが、ここはストレートヘアの人が多い。

道が交差しているところには、リヤカーなどに積んで椰子の実やマンゴー、パパイヤ、バナナを売っている人たちがいる。試しにバナナを一本買ってみると、1本で15ペソ(約50円)。ジャマイカと同じくらい。キューバと比較すると1本当たりで言えば、10倍以上高い。それから切って4当分になっていたパパイヤを買う。こちらは30ペソ(約110円)。

スポーツ用品店をのぞくと、野球の道具がグローブからバット、ユニフォームまで一式あったので、店内に入って見る。野球の道具の他、バスケットボールやサッカーボール・シューズ、フィットネスマシンなどもある。グローブの質は、日本のものと比べるとかなり安っぽいが、バットは変わりない。日本で数千円するものばかり。

記念にボールを買おうと思い、4種類ほどあった公式ボールを見比べる。officialとマークの入った公式ボールは150ペソ(約500円)ほどで、"MADE IN CHINA"の文字がデカデカと書いてある。これはちょっと興ざめなので、中古品のボールが85ペソ(約300円)だったので、こちらを購入。ボールには”Team Ball” "Official PROFESSIONAL LEAGUE"と文字が入っているので、たぶん試合か練習で使われたボールのよう。擦れていてはっきりとはわからないが、"ODSHIONEDOORK CENTER HAITI"の文字もある。

まちを歩きながら明日からの宿を探す。そのメインストリートに小さな看板が出ていたホテルで聞いてみると50USドルなのでダメ。メインストリートが終わった正面にはParque Independencia(パルケ インディペンデンシア)という円形の広場とその中に博物館みたいなのがあり、その広場の周りを囲んでいる壁には絵入りのパネルが360度貼られている。文字はスペイン語なので、よくわからないが、その絵からドミニカが独立するまでの過程を説明しているもののよう。

Independenciaと聞いて、メキシコかどっかの宿で、安宿があると書いていた情報を思い出し、探してみるとHotel Independenciaという路上に出ている看板を見つける。

フロントはおじいさんで、4泊泊まるというと1800ドミニカペソ(約7000円)という。部屋を見せてもらうとベッドが二つあり、シャワー・トイレ付きの部屋を見せてもらう。扇風機もある。今晩泊まるホテルに比べれば施設は使えないことはないが、ぼろぼろ。1泊20ドルを切っているが、メキシコの10ドルくらいの宿などと比べると、施設からすると3ドル程度。

他に宿を探すのも面倒なので、予約だけしてまたまちをうろつく。

海岸線沿いに出ると、どでかいコロンブスの像が見える。近くまで行くと、その像の下狭いスペースで20歳くらいの男3人がキャッチボールをしていた。公式ボールにグローブ。キューバではさんざん街角で野球をしているのを見たが、まもとなグローブできれいな硬式ボールを使ってやっているのはほとんど見なかった。キャッチボールの様子を見るだけでも、経済的にどれだけ豊かがわかる。

その東どなりには船体にPANAMAと書かれたでかい客船が停まっていた。乗るつもりはなかったが、船着き場の入り口の警備員にいくらか聞くと、相手は乗るものだと思って、往復200ドルくらいでパスポートが必要などとスペイン語で言う。パナマ行きかを訪ねるとプエルトリコ行きらしい。今日の20時に船は出るという。

話だけ聞いて、その船着き場の横の道路を歩いていると、こちらに船乗り場があった。3mくらいある鉄壁の向こうにフェリー乗り場と書かれた建物があり、入り口には人がごった返している。

中心街に戻ろうと、陸橋で道路の反対側に渡る。すると降りたところでおじさんに何時かと聞かれる。いかにもという怪しげなおじさん。体に合っていない服に、何年履いているのだろうかと思うような汚れた革靴。

時計を見せるとチノかコリアンかと聞いてくる。ハポネスと言うと、親しげに話しかけてくる。メレンゲ(ドミニカの音楽)がどうとかと言って、テンションが高いのが怪しい。どこに行くのかと言うのでホテルだと言うと、自分にコーラをおごらないかといったようなことを言い出す。ほらきた!と思い、さっきのおじさんのこともあり、いらついてきたので、少しイジメることにする。

まずは”Porque(ポルケ)?"とぼくがおじさんにおごる理由を聞く。するとおじさんは一瞬戸惑い、口ごもってから”友達だから(・・amigo・・)"みたいなことを言う。この間、話しかけてきてから3分ほど。ふ~ん、て感じでおじさんを見るとさっきまでのテンションの高さは消える。

