08/07/04(金)
[Buenos Aires:Argentin]
・韓国人街、ボリビア人街をぶらり
・ユバ農場に関するNHK番組を見る
夜中、咳やくしゃみで目が覚める。今日はウルグアイのコロニアデルサクラメントに行こうかと思っていたが大事をとって、また往復の船賃が惜しくなり、中止。
11時まで宿で写真のデータのアップやスペインのバスや宿、モロッコ行きの船調べ。スペインのガイドブックがないからちと困る。
11時半頃、宿を出て韓国人街を見に行くことにする。バス乗り場に向けて歩く。川が近い地域にあるビルは、その半分あたりくらいから上が昨日と同じく霧で見えなくなっている。Retiroという電車の中央駅の前から50番のバスに乗る。バス代は1ペソ(約40円)。
右へ左へとバスは中心街を曲がりくねって、30分ほどかけてようやく郊外に出る。そこからさらに30分ほどすると、通り沿いにハングルで書かれた看板がちらほらと見えてくる。
韓国人街の端まで行こうとしばらく乗り過ごし、病院の前で止まったのでそこで降りる。歩いてちと戻り、ハングルの看板が並んでいる通りに行く。情報では韓国人街には焼き肉食べ放題の店があるらしいが、それらしきものが見あたらない。昼過ぎということもあり、飯でも食っていこうかと思っていたものの、開いてるらしい食堂も入りづらい雰囲気があり、結局それは断念。
八百屋でみかんを1kgを買う。2ペソ(約60円)。
韓国人街と呼んでいる一帯には、ハングルで書かれた看板が30ほどあり、職種としては食堂や理髪店、スーパーなどいろいろ。ハングルだけで書かれている看板が多いため何をやっているのかわからない店も多い。
韓国人街の隣はボリビア人街になっており、宿での情報では危険なため行かない方がいいとなっていた。だが、せっかくなのでちらっとふらつく。一帯はコンクリートの平屋の家がずらずらと並んでいて、通りや壁が汚れていて、小便臭いところもあり、あまり良さそうなところではなかったが、それほど危険な感じはなく。と言っても人通りがほとんどないから、悪いことをやろうと企んでいる人にかかれば、辺りに助けを求めるのは難しそう。
家しかないのでさっさと幹線道路に戻り、バスを捕まえる。そして、また片道1時間かけて戻る。
バスに乗って20分もするとブエノスアイレスの商店街の端にかかる。バスからまちを眺めていると、商店が建ち並んでいる地帯の広さでいうと、ブエノスアイレスはこれまで行った中では南米一広いように思える。面積当たり(あるいは人口あたり)の本屋の数は、ここが圧倒的にナンバーワン。これは北から南までのアメリカ大陸全部の中でも一番と言えるのではないかと思う。日本でも本屋の数で言えば、ブエノスアイレスに匹敵するのは東京くらいしかないだろう。
中心部の通りで適当にバスを降りる。外を歩いていると排気ガスが臭いし、タバコの煙もひどい上、咳も出るし、乾燥しているからか鼻の奥もひりひりとするので、さっさと宿に戻る。
いったん戻って晩飯を食う場所を探してもう一度出るが、いいところが見つからず。結局、みかんを晩飯代わりとする。
夜はNHKの特別番組を見る。ブラジルのゆば農場を取り上げた番組でなかなか興味深かった。ゆば農場はブラジルに移住した日本人の数家族が農業をしながら一緒に暮らす共同体で、ユバなんとかという人(故人)が創設者らしい。
互いに助け合いながら生きるという理想はわかるものの、ブラジルにいながら”日本人として”生きることにこだわり、日系人以外との結婚を認めないという共同体(特に年輩者たち)のあり方には首をかしげてしまう。
その共同体ならでは窮屈さ、不自由さから恋人ができたことをきっかけに”やま(と呼んでいた)”を離れていく若者は後を絶たず、このままでは共同体の存続も厳しいとのことだった。
番組では農場にいる若者や農場を離れた若者、日本に出稼ぎに行った若者などにスポットをあて、共同体内の揺れを描いていた。
ゆば農場の近くには、その独裁的な運営方法を批判して袂をわかった人たちのグループである新生農場というのもあって、そこも番組は取り上げていた。
20年ほど前にゆば農場から分離して新しい共同体を作った人たちは、もっと自由な共同体を作ろうと、子どもが農業を離れ、別のことがやりたいと言えば、戻ってくることを信じ、子どもたちが出ていくことを認めたりしていたという。
しかし、出ていった子どもたちのほとんどは帰ってこず、今では70歳以上の人ばかりが暮らす共同体となってしまった。
ゆば農場に生まれた若者で、現在日本に出稼ぎに来ている若者は、ブラジルに帰るつもりはあるものの、日本での自由な生活(さまざまな物が買える自由=ブラジルよりもよい収入)が魅力的なようで、いつ帰るかはわからないと言っていた。また、別の出稼ぎに日本にいる若者(20代前半)は、帰らないと言い切っていた。
番組では、ゆば農場で若者のリーダー的な存在である男性の動向に特にスポットをあてていたのだが、彼は最終的には共同体に戻ることを約束しつつ、サンパウロに出ていく。理由はアクセサリーづくりを本格的にやりたいということらしく、その技術を持ってまた共同体に戻ってくると彼は言っていた。
彼のほかにも近々農場を出ると宣言する若者は多く、番組を見ている限りでは、これまでのようなやり方では10年のうちにほとんどの若者がいなくなるんじゃないかというような印象を受ける。
ブラジルでも一目置かれているゆば農場のバレエ団も今の人数がぎりぎりで、これ以上減るとなると公演活動を縮小
あるいは休止するしかないと言っていた。
創設者のゆば氏を知っているあるいはそれに近い世代は、当時の理想にこだわり、”ゆばさんは、ああ言っていた、こう言っていた”と若い人に諭すらしい。が、諭される若者はゆば氏を知らないし、大人の中にも実際に話したことがあるという人は少なくなっている現状では、説得力がないというようなことをリーダー的存在のある若者が言っていたのが印象的だった。
今後、ゆば農場がどう変わっていくのかが気になるところ。日系人以外の人との結婚を認め、また農場から離れて何かやりたいことがある若者については特に引き留めないという方向に転換しても、外の世界にいったん出ても戻りたくなるほどの魅力を農場が持ち得なければ、おそらくそこで生まれ育った若者を引き留めるのは無理だろう。よそ者をもっと受け入れる(今でも日本人旅行者など一時滞在者を受け入れてはいる)にしても同様の魅力がなければ難しいであろう。
日系以外のブラジル人を上手に受け入れて、日本的なきまじめさとブラジル的のんきさをうまく融合できれば、また別の展開はありえるかもしれない。この場合は、とりあえず創設者の意志や思いは歴史の中に仕舞いこんで、新たな共同体のイメージを模索する必要があるだろう。
また、農場の農産物がゆばブランドとして知られてきているということだったので、そうであれば仕事と生活が混在している現在の共同体のあり方を変え、農場を会社のようなスタイルで経営する方向に持っていくやり方ーつまり、みなが自動的あるいは事実上強制的に農作業をやる現在のスタイルではなく、希望した者だけが会社と契約して働くやり方も考えられるだろうが、そうなったときに共同体の良さが存続するかはよくわからない。
要は農場の人々が何を目指すかだろう。ゆば農場設立の理念の実現を目指すのか、若者=自分たちの子どもたちがずっと住み続けたいと思う農場=共同体をあり方を目指すのか、などなど。
とにかくいろいろ考えることの多い番組であった。数年後に続編をやってくれるとおもしろいのだけどな。
Fin
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