2008年7月6日日曜日

アスンシオンからイグアス移住地へ

08/06/04

6時起床。7時頃にカーテンを開けると外はすでに明るかった。

一階のレストランで朝食。日本人ばかり、しかもおじさんおばんが多くなんか違和感がある。テレビNHKにあわされていて、涼宮ハルヒの声優をしているという人がゲストに呼ばれ、インタビューを受けていた。

朝食はセルフだが、内容はもろに日本食でジャポニカ米の白米に味噌汁があり、海苔や生卵があった。洋式のメニューも用意されており、おばさま二人組はそれを食べていた。

8時過ぎに宿を出る。近くの通りからバスに乗る。

8時半頃、ターミナル着。バス会社の窓口が並ぶ二階でチケットを買う。40000グアラニー。

一階の両替屋で両替。やはりレートは悪い。街中では1米ドル=4030~4050グアラニーだったが、ターミナルでは一律4000。

警備員にチケットをみせ乗り場に入る。

バスはすぐに来て、乗り込む。バスはマイクロバス程度の大きさ。乗ったらすぐに寝てしまう。

目的の41km地点(というふうに呼ばれている)には約5時間後の14時前に到着。ここにパラグアイ最大の日本人移住地がある。

幹線道路沿いにはレストランとガソリンスタンドなどいくつかの店があり、ガソリンスタンドで今晩泊まる予定をしているペンション園田の位置を聞く。

教えてもらった方向に歩いていたら日本人らしい顔立ちの年輩の男女3人が商店の前でおしゃべりしていた。目があったのでかるく会釈をすると、おじさんが日本語で声をかけてくる。そして"園田さんのところを探してるの?”と日本語で聞かれる。そうです、と答えると、あそこだと行って教えてくれる。行き過ぎていた。

宿の隣には雑貨店があり、そこも日系の人が経営しているよう。ここで念願の耳かきをゲット。1万グアラニー(約250円)。ずっと探していたのだが、日本で使われているような耳かきはこれまでまったく見つからなかった。

3人部屋に案内され、そこで荷物を下ろし、移住地を見て回る。長袖のシャツを羽織って出たが、暑いので一度宿に戻り、半袖になる。半袖は久しぶり。南米と言ってもエクアドル、ペルーやボリビアの高地では長袖をずっと着ていたし、チリとアルゼンチンはやや寒かったし。

移住地内の主要な通りはアスファルトによる舗装ではなく、石畳と似た造りの道路が敷かれている。それ以外は、未舗装。土は赤茶けた粘土質の強い土。雨が降ったあとらしく、地面が湿っており、歩いているうちに靴底に土が張り付き、だんだん底が高くなる。

イグアス移住地内には両翼90mくらいの野球場も整備されている。90年代のヤクルト黄金期に活躍した岡林はここの出身。当時、選手名鑑を見ていて岡林の出身地がパラグアイとなっていたことに、へぇ、と感心した記憶があるが、まさかその彼の出身地に来ることになるとは不思議なものだ。

1kmほどアスンシオン寄りに行くと鳥居のある広場があり、農協がある。農協の前でがっちりした30~40代くらいの男の人がおしゃべりしていたが、使っている言語は日本語だった。

農協の経営するスーパーを見てみると、日本でなじみのある商品があるわあるわ。米からレトルトものからお菓子から日本製の商品がけっこう入っている。こちらで作られている味噌も売られているし、饅頭も売られている。

あんこの味を試したくて饅頭を購入。豆の品種の違いによるものなのか、それとも造り手の腕によるものなのかはわからないが、一般的な日本の饅頭のあんこよりも甘さがやわらかい感じを受ける。

家はコンクリートづくりの家が多い。

農地に続いているらしい緩い坂道を上っていくと見えてきたのは一面の大豆畑。はぁー、と思わず声が漏れる。どこが端なのかまったく見えない。

粘土質の強い土地でここまでの農地を築くのは相当な労力を要しただろうな、と思いつつ、端の見えない農地を歩いてまわろうという気力は起きなかったので、宿に戻ることにする。

晩飯は幹線道路沿いにある日系の人がやっているレストランに行く。19時頃行き、野菜いためを注文。山盛りはすばらしいが薄味好みのぼくには塩気がきつい。15000グアラニー(約400円)。

夜、イグアス日本語学校の子たちが書いた文集『はばたき』を読む。1999年度第14号。小学生低学年の部、高学年の部、中学生の部、青年の部とあり、計30人の文章が載っていた。最後の学校の教頭が書いた文に、”1号から14号までを読み返したところ、最初の頃の作品は生活感のあふれた力強いものが目立っていたが、最近は自分への問いかけ、悩みを訴える作品が多いようだ”とあったのが印象的。

18歳の女の子が書いたものは、自分の拒食症についてであったし、17歳の男の子は高校を決めるに当たって親とぶつかったこと(本人は商業高校に行きたかったが、親は農業高校へ行けと言い、またその通りにしてしまったよう)、そして卒業した今は何に向かって生きていけばいいかわからなくなっているということなどが書かれていた。

どこでも同じような問題が起こりうるのだと、改めて思う。

日中は半袖で十分なほど暑かったが、夕方以降は涼しく、寝苦しくもなく。

Fin

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>岡林

そうだ、そうだった!
1992年の日本シリーズの彼の熱投、思い出すなあ。
岡林を記念する何かはありましたか?

ぶらぷらびと さんのコメント...

岡林関係のは特に見当たりませんでした。