08/03/25(火)
夜中、カサカサとビニール袋が擦れる音で目が覚める。もしやと思ったら案の定ゴキブリが4匹。日本のよりもでかい。移動のバスの中で食べようと思っていたバナナの袋の中に入ってなにやらしている。ああ。サントドミンゴの宿もぼろかったけど、ここまでひどくなかったけどなぁ。ゴキブリが入り込んでいる袋を動かすとドアの下の隙間から部屋の外へと逃げていく。
8時。メキシコペソを両替しようと銀行に行く。宿から歩いて5分圏内に銀行は4カ所ほどあり、そのうちの3カ所に行くもペソの両替はやっていないと言われる。ある銀行の窓口の人に、どこで両替できるかと聞くと中央銀行ならできると言われ、海のそば、ベリーズ博物館裏の中央銀行に行く。
が、ここは両替自体をやっていないと守衛に言われる。無駄足。これで国境に両替屋がいなかった理由がわかった。ベリーズではメキシコペソは、まったくと言っていいほど価値がない。しかし、陸路で簡単に行き来ができる隣の国の通貨を両替していない国なんてそうないだろうに。
結局、別の銀行の窓口の人が言っていた船着き場の店が両替商も兼ねていた。店の看板にはそれらしいものは何もないから教えてもらわないとわからない。インド系の人がやっている店で両替してもらうと、1ベリーズドルが7ペソ。2軒の店で合計700ペソ(約65米ドル)ぶんを両替してもらったが、100ベリーズドル(50米ドル)にしかならず。為替差額で実に10米ドル以上損した。
経済の実態から言うと、ぜったいメキシコペソの方が強いと思うのだが、米ドルに固定しているから、こんなことになる。やれやれ。がっくりですわ。
カネがかかることもあり、さっさとベリーズを出ることにする。結局、ベリーズシティも連休だったから、普段どんな感じのまちかがわからなかったが、もう1泊する気にはなれない。
さすがに今朝は昨日、一昨日と違って朝から人手が多く、車もひっきりなしに走っている。8時過ぎにはどの店も開店の準備をしていて、確かにベリーズ最大の都市というだけある物量がかいま見える。
10時くらいのバスに乗れればいいかと8時40分頃宿を出る。歩いてバスターミナルへ。朝飯はまだ食べていなかったが、ターミナルの周りに出ている市でまた果物でも買おうかと思っていた。
20分ほど歩いて、バスターミナルがもうそこに見えているところまで来た時、ちょうどフロントガラスにPunta Gordaと書いたバスが正面から来た。
ラッキーと思って、右手を挙げてバスを止める。インド系のお兄さんが出てきて、どこに行くんだと聞くので、プンタゴルダと答えると、乗ってという合図をされる。
パッと見た感じでは満席なのだが、一番の奥の席が空いていた。車内は中央に通路があって、その両脇に二人掛けの椅子が並んでいる。12列ほどあって、50人近くが座れる。
一番後ろの席の後ろが、荷物置き場になっていて、そこにリュックを置く。すでに置かれているバナナなどの荷物で床が見えない状態になっており、どこに置こうか迷っていると、右の列に座っていたおじさんが背負っていたリュックを抱えて置くのを手伝ってくれる。
車内はエアコンもテレビもなし。窓からの涼しい風が入るから、エアコン付きで窓が開かないバスよりもだいぶん気持ちがいい。
乗客はチェトウマルからのバスと違って、マヤ系の人も多い。
車窓からは何にも使われていない木々がパラパラと茂っている平原が見える。高床式の家もときおり見える。
ベリーズシティを出て1時間10分後の10時20分、ベリーズの首都ベルモパンに到着。バスターミナルは郊外にあるのか、まわりは道路と民家が少々。バスの中にバナナチップ売りの男の子やピザ売りのおじさんが乗り込んできて、乗客に売り込む。ぼくはバナナチップを購入。1ベリーズドル(約60円)。例のごとく塩味。
星条旗のマークが入った帽子をかぶったヨーロッパ系のおじさん(70歳手前くらい)が、その友達というおじさんと一緒に乗り込んできて、隣に座る。しゃべる英語からアメリカ人っぽいように感じる。ベルモパンには買い出しに来てたようで、プラチックのトレーに入った肉や野菜などを大量にバスに積み込む。
