2008.4.9(水)
・宿探し、チケット探し
・キト行きチケットゲット
・林立する高層ビル
エアコンをつけずに寝ていたら、やはり朝には蒸し暑くなった。
テレビをつけ、CNNのニュースをボーと見る。もうメジャーリーグは開幕したんですね。
この宿には朝飯はついていない。チェックアウト時間は14時なので、それまで次の宿と飛行機のチケットの下調べをすることにする。
宿から出て幹線通りでバスを待つ。目的の安宿はここ旧市街ではなく、新市街にある。新市街までは一本道でつながっているが、2~3km離れている。
まちを走っているのは、色鮮やかにデザインされたバスたち。運転手の趣味なのであろう、それぞれのバスには様々な絵が描かれている。中にはボブ・マーリーもあるし、キリストなどを扱った宗教的な絵を描いているバスもある。
バス乗り禁止のマークの下が、バス乗り場らしく人が集まっているところでぼくも待つ。フロントガラスの下にそれぞれの行き先(主には通り名や番号)が書かれており、それを見ているとけっこういろんなルートがあることがわかる。
どれに乗ったらいいかわからないので、待っている人に聞くと、ぼくの行き先にはどのバスが行くかわからないという。地図で最寄りの通りの名前を調べ、適当にバスの運転手に聞いて乗り込む。乗り込んだときに1米ドル札を渡すと75センターボのお釣りがあった。
パナマ市内のバスは、前乗り・前降り制で、料金は後払い。ぼく以外の人はみな乗り込むときにはカネは払っていなかった。こういう後払い制は今回の度で初めて。後払いだからといって、距離に料金が比例しているわけではなく、0.25ドルの均一料金。
パナマも米ドルがそのまま流通しているので、エルサルバドルで余った米ドルコインが使える。しかし、こういう自国通貨を作っていない国は、金融政策はどうなっているのだろう。貨幣の発行量を調整するなんてことはできるのか。
バスは、人が立っているところに次々止まるので、5分も続けて走らない。止まってばかり。さらに渋滞しているから、100m進むのに10分くらいかかる。自転車で移動した方が圧倒的に早い。各まちや各宿で自転車のレンタルがあったらどれだけ移動がスムーズだろうかと思うこと、たびたび。ニカラグアとかでは自転車に乗っている人がけっこういたのに、バスから見る限りじゃ、ほとんど見ない。たいして勾配があるわけでもないのに、なぜチャリに乗らないのか不思議。
前もって行きたいところを告げていたので、近くに来ると運転手が教えてくれる。
バスを降りたら近くにコロンビアのAvianca航空があったので、そこでチケットの値段を聞いてみる。パナマシティからボゴタ経由でキトに行く往復のチケットは586米ドル。やっぱり高い。片道を聞いたら550米ドル程度。ほとんど変わらない上、やはりここでもキトからの帰りのチケットを買わないといけないと言われる。
情報だけ聞いて店を出る。歩いて宿探し。ガイドブックに載っていた8ドルの宿を探す。ガイドブックに載っている住所に行くと、看板はあったもののどこから入ればいいかわからない。ビルの入り口にいた警備員に聞くと、ちょっと待ってと言って、カバンからこの宿のチラシを持ってきた。
それを見たら、この宿は引っ越ししたらしい。そこまでの道を教えてもらい、また歩く。宿はバスを降りた場所からけっこう離れていた。幹線道路のエスパーニャ通りからは歩いて10分足らずだが、そのエスパーニャ通りは一方通行で、ダウンタウンから来るバスは通れない通りになっている。
ダウンタウンから新市街に向かうバスはエスパーニャ通り(Avenida Espana:スペイン語標記ができないため文字が不正確)から500mほど離れた50号線(Calle 50)という通りを通る(正確には一本道でも区間によって名前が変わるため、別の名前の通りも通っている)。
しかも移転した先はゆるやかな坂道を上っていった先だった。料金も1泊10.5ドルになっていた。この暑さで、あの重さでこの距離はちょっと面倒だなと思い、他に安い宿がないか探す。
宿に戻る道を歩きながら、通りがかったトラベルエージェントでチケットを聞いてまわったりもする。
昨晩から泊まっている宿の周りには、他にもホテルがあるのだが、ぼろそうなところに行っても、たいてい20ドル以上。表に10米ドルと掲げている宿も値上げしたのか、10ドル台がほとんどない。
