2008年12月30日火曜日

[diary]ムタレからハラレへ移動

ムタレからハラレへ移動

08/09/07(日) 晴れ:日中20℃台後半

[Mutare→Harare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル(旧では2.3trillion)
銀行:1米ドル=42.7新Zドル

・同室のおじさんのはなし
・ハラレへ行くバスの中で
・ハラレ着

6時過ぎに起床。7時前には同じ部屋の他の2人も目を覚ます。

荷造りしているときにもう一人の日本人とジンバブエ人とがしゃべっていたのは、ジンバブエ人の身の上話。彼はハラレに近いあるまちで生まれ育ち、彼の両親は今でもそこに住んでいるという。しかし、年を取ったために何もできず、彼がいろいろと面倒を見ているらしい。しかし、その彼は目の病気を患っているらしく、医者には治療せずにこのまま放置していれば失明するだろうと言われているという。経済危機以前は国から治療費が支給されていたが、その治療費は国際赤十字など外国からの支援でまかなわれていたため、ムガベ大統領が他国からの支援を断って以後、今も治療費はもらっていないらしい。民間の医者にかかって治療する手もあるが、治療に使う道具(特殊な眼球用のガラスなど)を買うためには相当な米ドルが必要らしく、とても払えないとのことだった。いつもはハッピーなのだが、ふと目のことを考えると落ち込むのだと彼は言う。そして、この経済危機はProblemだと言う。

日本人の彼が、経済危機だと言うけれど、まちなかのファストフード店にはけっこう人が入っていた。とても高い(500円以上する)のに、なぜ買えるのだ? と聞いたところ、彼はあれはジンバブエ人じゃなく、ナイジェリアやコンゴ、モザンビークから来た人たちで、それもこの近くにあるダイアモンド鉱山で働いている人たちだからカネを持っているのだと説明する。また中国人もこの辺りには住んでいて、彼らもしばしばファストフード店を使っているという。

宿代をエマに払う。1泊5米ドルを2泊分。

7時半に宿をでる。歩いてバス乗り場まで行く。20分ほどで到着。朝だからということなのか、昨日闇で買った物と同じ砂糖を道ばたで売っている人を何人か見る。

バス乗り場に行くと何台かマイクロバスが止まっていた。歩いていくと運転手らしき人が声をかけてきて、どこに行くのだと聞いてくる。ハラレに行くと伝えると、バスを案内してくれる。日産のマイクロバスで見た目はわりと新しい。

大きな荷物を持っている人はあまり乗せないのか、屋根の上などに荷台はない。リュックはどこに置くのだろうと思っていたら、助手席を案内され、そこに荷物と一緒に座るように言われる。

荷物を置いた後、車外でしばらく待つ。バス乗り場には物売りの人がいたので、朝飯代わりにパンを買う。300ジンバブエドル(約120円)。

パンをかじりながら外で待っていたら若い細身の男がぼくを見つけ、珍しいものに巡り会って嬉しいというような笑顔で寄ってくる。どこから来たのかというので、日本からと言うと中国人より日本人の方が好きだというようなことを言う。理由はよくわからないが、ムガベ政府を中国が支援しているからかもしれない。

パンをかじりながら彼と話していたのだが、彼がそのパンはいくらしたのかと聞いてくる。300ジンバブエドルと言うと、ふ~んという反応。パンをかけらあげる。

するとそれに味を占めたのかタバコを1本買ってくれと言い出す。試しに買ってやるとタバコ1本(1箱ではない)が20ジンバブエドルだった。

1時間近く待ったところでバスが発車しそうだったので、バスに乗り込む。だが、この移動は乗り場内での位置を変えるだけのものだった。20mくらいずれたところでまた止まる。

結局バスが出たのは10時半前。何も早く宿を出てくる必要はなかった。例のごとくまずガソリンスタンドに行き、給油する。それから本格的に走り出す。

登りの坂道は時速10km程度。やっぱり馬力がない。30分ほど走ったら警察の検問があり、10分ほど停車。モザンビークのように乗客が特に調べられるということはなかった。検問のところには、止められる車を狙ってオレンジやバナナを売る人たちが2~3人いた。少年からオレンジを1個買う。20ジンバブエドル(約10円)。

山がちな道をバスは走る。道は舗装された道。曲がりくねりも少ない。こちらも冬枯れ(乾季枯れ)の景色で、山の木々はほとんどが葉を落としている。予想していたよりも沿道に集落は少なく、ほんのたまにしか人が集まって住んでいるところは見ない。広大な畑も見ることがない。乾季で作物を作っていないのか、それとも例の土地改革の影響で放置されたままになっているため草原になってしまったのか?