同じバスに乗ってた若いアメリカ人らしき男の人とおじさんは話す。
まちを抜けると山道に入る。道路沿いには広大なオレンジ畑。山の斜面まで開墾しており、傾斜のきついところにもオレンジが植わっている。数十分もの間、オレンジ畑の脇を走る。面積で言うと数十ヘクタールはあるよう。木々には実が着いているものもあるし、ないものもある。実も黄色や緑がかっている皮の固そうなものばかり。
ぼくがオレンジ畑の写真を撮っていると、アメリカ人ぽいおじさんが話しかけてくる。オレンジが好きかというので、イエスととりあえず答えると、あっちにもと右手の畑を指さし、こっちにもと左手の畑を指さして、写真を撮ったらというような仕草をする。
そして、ジャパニーズかと聞いてくる。そうだと答えると、昨日もダングリガ(Dangriga)行きのバスで日本人のかわいい女性にあったらしい。彼女はベリーズで教師をしていると言っていたらしい。ベリーズで教師をしている日本人ってどんな人だろうとそのとき思ったが、あとで思うに、どうもその女性は協力隊員のよう。
オレンジ畑の中を走ること30分ほど。そのおじさんは自分の家があそこにあると左手奥に見えてきた赤い屋根の家を指さす。自分で"Big house"と言うのだが、確かにそこそこでかい。聞くとおじさんは運良くビッグマネーを手にし、25年以上ベリーズに住んでいるらしい。家は山の斜面にあり、やはりオレンジ畑に隣接している。隣の家までは50m以上離れており、辺りの人口密度はかなり低そう。
道沿いには、マヤ系の人たちの集落を多く見る。コンクリートづくりの家もあるが、集落によっては木製の壁に椰子の葉で屋根を葺いた家だけというところもある。家の周りにはバナナなどが植えられ、たいてい家の玄関前などで子どもたちがじゃれあって遊んでいたりする。ほとんどの女性がいわゆる民族衣装を着ている。
辺りはジャングルで緑が深い。川を何本も渡ったから水も豊富なようだ。
広大なオレンジ畑を見て、これらをどうしているのかと思っていたら、途中1カ所だけジュース工場を見た。どこの会社がやっているのか知りたかったが、工場の入り口には車窓から見る限り、はっきりとわかるような看板はなく、わからずじまい。ちなみに、その工場の入り口のところにみかんを抱えた労働者の銅像が建っていた。
12時20分、ベリーズの南部の中心町らしいダングリガ(Dangriga)に到着。ここもジャマイカなどから連れてこられたりしたアフリカ系の人が多く住むまち。その人たちのことをガリフナ族と呼ぶらしいが、まちの外れにはガリフナに関するミュージアムがあり、まちの入り口になっているロータリーにはドラムをたたく人たちの像が建てられ、台座には"Drum is My Father"という文字が彫り込まれていた。
ここでバスに乗っていた4~5人のヨーロッパ系・アメリカ系の旅行者はバスを降りる。旅行者らしき人間はぼくだけとなる。
ダングリガを出ると、バスはこれまた広大なバナナ農園の中を走る。両脇に数ヘクタールにわたってバナナが植えられている。
バスはまたジャングルに挟まれた道を通る。ここまではすべて舗装されていた道路を走っていたが、ダングリガを出てしばらくすると未舗装の道に出る。20分ほど未舗装の道が続く。未舗装と言ってもちょうど舗装の工事をしているところで、おそらく数ヶ月後や1年後には舗装されるのだろう。未舗装の道から舗装されている道に切り替わる地点の脇には、工事に使う車両などとともに、飯場として使われているのか、プレハブの建物が建てられていた。
13時50分、Independence Villageという村でお昼の休憩。レストランが併設されている駐車場にバスは停まり、乗客のほとんどがバスを降り、レストランに入っていく。ぼくは荷物のことがあるので、バスの中で待機。レストランに行かなくても、バスの中まであれこれ売り込みに来てくれるので、それを待つ。
