2008年8月25日月曜日

[Buenos Aires:Argentin]日系の子らとおでかけ

咳は徐々に快方に向かっている。よく眠れる。

出発が明日ということで、午前中は荷物の整理など。この宿に置いていくにした『ロンプラ』の南アメリカ版、『歩き方』のアルゼンチン等版など数冊を本棚に並べる。

宿のネットで写真のアップロードをする。

午後はアルゼンチン生まれの日系の子らとおでかけ。14時半頃に宿で待ち合わせする。

うちなー文化祭に行ったときに展示の説明をしてくれた子にブエノスを案内してくれないかと頼んだところオッケーが出て、今日のおでかけとなった。

メンツはアルゼンチン側が説明をしてくれた現在大学生の女性と同じく大学生の彼女の弟、それからその弟の友達(イタリア系)。日本人側はぼくのほかに同宿だった男二人。みな九州出身。

まずは宿の中を案内し、それから外に出る。ぼくは彼女らに、ここらに住む20代が週末にでかけるところに行きたい、とリクエストしたのだが、今日(日曜日)はだいたいみんな家にいるとのこと。週末は土曜の夜などはバーやディスコテカのような踊れるところに行って一晩中遊び、日曜は家でのんびりするというのが定番らしい。

弟の友達が車を持っているとのことで、まずは彼の家に行く。ぼくらから見ればヨーロッパ式の天井の高い豪壮な建物(ブエノスでは普通にある)のアパートの一室に彼はきょうだいと住んでいるらしく、車の鍵を取りに行ったついでに部屋を見せてもらう。日本式に行えば3LDKといったところだろうか。きょうだい二人それぞれの部屋と共同で使うリビングと台所などがあり、それぞれの部屋は6~9畳程度。

車はプジョーの中古らしい古い型の車。前に2人、後ろの座席に4人乗り込みいざ出発。ぼくが数日前に行ったプエルトマデーロなどブエノスの港地帯をぐるっとまわって、大学なども見て回る。大学の中も見たかったのだが、あいにく日曜は休みで入れないとのことで外観だけ。大学は街角にあり、外観もほかの建物と変わらないので、言われないとそれが大学とはわからない。

運転手の弟の友達は、ブエノスの建物・歴史が好きなようで、古そうな建物が見える度にいろいろ説明してくれる。彼は日本に数ヶ月いたことがあり、多少の日本語はできるが、建物や歴史を説明できるほどではないので、彼のスペイン語を弟くんが日本語に通訳してくれる。

ちなみに弟君は、日本に行ったときに東京から鹿児島までチャリで行ったらしい。チャリがどんなチャリかは聞きそびれる。今度は北海道から縦断(というか斜断と行った方が地形的に正しいと思うのだが)するつもりらしい。またアルゼンチンでも南の方とかにチャリで行ったことがあるという。なかなかたくましい。

大学の入学方法について聞いたところ、これがなかなか興味深かった。アルゼンチンでは国立の大学に入りたいならば、まず希望する学部の入学試験の科目となっている分野を1年間だったか数ヶ月間だったか学ばないといけないらしい。それ用の公共の教育機関で、例えばソーシャルワーカーになりたいなら、社会学や福祉学を受講し、その後に入学試験を受け、パスすればはれて大学生になれるという。特筆すべきはその予備学校とでも言うべき事前に通う講座も大学も授業料は無料だということ。

そういう仕組みであれば、たとえ入学できなくても、それなりの専門知識を持った人が社会に増えるので、なかなか良いことなのではと思うが、その辺が実際にどうなのかはわからない。

ただし、入学試験も卒業試験も難しく、卒業するのは大変らしい。

なお、私立大学はかなりカネがかかるらしい。日本円で言うと私立大学の授業料は1ヶ月に数万だとか言っていたから、日本の国公立と同じかそれよりちょっと高いくらいのよう。アルゼンチンのレストランなどの従業員の給料は10万円を越えるのは稀(まれ)らしいので、私立大学進学は多くのアルゼンチン人には無縁のものだろう。

