バマコで引きこもり
08/07/30 晴れ。夜から強い雨と雷 30℃
[Bamako:Mali]
7時前に起床。
腹の調子がよくなった感じだったので、宿を出て左に曲がった通りに行く。ここには飯を食える露店が3軒ほどあり、それを当てにしていたのだが、8時前というのに鍋がほとんど空になっている店が2軒、残りの一軒はサンドイッチ屋で一度そこのは食べていたが、しょうがないのでそこのサンドを食べる。
サンドイッチと言ってもホットドッグのように長いフランスパンを切って間に肉などを挟むタイプ。フランスパンは30cmほどもあり、味も良い。具はおそらくヤギの肉。串に刺した肉を炭火で焼いており、3本分の肉をパンに挟む。そこへ刻んだばかりの生タマネギを入れ、まだ生の串肉をひたしていたタレをちょっぴりかけ、最後にマヨネーズを大さじいっぱいべったり塗ってできあがり。本当はこれにフライドポテトも挟んだりするのだが、その準備はまだできていなかった。お値段は500CFA(約120円)。
宿に帰って日記書き。一息ついたところでネット屋に行き、また飛行機の検索など。
良くなったと思った腹は、やっぱり回復しておらず、またおかしくなる。明日には移動したいため、宿に戻って休息することに。
午後は『新書アフリカ史』を読む。アフリカの歴史はごちゃごちゃだ。
夕方、今後の旅程と予算を考えていたところ、もう少しCFAを持っていた方がいいと感じ、両替しに宿をでる。近くのECOBANKというところに行くと、1000円近く手数料を取るというので却下。まったくふざけている。セネガルではそんなことはなかったのに。
なので道ばたの両替商がうろうろしている地帯に行ってそこで両替。銀行よりはいいがセネガルでの両替よりも悪い。
宿に戻って夕食代わりのバナナを食らう。そして本読みの続き。
すると一人の日本人旅行者が宿に到着。ヨーロッパから中東に入り、アフリカを南に縦断して、今は西アフリカを旅行しているという同世代。ニジェールの方からぼくが通ろうと思っていたルートを逆から来たらしい。
日本人旅行者と話すのはブエノス以来。モロッコで3人ほど見かけたがしゃべらなかった。
その後、もう一人日本人旅行者が到着。今度は女性。ニジェールで協力隊員として活動しているらしい。
夜同室の彼に誘われ、近くの中華料理屋へ。屋台と比べれば10倍以上し、1品あたりだいたい400円くらいする。白飯と回鍋肉、なにかのスープ、ジャスミンティを注文。味はまったくの中華料理。すばらしい。これで腹も治るだろう。
宿に帰ろうかとしたところへ突然の大雨。雨が上がるのを待っていたが、その前に閉店の時間になってしまう。1時間足らずの雨でレストランの前の幹線道路はみずびたし。1車線分が水に沈んでいるところもある。
雨に濡れながら走って宿に戻る。宿に帰ってから彼と旅情報を交換。南アフリカなどこれからぼくが行きそうな国について聞く。
その後寝る。部屋の中は30℃前後。やっぱり暑い。外の方が涼しそうだ。
Fin
2008年10月20日月曜日
[diary]日本大使館、ルートの練り直し
日本大使館、ルートの練り直し
08/07/29(火)晴れ
[Bamako:Mali]
・ニジェール領事館を探して
・日本大使館
・ルートの練り直し
6時頃起床。同室のフランス人女性は帰国の準備をしていた。聞くとマリには2ヶ月滞在し、1ヶ月は働き、1ヶ月は観光をしていたらしい。詳しくは聞かず。
中庭で洗濯。地面が濡れているので夜に雨が降ったようだ。
しばらく日記書き。
9時半頃、宿を出て昨日開いていなかった近くのニジェール領事館に行く。しかし、今日も開いていない。隣の店の人に聞くと、ここから出ていったと言うようなことを言う。どこに行ったのかと聞いたが、フランス語だからなんと言っているかわからず。ただ、よくわからないらしいことはわかった。
しょうがないので、もう一度、昨日行ったツーリストインフォのオフィスに行く。途中、ジャマイカ色のニット帽をかぶった男とふと目が合い、その瞬間、こいつは話しかけてくるなと思ったらその通りだった。"Hi, my friend"と声をかけてきて、自分はミュージシャンか何かで日本人の友達がいる、などと言ってくる。どうせカネだろうと思い、ノーノーメルシーなどと言いながら無視。しばらく隣を歩いていたが、あきらめたらしくどっかに消えた。
インフォメーションで聞いたところ、知っている人があまりいなく、結局観光用の雑誌か何かに載っている大使館・領事館リストを取り出してきて調べていた。そのリストにはなかったので、ないとの結論。
隣の国の領事館もないというのはおかしいと思ったので、ここは日本大使館に行って聞いてみようと思い立つ。
バマコの日本大使館は今年できたばかりだったため、ガイドブックにも住所等が載っていなかった。そのためネット屋に行って検索。外務省の在外公館リストからマリの日本大使館の住所を探し出す。ネット屋に来たついでにガーナ、ベニン、トーゴから南アフリカに行く飛行機を探す。どれも予想していたよりも高い。8万はする。ブエノスアイレスからマドリッドに飛んだときとあまり変わらない。
腹の調子が悪いので、朝と昼とバナナを食べたのみ。
日本大使館の住所はわかったものの、それがどこなのかわからなかったため、13時前に宿近くからタクシーを拾う。混雑した中心部を通り20分ほどで大使館に到着。どうも大使公邸を現在整備中のようで、敷地内には改装作業をしている人たちが10人近くいた。
大使館がある一帯は高級住宅地のようで、この地区に入る端の袂には線路の踏切バー(?)のようなものがあり、警備員が常駐していた。サウジの大使館もここにある模様。
敷地は広く3階立ての豪邸で裏には小さなプールがあり、温室みたいな小さな建物もある。
入り口の警備員に英語で話しかけるが、フランス語で何やら言う。どうも昼休み時間らしい。
が、建物の中から女性が出てきて対応してくれる。ニジェール領事館の場所を知りたいと言うと、担当の人が今は留守にしているが、わかる範囲で調べてくれるという。
領事館の電話番号はわかったらしいが、そこに電話をかけても出ないと言う。なのでまたしばらく待つ。玄関のところでスロープを造っている左官の仕事を眺めたりしながら待つ。左官道具は日本と変わらない。
30分ほど待った頃、領事担当の人が戻ってきた。その人はぼくが行こうとしていたルートについて、辞めた方がいいという。ぼくはニジェール側を船で下って、マリの東のまちのGaoまで行き、そこからバスでニジェールの首都ニアメに行こうと思っていたのだが、その国境地帯はトゥアレグの強盗団が出るため安全を考えると辞めた方がいいとのこと。
強盗団はカネを持ってそうであればアフリカ人でもアジア人でも襲うらしい。実際、いまヨーロピアンの旅行者がチュニジアの南で捕まって国境付近で拘束されているという情報もあるとか。
そうした話をしているところへ対応してくれていた女性職員が来て、バマコのニジェール領事館は3ヶ月前に閉鎖したという。そのためニジェールのビザはニアメの空港か、陸路なら他の国で取得しないといけないらしい。
大使館の人の対応は終始丁寧。まったく日本的に丁寧だった。
ここでビザが取れないという決定的な情報を得たため、ルートの変更を余儀なくされる。ビザなしでも国境で賄賂を払えば入れるような気もするが、そのカネはけっこう高くつきそうだし、もし入れないとなると待た数日かけてマリ国内を移動しないといけない。そうなるとカネもかかるし、手持ちのマリの2週間のビザでは日数が足らなくなるかもしれない。
そう考えてルートの変更をすることにする。宿に戻って『ロンプラ』と『旅行人』を見ながらルートを考える。
本を見ていると汗がしたたり落ちてくる。部屋には風が通らないためじっとしているとすぐに体が熱くなり、汗が玉となって出てくる。気温は30℃程度なのだが、湿度がけっこうあるのだろう。
しばらく眺めてだいたいのルートを決定。
その後、宿にあった船戸与一の『蛮族ども』を読む。ジンバブエの独立当時を描いたもので、これもおもしろい。長倉洋海の解説もよかった。
腹の調子が悪いため晩飯はなし。なのでマラリアの薬も今日は抜く。ほんとは毎日飲まないといけないらしいのだが。
今日は蚊にやられず。昨日、一昨日と1カ所ずつやられたので1週間後がどうなるか気になる。確率からすればマラリアにはならないだろうが、運が悪ければアフリカに来てたった2回の吸血によってぶっ倒れるかもしれない。
この宿にある情報ノートにもマリでマラリアにかかって危ないところだったという体験談もあるし、手遅れで発症後3日で死んだ日本人旅行者がいたという情報もある。また協力隊員の中でも熱帯熱マラリアにかかり、フランスに緊急輸送されて一命を取り留めた人もいたとか。
こんな病気が身近にあり、それらをかわしながら生きていくなんて大変だ。治療法は確立されているからすぐに治療を受ければ死ぬことはないらしいが、治療が遅れることが多々あり、それがマラリアによる死亡につながっているという。
自前で対策ができればそれなりに被害が防げるのだろうが、対策にはカネがいる。それがネックになっているよう。
