2008年4月14日月曜日

パナマ警察にお世話になる。そして運河へ。

2008.4.12(金)
曇り時折雨と青空

・警察に出頭
・盗難レポートづくり
・スペイン語で読み聞かせ
・パナマ運河

今朝も蒸し暑くて目が覚める。気温が高い上、9畳ほどの部屋に6人も人がいるから余計暑いのだろう。窓は開けているものの風はまったく入らない。

早く盗難の件の始末をつけようと、宿主に警察の事務所の場所を聞く。コンチネンタルホテルの近くというので、7時過ぎには宿を出る。こんな早い時間からやっていること期待できないが、とりあえず行ってみる。

コンチネンタルホテル近くまで行ったが、警察署は見あたらない。どこだろうときょろきょろしていたらちょうど自転車(マウンテンバイク)でパトロールしている警官二人が前からやてきた。二人とも黒の半ズボンに灰色のポロシャツという制服で、頭にはヘルメットを付けている。

事前に会話帳を見て書き写していたお願い文を見せる。それを見て、用件がわかったようで、こっちにと呼ばれる。

コンチネンタルホテルの入り口近くに四角錘の屋根をした小さな交番のような建物があって、そこに案内にされる。表には何も書いていないのでわからなかったが、ここはツーリストポリスのオフィスだと言われる。

オフィスと言ってもスチール机と椅子、それから観光者向けの無料の新聞、雑誌があるだけ。なかはがらんとしている。

椅子に座ってと言われて、座る。そして、名前と出身国、ツーリストかそうでないのか、どこで何をいつなくしたのかなどを聞かれる。

質問はすべてスペイン語。だいたい何を聞かれるかはわかるので、たいていのことは察しがつく。対応してくれているのは、30代くらいのアフリカ系の男性警官。その警官は、表紙がぼろくなっているノートに聞き取ったことをメモする。

そうして一通り聞き取った後、しばらく待てと言われる。これから日本で言うところの警察の本署に行って、そこで盗難のレポートを作成するらしい。そして、その本署まではパトカーで連れていってくれるという。

10分ほど待っていたが、なかなか来ない。することもないので、あたりを見回したりしていると、オフィスにあった観光客向けの新聞や雑誌を持ってきて、これでも見ててと勧める。新聞や雑誌は英語とスペイン語の併記式。

新聞の1面は、カリブ海側にあるサンブラス諸島でガイドをしている現地の男性の話を掲載していた。サンブラス諸島には先住民の 族の人たちが以前からのスタイルを変えずに暮らしており、観光も受け入れている。取り上げられている男性は50歳くらいの男性で、以前、パナマシティに働きに来たときに英語とスペイン語を覚えたらしい。今はそのときに覚えた言葉を駆使し、自分の出身地を訪れる人たちに対し、ガイドをしているという話だった。

一方の雑誌は2種類あり、小さいA5サイズの方は、観光地にはよくあるクーポンや店の広告がたくさん載った雑誌。観光で行くとおもしろそうなところも紹介している。国内とパナマシティの地図が付いているのはありがたい。

もう1種類は、住宅会社が共同で出している雑誌のようで、表紙はきれいな高層マンションの写真。中を見てもマンションの広告ばかり。アメリカやカナダ、オランダなどからパナマに移り住んだ人たちの体験談も載っている。

その中のあるアメリカ人夫婦の話では、9.11のときになんらかのトラウマを負った妻がのんびり暮らせるようにと新しい土地を探していたところ、パナマの内陸の高地地方にベストな土地が見つかり、そこに移り住んだということだった。そこは自然がいっぱいで、妻もその土地とその地の人々をすぐ好きになり、落ち着いた生活ができているとあった。

在パナマ日本大使館のホームページを見たときに、ここのところ下り調子だった経済が建築需要の増加で持ち直しているという話があったが、どうもその需要の背景にはこうした外国人がいるよう。

実際、パナマシティに来て驚いたことは、次々と高層ビルが建設されていること。それもほとんどがマンション。建築中の建物がある通りを歩くと完成予定図があり、たいてい30階や40階立てになる予定のようだった。細かく数えてはいないが、そうした建築中の高層ビルが新市街には10棟はあり、しかもそれらは互いに半径3~5km圏内に集まっている。

ここのオフィスには他の警官も集まってきておしゃべりがはじまる。ある年輩の警官は、新しい携帯を今し方買ったばかりらしく、携帯会社のビニールの袋に箱詰めされた携帯を入れて持ってきていた。

