2008年4月14日月曜日

パナマシティでまさかまさかのとーなんときた

2008.4.10(木)

・郵便局探しで閉口
・荷物発送
・ソナロハ
・カメラを紛失

今、思えばパナマ入国寸前にホテルに忘れ物をし、パナマ運河を越えるのを見逃したりした一昨日から、どこか調子が狂ってきていたのかもしれない。

朝は暑くて、6時前に目が覚める。2度寝しようとするが、暑さで眠れず。

7時すぎ朝食。パンとコーヒー、バナナ、チーズを食べる。朝食付きで10.5米ドルとはなかなかよろしい。

9時頃、宿を出て銀行に行くが、目的のことはできず。

それからメキシコで一反は送ろうと思って、ここまで持ち越してきたものを送ることを決断し、それらを箱詰めし、郵便局に行く。郵便局の位置は歩き方もロンプラも当てにならず。

宿の人に聞いて、近くの郵便局に行く。するとここでは小包などは扱っておらず、旧市街の郵便局に行くように言われる。

言葉があまり通じないことがわかった郵便局の窓口のおばちゃんは、行くべきところをメモしてくれるが、筆記体で書かれているため、読みづらい。タクシーで1.25米ドルだと言われたが、ケチってバスに乗っていくことにする。

バス停にいた人に、もらったメモを見せると止まっていたバスの客引きのにいちゃんにその旨を伝えてくれる。

泊まっていた宿の近くで、そのバスのにいちゃんが合図し、降りるように言われる。あっちの方に行けと指さすので、そっちに行くがそれらしき建物が見あたらない。

建物の警備をしてる人に聞くと、知らないという。別の建物の警備員に聞くと、海に面した通り沿いにあるというので、そこに行ってみるが見あたらない。

ホットドッグを売っているおじさんに聞くと、一緒にいた他の二人の人たちとあっちだこっちだと議論をはじめる。すぐに店主のおじさんが二人を無視して、あっちに行けと言って、バスを降りた方向を指さす。

おじさんの言ったとおりに行くが、見あたらない。またそこでおばちゃんに聞くと、あっちの通りだという。20mほど離れたビルの1階にCorreos(郵便)の文字を発見。そこに行くと、そこは窓口ではないと言い、別の入り口から入らないといけないと言われる。その入り口はすぐ近くにあり、そこで荷物を送れるか聞くと、ここでは小さなものしか扱っていないといって、ぼくのサイズはここからは遅れないという。

そして、先のところの郵便局に行ってと言われる。

言われたあたりで人に聞いてみるが、なかなかわかる人がいない。すでに宿を出て2時間近くたっている。やれやれ。

宿近くに民間の国際郵便会社があったので、そちらから送ることにする。少しでも安くと思って郵便局を探したが、結局見つけられず、半日無駄にした形となった。

宿近くのその会社に行く。荷物の重さをパウンドで言うから、何kgかわからない。送ろうと思って詰めていたものすべてを送るとなると150米ドル近くかかるというので、中身を減らし、100米ドルにし、それで発送してもらう。

IDを見せてといわれるが、あいにくパスポートは宿に置いてきていたため、とりに戻る。パスポートのコピーが必要らしい。

こうしてやっと発送作業が終わった。もう時間は3時をすぎている。

旧市街にあるムゼオ(博物館)に行こうと、またバスに乗って旧市街に行く。しかし、この博物館は3時半閉館で見ることができず。

旧市街には古いヨーロッパ調の建物が並んでおり、一部の通りは歩行者天国になっている。歩行者天国には人がたくさん歩いており、新市街とはまたぜんぜん雰囲気が違う。

新市街ではほとんど見なかった民族服を来ている女性も歩いており、こちらの方が歩いていて圧倒的に面白い。ちなみにここで見る民族服は、グアテマラやメキシコ南部で見たものとは、ぜんぜん違う。グアテマラやメキシコ南部の方が気温が低い地域だからか、あちらの方が布地が厚いように思う。インドネシアのサルンのような腰巻きタイプのスカートに、帯などは似ているが、まったく異なっているのが、手首から肘にかけてと、足首から膝にかけての部分。

こちらの人は、オレンジなどの鮮やかな色(たいてい一色)をした紐(ミサンガのようなもの)を、上記の部分に重ならないよういくつもつけており、一目見たときには時代劇に出てくる人がはいている脚半(感じが違うような)のように見える。