その他家の作りや排水なども改善余地は多々ありそうだが、これもカネの問題になるのだろう。
結局、今日は外出したのは日本大使館に行ったときくらいで歩き回ることはせず。どうも排ガスで空気が悪いと外に出たい気がなくなる。
Fin
08/07/29(火)晴れ
[Bamako:Mali]
・ニジェール領事館を探して
・日本大使館
・ルートの練り直し
6時頃起床。同室のフランス人女性は帰国の準備をしていた。聞くとマリには2ヶ月滞在し、1ヶ月は働き、1ヶ月は観光をしていたらしい。詳しくは聞かず。
中庭で洗濯。地面が濡れているので夜に雨が降ったようだ。
しばらく日記書き。
9時半頃、宿を出て昨日開いていなかった近くのニジェール領事館に行く。しかし、今日も開いていない。隣の店の人に聞くと、ここから出ていったと言うようなことを言う。どこに行ったのかと聞いたが、フランス語だからなんと言っているかわからず。ただ、よくわからないらしいことはわかった。
しょうがないので、もう一度、昨日行ったツーリストインフォのオフィスに行く。途中、ジャマイカ色のニット帽をかぶった男とふと目が合い、その瞬間、こいつは話しかけてくるなと思ったらその通りだった。"Hi, my friend"と声をかけてきて、自分はミュージシャンか何かで日本人の友達がいる、などと言ってくる。どうせカネだろうと思い、ノーノーメルシーなどと言いながら無視。しばらく隣を歩いていたが、あきらめたらしくどっかに消えた。
インフォメーションで聞いたところ、知っている人があまりいなく、結局観光用の雑誌か何かに載っている大使館・領事館リストを取り出してきて調べていた。そのリストにはなかったので、ないとの結論。
隣の国の領事館もないというのはおかしいと思ったので、ここは日本大使館に行って聞いてみようと思い立つ。
バマコの日本大使館は今年できたばかりだったため、ガイドブックにも住所等が載っていなかった。そのためネット屋に行って検索。外務省の在外公館リストからマリの日本大使館の住所を探し出す。ネット屋に来たついでにガーナ、ベニン、トーゴから南アフリカに行く飛行機を探す。どれも予想していたよりも高い。8万はする。ブエノスアイレスからマドリッドに飛んだときとあまり変わらない。
腹の調子が悪いので、朝と昼とバナナを食べたのみ。
日本大使館の住所はわかったものの、それがどこなのかわからなかったため、13時前に宿近くからタクシーを拾う。混雑した中心部を通り20分ほどで大使館に到着。どうも大使公邸を現在整備中のようで、敷地内には改装作業をしている人たちが10人近くいた。
大使館がある一帯は高級住宅地のようで、この地区に入る端の袂には線路の踏切バー(?)のようなものがあり、警備員が常駐していた。サウジの大使館もここにある模様。
敷地は広く3階立ての豪邸で裏には小さなプールがあり、温室みたいな小さな建物もある。
入り口の警備員に英語で話しかけるが、フランス語で何やら言う。どうも昼休み時間らしい。
が、建物の中から女性が出てきて対応してくれる。ニジェール領事館の場所を知りたいと言うと、担当の人が今は留守にしているが、わかる範囲で調べてくれるという。
領事館の電話番号はわかったらしいが、そこに電話をかけても出ないと言う。なのでまたしばらく待つ。玄関のところでスロープを造っている左官の仕事を眺めたりしながら待つ。左官道具は日本と変わらない。
30分ほど待った頃、領事担当の人が戻ってきた。その人はぼくが行こうとしていたルートについて、辞めた方がいいという。ぼくはニジェール側を船で下って、マリの東のまちのGaoまで行き、そこからバスでニジェールの首都ニアメに行こうと思っていたのだが、その国境地帯はトゥアレグの強盗団が出るため安全を考えると辞めた方がいいとのこと。
強盗団はカネを持ってそうであればアフリカ人でもアジア人でも襲うらしい。実際、いまヨーロピアンの旅行者がチュニジアの南で捕まって国境付近で拘束されているという情報もあるとか。
そうした話をしているところへ対応してくれていた女性職員が来て、バマコのニジェール領事館は3ヶ月前に閉鎖したという。そのためニジェールのビザはニアメの空港か、陸路なら他の国で取得しないといけないらしい。
大使館の人の対応は終始丁寧。まったく日本的に丁寧だった。
ここでビザが取れないという決定的な情報を得たため、ルートの変更を余儀なくされる。ビザなしでも国境で賄賂を払えば入れるような気もするが、そのカネはけっこう高くつきそうだし、もし入れないとなると待た数日かけてマリ国内を移動しないといけない。そうなるとカネもかかるし、手持ちのマリの2週間のビザでは日数が足らなくなるかもしれない。
そう考えてルートの変更をすることにする。宿に戻って『ロンプラ』と『旅行人』を見ながらルートを考える。
本を見ていると汗がしたたり落ちてくる。部屋には風が通らないためじっとしているとすぐに体が熱くなり、汗が玉となって出てくる。気温は30℃程度なのだが、湿度がけっこうあるのだろう。
しばらく眺めてだいたいのルートを決定。
その後、宿にあった船戸与一の『蛮族ども』を読む。ジンバブエの独立当時を描いたもので、これもおもしろい。長倉洋海の解説もよかった。
腹の調子が悪いため晩飯はなし。なのでマラリアの薬も今日は抜く。ほんとは毎日飲まないといけないらしいのだが。
今日は蚊にやられず。昨日、一昨日と1カ所ずつやられたので1週間後がどうなるか気になる。確率からすればマラリアにはならないだろうが、運が悪ければアフリカに来てたった2回の吸血によってぶっ倒れるかもしれない。
この宿にある情報ノートにもマリでマラリアにかかって危ないところだったという体験談もあるし、手遅れで発症後3日で死んだ日本人旅行者がいたという情報もある。また協力隊員の中でも熱帯熱マラリアにかかり、フランスに緊急輸送されて一命を取り留めた人もいたとか。
こんな病気が身近にあり、それらをかわしながら生きていくなんて大変だ。治療法は確立されているからすぐに治療を受ければ死ぬことはないらしいが、治療が遅れることが多々あり、それがマラリアによる死亡につながっているという。
自前で対策ができればそれなりに被害が防げるのだろうが、対策にはカネがいる。それがネックになっているよう。
その他家の作りや排水なども改善余地は多々ありそうだが、これもカネの問題になるのだろう。
結局、今日は外出したのは日本大使館に行ったときくらいで歩き回ることはせず。どうも排ガスで空気が悪いと外に出たい気がなくなる。
Fin
[diary]5か国ビザの申請をしに
5か国ビザの申請をしに
08/07/28(月)晴れ
[Bamako:Mali]
・ニジェール大使館
・ブルキナファソ大使館を探して
昨晩、寝る前に徹底して蚊を退治し、ベッドに付いている蚊帳を広げて寝ていたので、蚊の被害はなし。よかった。
天井に扇風機が付いているものの設置場所が悪く、あまりうまい具合に風が届かなかった。そのためけっこう寝汗をかく。夜中に目が覚める。
7時過ぎに再度目覚める。カーテンの向こうはどうも晴れているよう。
起きてしばらく日記書き。かなりたまってしまった。ああ。
10時過ぎに今日のメインイベントである近隣国のビザの申請に行く。目標は、ニジェールやベニン、トーゴ、ブルキナファソ、コートジボアールで共通で使える5カ国共通のビザ。ネット等の情報から25000CFA(約6000円)で2ヶ月ほど使え、しかもバマコのブルキナ大使館で取得した人がいるとあったので、それを当てにしていた。これが取れればビザ代が大幅に節約できる(1カ国ずつ取ったらおそらく1万円はかるく越える)。なにより各地での取得手続きに時間がかかる。
街に出ると、さすがに月曜日ということで昨日と違って人手が多い。車の交通量も多いが、なによりバイクの数がなかなか多い。これまでぼくが行った街の中では、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)に次いで多い。と言ってもホーチミンと比べればここの台数は5分の1程度もないかもしれない。ホーチミンはすさまじいからな。
ブルキナ大使館はちと遠そうだったので、まずダメ元で歩いて3分ほどのニジェールの領事館に行く。したらこれが閉まっていた。表にはしっかりと看板が出ているのだが、開いていない。
しょうがないのでブルキナ大使館を目指す。ロンプラの途中で切れている地図を頼りにそちらの方面に行けばわかるだろうと気軽に歩いていくが、見あたらない。道ばたの警官や軍人に聞いても知らない。
これはダメだと思い、ロンプラの地図に載っていたツーリストインフォメーションに行って聞くことにする。したら、これがまたわかりにくいところにあった。30分ほどかけて発見。
そこで聞いてみるが、みなフランス語ばかりなので、いまいち位置がわからない。そのうち職員のおじさんが、一人のおじさんを紹介してきて、この人と行った方がベターだと言われる。タクシーで行くか、おじさんのバイクで行くかと聞かれ、値段を聞き返すとタクシーは往復4000CFAくらいかかるだろう。バイクは往復2000CFA(約400円)位という。明らかに嘘。だいたい町外れのバス乗り場から中心部まで1500CFAだったのだから、そんなにかかるわけがない。