ま、付き合ってみるかと、行こうという仕草をすると、あっちの方だと案内される。着いたのは街角の立ち飲み屋みたいな店。おじさんはさっそくカウンターにいたおじさんに注文する。何を注文するかと思いきやいきなり酒。ラムのようだった。値段を聞くと80ペソ(約300円)と言う。コーラだったらかわいいもんだから買ってやろうかと思ったが、結局、酒が飲みたいだけかと思い、高いと言っておじさんを置いて店を出る。

するとおじさんは早足でついてくる。コーラじゃなかったのかと言うと、わかったというような感じで、別の店に連れて行かれる。そこは酒を含めた各種飲み物とお菓子などを売っている店。だんだんカネを出す気がなくなってきたので、おじさんが店に入って店主に話しかけているのを見て、気づかれないように黙って外に出る。まったく性格が悪い。

するとおじさんはあわてた顔して走ってついてきて、50ペソでどうだと言う。しかも現金で。首を横に振り、30ペソまでならいいとおじさんに言うと、うなづいて別の店に案内される。こっちもさっきと同じような店。

おじさんはぼくにコーラなどをすすめてくるが、ぼくはいらないと言って、おじさんが選ぶのを待つ。おじさんは冷蔵庫から500mlの紙パックのジュースを手に持ったり、冷蔵庫に戻したりを2度ほど繰り返す。どれを買うか迷っているというよりも、これを買っても意味がないから、またぼくと交渉するかどうしようかと迷っている様子。その姿を見ていて、だんだんちょっとやりすぎた気がしてくる。

おじさんは結局、冷蔵庫から商品は持ってこないで40ペソを現金でくれと言い出す。さっさとおじさんを無視して別れる選択肢もあったのに、ここまで引っ張ってきて、何も得る物がなかったとなるとおじさんに悪いから、40ペソをコインで渡す。

何も買わずに店を出るのも悪いので、ちょうど必要だった水(500mlペットボトル)を買って(20ペソ?)その店をでる。

コロン広場を通って、宿に戻る。ドミニカにはメレンゲという音楽があるからハバナのように観光客が多い店では演奏でもしてるかと思ったが、音楽はどこからも聞こえてこない。

ドミニカのカネがなくなったので、両替しようとさっきのメインストリートに行ったが、両替屋は17時くらいで閉まるようで開いていない。しょうがないので、歩いて宿に戻る。

途中、立ち止まったときに後ろから肩を軽く叩かれる。振り返ると路上生活をしているらしきおにいさん。見た目はまだ20代っぽかった。にこっとして手のひらを上にして右手を差し出してくるので、ポケットにたまっていたコインをジャラジャラっと適当に渡す。にいさんはグラシアスと言って、メインストリートと交差している横道をコインを数えながら歩いて行った。

靴磨きをしていた少年たちは、もう客がつかないと判断したのか、それとも店じまいの時間なのか、道具を抱え3人くらい一緒になってメインストリートを郊外の方に向けて歩いている。

すっかり暗くなる。宿の入り口近くで6歳くらいの女の子を連れた女性が弁当を売っていたので、それを買う。ゆでたバナナにキャッサバ、豚肉、キャベツのサラダで50ペソ(約200円)。

宿でテレビのチャンネルを回しながら食べる。ケーブルテレビなので、CNNからBBC,Nationa Geographic,Discover、映画チャンネルなど30チャンネル以上ある。ドミニカの番組を見ようと思ったが、ニュースをやっているチャンネルが4つか5つほどあったが、キャスターがしゃべるか、討論するかというような内容で、映像があまりない。わからないので、BBCを流しっぱなしにする。中国の出稼ぎのことやインドの信仰についてのドキュメンタリーをやっていた。

ドミニカ(サントドミンゴ)の第1印象は、はっきり言ってこれまでのどのまちよりもインパクトがないということ。ヨーロッパ調の小さな街並みには、なんだかもう飽きてきたし、店で売ってる物はありきたりのものだし、道路はきれいだし、歩いている人は少ないし、アイスは日本並みにおいしいし、まぁ、過ごしやすいところではあろうが、とにかくインパクトがない。

自分のこれまでの日常とは違うものが見たいという、ある種傲慢な欲を原動力に動いている現状から言えば、そんなふうにサントドミンゴは感じたのであります。

おわり

2008.3.20 カンクンからアップ

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