2008年10月20日月曜日

[diary]ケープコーストからクマシへ

ケープコーストからクマシへ

08/08/16(土) くもり、雨、くもり
[Cape Coast→Kumasi:Ghana]

夜が明けようとしている頃、鶏がギャーギャー鳴く声で目覚める。

手のひらがかゆい。また蚊にやられたよう。ベッドから起きると足下を飛んでいる蚊がいたので、踏みつける。殺した蚊の体積にしては大量の血が床につく。

荷造りをして宿を出る。7時半。

昨日確認したKumasi行きのトロトロが出るターミナルに歩いていく。途中、タクシーの運転手から声がかかるが、無視。ケープコーストの城前の通りを歩いていく。道ばたでは素っ裸になって体を洗っている少年が1人。露店はすでに出ていて、そこで朝食を取っている人もいる。

30分ほど歩いてターミナルに到着。敷地奥のチケット売場の建物でチケットを買う。4.5セディ(約450円)。ちょうどあと一人で出発という車が駐車場に待機していたので、それに乗ろうかと車まで行くが、荷物を屋根上に載せるというので、それに乗るのはやめ、次の車で行くことにする。屋根上には他にも荷物が載せられ、一応ビニールシートがかけられているのだが、すっぽり覆うようにはなっていない。空は今は晴れているが、ころころ変わるから雨に降られるとあとで後悔することになる。

リュックに腰掛け次の車を待っていると、さっき乗ろうとしていた車の男が、ぼくのところにいてチケットを次の車に変更するからぼくのチケットをくれという。ここのチケットには時刻や車の指定などは書かれていないから、おかしいなと思いつつ、チケットを渡すと彼はチケット売場の窓口の方に向かっていった。

それから10分ほどしても彼がチケットを渡しに来ないので、チケット売場に行くと、窓口のおじさんたちはなんとかと言い合った後で、新しいチケットをくれた。結局、あの男は再び現れることはなかった。これだから交通機関に関わっている男は信用できん。

次の車がやってきたので、荷物を積み込み、座席を確保する。車はメルセデスベンツの大型ワゴン。後部は4人掛け5列あり、運転手も入れれば23人乗り。客はすぐに7人ほど集まったが、満席になるには2時間半ほど必要だった。

車の中で発車を待っている間、車の周りにはパンや魚の薫製、水、クッキーなどを頭に乗せた物売りの人(子ども)がやってくる。ぼくは朝飯代わりにゆで卵売りの母親から2個の卵を買う。1個0.2セディ(約20円)。頼むと殻を剥いてくれ、さらに「ぺぺ?」と聞かれ、うなづくとゆで卵にナイフを入れ、そこにトマトと唐辛子とタマネギで作ったチリソースを入れ込んでくれる。ちょうどサンドイッチのようなかたちになる。

待っている間、女の人と男の人が別々に車の入り口にやってきて何やら宗教的な説教を始める。格好は洋服。だから取り立てて神父やなんかには見えないのだが、「Bible says・・・」と言って地元の言葉でしゃべり続け、ときどき歌を挟み、最後に「エイメン(アーメン)」と言って去って言った。様子を見ている限りでは、みなわりとそれらの話を聞いている。最後の「エイメン」には多くの人が唱和していた。

10時半ごろ、ようやく発車。空は予想通り曇ってきた。

ケープコーストのまちをすぐに抜け、木々が茂る間の道を走る。起伏は少ない。

走り出して10分ほどした頃、ぼくの右前に座っていた三田頃20代後半くらいの男がおもむろに立ち上がり、突然説教を始める。例のごとく「Bible says・・・」などと言っている。彼は英語で言っているようだが、ぼくのプアイングリンシュでは理解できず。車のエンジン音に負けないように大声で怒鳴るように説教するから、彼の前の列にいた赤ん坊が泣き始める。そんなことは気にするふうもなく、説教を続ける彼。ぼくにして見れば声がでかいだけにやかましいだけなのだが、誰も彼を止めない。だが、一番前に座っていた年輩の男性は、眉をひそめた顔で彼を一瞥した。

中南米でも思ったが、自分たちを”文明化”しようとし、植民地化の先兵ともなったキリスト教をなぜ彼/彼女らは信じるのか? まったく不思議な限りだ。聖書自体に非はないと言えばそうなのだろうが。