ともあれアルゼンチンの教育制度は一度チェックしてみる価値はありそう。

空はおなじみの曇り空。今日は雨も降りそうな天気。

ぐるっと走ったところで、例の世界一綺麗な本屋に再び行く。ぼくはこの間、『らぷらた新報』で仕入れたキューバ関連本を弟君等に協力してもらい、探してみるがなかった。今日もここはお客は多い。

それからブエノスで一番古い町並みが残る地区に行く。ぼくにとっては2回目だったが、骨董屋が並ぶ通りは初めてだった。骨董屋には炭式アイロンや古い電話、タイプライター、ランプ、家具など見ていておもしろい物がいろいろある。

例ののみの市が開催される場所の近くで、今日も市が出ていたようだが、雨が降ってきたこともあり、早々に車に戻る。

それから若者が集うという数年前にオープンしたショッピングセンターに行く。あたりは車やお客で混雑していて、駐車場に入れるまでがなかなか時間がかかる。駐車場の上り坂の部分で車を止め、運転していた彼が車から降りると車がバックし始める。ブレーキをかけ忘れたらしい。ばたばたと手ブレーキ(とぼくが習った教習所のおじさんは言っていた)をひき、車を止める。幸いなことに後ろに車がいなかったから面倒なことにならずに済む。

ショッピングセンターは古い市場だかの建物を改装して造ったらしく、外装は宮殿というか神殿のような厳かで古めかしい雰囲気だが、中に入ればいずこも同じまばゆいばかりの光と物があふれる世界。ぼくでも知っているようなブランドの店もあるが、知らない店が圧倒的。人をかき分けてでないと進めないくらい、客は多い。小さな子どもから中高生くらいの子から中高年まで。年寄りはほとんど見なかったかな。

建物は3階立てで、ファストフード店が並ぶフードコートからゲームセンター、映画館などもある。

中で弟君がブエノス名物らしいチョコ菓子をごちそうしてくれる。豪華なちょこぱいっと感じのもので、なかなかうまい。

一通りショッピングセンターを眺めてまわった後、夕方も6時近くになっていたので、ティータイムにすることにする。いくつかカフェの候補をあげてくれて、その中からほとんど観光客しか行かないというアルゼンチンの有名作家などが愛用していたカフェに行く。が、やはり観光客で長蛇の列。30分から1時間待ちは必至だったので、近くにあった候補にも入っていなかった普通のカフェに行く。

それぞれ飲み物や食べ物を注文。ぼくはパフェを食う。アイスの味はまずまずだが、ジャマイカのデボンハウスには負けている。

ブエノスの若者がレストランで食事などをするときには、いくらくらいを越えると高いと感じるのかと聞くと、だいたい25ペソ(約1000円、1米ドル=3.1ペソ)以上のものは頼まないらしい。だいたい日本人バックパッカーと同じくらいの感覚かな。

アルバイトをしている学生は多く、だいたいレストランなどで働く人が多いという。レストランだと給料のほかにチップがもらえるので、そのぶん手取りがいいとか。肝心のバイト代は聞いたものの忘れる。1ヶ月1万円程度しかもらっていないのかというような印象を受けたように思うのだが、金額は怪しい。

日本人旅行者から聞いた話だが、旅行中に出会ったアルゼンチン人から給料を聞かれたとき、ちょっと少な目に10万円だか15万円だかと答えたら、かなり驚かれたという。聞いたアルゼンチン人も聞かれた日本人も仕事は、IT関係の同じような仕事だったらしいが、アルゼンチン人の反応からは給料の差は数倍ありそうだった模様。その旅行者は日本人らしく相手の給料は気が引けて聞かなかった/聞けなかったと言うから正確にはどの程度の差があるのかはわからないけども、日本料理店の人から聞いた話から想像するに、たぶん2~3倍くらいの差はあるだろう。

7時頃に宿まで送ってもらいお別れ。

あとは宿にて過ごす。

Fin

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