2008年5月30日金曜日

コルドバ入り

どどんとウシュアイアから移動して、先程、コルドバというまちに着きました。

ここはアルゼンチンでも有数の都市で特に文化都市として知られているまちのようです。

ここから30分ほど行った街が,チェゲバラが子ども時代を過ごした街ということもあり、ゲバラ生誕80周年に関するポスターが街のあちこちに見えます。そのまちにゲバラの博物館もあるので、明日当たり行ってみる予定です。

行当りばったりでルートがごちゃごちゃですが、このあと、ここからパラグアイに行き、そこからもう一度ボリビアに行き、ボリビアからブラジルに入る予定です。ちなみにアマゾンは行かないことにしました。理由はお金と時間と関心ですね。では。

2008.5.30 12:00
Córdoba, Argentina


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2008年5月26日月曜日

海上の一日ープエルトエデンにちょっと

08/05/22(木)

・晴れ
・おっとせい?、海鳥、いるか
・プエルトエデン
・雪山、流氷

起きたのは7時過ぎ。窓から外を見てみるとまだ薄暗い。昨日の夜は、けっこう揺れていたから下手したら酔うなと思っていたのだが、今朝はすっかり落ち着いて穏やか。揺れがなくなったのは、太平洋からまた島々の間に入ったからのようで、湖のようにまったくと言っていいほど波はない。船のエンジン音などの他には何も音がしない。

3階のデッキに上がると進行方向右手にはまだ月が明々と輝いていた。左手からは太陽がやがて昇ろうとしている。

7時半に朝食。昨日と同じくパンに生野菜のサラダにスクランブルエッグとハム、チーズ。もう一人の日本人の一は、うまいうまいと言って食べる。

食事後は、一番上のデッキでひたすら外を眺める。今朝は見事に晴れてくれて、周りの景色がくっきりと見える。

空はすでに明るかったが、太陽が山に隠れていて、ご来光はまだだった。9時過ぎ、ようやくご来光。

それからちょっとして、進行方向右手に船の影が見える。漁船かなと思ってみていたが、動いている気配がない。望遠鏡で見たもう一人の日本人の人は、難破船だという。

果たして近づいてみると、確かに座礁してほったらかしにされている船だった。すっかりさびてしまっている。夏ならともかく冬場にこんなところで難破してしまったら、助かるものも助からないだろうに、この船の人たちは大丈夫だったのかとふと気になる。

左手にちらっと白波がたったと思ったら、イルカの背がちらっと見える。昨日のように飛び跳ねてくれないかとカメラを構えていたが、船が近づくとぴたりと水面には顔を出さなくなる。

船の両サイドには松や杉のような木が茂っている山ばかり。標高はせいぜい数百メートルだが、ほとんどの山の頂上は雪をかぶっている。前後左右がそうした山だけ。

10時過ぎ、English Narrowsという狭い海域(?)に入る。その旨を伝える船長のアナウンスが流れ、デッキには客が勢ぞろいする。狭いと言っても船が悠々と通れるくらいの幅はある。が、山がすぐ近く(目測で50mほど)に見えるのはなかなか見応えがある。

浅瀬になっている地帯もあって、そこには赤い目印が立っていて、それが立ち入り禁止のマークのような役目を果たしているよう。

気温は、昨日と同じ4~5度。風にあたっているとすぐに冷えてしまうが、風があたらないところにいれば、それほど寒くない。ただ、素足にスリッパでは長時間外にいるのはつらいので、さすがに今日は靴を履いた。

太陽が昇るとだんぜん暖かさが変わる。気温も10度ちょっとまで上がった。

11時過ぎ、民家が集まっている島が見える。こんなところに人が住んでいるなんてと思っていたら、そちらの方に船は進む。

やがて、船頭の方で金属同士がぶつかり合う音がし始めた。そちらの甲板をのぞいてみると、錨をおろすような作業を二人の船員がやっていた。船はスピードを落とし、完全に止まる。

島の方から漁船やボートがこちらの船に向かってやってくる。なんだなんだと思っていたら、ここがプエルトエデンというまち/むらで、ここで4人ほどの乗客を降ろし、また客や荷物をここで積むらしい。

船尾の方に漁船などが集まってきて、そこから人がどんどん乗り込んでくる。また、貝の類を詰めた袋がどんどん船に乗っているトラックの荷台に積み込まれる。

30分ほど船は停まっていて、荷物や人を運んだ舟が離れていくと、また船は航海をはじめる。

プエルトエデンで乗り込んできたお客は30人ほどで、子ども連れが多い。子どもはみな10歳以下。一気に船内がにぎやかになる。ぼくの部屋にも誰か入るのかと思っていたのだが、新たに乗ってきた人たちは20人以上が入れる細長い部屋にみな入ったようだった。

部屋のある階から食堂のある階にあがる途中で、いい匂いがする部屋があったのでのぞいてみると、そこが調理室だった。通路に面した窓は開け放たれており、そこからのぞくと中にいた立派な体格のおじさんがぼくを見て、どこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うと、日本のどこだと聞いてくる。とりあえず本とのことを言っても話が途切れるので、東京だと言うと今度は"タイヨー”という会社を知っているのかと聞いてくる。下関の会社だと言う。おじさんはそこで働いていたのか、取引があったのか、その会社と関係があったらしい。

そして、船員用の食事らしい準備していた春巻きのようなパイをくれる。チーズ入りでうまい。1本食べるともう1本くれる。なんと気前のいい人だ。

そこへ通りがかった別のおじさんが、調理室のおじさんにどこから来た人間なのかと聞く。それでハポンと言うと、自分も東京、横浜、名古屋などに行ったという。

12時半頃、昼飯。メインはどでかいハンバーグの切り身のようなもの。子どもたちがいてにぎやか。

昼飯の前にロビーの椅子に座って、昼飯が始まるのを待っていたら、隣のソファに座ったメガネをかけた男の子がノートに色鉛筆で絵を描いていた。人間の絵だが小さい子どもにありがちな顔などがあっちこっちいったりしている絵だったので、適当に思いついたままに描いているのだろうと思っていた。

が、しかし、その予想は外れていた。その絵を見たある女の子が、これは何と男の子に聞いたとき、男の子が答えて言った言葉は”Kurilin"だった。それを聞いて、ぼくはその子にドラゴンボールのクリリンかと聞く。すると、そうだとのこと。言われてみると服=胴着がオレンジだからそうなのかとも思えるが、顔はさすがに似ていない。というか、ぐちゃぐちゃ。

男の子がノートをめくるのを見ていたら、スーパーサイヤ人状態の悟空もいて、タイトルにちゃんと”GOKU"と描かれてある。顔だけならぼくの描く悟空の方が似ているなとひそかに思う。ぼくも彼と同じくらいの年頃に、悟空らの絵を描いたものだった。

昼食後もデッキに出て、外を眺める。景色はたいして変わりない。松島のようだと言えば、似ているような気もする景色。針葉樹の木々に覆われた山と、それらと見比べると盆栽のような小さな島がちょろちょろと現れる。

プエルトエデンから乗ってきた人たちは、食堂などでのんびりしているが、プエルトモンから乗ってきた客は、デッキに出たり操縦室にいたりして外をずっと眺めている。

午後になってから、雲の多い地帯に入ったため午前中のような暖かさがなくなる。雪をかぶったごつごつした岩山が多くなる。

スクワットをしたりして体を温めつつ、デッキで外を眺め続ける。

16時頃、左手奥に真っ白な山が見える。そしてそちらの海面には白い流氷も見える。どうも内陸の方がずっと寒そうだ。

17時半、右手の空が赤く染まり出す。昨日はきれいに夕日が見えたが、今日は雲と山々に阻まれて、夕日そのものはよく見えず。

19時半に食事は同じ。この日はベッドで本を読んだりしてから寝る。

Fin

海上の一日

08/05/21(水)

・くもりときどき雨、のち少し晴れ
・いるか、海鳥、
・雪をかぶった山々

まったく揺れを感じることもなく、快眠。7時頃、同室のおじさんの携帯のアラームがなる。

丸い窓から外を見るが、まだ暗い。

7時半に船内に朝食を知らせるアナウンスが流れる。スリッパを履いて食堂室へ向かう。今朝の朝食は昨晩の鮭の切り身の迫力とはうってかわって、パンにコーンフレークにヨーグルト、果物、スクランブルエッグにチーズとハム、オレンジジュースのみ。ホットミルクもあり。

食堂室の窓からは濃い緑色の山々が連なっているのが見える。山の背丈は低いが、頭に雪をかぶっている山もある。空からは雨。

雨に降られると、船の移動の楽しみが半減、いや8割減くらいになる。デッキに出ることができないし、出てもあたりが雲に覆われていてはあまり気持ちいい景色も見られない。

今日は一日食堂室かな。それでもまわりがどんなけ式だったか記録するため定期的に写真を撮る。

もう一人の日本人は、なかなか饒舌でいろいろ旅に関する話題を展開する。アフリカも1周したというので、アフリカのガイドブックを持ってきて、若干の情報収集を行う。シルクロードについても同様。シルクロードについては中国からイスタンブールを目指すのはわりかし楽だが、反対ルートはビザの取得が面倒らしい。ビザを取るのに10日待ちや2週間待ちは普通らしい。

食堂室と同じスペースにあるロビーでは映画が始まる。パイレーツオブカリビアンらしい。

11時頃、ちょっとデッキに出てみる。すると、進行方向左手にイルカの群を発見。10頭近くが海面を飛び跳ねている。が、船が近づくと隠れてしまい、見ることができたのはほんの数秒だった。

12時半、お待ちかねのお昼ご飯。

食事後、もう一人の人と一緒に操縦室を見学。レトロな作りの中に液晶のパソコンが1台あり、現在地を示している。聞くと、この船はフィンランド産で1972年に造船されたという。

飛行機と同じように操縦かんには誰も触れていない。

雨が上がったので操縦室の上のデッキにあがる。雲が深く立ちこめており、遠くを見遙かす事はできない。ただ、両脇に山が見えるだけ。

スリッパのままデッキにあがったが、それほど寒くはなかった。気温計で計っても5度くらいはある。風にあたるとさすがに寒いが、当たらなければずっと外にいてもたいして冷えない。耳や鼻が寒さで痛くなることもない。冬の我が家と同じ程度だ。

夕方前になって、わずかに太陽の光が射してきたが、16時を過ぎた頃からググッと傾き始める。17時半過ぎに日は沈み、あたりはすっかり暗くなる。

これから一時的に太平洋に出るためか、徐々に波が高くなりはじめ、船体が縦に大きく揺れているのが、見た目にもはっきりわかる。これだけ揺れるとちょっと酔ってしまいそうだなとやや不安になる。

19時半に夕食。今晩は肉だった。中南米にいる間、何かと鶏肉だの肉料理を多く食べてきた(そういうメニューが多いのも一因だが)ので、なんだかすっかり肉に飽きてきた。

船の揺れは大きいままで、このままでは酔ってしまいそうだったので、食後はさっさとベッドで寝る。

Fin

プエルトモンで半日、出航

08/05/20(火)

・また雨
・ショッピングモール
・乗船

今朝もトタン屋根をたたく雨音で目が覚める。昨日に続いて少しは晴れるかと思っていたのに、残念。

明るくなったのはやはり7時過ぎ。テレビを付け、チリのニュース番組やCNNのニュースを見る。CNNでは中国四川の大地震のニュースが今日も引き続き大きく取り上げられている。それからミャンマーの洪水被害についても。チリのニュースの方では、サンティアゴで停電があったとか、ここの近くの噴火した火山の続報などをやっていた。

8時過ぎに宿の人に声をかけ、3泊分の宿代15000ペソ(約4000円)を払う。それからチェックアウトの時間を聞く。10時半だというので、それまでに荷物を預けることに。荷物を預けるのはまったく問題ないとのこと。

荷造りをして9時過ぎに宿を出る。まずは船会社のNavimagのオフィスに、船代の残りを払いにいく。外は一昨日と同じように、雨が強くなったり弱くなったりと不安定な天気。弱まったところでバスターミナルまで急いで歩いていく。

バスターミナルの周辺にはハンバーガーなどを売るおばちゃんたちが5人ほどいて、そのうちの一人のおじさんから、今朝はねじりドーナツのようなものを買う。100ペソ。揚げてからだいぶ時間が経っているようで、噛むとモシャモシャと紙を噛んでいるようで、いまいち。ハンバーガーなどはポツポツ売れているよう。

歩いてオフィスに行く。昨日とおなじおばさんがオフィスにはいた。昨日もらった予約券と残りの90米ドルぶんのトラベラーズチェックを渡す。するとA4の紙と横長のチケットをもらう。

A4版の紙にはPASAJE/TICKETとかかれており、そこにTrip Numberやフェリーの名前、ぼくの泊まるキャビンのタイプ、ルート、乗船日、ぼくの名前やパスポート番号、誕生日、支払代金などが書かれている。

もう一方のチケットは、映画のチケットよりちょっと長いくらいのサイズで、頭にTICKET EMBARQUE/TICKET BOARDINGと書かれており、下に今日の日付とキャビンの番号、それから複数あるルートの中のPUERTO MONTT-PUERTO NATALESにチェックが入っている。

それを受け取り、懐の中にしまう。弱まっていた雨がまた強くなり出したので、帰りは適当にバスに乗って、終点まで行くことにする。

バスは弓なりの湾に沿って走る。砂浜にブランコなどの遊具あり。

20分ほどで終点につく。終点は大学のキャンパスの入り口だった。最初は庭園か何かと思ったのだが、それが大学だった。せいぜい3階立ての建物がいくつかあるだけで非常に小さい。にhんであればちょっと大きな小学校くらいの規模。学生がちほらいる。平均年齢は日本と同じくらいか。

またバスに乗って中心街に戻る。雨は一段と強くなり、湾には深く雲が立ちこめている。昨日はきれいに湾の反対側が見えたのに、今日はまったく見えない。

まちでも一番でかいショッピングモールの前で降り、ショッピングモールを見学。4階立てで端から端は100m以上ある。ファッションフロアにはダウンジャケットなどが並び、2階のスポーツ用品売場にはColumbiaのジャケットなども売っていた。電気製品コーナーには薄型のテレビがどかどかと置かれており、その横にはデスクトップとノートパソコン(hpなど)が展示されている。

客はまばらだが、高校生くらいの子たちもちらほら。学校はもう終わったのか?

