2008年12月30日火曜日

[diary]ジンバブエ入国、ムタレのまち

ジンバブエ入国、ムタレのまち

08/09/05(金) 晴 日中28℃くらい
[Chimoio:Mozambique→Mutare:Zimbabwe]

・ジンバブエ入国
・ジンバブエの物価

シモイオの宿Pink Papaya。
日が昇ってから目が覚める。時間は6時過ぎ。夜は布団をかぶっていないと寒かったが、朝は半袖でも大丈夫。ベッドを覆っている蚊帳をくぐって、ベッドから出る。2段ベッドが3つあるこの部屋には、今朝はぼく一人。宿泊客自体は他にイングランド人カップルがいるだけ。

台所に行って電気ポットのスイッチを入れる。アフリカやアメリカ大陸で使われている電気ポットは日本で一般的なものとは違って、蜷局(とぐろ)を巻いた金属の棒がポットの水を溜める空洞の中心あたりに固定されており、それを電気で加熱することで棒の周りの水を沸かす仕組みになっている。効率が悪そうなのだが、これが意外と早く沸く。

無料のティーバッグを一つ、コップの中に入れ、朝の一杯。

さて、ジンバブエ行きの準備をしないといけない。部屋の中は暗いので、バルコニーのテーブルを使って宿においてあったガイドブックから今日行くムタレの市内地図を書き写す。その地図に宿をいくつか書き込み、またこの宿にあった情報ノート(英語・ドイツ語)から宿情報をもらう。宿主の話ではジンバブエの宿はこの経済危機で観光客が減り、閉鎖している宿も多いとのことだった。情報ノートにあったのは今年5月時点での宿情報だから使える。ただ、その宿は正式な宿ではなく、無認可の宿とあるのが、気になるところ。

それから荷造りをする。

8時になって、ここで雇われている若い男性が出勤。彼が国境の情報などを持っているというので、待っていた。彼に聞くとここから国境までは、鉄道駅前のバス乗り場からバスに乗れ、運賃は65メティで、所要時間は最大2時間。ジンバブエの通貨への両替は国境でできるが、モザンビーク側でやるべき。ジンバブエ側は銀行で両替できるがレートが非常に悪い。モザンビーク側に闇両替(と言ってもみんな札束を握ってあからさまにやっているが)があるからそこで両替すると良いとのことだった。

宿の2泊ぶんの代金540メティ(1泊270メティ=約1200円:ドミ)を払い、ドイツはフライブルク出身の宿主と彼にさよならを告げ、宿を出る。

昨日は朝から雨だったが、今日はうって変わっての快晴。荷物を背負ってなければ涼しいくらいなのだが、歩いているとすぐに汗が出ている。まぁ、冬用の長袖シャツを上に着ていることもあるけど。

8時半頃。
10分程度歩いてバス乗り場に到着。バス乗り場と言っても車道の脇とか小さなロータリーのまわりにバス(大型ワゴンとマイクロバス)が停まっているだけで、どれがどこ行きのバスかはよくわからない。歩いていると声をかけられたので、彼に国境のマチパンダに行きたいとポルトガル語で言ったらバスを案内してくれた。

すでに半分以上座席が埋まっていたので出発は早そう。リュックは屋根の上にあげてもらう。

ジンバブエでは食糧難も起きつつあるとニュースで見たので、待っている間にバナナを2kgぶんほどとペットボトルの水500mlを買う。バナナも水もそれぞれ15メティ(約70円)。水は5リットルの大きいのを買おうかとも考えたのだが、宿探しの時邪魔になりそうなので、当面必要なぶんだけ購入。

9時前。
座席が埋まったところでバスは発車。マイクロバスだからワゴンのように窮屈ではない。快適だ。日本語の文字は書かれていないが、これもおそらく日本からの中古車。

バスは運転手と客ひき&集金担当の二人体制。

中心部を出ると軍の施設があって、塀際には独立戦争時にでも使ったのか、本物の古い戦車が置かれていた。

看板には国境のマチパンダまで83kmとある。

バスは途中で乗客を降ろしながら、乗せながら走る。道路は舗装された片道1車線の道。沿道には集落が並ぶ。

集落の家々は、基本的に土壁あるいはコンクリート壁に藁葺き屋根。トタンはあまり普及していない。感覚的には1割程度。ある集落では、家の敷地の周りに背丈の低い樹木を植え、生け垣を作っていた。

