2008年7月3日木曜日

コルドバに到着、第一印象

08/05/30(金)


・青空市場

10時40分頃、リオグランデを出て3日目にしてようやくコルドバに到着。国内有数のまちということで、さすがにバスターミナルはでかい。バスの発着所は40台くらいがいっせいに止まることができるほど。

バスから降り、リュックを背負い、ターミナルの建物内に入る。建物は3階出てくらいになっており、バス会社の窓口以外にもキオスクやレストラン、革製品などの土産物品屋、音楽屋、スーパーなどが入っている。

とりあえずインフォメーションに行き、泊まる予定の宿までの道順を尋ねる。親切に教えてくれ、教えてもらった方向に歩く。

建物を出たすぐの通りにはチュロスの屋台があったので、そこで物価試しという名目でチュロスを買う。3本で2ペソ。まぁまぁ。

アルゼンチンで滞在したまちはいずれも小さいまちだったので、さすがにここはこれまでのまちとは雰囲気が違う。

教えられた道を歩いていると次々と宿屋の看板を見る。ターミナルの周りにも安そうな宿が並んでいるが、泊まる予定のユースホステルはネットが無料の上、朝飯がついているので予定の変更はせず。

人通りの少ない狭い歩道を歩く。気温は涼しいくらいで寒くはない。1本大きな通りを渡り、さらに狭い道を歩く。車道は石畳ではないものの、完全にヨーロッパ的なつくり。建物も古めかしい石造りのものが多い。

15分ほど歩くとサン・マルティン広場に出る。アクセサリーやニット帽、マフラーを売る露店が10軒ほど出ている。広場には人は少なく閑散としている。カテドラルや広場を左に見ながらそのまままっすぐ歩いていくとメインストリートに出たようで、人通りが増える。歩行者天国になっている通りには風呂敷を広げた上に違法コピーだと思われるCDやDVDを並べてる人や、同じように服やマフラー、手袋などを並べて売っている人たちがおり、その風呂敷の列が見える範囲の通りの奥の奥まで続いている。

どこまで続いているのか露店が続いている先の先まで行ってみたい衝動に駆られるが、まずは宿に荷物を置くのが先と思い直し、宿に向けて歩き続ける。

宿はメインストリートから5分ほどの教会の裏手にあった。ユースホステルということで欧米系のバックパッカーが多い。

チェックインの手続きをして部屋に案内される。部屋には右手の壁と左手の壁に沿って赤いパイプの2段ベッドが2つあり、さらに木製のロッカーもある。上のベッドしか空いていなかった。ベッドに上ろうとすると、キーキーとベッドのパイプ同士がすれる金属音がする。

1階のフロント裏が食堂のスペースになっていて、壁には各国からの旅行者のメッセージが書き込まれている。ここではスペイン語の講座やまちやコルドバなどへのツアーも扱っているらしく、それについて書いたポスターなども貼られている。

荷物を置いたら早速外に出る。明日明後日と土日になるから、平日のまちを見るには今日くらいしかない。

とりあえず昼ご飯を食べに北市場に向かう。片道3車線くらいある大きな通り沿いを歩き、しばらくしてから細いを歩く。まちのあちこちにはゲバラの生誕80周年に関するポスターが張られている。

北市場は、どうも最近改装したらしくとてもきれいな建物だった。横が100mほどと縦が50mほどの敷地で市場は1階のフロアのみ。入っている店は肉屋が中心であとピクルスやチーズ屋、魚屋、ピザ屋、その他レストランなどがある。かなり観光化されている印象を受ける。

レストランはおしゃれな内装をしているところがほとんどで料金も高い。最低1000円はしそうなところばかり。それでも昼時ということで、それぞれのレストランにはそれなりに客が入っている。ピザ屋だけはそれなりのボリュームのものが300円くらいで食べられるようだったが、昼飯にピザはちょっとと気が進まない。市場に行けば安く飯が食えるだろうという予想は見事に外れる。

じゃあ、市場のまわりに安食堂があるだろうとまわりをぶらぶらする。市場のまわりでは道ばたにシートを敷いてレモンなどを売っているおばさんたちが20人くらいいる。道ばたで何かを売っているのを見るのは久しぶりチリでもアルゼンチンの南でもそういう人はほとんどいなかったからボリビア以来だろう。

基本的にまわりは問屋街的な雰囲気で、家の内装道具やお菓子の問屋などがしずかに並んでいる。

そんなこんなでようやく安そうな食堂を発見。昼の定食が10ペソ(約300円)以下。その看板を見て中に入ってみると、人でいっぱい。座席を数えればおそらく50人以上は入れる店だが、それがすべて埋まっている。しかもいるのは年輩(歳でいうと70歳前後くらい)の人ばかり。しばらくどこか空かないか眺めていたが、とてもそんな雰囲気はなかったため退散。