が、できれば今日中に申請したいという気持ちが強かったため、バイクを選ぶ。
正直、ここでバイクの後ろには乗りたくなかった。なんと言っても事故が多い。昨日バイク同士の接触事故を1件、今日もすでに自転車とバイクの接触事故を1件見ていた。みんなたいしたスピードではないので、血を流すような怪我にはなっていなかったが、それにしても信頼できない。
バイクで10分ほどでブルキナ大使館に到着。ぼくが歩いて探しに来ていた場所の近くだった。もうがっくり。
しかもブルキナ大使館に聞くと5カ国ビザは出していないという。ブルキナファソのビザは数日のトランジットビザが国境で取れるとあったので、改めてここで取ろうとは思っていなかった。なので、ただ2000CFAの無駄遣いに終わる。帰り道、歩いてブルキナ大使館に向かっているフランス人らしい女3人組を見て、がっくり。さらに午後、宿に戻って部屋を移ったドミトリーの
部屋にあった情報ノートにしっかりブルキナ大使館の位置が書かれていて、またがっくり。
適当なところでバイクを降り、宿に戻る前に薬局でマラリアの治療薬であるCoartemを購入。事前に調べていた商品名を見せるとすぐに出してくれる。箱の中に入っている説明書に英語版があることを確認して購入。24粒入りで4525CFA(約1300円)。これで1回の治療分のよう。
しばらくしてまたニジェール領事館に行くがやはり空いていない。
宿に戻ってきたところ、中庭にいた20代くらいの男が英語でアフリカンティーを飲まないかと聞いてくる。怪しい奴だと思いつつもどうなるかと思い、その話に乗る。
男と二人で宿を出て、近くの道を通り、2本ほど西に(?)ある道ばたにあった屋台に席をとる。値段を聞くと500CFA(約100円)というのでそれくらいならいいかとオッケーする。アフリカンティーとはなんぞやと思っていたら、モロッコでよく飲まれていたミントティーだった。
透明のビニール袋に入ったミントをぼくに見せてから、彼は1人用のやかんに湯を沸かす。どうやって淹れるのかのかと思って見ていたら、彼は小さなおちょこのようなウィスキー(あるいはウォッカでもいい)グラスに2本ほどのミントを押し込み、その上から大量の砂糖を入れる。50ml程度の小さなグラスの下半分はミントの緑色で、上半分は砂糖の白。
そしてそれを沸いたやかんの中に投入する。しばらくしてからからそのやかんをカウンターに持ってきて、さっきミントと砂糖を詰めていたグラスに30cmほど離れた高い位置から注ぎ込む。その作業を10回ほどくり返し、味見をする。
そして、またさらに砂糖を加える。砂糖が入っているビニール袋には1匹の蠅が一緒に入っており、じたばたしているが、まったく気にすることなく、袋から蠅を出すこともなく、砂糖を加える。
そうして納得した味になると、さっきから何度も注がれている小さなガラスコップに8分目ほどまで注いでぼくに渡す。
コップの中にはミントの葉は入っていない。わずかに底に切れ端のような砂のようなものがうっすらと沈殿している。色は緑茶を放置していたら茶色になったときの色に似ている。
当然、甘い。が、ミントのきつさといい具合にマッチしていると言えば、そうも言える。
甘ったるいミントティーを飲みながらぼくは路上に目をやる。さっきからぼくの後ろ1mほどのところでは1人の母親が落花生を煎っており、その周りで5人ほどの子どもがじゃれあっている。みな10歳以下。一番小さいのは2歳くらいだろう。
その母親の向こうでは直径1mほどあるたらいを使って洗濯をしている女性が3人ほど。みんな立ったまま腰を曲げて、ギザギザのついたプラスチック製の洗濯板を使ってゴシゴシとやっていた。たらいは全部で10ほど用意されており、一通り洗濯物を磨くとそれをすすぐたらいに移し、最後にもっときれいな水が入っているたらいですすぐ。だが、何枚もの洗濯物を一つのたらいですすぐから最後は水も灰色っぽくなっている。
ぼくがここに来てから彼女らはずっと洗濯をしており、ぼくがそこにいた20~30分ほどの間もずっと洗濯していた。
ここにぼくを連れてきた男はもう一人店にいた男とこの店を共同経営しているらしい。ぼくの他に客はいない。彼はお茶を勧めた後に、何か食べるかと聞いてくる。メニューを見るとどれも1000CFA(約200円)程度で、屋台で200CFA(約40円)で食べられることを知ったぼくにとってはとても高い。食べ物のすすめは断り、お茶だけ飲んで店を離れる。モロッコのクスクスの元まで見せてくれたから、おそらく彼はここで飯を食わせたかったのだろう。
洗濯を続けているおばさんたちを見ながら、宿に彼と二人で戻る。
ぼくは彼が宿のスタッフかと思っていたのだが、宿に戻ると宿のスタッフがドミトリーが空いたから移れる旨を伝えに来る。どうも旅行中はみなが同じ顔に見えてダメだ。悪い奴ではなかったが、やはりこの男は宿の人ではなかった。
10000CFA(約2000円)ほどもしたシングルから4000CFA(約1000円)のドミトリーに荷物を移す。中には3人分くらいの荷物があった。ベッドは1つ空いていたので、そこにスペースを取る。
その部屋にはここに泊まっていった日本人旅行者が書き残した各地の情報が載っているノートがあった。そのノート以外にもあれこれあったので、それをしばらく読む。
17時くらいになって近くのネット屋に行く。ここでニジェールビザが取れなかった場合、国境で入手できるのかを知りたかったのだが、曖昧な情報が1件出てきただけで確信できるものがなかった。
今日は朝からバナナを数本しか食っていない。急ぐ用事があったし、昨日の食事のせいかいまいち空腹感がなかった。しかし、夜にはマラリアの薬を飲まねばならないので、ネット屋の向かいにある路上の果物屋でバナナを1kg買う。450CFA(約100円)。セネガルと比べて数倍やすい。
宿に戻ってしばし情報ノートやガイドブックとにらめっこ。予定のニジェールルートを辞めた場合、どう回るか考える。それに、そろそろ西アフリカから飛ぶ飛行機を調べたりしないといけない。
結論はでず、とりあえずバナナを数本食って薬を飲む。それからたまっている日記書きに移る。
明日またニジェールビザ再挑戦だ。開いてくれればいいが・・・。
Fin
08/07/28(月)晴れ
[Bamako:Mali]
・ニジェール大使館
・ブルキナファソ大使館を探して
昨晩、寝る前に徹底して蚊を退治し、ベッドに付いている蚊帳を広げて寝ていたので、蚊の被害はなし。よかった。
天井に扇風機が付いているものの設置場所が悪く、あまりうまい具合に風が届かなかった。そのためけっこう寝汗をかく。夜中に目が覚める。
7時過ぎに再度目覚める。カーテンの向こうはどうも晴れているよう。
起きてしばらく日記書き。かなりたまってしまった。ああ。
10時過ぎに今日のメインイベントである近隣国のビザの申請に行く。目標は、ニジェールやベニン、トーゴ、ブルキナファソ、コートジボアールで共通で使える5カ国共通のビザ。ネット等の情報から25000CFA(約6000円)で2ヶ月ほど使え、しかもバマコのブルキナ大使館で取得した人がいるとあったので、それを当てにしていた。これが取れればビザ代が大幅に節約できる(1カ国ずつ取ったらおそらく1万円はかるく越える)。なにより各地での取得手続きに時間がかかる。
街に出ると、さすがに月曜日ということで昨日と違って人手が多い。車の交通量も多いが、なによりバイクの数がなかなか多い。これまでぼくが行った街の中では、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)に次いで多い。と言ってもホーチミンと比べればここの台数は5分の1程度もないかもしれない。ホーチミンはすさまじいからな。
ブルキナ大使館はちと遠そうだったので、まずダメ元で歩いて3分ほどのニジェールの領事館に行く。したらこれが閉まっていた。表にはしっかりと看板が出ているのだが、開いていない。
しょうがないのでブルキナ大使館を目指す。ロンプラの途中で切れている地図を頼りにそちらの方面に行けばわかるだろうと気軽に歩いていくが、見あたらない。道ばたの警官や軍人に聞いても知らない。
これはダメだと思い、ロンプラの地図に載っていたツーリストインフォメーションに行って聞くことにする。したら、これがまたわかりにくいところにあった。30分ほどかけて発見。
そこで聞いてみるが、みなフランス語ばかりなので、いまいち位置がわからない。そのうち職員のおじさんが、一人のおじさんを紹介してきて、この人と行った方がベターだと言われる。タクシーで行くか、おじさんのバイクで行くかと聞かれ、値段を聞き返すとタクシーは往復4000CFAくらいかかるだろう。バイクは往復2000CFA(約400円)位という。明らかに嘘。だいたい町外れのバス乗り場から中心部まで1500CFAだったのだから、そんなにかかるわけがない。
