08/06/04
6時起床。7時頃にカーテンを開けると外はすでに明るかった。
一階のレストランで朝食。日本人ばかり、しかもおじさんおばんが多くなんか違和感がある。テレビNHKにあわされていて、涼宮ハルヒの声優をしているという人がゲストに呼ばれ、インタビューを受けていた。
朝食はセルフだが、内容はもろに日本食でジャポニカ米の白米に味噌汁があり、海苔や生卵があった。洋式のメニューも用意されており、おばさま二人組はそれを食べていた。
8時過ぎに宿を出る。近くの通りからバスに乗る。
8時半頃、ターミナル着。バス会社の窓口が並ぶ二階でチケットを買う。40000グアラニー。
一階の両替屋で両替。やはりレートは悪い。街中では1米ドル=4030~4050グアラニーだったが、ターミナルでは一律4000。
警備員にチケットをみせ乗り場に入る。
バスはすぐに来て、乗り込む。バスはマイクロバス程度の大きさ。乗ったらすぐに寝てしまう。
目的の41km地点(というふうに呼ばれている)には約5時間後の14時前に到着。ここにパラグアイ最大の日本人移住地がある。
幹線道路沿いにはレストランとガソリンスタンドなどいくつかの店があり、ガソリンスタンドで今晩泊まる予定をしているペンション園田の位置を聞く。
教えてもらった方向に歩いていたら日本人らしい顔立ちの年輩の男女3人が商店の前でおしゃべりしていた。目があったのでかるく会釈をすると、おじさんが日本語で声をかけてくる。そして"園田さんのところを探してるの?”と日本語で聞かれる。そうです、と答えると、あそこだと行って教えてくれる。行き過ぎていた。
宿の隣には雑貨店があり、そこも日系の人が経営しているよう。ここで念願の耳かきをゲット。1万グアラニー(約250円)。ずっと探していたのだが、日本で使われているような耳かきはこれまでまったく見つからなかった。
3人部屋に案内され、そこで荷物を下ろし、移住地を見て回る。長袖のシャツを羽織って出たが、暑いので一度宿に戻り、半袖になる。半袖は久しぶり。南米と言ってもエクアドル、ペルーやボリビアの高地では長袖をずっと着ていたし、チリとアルゼンチンはやや寒かったし。
移住地内の主要な通りはアスファルトによる舗装ではなく、石畳と似た造りの道路が敷かれている。それ以外は、未舗装。土は赤茶けた粘土質の強い土。雨が降ったあとらしく、地面が湿っており、歩いているうちに靴底に土が張り付き、だんだん底が高くなる。
イグアス移住地内には両翼90mくらいの野球場も整備されている。90年代のヤクルト黄金期に活躍した岡林はここの出身。当時、選手名鑑を見ていて岡林の出身地がパラグアイとなっていたことに、へぇ、と感心した記憶があるが、まさかその彼の出身地に来ることになるとは不思議なものだ。
1kmほどアスンシオン寄りに行くと鳥居のある広場があり、農協がある。農協の前でがっちりした30~40代くらいの男の人がおしゃべりしていたが、使っている言語は日本語だった。
農協の経営するスーパーを見てみると、日本でなじみのある商品があるわあるわ。米からレトルトものからお菓子から日本製の商品がけっこう入っている。こちらで作られている味噌も売られているし、饅頭も売られている。
あんこの味を試したくて饅頭を購入。豆の品種の違いによるものなのか、それとも造り手の腕によるものなのかはわからないが、一般的な日本の饅頭のあんこよりも甘さがやわらかい感じを受ける。
家はコンクリートづくりの家が多い。
農地に続いているらしい緩い坂道を上っていくと見えてきたのは一面の大豆畑。はぁー、と思わず声が漏れる。どこが端なのかまったく見えない。
粘土質の強い土地でここまでの農地を築くのは相当な労力を要しただろうな、と思いつつ、端の見えない農地を歩いてまわろうという気力は起きなかったので、宿に戻ることにする。
晩飯は幹線道路沿いにある日系の人がやっているレストランに行く。19時頃行き、野菜いためを注文。山盛りはすばらしいが薄味好みのぼくには塩気がきつい。15000グアラニー(約400円)。
夜、イグアス日本語学校の子たちが書いた文集『はばたき』を読む。1999年度第14号。小学生低学年の部、高学年の部、中学生の部、青年の部とあり、計30人の文章が載っていた。最後の学校の教頭が書いた文に、”1号から14号までを読み返したところ、最初の頃の作品は生活感のあふれた力強いものが目立っていたが、最近は自分への問いかけ、悩みを訴える作品が多いようだ”とあったのが印象的。
18歳の女の子が書いたものは、自分の拒食症についてであったし、17歳の男の子は高校を決めるに当たって親とぶつかったこと(本人は商業高校に行きたかったが、親は農業高校へ行けと言い、またその通りにしてしまったよう)、そして卒業した今は何に向かって生きていけばいいかわからなくなっているということなどが書かれていた。
どこでも同じような問題が起こりうるのだと、改めて思う。
日中は半袖で十分なほど暑かったが、夕方以降は涼しく、寝苦しくもなく。
Fin
2008年7月6日日曜日
アスンシオンー路上で稼ぐ人たち、マテ、アサードなどなど
08/06/03(火)
日の光に目が覚め、窓から外を眺めてみるとすっかり景色が変わっていた。なんだか熱帯的な風景。無秩序に木々が生い茂っており、人の手は入っていないように見える。アルゼンチンを移動している間、見えるのはただただだだっ広い平原(パンパ)ばかりだったから、とても新鮮に感じる。
パラグアイとの国境に着いたのは朝の7時頃だった。雨上がりのようであちこちに水たまりがある。
ボリビアとチリの国境、またはチリとアルゼンチンの国境と違うのは、手続きする建物の周りに両替商のおじさんおばさんがうろうろしていたり、パンや菓子などを売っている人たちがいるところだ。
あとパラグアイということもあって、マイカップにマイ水筒を持ってマテ茶を飲んでいる人たちが多いのも新鮮。マテ茶はアルゼンチンも飲むらしいが、ぼくが行った先では飲んでいる姿を見ることはほとんどなかった。
出入国の手続きはスムースで特に問題なく通過。荷物検査もほとんどフリーパスのようなもんだった。
パラグアイ側には町の方へ向かうバスが止まっていた。これが廃車寸前、あるいは廃車にすべき車をまだ走らせているようなバス。パラグアイはボリビアに次いで南米で”貧しい”国らしいから、それがこうしたバスにも見て取れる。
道路はボリビアと違ってしっかりしており、舗装の状態もいい。
ときおり民家が見え、トウキビ畑が見える。
1時間ほどすると沿道に建つ建物の密度が高くなり、商店なども現れる。建物やバスなどの色具合と曇天の空模様が調和して、全体がくすんでいる感じを受ける。
しばらく行くと正面に大きな橋が見えてくる。パラグアイ川のよう。水量豊富で川幅も広いが驚嘆するほどではない。色はチョコレート色。フェリーのような船も見え、いかにも深そうだ。
8時半頃にバスターミナルに到着。ボリビアのラパスと比べればだいぶ小さい。アルゼンチンのコルドバよりも小さい。とは言え、発着所は20台くらいが同時にとまれるからそれなりには大きい。
バスを降りてターミナルの建物内に入ると、なんだか久しぶりだな、と感じられる風景が広がっていた。床に敷物を敷いていわゆる民芸品を並べて売っている女性が数人。皆床に座り込んでいる。床に座り込むスタイルはインディヘナスタイル。顔立ちからパラグアイの先住民と呼ばれているグアラニー族の人らしい。
ターミナルには土産物品店やネット屋などもあったが、一番目についたのが両替所。そんなにたくさん必要なのか?と思うくらいある。他ではたいていあっても1つ2つだが、ここには10ほどもある。
ターミナル前のバス乗り場に行き、中心街に行くバスを探す。いろんな番号のバスがあり、どれに乗ればいいかわからないため、とりあえず一服。バス乗り場がある歩道には串焼きやチョリソ(ソーセージ)を売る屋台が並んでいたので、そこでチョリソを1本買う。肉だけかと思ったらパンが付いてくるようで、ホットドッグのようにしてもらった。1本3000グアラニー(約80円)。意外と高かった。
店のおじさんに乗るべきバスの番号を教えてもらい、それを待つ。20分ほど待ってようやくバスをゲット。客が少なかったのが良かった。バスの料金は前払いで運転手に直接渡す。2400グアラニーほどだった。
建物や店が切れ目なく続く道を走る。道路の状態はあまり良くない。舗装はされているもののがたがた揺れる。バスの質も関係しているかもしれないが。
20分ほどすると両脇に屋台や露店がひしめいている地帯に出る。ここが市場らしい。ごみごみしていて物があふれ、あたりは汚れていてなかなかいい感じだ。うまいものがありそう。
そこからさらに10分ほど乗ったところで目安にしていた通りに着いたので降りる。地図を見ながらホテル内山田という日系人が経営しているホテルに向かう。
迷うことなく到着。近くまで行くと宿の前にいた人がそこそこと指を指して教えてくれた。
ガラスの扉を入ると”いらっしゃいませ”と日本語で迎えられる。見た目はこちらの人。日本語はたどたどしいが、用は足せる。
部屋代を聞くと17米ドル相当だったので、ちょっと躊躇する。割引がないか聞いたが、もちろんない。しばらく考え込むが、ここらは安くても10ドルちょっとはするようだし、ここは朝飯がついているから、まぁいいかと予定通りに泊まることにする。
部屋は12畳ほどもあり、ベッドはダブルででかい。2003年頃の週刊ポストやジャンプが合わせて3冊ほどあり。ありがたいのはJICAが協力して作ったパラグアイ国内の旅行ガイドがあったこと。歩き方よりもよほど詳しいし、日本人移住地の場所なども示されている。
風呂場をのぞくと違和感を感じる。何かおかしいと思っていたら原因は風呂桶だった。これまで泊まってきた宿では風呂桶など見たことなかったから、なぜか新鮮に映る。
もっと良い部屋に泊まっている人はでかい風呂にも無料で入れるらしい。
エレベーターなどに貼られている注意書きは日本語併記。
荷物を置いて外に出る。もし簡単にとれるようだったらここでブラジルビザを取ろうと、まずはブラジル領事館に行くことにする。
宿のすぐ前にはチーパ(キャッサバを使ったパン)を売っているおばちゃんが数人いたので、1つ買う。1個1000グアラニー(約20円)。大きなドーナツ型(直径15cmほど)。見た目はベーグルに似ている。食べてみると食感はちょっと発泡スチロール的。キュッキュッとした歯ごたえ。
ブラジル領事館の入っているビルまでは歩いて15分程度。1階の受付の男性にブラジル領事館について聞くと、エレベーターで階を教えてくれる。
領事館に入ると記入台で白髪の年輩男性が日本語で話しながら申請書に記入していた。窓口でビザがほしい旨を伝えると、申請書をくれ、チケットとか写真(5cm×6cm)などを持ってきてと言われる。写真のサイズが手持ちのものより大きいし、やはりチケットが必要。チケットはバスでも良いと言うが、ここからブラジルに入るつもりはないから、ここで取るのはヤメにする。
領事館のある通りから川までの間が繁華街になっていて、洋服屋やレストランなどが並んでいる。しかし、繁華街には人通りは少ない。
両替できるところはいくつもあったので、レートを見比べ両替。だいたいどこも1米ドル=4050グアラニー。それからまちの北東にあたるパラグアイ川沿いに行く。
川沿いには広場が作られているところがあり、そこから川辺までの間がガイドブックなどでスラム街と呼ばれている地帯になっている。外務省の安全情報によれば、去年だったかにはここに迷い込んだ日本人旅行者が射殺される事件があったらしい。
広場よりも一段低い地帯となっているため、上から眺める形でその様子をうかがうことができる。どの家もさびたトタンで屋根をふき、壁もとってつけたようなものが多い。家と家の間の通路の幅は3人並んで歩くのは難しいくらい。文字通り密集している。
ふらふらしていたら道ばたでおしゃべりしていた10歳くらいの女の子2人が声をかけてきて、ぼくが手に提げていたみかんが入っているビニール袋を指さし、1つくれないかと言う。5~6個買っていたので、1人に1個ずつプレゼント。
しばらく行くとスラム街の方へ降りていく道があり、その下り口には3人の警官が立っていた。ぼくを見つけた一人の男の警官が、寄ってきてぼくのポケットを指さし、中のものを見せろと言ってくる。ポケットには財布の他に手帳や懐中電灯、カメラなどを突っ込んでいたから、何かごついものが入っていると思われたらしい。全部取り出して見せると、警官は懐中電灯などをちょっといじくり返してくれる。そして、カメラなどを取られないよう気をつけろと言われる。
川辺を離れ、店が並んでいる通りに行く。英雄広場の近くなどには路上の物売りが多い。絨毯のようなものを売っている人もいる。途中、マテ茶を飲もうと歩道で商売していたおばちゃんから1杯買う。しかし、これがミルクティーのようなもので、マテ茶ではなかったようだった。
昼飯を食おうと例の市場に行く。バスに乗って近くで下車。チリといいアルゼンチンといい市場はさっぱりしていてあまりおもしろくなかったが、ここは違う。歩道にまで店があふれ、なんだかごちゃごちゃだ。市場としての建物があるのかどうかもわからないくらい。
コピーされたCDやDVDが大量に売られており、服や薬局で売られているようなもん(薬意外)も多い。屋内で肉を売っているコーナーに行くと裁かれたばかりらしい肉の他に白色の細長い風船のようなものが売られている。腸管か何か膨らましたものなのか?
