2008年4月27日日曜日

プーヨからクエンカへ(今日は交通事故)

2008.4.17(木)

・交通事故
・雲海
・レインボー

鶏の声がしたので、5時頃だろうと起きる。外はまだ暗い。時計を確認すると、5時過ぎ。夜中、眠りを邪魔するくらいの音をたてて降っていた雨はやんでいる。腹はまだ全快には至っていない模様。

荷造りをして、6時前に部屋を出る。廊下の電灯は自動式。歩いていると廊下に階段にと明かりが点く。宿の人はすでに起きていたので、鍵とテレビのリモコンを渡してチェックアウト完了。

外はそこそこ涼しいが、キトほどではない。25度くらいだろうか。

ターミナルはすぐそこ。1分もかからずに着く。すでに売店の準備も始まっていて、バス乗り場のところではゆがいたうずらの卵を売っているおじさんがいる。

アマゾン川を北上するつもりだったが、どうもずっとは道がつながってはおらず、またバスも少ないようだったので、またアンデスの道に戻ることにした。まずはAmbato(アンバート)というところへ。

ここに行くバスは1時間に数本あったので、早く出るバス会社のバスに乗ることにする。幸い6時発があったので、そのチケットを買う。2.5米ドル。

エクアドルの長距離バスは、結果的にか、だいたい1時間1ドルという料金体系になっている。この体系からするとプーヨからアンバートまではだいたい2時間半というわけだ。

バスはほぼ予定通りに発車する。乗客はそこそこ多く7~8割の席が埋まっている。空は曇り空で道沿いを流れる川も霞がかかって川面が見えない。

そこへ流れ込む小さな川は、茶色く濁っていて、昨日見たよりも勢いがいい。

工事現場で働く人なのか、長靴を履いたおじさんや若いにいちゃんたちが、ところどころで降りていく。制服を着た子どもが数人乗ってきたりもする。このバスは長距離バスとしてだけではなく、隣のまちやむらをつなぐ路線バスのような役割も果たしているらしい。

川沿いの片側一車線、ときおり未舗装、たまに小さな土砂崩れの曲がりくねった道をバスは走っていく。1時間もするとそれまでの緑の濃い山の風景が一転。てっぺんまで耕し尽くされていている風景になる。

ぼくはしばらく睡眠タイム。目が覚めてみると、眼下に広がる盆地にビニールハウスがあちこちにあるのが見える。沿道には苗屋らしき家があり、そこには何かの作物の苗がポット苗のように、小さなビニール袋に入れてずらっと並べてある。

オタバロに行く途中の花屋と言い、ここといい、ビニールハウスがこんな密度であるなんていうのは想像していなかった。

アンバートには9時に到着。ターミナルではなく、ターミナル前の道路で降ろされる。荷物を背負って、ターミナルに行く。ここも複数のバス会社が窓口を持っていて、窓口の人は行き先を連呼している。声をかけてきた人に、Cuenca(クエンカ)かLoja(ロハ)に行きたいというと、バス会社を教えてくれる。

そこに行き、同じ事を言うと、ロハ行きのバスは午後になるから、クエンカに行ってそこで乗り換えた方がいいと言われる。それならとクエンカ行きのチケットを買う。8米ドル。

出発時間は40分後の9時45分。ターミナルに連れていくからと言われ、バスが並んでいる乗り場にスタスタと向かっていたら、そのおじさんにチーノと呼び止められ、こっちだと合図される。

どうもこの会社のバス乗り場は、このターミナル内にはなく、自前で持っているよう。おじさんは歩きながら、コリアンかと聞いてくる。その他、エクアドルは好きか、ペルーにも行くのかと聞かれる。

この会社のバス乗り場はターミナル正面が面している大通りを渡って、狭い路地に入ったところで、直接ここを探そうとしたら目立たないため、かなりわかりにくいところにあった。

ベンチがあり、そこで待っておけというので、しばしベンチでボーとする。やがてバスが入ってくる。今度のバスはメルセデスベンチ、じゃなくて、メルセデスベンツだ。

さっきチケットを買うときに、おじさんの机の上に時刻表らしきものがあって、行き先とバスの車体のメーカー名を書いた一覧があった。それを見たら、この会社のバスの1割くらいがジャガーかなにかで、残りをメルセデスベンツと日野自動車が占めていた。キトでもそうだったが、エクアドルに来てからは日野のバスが目立つ。

ここの社員らしきおじさんは、入ってきたバスの右後部に移動式の階段を付けて、屋根に登り、ビニールカバーを準備している。まさかこんな大型バスなのに屋根に荷物を乗せるなんてことはないよな、と思ったら、そのまさかだった。

ただ、荷物と言ってもリュックなどではなく、花。両手で抱えてさらに足りないくらいの束の花などが、乗り場に持ち込まれ、それが屋根に乗せられ、最後にビニールシートをかぶせられる。

ぼくはリュックを預け、適当に座る。車内にはみかんとブドウを持ったおばちゃんが入ってきて、”タマリンド”などと言いながら、席をまわって売り歩く。それに続いて、白い髭を生やしたおじさんが、ジュースと銀色の小さなビニール袋に入ったスナックを手に乗り込んでくる。物売りの人にしてはえらく身なりがサラリーマンくさいなと思っていたら、そのおじさんはバス会社の人で、手に持っていたジュースと小袋は、乗客へのサービス品だった。

まさかこんなサービスがあるとは思っていなかったので、驚く。今日は、腹のことを考えて、断食の予定だったが、これでは予定を変更せざるをえない。銀の袋を開けるとバナナチップス。これは塩味だった。発車する前になくなる。ナランハ&リモンジュースも同様。

バスはやや遅れて10時前に発車。アンバートのまちを抜け、また山岳地帯というか、牧畜・農村地帯に入る。昨日も見たような風景が続く。山に挟まれたあらゆる土地は耕されたり、放牧場になっている。牛や羊、リャマなどが草を食んでいて、畑では桑を使って耕している人や何かを収穫しているような人がいる。

女性の多くがいわゆる民族服をきて、仕事をしている。牧草地にゴールを立てただけのように見えるサッカー場では、中学生くらいの子たちの試合が行われていて、そこだけ人口密度が異常に高い。

目を奪われたのは水路の美しさ。もちろんU字溝などは入っていない水路で、50cmほどの幅の水路が畑の間を流れている。50年も前の日本の水路もこんなふうにきれいだったのだろうなと思いながら、眺める。

バスは坂道を力を入れて走りあがる。徐々に高度が上がってきたようで、谷間には雲が見える。13時過ぎには雲の中に突入。

雲の中に突入してしばらくするとバスは止まってしまう。これは事故か何かかと窓から顔を出し、前の方を見るがよく見えない。救急車の車体が見えるので、どうも事故っぽい。

窓から顔を出した状態のまま、前を眺めていたら、物売りの声がして、下を見るとバナナチップとピーナッツを持った男の人が売りまわっている。こんなところで商売をするなんて、なんという嗅覚だとたまげる。バスに乗っていた中学生らや子連れの家族が50センターボのそれらのお菓子を買っていく。それにつられて、ぼくもバナナチップを買う。今度のは甘い。甘いバナナを揚げたよう。

バナナチップを食べながら、窓から顔を出し、前の様子を伺う。対向車線は動き出したようで、同じような大型バスとすれ違う。手を伸ばせば届くくらいの距離ですれ違ったのだが、その際、なぜか向かいのバスに乗っている人たちがぼくを見てにこやかに笑っている。前の方から後ろの方へ情報が伝わり、次々とこちらを見る。バナナチップを加えた東洋人が珍しいのか、なんなのか。軽く会釈をすると手を振ってくれたので、バカにして笑っているわけではなさそう。

その渋滞を通り抜け、バスは救急車の後を追うように雲の中を走る。雲のおかげで見通しが悪いうえに、曲がりくねった道。せいぜい30kmくらいしか出ていないだろう。

バナナチップを食べて満足したのか、ちょっと眠くなりうとうとしだす。ちょうど窓の外は白いばかりでほとんど何も見えない。

14時、お昼の休憩のようで、30分ほどまちのレストラン前でバスは停車。降りたらまたその辺のものを食いたくなると思い、車内にいて我慢する。

いつの間にか寝ていて、目が覚めかけたとき急ブレーキを感じ、パッと目を開ける。おっと、どうしたのかなと思った瞬間、グァシャンという音がして女の人の軽い悲鳴を聞くと同時に、前の座席につんのめる。膝を前の座席の下の方に強(したた)かにぶつける。イッテー。

今の衝撃だと完全に何かにぶつかったよう。窓を開け、前を見る。進行方向左側の後ろから2番目に座っていたぼくの場所から見えたのは、対向車線の路肩に斜めになって止まっているこのバスの車体だけ。運転手がドアを開け、降りるのが見える。どうもぶつけたのは、こちら側ではないらし。

右側の窓からは他の乗客が乗り出して外を見ており、騒然している。ぼくも席をたって、右側の窓から前を見る。中型のトラックがこちらを向いて止まっており、その荷台の右側とこのバスの右正面が接触しているのが見える。