左にも右にも山並みが見える。標高は1000m程度だろうか。景色を見ていてなんだかしっくりくるのは日本と同じように山が近いからかもしれない。ただ、山も平原の草木も冬枯れ(乾季枯れ?)していて、葉を落としているのがほとんど。日本でいえば冬景色のよう。

走り出して30分ほどすると警察の検問。警官が一人乗り込んできて乗客に身分証明書の提示を求めてくる。パスポートを出すと中は確認せず、持っているのを確認したのみ。この後、国境まで同じような検問が3度ほどある。

走り出してから客ひき&集金担当の男性が運賃を集め始める。ここで65メティ払う。集金は男性が車内を移動しながら行うのではなく、客の手渡しで彼に届けるスタイル。アフリカではこのスタイルが多い。

燃料として使うのだろう、2mくらいある木々(直径15cmくらいの丸太含む)を頭に乗せて歩く女性たちを見る。たいていどこでもそうだが、この薪運びは女性や少女、子どもたちがやっている。中南米ではロバや馬による馬車が荷運びに使われていたが、そうしたものを見る機会がアフリカでは非常に少ない。国境までの2時間で見た荷運びの道具は、牛車が2台ほどとトラクター2台のみ。馬車はない。人力車も見ない。自転車は少ないけれど使われているから車輪は手に入ると思うのだが、荷車を使う文化がないのか、車輪自体を買うのが大変なのか、荷車をあまり見ない。例えば集落や近所の数軒で1台でも2台でも荷車を所有すれば、水運びや薪運びはずいぶん楽になると思うのだが。ただここは急ではないけど起伏がそれなりにあるから、その点は大量に運ぼうとすれば頭で運ぶより面倒になるかもしれない。

沿道には植林されているところもあり、木を切り倒した後なのだろう、切り株の周りで一休みしている男たちを見る。

いくつか市が出ていてにぎやかな集落の前を通り、1時間半ほどでManicaというまちに着く。ここは国境へ行く道とモザンビークの北部に行く道が交差する場所。そのためかシモイオよりも活気がある。道ばたに露店が並び大勢の人が売り買いしている。

バスがその露店街というかただの道ばたのバス乗り場に停車すると、客のほとんどが降りてしまう。バスには札束を持った男たちが数人近寄ってきて、ジンバブエのお金に両替しないかと声をかけてくる。

ぼくの左隣に座っていた男性が一人の両替商の男性に英語でレートを聞くが、両替はせず。彼に今のジンバブエドルのレートを聞いてみると、彼は今のレートはわからないという。とりあえず国境で両替するというので、ぼくもここで両替はせずに国境まで待つことにする。

国境ももうすぐという頃になって、なぜか集金担当の男性が声をかけてきて、屋根の上を指さし、荷物代を請求してくる。運賃を回収したときにその請求がなかったから、てっきりないものだと思っていたのだが、今頃やってきた。荷物代は20メティ(約80円)。

そこからさらに30分ほど、客を乗せたり降ろしたりしながらバスは走る。徐々に平野が少なくなり、山がより近くなる。

マチパンダに入る。道路がやや高いところにあるから、周りを見渡すことができるのだが、見渡したところ家が200~300軒ある。予想していたよりもここらに暮らしている人は多そう。

11時頃。
やがて前方にトラックの行列が見え、国境がすぐそこだとわかる。

バスは道路脇の駐車場に停まる。バスを降りるとさっそく両替商のおじさんが寄ってくる。それからムタレまでタクシーで行かないかと言ってくるおじさんもあり。

リュックを受け取ってから、そこで両替する。まずは10米ドルぶんの250メティを両替すると1000ジンバブエドルになる。2日前にネットでレートを調べたときは1米ドル=42.72ジンバブエドルだった。だから500ジンバブエドルもらえればいいかと予想していたが、どうもネットに載っていたのは公定レートだったよう。ただ、このレートがいいのか悪いのかはわからない。ただ、このおじさんは両替商に多い偉そうな態度でもなかったので、ここでモザンビークのお金はすべて両替することにする。