ただこうした民族服を来ている人は圧倒的に少数。おそらく女性の中でも1割もいないだろう。具体的に言えば、3時間くらいそれらの地域をぶらぶらすれば、おそらく千人以上の人とすれ違ったりしていると思うのだが、その中でその服を着ているのは10人程度しかいない。

基本的には年輩の女性が着ている場合が多いが、20代くらいの女性が着ているのを見ることもあった。あと付け足しで書くと、サリーを着ているインド系のおばあちゃんもいた。

パナマシティもニカラグアのグラナダと似てアフリカ系の人が多い。コスタリカのサンホセでは圧倒的に少数だったのに、こちらでは半数とまではいかなくても、それなりの割合を占めているよう。これもパナマ運河の建設の歴史と関係があるのだろうか。ポルトープランスで会ったインド人のように、運河建設後に、出稼ぎに来た人たちが多いのだろうか。

歩行者天国になっている通りの海に近い方の入り口には線路跡があった。そこにはちょっとした広場もあり、そこで麻雀のような遊びをしている叔父さんたちを見る。

通りの入り口の向こうには海が見えたので、ぼくは海を見るためにそこまで歩くことにした。

3~4階建ての古いアパートが立ち並び、一部の建物は崩れて廃墟になっている。ちらっと中を覗いてみると、中はは自然とゴミ捨て場になってしまっているようだった。

路上でボールを蹴って遊んでいる少年がいる。アパートのベランダから下を眺めている人もいる。建物の高さがまったく違うものの、建物の古びた感じや壊れかけの感じがハバナに似ている。

向かいから荷車にアイスを入れて売り歩いているおじさんがやってきたので、リモン味のアイスを買う。0.5ドル。なかなか味はいい。

正面には海と住宅街を隔てた1m50cmほどの壁があり、その手前にはベンチがあった。そこに地元の人たちが腰掛けてしゃべっていた。

壁の手前でぼくは右に曲がる。そして次の角を左に曲がったところで海を少しの間だけ眺めた。ヨットらしき船や遠くにはタンカーのような船が見える。

眺めると言うよりも見たという程度だったが、それで満足し来た道を戻る。歩いていたら道端で別の人と話していたおじいさんが、何をしているのかと聞く。散歩しているだけだと適当に単語を並べ、身振りも交え答えると、おじいさんは来た道を通って帰った方がいいというようなことを言う。そして、握った右手を首もとにやり、親指を立てて、首の左から右へと動かす。端的に解釈すれば首を切られるぞ、と言っているよう。

ガイドブックでは、パナマシティでは平均100件の犯罪が一日に起こっているという。そしてそのほとんどが、旧市街のある地区で起こっているとも。その地区はここから近いものの、そこには入っていないと思っていた。

でも、危険地帯では長老の言うことは聞いた方がいい。おそらくそれだけのものを他の人よりも長く見てきているから。ぼくは来た道を戻る。

だが、さっきの歩行者天国となっている通りの入り口には戻らず、バスも通っている別の通りを見に行ってみた。小さなスーパーがあったので、そこで水を買う。ちょっと歩くと、バスが通っている道に出る。その通りの壁にはDOnationとかyoung,drug,arcoholなどという文字とともに、頭を抱えている人の絵やドラッグの絵が描かれている。今思うと確か英語で書かれていたはずだが、なぜスペイン語でなかったのか、あるいはぼくが勝手に英語として見ていたのか、ちょっとひっかかるところはある。

ただ、そういう問題がこの地区にあることはわかった。先ほどの年寄りはこうしたものを見てきたのだろう。

その壁の絵の写真を撮ろうと立ち止まると道端で、飲み物を売っていたヨーロッパ系のおばさんが、親しげに話しかけてくる。その飲み物を飲まないかということだったで、1杯もらうことにする。

パイナップルのかけらが入った透明のもので、たとえて言うと、パイナップルの缶詰の汁のようだった。おばさんはそれをぼくに渡しながら、ここは”peligroso(ぺりぐろそ)"と言う。そして、ここは"zona roja(ソナ ロハ)"と呼ばれていると、眉間にしわを寄せ、真剣な表情で言う。

両方とも以前に聞いて知っていたが、すぐには対応する日本語が出てこない。”peligroso"って聞いたことがあるけど、なんだったっけと思っていたら、話し続けていたおばさんの言葉の中に"seguro(セグロ)"と言う言葉を聞く。これは安全(safe)に対応する言葉で、銀行の広告やホテルの広告によく載っていて覚えていた。そして、”peligroso"がその反対の概念、つまり”危険”を表す言葉だということをようやく思い出した。

つまり、おばさんはここは危険だと言っていて、そうとわかるとさっきからおばさんが何を言っているかすべてわかった。おばさんは今買ったものを飲んだら早く、ここを出た方がいいと言っているのだった。

"zona roja"も英語にすればred zoneのこと。さっきのおじいさんの言葉と壁の絵、そしてこのおばさんの言葉に、そんなに何があるかわからない地区なのかと改めて知らされたので、ちょうど走ってきたバスにコップを持ったまま乗り込む。

おばさんはこっちを見て、うんうん、うなづいている。

そのバスは宿に近い通りも通るバスだったので、まだ17時前だったが、宿に戻ることにする。買ったジュースはパインは食べきったものの、ジュースが甘すぎてとても飲む気になれず、発泡スチロール製のコップに入ったまま。揺れるバスにジュースがこぼれないか気を使いながら、外を眺める。

何度も通った通りに入り、隣には体格のいいおばさんが座った。ぼくはときどき窓から写真を撮ったりしている。

そして、降りる場所が近くなったとき、手元にあったはずのカメラがなくなっていることに気づく。バスは渋滞でなかなか先に進まない。

いつもはカメラに付けているストラップを手首にかけていて、自分でもそうしているものと思っていたが、無意識のうちに外していたようだ。カバンを見てもない。その様子を見たのか、隣のおばさんは腰をどかす。そして、渋滞を待ちきれなくなったのか、すたすたと突然バスを降りていった。

ぼくはおばさんが座っていた座席や座席の下などを探し続けるが、見つからない。バスはやや前に進む。そして、その瞬間、さっきのおばさんが盗っていったのではないかという可能性に気づく。

ただ、おばさんが降りてからもう数分経過しており、今、降りたとしてもおそらくわからない。何より顔を覚えていない。隣に座っている状態なら聞くこともできるが、路上でそれらしき人を見つけても知らん顔をされればそれまでだ。

相手はぼくの外見からすぐにぼくだとわかるだろうが、例えば別のバスに乗っていたりしたら、ぼくはおばさんを判別できない。

こういうときの反射と瞬発力が、ぼくにはないことを改めて感じる。いろんな可能性を考える前に、さっさとおばさんを探せばいいが、それよりもありえることをいろいろ考えすぎて時間を食う。

やっと、もしかしたらけっこうまぬけなおばちゃんかもしれず、その辺をうろうろしているかもしれないという可能性を考え付いたところでバスを降り、来た道を戻ったが、いるはずもなく、そこでカメラが戻ってこないことを認めざるをえなくなった。

午前中の郵便局探しといい、カメラの紛失といい、今日は禄なことがない。幸い保険に入っていたので、保険を請求すればカメラ代とXDカードの代金は100%ではないにしろ戻ってくる。が、コスタリカからここまでの写真のデータはバックアップをとっていなかった。今思えば、今日、宿を替えた後に宿のパソコンででもバックアップをとっておけばよかったが、あれこれやることがあるし、これまで大丈夫だったから、大丈夫だろうと思い、先延ばしにしていた。

また、この2日間は国境に泊まったり、ネットのない宿だったのでパソコンにアクセスできなかったことも多少は影響した。

保険を請求するには基本的に警察の盗難に関するレポートが必要。でも、すでに暗くなりはじめているので、今日、警察に行くのはやめ宿に戻り、保険の証書を読む。

それによれば何かあればコレクトコールで対応してくれる窓口あるとあったので、それで相談してみようかと考える。コンビニのような店の中にある公衆電話まで行き、いざコレクトコールをかけようとしたところ、まずコレクトコールをつないでくれる、この国の国際電話局のオペレーターを呼び出す番号がわからないことに気づく。

保険の証書にはイギリスやアメリカなど、日本人がよく行く国の番号は載っているが世界中を網羅していない。解説にはホテルのフロントに頼めばつないでくれるとあるが、さっき宿のフロントの人に言ったら、ここの電話ではできないようなことを言われる。そんなはずはないと思うのだが、ちょっとずれたとようなところのにいちゃんなのでわからないだろう。

そうするとネットで調べるか、近くの高級ホテルに聞きに行くかということになる。ネットで調べたが、他の国のは別の保険会社のホームページにあったものの、パナマのがない。

世界中のコレクトコールの呼び出し番号を整理したページがあってもよさそうだったが、探し方が悪いのか見つからなかった。

ホテルに行くという選択肢も考えたが、気が進まずやめる。高級ホテルはちょっと離れたところにあり、暗くなっていたこともあり、どうも悪いことが続きそうな予感だったのでやめる。

そして、明日警察に行くことにして、宿のパソコンで保険会社に質問のメールを出した後は、のんびりと考えごとをする。明後日にはパナマシティを出るから、明日、警察のレポートをもらわないと、出発日を替えるか、レポートを諦めるかしなければならない。出発日を替えるとなると、また手数料が数十ドルかかる。

そんなことを考えていても、どうこうなるわけではないので、気分を変え、南米のガイドブックを見ながらルートを考えたりする。ガイドブックを見ていたら、とても数ヶ月ではまわれないように思えてくる。やっぱり各地域ごとに半年くらいないと細かくは見て回れないななどと思う。また、世界を見尽くすことはたぶん人生のすべての時間をかけても、ほとんど不可能なのかもしれないとも。

100カ国以上、旅して回ったという人は、ネットで探せばごろごろいるが、1カ国に1ヶ月いるとしても100ヶ月以上、つまり10年近くかかる。

1つの大きなまちを見ようと思えば1週間はかかるので、1ヶ月いてもせいぜい10カ所も見られればいい方だろう。

もちろん、何を見るかによるが、ぼくの趣味の範囲でいうと、そういう計算になる。

旅の途中で会うヨーロッパ系の旅行者はたいていが1ヶ月単位で旅行をしており、そのぶん、日本人はあまり行かないところまで行っている人が人が多い。彼らも感覚的には日本人の一般的な観光旅行とあまり違わないのかもしれないが、ガイドブックの内容で比較する限りでは、だいぶ見ているものが違うのかもしれないと思う。

ガイドブックを持っている人が、それをちゃんと読んでいるかという問題はあるにしても、少なくともガイドブックの会社は、こういう点は知っておいた方がいいと判断して書いているのは間違いない。その知っておいた方がいいという範囲が、日本でメジャーなガイドブックと比べると圧倒的に広い。英語(他の言語はわからないので)で書かれた3種類ほどのガイドブックを読む限りでは、そう思う。

ふとガイドブックの比較研究をやっている人がいるのかどうかが、気になる。もしいればその人の書いたものなどは、けっこう面白いかもしれない。ただ言葉の壁があるからなかなか難しいだろうな。自前のガイドブックを持っていない国も多いだろうし。

夜は相変わらず寝苦しい。

おわり

08/04/14 キトよりアップ

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あらあら、やられちゃいましたか。
最初に遭った犯罪が「盗難」で良かったですよ。怪我したりしなかったぶん、授業料だと思いましょう。私がナイロビ市内のバスで財布をすられた時と、ほんと似たような状況です。犯人と思しき人が、急いで降りて行きましたよ。

ガイドブックですが、日本のモノはダメですね。マイナーな地域のものになると、凄く差が出ます。ブラジルの「歩き方」では、思いっきり博物館の場所が間違ってました。山崎君は移住当初、歩き方のレストランガイドなどを使っていたそうなのですが、間違いが多く、「地球の迷い方」って呼んでましたよ。

ぶらぷらびと さんのコメント...

kaw-kaw さま

はい、やられちゃいました。どうせなら財布を盗んでほしかったですけどね。ほとんど金が入っていなかったので。ガイドブックはおっしゃるとおり。「歩き方」の取材がどのようになされているかわかりませんが、参考の参考程度で使ったほうがいいですね。

匿名 さんのコメント...

げーーーっ

大変じゃったねぇ
大丈夫ーーー??
しかして、おばちゃんが・・・・上手に取っていくんだねぇ。
そんなこと出来なさそう、なイメージはきっと日本だけ?なとかなぁ

って感心しちゃぁいかんね。

写真、すごい大切なものなのに、価値の分からない人の手に渡ってしまったってのがすごい腹立たしいーーーっ(>_<)/

でも、ほーーんとぷらぷらびとの体が無事でよかったわーーーぁ

ぶらぷらびと さんのコメント...

くりこさま

どうもどうも、ご心配頂ありがとうございます。私めは大丈夫ですぞよ。ちょっとね、写真のデータがなくなったのは困りもんだけど。今頃、電池切れで使えなくなってるんだろうね。やれやれ。今後も乞うご期待。