2008年8月7日木曜日

ブエノスアイレスに到着

08/06/27(金) 移動中はくもり、ブエノスは晴れ

・真夜中の国境越え
・霧
・1時間超の停車
・日本式の地下鉄
・チケット探し

気持ちよく眠っていたのに、添乗員の声で目が覚める。バスはいつの間にか停車している。みながぞくぞくと降りていくから国境に着いたよう。時計を見ると夜中の2時半。

まずはブラジル側の出国手続きをし、それからアルゼンチン側に行き、入国手続き。特に質問等もなくスムーズだったが、国境を越えるのに1時間近くかかる。

バスに乗ってまた熟睡。

そしてまたバスが停車したのを感じ、目が覚める。どうやら朝飯のよう。外は薄暗いからまだ夜明け間もないのじゃないかと思って時計を見たところ9時を過ぎていた。

バスを降りると一帯は霧に包まれており、道行く車も10mほど手前まで近づかないとわからないほど濃い。朝食もぼくはパス。

30分ほど停車した後、再発車。すっかり目がさめてしまったが、窓の外は霧で沿道に何があるのかすら見えない。

11時頃になるとだいぶ霧は薄くなり、沿道にブエノスアイレスまであと154kmという看板が見える。もう近い。

けっこう早く着くなと思っていたらバスのスピードが落ち、そのまま車道に停車。椅子から身を乗り出し、前を見ると車が連なっていて渋滞している。事故なのかストライキなのか、とにかくバスは止まったまま進まない。

30分たっても進まず。ぼくはしばらく数独をしていたが、バスの扉が開き、みな外でリフレッシュしはじめたので、ぼくもそれに習う。反対車線に出て、連なっている車の前方を見るが、ずっと車がつながっていて先頭は見えない。

同じバスに乗っていた高校生くらいのダンスグループ(ダンス教室の生徒らしかった。指導する先生2人に生徒が男女合わせて6人ほど)の子等も暇つぶしに外に出てきて、遊びでダンスをしたり、ポーズを決めて写真を撮り合ったりしている。う~ん、青春だ。

結局、バスが再度走り出したのは13時過ぎ。1時間半ほど止まっていた。ゆるゆると走り出したバスは、すぐに高速道路のジャンクションのようなところに出る。何が渋滞の原因だったのかと、窓の外をずっと見ていたが、それらしきものは発見できず。

再度走り出してからは順調で、快調にとばす。信号待ちがないからずんずん進む。

14時頃になるとビルが目立ち初め、大きな商業看板も増える。町中は通らずに走り、ブエノスのターミナルに15時頃到着。ターミナルに入る直前に通った通りのあたりは、建物もボロボロで道にはゴミが散乱し、いかにも荒廃しているという地域だった。後にこのあたりの治安が悪いとわかる。

ターミナルは横1列にバスが並ぶタイプのターミナルで、やはり首都らしくそれなりに大きい。

リュックを受け取り、ターミナル内の建物に入る。喫茶店や土産物屋、レストラン、ネットカフェなどがあるが、日本のように蛍光灯を多用していないので、全体的に暗い。

人の流れを見ながらターミナルの出口を目指す。出口までは200mほどあった。出口を出たすぐの歩道には露店が並び、靴下などと並んでパラグアイでよく食べたチーパが売られている。あの歯ごたえが気に入ったぼくは、さっそく小さい袋のものを購入。食いながら歩く。

冬ということで、ブエノスは薄暗い。寒さはたいしたことはない。15度くらいはあるだろう。

ブエノスでは日本人宿に泊まる予定が、その住所を書いた紙等をなくしたため、とりあえず歩き方に載っているユースホステルに向かうことにする。

バスターミナルから100mほど歩いたところに鉄道駅と地下鉄の駅があるのだが、その間は路上の物売りと小売店でいっぱい。ブエノスの鉄道駅は石造りの立派な建物で、前を通るときにはここからゲバラは汽車に乗ったのかと感慨にふける。

地下鉄の駅に降りて切符を買う。ここもチケットは機械化されておらず、窓口販売のため30人くらいの行列が常にできている。

歩き方で路線を確認し、チケットを改札機に通し、回転バーを押してホームに入る。ちょうどいい具合に電車が入ってくる。それに乗り込んでみると、なんとも不思議な感じを受けた。車両の作りが日本の地下鉄と同じなのである。両側の壁に沿って長いシートがあるだけ。車内を見渡すと「禁煙」という文字を発見。そういえば、ブエノスの地下鉄の一部は日本の車両を使っていると歩き方か何かに書いてあったな、と思い出す。なお、ブエノスの地下鉄のどこかの路線は東京の地下鉄銀座線だったかの模範になったものらしい。

20分ほどで宿近くの駅に到着。陸上にあがり、地図を見ながら宿を探す。宿にはすんなり到着。部屋もドミトリーが空いていた。

荷物を下ろしてネットをちょっとやる。

それからブエノスのまちを見に行く。まちはまったくヨーロッパ的で一部には古い石畳もあり。宿から歩いて15分ほどすると、メインストリートのフロリダ通りに出る。途中、インフォメーションがあったので、そこでブエノスの地図をもらい、またトラベルエージェントが集まっている場所を教えてもらう。

フロリダ通りは常時歩行者天国の通りで、通り沿いには服屋や革製品屋、電化製品屋、そして本屋が並ぶ。アルゼンチンではコルドバに行ったときにも本屋が多いのに驚いたが、ここの通りはさらに多い。きちんと数えなかったがおそらく200mほどの通り沿いに少なくとも10店舗はある。どの店もだいたいワンフロアのみだが、店構えは立派。

とりあえず飛行機のチケットのあたりを探るべく、1軒のエージェントに行ってみる。感じのいい男性が対応してくれ、マドリッドとケープタウン、あるいはヨハネスブルグ行きのチケットの値段を聞く。この中で一番安かったのが、マドリッド行きの980ドル(ドル表示だった)。前にネットで調べていたときもほとんどが1000ドル越えだったので、ここはわりと安いのを紹介してくれた。

もしかしたら他ではもっと安いのがあるかもしれないと、この日は値段だけ聞いてエージェントを後にする。

フロリダ通りに戻ってぶらぶら。キオスクにはブラジルに負けないくらいいろんな種類の雑誌がある。目に留まったのは、そのキオスクで売っている地図。アルゼンチンだけでなく、南米版と世界版とがあり、地形などを反映したイラストチックな地図が売られていて、ちょっと惹かれる。また、一部のキオスクにはキューバの3ペソクバーノ紙幣を拡大したポスターみたいなものも売っている。キューバの3ペソ札と言えば、当然柄はチェ・ゲバラ。さすがにゲバラの出身国らしく、本屋でもゲバラの本がけっこうあるし、アメリカの出版社が出した英語版の写真集などもあり。

またフロリダ通りの真ん中には中央分離帯のように地面に風呂敷を広げ物売りしている人たちがずらずらと並んでいる。売っているものは、冬らしく手袋やニット帽、靴下、マフラーなど、身に着けるものが多い。なかにはちょっとしたおもちゃや変な音がする玉などを売っている人もいる。そして、その中に5本指ソックスを発見。1色ものから女の子用らしいボーダーのものまで数種類がある。値段を聞くと1足7ペソ(約300円)ほど。ちと高いのでパス。

この通りは人通りも多い。気をつけてないと人にぶつかるくらい。嫌なのは、とにかく歩きながらたばこを吸っている人が多いこと。割合で言うと2~3割くらいが吸っているように感じる。この通りではどこを歩いていてもたばこの煙が漂ってくる。吸っているのは若い男女から中年の男女まで幅広い。

暗くなってきたので宿に戻る。途中で食事ができるところがあればときょろきょろしながら帰るが、これがなかなかない。高級そうな店はあるが、いわゆる食堂的なところがない。やっとこさ見つけた食堂的なところに入り、一番安い部類の17ペソ(約700円)の料理を頼むとピーマンの肉詰めとジャガイモのペースト、フランスパンが出てきた。なんだかパットしない料理だが、食う。

宿に戻ると日本人らしい旅行客が一人いた。20代前半くらい。ひとりで日本語でなにやらつぶやいているから声をかけると、”日本人ですか?”と聞かれる。彼はこれからここの友達と飲みに行くらしい。ここの友達はオーストラリアに留学かワーキングホリデーで行ったときに一緒だったらしい。その友達は23時頃迎えに来ると言う。

宿にはフリーのインターネットがあったので、宿に戻ってまた飛行機探し。安い会社を探す。

あとは寝る。

Fin

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