右側通行でお互い右側をぶつけるという、どういうふうにぶつかったのかよくわからない状況。

乗っていた中学生くらいの子たちは、これはしばらく動かないと見たのか、次々とバスの窓から飛び降りていく。また、運転席から降りていく者もいる。ぼくはしばらく車内にいて、窓から様子を見る。なんともすばやいことに10分もしないうちに警察が一人来る。そして、路上に集まっている人たちに端に寄ってというようなことを言っている。

また、バスの脇ではトラックの運転手らしい男の人とバスの運転手が口論している。そこへ警察が割り込む。

みな降りていくのでぼくも降りるかと荷物を持って、運転席の方へ向かう。後ろに座っていた男の子が、ぼくと同じように前の方に移動してきて、ぼくに何やら不安そうに言ってくるのだが、何を言っているのかわからない。

見ると車内に残っていた赤子を抱いた女性は、額を切り、その部分を拭ったようで、顔中が血で赤くなっている。持っていたバンドエイドを出し、なんと言って渡せばいいのかわからなかったので、額に張ってという仕草をするが断られる。

バスの乗車口まで来て、どのようになっているのかがわかった。バスの右正面は完全につぶれており、フロントガラスも割れ、乗車口のドアも原型を留めていない。乗車口の部分がトラックと接触していて、ここからは降りるこはできない状況。左側の運転席の方は、それほど損傷はないようで、きれいな状態だった。

この状態ではちょっと再び走り出すのは無理だなと思いながら、乗車口の方から運転席の方へ移動しようとしたとき、トラックのエンジン音が聞こえ、バリバリっという音とともに動き出す。

その音を聞いてさっき話しかけてきた12~13歳くらいの男の子がパニックになり、”Policia!(ポリシア)”と外にいる警察に向かって、ほとんど泣きかけの声で叫ぶ。取り残されると思ったのか、自分をバスから降ろしてというようなことを言っているよう。

そんなに興奮しなくても大丈夫なのに、と思いながら、ぼくはその子の肩をつかみ、こっちと運転席に連れ行く。その子の声を聞いたのか、運転席の外におじさんがやってきて、”Baja,baja(バッハ、バッハ:降りろ、降りろ)”とその子を促す。その子に続いてぼくも降りる。おじさんはまだ中にいるかと聞いてくる。

外に出てみると、想像以上に霧が濃いというか、雲が濃いというか、見通しが悪かった。10m先も見えないほどで、車のライトが見えたと思ったら、すぐそこまで来ている。

応援の警官が車でかけつけ、交通整理をしながら、状況の確認などをしている。

バスが走ってきた方から車が走ってきて、乗客の一人のおじさんが口笛を吹き、ゆっくりゆっくりというような仕草をする。そして、その車が止まった瞬間、急ブレーキの音が聞こえ、後ろから来た車が左に切りながら、その止まった車に衝突する。

ちょうど多くの乗客がたまっていたいた方向にハンドルをきる形で、後続車は来たため、立っていた乗客はそれに驚き、一斉によけようとする。ある女の人は悲鳴を上げながら、路肩の方に足がもつれたように座り込む。その人の両腕の中にはまだ1歳くらいの子どもがいて、女の人はほとんど泣きかけている。

幸か不幸か後続車は、前の車にぶつかったため、こちらまで来ることなく、止まる。右の前輪は完全にパンクして、右側のフロントも深くつぶれている。

乗っていた人は無事のようで、中から同じ服を着た男の人が4人ほど出てくる。肩の文字を見ると、どうもこの事故のことを聞いてかけつけた車の整備士か何かのよう。

すぐに自分たちの車の修理を始める。バスも運転手らが何やら修理のようなことをしている。バスの前に行ってみると、そこにはコンクリートの材料になるような砂がもられていて、それを地元の人らしい山高帽をかぶったおじさんが二人、スコップで路肩の端の方に寄せている。

言葉がわからないので、推測でしかないが、どうも反対車線から来たトラックはこの砂をよけようと左にハンドルを切ったところ、そこにバスが来てぶかったようだ。砂は反対車線の路肩から真ん中近くまで広く盛られており、よけるには対向車線に一旦でるしかない。なんでこんなふうに車が通る部分に砂を盛っていたのかはよくわからない。

それにしても運転手はよくぞ左にハンドルを切ったものだ。右に切れば谷の方にバスは転げ落ちていただろう。谷側には有刺鉄線が張られているもののガードレールのようなものはない。谷の方からは牛の鳴き声がするので、牧場か何かになっているようだが、ここらの牧場の傾斜は尋常でない。

時計を見ると15時過ぎ。雲の中にいるため、みなの髪の毛には水滴がつき、背負っているリュックなども徐々に湿ってくる。キトで3ドルちょっとで買ったポンチョ型の合羽を取り出し、かぶる。

う~ん、これはどうなるんだろうと思っていると、乗客の人たちが集まってなにやら警察の話を聞いている。まったく状況がわからん。でも、みんなの様子を見ていると、なんとかなりそうなので、ぶらぶらと様子を見ながら待つ。

大型バスや乗用車が通り過ぎていく。

しばらくして、空っぽの黄緑色の車体のバスが到着。どうもこれが代わりのバスのよう。みんな押し合いへし合い乗り込んでいく。そんなに慌てなくてもいいだろうにと思いながら、つぶれたバスの修理をしている運転手に荷物を出してもらうよう頼み、預けていたリュックを取り出し、新しいバスに移る。

車内に入ると全席埋まっていて、ぼくが座る席はなかった。みんなが慌てていた理由はこれか、と今頃になって気づく。しょうがないので後ろの方に立つ。どうせ隣のまちまでという人がいるだろうからすぐに座れるだろう。

そう思っていたら座っていた人が突然たち、バスから出ていった。それを見て、その後ろに座っていたおばさんが、ここに座りなと合図してくれる。ありがたや、ありがたや。

出発前につぶれた方のバスの運転手が、なぜかチケットの回収をする。それから新しい運転手が客のチェックをする。ぼくの前の方に座っていたおばさんは、ぼくの方を指さしながら運転手に、”・・・mienbro(ミエンブロ)・・・”と伝えている。どうもその音から英語のmemberと言っているよう。つまり、アンバートから一緒に乗ってきたと伝えてくれているようだった。

何が起こっているのかわからないぼくは、どうもどうも、と繰り返すだけ。

やがてバスは発車。時刻は16時で、予想したよりも対応はずっと早かった。

バスが走り出すとともに、通路を挟んでぼくの右側に座っていた若い男の人と、その前に座っていたおばさんは、十字をきる。

1分も走ると両脇にコンクリート製の家や店が立ち並んでいるのが見える。事故現場はこの集落のほんの手前だったよう。そういえば、さっき窓から降りていった中学生たちがバスには乗っていないので、もしかしたらこの集落の子たちだったのかもしれない。警察署もあって、最初にかけつけた警察はここから来たようだった。

20分も走ると雲から逃れ、あたりがよく見える標高まで下がる。車内ではゴキゲンなメキシコ系の音楽がかかっているが、これを気持ちよく聞いていた人は、おそらく乗客の中にはいなかっただろう。

目的地に迎えが待っているのか、通路を挟んで右側の一つ手前の席に座っているおばさんは、頻繁に携帯で連絡をとっている。ふと声が涙声になり、しゃくりあげる音も聞こえる。親しい人の声を聞いて、さっきまでの緊張が切れたのだろうか。話しながら泣いている。

ぼくの左前に座っていた若い女の人も携帯で、なにやらメールをしている。そして、ふいにぼくの方を向いて、"Por donde estamos(ポル ドンデ エスタモス:どこら辺に私達はいるの)?"と聞いてくる。ぼくに聞かれてもここは初めてですから・・・と思いつつ、わからないと答える。

ふ~ん、という感じで、今度は前の席のおばさんに聞くが、手でわからないという返事。そして、今度はさっき泣いていたおばさんに聞き、そのおばさんはぼくの右となりに座っている若い男の人に聞き、彼はまたその後ろのおじさんに聞き、ようやくわかる。おじさんが言うには、今走っているところはタンボ(El Tambo)というところだった。

すぐに沿道に看板が見え、そこには終点のクエンカまで68kmとあった。もうだいぶ近づいている。あと2時間くらいか。20時前には着きそうだ。

ここらも山のてっぺんまで畑と牧草地。民族服を来たおばあちゃんが、体積はその体の3倍近くはあろうという草(収穫した何かかもしれない)を小さな背に抱え、家に続く斜面を登っている。

谷間にはきれいに雲がかかっているが、その他はきれいな青空。ここらでは雲海なんて日常なんだろうな、と思う。ここらでは雲は見上げるものではない。いつもそばにあり、もしかしたらここらの作物にとっては、貴重な水分を運んできてくれるものかもしれない。