が、できれば今日中に申請したいという気持ちが強かったため、バイクを選ぶ。
正直、ここでバイクの後ろには乗りたくなかった。なんと言っても事故が多い。昨日バイク同士の接触事故を1件、今日もすでに自転車とバイクの接触事故を1件見ていた。みんなたいしたスピードではないので、血を流すような怪我にはなっていなかったが、それにしても信頼できない。
バイクで10分ほどでブルキナ大使館に到着。ぼくが歩いて探しに来ていた場所の近くだった。もうがっくり。
しかもブルキナ大使館に聞くと5カ国ビザは出していないという。ブルキナファソのビザは数日のトランジットビザが国境で取れるとあったので、改めてここで取ろうとは思っていなかった。なので、ただ2000CFAの無駄遣いに終わる。帰り道、歩いてブルキナ大使館に向かっているフランス人らしい女3人組を見て、がっくり。さらに午後、宿に戻って部屋を移ったドミトリーの
部屋にあった情報ノートにしっかりブルキナ大使館の位置が書かれていて、またがっくり。
適当なところでバイクを降り、宿に戻る前に薬局でマラリアの治療薬であるCoartemを購入。事前に調べていた商品名を見せるとすぐに出してくれる。箱の中に入っている説明書に英語版があることを確認して購入。24粒入りで4525CFA(約1300円)。これで1回の治療分のよう。
しばらくしてまたニジェール領事館に行くがやはり空いていない。
宿に戻ってきたところ、中庭にいた20代くらいの男が英語でアフリカンティーを飲まないかと聞いてくる。怪しい奴だと思いつつもどうなるかと思い、その話に乗る。
男と二人で宿を出て、近くの道を通り、2本ほど西に(?)ある道ばたにあった屋台に席をとる。値段を聞くと500CFA(約100円)というのでそれくらいならいいかとオッケーする。アフリカンティーとはなんぞやと思っていたら、モロッコでよく飲まれていたミントティーだった。
透明のビニール袋に入ったミントをぼくに見せてから、彼は1人用のやかんに湯を沸かす。どうやって淹れるのかのかと思って見ていたら、彼は小さなおちょこのようなウィスキー(あるいはウォッカでもいい)グラスに2本ほどのミントを押し込み、その上から大量の砂糖を入れる。50ml程度の小さなグラスの下半分はミントの緑色で、上半分は砂糖の白。
そしてそれを沸いたやかんの中に投入する。しばらくしてからからそのやかんをカウンターに持ってきて、さっきミントと砂糖を詰めていたグラスに30cmほど離れた高い位置から注ぎ込む。その作業を10回ほどくり返し、味見をする。
そして、またさらに砂糖を加える。砂糖が入っているビニール袋には1匹の蠅が一緒に入っており、じたばたしているが、まったく気にすることなく、袋から蠅を出すこともなく、砂糖を加える。
そうして納得した味になると、さっきから何度も注がれている小さなガラスコップに8分目ほどまで注いでぼくに渡す。
コップの中にはミントの葉は入っていない。わずかに底に切れ端のような砂のようなものがうっすらと沈殿している。色は緑茶を放置していたら茶色になったときの色に似ている。
当然、甘い。が、ミントのきつさといい具合にマッチしていると言えば、そうも言える。
甘ったるいミントティーを飲みながらぼくは路上に目をやる。さっきからぼくの後ろ1mほどのところでは1人の母親が落花生を煎っており、その周りで5人ほどの子どもがじゃれあっている。みな10歳以下。一番小さいのは2歳くらいだろう。
その母親の向こうでは直径1mほどあるたらいを使って洗濯をしている女性が3人ほど。みんな立ったまま腰を曲げて、ギザギザのついたプラスチック製の洗濯板を使ってゴシゴシとやっていた。たらいは全部で10ほど用意されており、一通り洗濯物を磨くとそれをすすぐたらいに移し、最後にもっときれいな水が入っているたらいですすぐ。だが、何枚もの洗濯物を一つのたらいですすぐから最後は水も灰色っぽくなっている。
ぼくがここに来てから彼女らはずっと洗濯をしており、ぼくがそこにいた20~30分ほどの間もずっと洗濯していた。
ここにぼくを連れてきた男はもう一人店にいた男とこの店を共同経営しているらしい。ぼくの他に客はいない。彼はお茶を勧めた後に、何か食べるかと聞いてくる。メニューを見るとどれも1000CFA(約200円)程度で、屋台で200CFA(約40円)で食べられることを知ったぼくにとってはとても高い。食べ物のすすめは断り、お茶だけ飲んで店を離れる。モロッコのクスクスの元まで見せてくれたから、おそらく彼はここで飯を食わせたかったのだろう。
洗濯を続けているおばさんたちを見ながら、宿に彼と二人で戻る。
ぼくは彼が宿のスタッフかと思っていたのだが、宿に戻ると宿のスタッフがドミトリーが空いたから移れる旨を伝えに来る。どうも旅行中はみなが同じ顔に見えてダメだ。悪い奴ではなかったが、やはりこの男は宿の人ではなかった。
10000CFA(約2000円)ほどもしたシングルから4000CFA(約1000円)のドミトリーに荷物を移す。中には3人分くらいの荷物があった。ベッドは1つ空いていたので、そこにスペースを取る。
その部屋にはここに泊まっていった日本人旅行者が書き残した各地の情報が載っているノートがあった。そのノート以外にもあれこれあったので、それをしばらく読む。
17時くらいになって近くのネット屋に行く。ここでニジェールビザが取れなかった場合、国境で入手できるのかを知りたかったのだが、曖昧な情報が1件出てきただけで確信できるものがなかった。
今日は朝からバナナを数本しか食っていない。急ぐ用事があったし、昨日の食事のせいかいまいち空腹感がなかった。しかし、夜にはマラリアの薬を飲まねばならないので、ネット屋の向かいにある路上の果物屋でバナナを1kg買う。450CFA(約100円)。セネガルと比べて数倍やすい。
宿に戻ってしばし情報ノートやガイドブックとにらめっこ。予定のニジェールルートを辞めた場合、どう回るか考える。それに、そろそろ西アフリカから飛ぶ飛行機を調べたりしないといけない。
結論はでず、とりあえずバナナを数本食って薬を飲む。それからたまっている日記書きに移る。
明日またニジェールビザ再挑戦だ。開いてくれればいいが・・・。
Fin
[diary]ダカール:セネガルからバマコ:マリへ(3日目) バマコ到着
08/07/27(日)
[Bamako:Mali]
・バマコに1時着
・マットレスに寝る人々
・蚊帳を初投入
・使えない気のいいタクシー運転手
バスが止まったのを感じ、目を覚ます。バスはエンジンも止まる。乗客が降りていくので隣の人に聞くとバマコに着いたらしい。外は例のごとく真っ暗。
だいぶ寝込んでいたので朝の4時くらいかと思って時計で確認したら針は1時を指していた。なんでこうなるかなぁ~。出発に3時間も使わなければ日が変わる前に到着できるのに。聞いてはいたが、西アフリカは本当に疲れる。
高級ホテルならともかく安宿がこの時間に空いているわけがないので、ターミナルで待つことにする。ターミナルには照明もあり、そこそこ明るい。長いベンチがあったからそこで待つこともできる。
ベンチの近くでは地面にマットレスを敷いて寝ている人たちが20人ほど。シーツを頭から足先まですっぽりかぶって寝ている人もいれば、不用心に足などを出したまま寝ている人もいる。
ぼくがベンチで横になっていると、ターミナルの職員らしき若い男が声をかけてきて、マットレスが必要かと聞いてきたので一つ頼む。マットレスはターミナルで提供している模様。
1枚のマットレスをもらい、ベンチの横を寝床にする。蚊取り線香を炊き、蚊に刺されないために朝まで起きているつもりだったが、ベンチを挟んで向こう側のおじさんが、ベンチの支柱と自分の荷物を使って蚊帳を張り、その中で寝ていたので、ぼくもそれをまねすることにする。
日本から持ってきた蚊帳をリュックの奥から取り出す。この旅では初使用だ。おじさんと同じ要領でベンチの柱などを使って蚊帳を張る。そしてその中に寝る。しばらくは中に蚊がいないかチェックするため起きていたが、いないことがわかるといつの間にか寝てしまった。
人が足早に歩く音とバスのエンジンをかける音で目が覚める。あたりはまだ薄暗い。時計を見ると6時過ぎ。完全に目が覚めてしまったが、宿に行くにはまだ早いのでしばらくごろごろする。蚊帳のおかげで蚊の被害はない。
蚊帳を撤収し、マットレスを返却して宿に向かう。持っている地図を見ると地図外の位置にいるらしい。
タクシーをつかまえる。1台目、料金を聞くと3000CFA(約700円)。そんなするわけがないと値段を聞いた瞬間に歩き出す。
車が行き交う通りに出て、タクシーをつかまえる。今度のタクシーは1500CFA(約300円)と言うので
それで決定。気のよさそうなおじさん。ニジェール川にかかる橋を渡り、中心部に行く。
そしてタクシーが止まり、ここがインディペンデンス広場だという。確かにそれらしいモニュメントがあったので、その言葉を信じて車を降りる。釣りがないと言って結局1600CFAを払う。地図で位置を確認し、宿の方角に歩いていくと、地図上には乗っていない線路が出てくる。おかしい。
