2008年5月26日月曜日

プエルトモンで半日、出航

08/05/20(火)

・また雨
・ショッピングモール
・乗船

今朝もトタン屋根をたたく雨音で目が覚める。昨日に続いて少しは晴れるかと思っていたのに、残念。

明るくなったのはやはり7時過ぎ。テレビを付け、チリのニュース番組やCNNのニュースを見る。CNNでは中国四川の大地震のニュースが今日も引き続き大きく取り上げられている。それからミャンマーの洪水被害についても。チリのニュースの方では、サンティアゴで停電があったとか、ここの近くの噴火した火山の続報などをやっていた。

8時過ぎに宿の人に声をかけ、3泊分の宿代15000ペソ(約4000円)を払う。それからチェックアウトの時間を聞く。10時半だというので、それまでに荷物を預けることに。荷物を預けるのはまったく問題ないとのこと。

荷造りをして9時過ぎに宿を出る。まずは船会社のNavimagのオフィスに、船代の残りを払いにいく。外は一昨日と同じように、雨が強くなったり弱くなったりと不安定な天気。弱まったところでバスターミナルまで急いで歩いていく。

バスターミナルの周辺にはハンバーガーなどを売るおばちゃんたちが5人ほどいて、そのうちの一人のおじさんから、今朝はねじりドーナツのようなものを買う。100ペソ。揚げてからだいぶ時間が経っているようで、噛むとモシャモシャと紙を噛んでいるようで、いまいち。ハンバーガーなどはポツポツ売れているよう。

歩いてオフィスに行く。昨日とおなじおばさんがオフィスにはいた。昨日もらった予約券と残りの90米ドルぶんのトラベラーズチェックを渡す。するとA4の紙と横長のチケットをもらう。

A4版の紙にはPASAJE/TICKETとかかれており、そこにTrip Numberやフェリーの名前、ぼくの泊まるキャビンのタイプ、ルート、乗船日、ぼくの名前やパスポート番号、誕生日、支払代金などが書かれている。

もう一方のチケットは、映画のチケットよりちょっと長いくらいのサイズで、頭にTICKET EMBARQUE/TICKET BOARDINGと書かれており、下に今日の日付とキャビンの番号、それから複数あるルートの中のPUERTO MONTT-PUERTO NATALESにチェックが入っている。

それを受け取り、懐の中にしまう。弱まっていた雨がまた強くなり出したので、帰りは適当にバスに乗って、終点まで行くことにする。

バスは弓なりの湾に沿って走る。砂浜にブランコなどの遊具あり。

20分ほどで終点につく。終点は大学のキャンパスの入り口だった。最初は庭園か何かと思ったのだが、それが大学だった。せいぜい3階立ての建物がいくつかあるだけで非常に小さい。にhんであればちょっと大きな小学校くらいの規模。学生がちほらいる。平均年齢は日本と同じくらいか。

またバスに乗って中心街に戻る。雨は一段と強くなり、湾には深く雲が立ちこめている。昨日はきれいに湾の反対側が見えたのに、今日はまったく見えない。

まちでも一番でかいショッピングモールの前で降り、ショッピングモールを見学。4階立てで端から端は100m以上ある。ファッションフロアにはダウンジャケットなどが並び、2階のスポーツ用品売場にはColumbiaのジャケットなども売っていた。電気製品コーナーには薄型のテレビがどかどかと置かれており、その横にはデスクトップとノートパソコン(hpなど)が展示されている。

客はまばらだが、高校生くらいの子たちもちらほら。学校はもう終わったのか?

見てみたところショッピングモールの半分は専門店街で、もう半分はRipley(スペル要確認)というチリではよく見る小売店が締めているよう。こっちはこっちで電化製品や洋服などを売っている。

ショッピングモールに内にあったATMで多少のお金をおろす。

それからまた歩いて中心街へ。銀行が集まっている一角があって、そこの一部の店には長い行列ができている。警官を4人ほど見かける。銀行にはたいていピストルを持った警備員がいるが、中米諸国のように散弾銃のようなでかい銃を持った人はいない。また、銀行にはいるのに身体検査もない。