それを他の警官が、見せてと言って中身を取り出す。ピンク色の折り畳み式ではない、日本で言うと旧式のスタイルの携帯。メーカーはSUMSUNG。値段を聞かれてその警官は、30米ドルくらいだったと言う。なかなか安い。

そうして待つこと1時間ほど、9時半頃になってようやくパトカーがやってきた。

パトカーには3人の男性の警官が乗っている。ぼくは助手席の後ろに座る。

運転している若いアフリカ系の警官が、英語で何が起こったか聞いてくる。なので、さっきオフィスで対応してくれた警官に伝えたことを繰り返す。

20分ほで本署に到着。日本の警察署のようにでかいビルではなく、3階建て程度の小さなところだった。入り口を入ると階段があり、10段ほど下った半地下が外来者の応対をするフロアだった。

運転していた警官が受け付けの人に何をか伝え、受付の前にあった丸テーブルのところでしばらく待つ。その間、また被害の状況を聞かれる。

しばらくすると、黒縁メガネをかけた金髪のヨーロッパ系の年輩女性の職員が流暢な英語で話しかけてくる。これからドキュメントを作成するが、十分に英語は話せるかと、まず聞かれ、十分ではないと伝えると、正確に書くことはできるかと言われる。

正確には書けないと言うと、まぁ、わかったという感じで、ちょっと書類を取りに行ってくるから待っててと言う。

運転してきた警官は、そこで席をたち、ビルを出ていく。別の男性の職員が、自分の英語は十分ではない(bad)がいいか?と断った上で、また被害の状況を聞かれる。ぼくの英語は彼のよりももっと十分ではないので、詳しく説明しようとすると単語が出てこないし、時制がぐちゃぐちゃになる。彼はわかったようなわからないような様子。

さっきの警官はわかってくれたから、彼から聞いてくれた方がすんなりいったのにと思うが、彼はもういない。

そうこうしているうちに、先ほどの女性の職員が戻ってきて、4枚の紙を渡される。そして、こことこことここを埋めてと、ぼくにとっては早口の英語で説明する。

一枚目の紙には自分の名前や誕生年月日、年齢、出身国と生誕地、パスポート番号、両親の名前、日本の住所と電話番号、メールアドレスを記入する欄があり、2枚目はパスポートを紛失した場合の紙でこれは記入不要。3枚目が被害にあった物とその金額を書く紙。4枚目は30段ほど罫線が入っただけの紙で、冒頭にいつ、どこで、どういう状況で、どういう被害にあったのかを書く紙になっていた。

また後から来るからと言って、その女性職員は去る。ぼくは持ってきた英和・和英辞書を取り出し、思いつかない単語をひきひき書く。

書いている途中、60歳手前くらいの男性がやってきて
、ぼくと同じテーブルで似たような用紙に必要事項を書き込む作業を始める。どうも彼も盗難か何かに遭ったよう。

ぼくが辞書をひいたりしているとそのおじさんが話しかけてくる。スペイン語で普通にしゃべるので、何を言っているのかわからない。首を傾げているとおじさんは自分の目と紙を交互に指さしながら何か言う。

その仕草で、どうやら老眼か何かで文字が見えないということがわかる。おじさんが言いたいのは、ここにはなんて書かれているのか、ということのようだった。

それで、そのおじさんの文書を見せてもらい、ぼくが読み上げる。おじさんはそれを聞いて、ああわかったと空欄になっているところに筆記体で何か記入している。

空欄は5カ所ほどあったので、おじさんが1つ記入すると、その続きをまたぼくが読み上げるという作業を繰り返す。

アクセントの位置を間違い、また英語とほとんど同じ単語を英語式に呼んでしまい、おじさんが考え込んでしまうこともあったが、基本的にはぼくのスペイン語を聞いて、おじさんは次々と空欄を埋めていった。

これがもし英語やフランス語、ロシア語だったらこんなことはできない。日本語と発音が近い言語だからこそできることだ。

もし、中学や高校で習う外国語がスペイン語だったら、きっとぼくは英語よりもできるようになったに違いない。文法事項はスペイン語の方がちょっと複雑ではあるが、それは覚えれば済むこと。英語のRとLや細かな”ア”の発音の違いなど、聞き分けることはもちろん、それを再現することに比べれば簡単なことだ。もちろん、日本式発音の英語でも実際上は十分通じることもあるが、試験ではそうはいかない。