一角に食堂があったのでそこで昼飯。適当に頼むとふかしたキャッサバと鶏のスープが出てくる。
市場は平行する3本の通りにまたがっており、真ん中の通りは歩行者天国でテント屋台がズラズラと並び、店を持っていない人は肩からさまざまな商品をぶらさげ、歩きながら声をあげ商売をしている。さっき行った中心街はあまり活気を感じなかったが、こっちには人がぎょうさんいて活気がある。
野菜や果物などの品ぞろえはボリビアなどとあまり変わりない。
市場のあたりをぶらぶら歩き回る。すると鉄板焼の屋台を見つけたので、こちらにも立ち寄る。メニューはリブや分厚いチョリソ(ソーセージ)などの肉のみ。暑く油をしいた鉄板で豪快に焼かれている肉を注文。小さなまな板のような板の皿に盛られて渡される。マンジオカ(キャッサバ)は無料のサービスのようで、蒸かしただけの短いマンジオカを数本皿に盛ってくれる。肉は1つあたりだいたい3000グアラニー(約70円)くらいのよう。隣で食べていた兄ちゃんは次々と違う肉を注文しては食い、マンジオカがなくなると、それも追加で頼み、がつがつ食べている。アルゼンチンにもこういうところがあれば、もっと楽しかったろうにと思う。
市場の一帯は裏道のような細い道がごちゃごちゃと伸びていて、適当に歩いているとだんだんどの辺りにいるのかわからなくなるほど。しかしこの市場は見応えはあり。
腹が膨れたところでまたバスターミナルに行く。明日、ブラジル国境に近いイグアスに行くから、そこに行くバスの時刻と値段を聞いて回る。どこも1時間おきくらいに出ていて運賃も50000グアラニー(約1200円)程度。
チケットは明日買うことにしてまたまちに戻る。
今は使われていない鉄道駅跡近くを通って新市街とガイドブックにあった地域に向かう。バスに乗ってそちらに向かっていると高級そうなスーパーや服屋などが車窓から見える。一方で交差点で洗剤水と窓拭き棒(固有名わからず)を持って、自動車のフロントガラスを掃除している親子の姿も見る。その親子の子どもの方はまだ10歳にも満たなそうな女の子で、母親の方はおなかの大きくなった妊婦だった。
ショッピングセンターの前で降りる。
立派なショッピングセンターでぼくでも知っているようなブランド洋品店やスポーツ品店が入っている。英語の本のみを扱っている本屋もあり。
すでに夕方を過ぎ、暗くなったので適当にバスに乗って変えることにする。宿近くに行きそうなバスを適当に見定め乗り込んでみる。が、これが外れ。まっすぐ行くべき所を右に曲がり、どこか違うところへ行こうとするので、あわてて降りる。
それからまたバスに乗るが、これがけっこうな満員バス。なので、この人等がどこまで行くのか興味がわいたのでしばらくのり続けることにする。隣の人と体が触れるくらいにぎゅうぎゅう。
バスが走る幹線道路はなかなかにぎやかな通りでときおり日系人っぽい看板を出した店もある。自動車関係の会社では日本製品であることをうちだしている店もある。
でかいスーパーやショッピングセンターも3カ所くらいにあった。
30分立っても客は降りない。1時間ほどたった頃にはさすがに店並は消える。客も最大事の7割程度まで減る。さすがにこれ以上乗り続けるのは面倒だなと思い、適当に降りる。
降りて気づいたが、走っていたのは一方通行の道だった。バスを降りたら反対側に渡って、そこでまたバスを捕まえればいいと思っていたのだが、それができない。しょうがないので串焼き屋で一本買った序でに店のおばさんにバス乗り場を聞く。
幸い近くにあった。そこまで歩いていき、バスを待つ。7時すぎだったが、まだ中心部に向かうバスは多く10分ほど待っただけでバスをゲット。
市場でまた晩飯を食おうかと思って、その近くでバスを降りたところ、これがもぬけの殻。昼間には、物があふれ、人も多く集まっていたのに人っ子ひとりいない。屋台くらい開いているだろうと思っていたが、それさえもきれいに閉まっていた。宿に戻る途中の道でも開いている店は2軒ほど。昼とはうって変わって静かで寂しくなっていた。こんなに早くに店が閉まるとは、ボリビアとは大違いだ。
宿を目指してあるいていたら、道ばたの段ボールを拾って回っている人とすれ違う。
宿には日本料理店が併設されていたが、さすがにそこで食べるお金はない。なので、近くでまだ開いていたキオスクみたいな店でエンパナーダ(炒め物のパイ包み)を2個買って、それを晩飯代わりにする。
あとは宿で過ごす。
Fin
日の光に目が覚め、窓から外を眺めてみるとすっかり景色が変わっていた。なんだか熱帯的な風景。無秩序に木々が生い茂っており、人の手は入っていないように見える。アルゼンチンを移動している間、見えるのはただただだだっ広い平原(パンパ)ばかりだったから、とても新鮮に感じる。
パラグアイとの国境に着いたのは朝の7時頃だった。雨上がりのようであちこちに水たまりがある。
ボリビアとチリの国境、またはチリとアルゼンチンの国境と違うのは、手続きする建物の周りに両替商のおじさんおばさんがうろうろしていたり、パンや菓子などを売っている人たちがいるところだ。
あとパラグアイということもあって、マイカップにマイ水筒を持ってマテ茶を飲んでいる人たちが多いのも新鮮。マテ茶はアルゼンチンも飲むらしいが、ぼくが行った先では飲んでいる姿を見ることはほとんどなかった。
出入国の手続きはスムースで特に問題なく通過。荷物検査もほとんどフリーパスのようなもんだった。
パラグアイ側には町の方へ向かうバスが止まっていた。これが廃車寸前、あるいは廃車にすべき車をまだ走らせているようなバス。パラグアイはボリビアに次いで南米で”貧しい”国らしいから、それがこうしたバスにも見て取れる。
道路はボリビアと違ってしっかりしており、舗装の状態もいい。
ときおり民家が見え、トウキビ畑が見える。
1時間ほどすると沿道に建つ建物の密度が高くなり、商店なども現れる。建物やバスなどの色具合と曇天の空模様が調和して、全体がくすんでいる感じを受ける。
しばらく行くと正面に大きな橋が見えてくる。パラグアイ川のよう。水量豊富で川幅も広いが驚嘆するほどではない。色はチョコレート色。フェリーのような船も見え、いかにも深そうだ。
8時半頃にバスターミナルに到着。ボリビアのラパスと比べればだいぶ小さい。アルゼンチンのコルドバよりも小さい。とは言え、発着所は20台くらいが同時にとまれるからそれなりには大きい。
バスを降りてターミナルの建物内に入ると、なんだか久しぶりだな、と感じられる風景が広がっていた。床に敷物を敷いていわゆる民芸品を並べて売っている女性が数人。皆床に座り込んでいる。床に座り込むスタイルはインディヘナスタイル。顔立ちからパラグアイの先住民と呼ばれているグアラニー族の人らしい。
ターミナルには土産物品店やネット屋などもあったが、一番目についたのが両替所。そんなにたくさん必要なのか?と思うくらいある。他ではたいていあっても1つ2つだが、ここには10ほどもある。
ターミナル前のバス乗り場に行き、中心街に行くバスを探す。いろんな番号のバスがあり、どれに乗ればいいかわからないため、とりあえず一服。バス乗り場がある歩道には串焼きやチョリソ(ソーセージ)を売る屋台が並んでいたので、そこでチョリソを1本買う。肉だけかと思ったらパンが付いてくるようで、ホットドッグのようにしてもらった。1本3000グアラニー(約80円)。意外と高かった。
店のおじさんに乗るべきバスの番号を教えてもらい、それを待つ。20分ほど待ってようやくバスをゲット。客が少なかったのが良かった。バスの料金は前払いで運転手に直接渡す。2400グアラニーほどだった。
建物や店が切れ目なく続く道を走る。道路の状態はあまり良くない。舗装はされているもののがたがた揺れる。バスの質も関係しているかもしれないが。
20分ほどすると両脇に屋台や露店がひしめいている地帯に出る。ここが市場らしい。ごみごみしていて物があふれ、あたりは汚れていてなかなかいい感じだ。うまいものがありそう。
そこからさらに10分ほど乗ったところで目安にしていた通りに着いたので降りる。地図を見ながらホテル内山田という日系人が経営しているホテルに向かう。
迷うことなく到着。近くまで行くと宿の前にいた人がそこそこと指を指して教えてくれた。
ガラスの扉を入ると”いらっしゃいませ”と日本語で迎えられる。見た目はこちらの人。日本語はたどたどしいが、用は足せる。
部屋代を聞くと17米ドル相当だったので、ちょっと躊躇する。割引がないか聞いたが、もちろんない。しばらく考え込むが、ここらは安くても10ドルちょっとはするようだし、ここは朝飯がついているから、まぁいいかと予定通りに泊まることにする。
部屋は12畳ほどもあり、ベッドはダブルででかい。2003年頃の週刊ポストやジャンプが合わせて3冊ほどあり。ありがたいのはJICAが協力して作ったパラグアイ国内の旅行ガイドがあったこと。歩き方よりもよほど詳しいし、日本人移住地の場所なども示されている。
風呂場をのぞくと違和感を感じる。何かおかしいと思っていたら原因は風呂桶だった。これまで泊まってきた宿では風呂桶など見たことなかったから、なぜか新鮮に映る。
もっと良い部屋に泊まっている人はでかい風呂にも無料で入れるらしい。
エレベーターなどに貼られている注意書きは日本語併記。
荷物を置いて外に出る。もし簡単にとれるようだったらここでブラジルビザを取ろうと、まずはブラジル領事館に行くことにする。
宿のすぐ前にはチーパ(キャッサバを使ったパン)を売っているおばちゃんが数人いたので、1つ買う。1個1000グアラニー(約20円)。大きなドーナツ型(直径15cmほど)。見た目はベーグルに似ている。食べてみると食感はちょっと発泡スチロール的。キュッキュッとした歯ごたえ。
ブラジル領事館の入っているビルまでは歩いて15分程度。1階の受付の男性にブラジル領事館について聞くと、エレベーターで階を教えてくれる。
領事館に入ると記入台で白髪の年輩男性が日本語で話しながら申請書に記入していた。窓口でビザがほしい旨を伝えると、申請書をくれ、チケットとか写真(5cm×6cm)などを持ってきてと言われる。写真のサイズが手持ちのものより大きいし、やはりチケットが必要。チケットはバスでも良いと言うが、ここからブラジルに入るつもりはないから、ここで取るのはヤメにする。
領事館のある通りから川までの間が繁華街になっていて、洋服屋やレストランなどが並んでいる。しかし、繁華街には人通りは少ない。
両替できるところはいくつもあったので、レートを見比べ両替。だいたいどこも1米ドル=4050グアラニー。それからまちの北東にあたるパラグアイ川沿いに行く。
川沿いには広場が作られているところがあり、そこから川辺までの間がガイドブックなどでスラム街と呼ばれている地帯になっている。外務省の安全情報によれば、去年だったかにはここに迷い込んだ日本人旅行者が射殺される事件があったらしい。