さらに600メティほど両替して3000ちょっとのジンバブエドルになる。

両脇に停まっているトラックの行列の間を歩き、国境まで行く。警備はわりとゆるい。

まずはモザンビーク側で出国手続き。建物内のイミグレの窓口でパスポートを出すと質問も何もなく、出国スタンプを押してくれる。建物を出た後にもう一度チェックがあり、若い男性の係官にパスポートを見せる。すると彼は、「ジャポン」と言って出国スタンプを確認。それから日本は英語なのかと同僚の男性に尋ね、彼が日本語だと答えると、ぼくに人差し指を立てて見せ、これは日本語で何というのだと英語で聞いてくる。1(いち)と言うか、指と言うか迷うが、指だと教える。それを聞くと彼は「ユビ?」と聞き返し、今度は自分の頭を指さしヘッドはなんと言うのかと聞いてくるので「あたま」と教える。彼は同僚らに「ムイト ディファレンテ(ポルトガル語・英語とぜんぜん違う)」と笑顔で言う。

それでチェックは終了。手を振って彼とお別れ。

それから小さな橋を渡り200mほど歩くとジンバブエ側の入国手続きをする建物がある。ジンバブエに入る人、ジンバブエから出る人は多いが、白人、アジア人は見ない。

イミグレの入っている建物内に入ると壁に通貨レートを示す電光掲示板があった。1米ドルは42.7ジンバブエドル。

窓口でビザの申請書をもらい、それを記入する。記入しているとおじさんが寄ってきて手伝おうかと申し出てくれる。2カ所ほど尋ねる。彼は未記入の部分を代筆してくれようとするが、その中には持ち金の申告部分もあったので、それは断りおじさんが去ってから自分で書き込む。

パスポートと申請書を持って窓口に提出。するとビザ代を請求されるが、このときThirty米ドルをTwenty米ドルと聞き間違える。財布に30米ドルちょうどの札はあったのだが、50米ドル札を崩したかったので50米ドル札を出すと窓口の女性は渋い顔をして、引き出しを探した後、周り人に小さな米ドル札がないか聞いてまわる。結局、釣りがないと言われ、外に銀行があるからそこで両替するように言われる。

それで銀行の窓口に言ったものの小さいのはないと言われる。

しょうがないので虎の子の20米ドル札と10米ドル札を使うことにする。さっきは窓口に並んでいる人は少なかったのだが、いつの間にか10人近く並んでいた。さっきの女性がいないため彼女が現れるのを待つ。

隣の窓口で男性が入国手続きをしているのだが、割り込みする男多し。女性はけっこう並んで自分の順番を待っているのだが、並んでいる横から窓口の男性にパスポートを差し出す者がいて、また窓口の人もそれを受け取るから不思議なものだ。並んでいる人からすればいらいらする。実際、文句を言っている女性もいた。ここで白人の5~6人のグループが来る。先頭の女性は15人ぶんくらいのパスポートを持っている。何かのツアーなのだろう。

やっとさっきの女性が窓口に戻ってくる。それで30米ドルを渡すと処理に入る。ビザシールが最後の1枚だったのはラッキー。これでビザシールが切れていたらまた時間がかかるところだった。

特に質問もなく、パスポートを受け取って入国手続きは終了。大きな荷物を持っている人は税関審査を受けていたが、ぼくはそれを横目に颯爽と国境を抜けようとしたところ、服が砂で汚れたおじさんが荷物のチェックを受けないといけないと言ってくる。

それで小さな紙はあるかと言うので、なんのためなのかわからなかったが、さっきパスポートを受け取ったときに挟まれていた紙を見せると、Customとある部分に判子をもらわないといけないと言って、それを渡せば自分がもらってきてやると言う。信頼できるのかわからなかったので、その申し出は断り、自分で荷物のチェックをしている制服を来ている係官にどこでスタンプをもらえるか聞くと、彼は何も言わずにポンとスタンプを押す。

これで抜けられるかと思ったら、さっきのおじさんがやってきて、今度はこれをあそこにいる係官に見せなければならないと言う。それでその係官に見せるとさらさらっとサインをしてくれる。これでやっと抜けられるらしい。

ゲートのところで徒歩入国の人たちをチェックしている女性にこの紙を見せると、紙は回収され、通してくれる。なんとも面倒な仕組みだ。ビザの申請から数えると最低4人からチェックを受けることになる。

ゲートを出るとすぐにタクシーの運転手が寄ってくる。ムタレまでいくらかと聞くと500ジンバブエドルと言う。さっきの計算だと5米ドルぶんになる。それはちと高いと思い、一人目はパス。

次によってきたおじさんは、あと一人で出ると言う。値段を聞くと「フォーティ」と言う。さっきのおじさんより1桁安いから、ガーナのように下数桁を略した古い言い方ではあるまいなと思ったので、念のため乗っている客に運賃を聞き、fortyだよねと確認するとその女性は首を振り「Four Trillion」と言う。えっ? 

