2008年12月30日火曜日

[diary]ムタレでのんびり

ムタレでのんびり

08/09/06(土) 晴れ
[Mutare:Zimbabwe]
※レート(ジンバブエドルはZドルと表記)
闇:1米ドル=230新Zドル
銀行:1米ドル=42.7新Zドル

・砂糖を買いに

今日は休息日。当初の予定ではムタレに1泊だけしてハラレに向かう予定だったが、宿代が5米ドルと安かったので今日も泊まることにした。

11時頃まで部屋で過ごし、朝食も兼ねた昼飯を食いに外に出る。宿を出る前に宿主のエマに昨日なくなったと言っていた砂糖をまだ買っていないのか尋ねると、まだ買っていなかったようなので、砂糖をプレゼントすることにする。ついでにパンもないというので、パンも買うことにする。どこで買ったらいいかと尋ねると道ばたのブラックマーケットでと言われる。

今日もなかなかさわやかな天気。

今日もトヨタムタレのショールーム前には隣の銀行からカネを降ろそうとする人が長蛇の列を作っている。

土曜日ということで昨日よりも閉店している店が多い。

道ばたで飯を食える露店がないので、昨日も行った食堂まで行く。その食堂近くにもう1軒、おおぜい人が入っている食堂があったので、今回はそっちで食事。サザ&ビーフを頼む。500ジンバブエドル。みな手づかみで食べているのだが、熱くてとても握れず。店の人に頼みフォークをもらう。口の中で何度もハフハフさせながら食べないといけないくらい熱いのに、周りの人を見ているとあまり熱がっているふうはない。食べ終わる頃には汗がじっとりと出る。

それからハラレ行きのバスを確認しに、バスターミナルに行く。ここのバスターミナルもちょっとしたロータリーがあるだけの小さな駐車場。そこには物売りの人たちもいて、パンなどを売っていた少年からパンを1斤買う。500ジンバブエドル。

スーパーなどのパンコーナーにはやはりパンを求めて人々が行列を作っている。スーパーで売っている砂糖の値段がどの程度なのか見たかったのだが、砂糖を売っていない。お茶のティーバッグなどはなるのだが、砂糖がない。

道ばたで野菜を売っている人たちをまわっても砂糖を持っている人がいないので、野菜を売っているおばちゃんにどこで砂糖が買えるか英語で聞くと、ここと同じような小さな野菜のマーケットがこの先にあるからそこで聞いてみろと言われる。

なのでてくてく歩き、昨日野菜を買った小さな路上マーケットで砂糖がほしいのだがと言うと、その野菜屋の女性は大きな声で誰かの名前を呼ぶ。するとマーケットの端の方でおしゃべりしていたいい体格をした女性がやってくる。彼女に砂糖がほしいのだがというと何袋いるのかと聞かれる。1袋と言うと、道の端の布の下から砂糖を取り出してくる。が、それは袋の一部が破れもれており、おばさんは自ら別の袋を取りに車が止まっている駐車場の方に駆けていった。

すぐにおばさんは戻ってきて砂糖を1袋ぼくに手渡す。袋を見ると2kgとある。値段を聞くと700ジンバブエドル(約300円)。確かに高い。モザンビーク産なのかと尋ねるとジンバブエ産だという。高いからまけてもらえないか聞くと650ジンバブエドルにまけてくれる。それで手打ち。

砂糖とパンを持って宿に戻る。宿では女の子たちが洗濯をしていた。

砂糖とパンを宿主に渡すと"Thank you very much"と言って笑顔で受け取る。

それからエマにどこで両替できるかと聞くと、両替が必要なら息子のタイロン(息子の名前)に頼んでしてもらうがどうだと尋ねてくる。両替しているのを警察に見つかると面倒らしいので、エマの提案に乗る。タイロンに20米ドルの札を渡し、レートを聞くと1米ドル=230ジンバブエドルだと言う。

彼は家を出て、どこかに両替しに行く。20分ほどしてから戻ってくる。手数料は取られず。

1米ドル=230ジンバブエドルということがわかり、あれこれの実際の物価がどの程度かがだいたいわかった。新聞が100円ちょっと。パンが1斤200円以上。バナナが10本で200円近く。砂糖が2kg300円ほど。食堂のサザ料理が200円程度。

闇レートで言えば、日本と同じ程度の物価だろう。しかし、給料は日本並ではないからこれはけっこうつらい。だいたいパンが1斤100円以上もする国などそうはない。南アフリカよりも高い。バナナもモザンビークでは10本程度なら50円以下で買えた。これは相当だ。

エマに聞くと以前はパン1斤が25ジンバブエドルだったらしい。『旅行人ノート② アフリカ 改訂版』は1999年の情報だが、それによると1999年11月のレートが1米ドル=約37ジンバブエドル。彼女の話が10年前とすれば確かに当時は1ドル以下でパンが買えたことになる。それが今や2倍近くになっているからこれはなかなか大変だ。給料が10年で2倍になれば問題ないだろうが、そんなことはありえない。

リビングの机で今後のルートを考えるべくガイドブックを見ていると娘の●●(名前を忘れた)が、さっきプレゼントしたパンを切ってバターを塗ったのを持ってきてくれる。腹はけっこうふくれていたのだが、ありがたくいただく。

その後、部屋で休息。

うとうとしていると、ドアをノックする音が聞こえ、出てみると新たな日本人客がエマと一緒にいた。彼もこの部屋に泊まることになる。

聞くと彼は中国から途中パキスタン、イランは飛んでほぼ陸路でここまで来たらしい。アフリカはエジプトからスーダン(ビザ代100米ドル!)を通ってエチオピア、その後ずっと南下し、今日はモザンビークのシモイオから来たと言う。シモイオではぼくと同じくピンクパパイヤに泊まったらしく、そこの宿泊者名簿を見て、ぼくにここで会うかもしれないと思っていたらしい。

しばらく彼と話す。彼の話ではジンバブエ側でモザンビークの通貨メディカシュを両替したところ、ドルよりも良かったとのこと。ぼくはピンクパパイヤのスタッフに言われたとおりモザンビーク側で両替してしまったのだが、それだとジンバブエ側の半額くらいだった。具体的には100メディカシュ(約4米ドル)ぶんが1200ジンバブエドル(この日の闇レートで約5.5米ドル)程度になったらしい。ぼくの場合は250メディカシュ(約10米ドル)が1000ジンバブエドルだったから大幅に損している。やれやれ。

夕方、お湯をもらいに台所に行ったところ、エマがサザをご馳走してくれるというのでいただく。まぁ、砂糖とパンと野菜とを差し入れしたようなもんだからいいだろう。

今晩の食事は豪勢で、サザに豆の煮込んだものと青葉の炒め物、それにソーセージが一本添えられていた。家族や他の宿泊客もそれを食べる。テーブルに一同に会して食べるという形式ではなく、みんなバラバラ。台所で立ち食いしている人もいれば庭の椅子に座って、あるいはテレビの部屋でという具合。豆はやはり塩気が濃い。遠慮してサザは少なくしてもらったが、豆の塩気がきつくこれではとても足りなかった。

その後は宿にいる。部屋で彼と旅話など。うまかったものの話を聞くとバングラディシュのなんとか市場で食べるなんとかというデザートが抜群にうまかったらしい。日本で言うと高級レアチーズのような味のもので、毎日食べていたという。あと悪名高いエチオピアの主食インジェラも彼は好きだという。

同じ部屋にもう一人客が増える。ジンバブエ人の男性で30代くらい? 地方を回ってジャガイモを買い集め、それを売る仕事をしているらしい。

他にも客は白人夫婦とジンバブエ人らしき女性がいて、けっこう繁盛している。この間みた宿泊客名簿はやっぱり適当なのかもしれない。

Fin

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