広場よりも一段低い地帯となっているため、上から眺める形でその様子をうかがうことができる。どの家もさびたトタンで屋根をふき、壁もとってつけたようなものが多い。家と家の間の通路の幅は3人並んで歩くのは難しいくらい。文字通り密集している。
ふらふらしていたら道ばたでおしゃべりしていた10歳くらいの女の子2人が声をかけてきて、ぼくが手に提げていたみかんが入っているビニール袋を指さし、1つくれないかと言う。5~6個買っていたので、1人に1個ずつプレゼント。
しばらく行くとスラム街の方へ降りていく道があり、その下り口には3人の警官が立っていた。ぼくを見つけた一人の男の警官が、寄ってきてぼくのポケットを指さし、中のものを見せろと言ってくる。ポケットには財布の他に手帳や懐中電灯、カメラなどを突っ込んでいたから、何かごついものが入っていると思われたらしい。全部取り出して見せると、警官は懐中電灯などをちょっといじくり返してくれる。そして、カメラなどを取られないよう気をつけろと言われる。
川辺を離れ、店が並んでいる通りに行く。英雄広場の近くなどには路上の物売りが多い。絨毯のようなものを売っている人もいる。途中、マテ茶を飲もうと歩道で商売していたおばちゃんから1杯買う。しかし、これがミルクティーのようなもので、マテ茶ではなかったようだった。
昼飯を食おうと例の市場に行く。バスに乗って近くで下車。チリといいアルゼンチンといい市場はさっぱりしていてあまりおもしろくなかったが、ここは違う。歩道にまで店があふれ、なんだかごちゃごちゃだ。市場としての建物があるのかどうかもわからないくらい。
コピーされたCDやDVDが大量に売られており、服や薬局で売られているようなもん(薬意外)も多い。屋内で肉を売っているコーナーに行くと裁かれたばかりらしい肉の他に白色の細長い風船のようなものが売られている。腸管か何か膨らましたものなのか?
一角に食堂があったのでそこで昼飯。適当に頼むとふかしたキャッサバと鶏のスープが出てくる。
市場は平行する3本の通りにまたがっており、真ん中の通りは歩行者天国でテント屋台がズラズラと並び、店を持っていない人は肩からさまざまな商品をぶらさげ、歩きながら声をあげ商売をしている。さっき行った中心街はあまり活気を感じなかったが、こっちには人がぎょうさんいて活気がある。
野菜や果物などの品ぞろえはボリビアなどとあまり変わりない。
市場のあたりをぶらぶら歩き回る。すると鉄板焼の屋台を見つけたので、こちらにも立ち寄る。メニューはリブや分厚いチョリソ(ソーセージ)などの肉のみ。暑く油をしいた鉄板で豪快に焼かれている肉を注文。小さなまな板のような板の皿に盛られて渡される。マンジオカ(キャッサバ)は無料のサービスのようで、蒸かしただけの短いマンジオカを数本皿に盛ってくれる。肉は1つあたりだいたい3000グアラニー(約70円)くらいのよう。隣で食べていた兄ちゃんは次々と違う肉を注文しては食い、マンジオカがなくなると、それも追加で頼み、がつがつ食べている。アルゼンチンにもこういうところがあれば、もっと楽しかったろうにと思う。
市場の一帯は裏道のような細い道がごちゃごちゃと伸びていて、適当に歩いているとだんだんどの辺りにいるのかわからなくなるほど。しかしこの市場は見応えはあり。
腹が膨れたところでまたバスターミナルに行く。明日、ブラジル国境に近いイグアスに行くから、そこに行くバスの時刻と値段を聞いて回る。どこも1時間おきくらいに出ていて運賃も50000グアラニー(約1200円)程度。
チケットは明日買うことにしてまたまちに戻る。
今は使われていない鉄道駅跡近くを通って新市街とガイドブックにあった地域に向かう。バスに乗ってそちらに向かっていると高級そうなスーパーや服屋などが車窓から見える。一方で交差点で洗剤水と窓拭き棒(固有名わからず)を持って、自動車のフロントガラスを掃除している親子の姿も見る。その親子の子どもの方はまだ10歳にも満たなそうな女の子で、母親の方はおなかの大きくなった妊婦だった。
ショッピングセンターの前で降りる。
立派なショッピングセンターでぼくでも知っているようなブランド洋品店やスポーツ品店が入っている。英語の本のみを扱っている本屋もあり。
すでに夕方を過ぎ、暗くなったので適当にバスに乗って変えることにする。宿近くに行きそうなバスを適当に見定め乗り込んでみる。が、これが外れ。まっすぐ行くべき所を右に曲がり、どこか違うところへ行こうとするので、あわてて降りる。
それからまたバスに乗るが、これがけっこうな満員バス。なので、この人等がどこまで行くのか興味がわいたのでしばらくのり続けることにする。隣の人と体が触れるくらいにぎゅうぎゅう。
バスが走る幹線道路はなかなかにぎやかな通りでときおり日系人っぽい看板を出した店もある。自動車関係の会社では日本製品であることをうちだしている店もある。
でかいスーパーやショッピングセンターも3カ所くらいにあった。
30分立っても客は降りない。1時間ほどたった頃にはさすがに店並は消える。客も最大事の7割程度まで減る。さすがにこれ以上乗り続けるのは面倒だなと思い、適当に降りる。
降りて気づいたが、走っていたのは一方通行の道だった。バスを降りたら反対側に渡って、そこでまたバスを捕まえればいいと思っていたのだが、それができない。しょうがないので串焼き屋で一本買った序でに店のおばさんにバス乗り場を聞く。
幸い近くにあった。そこまで歩いていき、バスを待つ。7時すぎだったが、まだ中心部に向かうバスは多く10分ほど待っただけでバスをゲット。
市場でまた晩飯を食おうかと思って、その近くでバスを降りたところ、これがもぬけの殻。昼間には、物があふれ、人も多く集まっていたのに人っ子ひとりいない。屋台くらい開いているだろうと思っていたが、それさえもきれいに閉まっていた。宿に戻る途中の道でも開いている店は2軒ほど。昼とはうって変わって静かで寂しくなっていた。こんなに早くに店が閉まるとは、ボリビアとは大違いだ。
宿を目指してあるいていたら、道ばたの段ボールを拾って回っている人とすれ違う。
宿には日本料理店が併設されていたが、さすがにそこで食べるお金はない。なので、近くでまだ開いていたキオスクみたいな店でエンパナーダ(炒め物のパイ包み)を2個買って、それを晩飯代わりにする。
あとは宿で過ごす。
Fin
2008年7月4日金曜日
コルドバからアスンシオンへ
08/06/02(月)
暗いうちに起き出し(と言っても7時頃だが)、日記書き。8時半から宿の朝食。コーンフレークにパンにチョコパイ。それから荷造りをして、バス代がなかったためまちに両替に行く。
さすがに平日ということでこの時間にはまちには多くの人があるいている。両替屋が集まっている地帯でレートを見比べてから両替しようかと思ったが、結局ATMで降ろす。
10時半に宿をチェックアウトしてターミナルに向かう。気温は高くないもののターミナルに着く頃にはすっかり汗だく。バス会社の窓口が並ぶ階でアスンシオン行きのチケットを聞いてまわり、13時前発のチケットを購入。お値段145ペソ(約6000円)。
ターミナルの上の階にスーパーがあったので、そこで昼飯代わりのパンを買って、ターミナル内のベンチでかじる。かじっていたら、若い男が目の前に来て、50センターボ(1ペソの半分=15円程度)をくれないかと言ってくる。”Porque(なぜなら)・・”と理由も説明する(その中身はわからなかったが)ので50センターボをプレゼントするが、なんでぼくのところに来たのか不明。
去っていく彼を目で追いかけていると、友達らしき男の方に行き、なにやら相談している。荷物から旅行者あるいは長距離移動者らしいことはわかるが、なぜぼくにという疑問は残る。
12時を過ぎた頃に発着所の中に入り、バスを待つ。12時半にバスが入ってきて、リュックを預け乗り込む。45分には発車。
乗って早々寝てしまう。
出発してから2時間ほどたった15時前、バスが止まる。渋滞か何かかと思っていたら、反対車線の奥の方からトラクターの行列がやってきた。広い布に何か言葉を書いているからデモのよう。結局2時間ほど動かず。
再び走り出し、しばらく線路と併走する。19時半ごろ、そろそろ飯が出ても良い頃だと思うが、20時になっても21時になっても出ない。
おかしいなと思っているところで21時半頃、サンタフェというまちのターミナルに到着。ターミナルに着くと、夜食の弁当が持ち込まれる。飯が出なかったのはこういう仕組みになっていたかららしい。
晩飯はなかなか豪華でワインやシャンパンも希望すれば無料で飲める。すばらしい。
ご飯を食べてしまえばあとは寝るだけ。
Fin
暗いうちに起き出し(と言っても7時頃だが)、日記書き。8時半から宿の朝食。コーンフレークにパンにチョコパイ。それから荷造りをして、バス代がなかったためまちに両替に行く。
さすがに平日ということでこの時間にはまちには多くの人があるいている。両替屋が集まっている地帯でレートを見比べてから両替しようかと思ったが、結局ATMで降ろす。
10時半に宿をチェックアウトしてターミナルに向かう。気温は高くないもののターミナルに着く頃にはすっかり汗だく。バス会社の窓口が並ぶ階でアスンシオン行きのチケットを聞いてまわり、13時前発のチケットを購入。お値段145ペソ(約6000円)。
ターミナルの上の階にスーパーがあったので、そこで昼飯代わりのパンを買って、ターミナル内のベンチでかじる。かじっていたら、若い男が目の前に来て、50センターボ(1ペソの半分=15円程度)をくれないかと言ってくる。”Porque(なぜなら)・・”と理由も説明する(その中身はわからなかったが)ので50センターボをプレゼントするが、なんでぼくのところに来たのか不明。
去っていく彼を目で追いかけていると、友達らしき男の方に行き、なにやら相談している。荷物から旅行者あるいは長距離移動者らしいことはわかるが、なぜぼくにという疑問は残る。
12時を過ぎた頃に発着所の中に入り、バスを待つ。12時半にバスが入ってきて、リュックを預け乗り込む。45分には発車。
乗って早々寝てしまう。
出発してから2時間ほどたった15時前、バスが止まる。渋滞か何かかと思っていたら、反対車線の奥の方からトラクターの行列がやってきた。広い布に何か言葉を書いているからデモのよう。結局2時間ほど動かず。
再び走り出し、しばらく線路と併走する。19時半ごろ、そろそろ飯が出ても良い頃だと思うが、20時になっても21時になっても出ない。
おかしいなと思っているところで21時半頃、サンタフェというまちのターミナルに到着。ターミナルに着くと、夜食の弁当が持ち込まれる。飯が出なかったのはこういう仕組みになっていたかららしい。
晩飯はなかなか豪華でワインやシャンパンも希望すれば無料で飲める。すばらしい。
ご飯を食べてしまえばあとは寝るだけ。
Fin
コルドバの郊外、未舗装地区、サッカー観戦?
