08/06/03(火)
日の光に目が覚め、窓から外を眺めてみるとすっかり景色が変わっていた。なんだか熱帯的な風景。無秩序に木々が生い茂っており、人の手は入っていないように見える。アルゼンチンを移動している間、見えるのはただただだだっ広い平原(パンパ)ばかりだったから、とても新鮮に感じる。
パラグアイとの国境に着いたのは朝の7時頃だった。雨上がりのようであちこちに水たまりがある。
ボリビアとチリの国境、またはチリとアルゼンチンの国境と違うのは、手続きする建物の周りに両替商のおじさんおばさんがうろうろしていたり、パンや菓子などを売っている人たちがいるところだ。
あとパラグアイということもあって、マイカップにマイ水筒を持ってマテ茶を飲んでいる人たちが多いのも新鮮。マテ茶はアルゼンチンも飲むらしいが、ぼくが行った先では飲んでいる姿を見ることはほとんどなかった。
出入国の手続きはスムースで特に問題なく通過。荷物検査もほとんどフリーパスのようなもんだった。
パラグアイ側には町の方へ向かうバスが止まっていた。これが廃車寸前、あるいは廃車にすべき車をまだ走らせているようなバス。パラグアイはボリビアに次いで南米で”貧しい”国らしいから、それがこうしたバスにも見て取れる。
道路はボリビアと違ってしっかりしており、舗装の状態もいい。
ときおり民家が見え、トウキビ畑が見える。
1時間ほどすると沿道に建つ建物の密度が高くなり、商店なども現れる。建物やバスなどの色具合と曇天の空模様が調和して、全体がくすんでいる感じを受ける。
しばらく行くと正面に大きな橋が見えてくる。パラグアイ川のよう。水量豊富で川幅も広いが驚嘆するほどではない。色はチョコレート色。フェリーのような船も見え、いかにも深そうだ。
8時半頃にバスターミナルに到着。ボリビアのラパスと比べればだいぶ小さい。アルゼンチンのコルドバよりも小さい。とは言え、発着所は20台くらいが同時にとまれるからそれなりには大きい。
バスを降りてターミナルの建物内に入ると、なんだか久しぶりだな、と感じられる風景が広がっていた。床に敷物を敷いていわゆる民芸品を並べて売っている女性が数人。皆床に座り込んでいる。床に座り込むスタイルはインディヘナスタイル。顔立ちからパラグアイの先住民と呼ばれているグアラニー族の人らしい。
ターミナルには土産物品店やネット屋などもあったが、一番目についたのが両替所。そんなにたくさん必要なのか?と思うくらいある。他ではたいていあっても1つ2つだが、ここには10ほどもある。
ターミナル前のバス乗り場に行き、中心街に行くバスを探す。いろんな番号のバスがあり、どれに乗ればいいかわからないため、とりあえず一服。バス乗り場がある歩道には串焼きやチョリソ(ソーセージ)を売る屋台が並んでいたので、そこでチョリソを1本買う。肉だけかと思ったらパンが付いてくるようで、ホットドッグのようにしてもらった。1本3000グアラニー(約80円)。意外と高かった。
店のおじさんに乗るべきバスの番号を教えてもらい、それを待つ。20分ほど待ってようやくバスをゲット。客が少なかったのが良かった。バスの料金は前払いで運転手に直接渡す。2400グアラニーほどだった。
建物や店が切れ目なく続く道を走る。道路の状態はあまり良くない。舗装はされているもののがたがた揺れる。バスの質も関係しているかもしれないが。
20分ほどすると両脇に屋台や露店がひしめいている地帯に出る。ここが市場らしい。ごみごみしていて物があふれ、あたりは汚れていてなかなかいい感じだ。うまいものがありそう。
そこからさらに10分ほど乗ったところで目安にしていた通りに着いたので降りる。地図を見ながらホテル内山田という日系人が経営しているホテルに向かう。
迷うことなく到着。近くまで行くと宿の前にいた人がそこそこと指を指して教えてくれた。
ガラスの扉を入ると”いらっしゃいませ”と日本語で迎えられる。見た目はこちらの人。日本語はたどたどしいが、用は足せる。
部屋代を聞くと17米ドル相当だったので、ちょっと躊躇する。割引がないか聞いたが、もちろんない。しばらく考え込むが、ここらは安くても10ドルちょっとはするようだし、ここは朝飯がついているから、まぁいいかと予定通りに泊まることにする。