もうお昼が近くなっていることもあったので、新市街の宿に移ることにして、宿の近くの食堂で食事をする。地元の店だろうと思ったら入ったらカウンターにいたのは、台湾系の夫婦。彼らが店主らしい。他に地元の人がウェイターをやっている。
店主等はスペイン語で注文を聞いてくるが、ぼくが聞いても中国語あるいは台湾語なまりのスペイン語。つまり、声音(だったっけ)がついており、音程だけ聞いていると中国語かと思えるほど。
ぼくは彼らが何を言っているかさっぱりわからず。とりあえずぼくはスープが食べたかったので、それを伝えるが、まだ何か聞いてくる。で、わからずに首をひねっていると、店主等の後ろにいた生粋のパナマ人らしき男の人が、"Sopa y Arroz ,1 dollares"と言う。"Si"とぼくは了解すると、それでことは済んだ。
食事をすませ、宿に戻り、荷物を持ってバス停へ。どのバスも混んでいて、さっきと同じバスに乗れそうにない。まぁ、近くまで行けばいいやと、乗客の少ないバスに乗る。
すると、さっきのバスでは右に行った交差点をこのバスは左に曲がる。えーっ、なんかぜんぜん違うところに行きそう、と思い、次に止まったところで降りようと思ったが、方角的には近づいているようなので、しばらく様子を見て、おそらくここらへんのはずというところで降りる。そこはパナマ大学のすぐ近く。学生がじろじろとこちらを見る。
ぼくは宿の方に歩く。そのうち見えてきた看板を見ると、間違ってはいなかった。近くまで来ている。宿はVia Argentinaという通りにあるのだが、歩き方の地図には通りの名前がほとんど載っていない。よって、使えない。
これまでの経験でいうと、中南米でバスに乗るときには通りの名前が重要。それを載せていないなんて、ダメだ。あとでロンリープラネットをみると、倍ほどの紙面を割いているが、細かい通り名まで書いていた。こうでなくては使えない。
さて、地図の問題のみならず、パナマシティは歩いていても通りの名前がわからない。たまに通りの入り口には通りの名前を書いた看板があるのだが、基本的にはあまりない。
目的のVia Argentinaと接している通りには来たものの、どの通りがそれなのかがわからない。さっき通った雰囲気に似ている通りがあり、ここかなとも思うが、確認するため聞く人も近くにいなく、いやもうちょっと離れてるだろうとも思ったので、先に進むと、先の直感の方が合っていた。
ここかもと思ったが通り過ぎてから10分ほど歩いたところで聞いたら北方向を指さされ、がっくり。来た道には戻りたくないし、こっちの道もVia Argentinaにぶつかりそうだからと思って、そっちの道を歩く。果たしてねらい通りにVia Argentinaにぶつかったのだが、さっき通り過ぎた通りの入り口からは10mほど入っただけのところだった。ため息。
暑さと重さと坂道で、汗が噴き出し、指先から汗がしたたり落ちる。寝袋もあるし、もうここらの路上で寝るかな、なんて思いつつも、もうちょっとだからと言い聞かせ歩く。
坂道を上りきったところで、宿が入っているビルを前方に発見。通りの花壇の縁に座り、しばし休む。
また、気合いを入れ直して歩き、ホテルにチェックイン。旧市街の宿をチェックアウトしてから1時間以上たっていた。やれやれ。
部屋は2段ベッドが3つ入った6人部屋。先客が3人おり、みな学生くらいの女性だった。
荷物を置いて、フロントで宿代を前払いし、航空券を買いに出る。Copa Airlineに行ったが、やっぱり600ドル台なので、さっき行ったAvianca航空で買うことにする。一応、コロンビアにも滞在したことになるから、まぁ、いいかということで。
さっきとは別の女性が対応してくれる。さっきの人は英語を解したが、今度の人はスペイン語のみ。対応は丁寧だった。さっきとは違う人なので、念のため、自分は日本人だが、帰りのチケットは買わないといけないかと訪ねる。すると、別の人に聞いたりしてくれる。そして、机にあったパソコン画面をぼくに見せる。そこに英語で文章が書かれてあって、たしかに帰りのチケットが必要だと書かれてある。
搭乗拒否にあっても面倒なので、往復で買うことにする。ルートはコロンビアの首都ボゴタ経由。
トラベラーズチェックで払えるか聞いたところ、あまり扱ったことがないらしく、電話でどこかに問い合わせている。電話が終わって大丈夫とのことだったので、それで支払う。
プリントアウトしたチケットを見せながらスペイン語で”Entiende(エンティエンデ:わかりましたか)?""Completo(コンプレート:全部わかった)?"と、ひとつひとつ確認。ほんとに丁寧だ。
最後の方はよくわからない部分もあったが、チケットがあれば大丈夫だろうと店を後にする。店内は冷房がきいており、ちょうどぼくはクーラーの風が直にあたるところで手続きをしていたので、すっかり体が冷えてしまった。
冷えた体には外気は暖かく気持ちいい。
とりあえず今日のノルマは終わったので、あとはぶらぶら。銀行に行きたかったので、目的の銀行を探す。が、これがまた見つからない。あっちに行き、こっちに行きして見つかったのは夕方の5時過ぎだった。当然閉まっていたので、用事は明日すますことにする。
それにしても新市街には建築中の建物が多い。どれも100mはある建物でざっと数えても30階は越えている。これだけ高層ビルが建っており、かつ建築中でもあるまちは中米でははじめてみた。どれもマンションのようで、建築現場には高級感あふれる完成予定図が張られてある。
誰がこんなところに住むのだろうと不思議に思いながら歩く。
ちょっとまちから離れたところに行ってみようと思い、適当にバスに乗る。20分ほど乗って、野菜の露店が並んでいる場所で降りる。郊外というよりも中心部のまわりを走っている幹線道路沿いというところで、バス待ちをしている人も多い。
果物や野菜などを並べた露店が6軒ほど軒を連ねており、どこも品ぞろえは似ている。60cmくらいあるパパイヤは縦半分に切られて売られており、値段は0.7米ドル。安い。
買って帰ろうかとも思ったが、冷蔵庫にも入りそうにない大きさなので腐らせるだろうと思い、何も買わず。そのかわりでもないが、箸の露店がバティド(Batido:シェイク)を売っていたので、パパイヤのバティドを飲む。ジューサーにパパイヤの切り身を半分ほどまで入れ、そこへ牛乳、塩と砂糖と思われる2種類の白い粉、それから何かわからぬ黒い液体をちょびっと加えて、最後に氷を入れてスイッチオン。
量でいうと300~400mlある。味は、ちょっとなぁ、いまいち。パパイヤの味が損なわれている。ぼくの好みとしては白いものと黒いものを入れなかった方がうまいと思うんだけど。
暗くなってきたので、宿に帰る。
宿の周りの新市街にはカジノがあり、24時間開いている大型のスーパーもあり、有名ブランドのスポーツショップやアウトレットショップもある。
旧市街では1ドルちょっとで食事ができたが、ここらにあるファストフード系などの店の値札を見ていると最低3米ドル。日本で考えても高いと感じるくらい。
ここらで食事をしている人たちなんて、ぼくより金持ちなんだろうなと思いながら宿に戻る。
晩飯は、宿に戻る前にスーパーの駐車場にあった露店でホットドッグと大きなジャガイモに味のついたご飯を詰めあげたものを食べる。それぞれ1米ドル。ホットドッグのソーセージは化学物質いっぱいそうで、ちょっとひいたけど、まぁ、こちらの人がけっこう食べていたので、試しにと思い食べる。kれで腹一杯。
宿に戻ってからは、無料のネットをしたり、本を読んだり。
ロビーのソファで本を読んでいると同宿の女の子が”日本人ですか?”と話しかけてくる。そうだというと、自分の母親が日本人だという。ただ、日本語はほとんど話せないようですぐに英語になる。どこから来たのか聞いたらドイツから来たらしい。
宿のにいちゃん(宿主の息子らしい)は、またけったいな奴ですでにぼくのことを日本人をわかっているから、ぼくとすれ違うときにふざけてお辞儀をする。ただ、その仕方は日本人のスタイルと曲げ方とかお辞儀をする速度とかが違うので、最初は何をしているのかわからなかった。あとは手を合わせてみたりとか。そんなことご飯を食べるときとかしかしませんから。
またもや不覚なことに、部屋に扇風機はあるものの、ぼくのベッドまでは隣の人が邪魔になって風が届かず。窓は近くにあるものの風は入ってこない。電球も一つしかないから暗い。
12時には部屋の電気が消える。また、熱帯夜の日々が始まった。
08/04/14 キトよりアップ
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