2008年4月24日木曜日

北半球・南半球行ったりきたり

2008.4.15(火)

・甘いバナナチップ
・木のない山
・雲の中で農業
・大ハウス地帯
・オタバロで買い物
・地球の半分でぷぷっと笑う
・地球の半分で”おおっ”と叫ぶ

昨晩、今日はOtavaloというところに行くことを決め、ちょっと早くに動き出す。

6時前に起き、6時半前に外に出る。今日も曇り。外は15度くらいで、みんなコートを着たりジャンバーを着たりしている。すでに歩いている人は多い。

宿からバスターミナルは地図で見るとけっこう近い。歩いて15分ほどくらい。宿のある広場からずっと下っていたPlaza Santo Domingoというところからトローリーバスで1駅のところにある。

駆け降りるように坂を下り、ちょうどトローリーバスが来たので乗る。窓は人の熱気で曇っている。すでにほぼ満員状態。昨日乗った乗り物とはまた違う乗り物のようで、この乗り物には、横に細長い電光掲示板があり、次に止まる駅の名前が右から左へと流れながら表示される。また、社内放送も電子声だがあって、次に止まる駅のアナウンスがある。

ほー、なかなかすごいなと感心したり、考えごとをしていたら、いつの間にか乗り過ごしていて、慌てて降りる。通ってきた道を戻る。車内では曇っていて見えなかったが、あたりは斜面に囲まれていて、細い道路が一本走っているのみ。車は渋滞し動かない。よけないとすれ違えない狭い歩道を歩き、また駆け足で戻る。

ちょっとしか乗り過ごしていないと思ったが、けっこう乗り過ごしていた。こんな坂あったっけという、上り坂をトレーニングがてら駆け上がろうとするが、途中で呼吸がきつなり素直に歩く。

15分ほどあるいてようやくバスターミナルに到着。

ターミナルは思いの外でかかった。中は電気があまり点いていないので、薄暗い。食堂やツーリストインフォメーション、ATMも併設されている。1階のチケット売場に降りると、20社かあるいはそれ以上の会社の窓口が向かい合って並んでおり、それぞれの窓口からは行き先を連呼する声が聞こえてくる。

例えば”リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバ、リオバンバー”というふうに10回近く連呼する。日本語の感覚からすると、面白い音の地名もあるので、連呼される声を聞いているとなかなか楽しい。

窓口には行き先と時刻表が基本的に書かれており、行き先が同じ会社も多々ある。客引きをしている人から"A donde va(どこに行くのだ)?”と聞かれ、オタバーロと言うとあっちの会社だと窓口を教えてくれる。

そこの窓口でチケットを買う。3ドル。

バスは7時40分にターミナルを発車。客はまたもやぼくしかない。と思ってたら、ターミナルの出口のところで何人か乗客を乗せる。ターミナルでチケットを買って乗るときには、バス乗り場に入るときに使用料みたいな代金0.3ドルを徴収される。たぶんそれを逃れるために、そこから乗るのだろう。

バスの車内ではテレビがつけられ、ニュースが流れる。走るごとに客が増えていく。通りは渋滞で、なかなかバスはすんなりとは走らない。

沿道には店と家が延々続く。見える斜面も家だらけ。さすがに140万人都市だけある。

途中の停車場でバスの中に物売りの人が入ってくる。”パピータ・・・”などと言いながら通路を飽きながら買い手を探す。朝飯代わりにバナナチップを買う
0.5ドル。てっきりいつもの塩味のバナナチップかと思って食べたら、甘い。甘いバナナチップは、今回の旅では初めてのような気がする。

1時間もするとようやく都市の混雑を抜ける。料金所を通り、今度は山岳地帯の曲がりくねった道をくねくねと走る。あたりには民家や畑、牧場が広がる。山には木はほとんど生えてなくてっぺんまで草地だったり畑だったりする。

畑にはトウモロコシやキャベツなどが見え、たまにジャガイモ畑も見える。

車内のテレビではギャング対一人のヒーローが対決するみたいなよくあるパターンの映画のDVDが上映されていて、銃声などがかしましい。外の雰囲気とまったく合っていない。趣なきこと甚だしい。