部屋は12畳ほどもあり、ベッドはダブルででかい。2003年頃の週刊ポストやジャンプが合わせて3冊ほどあり。ありがたいのはJICAが協力して作ったパラグアイ国内の旅行ガイドがあったこと。歩き方よりもよほど詳しいし、日本人移住地の場所なども示されている。
風呂場をのぞくと違和感を感じる。何かおかしいと思っていたら原因は風呂桶だった。これまで泊まってきた宿では風呂桶など見たことなかったから、なぜか新鮮に映る。
もっと良い部屋に泊まっている人はでかい風呂にも無料で入れるらしい。
エレベーターなどに貼られている注意書きは日本語併記。
荷物を置いて外に出る。もし簡単にとれるようだったらここでブラジルビザを取ろうと、まずはブラジル領事館に行くことにする。
宿のすぐ前にはチーパ(キャッサバを使ったパン)を売っているおばちゃんが数人いたので、1つ買う。1個1000グアラニー(約20円)。大きなドーナツ型(直径15cmほど)。見た目はベーグルに似ている。食べてみると食感はちょっと発泡スチロール的。キュッキュッとした歯ごたえ。
ブラジル領事館の入っているビルまでは歩いて15分程度。1階の受付の男性にブラジル領事館について聞くと、エレベーターで階を教えてくれる。
領事館に入ると記入台で白髪の年輩男性が日本語で話しながら申請書に記入していた。窓口でビザがほしい旨を伝えると、申請書をくれ、チケットとか写真(5cm×6cm)などを持ってきてと言われる。写真のサイズが手持ちのものより大きいし、やはりチケットが必要。チケットはバスでも良いと言うが、ここからブラジルに入るつもりはないから、ここで取るのはヤメにする。
領事館のある通りから川までの間が繁華街になっていて、洋服屋やレストランなどが並んでいる。しかし、繁華街には人通りは少ない。
両替できるところはいくつもあったので、レートを見比べ両替。だいたいどこも1米ドル=4050グアラニー。それからまちの北東にあたるパラグアイ川沿いに行く。
川沿いには広場が作られているところがあり、そこから川辺までの間がガイドブックなどでスラム街と呼ばれている地帯になっている。外務省の安全情報によれば、去年だったかにはここに迷い込んだ日本人旅行者が射殺される事件があったらしい。
広場よりも一段低い地帯となっているため、上から眺める形でその様子をうかがうことができる。どの家もさびたトタンで屋根をふき、壁もとってつけたようなものが多い。家と家の間の通路の幅は3人並んで歩くのは難しいくらい。文字通り密集している。
ふらふらしていたら道ばたでおしゃべりしていた10歳くらいの女の子2人が声をかけてきて、ぼくが手に提げていたみかんが入っているビニール袋を指さし、1つくれないかと言う。5~6個買っていたので、1人に1個ずつプレゼント。
しばらく行くとスラム街の方へ降りていく道があり、その下り口には3人の警官が立っていた。ぼくを見つけた一人の男の警官が、寄ってきてぼくのポケットを指さし、中のものを見せろと言ってくる。ポケットには財布の他に手帳や懐中電灯、カメラなどを突っ込んでいたから、何かごついものが入っていると思われたらしい。全部取り出して見せると、警官は懐中電灯などをちょっといじくり返してくれる。そして、カメラなどを取られないよう気をつけろと言われる。
川辺を離れ、店が並んでいる通りに行く。英雄広場の近くなどには路上の物売りが多い。絨毯のようなものを売っている人もいる。途中、マテ茶を飲もうと歩道で商売していたおばちゃんから1杯買う。しかし、これがミルクティーのようなもので、マテ茶ではなかったようだった。
昼飯を食おうと例の市場に行く。バスに乗って近くで下車。チリといいアルゼンチンといい市場はさっぱりしていてあまりおもしろくなかったが、ここは違う。歩道にまで店があふれ、なんだかごちゃごちゃだ。市場としての建物があるのかどうかもわからないくらい。
コピーされたCDやDVDが大量に売られており、服や薬局で売られているようなもん(薬意外)も多い。屋内で肉を売っているコーナーに行くと裁かれたばかりらしい肉の他に白色の細長い風船のようなものが売られている。腸管か何か膨らましたものなのか?