スペイン語圏は日本からは地理的に遠いが移民などの縁で言えば近い。中学の最初にでも複数の言語を紹介されてその中から選択できるとなっていれば、ぼくは聞き分けや発音で苦労しない外国語を選んだだろう。なんてことは、今だから言えることだが、実際大学では選択肢にあるいくつかの外国語の中から選んだのは、日本語と発音がけっこう似ている(発声が違うが)ドイツ語だった。

レポートを書き終わってそんなことを考えていたら、さっき自分の英語は不十分だと言った男性職員が寄ってきて、終わったかと聞いてくる。

それで終わったと言うと、ちょっとまた待っててとレポートを持って別のオフィスに入っていった。

待っている間も目の悪いおじさんは、ぼくに普通に話しかけてくる。なので、例のごとく、空欄をおじさんが埋められるよう、ぼくがスペイン語の文を読み上げる。

そうしているうちに先ほどの女性職員が来て、レポートを作ったから内容を確認するのでこっちに来てと言われる。あるブースに連れて行かれ、そこのパソコンの画面に映し出された文書を彼女が読み上げる。

文書自体はスペイン語で書かれているが、読み上げるのは英語。文の切れ目ごとに、ぼくに内容に間違いがないか確認をする。ぼくは特に修正する必要もなかったので、OKを連発。そうして全文確認した後に、彼女から何か付け加えることはないかと聞かれ、何もないと答えると、それをプリントアウトして持ってきた。全部で3枚。それぞれのページに自分のサインとパスポートの番号を書くように言われ、それらを記入する。

現物は警察で保管するというので、コピーをもらう。その女性職員は、それを渡すときにぼくにこう言った。”Thank you for your effort." この言葉はもしかしたら儀礼的な言葉かもしれないが、それでもこんなことを言われるとは思っていなかったので意外だった。逆にぼくの拙い英語に付き合ってくれてありがとうと言いたいくらい。

おもしろいのが紙のサイズ。盗難のレポートが印刷された紙は、A4とかB5とかというような基準の紙ではなく、A4をさらにひょろ長く伸ばしたようなサイズ。アメリカやジャマイカ、ドミニカの新聞がひょろ長かったが、それと同じ感じ。紙のサイズの基準に、A4などの他にどんなものがあるのか、気になる。

帰りもまたパトカーで宿まで送るというから、至れり尽くせりだ。

本署に着いてからの対応は早く、2時間かからないくらいですべての手続きが終わった。時刻はすでに12時近くになっており、ふと腹が空いていることに気づく。

パトカー=ツーリストポリスが迎えに来るからロビーで待っててと言われて待つ。ここからが長かった。待つこと2時間ちょっと。14時過ぎにここに連れてきてもらったときに運転してくれた警官が、また迎えに来てくれた。

それまでの間はロビーに設置されているケーブルテレビを見ていた。放送されていたのはミスタービーンの吹き替え映画。言葉はわからないが、手続きが終わってほっとしたことで気軽に笑える。他にも10人くらいロビーにいて、それを見ながら笑っている人は多かった。

ただアフリカ系の男性だけは一度も笑うことがなかった。その人は、ぼくが記入用紙を書き終えた頃に、警官と一緒に本署に入ってきた人で、かなり落ち込んだ様子だった。ぼくは始めパナマの人かと思ったが、その人には英語のできる女性職員が紹介され、英語で話をしていた。

目の前で話をしていたので、少し聞き取れたところによると、その男性はジャマイカから来たらしい。パナマシティのある地区でパスポートなどが入ったカバンを目を離した隙に取られてしまったらしい。彼は見たところ40~50歳くらい。終始浮かない顔をしていた。

パトカーにまた乗って、宿まで送ってもらう。さすがパトカー、早かった。別にサイレン鳴らして、他の車をどかしながら走ったわけではないが、バスと比べると早い。

宿に戻り、レポートの写真を撮り、カバンに保管してからやっとまちに出る。

腹が減って動きが鈍くなっていたので、昨日も行った旧市外に行って飯を食う。旧市街にはパナマ運河を建設するために連れてこられたアフリカ人についての博物館があり、そこに行きたかったのだが、すでに3時を過ぎており、閉館間際(3時半閉館)だったため、断念。

昼飯に選んだ店も外れで塩気がきつすぎてダメだった。旧市街では食堂というと、かなりの割合(たぶん7割くらい)で中国系や台湾系の店になる。そうでなさそうな店と思ってこの店を選んだが、外れだった。

その店を出た後、口直しに5月5日広場でおじさんが売っていた肉とキャッサバのセット物を買う。1ドル50センターボと予想外に高かったが、味はまずまず。香辛料とチリソースがかかっており、けっこう辛いが、それはそれでうまい。