雨は相変わらず、強い。朝から曇っていて明らかに雨が降りそうだったのにもかかわらず、こちらの人はほとんど傘を持ち歩いていない。風が強くてさす意味がないというよほど、風もないし。だから、みな上着がびしょびしょ。だから、バスの座席もたまにびしょびしょに濡れていたりする。

まだ通っていなかった一帯を歩いてみる。すると、ドイツの地名を冠したカフェが3つほどあった。やはりこれもドイツ系移民が多いということの名残なのか。ちなみ、まちを歩いている人は、あまりゲルマン系という感じはしない。金髪で青眼という人はほとんど見ない。ただ、言葉が同じスペイン語でも北と比べるとカクカクしているような印象を受ける。

それから、またバスに乗り、アンヘルモの市場に昼飯を食いに行く。今回も結局Sopa de mariscos(シーフードスープ)を頼む。どうもそういう時期なのか、なんか壁に書かれているメニューの半分くらいはないよう。魚は基本的にフライ料理になるからあまり食べる気がしない。

ここのスープもひたすら貝。アサリっぽいもの、蛤サイズのもの、牡蠣っぽいもの、それから赤い丸っぽい貝(?)。この赤いもの、どこかで食べた味なんだがなぁと思っていて思い出せなかったが、やっと思い出した。これはホヤの味そのものだ。そう思うと貝には見えないのだが、ただ、格好がホヤとはちょっと違う。

やはり貝の粒が50粒ほど入っていて、すくってもすくっても貝がスプーンにのっかってくる。当然、スープは濃厚。パンが2つ付いていたのだが、パンもすぐになくなる。3000ペソ。

同じ店に入ってきた夫婦はクラントを注文していた。ここのクラントもなかなか量がすごい。

ウニを食べようかと他の食堂を物色するが、3000ペソ(約700円)もするので、結局食べずじまい。ガイドブックによれば出てくる量はすごいらしいが、ウニだけをひたすら食ってもなんだし、店先に並んでいるウニもいまいちうまそうでない。

日本の場合、店頭に並んでいるウニは水を切ったものがふつうだが、ここは海水なのかなんのか、水の中に漬けた状態になっている。だから、ウニの見た目がふやけていて、いまいち新鮮そうでない。もちろん、店の中には目の前でウニをあのトゲトゲの中から取り出しているところもあるのだが。

ある店では量も半分、値段も半分で食べられないか聞いたが、言葉がうまく伝わらなかったのか、それともそれ自体許容できないのか、ダメとのことだった。

それでウニはあきらめたのだが、最後にクラントをもう一度という思いが湧いてきて、もう一軒はしごする。だが、腹がだいぶ膨れているときにクラントを食べるのは、無謀というか、味がしつこい感じがしていまいち最初に食べたときのような感動がなかった。

それからネット屋に行って、これから行く先の宿について調べる。その後、宿に戻り、荷物をピックアップして船乗り場へ。

14時半から搭乗開始とのことだったが、すでに3時をすぎていた。雨は上がっていたもののキトで買ったポンチョスタイルの合羽は、さっき端を踏んづけたときに裂けてしまい使いものにならなくなっているし、突然、また強い雨が降り出すともわからない。ぼくの荷物は雨に濡れると致命的なので、安全をみてバスに乗る。幸い、ここのバスはそう混んでいない。

300ペソ(約90円)払い、バスに乗り、朝も行ったオフィスがある港に行く。海辺からは少し離れている待合室らしいところに行ったのだが、ここがもぬけの殻。誰もいない。勝手に港に入っていいものか逡巡していたら一人のおじさんが用を足しに室内に入ってきたので、その人に聞くと入っていいというような仕草をする。

なので、船の方へ歩いていく。幸い雨は降っていない。船は岸辺に接岸しなおしているところだった。それを待ってトラックなどが乗り込むところから船に乗り込む。入り口でメガネをかけた太っちょのおじさんにチケットを見せるよう言われ、それを見せると、あそこから上に行って、そのさらに上だと仕草で教えてくれる。

急傾斜の階段を上り、教えてもらったように歩いていく。船室らしい入り口があったので、そこを入ると左手が広いロビーのようになっていた。

そこでは女性の職員が客らしき人等に、スクリーンに映したルートマップを指さしながら、スペイン語と英語で、航路を説明している。自分の部屋がどこにあるかわからないので、とりあえずここで一緒にその説明を聞くことにする。何日目にはこの辺りを通り、いつ頃、何が見えるかなどといった説明が20分ほどあり、それが終わるとこの船旅に関するパンフレットが配られた。

説明が終わる頃に、若い男性の職員が来て、部屋の番号を聞く。すると、ちょっと待っていてと言って、しばらくして鍵を持ってやってきた。A bajo(アバッホ:下に)と言って下の階に案内される。ぼくの部屋は2階下ったトラックなどと同じ階だった。細長く狭い廊下沿いにドアがあり、その中の309という番号がついた部屋がぼくの部屋だった。

入ると右手に2段ベットが2つ縦に並んでいる。どのベッドを使うかは決まっていないらしい。小さな丸い窓が進行方向右手にあって、外の景色が見える。その窓に近い下のベッドを使うことにして、リュックをおろしベッドに座る。が、頭を下げないと座れない。低い。一方、上のベッドではまっすぐに座ることができる。う~む。

16時発の船は17時になっても岸を離れず。外はだいぶ暗くなりはじめて、ぽつぽつ電灯が目立ち始める。

ロビーのところが食堂も兼ねていて、50人くらいが同時に食事ができるようになっている。

こうして1泊以上の船に乗るのは、2001年に富山の氷見からウラジオストクに行って以来だ。そのときも2泊3日だった。船のレベルでいうと断然そのときの方が上。この船のように、レストランはどっかの大学の学食のようではなかった。何より天気が良かったから一日中看板の上に出て外を眺めていられた。

が、今回はこの様子だと外に出ることはちょっと難しそう。

レストランの固定された椅子に座って出航を待っていると、メガネをかけた男の人が”日本人ですか”と話しかけていた。ぼくが持っていた文庫本を見て、日本人だと判断したという。

聞くと、その人はもう4年ほど旅をしているそうで、この4年でまわった国の数は130カ国近くらしい。まさかこの船で日本人に会うとは思っていなかった、というのは、この人も同じだった。

船は18時頃、やっと動き出す。プエルトモンのまちを背にしながら走り出すと意外に速い。雨がパラパラと降る中、しばらくプエルトモンのまちのオレンジ色の明かりが遠くなっていくのを眺める。

19時、お待ちかねの夕食。予想通り、メインは鮭だった。赤いかぶのようなやつは、カブや大根とはまた違う味で、みなこれに大量のレモン汁をかけて食べている。ぼくもまねて食べてみるが、味の方はいまいち。ただ、どこかで食べたことのあるような味。

鮭の切り身は日本では考えられないくらいでかい。たぶん鮭一本の半身のその半分。重さで言うと500gはありそう。日本のカレー屋のあの平べったい皿の半分を占めるくらい。魚は焼いて蒸したような感じ。塩気は薄く、油がのっている。

アンヘルモの市場にも大量の鮭が並んでいて、今日の昼には鮭を食べてみるかとも思ったのだが、これを予想してやめといた。結果的にそれは正解だった。

もう一人の日本人の人とおしゃべりしながら飯を食う。観光目的の乗客は他にベルギー人と英語を話す人等が8人ほど。それに加えてトラックの運転手らが6人ほど。

同じ階の人たちが飯を食っている間にと、ぼくはシャワーを浴びに行く。シャワールームはトイレと独立してあり、シャワーが5つほど並んでいる。期待していなかったのだが、予想に反し温かいお湯がたっぷりと出る。

せっかくなので洗濯もして、あとは部屋で過ごす。ベッドに横になってみると、エンジンの振動と波をかき分ける揺れをもろに感じる。

廊下に出ると牛舎のにおいがする。実際、トラックは牛かなにかの家畜を運んだ後らしく、藁のような草を積んでいる。

いつの間にか寝ていた。夜中、目が覚めトイレに行くと、誰かが吐いた跡がグチャッと残っていた。ゲぇッと思いながら用をすます。二人ほどが酔って吐いたようで、小便器の1つと洗面所1つが壊滅状態。やれやれ、なんで大便器で吐かないかなぁと顔をしかめつつ部屋に戻る。

夜中、船はやや強く揺れる。が、寝るのに支障はなかった。

Fin

0 件のコメント: