2008年5月26日月曜日

Osormo,Puerto Octayをまわる

08/05/18(日)

・台風のような天気
・Sopa de Mariscos
・Osormo
・Puerto Octay

昨日から降り続く雨は今朝もやんでいなかった。トタンの屋根を打つ雨音が大きくなったり、小さくなったりを繰り返す。

これだけ降っているし、日曜日だしということで、今日は一日宿にいるかとも考える。

9時前、昨日の雨で濡れてしまった靴を履き、アンヘルモの市場に朝飯を食いに行く。歩いて20分ほど。その間も雨が強く降る。傘がないから宿の人に借りようと聞いてみたのだが、傘がないと言う。

ぼくは雨宿りをしながら、小雨になったところを小走りで移動し、市場に向かう。港は引き潮の時らしく、昨日はあれほどあった水が底が見えるくらいまで減っている。なかなか干満の差が激しい。

9時前というのに、この天気のためか歩いている人はほとんどいない。市場に行くまでに見たのは3人ほどのみ。誰も傘など差していない。

市場はまだ開店準備中だった。食堂はいくつか開いていて、そのうちの1軒に行く。台所で鍋の中を見せてもらい、Sopa de Mariscosを頼む。ここは、魚のマリネなどがサービスで出てきた。あとパン2つ付き。

頼んだスープには牡蠣や赤貝らしい赤い貝、アサリのような貝が30粒ほどつまっていた。ペルーで食べた同名の料理など、スプーンで数度すくわないと具を確認できなかったが、釣りで言えば入れグイ状態。ものすごい量だ。

スープも貝の出汁が効いていてかなり濃厚。ウニを食べているような味がする。レモン汁らしきものがぐい飲みサイズのコップに入って出てきたので、それを入れたら、これが失敗。というか、あとでそれを飲んで見てわかったが、入れたのはレモン汁ではなく、ピスコ(ぶどうの蒸留酒)のレモン汁割り、つまりは食前酒だったようだ。

テーブルにはアヒ(唐辛子ソースの一般名詞)もあり、それはトマト味の利いたコチュジャンのようだった。どちらかというとタバスコに味は近い。

食事後、バスターミナルに行く。雨は上がり、上空を見上げると灰色の雲がものすごい速さで西に移動していた。もしかしたら北の方は晴れるかもしれないと思い、バスで2時間ほどで行けるOsorno(オソルノ)に行ってみることにする。

ターミナル内にある複数のバス会社がオソルノ行きのバスを出していたが、ちょうど出ようとしていたバスに乗り込む。

ほぼ満席。料金は車内で徴収された。1300ペソ(約600円)。走り出すとすぐにDVDの映画が車内のテレビに映る。ハングルの文字が見えたので何かと思ったら、戦時中日本に来て独自の鍛錬で強くなっていく韓国・朝鮮人の武闘家(と書くにはきれいすぎるが)についての映画で、日本人では平山綾が出ていた。タイトルは忘れた。韓国映画をバスで見るのは初めて。

車窓からは牧草地らしいところで草を食む牛や異常な流量の川などが見える。やはり、昨日、今日の雨はかなりの雨量のようだ。

2時間ほどでオソルノに到着。バスターミナルからまちの中心部に向かって歩く。風が強い。雨もときおり降る。きれいに舗装された石畳の歩道には家族連れなどの姿はぽつぽつ見える。が、商店街らしいこの通りで開いている店はスーパーとデパート、薬局くらい。デパートの入り口のマットでは野良犬が丸くなって寝ている。

スーパーの店内などをのぞき、唯一、人が集まっていたのは、中央広場の特設ステージのところだけ。集まっていると言ってもせいぜい20~30人。しかも、やっていたのはどうも健康のためのイベントのようで、ステージの上の人に合わせて集まった人たちも何かのエクスサイズをしていた。格好はみなジャージなどスポーツをする格好。

スポーツをする余裕がある人が多いらしいことも、チリの豊かさを表している。

ぼくは1時間ほどでこのまちを離れ、バスに乗ってプエルトオクタイに向かう。ガイドブックにドイツ人移民の博物館があり、しかも年中無休とあったので、行ってみたのだが・・・。

プエルトオクタイに向かう道は、広大な牧場に挟まれた一本道だった。もちろん舗装されているので、バスはビュンビュン走る。途中のパラパラあった集落で10人ほど乗っていた客のほとんどが降りていった。

牧場に隣接している家は、どこも木造家屋の1軒屋でなかなか立派な大きさの家が多い。牧場で飼われているのは牛がメイン。たまに馬や羊も見るが少ない。リャマやアルパカはもはやいない。

1時間ほどでプエルトオクタイに到着。峠を降りる道からは湖が見える。

プエルトオクタイも閑散としたまちだった。まちと言うよりは村と言うべきか、30分ほど歩いて回った限りでは店は10店ほどしかなく、今日、開いていたのは食料品店が4店ほどと、レストランが3軒ほどだった。

ふらふらしていたら時折強く雨が降る。ぼくのほかにふらふらしている人もいない。村人らしき人たちも20人ほどしか見なかった。

目的の博物館は中心部から5分ほど歩いた下り坂の脇にあった。建物手前100mほどのところに入り口の門があり、鎖で施錠されている。看板にはMuseo de Imigrantとある。午後は15時から開くと看板にあるのだが、15時前から開館を待つものの開く気配がまったくない。建物にも人気がない。

結局、15時まで待つが、一向に開く気配がないし、天気も良くないからあきらめターミナルに戻る。途中、まちの博物館兼図書館もあったが、今日は休みらしい。

プエルトモン行きのバスは16時発だっため、それまで手持ちぶさたにふらふらする。ここらの家はどの家にも煙突が付いていて、一部の家の煙突からは煙が出ている。駐車場に薪を備蓄している家も多く見られるから、きっとどの家も暖炉があるのだろう。

通りの名前などにドイツの名残があるかと思い、注意して見てみるが、中南米の常識に乗っ取り、国内の別のまちの名前が付いている通りやIndependensiaといった名が付いているばかり。日本のように(と言っても市町村合併で相当めちゃくちゃになってきているが)、その地域の歴史を思いはかれるような名が少ないように思う。

16時発のバスは、暖房が効いていた。しばらく寝てしまう。途中通ったPuerto Varasは、なかなか雰囲気のいいまちだった。だが、この大雨のせいで浸水している通りがちらほら。

17時半ごろ、プエルトモンに到着。ターミナル近くの交差点には、昨日見なかった串焼きの屋台があった。1本300ペソの串焼きを買う。豚肉とソーセージ、そしててっぺんにパンのかけらがつく。屋台の周りでは野良犬がうろうろ。

晩飯を食べる店を探すが、ファストフード店のような店しか開いておらず、しかもどの店も満席に近いほど人が入っている。何事かと思ったら、みなそれらの店でビール片手にサッカー観戦しているのだった。

せっかくなので、ぼくも1軒の店に入って、晩飯を食らいながらサッカー観戦。この店には薄型のテレビモニターが7台ほど設置されていて、みなそのテレビに見入っている。

そして、ゴールすると、ウォーという喜びの声とブーという嘆きの声がごちゃ混ぜになって聞こえてくる。

試合が終わるのを待つことなく、ぼくは宿に戻り、あとは部屋で過ごす。

Fin

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