物を売りにバスに乗り込んで来たのは、子どもばかり。体格からすると8~10歳くらいと思われる男の子と女の子ばかり。食事代わりになるようなものはなかったので、食べたことのない物を男の子から買う。名前がわからないが、猛烈に甘い練り菓子だった。日本にも似たようなお菓子があるが名前が出てこない。きな粉を使った棒状やあめ玉状の甘いお菓子に似ている。
20分ほど、ここには停車してまたバスは走り出す。バスの中から見た限りでは、この村は幹線道路以外は舗装されていない。だから、車が走ると砂埃がすごい。ここでも高床式の家が散見される。
外の景色は、さっきまでのジャングルは消え、ベリーズ北部の移動時に見たような平原が広がる景色に変わる。
バスの中も乗客がだいぶ減り、すかすかになってきた。
15時半を過ぎた頃、車掌的役割をしているバスの乗務員のおにいさん(インド系)が、前から順に乗客になにやら聞いて回っている。ぼくのところにも来て、英語で何やら聞く。2度聞き返してやっとわかったが、プンタゴルダのどこで降りるかと聞いているのだった。これまでそんなことは聞かれることなく、目的地のターミナルにどかっと降ろされるのが定番だったので、そんなことを聞かれるとは思っていなかった。
市場の近くで降りたいというと、おにいさんはうなづいて、運転手横の自分の定位置に戻る。
ふと、左手に海が見えていることに気づく。おにいさんとしゃべっている間に海沿いに出たよう。目的地のプンタゴルダは海に面したまち。これはかなり近づいている。
すぐにバスは家が立ち並ぶ通りに入る。客が一人降り、二人降りして、最後にぼくともう一人マヤ系の人だけになる。公園らしき一角でバスは停まり、車掌のおにいさんが、ここだと合図をする。
リュックを背負ってバスを降りる。まだ時間は16時前。ベリーズシティでバスに乗り込んだのが9時10分だったから、7時間ちょっとしかたっていない。ガイドブックによれば8時間とあったので、17~18時に着くと予想していた。だから、予想外に早く着き、驚く。
空は曇り空。風が強い。
公園には8時40分で針が止まっている時計があった。周りには不揃いの形をした商店が並び、ぼくがバスから降りたすぐ横の店では女の子二人がゲームセンター(ゲーセン)によくあるゲーム機でゲームをしている。その店にはゲーム機は5台ほどしかなかったが、こんなところにもゲーセンがあるとは。
ガイドブックの地図を見て、位置を確認し、顔をあげたとき、「何かお探しですか?」と日本語が聞こえる。えっ?と思って、声がした正面を見ると、日本人の女性がラフな格好で立っていた。ぼくと同じくらいの年齢くらいか。
「宿を探しているんですけど」と言ったら、じゃあここがいいですよと『歩き方』にも載っている2軒のゲストハウスを紹介してくれる。どっちがいいか聞かれたので、近い方と伝えると、じゃあ、と案内してくれる。
その女性は、青年海外協力隊の隊員の人で、このまちで商店の販売の手伝いをしているという。今は、ちょうどその帰り道だったらしい。
宿は公園から歩いて5分もかからないところにあった。宿主とは知り合いのようで、料金まで全部確認してくれる。一泊35ベリーズドル(17.5米ドル)だったのは、予算的にちょっといたかったが、施設はベリーズシティの宿とは比べ物にならないくらい良い。風呂桶もあり、タオルも付いている。テレビ、扇風機もある。テレビはケーブルテレビのようでチャンネル数多し。なので、どれがベリーズのチャンネルかよくわからず。
協力隊の人に高床式の家のことを聞くと、洪水対策らしい。雨季にはものすごい雨が降り、あっと言う間に水がたまり、今とはまったく景色も違って見えるという。
チェックインを済ませてから、その人に近くの店まで案内してもらう。中国系の店がここも多いので、そのことについて聞くと、ベリーズの国が以前土地を売り出したときに、中国人が大量に買い付けた結果、このように中国人が住み着き商売しているという。
中国人は世界中にいるというが、商売を始めるまでの過程がどうなっているのか気になる。ベリーズの場合にしても、そもそもベリーズについての情報をどこで得たのか、また外国の土地を買うカネを持っていた中国人はどういう人たちだったのか、あるいは各国の土地が売り出されたときに土地を買い付けるようなブローカー的な人やグループなリがいる/あるのか。きっと誰かが調査しているとおもうが、その辺が気になる。
あと蛇足だが、協力隊員の男女比を聞いたところ、5分の3以上~4分3以下が女性らしい。圧倒的に女性が多いとのこと。ベリーズの隊員は、その女性が7番目でまだまだ始まったばかりらしい。このまちには他に3人の隊員(いずれも女性)がおり、その人たち等は学校で教員をしているらしい。
紹介してもらった商店で、絵はがきとヨーグルトとアイスを買う。アイスはとりたててうまくはないが、まずくもない。ヨーグルトは日本の有名メーカーのプレーンと比べると酸味がやや強い感じがするが、ほとんど味は変わらない。
公園のベンチは座席(?)がやや上を向いているため、座り心地がいい。
一通りまちを歩く。
船着き場に行き、入り口付近にいた人に、明日の船便を聞くと、一番早いのが9時半で、次が14時、次が17時と言われる。
ネットカフェもあり、1時間4ベリーズドル(2米ドル)。中国系の店は10店舗近くあり、中華料理店や日用品店をやっている。中国語で話しているおじさんたちもいた。
ベリーズシティと違うのは、アフリカ系の人よりもマヤ系の人が多いこと。協力隊の人も言っていたが、この辺りは住民の6割だったかがマヤ系らしい。
1時間ほどふらついて、宿に戻る。宿に着いたとき、警官二人が後ろから来て、自分たちはツーリストポリスだと言って、ここに住んでいるのかと聞いてくる。なぜか写した写真を見せろと言われ、写真を見せる。ふらふらしているときに、住民の誰かが通報したのだろうか。中国系の人が多いまちだから、怪しい中国人がいると思われたのかもしれない。
実際、パスポートを見せると"You are japanese!"という反応。それからパスポートの写真を見て、"You look like Ninja-man"などと言う。どういう忍者を見たというんじゃ!?
写真をチェックしていた方の警官は、2000枚以上になっていた画数に気が付き、その数字を指さし、これが枚数かと聞いてくる。そうだというと、いいカメラだと言い、値段を聞いてくる。200米ドル位というと、そうか、と感心して終わり。何かあったら自分たちに言ってきてと言うが、すでに何か起こっているんですけど・・・、と一人ごつ。
警官が帰った後に、宿のおじさんになぜ彼らが来たのか聞いたが、わからないとのこと。まったくベリーズではツいていないというか、何というか。
6時過ぎ、協力隊の人に薦められた店に行く。体感風速10mほどもあるからか、客は誰もいない。店も客が来ないと見込んでいたのか、料理の準備もできていないという。20分ほど待ってくれればできるというので、待つことにする。
どんな料理が出てくるのかと期待していたら出てきたのは、ご飯に魚のフライが2枚、あとちょっとしたサラダ。もうちょっといいものが出てくるかと思っていたのでがっかり。タマリンドのジュース2杯とあわせ、15ベリーズドル(約900円)ほどだったか。
18時を過ぎたら、天気が悪いこともあってか、辺りは真っ暗。道を歩いている人も少ない。中心部の公園付近には若い人等がたまっておしゃべりしてはいた。
警官といい、さっきのレストランといい、なんだか不満がたまることばかり起こるので、商店で水を買うついでに夜食用にトルティージャチップスのスナック菓子とベリーズ産というチョコレートを買う。これらでまた800円近くとぶ。ベリーズではちょっと無駄遣いするとあっと言う間にカネがなくなる。
レストランの中には英語をしゃべる白人観光客が20人ほど入っている店もある。
20時前には宿に戻り、イライラしながらトルティージャチップスを食う。カネのこともあり、早くベリーズを出たい気分になってくる。明日は風がやみ、いい天気になるよう祈る。
08/03/29
Guatemala city,Guatemalaよりアップ
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