焼き畑のためか斜面が焼かれて黒くなっているところはしばしば見る。実際に火がもうもうと燃え上がっているところもあった。

たまに見る民家は円形の土壁と藁葺き屋根のものが多い。トタン屋根などはあまり見ない。そうした集落前を通るときには炭を売っているのをしばしば見る。その他、交差点やその地域のバス乗り場になっているところでは野菜や果物を売っているのをしばしば見る。果物ではりんごをよく売っているのだが、りんごがジンバブエで取れるとは思えない。たぶん南アフリカからの輸入品だろう。沿道で見たのは他にじゃがいも、蜂蜜。

警察による検問は多かった。ハラレまで5~6回はあった。

ぼくの右となりに座った男は、このバスの持ち主らしく運転手や客引き担当の男にたまにあれこれと指示をしている。彼はぼくにどこから来たのだと聞いてくる。日本からだというと、このバスは日本の中古車だと教えてくれる。いくらしたのかと聞いたところ10000米ドルもしたという。ぼくは10万円(1000米ドル)くらいかと予想していたので、けっこう高いのには驚いた。また、彼がそれだけのカネを調達できたということにも驚く。

空は晴れているが、それほど暑くはない。

ハラレまでは4時間程度と聞いていたが、4時間たってもハラレは見えてこない。モザンビークではわりとよく見た主要なまちまでの距離を書いた看板もほとんど見ないので、あとどれくらいかかるのかもわからない。

2カ所ほどで大規模なビニールハウス施設を見る。中で何を作っているかは見えず。

また、ハラレに近いあるまちには沿道にゴルフ場があり、そこでゴルフをしている男たちを見る。

結局、ハラレには3時半ごろ到着。ムタレから5時間ほどかかった。バスの運転手に言ってロードポートという国際バスのターミナル近くで降ろしてもらう。

降ろしてもらったところはロードポートがある通りの1本南の通りで人気がなかったのだが、歩いていた男の人にロードポートの場所を聞くと、同じ方向だからと案内してくれた。

ロードポートのまわりには人がぎょうさんいた。敷地を囲っている柵の外側に座り込んでいる人も多く、何をしているのかと不思議に思う。タクシーも20台くらいあたりに止まっていて、さっそく声をかけてくる。

まずはロードポートでザンビアのルサカ行きのバスをチェック。バスは毎日あるという。運賃を尋ねると手持ちのジンバブエドルでは足りなかったので、明日にでもまた来ることにして宿探しに移る。

予定していた宿までは地図を見る限りでは、1本道を歩いていけば着くところにあり、距離も1kmもないくらいだった。だが、その1本道では過去しばしば日本人旅行者が物盗りに遭っているらしいことをネットで調べて知っていた。選挙が終わったとは言え、いまいちハラレの状況がわからないので、逡巡したあげく、タクシーを使うことにする。

運賃は1000ジンバブエドル(約400円)。めちゃくちゃ高いのだが、宿探しで歩いているうちに日が暮れると面倒だし、タクシーも仕事がなかろうと思い、気のよさそうな運転手を選び乗る。

乗ってからその運転手にハラレは危険だと聞いたが本当かと尋ねてみると、今はそうでもないとのこと。選挙が終わったので一時よりは落ち着いているし、ヴァイオレンスは郊外で起こっており、まちなかではあまりないとのこと。

宿には10分くらいで着いたが、おじさんは着いてからもジンバブエの現状をずっとしゃべっていた。

さて、日本人がしばしば泊まるという予定していた宿に行ってみるとまったく予定外のことが起こっていた。外国人が一律米ドル払いになっているのは許せるとしても、その値段が一番安くて15米ドルになっているのには驚く。ムタレの宿は5米ドルだったのに。