見てみたところショッピングモールの半分は専門店街で、もう半分はRipley(スペル要確認)というチリではよく見る小売店が締めているよう。こっちはこっちで電化製品や洋服などを売っている。

ショッピングモールに内にあったATMで多少のお金をおろす。

それからまた歩いて中心街へ。銀行が集まっている一角があって、そこの一部の店には長い行列ができている。警官を4人ほど見かける。銀行にはたいていピストルを持った警備員がいるが、中米諸国のように散弾銃のようなでかい銃を持った人はいない。また、銀行にはいるのに身体検査もない。

雨は相変わらず、強い。朝から曇っていて明らかに雨が降りそうだったのにもかかわらず、こちらの人はほとんど傘を持ち歩いていない。風が強くてさす意味がないというよほど、風もないし。だから、みな上着がびしょびしょ。だから、バスの座席もたまにびしょびしょに濡れていたりする。

まだ通っていなかった一帯を歩いてみる。すると、ドイツの地名を冠したカフェが3つほどあった。やはりこれもドイツ系移民が多いということの名残なのか。ちなみ、まちを歩いている人は、あまりゲルマン系という感じはしない。金髪で青眼という人はほとんど見ない。ただ、言葉が同じスペイン語でも北と比べるとカクカクしているような印象を受ける。

それから、またバスに乗り、アンヘルモの市場に昼飯を食いに行く。今回も結局Sopa de mariscos(シーフードスープ)を頼む。どうもそういう時期なのか、なんか壁に書かれているメニューの半分くらいはないよう。魚は基本的にフライ料理になるからあまり食べる気がしない。

ここのスープもひたすら貝。アサリっぽいもの、蛤サイズのもの、牡蠣っぽいもの、それから赤い丸っぽい貝(?)。この赤いもの、どこかで食べた味なんだがなぁと思っていて思い出せなかったが、やっと思い出した。これはホヤの味そのものだ。そう思うと貝には見えないのだが、ただ、格好がホヤとはちょっと違う。

やはり貝の粒が50粒ほど入っていて、すくってもすくっても貝がスプーンにのっかってくる。当然、スープは濃厚。パンが2つ付いていたのだが、パンもすぐになくなる。3000ペソ。

同じ店に入ってきた夫婦はクラントを注文していた。ここのクラントもなかなか量がすごい。

ウニを食べようかと他の食堂を物色するが、3000ペソ(約700円)もするので、結局食べずじまい。ガイドブックによれば出てくる量はすごいらしいが、ウニだけをひたすら食ってもなんだし、店先に並んでいるウニもいまいちうまそうでない。

日本の場合、店頭に並んでいるウニは水を切ったものがふつうだが、ここは海水なのかなんのか、水の中に漬けた状態になっている。だから、ウニの見た目がふやけていて、いまいち新鮮そうでない。もちろん、店の中には目の前でウニをあのトゲトゲの中から取り出しているところもあるのだが。

ある店では量も半分、値段も半分で食べられないか聞いたが、言葉がうまく伝わらなかったのか、それともそれ自体許容できないのか、ダメとのことだった。

それでウニはあきらめたのだが、最後にクラントをもう一度という思いが湧いてきて、もう一軒はしごする。だが、腹がだいぶ膨れているときにクラントを食べるのは、無謀というか、味がしつこい感じがしていまいち最初に食べたときのような感動がなかった。

それからネット屋に行って、これから行く先の宿について調べる。その後、宿に戻り、荷物をピックアップして船乗り場へ。

14時半から搭乗開始とのことだったが、すでに3時をすぎていた。雨は上がっていたもののキトで買ったポンチョスタイルの合羽は、さっき端を踏んづけたときに裂けてしまい使いものにならなくなっているし、突然、また強い雨が降り出すともわからない。ぼくの荷物は雨に濡れると致命的なので、安全をみてバスに乗る。幸い、ここのバスはそう混んでいない。

300ペソ(約90円)払い、バスに乗り、朝も行ったオフィスがある港に行く。海辺からは少し離れている待合室らしいところに行ったのだが、ここがもぬけの殻。誰もいない。勝手に港に入っていいものか逡巡していたら一人のおじさんが用を足しに室内に入ってきたので、その人に聞くと入っていいというような仕草をする。

なので、船の方へ歩いていく。幸い雨は降っていない。船は岸辺に接岸しなおしているところだった。それを待ってトラックなどが乗り込むところから船に乗り込む。入り口でメガネをかけた太っちょのおじさんにチケットを見せるよう言われ、それを見せると、あそこから上に行って、そのさらに上だと仕草で教えてくれる。

急傾斜の階段を上り、教えてもらったように歩いていく。船室らしい入り口があったので、そこを入ると左手が広いロビーのようになっていた。

そこでは女性の職員が客らしき人等に、スクリーンに映したルートマップを指さしながら、スペイン語と英語で、航路を説明している。自分の部屋がどこにあるかわからないので、とりあえずここで一緒にその説明を聞くことにする。何日目にはこの辺りを通り、いつ頃、何が見えるかなどといった説明が20分ほどあり、それが終わるとこの船旅に関するパンフレットが配られた。

説明が終わる頃に、若い男性の職員が来て、部屋の番号を聞く。すると、ちょっと待っていてと言って、しばらくして鍵を持ってやってきた。A bajo(アバッホ:下に)と言って下の階に案内される。ぼくの部屋は2階下ったトラックなどと同じ階だった。細長く狭い廊下沿いにドアがあり、その中の309という番号がついた部屋がぼくの部屋だった。

入ると右手に2段ベットが2つ縦に並んでいる。どのベッドを使うかは決まっていないらしい。小さな丸い窓が進行方向右手にあって、外の景色が見える。その窓に近い下のベッドを使うことにして、リュックをおろしベッドに座る。が、頭を下げないと座れない。低い。一方、上のベッドではまっすぐに座ることができる。う~む。