走り出して30分ほどした頃、坂道をなんとか上りきったところで車が止まる。同時に彼の長い長い説教も終わる。彼の額には汗。

車の方はエンジントラブルらしい。運転手が車を降りてフロントの蓋を開け、エンジンを眺めている。が、何がどうなっているのかわからないよう。なんの処置もできないようで、彼は携帯電話でどこかに電話をし、何やら話をしている。携帯電話がなかった頃、こういう事態になったときはどうしていたのだろうとふと思う。

停まってから10分ほどは車内にいたが、座席が狭く体勢がきつかったため外に出る。ほとんどの客はすでに外に出て小便するなり、道路脇に座り込むなりしていた。

牛を20頭ほど連れたおじさんが、通り過ぎる。

修理もせずに何を待っているのだろうかと思いつつ、しばらく待っていたら雨が強く降り出した。いっせいに車に戻る。その後10分ほどで別の車がやってきた。どうもその車に乗り換えるらしい。

ぼくはリュックを取り出し、車を乗り換える。運転手たちは屋根上の荷物を車から車へと移し変える。そうした作業が終わった後、運転手たちは客を待たせたまましばらくカネのやりとり。様子を見ていたら、どうも車が変わることで運転手も変わるらしく、それに伴いカネも最初に乗った車の運転手の手から新しい車の運転手の手へと移るよう。おんぼろな車を持っている人はこういうリスクもあるからなかなか不利だなと思う。それにしても事前にこういう場合の利益配分を決めてはいないのかと思う。最初から決めていれば、こんなに客を待たせることもないだろうに。

結局1時間ほど、停車し、ようやく新たな車で再発車。今度の運転手はなかなか飛ばす。

景色は両サイドともに緑の平原で、ときおり集落が現れる。集落の家々は土壁にトタン屋根やコンクリート壁に椰子葺き屋根など。マリなどでよく見たまったくの土づくりの家は見ない。

ときどり燃料用なのだろう、木々の枝や細い幹を頭に乗せて歩く人々とすれ違う。

また、警察のチェックポイントがたびたびあって、そのたびに車は止まり、物売りが車の窓にワッと寄ってくる。ぼくはあるところで焼きバナナを購入。0.2セディ(約20円)。焼き上がったばかりで熱くてほくほくしていてなかなかうまい。

雨は時折ふったり、またあがったりを繰り返す。リュックは自分の座席の下にあるから安心。

道路は基本的に舗装されているのだが、ときどき舗装がはがれているところがある。

目的地のクマシには夕方4時過ぎに到着。さすがに国内第二の都市、またアシャンティ王国時代の中心地ということで、それなりに大きい。

車が止まった通りのすぐ下は巨大なトロトロターミナル。サッカーグランドが丸々収まるくらいの大きさ。これには目を見張る。車と人と物売りとでごったがえしている。

ガイドブックを見てもどこに着いたかがわからず。しかし、タクシーに乗ると損する事が多いので、とりあえず歩き出す。ちょっと歩くとお菓子の問屋街がある。きょろきょろしながら歩いていたらトラックの運転手がどこに行くのかと聞いてきたので、ホテルを探しているというと、1本向こうの通りに安い宿があるからそこに行けばいいと教えてくれる。

お菓子の問屋街を視線を感じながら通りすぎると右手に泊まる予定をしていた宿の名前が見えた。ラッキーと思いながらそのホテルの受付に行ってみると、「フル」と言われる。シングル6.5セディ(約650円)と安いからぜひここに思っていたのに・・・。受付の人に聞いて別の宿を教えてもらう。

教えてもらった方向へ行くがこれが見つからない。別のホテルを見つけたが、シングル15.5セディ(約1600円)と高い。やっと1軒教えてもらった宿を発見したが、これも満室。車を降りてから、すでに1時間近くふらついていたの
で、安宿はあきらめさっきの高めの宿に泊まることにする。探している間は、例のごとく若い男等がチャイナだチュンチョンチャンだのとあれこれと声をかけてくる。まったくうっとうしい。どこに行っても中国人をまちで見かけることがないのは、こういううっとうしい奴らに絡まれないためじゃないかとさえ思う。

宿の近くに行くと数人でおしゃべりしていた男のひとりが「コンニハ」と声をかけてくる。

宿は高いだけあって部屋は広く、テレビ付き。だが、トイレは共同だし、水道からは水がでない。扇風機は他の宿と同じように5段階になっているものの調節できず、最強かゼロかでしか使えない。セネガルのダカールの宿といい、ここといい中途半端に高い宿ほどひどい。

荷物を置いてからまちを見に行く。その前に宿の前の路上の店で腹ごしらえ。白米に例のごとくのカレー汁、肉のかけらとスパゲッティの麺、それに少量の生野菜、1セディ(約100円)ぶん。ほんとにどこに行っても屋台料理は同じメニューだ。

まずは車を降りたところまで戻り、ターミナルの写真を撮る。途中、通った通りは電気屋街のようになっていて、携帯電話をはじめパソコンや大型家電の店がずらずら並んでいる。デジカメやiPodを売る店もあり。

それからターミナルまで階段で降りる。ターミナルは建物などはなく、バス停のように行き先ごとに屋根付きの乗り場がずらずらと並んでいるだけ。行き先の名前を書いた標識があるので、それを信じるならばあまり迷わずに目的の車にたどり着けるようになっている。路面にはビニールゴミが散乱している。

行こうかと思っていた北のまちの名前を探すが、見あたらない。

ターミナルは半分マーケットのようになっていて実際、並んでいる店を伝っていくと市場まで連なっている。

人とモノでごったがえす市場の道は、二人がすれ違うのもやっとというくらい。他と同じようにパッケージに漢字が書かれた商品が目に付く。服や文具、アイス、ジュース、野菜(キャベツ、人参、米ナス、ヤム芋、ヤマト芋、トマト、唐辛子などなど)、魚(薫製、生)、肉、椰子、パパイヤ、マンゴー、数種類のバナナ、みかん(夏みかん系)、穀類など日常生活に必要なものは一通りそろう。

使われていない線路内にも露店が立ち並ぶ。

適当にふらついて宿に戻る。

さっき通ったときは店が開いていて賑やかだった通りが、もう一度通ってみるとことごとく閉まっていた。時計を見ると18時前。19時まで開いていると看板にあったネットカフェに入ると、入り口近くの受付にいた若い女性は「close」と一言。やはり看板は当てにならない。ネット屋は他に3軒ほど見かけたが、17時を過ぎたからか他の店とともに一斉に閉まってしまったようだった。

しょうがないので宿に戻る。宿の前の露店でバナナを買う。買っていると若い男が近づいてきて、ジャパニーズかと聞いた後でちょっと来いというようなことを言うので、どうせまた何かを売りつけようというのだろうと思い、無視。

宿に戻ったモノの、なんだか空腹感があるので、晩飯を食いに外にでる。適当な道ばたにあった露店で食事。ここも同じ白米にカレー汁、肉の唐揚げ、スパゲッティの麺。米は炊き方がよく、ベナンやトーゴよりもうまい。香りはタイ米の香り。

暗くなって後は宿にいる。シャワーを浴びようと思ったが、水がでない。でかいポリバケツに水が蓄えられていたが、汚れてはいなかったもののいつ汲んだものかわからないので使う気になれず。

夜中、テレビでオリンピックのサッカーの試合をしていたので見る。ブラジル対カメルーン。カメルーンの選手はとにかく動きが早い。両方とも得点が取れないまま延長戦に突入し、延長戦の前半にブラジルが2得点して勝った。自分が行ったことのある国が増えたので、オリンピックもこれまでとはちょっと違って見える。ジャマイカンの100mの強さはずば抜けている(ジャマイカ航空の機内誌によると16歳だったかの10代最速男の記録は10秒2ほどだった)。水泳競技に出ている選手には黒人は少ない。出場国でいえば、アフリカは元イギリス植民地の国は多いが、フランス植民地だった国は少ない。また赤道直下のアジア、中南米の国もまた少ない。

陸上長距離ではケニヤ、エチオピアの選手が速い。選手を育成するシステムが整っているのか?

それにしてもやり投げや円盤投げなんていう世界中でやったことがある人はそれぞれ1万人もいないだろう(想像だけど)という競技がオリンピック競技になっているのが不思議だ。

Fin

0 件のコメント: