08/05/31(土)
目覚めたものの、ガラス窓の外側の雨戸みたいなものも完全に閉められていたため、部屋は真っ暗。何時かわからない。不覚にも手元に懐中電灯を置いておかなかった。この部屋には天井に豆電球が1つあるだけだから、こういうときに不便。他の3人は夜中3時か4時頃に部屋に戻ってきたようだったから、電気をつけたくらいで起きるとは思えないが、それでも気を使う。
廊下は電気がついているので、時計を持って廊下にでる。7時を過ぎている。チリに入って以降、朝日が遅いこともあり、睡眠時間が長くなっている。ボリビアまではたいてい6時台に起きていたのに。
廊下にでてもほとんど声も物音もしない。だいたいみんな朝は遅いから、今のうちにと思い、1階におりパソコンの前に座る。そして、この3日ほどのぶんの写真のデータのバックアップをとる。ネットにもアップする作業をしたのだが、ブラウザーが途中で動かなくなってしまったりして、あまりに時間が
かかるので、途中でやめる。
8時前、すっかり外が明るくなる。朝食を食べにみんな降りてくる。ぼくは昨晩の中華料理が腹に残っていたのでパス。
9時半前に宿を出て、Alta Garcia(アルタガルシア)に行くためにミニバス乗り場に行く。ミニバス乗り場は昨日バスが着いたターミナルとは別の場所にあり、南市場(Mercado Sud)の裏手にあった。
バスに乗る前にこの市場を見てみる。がっしりしたタイル張りの建物だが、面積はとても小さく20m×20m程度。店も20店もないくらい。肉屋がメインで野菜屋は2店舗ほど。土曜だからかやっていない店もある。客もほとんどいないため、中は閑散していて寂しい。
一回りして、バス乗り場の方に出る。ワゴンとマイクロバスの中間くらいの車が10台ほど止まれるようになっていて、常にバス待ちをしている人たちがいる。車体に書かれている会社名がいろいろで、フロントに掲げられている行き先もいろいろだったため、一見しただけではどのバスに乗ればいいのかわからない。
なので、適当に車の運転手に聞いてみると、そこの階段を降りてサーミエントだと言う。サーミエントがなんなのかわからず、また階段を降りてもそこに乗り場はありそうになかったのだが、とりあえず言われたとおりに降りる。
すると階段を降りた地下にバス会社の窓口が10ほど向かい合って並んでいた。間のスペースは喫茶スペースになっていて、同じく並んでいるサンドイッチ屋などで買ったパンを食べている人たちがいた。
そこでやっとサーミエントが会社の名前だということがわかり、それらしき文字を掲げている窓口に行く。窓口には"Alta Garcia 4.75"という張り紙があった。
窓口の女性にチケットを一枚と頼み、100ペソ札を出す。チケットは日本で言うレシートのようなやつで、2枚組。1枚が乗るときに回収するチケットで一枚は控えのようだった。ちなみに釣りとしてもらったお札、特に2ペソ札はボロボロ。紙自体が古くなっており、あちこちが少しずつ破れている。
そのチケットを持ってさっきの乗り場に行く。チケットを買っている間にバスが増えていて、それらの中にSermientoのアルタガルシア行きのバスがあった。
ドアは閉まっていたが、中に人が乗っていたので自分でドアを開けて乗り込む。正面に向かって通路の右側が一人用の座席で左側が2人がけの座席。列は5列ほど。
乗り込んで5分ほどすると、ぞくぞくと人が乗ってくる。見ると入り口に運転手がいて、そこでチケットを回収していた。ぼくはてっきり車内で回収するもんだと思っていたのだが、違った。乗る手順が違ったようだが、チケットは持っているのでそのまま何もせずに乗ったままでいる。
バスは10時15分頃発車。乗り場自体が市街地からややはずれていたので、すぐに郊外に出る。人通りは少ない。また、食堂の類がないか見ていたのだが、2~3軒見ただけだった。
10分も走ると道の両側は広大な草原になる。農地なのか、放牧地なのか、それともただの空き地なのかはよくわからない。というのも、それらの土地には農産物らしきものは何も植わっていないから。一部、小麦か何かを刈った跡はあったが、他は何に使われているかわからなかった。
眺めていると、日があたってポカポカ気持ちよくなったので寝てしまう。
気づくと客のほとんどが降りていて、住宅街らしきところをバスは走っていた。男二人連れが、街角で降りたら残ったのはぼく一人。
運転席の後ろに席を移り、運転手にここがアルタガルシアかと聞く。”Si”と言うので、博物館に行きたいんだけどと言うと、"Museo de Che Guevara?"と聞いてくる。今度はぼくが”Si"と答える。その後で、運転手はぼくに国はどこかと聞いてくる。
ちょうど通り沿いに"Museo del Che"と書いた青色の標識が見え、ここから近いことはそれでわかった。運転手は、この先2区画向こうがそうだからと、近くで降ろしてくれる。
降ろされた通りは住宅街のまっただ中。しかも建っている家はどれも豪勢そうな家ばかり。こんなところにあるとは・・・と思いながら、運転手が教えて方向に歩く。