それからホテルなどもあるまちをいくつか抜け、10時頃、目的地のOtavalo(オタバロ)に到着。オタバロは人口3万1000人のまちで、標高はやや下がって2550m。ここは土曜日に大きな民芸品の市があることで有名なまち。

パンアメリカ大通り(正式には同訳されてるか知らない)で降ろされたぼくは、適当にまちの中心部であろうと思われる方向に向かって歩く。

石畳に狭い歩道。沿道には店があることはあるが、家と混在していて、また客も少ない。そもそも歩いている人がほとんどいない。

地図もちょっと見ながら歩いていると広場に出た。Plaza Bolivarという名前の広場で市庁舎と教会が広場に面して建っている。目に付くのが民族服を来た人たち。女の人では若い人からおばあちゃんまで、男の人では基本的におじいちゃんに近い年齢の人が着ている。女の人だけに限れば、たぶん洋服を着ている人との割合は、ぼくが歩いた範囲では半々に近い印象だった。

何をするともなく、その広場のベンチに座っているおじさんも多い。

教会を正面に見て、右脇の通りには野菜や果物、服などの屋台が並んでおり、その先に100mくらい行くと左手にメルカド(市場)の建物が表れる。

建物周辺の路上も市場と化しており、路上で売られているものは食べ物が多い。じゃがいも、豆、トウモロコシの種類が多い。ジャガイモは見た目の色や大きさ、形から判断できる範囲ででも5種類(赤いものや黄色みが強いものなど)ほどあり、豆もひよこ豆やインゲン豆、大豆、黒豆など多種類、トウモロコシも白いものから黄色いものまで複数ある。

つらつらっと見てまわり、路上版市場の切れ目のところで果物屋さんの屋台で売っていたスイカを買う。0.3米ドル。味は中の下くらい。

それから適当に歩いていると広場に出る。そこでは露店の骨組みを組んで、商品を陳列する作業があちこちで進められていた。30m四方程度の広場は、そうした露店がところ狭しと立っており、売っているものはインディヘナ系のデザインの布地やマント、ポンチョ、セーターなどの服や、インディヘナの人たちがかぶっているがっちりした帽子などなど。

50店近くが密集していて、1店1店見ていたらキリがないくらい。似たようなものが多いが、それゆえに他とは違うものを探そうとすると、時間がかかるというパターンに陥りやすい感じかな。

メキシコのグアダラハラで厚手のポンチョを買ったものの、一度も着ることなく、どこかのバスの中に忘れ、さらに日本で買ったレインコートもキューバのサンタクララあたりに忘れたため、これから寒いところに行くため防寒用に一枚布地を買うことにした。

値段はポンチョやセーターなどは15ドルで、50cm幅くらいの大きめのマフラーみたいな布地は8ドルといった具合。ぼくは薄手の毛布としても使えるよう、180cm×1mくらいの何かの毛の布地を購入。15ドルを14ドルにまけてもらう。

雨がぽつぽつ降り出す。

あとでロンプラの地図を見たらこの広場はPlaza de Ponchos(プラサ デ ポンチョス=ポンチョの複数形)という
名前だった。ほんとにそのままだ。

このポンチョ広場と最初に通った教会などが面しているボリバール広場(Plaza Bolivar)をつなぐ通りはきれいに整備されており、それもちょっと微妙にあか抜けた感じで、なんだかまちの雰囲気と合っていない。その通りに入ったとき、日本のどこかのまちの再整備された一角かと思ったくらい。基本はヨーロッパ調なのだが、何かがずれている感じがするんだな。勝手な偏見かもしれないのだが。


その通りには、外国人受けしそうな雰囲気のカフェやレストラン、トラベルエージェンシー、ホテル、土産物屋さんなど小さな店がびっしりと並んでいて、その中にコーヒーとチョコレートの店があった。

日本では、コロンビアもそうだが、エクアドルのチョコもあまり手にする機会がないので、ここでお試しに買う。チョコは数種類あり、中にはジャングルチョコという名前のチョコもある。それはエクアドルのアマゾン地帯で育てたカカオを使ったチョコレートで、その箱にはフェアトレード商品であることを示すマークが付いていた。