Trillionなんて実際に聞くのは初めてだぞと思いながら、頭の中で計算を始める。この8月に100億分の1にデノミをしたというから4trillionは400新ジンバブエドル。ってことは最初のおじさんより100安いだけ。でも、安い方がいい。

ただ問題はどう見てもタクシーである乗用車の座席はすべて埋まっているということ。加えておじさんはぼくの荷物を屋根に乗せただけで、固定もせずにこれでオッケーとか言っているので、いやいや落ちるじゃろとは言わずに、It's not safeとぼくは言って自分でリュックを降ろす。するとおじさんは後部のドアを開け、後ろのトランクに入れる。最初からそうしろよな。

それから運転手のおじさんは助手席のドアを開け、すでに乗っていた女性に奥に詰めるように言う。彼女はぼくを見て「Do you sit here?」と聞いてくる。顔は笑っていたので、拒否されているわけではなさそうなので、プリーズと言って彼女の横に乗り込む。

車の内装ははがれ、ドアの内側ボードもなく、フロントガラスには大きなひび割れがある。エンジンはなかなかかからない。おじさんはいったん外に出て、ちょっと車を前に押す。下り坂だからすぐにゆったりと前方に進み出し、その力を利用してエンジンをかける。

山道を車は走る。坂道になると時速15kmほどまで落ちる。隣の女性はこれからハラレまで行くという。彼女はぼくにどこから来たのかと尋ねてくる。

その後、彼女は運転手のおじさんとおしゃべり。使っている言葉は英語ではない。ショナ語か何かの言葉のよう。

二人のおしゃべりが終わらないうちにタクシーはムタレの中心部に入る。広い通りを横切ったところで停まる。国境からは30分もかかっていない。

タクシーを降りて運賃を払う。降りたところは長距離のバス乗り場にもなっており、おんぼろな大型バスが数台停まっている。周りに3人ほど、バスの客引きが集まってくる。今日はここに泊まると言うと、どこに行くのだというので宿のある4th streetに行きたいと言うと道をおおざっぱに教えてくれる。

メインストリートであるとおりには通り名を書いた看板があったので、自分がHerbert Chieepo通り沿いにいることはわかったのだが、交差している小さい道の名前がわからないために全体のどのあたりかがわからない。道路名を示す看板はモザンビークの方がよく整備されている。とりあえず教えてもらった方向に歩く。

Herbert Chieepo通りには商店が並び、銀行が並んでいる。トヨタのショールームもあり。歩いている人たちも多い。歩道では新聞を売る人、飴玉を売る人、パンを売り歩いている人などがいる。野菜の小さな市場も見える。歩道の整備具合も店舗の状態もモザンビークよりずっといい。

どの銀行にも長蛇の列ができている。数軒ある大型スーパーには1軒をのぞきほとんど品物がない。服屋や薬屋などには商品はそこそこある。物のなさはキューバ並というところ。

目安にしていた宿近くの通りまで来て、もう一度人に尋ねる。それから教会の前を歩いていると、教会の中から声をかけてきて、わざわざ中から出てきて「助けが必要そうだったから」と言って何か手伝うことはないかと尋ねてくる。それで宿の住所を見せ道順を聞くと、その男性は道を歩いていた人に尋ねる。連れていこうかと言ってくれる。人気があまりない地帯に来ていたので、やや治安の心配があったがここからそんなに遠くないというので、自分で行くことにする。

そこからさらに100m歩いたところで宿を発見。閉鎖していなければいいがと思いつつ、呼び出しベルをならす。10代後半くらいの男性が出てきたので、部屋はあるかと聞くとあるという。ほっと安心。

今回の宿も大きな家の何部屋かを客室として使っているいわば民宿タイプの宿。ヨハネスやシモイオで泊まった宿も同じタイプの宿だったが、どちらも宿主はヨーロッパ人だった。一方、ここは地元の家族がやっているようで、彼は部屋を案内した後、ママだと言って宿主の女性を紹介してくれる。彼女のそばには2歳くらいのかわいい女の子がいた。