車は一旦下ってまちの中を通った後、また上り坂を走る。左手を見ていると空と谷との間に虹がかかっていた。

また雲の中にバスは入る。ぶつかる前まではうとうとしていたが、あれ以後はまったく眠気はこない。みんなきっとそうなのだろうなと思っていたら、隣の女の人は寝ていた。

雲から抜け、6時頃になるとだんだんあたりが暗くなってくる。やがて、車道が片道3車線になり、中央分離帯には街灯が点っている。沿道には取ってきたまちや村ではあまり見なかったオレンジ色の瓦屋根の立派な家が見え、クエンカにもう入りつつあるのだなということがわかる。

今日、泊まることになるクエンカは人口41万7000人で、南部の中心都市。ガイドブックによれば、議論はあるもののエクアドルで一番きれいなまちとも言われているらしい。

沿道にKIAや三菱ふそう、ホンダなど自動車屋が見え、やがてターミナルらしき大きな建物が左手に見える。バスは左に曲がってターミナルに入っていくと思いきや、ターミナル側の道端に停車。ここでみんな降りる。そこにバス会社の事務所があるわけでもないのに、なんでここで降ろされるのかがよくわからない。

とにかくバスを降りてリュックを背負う。時刻は19時ちょっと前。予想よりも早く着いた。周りを見渡すと2軒、ホテルが見えたので、2軒まわる。一つの宿は1人ものは泊まれないらしく、もう1軒の宿に決める。トイレ・シャワー共同で値段は7.65ドル。目の前がバスターミナルで、とてもきれいなので、探せばもっと安いところがありそうだし、ガイドブックには町中に行けば5ドルくらいの宿がけっこうあるようだったが、この時間だし、町中までは2kmくらいあるというので、この宿にする。

部屋は6畳ほどの縦長でベッドが一つと昔、学校で使われていたような机と椅子のセットが一つ、それからテレビがついている。

キトと同じく涼しいので冷房の類は必要ない。

荷物を置いて、バスターミナルに行き、Loja行きのバスを確認。1時間に1本程度出ているよう。それにしてもこのバスターミナルの立派さには驚いた。さすがエクアドル有数のまち。ターミナル内には食堂やレストランが20軒ほどあり、キオスクも同程度の数がある。CD屋や土産物屋もあって、つくりも整然としている。

警官が巡回しているのも、それだけの都市なんだなと感じる。昨日は静かなところだったのが、一転、暴走族並にエンジンを吹かして走る車がいる。

今日はできるだけ何も食わないようにするという朝の誓いはまたもや崩れ、鶏の串焼きのにおい誘われ、一本買う。そういえば、串焼きというスタイルは珍しい。中米などでは唐揚げはしょっちゅう見たが、串焼きはなかなかなかった。

ここの串焼きは肉の他にてっぺんにゴルフボールくらいのジャガイモが一つ刺さっている。これも南米ならでは? 料金は0.65米ドル。そんなに安いものじゃない。

それから近くにあったネット屋さんで写真のデータのバックアップをとる。1時間0.8米ドル。

宿の周りには20軒近く食堂があり、写真で料理を紹介している店も多い。それを見ると、まだ食べたことのないものがけっこうあったので、強く誘惑されるが、串焼きも食ったから、今日はもう終わりと自分にむち打ち、宿に帰る。

宿に戻ってエクアドル以後のルートを考える。寝る。

Fin

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ふうさん、アンネのバラ友です。

盗難騒ぎの次は、交通事故体験ですね。
幸いにも、大事故にならなくて良かったですね。

お腹の調子が良くないとのことですが、
食欲旺盛?で安心しました。

人生は旅、そして一期一会の出会いの
連続ですね。今後の長旅に安全を願って
います。

追伸:個人メールに書きましたが、エクアドル・キトからの絵はがきをありがとうございました。

ぶらぷらびと さんのコメント...

アンネのバラ友さま

本当に大事故にならずによかったですね。 反対側に行ってたらみんな死んでたかもしれません。食欲については一貫して旺盛なのですが、それになかなか腹がついてこないのが困りものです。もうちょっと大事にしないといけないかとは思いますが。      

匿名 さんのコメント...

たいへんな事故でしたね。ケガもなく、他の乗客も無事のようで良かったです。タイトルを見て、事故を起こした車に遭遇したのだろうくらいに思ったのですが、まさかご自身の乗ったバスとは。

エクアドルの高地は、霧が出易く、雲霧林という独特の森林になっています。だから交通事故等は多いようです。運転手も、どっちが崖だということは、熟知していたのでしょう。

ぶらぷらびと さんのコメント...

kaw-kaw さん

ちなみに直に交通事故の当事者になったのは、これが初めてですね。自分が運転しててすべったりしたことはありましたが 。本当に運転手さまさまです。