だいぶ腹が減ってきたので、仕方なく、さっきの市場でピザを食べることにする。ピザは4分の1ピースほどで4ペソ程度。丸い木製のまな板のような皿に乗って出てくる。ピザ記事は1cm以上の暑さがあり、見た目は堅いホットケーキのよう。味は世界共通の味という感じでくせはない。

1枚食べればけっこう腹は膨れるので、食後には北道とは違う通りを通って町中に向かう。

北市場を出てすぐのSan Martin通りに入るとそこからずっと歩行者天国。通りの両脇に洋服店を中心にさまざまな店が並び、通りの真ん中には背中合わせになるような感じで風呂敷式露店(と呼ぶことにする)がずらりと並んでいる。売っているものは他とあまり代わり映えはない。CDやDVD、手袋、アクセサリー、ちょとした工具など。

途中、小さな時計屋などが入っているビルがあったので、そこに寄る。目的は時計の修理。リオグランデで時計を落としたときに時計の蓋(?)になるガラスが割れて、針が動かなくなっていた。

いかにも時計一筋でやっていますというめがねをかけた白髪のおじさんがいる店があったので、そこで時計を見せ、修理できるかスペイン語で尋ねる。すぐにできると言うので修理を頼む。もっともガラスを取り替えるだけだから修理という修理でもないが。

おじさんはピンセットのようなもので割れたガラスを外し、それから数十年は使っているであろう木製の机の引き出しから、ぼくの時計のサイズに合いそうなガラスを取り出し、何個か試した後、ぴったりあったものをはめ込んだ。それで終了。値段は10ペソ(約300円)。周りの店には新品の時計が20ペソ(約700円)程度で売られていたから新しいのを買ってもあまり懐は痛まなかったが、せっかくなので直すことにしたというわけ。

店と路上の物売りと歩く人で込む合う通りを南に向けて歩くと宿近くの広場に出る。見た感じでは広場の周辺の道はほとんどが歩行者天国になっているよう。おそらく総延長では2kmは行きそうなくらい歩行者天国の道が多い。

店も一軒の隙間もなく、店が並び買い物客も多い。とにかく賑わっている。

まちなかを見ていてとにかく目立つのが本屋!大学まちということだからなのか、自然科学から社会科学、人文科学までのさまざまな専門書も売っている。もちろんマンガもあり。どの店も売り場面積はそこそこあるが、東京の大書店と比べればワンフロア分くらい。雑誌などは書店にはほとんどなく、キオスクで売られており、その辺は分業になっている様子。

交通機関はバスが基本で、あとはトロリーバスも走っている。夕方になるとバス停にはこれから帰宅するらしい人々の行列ができていた。

不便なのは屋台がないこと。ピーナッツ菓子やチュロスの屋台はあったものの、食事をできる屋台はない。また料理屋にしてもサンドイッチやホットドッグを売るカフェやファーストフードは、あきれるくらいの数があるのだが、いわゆる食堂がない。レストランは高そうだし。そういうわけで飯を食えるようなところがない。

夜になって腹が減ったので安そうな食堂を探し回る。6時くらいまでは開いていた店もこの時間(8時前ころ)ほとんど閉まっていて、人通りもぐっと減っていた。ふらふらしていると、中華料理のバイキングの店を発見。20ペソ(約800円)ほどで30種類ほどの料理が食べ放題だった。

これまで旅行中には中華料理屋には一度も行ったことがなかったが、ここで試してみることにする。

料理はいかにも中華料理という炒め物もあるが、基本的にはこちらに合わせたらしい料理が多い。いろんな種類のものを少しずつとって食ってみると、日本の中華料理屋で食べる味とはひと味違う。というかだいぶ違う。なかには、オマエ、完全に塩加減を間違っただろ!と言いたくなるような食べる気が萎えるほどの塩気の強いものもあった。なお豆腐ときんかんのはちみつ漬けのようなものは良かった。

客は子ども連れの家族など次々と入ってくるから繁盛しているよう。子どもたちの様子を見ていると、やっぱり揚げ物系は好んで食べているが、見た目が中華料理っぽいあんかけ炒めのようなものは敬遠している様子。

すっかり腹一杯になって宿に帰る。共用のシャワールームで久しぶりにシャワーを浴び、ちょっとネットを見て、あとは寝る。

Fin

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

その中華料理屋は中国人経営でしたか?

ぶらぷらびと さんのコメント...

April さま
店のスタッフを見ている限りじゃ中国系だったよ。えらそうなおばちゃんが中国語しゃべってたから。