08/06/01(日)
・コルドバの郊外
・カルフール
・子どもの祭り?
・サッカー場
まだほの暗い7時過ぎに起床。今日は日曜ということでのんびり気分。さて、何をしようかと考える。
10時すぎになってから宿を出る。やっぱり人は少ないし、店は昨日と同じように開いていない。
とりあえず近くのコルドバ大学の図書館を見学。閲覧室だけは見学することができた。四方の壁の本棚には背表紙がぼろぼろになった古い本が多い。何冊か手に取ってみると1950年頃の本だったり、もっと古かったりした。新刊書と思われる本は一見少ない。
それからまた外をふらふらする。ふと適当にバスに乗ってどっか行ってみようと思い、近くのバス停からバスに乗る。
バスは幹線道路を通って郊外へと進む。乗客は10人ほど。途中、通り過ぎた教会ではミサが行われているようで、教会の入り口まで人があふれていた。
幹線道路から右に入り、一軒家が並ぶ地帯に入る。それからさらに行くとこれまでとは違った雰囲気の地域に出る。
この一帯も一軒家が立ち並んでいる一帯だったが、それぞれの家は小さい。コンクリートで簡易に作られただけの家もある。なにより違うのはこの地域を縦断する道路(バスが走る道路など)をのぞいて舗装されていないこと。でこぼこの土の道路で、どこからきたのか水の流れが道のあちこちに見られ、排水設備がないから少しくぼんでいるようなところには大きな水たまりができている。
通りには人が多く、道ばたや家の小さな庭で遊んでいる子どもたちも多い。コルドバのまちなかだけ見ていたときは、こんなところがあるとは想像しにくかったので、多少驚く。
この地域でバスは終点。運転手に促され降りる。歩いていると小さなマウンテンの自転車に2人乗りをして遊んでいる男の子たちとすれ違う。こちらの2人乗りはハンドルとサドルをつなぐバー(?)やハンドル自体にのっかったりするので、見ていてそのバランス感覚には感心する。
歩いていたら数人の人がある方向に向かって歩いていくので、ぼくもそれについて行ってみる。後をついて緩い坂道を上っていくと、右手に大きな建物が見えた。
看板が見え、そこにはカルフールとあった。今日も開店している店は少ないからだろう、買い物客は多い。駐車場は全部で600台は止められるほどの規模があるが、使われているのは入り口近くだけ。駐車場には洗車をする人たちがおり、専用の機械・道具を使って買い物中の客の車を洗っている。そして、ときおり、今入ってきたばかりの車の主に声をかけ、営業をしている。
駐車場の車を眺めると、きれいな新しいタイプの車が大半ではあるものの、その中にときおりキューバ顔負けのものすごく古いタイプの車もある。
カルフールの店内はサッカー場ほどの広さがあり、食品類はもちろんのこと、衣類、電化製品、工具、文房具などありとあらゆるものが売られている。
本屋もあり、そこに行ってみて驚いたのが、池田大作のスペイン語版の著作が平積になっていたこと。日系人が読むのか、それとも非日系の人が読むのか気になるところ。
クリップがほしかったので、ここで購入。値段は150円ほど。
それから来た道を戻り、さっきの地域を歩く。道ばたで大人の男の人たち数人がペタングのような遊びをしているのを見る。この地域には商店が3つほどあり、そこは開いていて、一部の店には何を買うのか行列ができていた。
バスに乗って通ってきた道を戻り、バスを探す。これがなかなか来ない。30分以上待ってようやくバスをゲット。また終点まで行ってみる。
気がついたら寝ていて、また運転手に促され降りる。今度の地域はさっきの地域とはうってかわって、並んでいる建物からすると高級住宅街。こじゃれた外観の家が多く、外壁も立派。建物も2階建てなどが多い。はぁー、と思いながら、家々を観賞しつつまたバスを探す。
適当に大きい道路に出たら、そこでまたカルフールを発見。ここもでかい。
また30分ほど待ってバスをつかまえ、乗り込む。降りる場所を決めずにまた終点まで行こうかと乗っていると30分ほどした頃、大勢人が集まっている広場を発見。ドラム缶を半分に切ったジャマイカ語でいうジャークパンが見え、炭火らしい煙が見えていた。
これは降りなければならないと瞬時に判断。バスの広報のドアの前に立ち、ボタンを押して降りることを伝える。
やや戻ってさっきの広場に行く。広場に行って改めて見てみると、輪投げやサッカー版ストラックアウトのような手作りアトラクションが20ほど用意され、それぞれのアトラクションで3~10歳くらいの子どもたちが遊んでいた。もちろん子どもたちは親同伴。
日本でいえば、子ども会のような団体によるイベントのようで、父兄が作ったらしい安いクッキーやサンドイッチも売られていた。ぼくから見れば、たったそれだけ?というかなり単純なアトラクションも多いが、来ている子がどの子も熱心に遊んでいるのが印象的。このくらいの遊びで、これだけ熱中できるなんて安上がりだななんて思う。
しばらく広場を見学して、またバスをつかまえて乗る。今回もどこに行くかは決めず。
5~6人ほど客がいたが、30分もすると誰もいなくなり、運転手のおじさんがどこで降りるのかと聞いてきた。ちょうどそのとき、左手に警官が道路封鎖しているのが見えたので、これは何かイベントでもやっているなと思い、ここで降りると運転手に伝え、降ろしてもらう。
道路封鎖されている方へ歩いていくと、見えてきたのはサッカーのスタジアムだった。立派なスタンドのある大きなスタジアムで一部の観客はスタンドの最後部(最高部)の壁の上にまたがって熱狂的に応援している。
中に入れないかなと思い、一番近くの入り口の方に行くと何か糞くさい。その入り口には警官らが立っており、中に入ろうとする人たちの持ち物検査をしている。警官らはなかなかの重装備をしておりものものしい。
入り口にいた係員らしい人にチケットはどこで買えるかと聞くが、もうないという反応。入り口を変えてもう一つ奥の方の入り口に行くとそちらの方には馬に乗った警官、つまりは騎馬隊がいた。全部で20ほどもいる。さっきの臭いの原因はこの馬たちらしい。
ここの入り口でまた入れないか聞いてみる。そうしているところへスタジアムの中から、警官に右腕を背中の方にねじりあげられた10代後半から20代くらいの若い男の子4~5人くらいが連れ出されてきた。中で暴れたりでもしたのだろう。
こっちでもやはり入れないと言われる。名ので、今度は反対側の入り口に行く。そちらにも騎馬隊あり。やはり入ることはできなかったが、外からでもグランドが見えたので、そこで観戦しようかと思って立っていたら、入り口付近から離れるよう警官に言われたため、しょうがないので退散することに。
スタジアムのまわりではユニフォームなどチームグッズを売るおじさんたちが20人ほど。警官はおそらく合計70人ほど。コルドバだからまだサッカー観戦はおとなしいかと勝手に予想していたが、そんなことはぜんぜんなかった。
せっかくなので周りを徘徊すると小さめのショッピングモールを発見。その隣にはでかい施設があったので、ちょっと高いところから中をのぞいてみると、そこは競馬場だった。
そこからまたバス停を探して歩き回り、幹線道路からバスに乗る。
今回は宿近くの通りまで行くバスだったので、あとは宿に戻り、明日チェックアウトするため宿代をまとめて払う。宿代は1泊28ペソ(約1000円)だった。
Fin
・コルドバの郊外
・カルフール
・子どもの祭り?