宿帳に記入し、荷物を部屋に置く。宿代は1泊5米ドル。久々の5ドルの宿。ボリビア以来か? 部屋も台所もトイレもシャワー室もきれいなので5米ドルじゃ安いくらい。

宿帳を見ると旅行客が急減していることが一目瞭然。宿帳には2007年と2008年ぶんの旅行客の名前があったのだが、2007年は1年間で約100人の客がいて、毎月数人ずついたのに2008年に入って以降ぼくを含め客は18人。この調子で行けば去年の半分以下は決定的だ。ちなみに旅行客はアメリカ、イギリス、オーストラリアからが目立つ。韓国人、日本人も数名あり。

まちに出る。飴玉をなめながら下校している制服を着た女の子とすれ違う。

さっきも通ってきた道を中心に見て回る。絵はがきを探したが、白黒や画質の悪いものしかなかった。

「The Herald」という新聞を買う。250ジンバブエドル。公定レートだと1米ドルが約42ジンバブエドルなので、新聞が6米ドルという計算になる。国境の両替で行っても円で言うと250円相当になる。国境では最初に10米ドルぶん両替して確かに1000ジンバブエドルになったのだが、記憶違いかなどとあまりの新聞の高さにだんだん混乱してくる。

闇両替のレートを知りたいところだが、取り締まりが厳しいと聞いていたとおり、歩いていて両替をしないかと声をかけてくる人はいない。

スーパーに行ってみるとあるスーパーは14本ほどある棚のうち商品が並んでいるのは12本だけ。肉も売っていたが600gくらいが1500ジンバブエドルとぼくにとっても高いくらい。

パンやファストフード店などを見て回っても食べ物の基本的な売価の単位は300ジンバブエドル以上。

昼飯を食いに食堂に入る。450ジンバブエドルのSadza&Vegetableを頼む。サザはトウモロコシの粉を練って突いて作ったそばがきみたいなもの。ジンバブエの主食だ。ベジタブルはいろんな野菜がでてくるかと思ったら、ブロッコリーの葉の炒め物だけ。ちとがっかり。サザは盛りだくさん。トウキビの味がしてなかなかうまい。

それから帰り道に野菜を売っている小さな市に立ち寄る。以下を購入。
じゃがいも2kg(7~10個)ほどが200ジンバブエドル。
人参1kgほどが150ジンバブエドル。人参はせいぜい人の指ほどの大きさしかないほど小さい。
レンズ豆(?)500gが300ジンバブエドル、
バナナ2kg(10本)ほどが400ジンバブエドル、
タマネギ2kg(10玉)ほどが300ジンバブエドル。

宿のママが食料が高くて買えないと言っていたが、ぼくも公定レートで両替していれば、とても買える値段ではない。野菜の類はけっこうあるじゃんと思うくらいそれなりにあるが、人口規模を考えれば少ないだ老。輸入されているだろうりんごもあった。

他売られていた野菜・果物はブロッコリー、キャベツ(これはでかい)、リンゴ、パパイヤ、洋なし、柑橘類3種ほど、レモン、キャッサバ、インゲン、グリーンピースなど。

ネット屋を探すが、最初にまわった2軒はダウンしてるということで使えず。立派なホテルのHoliday Innにはあるかと思っていくがここにはなく、ただフロントのおじさんが2軒場所を教えてくれる。1軒は見つけられず、もう1軒は発見し使える。10分80ジンバブエドル。

スピードも速く写真のアップロードができたので、ここでアップする。しめて670ジンバブエドル。高い!

17時半頃、明るいうちに宿に帰る。

宿には昼間いなかったこの家の子どもたちが帰ってきていた。結局ここには男の子1人と女の子3人がいるよう。女の子の一人は16歳と言っていて、もう一人も同じくらい。

テレビの部屋で新聞を見ていたら、テレビを見るかと女の子が聞いてくるのでニュースにチャンネルを合わせてもらうが、ジンバブエのニュースはこの時間はやっていなかった。ちょっと席を離れた間にチャンネルは変えられていて、スパイダーマンになっていた。ママと女の子3人と一緒に見る。一番ちっちゃいこはみんなに合わせてケラケラわらったり、声を上げたりする。

その後、買ってきた野菜でスープを作る。この家の食事も同じ台所で作っていて、女の子の一人が調理をしていた。サザと豆を塩辛く煮たもの、それからブロッコリーの葉の炒め物が今日のメニューらしい。

シャワーはお湯がでた。

夜はけっこう冷えるので布団をきちんとかぶって寝るのであった。

Fin

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