16時発の船は17時になっても岸を離れず。外はだいぶ暗くなりはじめて、ぽつぽつ電灯が目立ち始める。

ロビーのところが食堂も兼ねていて、50人くらいが同時に食事ができるようになっている。

こうして1泊以上の船に乗るのは、2001年に富山の氷見からウラジオストクに行って以来だ。そのときも2泊3日だった。船のレベルでいうと断然そのときの方が上。この船のように、レストランはどっかの大学の学食のようではなかった。何より天気が良かったから一日中看板の上に出て外を眺めていられた。

が、今回はこの様子だと外に出ることはちょっと難しそう。

レストランの固定された椅子に座って出航を待っていると、メガネをかけた男の人が”日本人ですか”と話しかけていた。ぼくが持っていた文庫本を見て、日本人だと判断したという。

聞くと、その人はもう4年ほど旅をしているそうで、この4年でまわった国の数は130カ国近くらしい。まさかこの船で日本人に会うとは思っていなかった、というのは、この人も同じだった。

船は18時頃、やっと動き出す。プエルトモンのまちを背にしながら走り出すと意外に速い。雨がパラパラと降る中、しばらくプエルトモンのまちのオレンジ色の明かりが遠くなっていくのを眺める。

19時、お待ちかねの夕食。予想通り、メインは鮭だった。赤いかぶのようなやつは、カブや大根とはまた違う味で、みなこれに大量のレモン汁をかけて食べている。ぼくもまねて食べてみるが、味の方はいまいち。ただ、どこかで食べたことのあるような味。

鮭の切り身は日本では考えられないくらいでかい。たぶん鮭一本の半身のその半分。重さで言うと500gはありそう。日本のカレー屋のあの平べったい皿の半分を占めるくらい。魚は焼いて蒸したような感じ。塩気は薄く、油がのっている。

アンヘルモの市場にも大量の鮭が並んでいて、今日の昼には鮭を食べてみるかとも思ったのだが、これを予想してやめといた。結果的にそれは正解だった。

もう一人の日本人の人とおしゃべりしながら飯を食う。観光目的の乗客は他にベルギー人と英語を話す人等が8人ほど。それに加えてトラックの運転手らが6人ほど。

同じ階の人たちが飯を食っている間にと、ぼくはシャワーを浴びに行く。シャワールームはトイレと独立してあり、シャワーが5つほど並んでいる。期待していなかったのだが、予想に反し温かいお湯がたっぷりと出る。

せっかくなので洗濯もして、あとは部屋で過ごす。ベッドに横になってみると、エンジンの振動と波をかき分ける揺れをもろに感じる。

廊下に出ると牛舎のにおいがする。実際、トラックは牛かなにかの家畜を運んだ後らしく、藁のような草を積んでいる。

いつの間にか寝ていた。夜中、目が覚めトイレに行くと、誰かが吐いた跡がグチャッと残っていた。ゲぇッと思いながら用をすます。二人ほどが酔って吐いたようで、小便器の1つと洗面所1つが壊滅状態。やれやれ、なんで大便器で吐かないかなぁと顔をしかめつつ部屋に戻る。

夜中、船はやや強く揺れる。が、寝るのに支障はなかった。

Fin

船のチケット、アンクーをぶらり

08/05/19(月)

・少し晴れ
・ハンバーガー
・チケットの手配
・チロエ島のアンクー

7時頃、目が覚める。部屋の天窓(プラスチックのトタンだけど)からはわずかに光が射している。雨音はしない。

着替えて外に出る。バスターミナル前の通りを挟んで向かい側で揚げ物をしているおじさんがいたので、そこで朝飯代わりに揚げ物を買う。揚げていたのはEmpanadaというもので、チリの国民食とも言うべきパンの一種。パイ生地の中に挽き肉などを炒めたものや海鮮を炒めたものが入っている。ぼくはマリスコスの方を買う。

それからターミナル周辺でサンドイッチを売っていたおばさんからサンドイッチを買う。具が違うサンドイッチが数種類あり、適当に頼むと出てきたのは豚の川とバラ肉(かな)のサンドだった。日本のような形はしておらず、ハンバーガーと同じスタイル。固めのパサパサしたパンに肉と少量のトマトなどが挟まれている。一つで600ペソ(約200円)だからそれほど安くはない。

おばさんはコーヒーも売っており、買う人はだいたいコーヒーとのセットで買うよう。コーヒーはもちろんインスタントコーヒー。発泡スチロール製のコップにコーヒーの粉を入れ、持参しているポットのお湯を入れて完成というわけだ。

ハンバーガーを食べながら船会社のNavimag社のオフィスに向かう。昨日も歩いた湾岸沿いの歩道からは、昨日は雲に隠れて見えなかった山々や対岸の景色がよく見える。

10分ほどでNavimag社に到着。9時前だったため、まだオフィスは開いていなかった。しばらく外で待つ。昨日はそれほど寒いとは感じなかったが、今日は天気がいいこともあってか、風が冷たい。手を外に出しているとアッという間にかじかんでくる。

9時をちょっと過ぎた頃、車に乗ってオフィスの女性が到着。外套を来たまま窓口に座り、仕事を始める。ぼくより先に一人おじさんが来ていたので、ぼくはさらにしばらく待つ。

おじさんの用件が終わってから、こちらの順番になり、トラベラーズチェックが使えるか確認してから、プエルトナタレス行きの船のチケットをお願いする。

ドルのトラベラーズチェックが使えるとのことだったのだが、ドルで釣りも出せないし、両替もできないというので、今日は300米ドルぶんだけ払って残りは明日ということになった。

予約確認書のようなものを受け取り、それと残りの90米ドルを持って明日9時から12時の間に来るよういわれる。これで火曜日以降のルートが決まった。

またバスターミナルに戻る。途中、えらく繁盛しているワゴン車型のサンドイッチ屋さんがあったので、そこでチーズサンドを買う。600ペソ(約160円)。チーズの他には何も挟まれていない非常にシンプルなもの。はっきり言って高い。それに取り立ててうまいということもない。

バスターミナルに行き、チロエ島に行くバスを調べる。ここのターミナルには小さな電光掲示板があり、そこに出発する順にバスの発車時刻とバス会社が載ってるから、調べるのはらく。値段まで書いてくれるともっと楽なのだが。

あいにく往復のバス代を払うだけのペソがなかったので、両替をしなければならなかった。ターミナル内にも両替所はあったが、10時半にならないと開かないという。ATMもあったのだが、なぜかカネを引き落とせない(後に操作ミスだったらしいことがわかる)。

しょうがないので、まちの中心部まで両替所を探しに行く。銀行はいくらでもあるが、銀行で両替をしているところはほとんどないから使えない。ふとFarmasia(薬局)にATMがあることを思いだし、そこを使ってみる。ターミナルのATMはスペイン語オンリーだったので、操作手順がよくわからなかったのだが、こちらは英語だったのでスムーズにおろせる。

さすがに月曜ということで、中心街には人が多い。店もちょうどこれから開けようという店が多かった。

ターミナルに戻り、電光掲示板でバスを確認する。ちょうどこれから出るというバスがあったので、乗り込む。

走り出してから添乗員が、チケットの確認に回ってきたので、そのときに運賃を払う。チロエ島のAncud(アンクー)までは3000ペソ(約800円)。チロエ島独特の家屋が見られるというカストロというところに行きたかったのだが、そこまでは片道5時間以上かかるようだったので諦め、もっと近いアンクーに行くことにした。

バスは大型の40人ほどが乗れるバスで、乗り心地は申し分ない。バスに乗れたことに安心したのか、すぐに寝てしまう。

なんだかバスが横に揺れているような感じがあって、目が覚める。ぼくが座った右側の列の窓のすぐ外にはトレーラーの車体が見える。えらく近いなと思っていたら、何人かがバスを降りていった。バスの正面にもでかいトラックが止まっている。バスは動いていないのに、空は動いているからどういうことになっているのだろう、と改めて背を起こし、辺りを見回す。すると左側の窓の向こうに海が見えた。

どうも海を渡っているらしいことがわかり、ぼくはさっそくバスを降りる。バスは船に載って小さな海峡を渡っているところだった。船の脇のデッキに上り、あたりを見渡す。対岸はよく見えないくらいに遠い。風は冷たいが耐えられないほどではない。

船はそれから30分ほどで、対岸に到着。

道路脇には牧場が広がり、民家もちょこちょこ見える。

プエルトモンのバスターミナルを出てから約2時間後の12時半頃にアンクーのバスターミナルに到着。ターミナルの周りには一軒家の家々と重機の店があるだけで、他には何もない。中心街からは離れているらしい。

ターミナルにインフォメーションがあったので、そこで地図をもらう。

その地図を頼りに中心街に向けて歩く。車道の脇に一段高い歩道があるので、そこを歩く。道は少し起伏のある道で、車は頻繁に通るが歩いている人はいない。

10分ほど歩くと、正面奥の建物の間に海が見える。左手にはスーパーが見え、それをちょっと過ぎたところには木造2階建ての体育館くらいの大きさの建物が現れた。これが市場らしい。建物の感じが、市場というよりも、日本でいうと大きめの道の駅のような感じだ。

なかに入ると、1階部分に野菜や果物、プエルトモンにもあった貝の干し物、魚を売っている店が立ち並び、2階にはセーターや手袋などの毛織物製品や民芸品、喫茶店、食堂があった。木造の建物ということもあり、非常に気持ちのいい建物なのだが、観光シーズンからはずれているからかお客はほとんどいない。

貝の干し物は干し柿を吊すときのように、藁のようなひもに20~30ほどがくくりつけられている。味を見るために貝の干し物を買おうと思ったが、ちょっとだけほしいと言ってるつもりのにわかスペイン語がうまく通じず、結局、すぐに食べられると勧められた湯がいた貝の詰め合わせを買う。1000ペソ(約250円)。

閑散としたその市場を抜けて、まちに出る。ここらから海までが中心市街のようで、八百屋やパン屋、小さなゲームセンター、本屋・文具屋などが立ち並んでいた。

坂を少し上ったところにある広場には下校中らしい高校生くらいの子のたまり場になっていて、広場のあちこちでおしゃべりをしている。

昼飯時だったので、ターミナルのインフォメーションのおじさんが教えてくれた食堂が集まっているところに行く。どの店も小さなところで、看板があまり出ていないし、店内が暗いから、どこの店が食堂で、しかもやっているのかやっていないのかもわかりにくい。

海産物が食べられそうな店に入る。客は4人だけ。大型のテレビは音楽チャンネルになっていて、ずっと英語の歌が流れていた。

メニューを見せられ、いくつかの料理を勧められる。食べようかと思っていたSopa de Mariscosは、ここも貝だらけのようだったのでやめる。クラントがあるというので、プエルトモンで食べてはいたが、ここのクラントがどんなものか興味がわいたので、それを頼む。3000ペソ(約800円)。

20分ほど待ってようやく出てくる。これがまた驚くような盛りつけだった。正確には、盛りつけさえされていないと言ってもいい状態で、日本ではカレーライスに使うような楕円形の平皿に、あのオレンジ色のみかん網に殻付きの牡蠣や蛤のような貝、それから鶏のもも肉にソーセージ、ハムの分厚い切り身、じゃがいもなどがたっぷり入れられた状態で出てきた。

おそらくこのまま鍋の中に入れられていたのだろう。皿に広げようにも、量が多いために網から全部出せば皿からあふれ出ること間違いない。

しょうがないので、網の口を開け、そこにフォークを突っ込み取り出して食べる。網の真ん中あたりにあったジャガイモ(大きなジャガイモ丸ごと1個)は、冷凍されていたものらしく、まったく温かくなっていなかった。やれやれ。

そもそも1人で食べるものではないのかもしれないと思えるくらいに、とにかくすごい量。冷めないうちにと思いながら、せっせと食べる。

一応、完食し、殻の数を数える。牡蠣のような貝がぜんぶで34個、蛤のような貝が20ほどもあった。これに鶏の骨付きもも肉、おそらく200gはあるハムらしい豚肉一枚、太いソーセージ1本、あと冷たくて食べられなかったじゃがいも大1個。ちょっとやりすぎのような木がする。

それから海岸沿いに向かって歩く。ここの湾も漁港になっていて、今日の漁は終わったらしいボートくらいの大きさの漁船が何艇か岸についており、乗っている人が後片付けをしている。

それから適当にぐるっと住宅街をまわる。この辺の民家は壁がうろこのようになっている。それがただの飾りなのか、それとも構造状そういうふうになっているのかはわからないが、見た目だけで判断すると5~10cm幅の野球のホームベースのような5角形(三角形もあるし、頭が丸いものもあり、数種類ある)の木片を、魚の鱗のように張り合わせて壁を作っている。

またチリの北部では家はコンクリートづくりがほとんどだったが、ここはほとんどが木造の家。もっともこれはプエルトモンも含め、南部一般に言えることのように思う。

木造の家のその鱗のような外壁、それに各家の屋根についている煙突。そして牧場と、これで快晴だったら、なんと雰囲気のいいまちだ、と思うだろう。。ちなみに屋根はトタンが圧倒的に多い。

それから最初に言った市場に戻り、そこの2階にある喫茶店でコーヒーブレイク。アップルパイがあったので、それとコーヒーを頼む。合わせて750ペソ(約250円)。

コーヒーはインスタントの粉が入った缶とカップ、砂糖が出てくる。自分で好みの量だけ粉を入れるらしい。適当に粉をカップに入れると、そこにお湯を注いでくれる。

ケーキを頼んだときに一つの発見があった。店の人(20代くらいの女性でこの人も目元を黒く塗る化粧をしていた。ちょっとビジュアル系が入っている)は、ケーキを頼んだときに、"Kuchen(クッヒェン)?”と聞いてきたのだ。

ドイツ系の移民が多いことはガイドブックに載っていたが、ケーキのことをクッヒェンというとは書いていなかった。ドイツ語で書くと正確には"Ku"の"u"には上に点々(・・)2つのウムラウトが付き、発音もカタカナにすると”キュ”に近い音になる(日本ではバウムクーヘンというようにクーヘンと言うのが一般的になっているが)のだが、こんなところにドイツ語が使われているというのが、面白い。

帰りのバスに乗るために、バスターミナルに戻ったときそこの売店でもケーキの隣に"Kuchen"と書いた紙が立てかけられていたので、この辺りではケーキのことを一般的にこう呼んでいるようだった。

ちなみに『ラテン・アメリカを知る事典』によればチリの南部にはドイツ語が使われてる地域もあるという。

14時を過ぎて、中心部も一通り歩き回ったので、今度はバスに乗る。歩いていたらちょうど止まっているバスがあったので、それに乗る。

まちの南部に行くバスかなと期待して乗ったのだが、このバスは北部、つまりは来るときに通った道の方面に行くバスだった。

ずっと乗ったままいると、アンクーのまちに入るときに必ずわたる300mくらいある大きな橋の手前で右に曲がった。海面に近いこの地区はすぐにぬかるんでしまうのか、数10cmほどの高床式になっている家が多い。家も中心部と比べれば小さい。平屋で6畳の部屋が3つもあるかどうかというくらい。ここに来ると道もあまり舗装されていない。

バスはこの地区を一周して、また中心街に向かう。途中、来るときにも通った一本道沿いに建造中の船が見えたので、適当なところでバスを降り、それを見に行く。

一本道からさらに海沿いの道に沿って歩くと、この一帯も漁港というか、船着き場になっているようで貝をいっぱい積んだボートを見る。そのボートが接岸しているところには倉庫のような建物があり、表では貝をせっせと剥いているおじさんがいた。

また北にちょっと歩くと、貝殻が大量に積まれ小山になっているところがあった。そこは策に囲まれ、やはり倉庫のような建物が同じ敷地内にあった。どうも貝殻を加工してカルシウムの粉か何かを作っている工場のようだった。

それからもう少し行ったところが造船中の船があるところだった。長さが30mほどの木造の船で骨組みは出来上がっていた。ボルトであちこちが止められている。今は舳先の方を作っているようで、トンカチの音が一定の間隔で鳴り響いていた。

16時前になったので、またバスに乗ってターミナルに戻る。船に乗るのが夕焼けの時間になるのを狙って、17時前のバスに乗る。

狙ったよりも少し早い時間に海峡につき、バスは船に乗る。ぼくはまたバスを降り、対岸に着くまでデッキにいる。ほぼ狙い通りに、船の上で日が落ちる時間となる。

対岸に上がってしばらく走ると日は完全に落ち、あたりは真っ暗になる。

プエルトモンのターミナルに着いたのは19時頃。昼間のクラントがまだまだ腹の中に残っていたので晩飯は食わずに、宿に戻る。ただ、買ってきたゆで貝の詰め合わせがあったので、それをちびりちびり食べる。ここに来てからはとにかく貝食いばかりしている。

Fin

Osormo,Puerto Octayをまわる

08/05/18(日)

・台風のような天気
・Sopa de Mariscos
・Osormo
・Puerto Octay

昨日から降り続く雨は今朝もやんでいなかった。トタンの屋根を打つ雨音が大きくなったり、小さくなったりを繰り返す。

これだけ降っているし、日曜日だしということで、今日は一日宿にいるかとも考える。

9時前、昨日の雨で濡れてしまった靴を履き、アンヘルモの市場に朝飯を食いに行く。歩いて20分ほど。その間も雨が強く降る。傘がないから宿の人に借りようと聞いてみたのだが、傘がないと言う。

ぼくは雨宿りをしながら、小雨になったところを小走りで移動し、市場に向かう。港は引き潮の時らしく、昨日はあれほどあった水が底が見えるくらいまで減っている。なかなか干満の差が激しい。

9時前というのに、この天気のためか歩いている人はほとんどいない。市場に行くまでに見たのは3人ほどのみ。誰も傘など差していない。

市場はまだ開店準備中だった。食堂はいくつか開いていて、そのうちの1軒に行く。台所で鍋の中を見せてもらい、Sopa de Mariscosを頼む。ここは、魚のマリネなどがサービスで出てきた。あとパン2つ付き。

頼んだスープには牡蠣や赤貝らしい赤い貝、アサリのような貝が30粒ほどつまっていた。ペルーで食べた同名の料理など、スプーンで数度すくわないと具を確認できなかったが、釣りで言えば入れグイ状態。ものすごい量だ。

スープも貝の出汁が効いていてかなり濃厚。ウニを食べているような味がする。レモン汁らしきものがぐい飲みサイズのコップに入って出てきたので、それを入れたら、これが失敗。というか、あとでそれを飲んで見てわかったが、入れたのはレモン汁ではなく、ピスコ(ぶどうの蒸留酒)のレモン汁割り、つまりは食前酒だったようだ。

テーブルにはアヒ(唐辛子ソースの一般名詞)もあり、それはトマト味の利いたコチュジャンのようだった。どちらかというとタバスコに味は近い。

食事後、バスターミナルに行く。雨は上がり、上空を見上げると灰色の雲がものすごい速さで西に移動していた。もしかしたら北の方は晴れるかもしれないと思い、バスで2時間ほどで行けるOsorno(オソルノ)に行ってみることにする。

ターミナル内にある複数のバス会社がオソルノ行きのバスを出していたが、ちょうど出ようとしていたバスに乗り込む。

ほぼ満席。料金は車内で徴収された。1300ペソ(約600円)。走り出すとすぐにDVDの映画が車内のテレビに映る。ハングルの文字が見えたので何かと思ったら、戦時中日本に来て独自の鍛錬で強くなっていく韓国・朝鮮人の武闘家(と書くにはきれいすぎるが)についての映画で、日本人では平山綾が出ていた。タイトルは忘れた。韓国映画をバスで見るのは初めて。

車窓からは牧草地らしいところで草を食む牛や異常な流量の川などが見える。やはり、昨日、今日の雨はかなりの雨量のようだ。

2時間ほどでオソルノに到着。バスターミナルからまちの中心部に向かって歩く。風が強い。雨もときおり降る。きれいに舗装された石畳の歩道には家族連れなどの姿はぽつぽつ見える。が、商店街らしいこの通りで開いている店はスーパーとデパート、薬局くらい。デパートの入り口のマットでは野良犬が丸くなって寝ている。

スーパーの店内などをのぞき、唯一、人が集まっていたのは、中央広場の特設ステージのところだけ。集まっていると言ってもせいぜい20~30人。しかも、やっていたのはどうも健康のためのイベントのようで、ステージの上の人に合わせて集まった人たちも何かのエクスサイズをしていた。格好はみなジャージなどスポーツをする格好。

スポーツをする余裕がある人が多いらしいことも、チリの豊かさを表している。

ぼくは1時間ほどでこのまちを離れ、バスに乗ってプエルトオクタイに向かう。ガイドブックにドイツ人移民の博物館があり、しかも年中無休とあったので、行ってみたのだが・・・。

プエルトオクタイに向かう道は、広大な牧場に挟まれた一本道だった。もちろん舗装されているので、バスはビュンビュン走る。途中のパラパラあった集落で10人ほど乗っていた客のほとんどが降りていった。

牧場に隣接している家は、どこも木造家屋の1軒屋でなかなか立派な大きさの家が多い。牧場で飼われているのは牛がメイン。たまに馬や羊も見るが少ない。リャマやアルパカはもはやいない。

1時間ほどでプエルトオクタイに到着。峠を降りる道からは湖が見える。

プエルトオクタイも閑散としたまちだった。まちと言うよりは村と言うべきか、30分ほど歩いて回った限りでは店は10店ほどしかなく、今日、開いていたのは食料品店が4店ほどと、レストランが3軒ほどだった。

ふらふらしていたら時折強く雨が降る。ぼくのほかにふらふらしている人もいない。村人らしき人たちも20人ほどしか見なかった。

目的の博物館は中心部から5分ほど歩いた下り坂の脇にあった。建物手前100mほどのところに入り口の門があり、鎖で施錠されている。看板にはMuseo de Imigrantとある。午後は15時から開くと看板にあるのだが、15時前から開館を待つものの開く気配がまったくない。建物にも人気がない。

結局、15時まで待つが、一向に開く気配がないし、天気も良くないからあきらめターミナルに戻る。途中、まちの博物館兼図書館もあったが、今日は休みらしい。

プエルトモン行きのバスは16時発だっため、それまで手持ちぶさたにふらふらする。ここらの家はどの家にも煙突が付いていて、一部の家の煙突からは煙が出ている。駐車場に薪を備蓄している家も多く見られるから、きっとどの家も暖炉があるのだろう。

通りの名前などにドイツの名残があるかと思い、注意して見てみるが、中南米の常識に乗っ取り、国内の別のまちの名前が付いている通りやIndependensiaといった名が付いているばかり。日本のように(と言っても市町村合併で相当めちゃくちゃになってきているが)、その地域の歴史を思いはかれるような名が少ないように思う。

16時発のバスは、暖房が効いていた。しばらく寝てしまう。途中通ったPuerto Varasは、なかなか雰囲気のいいまちだった。だが、この大雨のせいで浸水している通りがちらほら。

17時半ごろ、プエルトモンに到着。ターミナル近くの交差点には、昨日見なかった串焼きの屋台があった。1本300ペソの串焼きを買う。豚肉とソーセージ、そしててっぺんにパンのかけらがつく。屋台の周りでは野良犬がうろうろ。

晩飯を食べる店を探すが、ファストフード店のような店しか開いておらず、しかもどの店も満席に近いほど人が入っている。何事かと思ったら、みなそれらの店でビール片手にサッカー観戦しているのだった。

せっかくなので、ぼくも1軒の店に入って、晩飯を食らいながらサッカー観戦。この店には薄型のテレビモニターが7台ほど設置されていて、みなそのテレビに見入っている。

そして、ゴールすると、ウォーという喜びの声とブーという嘆きの声がごちゃ混ぜになって聞こえてくる。

試合が終わるのを待つことなく、ぼくは宿に戻り、あとは部屋で過ごす。

Fin

プエルトモン到着、雨

08/05/17(土)

・遅い夜明け
・牧草地、牛
・木造家屋
・曇り、そして雨
・スーパー
・船便調べ
・市場へーアホ、薫製、ウニ、かき
・豪勢な昼飯
・雨漏り

目が覚めたのは5時頃だった。昨日、バスに乗ってからさっさと寝てしまい、途中、ケツが痛くて、また車内が暑くて目が覚めることもあったが、基本的には寝てばかりだった。

なので、5時にもなると目がパチリ。もっともほんとにパチリだったかというと怪しいのだが、右後ろに座っていたバスの添乗員のいびきがやかましくて、再び寝るのが難しかったことは背景にあったことも確か。ただ、目を開けていても車内は真っ暗だし、外も暗くてうっすらとした木の影とたまに出ている街灯の光しか見えない。

車内が暑く感じたので、温度計を取り出し、気温を計ってみると26~28℃ほどあった。エアコンがついているのかどうかはよくわからないが、そもそも厚着をしているから、これだけの温度があると暑い。ただ、他の客はみんなコートなどを着込んだまま寝込んでいる。

ペットボトルの水を飲む。窓辺がひんやりして気持ちいいので、窓側による。空には星は見えない。路面は濡れている。

そのうち、雨粒が窓ガラスを流れ始める。どうもこちらは天気が悪いよう。

6時もすぎれば明るくなるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。6時になっても、6時半になっても、間もなく7時になろうという時間になっても外は一向に明るくならない。

外が明るくなる前に、7時前、車内の電灯がつく。もう着くらしい。ぼくは一昨日、サンティアゴの市場で買い込んだ果物を朝飯代わりに食べる。小型の夏みかんみたいなものと大型のネーブルのような柑橘2種類と柿。小型の柑橘はパサパサしてジューシーさが足りない。大型ネーブルはまずまずうまい。柿はかちこちに固くて、甘みもほとんどない。まだ食べごろではないよう。

食べているとバスのスタッフが朝食のつもりの箱が配られる。アントファガスタからサンティアゴに行くバスの中でも出たやつ。中も同じで紙パックのジュースと飴玉1個、あとはクッキーのような菓子が1個。どうせならペルーのようにサンドイッチくらい出せよなと思うのだが、チリではそこまではできないようだ。

7時過ぎ、まちに入る。木造の家が目立つ。歩いている人はいない。バスターミナルに着き、客の何人かが降りる。どうも目的地のPuerto Monttではないらしい。

バスはそのターミナルに10分ほど停まってまた走り出す。ようやく外は明るくなったが、空は一面分厚い雲に覆われ、小雨も降っているから、明るさも夕暮れ程度。朝が来たぞーって感じではない。

沿道にはときおりホルスタインらしい牛が見える。牧草地らしく草地にぽつぽつ木が生えている。畑などはほとんど見られない。

8時30分、バスは料金所のようなところで一時停車。料金所らしきところにはPuerto Monttという文字が見える。

空は相変わらず曇り空だが、海に近いから若干青みを帯びているように見える。坂を上り、下りにはいると目の前に小さな湾が見える。9時にはバスターミナルに到着。幸い雨は上がっていた。