一角に食堂があったのでそこで昼飯。適当に頼むとふかしたキャッサバと鶏のスープが出てくる。
市場は平行する3本の通りにまたがっており、真ん中の通りは歩行者天国でテント屋台がズラズラと並び、店を持っていない人は肩からさまざまな商品をぶらさげ、歩きながら声をあげ商売をしている。さっき行った中心街はあまり活気を感じなかったが、こっちには人がぎょうさんいて活気がある。
野菜や果物などの品ぞろえはボリビアなどとあまり変わりない。
市場のあたりをぶらぶら歩き回る。すると鉄板焼の屋台を見つけたので、こちらにも立ち寄る。メニューはリブや分厚いチョリソ(ソーセージ)などの肉のみ。暑く油をしいた鉄板で豪快に焼かれている肉を注文。小さなまな板のような板の皿に盛られて渡される。マンジオカ(キャッサバ)は無料のサービスのようで、蒸かしただけの短いマンジオカを数本皿に盛ってくれる。肉は1つあたりだいたい3000グアラニー(約70円)くらいのよう。隣で食べていた兄ちゃんは次々と違う肉を注文しては食い、マンジオカがなくなると、それも追加で頼み、がつがつ食べている。アルゼンチンにもこういうところがあれば、もっと楽しかったろうにと思う。
市場の一帯は裏道のような細い道がごちゃごちゃと伸びていて、適当に歩いているとだんだんどの辺りにいるのかわからなくなるほど。しかしこの市場は見応えはあり。
腹が膨れたところでまたバスターミナルに行く。明日、ブラジル国境に近いイグアスに行くから、そこに行くバスの時刻と値段を聞いて回る。どこも1時間おきくらいに出ていて運賃も50000グアラニー(約1200円)程度。
チケットは明日買うことにしてまたまちに戻る。
今は使われていない鉄道駅跡近くを通って新市街とガイドブックにあった地域に向かう。バスに乗ってそちらに向かっていると高級そうなスーパーや服屋などが車窓から見える。一方で交差点で洗剤水と窓拭き棒(固有名わからず)を持って、自動車のフロントガラスを掃除している親子の姿も見る。その親子の子どもの方はまだ10歳にも満たなそうな女の子で、母親の方はおなかの大きくなった妊婦だった。
ショッピングセンターの前で降りる。
立派なショッピングセンターでぼくでも知っているようなブランド洋品店やスポーツ品店が入っている。英語の本のみを扱っている本屋もあり。
すでに夕方を過ぎ、暗くなったので適当にバスに乗って変えることにする。宿近くに行きそうなバスを適当に見定め乗り込んでみる。が、これが外れ。まっすぐ行くべき所を右に曲がり、どこか違うところへ行こうとするので、あわてて降りる。
それからまたバスに乗るが、これがけっこうな満員バス。なので、この人等がどこまで行くのか興味がわいたのでしばらくのり続けることにする。隣の人と体が触れるくらいにぎゅうぎゅう。
バスが走る幹線道路はなかなかにぎやかな通りでときおり日系人っぽい看板を出した店もある。自動車関係の会社では日本製品であることをうちだしている店もある。
でかいスーパーやショッピングセンターも3カ所くらいにあった。
30分立っても客は降りない。1時間ほどたった頃にはさすがに店並は消える。客も最大事の7割程度まで減る。さすがにこれ以上乗り続けるのは面倒だなと思い、適当に降りる。
降りて気づいたが、走っていたのは一方通行の道だった。バスを降りたら反対側に渡って、そこでまたバスを捕まえればいいと思っていたのだが、それができない。しょうがないので串焼き屋で一本買った序でに店のおばさんにバス乗り場を聞く。
幸い近くにあった。そこまで歩いていき、バスを待つ。7時すぎだったが、まだ中心部に向かうバスは多く10分ほど待っただけでバスをゲット。
市場でまた晩飯を食おうかと思って、その近くでバスを降りたところ、これがもぬけの殻。昼間には、物があふれ、人も多く集まっていたのに人っ子ひとりいない。屋台くらい開いているだろうと思っていたが、それさえもきれいに閉まっていた。宿に戻る途中の道でも開いている店は2軒ほど。昼とはうって変わって静かで寂しくなっていた。こんなに早くに店が閉まるとは、ボリビアとは大違いだ。
宿を目指してあるいていたら、道ばたの段ボールを拾って回っている人とすれ違う。
宿には日本料理店が併設されていたが、さすがにそこで食べるお金はない。なので、近くでまだ開いていたキオスクみたいな店でエンパナーダ(炒め物のパイ包み)を2個買って、それを晩飯代わりにする。
あとは宿で過ごす。
Fin
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