受付の人に安いところはないかと聞くと、隣に行って見ろと言われる。隣の宿に行き、受付に張られていた料金表を見るとシングルが1泊3000ジンバブエドルだった。ここはジンバブエドル払い。まだ新しい宿で台所もトイレもきれい。だが、そのシングルは満室。3500ジンバブエドルのダブルしかないという。ちょっとでも安く済ませたかったので、またこの宿の人に安いところはないかと聞くと、斜め向かいのところに行って見ろと言われる。

言われた宿に行ってみるとシングルが1泊3000ジンバブエドルでしかも空きがあった。ここに決める。ジンバブエドルがもうなくなっていたので明日両替して払うと受付の女性に言ったところ、両替してあげるからいくら両替したいのだと聞いてくる。なので20米ドル札を出して両替を頼む。彼女はホテルの玄関の方にいた男性を呼び、20米ドル札を彼に渡して両替してくるよう頼む。彼はぼくにあなたのレートはいくらかと尋ねてくる。タクシーの運転手に聞いたとき今は1米ドルが300ジンバブエドルと言っていたので、ちょっとかまをかけて1米ドル=400ジンバブエドルと言う。すると顔をしかめ、今は300ジンバブエドルだというので、それで損はないかと思い、頼む。

彼はそこで待っておけと言ってからホテルを出ていった。10分くらいで戻ってくるかと思っていたのだが、結局30分以上待つことになった。戻ってきた彼からカネを受け取ると確かに1米ドル=300ジンバブエドルで両替されている。ムタレでは1米ドル=230ジンバブエドルだったからだいぶ良い。

部屋に荷物を置いた後で、腹が減ったので飯を食いにいく。ムタレ同様、屋台などはまったくないので、適当にふらつきながら探す。宿近くの道ばたでオレンジを売っている女性がいたので、その人に飯が食えるところはないか尋ねるとそこの角にあるからと教えてくれる。

その店にはテレビでサッカーを観戦している客が多数いた。店の人に何か食べたいのだがと言うと、魚などがついた定食のようなものが1000ジンバブエドル(約330円)だと言われる。高いけど首都だし、レストランだからしょうがないかと思い、それを頼む。

すぐに料理は出てくる。魚を一匹あげたものとトマト味のスープ、サラダと白米。米はタイ米のよう。魚は泥臭い。スープの味はいい。米も炊き加減はちょうどいいし、量も多い。

腹が膨れたところで飲み物がほしくなったので、飲み物を探しに歩く。まちの中心部に行けばスーパーでもあるかと思ったが、日曜ということでか店はほとんど開いていない。加えて歩いている人もほとんどいない。ファストフード店は開いていたが、水はなかった。

それからガソリンスタンドに併設されていたコンビニに行く。そこで2リットルの水を発見。値段は1000ジンバブエドル(約330円)。他の国なら100~200円で買えるのでやっぱり高い。が、ジュースはもっと高いし、他に選択肢はないのでそれで手を打つ。

道路を挟んでガソリンスタンドの向かいにはHoliday Innという豪華なホテルがあり、その前の通りにはきれい整備された芝生があった。そこに一人の男の子がいて、通りがかりの若い女性2人に唾を垂らそうとしたりして嫌がらせをしている。服は伸びきってぼろぼろ、靴もスリッパも履いていない。格好からストリートチルドレンであろう事がわかる。

暗くなってきたので宿に戻る。歩いていたら向かいから来た女性が"Hello"と挨拶をしてくる。彼女の背にはまだ1歳くらいの子どもがいた。Helloと応えると、彼女は続けてか細い声でなにやら言う。声が小さかったのでなんと言ったのかわからず、聞き返すと彼女は”Help me・・・”と言う。語尾は弱々しくて聞き取れず。

身なりはわりときれいだったので、そんなことを言うとは思わずちょっと驚く。財布から買い物ではほとんど使えない少額のお札を取り出し彼女に渡すと、丁寧に受け取り礼を言った。

宿に戻ってからは部屋で過ごす。暑くもなく寒くもなく、蚊もいない。シャワーを浴びようと思ったら、ポトポトとしか水が出ないので諦める。便所はうまく流れていない。

Fin

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