インディペンデンス広場以外にここに似た所を地図上で探すと1カ所それらしいところが見つかる。地図にある博物館がすぐ近くにあり、目的地ではないことが確定。まったくせっかく人がわかりやすいところと思って場所を指定したのに、そこすらも間違えるとは使えないタクシーだ。
幸いなことにここから宿まではそう遠くなかった。歩いて宿を目指す。ダカールのあのクソ運転手といい、今回のといいどうしてこうダメな奴に当たるかなぁ。
汗をかきかき宿に到着。一泊4000CFA(約1000円)のドミに泊まろうと思っていたのにフランス人旅行者の先客ですでにいっぱい。1泊だけ10000CFA(約2500円)の部屋に泊まることに。またもや予算オーバー。
やれやれ。
シャワーを浴びると頭から煉瓦色の水が流れ落ちてきた。セネガルからの車中で浴びた風に土がけっこう混じっていたよう。
それからまちに出る。日曜ということもあってか、わりと閑散としている。
近くにネット屋があったのでそこでネット。ダカールの宿のネットとは違ってここのはADSL並に早い。日本語も読めるし、一部は日本語での入力もできる。すばらしい。1時間500CFA(約120円)。
それから近くに路上市があったので見に行く。小さくてごついオクラや拳ほどの大きさしかないキャベツ、人参、黄色いトマトみたいなもの、マンゴー、緑色のみかん、リンゴ、バナナ、干し魚、落花生などいろいろある。セネガルよりも種類は豊富そう。リンゴはどっかからの輸入っぽい。
道ばたに屋台があったのでそこでぶっかけご飯を食べる。白飯に牛らしい肉がドカッと入っただけのカレー味に近いスープをかけただけ。具は肉しかない。その肉が拳ほどの大きさで、煮立っていたから熱い。細かくしようと肉にスプーンを突き立て、力を入れた瞬間、ポキッと明るい音がしてスプーンが折れた。スプーンはアルマイトのような素材でできていて、いかにも粗悪品という感じ。両手を使えば子どもでも簡単に折れるようなスプーンだった。
それを見ていた店の人が別のスプーンをくれる。さらに小さなボールに水を汲んで、これで手を洗うというような仕草をする。どうもスプーンでは肉の方が強くて細かくできないようなので、肉は手づかみで食べ、食べた後そのボールで指先を洗う。このご飯の料金は200CFA(約50円)。安い。
それからしばらく散策。さすがに首都だけあって、それなりに店がある。目立つのがスクーターなどバイクに乗った人が多いこと。男も女も乗っている。スクータータイプのバイクはどれも同じメーカーのものでKTMと車体にあった。韓国かどこかの企業か?
バイクのおかげで沿道の空気は悪い。歩いているとだんだんと喉が痛くなる。
歩いた範囲内ではダカールよりも落ち着いていてシヌワー(中国人)などと言ってくるのもあまりいない。子どもで物乞いしている子も少ない。しかし、歩いた範囲でも年寄りの男女や車いすに乗った人、足が動かない人などが物乞いをしているのを見る。全部で30人ほどか。
ほとんど寝てもいないので昼過ぎには宿に戻って休憩。昼寝及び読書。宿は日本人がオーナーのため、日本語の本が何冊か廊下の本棚にあった。その中から恩田陸の『ネバーランド』と村上春樹の『インサイドダーク(?忘れた)』、村上龍の『69』を選び、読む。なぜだか小説を読みたい気分になった。
夜、たいして腹は減ってなかったが、マラリアの予防薬を飲むために屋台に飯を食いにいく。暗くてよくわからなかったのだが、適当の頼んだものは豆の煮物のようだった。
夜は扇風機を回していたものの暑かった。バスターミナルの方がよほど寝心地はいい。マラリアさえなければ、外で寝るのもいいのだが。
Fin
[Bamako:Mali]
・バマコに1時着
・マットレスに寝る人々
・蚊帳を初投入
・使えない気のいいタクシー運転手
バスが止まったのを感じ、目を覚ます。バスはエンジンも止まる。乗客が降りていくので隣の人に聞くとバマコに着いたらしい。外は例のごとく真っ暗。
だいぶ寝込んでいたので朝の4時くらいかと思って時計で確認したら針は1時を指していた。なんでこうなるかなぁ~。出発に3時間も使わなければ日が変わる前に到着できるのに。聞いてはいたが、西アフリカは本当に疲れる。
高級ホテルならともかく安宿がこの時間に空いているわけがないので、ターミナルで待つことにする。ターミナルには照明もあり、そこそこ明るい。長いベンチがあったからそこで待つこともできる。
ベンチの近くでは地面にマットレスを敷いて寝ている人たちが20人ほど。シーツを頭から足先まですっぽりかぶって寝ている人もいれば、不用心に足などを出したまま寝ている人もいる。
ぼくがベンチで横になっていると、ターミナルの職員らしき若い男が声をかけてきて、マットレスが必要かと聞いてきたので一つ頼む。マットレスはターミナルで提供している模様。
1枚のマットレスをもらい、ベンチの横を寝床にする。蚊取り線香を炊き、蚊に刺されないために朝まで起きているつもりだったが、ベンチを挟んで向こう側のおじさんが、ベンチの支柱と自分の荷物を使って蚊帳を張り、その中で寝ていたので、ぼくもそれをまねすることにする。
日本から持ってきた蚊帳をリュックの奥から取り出す。この旅では初使用だ。おじさんと同じ要領でベンチの柱などを使って蚊帳を張る。そしてその中に寝る。しばらくは中に蚊がいないかチェックするため起きていたが、いないことがわかるといつの間にか寝てしまった。
人が足早に歩く音とバスのエンジンをかける音で目が覚める。あたりはまだ薄暗い。時計を見ると6時過ぎ。完全に目が覚めてしまったが、宿に行くにはまだ早いのでしばらくごろごろする。蚊帳のおかげで蚊の被害はない。
蚊帳を撤収し、マットレスを返却して宿に向かう。持っている地図を見ると地図外の位置にいるらしい。
タクシーをつかまえる。1台目、料金を聞くと3000CFA(約700円)。そんなするわけがないと値段を聞いた瞬間に歩き出す。
車が行き交う通りに出て、タクシーをつかまえる。今度のタクシーは1500CFA(約300円)と言うので
それで決定。気のよさそうなおじさん。ニジェール川にかかる橋を渡り、中心部に行く。
そしてタクシーが止まり、ここがインディペンデンス広場だという。確かにそれらしいモニュメントがあったので、その言葉を信じて車を降りる。釣りがないと言って結局1600CFAを払う。地図で位置を確認し、宿の方角に歩いていくと、地図上には乗っていない線路が出てくる。おかしい。
インディペンデンス広場以外にここに似た所を地図上で探すと1カ所それらしいところが見つかる。地図にある博物館がすぐ近くにあり、目的地ではないことが確定。まったくせっかく人がわかりやすいところと思って場所を指定したのに、そこすらも間違えるとは使えないタクシーだ。
幸いなことにここから宿まではそう遠くなかった。歩いて宿を目指す。ダカールのあのクソ運転手といい、今回のといいどうしてこうダメな奴に当たるかなぁ。
汗をかきかき宿に到着。一泊4000CFA(約1000円)のドミに泊まろうと思っていたのにフランス人旅行者の先客ですでにいっぱい。1泊だけ10000CFA(約2500円)の部屋に泊まることに。またもや予算オーバー。
やれやれ。
シャワーを浴びると頭から煉瓦色の水が流れ落ちてきた。セネガルからの車中で浴びた風に土がけっこう混じっていたよう。
それからまちに出る。日曜ということもあってか、わりと閑散としている。
近くにネット屋があったのでそこでネット。ダカールの宿のネットとは違ってここのはADSL並に早い。日本語も読めるし、一部は日本語での入力もできる。すばらしい。1時間500CFA(約120円)。
それから近くに路上市があったので見に行く。小さくてごついオクラや拳ほどの大きさしかないキャベツ、人参、黄色いトマトみたいなもの、マンゴー、緑色のみかん、リンゴ、バナナ、干し魚、落花生などいろいろある。セネガルよりも種類は豊富そう。リンゴはどっかからの輸入っぽい。
道ばたに屋台があったのでそこでぶっかけご飯を食べる。白飯に牛らしい肉がドカッと入っただけのカレー味に近いスープをかけただけ。具は肉しかない。その肉が拳ほどの大きさで、煮立っていたから熱い。細かくしようと肉にスプーンを突き立て、力を入れた瞬間、ポキッと明るい音がしてスプーンが折れた。スプーンはアルマイトのような素材でできていて、いかにも粗悪品という感じ。両手を使えば子どもでも簡単に折れるようなスプーンだった。
それを見ていた店の人が別のスプーンをくれる。さらに小さなボールに水を汲んで、これで手を洗うというような仕草をする。どうもスプーンでは肉の方が強くて細かくできないようなので、肉は手づかみで食べ、食べた後そのボールで指先を洗う。このご飯の料金は200CFA(約50円)。安い。
それからしばらく散策。さすがに首都だけあって、それなりに店がある。目立つのがスクーターなどバイクに乗った人が多いこと。男も女も乗っている。スクータータイプのバイクはどれも同じメーカーのものでKTMと車体にあった。韓国かどこかの企業か?