その他の商品も商品説明のステッカーにいろいろと英語で商品の背景などかかれてある。たぶん2度と買うことはないだろうという6ドルのチョコを購入。味はなかなかのもの。

さっいは市場の建物の中は見てなかったので、建物の中を見に行く。中はもっぱら食堂で、昼時と言うこともあり地元客らしい人たちが、めいめい食堂で食事している。

食堂は、どの店も日本で言うと屋台くらいの広さしかない。客は10人座れる店はでかい方で、どこも5~6人が限界。通路沿いに料理の入った鍋を火にかけたまま見せている店もあるし、外観からは何を出すかよくわからない店もある。

食べている人を見ているとけっこうスープものを食べている人が多い。

どの店も人が多いので、空いていた店で食べる。出てきたのは、湯がいたトウキビの実の部分とその上にタマネギなどのサラダがかかったもの。トルティージャのような形式ではないが、エクアドルの人もよくトウキビを食べる。

その後、別の店でスープを食べる。鶏のスープでなかなかうまい。店のおばさんがジュースか何か飲まないかというので、ジュースは何があるか聞くと、ナランハかトマトならあると言われる。ナランハのジュースはだいぶ飲んでいるので新しくない。トマトジュースは新しいが、なんか味がわかりそうな気がする。それにスープだからこれ以上水分はいらないかなと思って、飲み物は断ろうかと思い、おばさんの方を見たとき、おばさんはトマーテ(トマト)と言って、左手に現物を持って、こちらに見せる。

トマトジュースは基本的に好んでは飲まないし、上のようなことでジュース自体を頼むつもりもなかったのだが、トマトの現物を見て、即座に心変わりをしてしまう。そのトマトは、日本で一般にトマトと言って売っているものとは、色の具合や形などが違っていて、言われなければ、別の果物と思うような様相をしていた。

実際、さっき市場を見たときに、おばさんが言うトマトが山積みにされて売られていて、それを見たときは別の果物かと思っていた。葉の様子や皮の質感から言うと、日本にあるもので近いのは柿だが、色が柿のようなオレンジではない。色は、日本で一般的なトマトのような赤ではなく、クランベリーのような暗めの赤といった感じ。


『世界を変えた野菜』という面白い本によると、スペイン人が中南米に来たときに、インディヘナの言葉では品種によって何種類もあったトマトの呼び名を、スペイン人はすべてトマトという一つの名前でのみ記録・記憶したらしい。

おそらくこのトマトもその名残だろう。ほんとは別の名前があったのが、今ではトマトとして呼ばれるのみ。

おばさんはそのトマトの皮を剥き、ジューサーに氷などとともに入れて、シェイクする。そうして出てきたジュースの味は、イチゴに似ていた。そのトマトを直接食べていないし、ジューサーの中におばさんがあれこれ味付けするためのものを入れている可能性もある(ずっとは見てなかったので)のだが、いわゆるトマトジュースの味ではまったくない。

食事後、中心部からやや離れた高台の方を散歩。線路が通っており、地図を見ると駅もあるようだが、とても使われてるとは思えないくらい整備がなされていない。

その後、バスを降りた幹線道路まで戻り、そこでキト行きのバスに乗る。

Royal Flowerと看板に書かれたビニールハウス地帯をまた通ってキトに戻る。

2時間ほどして、キトの郊外に戻ってくる。この後は、Mitad del Mundという北・南緯ゼロ度=まさしく赤道直下を材料に観光開発されたところに行こうと思っていたので、キトの中心部に戻る手前でバスを乗り換える。

反対車線からフロントガラスのところに大きくMitad del Mundと書かれたバスが何本も来ていたので、それに乗る。

さすが観光大国とも言うべきか。Mitad del Mundに向かう途中にはある間隔おきにMitad del Mundの方角を指し示す小さな看板が道ばたに設置されている。どうせならそこまでの距離も書いていてほしいものだが、基本的には方向のみ示している。

バスは緑が薄い山を右手に見ながら走る。バスを乗り換えてから30分ほどした頃、バスが左に曲がると正面奥にそれらしきモニュメントが見える。長方形の台座に地球をかたどったモニュメントが乗っかっている。

300mほど手前でぼくはバスを降り、歩いてモニュメントの方に向かう。正面から太陽が照りつけ、まぶしい。

近づくに連れ、なるほどでかいものだということがよりよくわかってくる。これじゃあ、作り直しなんてなかなかできるものじゃないな、とも。

モニュメントまで100mくらいのところまで来ると、そこから先はテーマパークみたいな敷地になっていて、駐車場があり、仕切がある。適当に歩いて入れたので、すたすたと入る。後に施設を出るときに入場料が必要だったようだと気づいたが、すでに時遅し。

敷地内にはフランスのジオグラフィック館みたいなものやプラネタリウムの他、さっきまで行ってたオタバロのポンチョ広場に売ってたようなセーターやパーカーなどを売っている土産物屋、食堂などがある。

平日ともあってか観光客はほとんどいないため、閑散としている。

モニュメントのしたまで来て、縦長の長方形の台座が東西南北を示していることがわかる。各面に方角を示す文字が書かれていて、東と西の面を下から見上げていくとてっぺんにある地球儀の赤道に部分につながるようになっている。地面には赤ではなく黄色で、ここが赤道(?)とわかるようにラインがひかれており、これをまたいで行ったり来たりすることで、北半球と南半球を何回も往復した気分になれるはずだった。

”はずだった”、と書いたのは、実はここは赤道ではないから。『ロンリープラネット』によるとGPSの機械で調べたところ、本物の赤道より240m南にずれていることがわかったらしい。まぁ、それでも宇宙から見ればほとんど違わないでしょうが。

ここで久しぶりに出会ったのが、ホセ・マルティの像。中米・カリブ海の国ではたいていの国にホセ・マルティの名を冠した広場や通りなどがあったが、南米に来てからは初。パナマでは見なかったような。

モニュメントは見てもたいして面白くなかったが、この後、行った本物の赤道直下にあるミュージアムはなかなか面白かった。

そのミュージアムはモニュメントがある敷地の北側の外壁に接してあって、こちらは建物やモニュメントを見せる施設ではなく、一見は植物園的な様相をしている。

モニュメントがある敷地を出て、幹線道路沿いを北に少し歩くと左手に手作りの看板があり、その看板の指示に従って細い土の道を歩き、小さな木製の吊り橋を渡るとそこが博物館になっている。

サボテンなどの熱帯性の植物がところ狭しと植えられていて、椰子の葉葺きの民家みたいなものも見える。入場料は2米ドル。

吊り橋を渡ったら若いスタッフの人が声をかけてきて、案内するからちょっと待っててと言われる。ヨーロピアンらしき若い旅行客6人組くらいがすでに来ていて、本物の赤道直下で記念写真を撮ったりしてはしゃいでいる。

あたりを見回していると、ハチドリのような嘴の長い鳥やその他の小鳥があちこち飛んでいるのが見える。

若い女性のスタッフが、名前を告げ、ガイドをするがスペイン語がいいか、英語がいいか聞かれる。英語でお願いし、まずはこっちにと、本物の赤道直下のところに連れて行かれる。そこには石でできた作りものがあって、これはインディヘナの人たちが使っていた日時計だと言う。この石に映る影の出来具合で、時(とき)を知ることができるらしい。

その説明のあと、赤道のラインが地面に書かれているところに少し移動してそこである実験を見せてくれるという。そこには持ち歩けるステンレス製のシンク(台所の水受け?)があって、まずはそれを赤道上に置き、流し口に栓をし、バケツに入れてあった水を流し込み、シンクに大量の水がたまっている状態をつくる。それからシンクの下に出てきた水をためるため、そのバケツを置き、栓を抜く。

当然、水は流し口の穴から下へ流れ落ちるのだが、その際の様子が普通と違う。普通であれば渦ができ、ぐるぐるまわるように穴に吸い込まれていくのに、それがない。

それを見た後、同じ事を北半球と南半球で、それぞれやる。すると北半球では半時計まわり(だったような)に、南半球では時計回り(だったような)に渦ができる。地球の自転の影響でこうなるらしいが、こうやった実験ができるのも赤道直下ならでは。おもしろい。

それから赤道直下では卵を縦に立てやすくなると言って、下向きに打ち込まれている釘の皿の部分(小槌などでうちつける平たい部分)に卵を立てる実験をやらせてくれる。

ぼくの前にやっていた人は、なかなか立てることができないようで、ぼくが後ろで待っていると諦めてゆずってくれた。釘と卵との接触点を確認しながら、卵の重心がまっすぐになるよう調整しながら置くとすんなり卵が、釘のあの平たい部分に縦に立った。時間にすれば1分ほど。ガイドのお姉さんは、”おおっ、グレイト”とほめてくれる。まぁ、こんなもん、たいしたことはないですよ、と思いながら、ぼくの前に試行錯誤していた彼をちらりと見る。

それから場所を移動して、インディヘナの人たちが実際に住んでいたという移築した民家を見せてくれる。壁は土壁で彼女はストローと言っていたが、藁のようなものが混ぜこまれている。

中ではフイという大型のネズミが飼われていて、これをインディヘナの人たちは食べるらしい。彼女に食べたことがあるか聞いたところ、"Yes,it's nice."とのこと。キトで食べられるか聞いたら、キトではあまりポピュラーではないらしい。ただ、この辺の食堂に行けば食べられるという。

その後、エクアドルのアマゾンに住む人の住居を復元したものや木製の機織り機で織物を作っている様子などを見せてくれる。またアマゾンの人たちが使っていた(いる?)吹き矢も実際に使わせてくれる。

最後には卵を立てることができたからと、それを記念する証書みたいなのをくれた。

聞くとここは民間団体がやっているミュージアムだという。モニュメントよりもこちらの方が断然おもしろい。

夕方になったのでバスに乗って帰る。バスに乗ってから、あっ、フイ(ネズミ)を食べるのを忘れたとふいに思い出す。

来た道をバスは戻り、1時間ほどたった頃、大聖堂などが見えてきてキトが近くなっていることがわかる。

てっきりぼくはバスターミナルに止まるのだろうと思っていたら、いつのまに大聖堂などキトの町並みが見えなくなり、Mitad del Mundに行くときに通った道をバスは走っている。

どうも、さっき乗客がごそごそ降りたところで、降りる必要があったよう。トロリーバスの乗り場のようなものが見えたから、そこで市街地に入るバスに乗り換えるべきだったようだ。

バスはすでにキトをUターンして、Mitad del Mundにまた向かっているようだったので、また、適当にバスを降り、反対車線を走ってきたキトのバスターミナルに行くバスに乗り換える。

日はもうだいぶ傾いていて、しばらくすると完全に日が落ちる。相変わらずキトの町中に近いところは渋滞していて、なかなかバスは進まない。車内のブラウン管のテレビでは、ハリウッド映画のDVDなのだろう、派手な銃撃戦や爆発シーンが多用されたやかましいアクション映画を上映している。

外を見ると、街灯や家々の明かりがともり、キトの夜景が見える。

結局、19時半頃ターミナルに着く。歩いて宿に帰り、おしまい。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>オタバロ

行きたかったけど、行けませんでした。どうでしたか?民芸品か何かを買いましたか?私はキト市内のメルカドで、オタバロ産のパーカーのような上着を買いました。まだ愛用しています。なかなか良いですよ。


>赤道

私も行きましたよ。
モニュメントには行きましたが、植物園?というか、本物の赤道にあるミュージアムは行きませんでした。当時なかったのかも知れません。そんなのがあったのかーという感じです。

ぶらぷらびと さんのコメント...

kaw-kaw さま

オタバロでは薄手の毛布生地のものを買いました。宿も夜はちょっと寒かったので。本物の赤道ミュージアムはいつできたのか知りませんが、なかなか面白かったですよ。今度、機会があればぜひ。