そろそろあるはずだがと注意して見ていたら、看板を発見。外見は他の家と似たようなものだったから正面に行くまでよくわからなかったが、入り口にそれだと示す看板があった。
小さな子どもを連れた夫婦連れが、車を前に止め、入り口で記念撮影をしている。
入り口のドアが閉まっていたので、一瞬、閉館しているのではと思ったが、入り口入ってすぐの前庭に開館時間が書かれてあり、それを見て開いていることを確認する。えらいことに日曜も開館しているよう。
木製のドアを入ると初老の女性が受け付けにいた。入館料3ペソ(約110円)は安い。女性はスペイン語がわかるかどうか聞いてくる。あまりわからないというと、プラスチックのファイルを取り出し、これに英語で解説が書かれてあるからとぼくに渡す。
先客は20代くらいの若い男3人組のみ。
ゲバラが少年時代を過ごした家が博物館になっており、その頃ゲバラが使っていた机や椅子、読んでいた本などが展示されている。また、3度の大きな旅(自転車でのアルゼンチン旅行、モーターサイクルダイアリーズの旅行、そして結果的にカストロ等と会うことになる最後のアメリカ大陸の縦断旅行)の行程や、その時に使った自転車(小型モーターを積んでいた)、旅先で取材を受けたときの新聞記事などが展示されていた。
最後の旅行の後については、現物の展示はほとんどなく、写真ばかり。もっともそれ以後についてはキューバのサンタクララの霊廟に併設されている博物館の方が詳しい。だから、両者はちょうど補完関係になる。
2006年にはフィデル・カストロやチャベスが一緒にここを訪れており、そのときの写真なども展示されている。また、小さい頃の遊び仲間だった人たちへのインタビューをまとめたビデオも見ることができた。
そのビデオによれば、ゲバラの家は比較的裕福で、父親はアリストクラート層(貴族?)の人間とばかり会っているような人だったらしい。だが、ゲバラは社会階層・階級(social classとあった)にこだわることなく、誰とでも遊んでいたらしい。
ゲバラの家族がアルタガルシアに移ってきた理由は、ゲバラの持病である喘息を治すことにあったらしい。医者からは激しいスポーツなどは止められていたものの、サッカーなどはみんなと混ざってやっていたらしい。また、母親に止められていた水泳も親にだまってシエラホテルでやっていたらしい。
本好きで学校に入る頃には文字をすでに読めるようになっており、中学の頃くらいにはアナトールフランスが出している本なども読んでいたと言う。
とにかく小さい頃はよく本を読み、また外で遊んでいたのだということが印象的で、キューバの子どもたちが同じように遊んでいたことが思い起こされる。
ぼくが入館してから続々と来館者が増える。一度にどかっと増えたので、おかしいなと思ったらコルドバからのツアー客だった。もちろんアルゼンチンの人も多い。
売店ではゲバラに関する本やグッズを売っており、ぼくもいくつかを購入。142ペソ(約4000円)。面白いのが、キューバで売られていたポストカードがここでも売られていたことと、ゲバラの肖像が入っているキューバの3ペソのコインがペンダントに加工されて売られていたこと。本物の硬貨かどうかは確かめなかったが。
2時間ほどでそこを出る。
あたりは豪邸ばかりで、人通りもほとんどない。店も少ないし、あっても開いていない。
次に行ったのは、ゲバラがそのプールで遊んでいたというシエラホテル。宮殿のようなホテルで新装されていて一段と近づきにくくなっていた。
ぷらぷらと歩いていても、整然とした家並みしか見えないのでとりあえずバス乗り場を探す。
そこへパカパカと小気味のいい音がしてきて、音がする方を見ると10歳くらいの男の子がまたがった馬が車道を歩いていた。今でも車道を馬が歩ける、しかも子どもが乗ってまわれるところが面白い。
ふらふらしていたらちょうどバスが来たのでそれに乗り込む。バスは市内をぐるっとまわって郊外に出た。
またもや途中で寝てしまい気づいたらコルドバのバスターミナルだった。
歩いて宿に戻る。途中の開いていたレストランで昼飯を食べる。何かよくわからず頼んだらきしめんのような麺にミートソースがかかったものが出てきた。挽き肉が肉団子のように固まっていて、量も多い。重さだけなら麺と肉と同じくらいなのではと思えるくらい。
さすがに土曜ということで、歩行者天国にある店は8~9割が閉まっている。開いているのは菓子などを売っている雑貨店とアイス屋、ピザやハンバーガーを出しているファーストフード店くらい。
ただ、フリーマーケットのような露店はズラズラっと並んでいた。人通りが多いのはそこくらいで、他は閑散としている。チリもそうだが、土日はみな何しているのかと不思議に思う。
宿に荷物をおいて、またふらふらとまちを見る。夕方18時くらいになると、みな家に帰るのだろう、バス停に行列ができていた。
晩飯は開いている食堂もないので、適当にスナック類でごまかす。
部屋のメンツがかわり、2人いた男が抜け、新たに女2人組が入る。言葉からイスラエルからの旅行者らしいことがわかる。
Fin
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