2008年5月26日月曜日

海上の一日ープエルトエデンにちょっと

08/05/22(木)

・晴れ
・おっとせい?、海鳥、いるか
・プエルトエデン
・雪山、流氷

起きたのは7時過ぎ。窓から外を見てみるとまだ薄暗い。昨日の夜は、けっこう揺れていたから下手したら酔うなと思っていたのだが、今朝はすっかり落ち着いて穏やか。揺れがなくなったのは、太平洋からまた島々の間に入ったからのようで、湖のようにまったくと言っていいほど波はない。船のエンジン音などの他には何も音がしない。

3階のデッキに上がると進行方向右手にはまだ月が明々と輝いていた。左手からは太陽がやがて昇ろうとしている。

7時半に朝食。昨日と同じくパンに生野菜のサラダにスクランブルエッグとハム、チーズ。もう一人の日本人の一は、うまいうまいと言って食べる。

食事後は、一番上のデッキでひたすら外を眺める。今朝は見事に晴れてくれて、周りの景色がくっきりと見える。

空はすでに明るかったが、太陽が山に隠れていて、ご来光はまだだった。9時過ぎ、ようやくご来光。

それからちょっとして、進行方向右手に船の影が見える。漁船かなと思ってみていたが、動いている気配がない。望遠鏡で見たもう一人の日本人の人は、難破船だという。

果たして近づいてみると、確かに座礁してほったらかしにされている船だった。すっかりさびてしまっている。夏ならともかく冬場にこんなところで難破してしまったら、助かるものも助からないだろうに、この船の人たちは大丈夫だったのかとふと気になる。

左手にちらっと白波がたったと思ったら、イルカの背がちらっと見える。昨日のように飛び跳ねてくれないかとカメラを構えていたが、船が近づくとぴたりと水面には顔を出さなくなる。

船の両サイドには松や杉のような木が茂っている山ばかり。標高はせいぜい数百メートルだが、ほとんどの山の頂上は雪をかぶっている。前後左右がそうした山だけ。

10時過ぎ、English Narrowsという狭い海域(?)に入る。その旨を伝える船長のアナウンスが流れ、デッキには客が勢ぞろいする。狭いと言っても船が悠々と通れるくらいの幅はある。が、山がすぐ近く(目測で50mほど)に見えるのはなかなか見応えがある。

浅瀬になっている地帯もあって、そこには赤い目印が立っていて、それが立ち入り禁止のマークのような役目を果たしているよう。

気温は、昨日と同じ4~5度。風にあたっているとすぐに冷えてしまうが、風があたらないところにいれば、それほど寒くない。ただ、素足にスリッパでは長時間外にいるのはつらいので、さすがに今日は靴を履いた。

太陽が昇るとだんぜん暖かさが変わる。気温も10度ちょっとまで上がった。

11時過ぎ、民家が集まっている島が見える。こんなところに人が住んでいるなんてと思っていたら、そちらの方に船は進む。

やがて、船頭の方で金属同士がぶつかり合う音がし始めた。そちらの甲板をのぞいてみると、錨をおろすような作業を二人の船員がやっていた。船はスピードを落とし、完全に止まる。

島の方から漁船やボートがこちらの船に向かってやってくる。なんだなんだと思っていたら、ここがプエルトエデンというまち/むらで、ここで4人ほどの乗客を降ろし、また客や荷物をここで積むらしい。

船尾の方に漁船などが集まってきて、そこから人がどんどん乗り込んでくる。また、貝の類を詰めた袋がどんどん船に乗っているトラックの荷台に積み込まれる。

30分ほど船は停まっていて、荷物や人を運んだ舟が離れていくと、また船は航海をはじめる。

プエルトエデンで乗り込んできたお客は30人ほどで、子ども連れが多い。子どもはみな10歳以下。一気に船内がにぎやかになる。ぼくの部屋にも誰か入るのかと思っていたのだが、新たに乗ってきた人たちは20人以上が入れる細長い部屋にみな入ったようだった。

部屋のある階から食堂のある階にあがる途中で、いい匂いがする部屋があったのでのぞいてみると、そこが調理室だった。通路に面した窓は開け放たれており、そこからのぞくと中にいた立派な体格のおじさんがぼくを見て、どこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うと、日本のどこだと聞いてくる。とりあえず本とのことを言っても話が途切れるので、東京だと言うと今度は"タイヨー”という会社を知っているのかと聞いてくる。下関の会社だと言う。おじさんはそこで働いていたのか、取引があったのか、その会社と関係があったらしい。

そして、船員用の食事らしい準備していた春巻きのようなパイをくれる。チーズ入りでうまい。1本食べるともう1本くれる。なんと気前のいい人だ。

そこへ通りがかった別のおじさんが、調理室のおじさんにどこから来た人間なのかと聞く。それでハポンと言うと、自分も東京、横浜、名古屋などに行ったという。

12時半頃、昼飯。メインはどでかいハンバーグの切り身のようなもの。子どもたちがいてにぎやか。

昼飯の前にロビーの椅子に座って、昼飯が始まるのを待っていたら、隣のソファに座ったメガネをかけた男の子がノートに色鉛筆で絵を描いていた。人間の絵だが小さい子どもにありがちな顔などがあっちこっちいったりしている絵だったので、適当に思いついたままに描いているのだろうと思っていた。

が、しかし、その予想は外れていた。その絵を見たある女の子が、これは何と男の子に聞いたとき、男の子が答えて言った言葉は”Kurilin"だった。それを聞いて、ぼくはその子にドラゴンボールのクリリンかと聞く。すると、そうだとのこと。言われてみると服=胴着がオレンジだからそうなのかとも思えるが、顔はさすがに似ていない。というか、ぐちゃぐちゃ。

男の子がノートをめくるのを見ていたら、スーパーサイヤ人状態の悟空もいて、タイトルにちゃんと”GOKU"と描かれてある。顔だけならぼくの描く悟空の方が似ているなとひそかに思う。ぼくも彼と同じくらいの年頃に、悟空らの絵を描いたものだった。

昼食後もデッキに出て、外を眺める。景色はたいして変わりない。松島のようだと言えば、似ているような気もする景色。針葉樹の木々に覆われた山と、それらと見比べると盆栽のような小さな島がちょろちょろと現れる。

プエルトエデンから乗ってきた人たちは、食堂などでのんびりしているが、プエルトモンから乗ってきた客は、デッキに出たり操縦室にいたりして外をずっと眺めている。

午後になってから、雲の多い地帯に入ったため午前中のような暖かさがなくなる。雪をかぶったごつごつした岩山が多くなる。

スクワットをしたりして体を温めつつ、デッキで外を眺め続ける。

16時頃、左手奥に真っ白な山が見える。そしてそちらの海面には白い流氷も見える。どうも内陸の方がずっと寒そうだ。

17時半、右手の空が赤く染まり出す。昨日はきれいに夕日が見えたが、今日は雲と山々に阻まれて、夕日そのものはよく見えず。

19時半に食事は同じ。この日はベッドで本を読んだりしてから寝る。

Fin

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「タイヨー」って、大洋漁業(現マルハ)のことじゃないですか?かつて横浜大洋ホエールズを保有していた会社です。元は下関の会社でした。

ぶらぷらびと さんのコメント...

kaw-kaw さま

たぶんご指摘のとおりだと思います。