バイクのおかげで沿道の空気は悪い。歩いているとだんだんと喉が痛くなる。
歩いた範囲内ではダカールよりも落ち着いていてシヌワー(中国人)などと言ってくるのもあまりいない。子どもで物乞いしている子も少ない。しかし、歩いた範囲でも年寄りの男女や車いすに乗った人、足が動かない人などが物乞いをしているのを見る。全部で30人ほどか。
ほとんど寝てもいないので昼過ぎには宿に戻って休憩。昼寝及び読書。宿は日本人がオーナーのため、日本語の本が何冊か廊下の本棚にあった。その中から恩田陸の『ネバーランド』と村上春樹の『インサイドダーク(?忘れた)』、村上龍の『69』を選び、読む。なぜだか小説を読みたい気分になった。
夜、たいして腹は減ってなかったが、マラリアの予防薬を飲むために屋台に飯を食いにいく。暗くてよくわからなかったのだが、適当の頼んだものは豆の煮物のようだった。
夜は扇風機を回していたものの暑かった。バスターミナルの方がよほど寝心地はいい。マラリアさえなければ、外で寝るのもいいのだが。
Fin
[diary]ダカール:セネガルからバマコ:マリへ(2日目)
08/07/26(土)
[Tambacounda:Senegal→Mali]
・真夜中の乗り換え
・雨のマリ国境
・久々の大型バス
・お祈りタイム
※レート
1ユーロ=655CFA
尻の痛みでときどき目覚めつつも、けっこう眠り込んでいた。
車が止まり、エンジンが切られる。みなが車から降りていく。どうも終点のTambacoundaに着いたらしい。ぼくもやや寝ぼけた状態でよろよろしながら車を降りる。
外は真っ暗。夜明けはまだずいぶん先っぽい。時計を見ると3時。はぁ~、とため息が出る。ダカールで4時間近く待たされた結果がこれ。これじゃあ、宿に泊まるにも入り口が閉まっていて泊まれない。
なんでこうなるのかがよくわからない。3時に着くってあんた・・・。せめてダカールを昼の12時に出れば夜中の12時前に着くのに。なぜ時間を指定して、その時間までに客を集めないのか? みんな時計を見ながら動く習慣がないからか? 車の主はいい気分だろう。運転は下っ端に任せているから、自分が眠気と闘いながら運転する必要はないし、車には乗れるだけの客を乗せて走るからそのぶん実入りもいい。出発予定時刻という時間に拘束されず、車に乗れるだけの客が集まるまで待つ/待たせるのだから、毎日の収入は最大限が約束されている。
もっとも毎日、自分の車が走れるかどうかというのはわからない。想像でしかないが、見ている限りではどの長距離バスもカルテルのように、すでに既得権益を持っている人々がグループを作り、それぞれ利益を得られるようにあれこれ調整しているよう。だから、もしかしたら、車を出せるのは2日に1回とか、3日に1回とかかもしれない。誰かここのバス業界の仕組みを調べた人はいないのか?
こんな時間に着きやがって、まったく、バカじゃねぇか、と思いながら、リュックを受け取る。
バスが着いた場所には外灯があって、客待ちしているタクシーが数台あった。木製のベンチにはヨーロピアンらしき若い男性が2人、明かりの下で日記を書いたりしている。おそらく彼らも夜中に着いたために、明け方までここで待つのだろう。
ぼくも朝までここで待つしかないかな、と思っていたら、若い男がマリ?と聞いてきた。ウィ(やっとSiのクセが抜けた)と答えると、マリに行くバス乗り場はここではなく、別の離れた場所にあるからタクシーに乗れと言う。
なんで同じ場所にまとめないかな、と思いつつ、どうするか思案する。当初の予定ではここに泊まって明日か明後日にマリに向かおうかと思っていたのだが、朝までここで待って、明日改めてバスを探すとなるとまた3時間待ち4時間待ちが待っている。そう思うと、当初の予定は面倒に思えてきて、ここは一気に移動した方がストレスが少なくていいかもしれないと思う。
この男が言うようにバス乗り場が別にあるのかということはわからなかったが、ぼくの他におばさんが乗っていたので、この人も一緒なら嘘ではないかもしれないと、あまり深く詮索せずにタクシーに乗ることにする。料金を聞くと500と言った後にバガージュが500CFAと言ってくる。トータルいくらだと言ったら1000CFAと言う。どうせ荷物代はぼったくり分だろうと思い、すでにタクシーに乗っていたおばさんに運賃を訪ねると500CFAと言った。車の荷台にはおばさんの荷物もあった。
ほんとにモロッコに入って以降、タクシーの運転手は外国人と見ればカネづるとしか思っていない。もちろん中南米でもどこでもタクシーの運転手はそういう奴が多いが、それでもここまでの割合でぼったくってくる国は少ないように思う。エクアドルやペルーでもタクシーに乗ったが、感覚としてはだいたい半々。つまり5割はぼったくってくるが、5割はローカルプライスだったように思う。まぁ、これも今から思えばという感覚なので当てにならないが、少なくともここでは今のところほぼ100%の確率でぼってくる。
モロッコ以降、たちが悪いのが長距離バスがぼってくることだ。これは中南米ではボリビアをのぞき、なかった。どこもほとんど料金が決まっていて、みな同じ値段。まぁ、それはどこも会社という組織で動かしているから、そのようになっているのだろうから、そもそも会社になっていないこちらとは比べられないのかもしれない。
そんなことを眠い頭で思いつつ、タクシーに乗る。10分もせずにもう1つのバス乗り場に到着。ここもターミナルというかただの駐車場という感じで、確かにダカールから乗ってきたものと同じようなミニバス(ぼろぼろの大型ワゴン)がたくさん駐車している。ただ人気はなし。
タクシーはその駐車場で停車。停車したところには男が2人おり、照明があるものの薄暗い中、おしゃべりしていた。
タクシーを降りるとその男たちが声をかけてきてこっちに来いという。男たちは椅子に座っていたものの、その隣には30人くらいは座れる広いゴザを敷いていた。そこに座るよう促され、どこに行くのかと聞いてくる。国境の方だと言うと、ここで待つように言う。
ゴザに横になる。蚊が心配だったのでリュックの中から蚊取り線香を取り出し火をつける。思ったほど蚊はいない。寝ころんでいると男が話しかけてきて、14000CFA(約3000円)で今すぐ車に乗せて国境まで連れていくがどうだと聞いてくる。高いので却下。
寝たら蚊に刺されそうなので、目は開けたまま仰向けになって待つ。空は曇っていて星は少ない。
1時間ほどたった4時頃、夜明けまであと3時間かぁ・・・、などと思っていたところへ1台のミニバスが駐車場に入ってくる。すると椅子に座った男が、声をかけてきてあれだと言ってくる。あわてて線香の火を消し、荷物を持って車の方に行く。
値段を聞くと5000CFA(約800円)。地図で見た距離からするとそんなもんだろう。
助手席に座らされる。助手席は後ろの座席と違ってゆったりしているから楽だ。
車はすぐに走り出す。真っ暗な外灯もない道をひたすら走る。道は舗装されているからまったく快適。うつらうつらしながら到着を待つ。
夜が明けてから1時間ほどたった7時半頃、マリ側の国境近くに到着。てっきり国境まで行ってくれると思っていたのに、バスは道ばたの空き地のような駐車場に止まる。そこで雨が降り出す。
慌てて近くにあった軒下に行き、そこでリュックカバーなどをかけ、雨対策をする。
駐車場にはミニバスの客を狙ったタクシーが来ていて、ぼくにも声をかけてくる。国境まで行くというので、それに乗る。運賃1000CFA(約200円)。
雨は土砂降りの一歩手前くらい。けっこう強い。バスを降りたところから15分ほどでセネガルの国境に着く。タクシーの運転手が指さし、仕草でスタンプをあそこでもらうよう言う。
タクシーを降りて警察の建物に行く。特に質問もなく、けっこうすんなり終わる。
またタクシーに乗って10分ほど行くと、左手に注射している大型バスが見えた。タクシーはそこで止まる。これがマリのバマコに行くバスらしい。
バスが止まっている奥にはぼろぼろの蔵のような建物があり、そこにたくさんの旅行用バックがあった。またその建物の中にはマットレスをしいて寝ている人も。
その建物の表でバスのチケットの販売をしているのだが、屋根のトタンはあちこちに穴が空いていて、足下にもどんどん水たまりができている。
バマコまで行きたいというとチケットを切ってくれる。値段は12500CFA(約3000円)。けっこう高い。
ここまで来たはいいもののまだ入国手続きをしていない。雨があがったところでちょっとあたりをふらふらしてみる。バマコへ続く一本道を挟むようにいくつかの商店が並んでおり、その裏側には住宅が建ち並んでいた。
商店で水を買ったついでに警察がどこにあるのか聞く。1kmくらい離れていると言われたが、とりあえず教えてもらった方向に行ってみる。が、それらしき建物は見えない。他に国境を渡って来た人たちもいるだろうから、バスが警察前に止まるかと思い、バスの所に戻り、チケット売りのおじさんに片言フランス語で警察に行くか聞くと行くという。
タクシーでここに着いてから2時間たった10時頃、バスのエンジンがかかる。リュックを持って荷台のところに行くが、ここからが長かった。
バス会社のスタッフが客の荷物に白いテープを貼って、それぞれのチケットの番号などをそのテープにマジックで書いていくのだが、それをこれから乗るというときになって始めたものだから、なかなか終わらない。この2時間の間に、というか、チケットを売った直後にその作業をしていれば、すぐに発車できたろうに、なんでこう要領が悪いのかとやや遠目に見ながら思う。
結局、乗客全員の荷物をさばくのに1時間かかり、発車したのは11時過ぎ。その間、ずっとエンジンはつけっぱなし。
走り出して15分ほどでバスは停車。荷物のチェックをする警察の前で止まる。そこからちょっとだけ移動し、今度が入国手続き。なぜかみな1000CFAを審査官に払っているので、賄賂の請求でもあるのかと思っていたら、そういうことはなく、質問も仕事と行き先を聞かれただけで無事入国できた。
マリに入ってもセネガル同様緑が多い。土で塗られた家家がなかなかきれい。
それにしても大型バスは楽だ。ただ、ぼくの座席は背もたれが壊れていて、勝手に後ろに倒れる。後ろのおばちゃんはなかなかの体格で、かつ前の座席との間は狭いから、背もたれに背を預けていると後ろから突き上げるようなことをする。そんなことされても壊れているからしょうがない。それに長距離バスで背もたれを使わずにいるなんて至難の業だし、金払った意味がない。目が冴えているときはおばさんに気を使って背もたれは使わずにいたが、眠くなるとそんなことお構いなく寝る。
マリ側に入ると頻繁にバスは止まる。警察のチェックが3度ほどあり。そのチェックポイントには露店が出ているから、そこで食い物などは買える。炭火で羊か何かの肉を豪快に焼いている屋台もあり、うまそうだったが、まだ先は長いので我慢。
14時くらいにも道ばたにバスが止まる。乗客の7割くらいが降り、なかにはmyゴザor my絨毯を持って出ていった人が居たので何かと見ていたら、みな適当に道の脇の草むらに場所をとり、お祈りを始めた。今回の停車はそのためだけの停車だったよう。
17時頃、また警察チェックで停車。そこでこらえきれず、肉を食う。牛なのか、羊なのか、ヤギなのかわからなかったが、500CFA(約120円)ぶん頼むと300g程度の肉を30kgの米袋の茶色い紙のような紙に包んでくれる。塩気もちょうどよくうまい。2軒の店でそれぞれ500CFAずつ買ってしまった。
夜はぼつぼつ寝る。セネガルの車が狭苦しかったから、今日はけっこうゆっくり眠れる。
Fin
[Tambacounda:Senegal→Mali]
・真夜中の乗り換え
・雨のマリ国境
・久々の大型バス
・お祈りタイム
※レート
1ユーロ=655CFA
尻の痛みでときどき目覚めつつも、けっこう眠り込んでいた。
車が止まり、エンジンが切られる。みなが車から降りていく。どうも終点のTambacoundaに着いたらしい。ぼくもやや寝ぼけた状態でよろよろしながら車を降りる。
外は真っ暗。夜明けはまだずいぶん先っぽい。時計を見ると3時。はぁ~、とため息が出る。ダカールで4時間近く待たされた結果がこれ。これじゃあ、宿に泊まるにも入り口が閉まっていて泊まれない。
なんでこうなるのかがよくわからない。3時に着くってあんた・・・。せめてダカールを昼の12時に出れば夜中の12時前に着くのに。なぜ時間を指定して、その時間までに客を集めないのか? みんな時計を見ながら動く習慣がないからか? 車の主はいい気分だろう。運転は下っ端に任せているから、自分が眠気と闘いながら運転する必要はないし、車には乗れるだけの客を乗せて走るからそのぶん実入りもいい。出発予定時刻という時間に拘束されず、車に乗れるだけの客が集まるまで待つ/待たせるのだから、毎日の収入は最大限が約束されている。
もっとも毎日、自分の車が走れるかどうかというのはわからない。想像でしかないが、見ている限りではどの長距離バスもカルテルのように、すでに既得権益を持っている人々がグループを作り、それぞれ利益を得られるようにあれこれ調整しているよう。だから、もしかしたら、車を出せるのは2日に1回とか、3日に1回とかかもしれない。誰かここのバス業界の仕組みを調べた人はいないのか?
こんな時間に着きやがって、まったく、バカじゃねぇか、と思いながら、リュックを受け取る。
バスが着いた場所には外灯があって、客待ちしているタクシーが数台あった。木製のベンチにはヨーロピアンらしき若い男性が2人、明かりの下で日記を書いたりしている。おそらく彼らも夜中に着いたために、明け方までここで待つのだろう。
ぼくも朝までここで待つしかないかな、と思っていたら、若い男がマリ?と聞いてきた。ウィ(やっとSiのクセが抜けた)と答えると、マリに行くバス乗り場はここではなく、別の離れた場所にあるからタクシーに乗れと言う。
なんで同じ場所にまとめないかな、と思いつつ、どうするか思案する。当初の予定ではここに泊まって明日か明後日にマリに向かおうかと思っていたのだが、朝までここで待って、明日改めてバスを探すとなるとまた3時間待ち4時間待ちが待っている。そう思うと、当初の予定は面倒に思えてきて、ここは一気に移動した方がストレスが少なくていいかもしれないと思う。
この男が言うようにバス乗り場が別にあるのかということはわからなかったが、ぼくの他におばさんが乗っていたので、この人も一緒なら嘘ではないかもしれないと、あまり深く詮索せずにタクシーに乗ることにする。料金を聞くと500と言った後にバガージュが500CFAと言ってくる。トータルいくらだと言ったら1000CFAと言う。どうせ荷物代はぼったくり分だろうと思い、すでにタクシーに乗っていたおばさんに運賃を訪ねると500CFAと言った。車の荷台にはおばさんの荷物もあった。
ほんとにモロッコに入って以降、タクシーの運転手は外国人と見ればカネづるとしか思っていない。もちろん中南米でもどこでもタクシーの運転手はそういう奴が多いが、それでもここまでの割合でぼったくってくる国は少ないように思う。エクアドルやペルーでもタクシーに乗ったが、感覚としてはだいたい半々。つまり5割はぼったくってくるが、5割はローカルプライスだったように思う。まぁ、これも今から思えばという感覚なので当てにならないが、少なくともここでは今のところほぼ100%の確率でぼってくる。
モロッコ以降、たちが悪いのが長距離バスがぼってくることだ。これは中南米ではボリビアをのぞき、なかった。どこもほとんど料金が決まっていて、みな同じ値段。まぁ、それはどこも会社という組織で動かしているから、そのようになっているのだろうから、そもそも会社になっていないこちらとは比べられないのかもしれない。
そんなことを眠い頭で思いつつ、タクシーに乗る。10分もせずにもう1つのバス乗り場に到着。ここもターミナルというかただの駐車場という感じで、確かにダカールから乗ってきたものと同じようなミニバス(ぼろぼろの大型ワゴン)がたくさん駐車している。ただ人気はなし。
タクシーはその駐車場で停車。停車したところには男が2人おり、照明があるものの薄暗い中、おしゃべりしていた。
タクシーを降りるとその男たちが声をかけてきてこっちに来いという。男たちは椅子に座っていたものの、その隣には30人くらいは座れる広いゴザを敷いていた。そこに座るよう促され、どこに行くのかと聞いてくる。国境の方だと言うと、ここで待つように言う。
ゴザに横になる。蚊が心配だったのでリュックの中から蚊取り線香を取り出し火をつける。思ったほど蚊はいない。寝ころんでいると男が話しかけてきて、14000CFA(約3000円)で今すぐ車に乗せて国境まで連れていくがどうだと聞いてくる。高いので却下。
寝たら蚊に刺されそうなので、目は開けたまま仰向けになって待つ。空は曇っていて星は少ない。
1時間ほどたった4時頃、夜明けまであと3時間かぁ・・・、などと思っていたところへ1台のミニバスが駐車場に入ってくる。すると椅子に座った男が、声をかけてきてあれだと言ってくる。あわてて線香の火を消し、荷物を持って車の方に行く。
値段を聞くと5000CFA(約800円)。地図で見た距離からするとそんなもんだろう。
助手席に座らされる。助手席は後ろの座席と違ってゆったりしているから楽だ。
車はすぐに走り出す。真っ暗な外灯もない道をひたすら走る。道は舗装されているからまったく快適。うつらうつらしながら到着を待つ。
夜が明けてから1時間ほどたった7時半頃、マリ側の国境近くに到着。てっきり国境まで行ってくれると思っていたのに、バスは道ばたの空き地のような駐車場に止まる。そこで雨が降り出す。
慌てて近くにあった軒下に行き、そこでリュックカバーなどをかけ、雨対策をする。