それからタクシーを捕まえてパナマ運河のビジターセンターもあるミラーレス水門に行く。ここはカリブ海側から来た船が太平洋にまさに出るという水門で、船底が川底につかないよう水量が調節され徐々に船が太平洋側に出る様子が見られる。

バスでも行けるらしいが、歩き方によると、最寄りのバス停から20分くらい歩くとあったので、ちょっと空が雨模様になってきていたこともありタクシーにした。タクシーでは片道5米ドル。

20分ほどで水門に到着する。ビジターセンターの入場料が5米ドル。それを入って中にはいるとビジターセンターのバルコニーから水門の様子を見ることができる。まずは5階(こちらの数え方では4階)に上がり、その様子を見る。ヨーロッパ系の観光客がたくさん来ている。

思ったよりも水門の幅はせまい。50mほど。しかし通過する船はでかい。幅も思ったよりせまいとは言え、こんなものを作ろうとすれば相当の労力が必要になることはわかる。

ビジターセンターには運河建設の経過などがわかる博物館も併設されているのだが、それを見るとアフリカ系の人は主にジャマイカから連れてこられたらしく、黄熱病やマラリアなどで相当数の人が作業中に死んでいったらしい。

また展示の中には、タンカーは巨大化を続けており、その傾向から言うと、パナマの運河は幅や川底の深さの問題から2012年頃には限界を迎えると見込まれているらしい。そうなるとパナマ運河の重要性が相対的に薄れるので、今と同じような位置を占め続けるためにも拡張が必要だと書かれている。

1時間ほど見て、タクシーで国営バスターミナルに行く。ここに併設されているショッピングモールでカメラ探し。なくなったカメラと同じ物がないか探すが、見つからない。カメラはパナソニックとソニーのものが多い。

それにしてもカメラを盗っていた人はあれをどうするのか。だいたい充電が切れれば使えなくなるし、あのカメラにあった充電器なんてこのショッピングモールの品ぞろえを見る限り、簡単には手に入らない。

誰かの手に渡ってまた使われるなら良いけど、充電ができないという理由で売れもせず、ほったらかしにされるとしたら、それこそ盗られた意味もない。それに説明を日本語バージョンにしていたから、わからないだろうな。質屋も充電器がないのに買ったりするのかねぇ。

盗難物がどのような流通に乗るかも調べたらおもしろそうなことだ。

結局、カメラは見つからなかったので、明日行く空港のDuty Free Shopに期待することにして、宿に帰る。

宿のフリーのネットは写真のアップが難しいので、1ドル払って近所のネット屋で1時間ネットをする。

宿にもどって、今度は宿のネットで明日の宿について調べる。調べていたらドイツ人と日本人のハーフというドイツからの旅行者がパスタを作ったから食べないかと言ってくる。ありがたくいただく。

ドイツからは男女4人くらいで来ているようで、みんなでパスタを作ったらしい。そのお裾分けに預かったわけだ。彼女らはいつも夕方になると化粧をして夜中どっかで遊んでいるよう。

他にもネットをしてたら、”どうですか?”と日本語で話しかけてくる男性がいる。日本語が少ししゃべれる彼は、米軍の兵士で通算2年日本にいたらしい。相撲がすきなようで、”ワカハナダ”を連発。それからパチンコがいっぱいなどと言う。

宿泊客はひきもきらず、毎日誰かが出ていっては、誰かが入ってくる。4月になったということもあってか、日本人客はいない。ロビーの本棚には誰かが置いていった2~3年前の歩き方が2冊ほどあった。ぼくもここで歩き方の中米編を手放す。

それから明日出発のために荷造りをして、寝る。今晩も暑かった。

08/04/14 キトよりアップ

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ふうさんはスペイン語はかなり理解できるのですね。

パナマ警察では貴重な体験をされましたね。
ふうさんが目の悪いおじさんのスペイン語の書類作成のお手伝いするなど、「民際外交」
で貢献しましたね。警察で”Thank you for your effort "と言われたとのこと、
お疲れさんでした。

ぶらぷらびと さんのコメント...

アンネのバラ友 さま

スペイン語は理解はしていませんが、読み方のルールは覚えているので、つっかかりながらなら読めます。ただ、おじさんはぼくを日本人(外国人)だとはずっと気づいていなかったので、民際外交というと大げさかもしれません。まぁ、カメラを撮られたおかげで面白い経験ができたので、その点はよかったですね。