・サッカー場
まだほの暗い7時過ぎに起床。今日は日曜ということでのんびり気分。さて、何をしようかと考える。
10時すぎになってから宿を出る。やっぱり人は少ないし、店は昨日と同じように開いていない。
とりあえず近くのコルドバ大学の図書館を見学。閲覧室だけは見学することができた。四方の壁の本棚には背表紙がぼろぼろになった古い本が多い。何冊か手に取ってみると1950年頃の本だったり、もっと古かったりした。新刊書と思われる本は一見少ない。
それからまた外をふらふらする。ふと適当にバスに乗ってどっか行ってみようと思い、近くのバス停からバスに乗る。
バスは幹線道路を通って郊外へと進む。乗客は10人ほど。途中、通り過ぎた教会ではミサが行われているようで、教会の入り口まで人があふれていた。
幹線道路から右に入り、一軒家が並ぶ地帯に入る。それからさらに行くとこれまでとは違った雰囲気の地域に出る。
この一帯も一軒家が立ち並んでいる一帯だったが、それぞれの家は小さい。コンクリートで簡易に作られただけの家もある。なにより違うのはこの地域を縦断する道路(バスが走る道路など)をのぞいて舗装されていないこと。でこぼこの土の道路で、どこからきたのか水の流れが道のあちこちに見られ、排水設備がないから少しくぼんでいるようなところには大きな水たまりができている。
通りには人が多く、道ばたや家の小さな庭で遊んでいる子どもたちも多い。コルドバのまちなかだけ見ていたときは、こんなところがあるとは想像しにくかったので、多少驚く。
この地域でバスは終点。運転手に促され降りる。歩いていると小さなマウンテンの自転車に2人乗りをして遊んでいる男の子たちとすれ違う。こちらの2人乗りはハンドルとサドルをつなぐバー(?)やハンドル自体にのっかったりするので、見ていてそのバランス感覚には感心する。
歩いていたら数人の人がある方向に向かって歩いていくので、ぼくもそれについて行ってみる。後をついて緩い坂道を上っていくと、右手に大きな建物が見えた。
看板が見え、そこにはカルフールとあった。今日も開店している店は少ないからだろう、買い物客は多い。駐車場は全部で600台は止められるほどの規模があるが、使われているのは入り口近くだけ。駐車場には洗車をする人たちがおり、専用の機械・道具を使って買い物中の客の車を洗っている。そして、ときおり、今入ってきたばかりの車の主に声をかけ、営業をしている。
駐車場の車を眺めると、きれいな新しいタイプの車が大半ではあるものの、その中にときおりキューバ顔負けのものすごく古いタイプの車もある。
カルフールの店内はサッカー場ほどの広さがあり、食品類はもちろんのこと、衣類、電化製品、工具、文房具などありとあらゆるものが売られている。
本屋もあり、そこに行ってみて驚いたのが、池田大作のスペイン語版の著作が平積になっていたこと。日系人が読むのか、それとも非日系の人が読むのか気になるところ。
クリップがほしかったので、ここで購入。値段は150円ほど。
それから来た道を戻り、さっきの地域を歩く。道ばたで大人の男の人たち数人がペタングのような遊びをしているのを見る。この地域には商店が3つほどあり、そこは開いていて、一部の店には何を買うのか行列ができていた。
バスに乗って通ってきた道を戻り、バスを探す。これがなかなか来ない。30分以上待ってようやくバスをゲット。また終点まで行ってみる。
気がついたら寝ていて、また運転手に促され降りる。今度の地域はさっきの地域とはうってかわって、並んでいる建物からすると高級住宅街。こじゃれた外観の家が多く、外壁も立派。建物も2階建てなどが多い。はぁー、と思いながら、家々を観賞しつつまたバスを探す。
適当に大きい道路に出たら、そこでまたカルフールを発見。ここもでかい。
また30分ほど待ってバスをつかまえ、乗り込む。降りる場所を決めずにまた終点まで行こうかと乗っていると30分ほどした頃、大勢人が集まっている広場を発見。ドラム缶を半分に切ったジャマイカ語でいうジャークパンが見え、炭火らしい煙が見えていた。
これは降りなければならないと瞬時に判断。バスの広報のドアの前に立ち、ボタンを押して降りることを伝える。
やや戻ってさっきの広場に行く。広場に行って改めて見てみると、輪投げやサッカー版ストラックアウトのような手作りアトラクションが20ほど用意され、それぞれのアトラクションで3~10歳くらいの子どもたちが遊んでいた。もちろん子どもたちは親同伴。
日本でいえば、子ども会のような団体によるイベントのようで、父兄が作ったらしい安いクッキーやサンドイッチも売られていた。ぼくから見れば、たったそれだけ?というかなり単純なアトラクションも多いが、来ている子がどの子も熱心に遊んでいるのが印象的。このくらいの遊びで、これだけ熱中できるなんて安上がりだななんて思う。
しばらく広場を見学して、またバスをつかまえて乗る。今回もどこに行くかは決めず。
5~6人ほど客がいたが、30分もすると誰もいなくなり、運転手のおじさんがどこで降りるのかと聞いてきた。ちょうどそのとき、左手に警官が道路封鎖しているのが見えたので、これは何かイベントでもやっているなと思い、ここで降りると運転手に伝え、降ろしてもらう。
道路封鎖されている方へ歩いていくと、見えてきたのはサッカーのスタジアムだった。立派なスタンドのある大きなスタジアムで一部の観客はスタンドの最後部(最高部)の壁の上にまたがって熱狂的に応援している。
中に入れないかなと思い、一番近くの入り口の方に行くと何か糞くさい。その入り口には警官らが立っており、中に入ろうとする人たちの持ち物検査をしている。警官らはなかなかの重装備をしておりものものしい。
入り口にいた係員らしい人にチケットはどこで買えるかと聞くが、もうないという反応。入り口を変えてもう一つ奥の方の入り口に行くとそちらの方には馬に乗った警官、つまりは騎馬隊がいた。全部で20ほどもいる。さっきの臭いの原因はこの馬たちらしい。
ここの入り口でまた入れないか聞いてみる。そうしているところへスタジアムの中から、警官に右腕を背中の方にねじりあげられた10代後半から20代くらいの若い男の子4~5人くらいが連れ出されてきた。中で暴れたりでもしたのだろう。
こっちでもやはり入れないと言われる。名ので、今度は反対側の入り口に行く。そちらにも騎馬隊あり。やはり入ることはできなかったが、外からでもグランドが見えたので、そこで観戦しようかと思って立っていたら、入り口付近から離れるよう警官に言われたため、しょうがないので退散することに。
スタジアムのまわりではユニフォームなどチームグッズを売るおじさんたちが20人ほど。警官はおそらく合計70人ほど。コルドバだからまだサッカー観戦はおとなしいかと勝手に予想していたが、そんなことはぜんぜんなかった。
せっかくなので周りを徘徊すると小さめのショッピングモールを発見。その隣にはでかい施設があったので、ちょっと高いところから中をのぞいてみると、そこは競馬場だった。
そこからまたバス停を探して歩き回り、幹線道路からバスに乗る。
今回は宿近くの通りまで行くバスだったので、あとは宿に戻り、明日チェックアウトするため宿代をまとめて払う。宿代は1泊28ペソ(約1000円)だった。
Fin
2008年7月3日木曜日
ゲバラの家へ
08/05/31(土)
目覚めたものの、ガラス窓の外側の雨戸みたいなものも完全に閉められていたため、部屋は真っ暗。何時かわからない。不覚にも手元に懐中電灯を置いておかなかった。この部屋には天井に豆電球が1つあるだけだから、こういうときに不便。他の3人は夜中3時か4時頃に部屋に戻ってきたようだったから、電気をつけたくらいで起きるとは思えないが、それでも気を使う。
廊下は電気がついているので、時計を持って廊下にでる。7時を過ぎている。チリに入って以降、朝日が遅いこともあり、睡眠時間が長くなっている。ボリビアまではたいてい6時台に起きていたのに。
廊下にでてもほとんど声も物音もしない。だいたいみんな朝は遅いから、今のうちにと思い、1階におりパソコンの前に座る。そして、この3日ほどのぶんの写真のデータのバックアップをとる。ネットにもアップする作業をしたのだが、ブラウザーが途中で動かなくなってしまったりして、あまりに時間が
かかるので、途中でやめる。
8時前、すっかり外が明るくなる。朝食を食べにみんな降りてくる。ぼくは昨晩の中華料理が腹に残っていたのでパス。
9時半前に宿を出て、Alta Garcia(アルタガルシア)に行くためにミニバス乗り場に行く。ミニバス乗り場は昨日バスが着いたターミナルとは別の場所にあり、南市場(Mercado Sud)の裏手にあった。
バスに乗る前にこの市場を見てみる。がっしりしたタイル張りの建物だが、面積はとても小さく20m×20m程度。店も20店もないくらい。肉屋がメインで野菜屋は2店舗ほど。土曜だからかやっていない店もある。客もほとんどいないため、中は閑散していて寂しい。
一回りして、バス乗り場の方に出る。ワゴンとマイクロバスの中間くらいの車が10台ほど止まれるようになっていて、常にバス待ちをしている人たちがいる。車体に書かれている会社名がいろいろで、フロントに掲げられている行き先もいろいろだったため、一見しただけではどのバスに乗ればいいのかわからない。
なので、適当に車の運転手に聞いてみると、そこの階段を降りてサーミエントだと言う。サーミエントがなんなのかわからず、また階段を降りてもそこに乗り場はありそうになかったのだが、とりあえず言われたとおりに降りる。
すると階段を降りた地下にバス会社の窓口が10ほど向かい合って並んでいた。間のスペースは喫茶スペースになっていて、同じく並んでいるサンドイッチ屋などで買ったパンを食べている人たちがいた。
そこでやっとサーミエントが会社の名前だということがわかり、それらしき文字を掲げている窓口に行く。窓口には"Alta Garcia 4.75"という張り紙があった。
窓口の女性にチケットを一枚と頼み、100ペソ札を出す。チケットは日本で言うレシートのようなやつで、2枚組。1枚が乗るときに回収するチケットで一枚は控えのようだった。ちなみに釣りとしてもらったお札、特に2ペソ札はボロボロ。紙自体が古くなっており、あちこちが少しずつ破れている。
そのチケットを持ってさっきの乗り場に行く。チケットを買っている間にバスが増えていて、それらの中にSermientoのアルタガルシア行きのバスがあった。
ドアは閉まっていたが、中に人が乗っていたので自分でドアを開けて乗り込む。正面に向かって通路の右側が一人用の座席で左側が2人がけの座席。列は5列ほど。
乗り込んで5分ほどすると、ぞくぞくと人が乗ってくる。見ると入り口に運転手がいて、そこでチケットを回収していた。ぼくはてっきり車内で回収するもんだと思っていたのだが、違った。乗る手順が違ったようだが、チケットは持っているのでそのまま何もせずに乗ったままでいる。
バスは10時15分頃発車。乗り場自体が市街地からややはずれていたので、すぐに郊外に出る。人通りは少ない。また、食堂の類がないか見ていたのだが、2~3軒見ただけだった。
10分も走ると道の両側は広大な草原になる。農地なのか、放牧地なのか、それともただの空き地なのかはよくわからない。というのも、それらの土地には農産物らしきものは何も植わっていないから。一部、小麦か何かを刈った跡はあったが、他は何に使われているかわからなかった。
眺めていると、日があたってポカポカ気持ちよくなったので寝てしまう。
気づくと客のほとんどが降りていて、住宅街らしきところをバスは走っていた。男二人連れが、街角で降りたら残ったのはぼく一人。
運転席の後ろに席を移り、運転手にここがアルタガルシアかと聞く。”Si”と言うので、博物館に行きたいんだけどと言うと、"Museo de Che Guevara?"と聞いてくる。今度はぼくが”Si"と答える。その後で、運転手はぼくに国はどこかと聞いてくる。
ちょうど通り沿いに"Museo del Che"と書いた青色の標識が見え、ここから近いことはそれでわかった。運転手は、この先2区画向こうがそうだからと、近くで降ろしてくれる。
降ろされた通りは住宅街のまっただ中。しかも建っている家はどれも豪勢そうな家ばかり。こんなところにあるとは・・・と思いながら、運転手が教えて方向に歩く。
そろそろあるはずだがと注意して見ていたら、看板を発見。外見は他の家と似たようなものだったから正面に行くまでよくわからなかったが、入り口にそれだと示す看板があった。
小さな子どもを連れた夫婦連れが、車を前に止め、入り口で記念撮影をしている。
入り口のドアが閉まっていたので、一瞬、閉館しているのではと思ったが、入り口入ってすぐの前庭に開館時間が書かれてあり、それを見て開いていることを確認する。えらいことに日曜も開館しているよう。
木製のドアを入ると初老の女性が受け付けにいた。入館料3ペソ(約110円)は安い。女性はスペイン語がわかるかどうか聞いてくる。あまりわからないというと、プラスチックのファイルを取り出し、これに英語で解説が書かれてあるからとぼくに渡す。
先客は20代くらいの若い男3人組のみ。
ゲバラが少年時代を過ごした家が博物館になっており、その頃ゲバラが使っていた机や椅子、読んでいた本などが展示されている。また、3度の大きな旅(自転車でのアルゼンチン旅行、モーターサイクルダイアリーズの旅行、そして結果的にカストロ等と会うことになる最後のアメリカ大陸の縦断旅行)の行程や、その時に使った自転車(小型モーターを積んでいた)、旅先で取材を受けたときの新聞記事などが展示されていた。
最後の旅行の後については、現物の展示はほとんどなく、写真ばかり。もっともそれ以後についてはキューバのサンタクララの霊廟に併設されている博物館の方が詳しい。だから、両者はちょうど補完関係になる。
2006年にはフィデル・カストロやチャベスが一緒にここを訪れており、そのときの写真なども展示されている。また、小さい頃の遊び仲間だった人たちへのインタビューをまとめたビデオも見ることができた。
そのビデオによれば、ゲバラの家は比較的裕福で、父親はアリストクラート層(貴族?)の人間とばかり会っているような人だったらしい。だが、ゲバラは社会階層・階級(social classとあった)にこだわることなく、誰とでも遊んでいたらしい。
ゲバラの家族がアルタガルシアに移ってきた理由は、ゲバラの持病である喘息を治すことにあったらしい。医者からは激しいスポーツなどは止められていたものの、サッカーなどはみんなと混ざってやっていたらしい。また、母親に止められていた水泳も親にだまってシエラホテルでやっていたらしい。
本好きで学校に入る頃には文字をすでに読めるようになっており、中学の頃くらいにはアナトールフランスが出している本なども読んでいたと言う。
とにかく小さい頃はよく本を読み、また外で遊んでいたのだということが印象的で、キューバの子どもたちが同じように遊んでいたことが思い起こされる。
ぼくが入館してから続々と来館者が増える。一度にどかっと増えたので、おかしいなと思ったらコルドバからのツアー客だった。もちろんアルゼンチンの人も多い。
売店ではゲバラに関する本やグッズを売っており、ぼくもいくつかを購入。142ペソ(約4000円)。面白いのが、キューバで売られていたポストカードがここでも売られていたことと、ゲバラの肖像が入っているキューバの3ペソのコインがペンダントに加工されて売られていたこと。本物の硬貨かどうかは確かめなかったが。
2時間ほどでそこを出る。
あたりは豪邸ばかりで、人通りもほとんどない。店も少ないし、あっても開いていない。
次に行ったのは、ゲバラがそのプールで遊んでいたというシエラホテル。宮殿のようなホテルで新装されていて一段と近づきにくくなっていた。
ぷらぷらと歩いていても、整然とした家並みしか見えないのでとりあえずバス乗り場を探す。
そこへパカパカと小気味のいい音がしてきて、音がする方を見ると10歳くらいの男の子がまたがった馬が車道を歩いていた。今でも車道を馬が歩ける、しかも子どもが乗ってまわれるところが面白い。
ふらふらしていたらちょうどバスが来たのでそれに乗り込む。バスは市内をぐるっとまわって郊外に出た。
またもや途中で寝てしまい気づいたらコルドバのバスターミナルだった。
歩いて宿に戻る。途中の開いていたレストランで昼飯を食べる。何かよくわからず頼んだらきしめんのような麺にミートソースがかかったものが出てきた。挽き肉が肉団子のように固まっていて、量も多い。重さだけなら麺と肉と同じくらいなのではと思えるくらい。
さすがに土曜ということで、歩行者天国にある店は8~9割が閉まっている。開いているのは菓子などを売っている雑貨店とアイス屋、ピザやハンバーガーを出しているファーストフード店くらい。
ただ、フリーマーケットのような露店はズラズラっと並んでいた。人通りが多いのはそこくらいで、他は閑散としている。チリもそうだが、土日はみな何しているのかと不思議に思う。
宿に荷物をおいて、またふらふらとまちを見る。夕方18時くらいになると、みな家に帰るのだろう、バス停に行列ができていた。
晩飯は開いている食堂もないので、適当にスナック類でごまかす。
部屋のメンツがかわり、2人いた男が抜け、新たに女2人組が入る。言葉からイスラエルからの旅行者らしいことがわかる。
Fin
目覚めたものの、ガラス窓の外側の雨戸みたいなものも完全に閉められていたため、部屋は真っ暗。何時かわからない。不覚にも手元に懐中電灯を置いておかなかった。この部屋には天井に豆電球が1つあるだけだから、こういうときに不便。他の3人は夜中3時か4時頃に部屋に戻ってきたようだったから、電気をつけたくらいで起きるとは思えないが、それでも気を使う。
廊下は電気がついているので、時計を持って廊下にでる。7時を過ぎている。チリに入って以降、朝日が遅いこともあり、睡眠時間が長くなっている。ボリビアまではたいてい6時台に起きていたのに。
廊下にでてもほとんど声も物音もしない。だいたいみんな朝は遅いから、今のうちにと思い、1階におりパソコンの前に座る。そして、この3日ほどのぶんの写真のデータのバックアップをとる。ネットにもアップする作業をしたのだが、ブラウザーが途中で動かなくなってしまったりして、あまりに時間が
かかるので、途中でやめる。
8時前、すっかり外が明るくなる。朝食を食べにみんな降りてくる。ぼくは昨晩の中華料理が腹に残っていたのでパス。
9時半前に宿を出て、Alta Garcia(アルタガルシア)に行くためにミニバス乗り場に行く。ミニバス乗り場は昨日バスが着いたターミナルとは別の場所にあり、南市場(Mercado Sud)の裏手にあった。
バスに乗る前にこの市場を見てみる。がっしりしたタイル張りの建物だが、面積はとても小さく20m×20m程度。店も20店もないくらい。肉屋がメインで野菜屋は2店舗ほど。土曜だからかやっていない店もある。客もほとんどいないため、中は閑散していて寂しい。
一回りして、バス乗り場の方に出る。ワゴンとマイクロバスの中間くらいの車が10台ほど止まれるようになっていて、常にバス待ちをしている人たちがいる。車体に書かれている会社名がいろいろで、フロントに掲げられている行き先もいろいろだったため、一見しただけではどのバスに乗ればいいのかわからない。
なので、適当に車の運転手に聞いてみると、そこの階段を降りてサーミエントだと言う。サーミエントがなんなのかわからず、また階段を降りてもそこに乗り場はありそうになかったのだが、とりあえず言われたとおりに降りる。
すると階段を降りた地下にバス会社の窓口が10ほど向かい合って並んでいた。間のスペースは喫茶スペースになっていて、同じく並んでいるサンドイッチ屋などで買ったパンを食べている人たちがいた。
そこでやっとサーミエントが会社の名前だということがわかり、それらしき文字を掲げている窓口に行く。窓口には"Alta Garcia 4.75"という張り紙があった。
窓口の女性にチケットを一枚と頼み、100ペソ札を出す。チケットは日本で言うレシートのようなやつで、2枚組。1枚が乗るときに回収するチケットで一枚は控えのようだった。ちなみに釣りとしてもらったお札、特に2ペソ札はボロボロ。紙自体が古くなっており、あちこちが少しずつ破れている。
そのチケットを持ってさっきの乗り場に行く。チケットを買っている間にバスが増えていて、それらの中にSermientoのアルタガルシア行きのバスがあった。
ドアは閉まっていたが、中に人が乗っていたので自分でドアを開けて乗り込む。正面に向かって通路の右側が一人用の座席で左側が2人がけの座席。列は5列ほど。
乗り込んで5分ほどすると、ぞくぞくと人が乗ってくる。見ると入り口に運転手がいて、そこでチケットを回収していた。ぼくはてっきり車内で回収するもんだと思っていたのだが、違った。乗る手順が違ったようだが、チケットは持っているのでそのまま何もせずに乗ったままでいる。
バスは10時15分頃発車。乗り場自体が市街地からややはずれていたので、すぐに郊外に出る。人通りは少ない。また、食堂の類がないか見ていたのだが、2~3軒見ただけだった。
10分も走ると道の両側は広大な草原になる。農地なのか、放牧地なのか、それともただの空き地なのかはよくわからない。というのも、それらの土地には農産物らしきものは何も植わっていないから。一部、小麦か何かを刈った跡はあったが、他は何に使われているかわからなかった。
眺めていると、日があたってポカポカ気持ちよくなったので寝てしまう。
気づくと客のほとんどが降りていて、住宅街らしきところをバスは走っていた。男二人連れが、街角で降りたら残ったのはぼく一人。
運転席の後ろに席を移り、運転手にここがアルタガルシアかと聞く。”Si”と言うので、博物館に行きたいんだけどと言うと、"Museo de Che Guevara?"と聞いてくる。今度はぼくが”Si"と答える。その後で、運転手はぼくに国はどこかと聞いてくる。
ちょうど通り沿いに"Museo del Che"と書いた青色の標識が見え、ここから近いことはそれでわかった。運転手は、この先2区画向こうがそうだからと、近くで降ろしてくれる。
降ろされた通りは住宅街のまっただ中。しかも建っている家はどれも豪勢そうな家ばかり。こんなところにあるとは・・・と思いながら、運転手が教えて方向に歩く。
そろそろあるはずだがと注意して見ていたら、看板を発見。外見は他の家と似たようなものだったから正面に行くまでよくわからなかったが、入り口にそれだと示す看板があった。
小さな子どもを連れた夫婦連れが、車を前に止め、入り口で記念撮影をしている。
入り口のドアが閉まっていたので、一瞬、閉館しているのではと思ったが、入り口入ってすぐの前庭に開館時間が書かれてあり、それを見て開いていることを確認する。えらいことに日曜も開館しているよう。
木製のドアを入ると初老の女性が受け付けにいた。入館料3ペソ(約110円)は安い。女性はスペイン語がわかるかどうか聞いてくる。あまりわからないというと、プラスチックのファイルを取り出し、これに英語で解説が書かれてあるからとぼくに渡す。
先客は20代くらいの若い男3人組のみ。
ゲバラが少年時代を過ごした家が博物館になっており、その頃ゲバラが使っていた机や椅子、読んでいた本などが展示されている。また、3度の大きな旅(自転車でのアルゼンチン旅行、モーターサイクルダイアリーズの旅行、そして結果的にカストロ等と会うことになる最後のアメリカ大陸の縦断旅行)の行程や、その時に使った自転車(小型モーターを積んでいた)、旅先で取材を受けたときの新聞記事などが展示されていた。
最後の旅行の後については、現物の展示はほとんどなく、写真ばかり。もっともそれ以後についてはキューバのサンタクララの霊廟に併設されている博物館の方が詳しい。だから、両者はちょうど補完関係になる。
2006年にはフィデル・カストロやチャベスが一緒にここを訪れており、そのときの写真なども展示されている。また、小さい頃の遊び仲間だった人たちへのインタビューをまとめたビデオも見ることができた。
そのビデオによれば、ゲバラの家は比較的裕福で、父親はアリストクラート層(貴族?)の人間とばかり会っているような人だったらしい。だが、ゲバラは社会階層・階級(social classとあった)にこだわることなく、誰とでも遊んでいたらしい。
ゲバラの家族がアルタガルシアに移ってきた理由は、ゲバラの持病である喘息を治すことにあったらしい。医者からは激しいスポーツなどは止められていたものの、サッカーなどはみんなと混ざってやっていたらしい。また、母親に止められていた水泳も親にだまってシエラホテルでやっていたらしい。
本好きで学校に入る頃には文字をすでに読めるようになっており、中学の頃くらいにはアナトールフランスが出している本なども読んでいたと言う。
とにかく小さい頃はよく本を読み、また外で遊んでいたのだということが印象的で、キューバの子どもたちが同じように遊んでいたことが思い起こされる。
ぼくが入館してから続々と来館者が増える。一度にどかっと増えたので、おかしいなと思ったらコルドバからのツアー客だった。もちろんアルゼンチンの人も多い。
売店ではゲバラに関する本やグッズを売っており、ぼくもいくつかを購入。142ペソ(約4000円)。面白いのが、キューバで売られていたポストカードがここでも売られていたことと、ゲバラの肖像が入っているキューバの3ペソのコインがペンダントに加工されて売られていたこと。本物の硬貨かどうかは確かめなかったが。
2時間ほどでそこを出る。
あたりは豪邸ばかりで、人通りもほとんどない。店も少ないし、あっても開いていない。
次に行ったのは、ゲバラがそのプールで遊んでいたというシエラホテル。宮殿のようなホテルで新装されていて一段と近づきにくくなっていた。
ぷらぷらと歩いていても、整然とした家並みしか見えないのでとりあえずバス乗り場を探す。
そこへパカパカと小気味のいい音がしてきて、音がする方を見ると10歳くらいの男の子がまたがった馬が車道を歩いていた。今でも車道を馬が歩ける、しかも子どもが乗ってまわれるところが面白い。
ふらふらしていたらちょうどバスが来たのでそれに乗り込む。バスは市内をぐるっとまわって郊外に出た。
またもや途中で寝てしまい気づいたらコルドバのバスターミナルだった。
歩いて宿に戻る。途中の開いていたレストランで昼飯を食べる。何かよくわからず頼んだらきしめんのような麺にミートソースがかかったものが出てきた。挽き肉が肉団子のように固まっていて、量も多い。重さだけなら麺と肉と同じくらいなのではと思えるくらい。
さすがに土曜ということで、歩行者天国にある店は8~9割が閉まっている。開いているのは菓子などを売っている雑貨店とアイス屋、ピザやハンバーガーを出しているファーストフード店くらい。
ただ、フリーマーケットのような露店はズラズラっと並んでいた。人通りが多いのはそこくらいで、他は閑散としている。チリもそうだが、土日はみな何しているのかと不思議に思う。
宿に荷物をおいて、またふらふらとまちを見る。夕方18時くらいになると、みな家に帰るのだろう、バス停に行列ができていた。
晩飯は開いている食堂もないので、適当にスナック類でごまかす。
部屋のメンツがかわり、2人いた男が抜け、新たに女2人組が入る。言葉からイスラエルからの旅行者らしいことがわかる。
Fin
コルドバに到着、第一印象
08/05/30(金)
・
・青空市場
10時40分頃、リオグランデを出て3日目にしてようやくコルドバに到着。国内有数のまちということで、さすがにバスターミナルはでかい。バスの発着所は40台くらいがいっせいに止まることができるほど。
バスから降り、リュックを背負い、ターミナルの建物内に入る。建物は3階出てくらいになっており、バス会社の窓口以外にもキオスクやレストラン、革製品などの土産物品屋、音楽屋、スーパーなどが入っている。
とりあえずインフォメーションに行き、泊まる予定の宿までの道順を尋ねる。親切に教えてくれ、教えてもらった方向に歩く。
建物を出たすぐの通りにはチュロスの屋台があったので、そこで物価試しという名目でチュロスを買う。3本で2ペソ。まぁまぁ。
アルゼンチンで滞在したまちはいずれも小さいまちだったので、さすがにここはこれまでのまちとは雰囲気が違う。
教えられた道を歩いていると次々と宿屋の看板を見る。ターミナルの周りにも安そうな宿が並んでいるが、泊まる予定のユースホステルはネットが無料の上、朝飯がついているので予定の変更はせず。
人通りの少ない狭い歩道を歩く。気温は涼しいくらいで寒くはない。1本大きな通りを渡り、さらに狭い道を歩く。車道は石畳ではないものの、完全にヨーロッパ的なつくり。建物も古めかしい石造りのものが多い。
15分ほど歩くとサン・マルティン広場に出る。アクセサリーやニット帽、マフラーを売る露店が10軒ほど出ている。広場には人は少なく閑散としている。カテドラルや広場を左に見ながらそのまままっすぐ歩いていくとメインストリートに出たようで、人通りが増える。歩行者天国になっている通りには風呂敷を広げた上に違法コピーだと思われるCDやDVDを並べてる人や、同じように服やマフラー、手袋などを並べて売っている人たちがおり、その風呂敷の列が見える範囲の通りの奥の奥まで続いている。
どこまで続いているのか露店が続いている先の先まで行ってみたい衝動に駆られるが、まずは宿に荷物を置くのが先と思い直し、宿に向けて歩き続ける。
宿はメインストリートから5分ほどの教会の裏手にあった。ユースホステルということで欧米系のバックパッカーが多い。
チェックインの手続きをして部屋に案内される。部屋には右手の壁と左手の壁に沿って赤いパイプの2段ベッドが2つあり、さらに木製のロッカーもある。上のベッドしか空いていなかった。ベッドに上ろうとすると、キーキーとベッドのパイプ同士がすれる金属音がする。
1階のフロント裏が食堂のスペースになっていて、壁には各国からの旅行者のメッセージが書き込まれている。ここではスペイン語の講座やまちやコルドバなどへのツアーも扱っているらしく、それについて書いたポスターなども貼られている。
荷物を置いたら早速外に出る。明日明後日と土日になるから、平日のまちを見るには今日くらいしかない。
とりあえず昼ご飯を食べに北市場に向かう。片道3車線くらいある大きな通り沿いを歩き、しばらくしてから細いを歩く。まちのあちこちにはゲバラの生誕80周年に関するポスターが張られている。
北市場は、どうも最近改装したらしくとてもきれいな建物だった。横が100mほどと縦が50mほどの敷地で市場は1階のフロアのみ。入っている店は肉屋が中心であとピクルスやチーズ屋、魚屋、ピザ屋、その他レストランなどがある。かなり観光化されている印象を受ける。
レストランはおしゃれな内装をしているところがほとんどで料金も高い。最低1000円はしそうなところばかり。それでも昼時ということで、それぞれのレストランにはそれなりに客が入っている。ピザ屋だけはそれなりのボリュームのものが300円くらいで食べられるようだったが、昼飯にピザはちょっとと気が進まない。市場に行けば安く飯が食えるだろうという予想は見事に外れる。
じゃあ、市場のまわりに安食堂があるだろうとまわりをぶらぶらする。市場のまわりでは道ばたにシートを敷いてレモンなどを売っているおばさんたちが20人くらいいる。道ばたで何かを売っているのを見るのは久しぶりチリでもアルゼンチンの南でもそういう人はほとんどいなかったからボリビア以来だろう。
基本的にまわりは問屋街的な雰囲気で、家の内装道具やお菓子の問屋などがしずかに並んでいる。
そんなこんなでようやく安そうな食堂を発見。昼の定食が10ペソ(約300円)以下。その看板を見て中に入ってみると、人でいっぱい。座席を数えればおそらく50人以上は入れる店だが、それがすべて埋まっている。しかもいるのは年輩(歳でいうと70歳前後くらい)の人ばかり。しばらくどこか空かないか眺めていたが、とてもそんな雰囲気はなかったため退散。
だいぶ腹が減ってきたので、仕方なく、さっきの市場でピザを食べることにする。ピザは4分の1ピースほどで4ペソ程度。丸い木製のまな板のような皿に乗って出てくる。ピザ記事は1cm以上の暑さがあり、見た目は堅いホットケーキのよう。味は世界共通の味という感じでくせはない。
1枚食べればけっこう腹は膨れるので、食後には北道とは違う通りを通って町中に向かう。
北市場を出てすぐのSan Martin通りに入るとそこからずっと歩行者天国。通りの両脇に洋服店を中心にさまざまな店が並び、通りの真ん中には背中合わせになるような感じで風呂敷式露店(と呼ぶことにする)がずらりと並んでいる。売っているものは他とあまり代わり映えはない。CDやDVD、手袋、アクセサリー、ちょとした工具など。
途中、小さな時計屋などが入っているビルがあったので、そこに寄る。目的は時計の修理。リオグランデで時計を落としたときに時計の蓋(?)になるガラスが割れて、針が動かなくなっていた。
いかにも時計一筋でやっていますというめがねをかけた白髪のおじさんがいる店があったので、そこで時計を見せ、修理できるかスペイン語で尋ねる。すぐにできると言うので修理を頼む。もっともガラスを取り替えるだけだから修理という修理でもないが。
おじさんはピンセットのようなもので割れたガラスを外し、それから数十年は使っているであろう木製の机の引き出しから、ぼくの時計のサイズに合いそうなガラスを取り出し、何個か試した後、ぴったりあったものをはめ込んだ。それで終了。値段は10ペソ(約300円)。周りの店には新品の時計が20ペソ(約700円)程度で売られていたから新しいのを買ってもあまり懐は痛まなかったが、せっかくなので直すことにしたというわけ。
店と路上の物売りと歩く人で込む合う通りを南に向けて歩くと宿近くの広場に出る。見た感じでは広場の周辺の道はほとんどが歩行者天国になっているよう。おそらく総延長では2kmは行きそうなくらい歩行者天国の道が多い。
店も一軒の隙間もなく、店が並び買い物客も多い。とにかく賑わっている。
まちなかを見ていてとにかく目立つのが本屋!大学まちということだからなのか、自然科学から社会科学、人文科学までのさまざまな専門書も売っている。もちろんマンガもあり。どの店も売り場面積はそこそこあるが、東京の大書店と比べればワンフロア分くらい。雑誌などは書店にはほとんどなく、キオスクで売られており、その辺は分業になっている様子。
交通機関はバスが基本で、あとはトロリーバスも走っている。夕方になるとバス停にはこれから帰宅するらしい人々の行列ができていた。
不便なのは屋台がないこと。ピーナッツ菓子やチュロスの屋台はあったものの、食事をできる屋台はない。また料理屋にしてもサンドイッチやホットドッグを売るカフェやファーストフードは、あきれるくらいの数があるのだが、いわゆる食堂がない。レストランは高そうだし。そういうわけで飯を食えるようなところがない。
夜になって腹が減ったので安そうな食堂を探し回る。6時くらいまでは開いていた店もこの時間(8時前ころ)ほとんど閉まっていて、人通りもぐっと減っていた。ふらふらしていると、中華料理のバイキングの店を発見。20ペソ(約800円)ほどで30種類ほどの料理が食べ放題だった。
これまで旅行中には中華料理屋には一度も行ったことがなかったが、ここで試してみることにする。
料理はいかにも中華料理という炒め物もあるが、基本的にはこちらに合わせたらしい料理が多い。いろんな種類のものを少しずつとって食ってみると、日本の中華料理屋で食べる味とはひと味違う。というかだいぶ違う。なかには、オマエ、完全に塩加減を間違っただろ!と言いたくなるような食べる気が萎えるほどの塩気の強いものもあった。なお豆腐ときんかんのはちみつ漬けのようなものは良かった。
客は子ども連れの家族など次々と入ってくるから繁盛しているよう。子どもたちの様子を見ていると、やっぱり揚げ物系は好んで食べているが、見た目が中華料理っぽいあんかけ炒めのようなものは敬遠している様子。
すっかり腹一杯になって宿に帰る。共用のシャワールームで久しぶりにシャワーを浴び、ちょっとネットを見て、あとは寝る。
Fin
・
・青空市場
10時40分頃、リオグランデを出て3日目にしてようやくコルドバに到着。国内有数のまちということで、さすがにバスターミナルはでかい。バスの発着所は40台くらいがいっせいに止まることができるほど。
バスから降り、リュックを背負い、ターミナルの建物内に入る。建物は3階出てくらいになっており、バス会社の窓口以外にもキオスクやレストラン、革製品などの土産物品屋、音楽屋、スーパーなどが入っている。
とりあえずインフォメーションに行き、泊まる予定の宿までの道順を尋ねる。親切に教えてくれ、教えてもらった方向に歩く。
建物を出たすぐの通りにはチュロスの屋台があったので、そこで物価試しという名目でチュロスを買う。3本で2ペソ。まぁまぁ。
アルゼンチンで滞在したまちはいずれも小さいまちだったので、さすがにここはこれまでのまちとは雰囲気が違う。
教えられた道を歩いていると次々と宿屋の看板を見る。ターミナルの周りにも安そうな宿が並んでいるが、泊まる予定のユースホステルはネットが無料の上、朝飯がついているので予定の変更はせず。
人通りの少ない狭い歩道を歩く。気温は涼しいくらいで寒くはない。1本大きな通りを渡り、さらに狭い道を歩く。車道は石畳ではないものの、完全にヨーロッパ的なつくり。建物も古めかしい石造りのものが多い。
15分ほど歩くとサン・マルティン広場に出る。アクセサリーやニット帽、マフラーを売る露店が10軒ほど出ている。広場には人は少なく閑散としている。カテドラルや広場を左に見ながらそのまままっすぐ歩いていくとメインストリートに出たようで、人通りが増える。歩行者天国になっている通りには風呂敷を広げた上に違法コピーだと思われるCDやDVDを並べてる人や、同じように服やマフラー、手袋などを並べて売っている人たちがおり、その風呂敷の列が見える範囲の通りの奥の奥まで続いている。
どこまで続いているのか露店が続いている先の先まで行ってみたい衝動に駆られるが、まずは宿に荷物を置くのが先と思い直し、宿に向けて歩き続ける。
宿はメインストリートから5分ほどの教会の裏手にあった。ユースホステルということで欧米系のバックパッカーが多い。
チェックインの手続きをして部屋に案内される。部屋には右手の壁と左手の壁に沿って赤いパイプの2段ベッドが2つあり、さらに木製のロッカーもある。上のベッドしか空いていなかった。ベッドに上ろうとすると、キーキーとベッドのパイプ同士がすれる金属音がする。
1階のフロント裏が食堂のスペースになっていて、壁には各国からの旅行者のメッセージが書き込まれている。ここではスペイン語の講座やまちやコルドバなどへのツアーも扱っているらしく、それについて書いたポスターなども貼られている。
荷物を置いたら早速外に出る。明日明後日と土日になるから、平日のまちを見るには今日くらいしかない。
とりあえず昼ご飯を食べに北市場に向かう。片道3車線くらいある大きな通り沿いを歩き、しばらくしてから細いを歩く。まちのあちこちにはゲバラの生誕80周年に関するポスターが張られている。
北市場は、どうも最近改装したらしくとてもきれいな建物だった。横が100mほどと縦が50mほどの敷地で市場は1階のフロアのみ。入っている店は肉屋が中心であとピクルスやチーズ屋、魚屋、ピザ屋、その他レストランなどがある。かなり観光化されている印象を受ける。
レストランはおしゃれな内装をしているところがほとんどで料金も高い。最低1000円はしそうなところばかり。それでも昼時ということで、それぞれのレストランにはそれなりに客が入っている。ピザ屋だけはそれなりのボリュームのものが300円くらいで食べられるようだったが、昼飯にピザはちょっとと気が進まない。市場に行けば安く飯が食えるだろうという予想は見事に外れる。
じゃあ、市場のまわりに安食堂があるだろうとまわりをぶらぶらする。市場のまわりでは道ばたにシートを敷いてレモンなどを売っているおばさんたちが20人くらいいる。道ばたで何かを売っているのを見るのは久しぶりチリでもアルゼンチンの南でもそういう人はほとんどいなかったからボリビア以来だろう。
基本的にまわりは問屋街的な雰囲気で、家の内装道具やお菓子の問屋などがしずかに並んでいる。
そんなこんなでようやく安そうな食堂を発見。昼の定食が10ペソ(約300円)以下。その看板を見て中に入ってみると、人でいっぱい。座席を数えればおそらく50人以上は入れる店だが、それがすべて埋まっている。しかもいるのは年輩(歳でいうと70歳前後くらい)の人ばかり。しばらくどこか空かないか眺めていたが、とてもそんな雰囲気はなかったため退散。
だいぶ腹が減ってきたので、仕方なく、さっきの市場でピザを食べることにする。ピザは4分の1ピースほどで4ペソ程度。丸い木製のまな板のような皿に乗って出てくる。ピザ記事は1cm以上の暑さがあり、見た目は堅いホットケーキのよう。味は世界共通の味という感じでくせはない。
1枚食べればけっこう腹は膨れるので、食後には北道とは違う通りを通って町中に向かう。
北市場を出てすぐのSan Martin通りに入るとそこからずっと歩行者天国。通りの両脇に洋服店を中心にさまざまな店が並び、通りの真ん中には背中合わせになるような感じで風呂敷式露店(と呼ぶことにする)がずらりと並んでいる。売っているものは他とあまり代わり映えはない。CDやDVD、手袋、アクセサリー、ちょとした工具など。
途中、小さな時計屋などが入っているビルがあったので、そこに寄る。目的は時計の修理。リオグランデで時計を落としたときに時計の蓋(?)になるガラスが割れて、針が動かなくなっていた。
いかにも時計一筋でやっていますというめがねをかけた白髪のおじさんがいる店があったので、そこで時計を見せ、修理できるかスペイン語で尋ねる。すぐにできると言うので修理を頼む。もっともガラスを取り替えるだけだから修理という修理でもないが。
おじさんはピンセットのようなもので割れたガラスを外し、それから数十年は使っているであろう木製の机の引き出しから、ぼくの時計のサイズに合いそうなガラスを取り出し、何個か試した後、ぴったりあったものをはめ込んだ。それで終了。値段は10ペソ(約300円)。周りの店には新品の時計が20ペソ(約700円)程度で売られていたから新しいのを買ってもあまり懐は痛まなかったが、せっかくなので直すことにしたというわけ。
店と路上の物売りと歩く人で込む合う通りを南に向けて歩くと宿近くの広場に出る。見た感じでは広場の周辺の道はほとんどが歩行者天国になっているよう。おそらく総延長では2kmは行きそうなくらい歩行者天国の道が多い。
店も一軒の隙間もなく、店が並び買い物客も多い。とにかく賑わっている。
まちなかを見ていてとにかく目立つのが本屋!大学まちということだからなのか、自然科学から社会科学、人文科学までのさまざまな専門書も売っている。もちろんマンガもあり。どの店も売り場面積はそこそこあるが、東京の大書店と比べればワンフロア分くらい。雑誌などは書店にはほとんどなく、キオスクで売られており、その辺は分業になっている様子。
交通機関はバスが基本で、あとはトロリーバスも走っている。夕方になるとバス停にはこれから帰宅するらしい人々の行列ができていた。
不便なのは屋台がないこと。ピーナッツ菓子やチュロスの屋台はあったものの、食事をできる屋台はない。また料理屋にしてもサンドイッチやホットドッグを売るカフェやファーストフードは、あきれるくらいの数があるのだが、いわゆる食堂がない。レストランは高そうだし。そういうわけで飯を食えるようなところがない。
夜になって腹が減ったので安そうな食堂を探し回る。6時くらいまでは開いていた店もこの時間(8時前ころ)ほとんど閉まっていて、人通りもぐっと減っていた。ふらふらしていると、中華料理のバイキングの店を発見。20ペソ(約800円)ほどで30種類ほどの料理が食べ放題だった。
これまで旅行中には中華料理屋には一度も行ったことがなかったが、ここで試してみることにする。
料理はいかにも中華料理という炒め物もあるが、基本的にはこちらに合わせたらしい料理が多い。いろんな種類のものを少しずつとって食ってみると、日本の中華料理屋で食べる味とはひと味違う。というかだいぶ違う。なかには、オマエ、完全に塩加減を間違っただろ!と言いたくなるような食べる気が萎えるほどの塩気の強いものもあった。なお豆腐ときんかんのはちみつ漬けのようなものは良かった。
客は子ども連れの家族など次々と入ってくるから繁盛しているよう。子どもたちの様子を見ていると、やっぱり揚げ物系は好んで食べているが、見た目が中華料理っぽいあんかけ炒めのようなものは敬遠している様子。
すっかり腹一杯になって宿に帰る。共用のシャワールームで久しぶりにシャワーを浴び、ちょっとネットを見て、あとは寝る。
Fin
2008年7月1日火曜日
[速報]チケットをゲット
ブエノスアイレス午前9時半です。
7月になってしまいました。
昨日、7月7日の七夕にスペインはマドリッドに飛ぶ飛行機チケットを入手しました。
できれば今週末に南アフリカかスペインにとぼうと思っていたのですが、安いのがなかなかなく7日が一番安いとのことで、それにした次第。ちなみに値段は片道で約900米ドル。ユーロ圏は片道切符では入れないという話があるので、その点が気がかりですが、往復だと1500米ドルほどするので自分の運を信じて片道を買った次第。
南アフリカ行きは片道でも1200米ドルし、しかも往復でないと売ってくれないというのでそちらに行くのはやめました。
スペインに着いたらセビリアとグラナダくらいを見たらさっさとモロッコに移動する予定です。
ではでは。
7月になってしまいました。
昨日、7月7日の七夕にスペインはマドリッドに飛ぶ飛行機チケットを入手しました。
できれば今週末に南アフリカかスペインにとぼうと思っていたのですが、安いのがなかなかなく7日が一番安いとのことで、それにした次第。ちなみに値段は片道で約900米ドル。ユーロ圏は片道切符では入れないという話があるので、その点が気がかりですが、往復だと1500米ドルほどするので自分の運を信じて片道を買った次第。
南アフリカ行きは片道でも1200米ドルし、しかも往復でないと売ってくれないというのでそちらに行くのはやめました。
スペインに着いたらセビリアとグラナダくらいを見たらさっさとモロッコに移動する予定です。
ではでは。
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