駐車場にはミニバスの客を狙ったタクシーが来ていて、ぼくにも声をかけてくる。国境まで行くというので、それに乗る。運賃1000CFA(約200円)。
雨は土砂降りの一歩手前くらい。けっこう強い。バスを降りたところから15分ほどでセネガルの国境に着く。タクシーの運転手が指さし、仕草でスタンプをあそこでもらうよう言う。
タクシーを降りて警察の建物に行く。特に質問もなく、けっこうすんなり終わる。
またタクシーに乗って10分ほど行くと、左手に注射している大型バスが見えた。タクシーはそこで止まる。これがマリのバマコに行くバスらしい。
バスが止まっている奥にはぼろぼろの蔵のような建物があり、そこにたくさんの旅行用バックがあった。またその建物の中にはマットレスをしいて寝ている人も。
その建物の表でバスのチケットの販売をしているのだが、屋根のトタンはあちこちに穴が空いていて、足下にもどんどん水たまりができている。
バマコまで行きたいというとチケットを切ってくれる。値段は12500CFA(約3000円)。けっこう高い。
ここまで来たはいいもののまだ入国手続きをしていない。雨があがったところでちょっとあたりをふらふらしてみる。バマコへ続く一本道を挟むようにいくつかの商店が並んでおり、その裏側には住宅が建ち並んでいた。
商店で水を買ったついでに警察がどこにあるのか聞く。1kmくらい離れていると言われたが、とりあえず教えてもらった方向に行ってみる。が、それらしき建物は見えない。他に国境を渡って来た人たちもいるだろうから、バスが警察前に止まるかと思い、バスの所に戻り、チケット売りのおじさんに片言フランス語で警察に行くか聞くと行くという。
タクシーでここに着いてから2時間たった10時頃、バスのエンジンがかかる。リュックを持って荷台のところに行くが、ここからが長かった。
バス会社のスタッフが客の荷物に白いテープを貼って、それぞれのチケットの番号などをそのテープにマジックで書いていくのだが、それをこれから乗るというときになって始めたものだから、なかなか終わらない。この2時間の間に、というか、チケットを売った直後にその作業をしていれば、すぐに発車できたろうに、なんでこう要領が悪いのかとやや遠目に見ながら思う。
結局、乗客全員の荷物をさばくのに1時間かかり、発車したのは11時過ぎ。その間、ずっとエンジンはつけっぱなし。
走り出して15分ほどでバスは停車。荷物のチェックをする警察の前で止まる。そこからちょっとだけ移動し、今度が入国手続き。なぜかみな1000CFAを審査官に払っているので、賄賂の請求でもあるのかと思っていたら、そういうことはなく、質問も仕事と行き先を聞かれただけで無事入国できた。
マリに入ってもセネガル同様緑が多い。土で塗られた家家がなかなかきれい。
それにしても大型バスは楽だ。ただ、ぼくの座席は背もたれが壊れていて、勝手に後ろに倒れる。後ろのおばちゃんはなかなかの体格で、かつ前の座席との間は狭いから、背もたれに背を預けていると後ろから突き上げるようなことをする。そんなことされても壊れているからしょうがない。それに長距離バスで背もたれを使わずにいるなんて至難の業だし、金払った意味がない。目が冴えているときはおばさんに気を使って背もたれは使わずにいたが、眠くなるとそんなことお構いなく寝る。
マリ側に入ると頻繁にバスは止まる。警察のチェックが3度ほどあり。そのチェックポイントには露店が出ているから、そこで食い物などは買える。炭火で羊か何かの肉を豪快に焼いている屋台もあり、うまそうだったが、まだ先は長いので我慢。
14時くらいにも道ばたにバスが止まる。乗客の7割くらいが降り、なかにはmyゴザor my絨毯を持って出ていった人が居たので何かと見ていたら、みな適当に道の脇の草むらに場所をとり、お祈りを始めた。今回の停車はそのためだけの停車だったよう。
17時頃、また警察チェックで停車。そこでこらえきれず、肉を食う。牛なのか、羊なのか、ヤギなのかわからなかったが、500CFA(約120円)ぶん頼むと300g程度の肉を30kgの米袋の茶色い紙のような紙に包んでくれる。塩気もちょうどよくうまい。2軒の店でそれぞれ500CFAずつ買ってしまった。
夜はぼつぼつ寝る。セネガルの車が狭苦しかったから、今日はけっこうゆっくり眠れる。
Fin
2008年10月18日土曜日
[速報]サナア(イエメン)いり
ただいま10月18日の夕方18時前です。
今日の9時ごろイエメンの首都サナアに着きました。
前回の投稿で船で行くと書きましたが、結局、最初に出発を予定していた日には「今日は船はない、明日来い」となり、その日にまた連絡してみると、結局その日もないということになり…
3度ほど嘘(なのかホントなのか…)をつかれたので、最終的にはこういう奴等にはつきあってられんな、となり、飛行機で今朝、ジプチからここに移動してきました。飛行機代は往復250米ドル。片道は売ってくれませんでした。ちなみに船では50米ドルほどでモカに渡れるはずでした。
これでとりあえず3ヶ月のアフリカを終えたわけですが、最後までがっかりさせてくれましたね。
さてイエメンですが、すっかり人もまちの雰囲気もアフリカとは変わってくれたおかげで気分一新。物価も安い。宿代は500円程度でアフリカの10米ドル程度の宿と同程度あるいはそれ以上。ネットは1時間50円もせず、飯は200円程度。アフリカと比べれば、チャイナ、チュンチョンちゃんと言われる回数も格段に減りました。何より気温が25度程度というのがジプチにいた身としてはさわやかで気持ちがいいですね。南に行くとまた違うようですが。
サナアでは何週間か前にアメリカ大使館が爆破され、今年5月だったかには日本人旅行者がイエメン北部地域で誘拐され、その他にも一部の地域では外国人が誘拐される事件が発生しているということで、国内の移動がほかの国と比べると面倒になっています。パーミットと呼ばれる警察が発行する許可証を持っていないとサナア以外の都市には行けなかったり、またサユーンというオマーンに行くときの起点になるまちに行くバスにも外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)という状態になっています。
が、まちを歩いている限りでは一部政府関係施設の警備をのぞけばあまり物々しい雰囲気はなく、のどかなものです。
ここではオマーンのビザとパーミットを明日とって、あさってにはモカなどがある南部に移動する予定です。
では。
2008.10.18 18;05
Sana'a、Yemen
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今日の9時ごろイエメンの首都サナアに着きました。
前回の投稿で船で行くと書きましたが、結局、最初に出発を予定していた日には「今日は船はない、明日来い」となり、その日にまた連絡してみると、結局その日もないということになり…
3度ほど嘘(なのかホントなのか…)をつかれたので、最終的にはこういう奴等にはつきあってられんな、となり、飛行機で今朝、ジプチからここに移動してきました。飛行機代は往復250米ドル。片道は売ってくれませんでした。ちなみに船では50米ドルほどでモカに渡れるはずでした。
これでとりあえず3ヶ月のアフリカを終えたわけですが、最後までがっかりさせてくれましたね。
さてイエメンですが、すっかり人もまちの雰囲気もアフリカとは変わってくれたおかげで気分一新。物価も安い。宿代は500円程度でアフリカの10米ドル程度の宿と同程度あるいはそれ以上。ネットは1時間50円もせず、飯は200円程度。アフリカと比べれば、チャイナ、チュンチョンちゃんと言われる回数も格段に減りました。何より気温が25度程度というのがジプチにいた身としてはさわやかで気持ちがいいですね。南に行くとまた違うようですが。
サナアでは何週間か前にアメリカ大使館が爆破され、今年5月だったかには日本人旅行者がイエメン北部地域で誘拐され、その他にも一部の地域では外国人が誘拐される事件が発生しているということで、国内の移動がほかの国と比べると面倒になっています。パーミットと呼ばれる警察が発行する許可証を持っていないとサナア以外の都市には行けなかったり、またサユーンというオマーンに行くときの起点になるまちに行くバスにも外国人は乗れない(チケットを売ってくれない)という状態になっています。
が、まちを歩いている限りでは一部政府関係施設の警備をのぞけばあまり物々しい雰囲気はなく、のどかなものです。
ここではオマーンのビザとパーミットを明日とって、あさってにはモカなどがある南部に移動する予定です。
では。
2008.10.18 18;05
Sana'a、Yemen
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