ターミナルは人でいっぱい。荷物を背負って、バスターミナルを出る。ここではタクシーの客引きも宿の客引きもいない。噴火の件で、みんなばたばたしていないかと思っていたが、雰囲気は落ち着いている。

近くに宿がないかふらふら探すが見あたらない。しょうがないので、ガイドブックを開き、安いらしい宿に行く。1軒目は空いていないと言われ、もう1軒のResidencialと看板が出ていたところは大丈夫だった。宿代5000ペソ(約1200円)は、予定よりも高いけど、どうもこれ以上安いのはなさそうだから、それでお願いする。部屋はプレハブの6畳部屋。テレビ付き、コンセント付きは素晴らしい。トイレとシャワーは共同。最近、増設したばかりなのかとてもきれい。

荷物を置くと、船の下調べとまちをふらふら。

商店街らしき通りをまず行くが、ようやく店が開き始めたというところのよう。時間は10時頃。ネット屋があったので、そこでしばらくネット。1時間400ペソ(約90円)。

それからPlaza Italiaという店で、チリの国民食らしいComplatoというのを買って食べてみる。名前は違うが、要はホットドッグで、細長いコッペパンを軽く焼いて半分に切れ目を入れ、そこにソーセージとトマトのみじん切りが入り、その上からこれでもかというくらいマヨネーズやケチャップが塗られる。ぼくの前にも5人ほど並んでいた。

代金は700ペソ(約200円)だから安くはない。もちろんもっと安い店もあるが。食べてみるとマヨネーズとケチャップだけを食っているような感じ。ソーセージはあの工場で作られたらしい歯ごたえもない人工的な味のやつでうまくもない。こんなものを好んで食べているのかと思いつつ、食べる。しっかりとしたソーセージを作っているんだからそれを使えばいいのにと思うのだが、やはりこの方が安いのだろう。口ひげにケチャップやマヨネーズがくっつく。またちょっと刈り込まなければいけない。

船の会社が今日(土曜日)は13時までとあったので、バスに乗って船会社があるところまで行く。バス代は300ペソ均一(約70円)。小型のバスで、けっこう車体は年季が入っている。

意外と近く10分ほどで着いた。雨が降っていなければ十分歩ける距離。Navimagという会社のオフィスには女性が一人いただけ。彼女にプエルトナタレス行きの船について聞く。次は火曜日の午後4時発らしい。値段は390米ドル。ガイドブックでは300ドルとあったのに値上がりしたのか、米ドルが落ちたからそうなったのか。ハイシーズンは外れたと思ったいたのだが、まだハイシーズンなのか。とにかく予定外に高いので、どうするか考えものだ。

そこのオフィスから西へ行く通りには土産物屋らしい店が並んでいる。セーターや手袋など毛織物品を売っている店もあれば、牡蠣など貝類の乾物を売っている店もある。

アンヘルモという名のこの一帯はちょうど小さな漁港になっていて、海側には小さなボートがいくつも浮いている。さらに歩いていくと道の駅のような施設があった。そこの駐車場ではイチゴやインゲンや肉、キノコ、貝類を売っている人たちがいて、周りの店舗ではチーズや毛織物などを売っている。驚いたのが、ニンニクの大きさ。一見したときはニンニクとはわからなかったほど。イチゴ並みの大きさはある。また、ニンニクをすりつぶしたようなものもパックで売られていて、それに唐辛子なども混ぜたのか、コチュジャンのようなものも売っている。

その奥に行くと、そこが市場になっていて、海産物を中心に多少の野菜なども売られていた。声をかけてきたおばさんについて、食堂に入る。食堂はこの施設の敷地内に30以上もあるよう。

食堂は2階にあって、15人も入れないようなその店に入ってから何がいいか聞かれる。何があるか聞くと、台所で鍋を見せるからというようなことを言われる。

クラントという名前の料理がうまそうだったので、それを頼む。3000ペソ(約800円)というのでかなり高い気がしたが、実際の物を見たら十分元をとれるものだった。

すぐに運ばれてきた幅広の器には、11個の大型のカラスガイ(?)に骨付きの鶏モモが1つ、でかい本格ソーセージが1本、さらに本格ハムのような肉の塊が一つ入っており、平皿にはゆがいた大きなじゃがいもが1つと、小麦を練って作っただんご状のものが1塊盛られていた。とにかく山盛り。想像以上のすごい量。味といい、量といい今回の旅の魚介料理では一番だな。まぁ、それだけの値段だけど。

その他に、このゆで汁らしいスープとパンが2個。スープもなかなか複雑な味でうまい。

後から入ってきた10代くらいの男3人組はこれを3人で2皿頼んでいたから、地元の人にとっても量が多いか、値段が高いらしい。

土曜日のお昼過ぎなのに、客は少ない。この天気が影響しているのか。

食後市場を見て回る。市場は20~30m四方と小さい。とにかく貝類が多く、牡蠣を剥いている人やウニを剥いている店の人たちがいる。魚は鮭のような赤い魚など10種類ほど。貝類のむき身やタコの切り身、カニなどがパック詰めされて2000ペソなどで売られているのだが、なにせ量が多い。一人旅の者にとってはちょっと手が出ない量。惜しい。

ぼくはチーズを100g(250ペソ)とイチゴを1かごぶん(500ペソ)買って帰る。雨が強くなりはじめたので、バスターミナルで近隣行きのバスの時刻表と値段を見て、スーパーの店内を見て回って昼過ぎに宿に戻る。

市内には歩いて20分圏内にスーパーが5軒ほどあり、喫茶店も数店、あまり冴えない洋服屋などがあった。スーパースタイルの店がすっかり定着しているようで、路上の物売りは少ない。

また、物乞いの人もいないし、子どもで働いている子もいない。人口が少ないのか、それとも曜日や天気が原因なのか、非常に閑散とした印象を受ける。晴れていたらぜんぜん印象が違うだろうなとは思うけど。

宿に戻っても雨はやむことなく、強くなったり弱くなったりを繰り返しながら降り続ける。そのうちポタポタと天井から水滴が落ちてくる。作りが簡単なプレハブのようなところだから、どこからか水が伝ってきたよう。

部屋を代えてもらい、あとは夜まで宿で過ごす。

テレビはケーブルテレビなのか40チャンネルほど見られる。うち1チャンネルは日本のアニメをずっとやっていて、ドラゴンボールやNARUTO、ワンピースなどをやっているのを見た。CNNがスペイン語版とアメリカ版の2つ。他、チリのチャンネルらしき番組が4つほどある。それからアメリカ映画のチャンネルが10ほどある。字幕がスペイン語。

チリのニュースでは噴火のニュースやコロンビアからのコカインの密輸を摘発した話、体重が200kgある女の人の話などが流れていた。

Fin