2008年10月20日月曜日

[diary]パスポートの受け取り延期、ウィダへおでかけ

パスポートの受け取り延期、ウィダへおでかけ

08/08/05(水) 朝は曇り、昼は晴れ
[Cotonou,Ouida:Benin]

・もらえなかったパスポート
・奴隷貿易の拠点ウィダへ

7時前に起床。しばらく日記書き。腹の調子は回復した模様。やはり食って治すというやり方の方がいいらしい。

しばらく日記書き。

10時過ぎ、イミグレへパスポートを取りに行くため、宿を出る。宿の周りの裁縫屋ではすでにミシンが動いている。

途中、屋台で朝飯兼昼飯。まわりの人が食べているものを適当に頼む。出てきたのは、黒豆のようなものと一緒に炊いたべちょべちょのご飯と少量のパスタの麺、揚げた魚の半身にカレーのような汁をかけたもの。ご飯の量はやたらと多いが、汁の量が少ない。500CFA(約120円)。

ご飯を写真に撮ると、その様子を見ていたわかいにいちゃんが、声をかけてきて一緒に写真に写ることはできないかというようなことを言う。フランス語でもないし、英語でもないから言葉はよくわからないのだが、どうも写真を撮ってもらいたい様子。リクエストに応えて、写真を撮る。というか、彼の友達がぼくのカメラを使ってぼくらを撮る。デジカメは見たことないようで、ぼくのカメラを渡すと彼はレンズがある方を自分の方に向けて構えていた。

近くの家の2歳くらいの男の子はさっきからぼくの方を見て、家の中に隠れたり、また見に来て、また隠れたりということを繰り返す。

ご飯も歯ごたえがないから噛む必要があまりなく、そのため早々に食べ終わる。

それからイミグレへ。着いたのは10時半前。一昨日、ビザの延長を申請したときには今日11時に来るように言われていたのだが、どうせアフリカのことだから多少はやく行っても大丈夫だろうと見込み、窓口に言うが、11時まで待つように言われる。

しょうがないので11時までベンチに座って待つ。ビザの申請窓口には30代後半から40代くらいの中国人男性が3人とインド系の男性が2人、ヨーロピアンが4人ほど。

11時前になって窓口に再度並ぶが、受け取りよりも申請者を先に通すため、なかなか受け取れない。列に並んで待つこと30分。そして、自分の順番になると裏から建物の中に入れと言う。だったら最初からそう言えよ、と思うのだが・・・。

建物の中に入り、さっきの窓口の人とは違う係官に申請したときにもらった紙を見せる。それを元に男の係官は、パスポートの束の中から探そうとするのだが、それぞれのパスポートの色を一見しただけで、ぼくのはないとわかる。しかし、ここにはないとフランス語でどう言うかわからなかったため、待つ。イミグレの職員のくせに英語を解さないから、面倒くさい。

係官は、他の職員とおしゃべりしながら、また途中親しい人が来ると手を止め、しばらくおしゃべりをするなど、マイペース。こんなペースで仕事ができて給料がもらえるなんて、天国だろうな、とつい思う。

結局、彼はぼくのパスポートを見つけることができず、明日また来いと言い出す。今日、取りに来いと言うから来たのにまた明日来いなんてバカじゃねぇかと思いつつも、どうせ待っていても時間の無駄だと思い、憮然としながらさっさと出る。

結局11時前に来て、12時過ぎまでかかってしまった。まったくビザは面倒だ。国境で出せばいいのに、国境ではトランジットしか出さず、みなここに来て延長手続きをするようなシステムになっているから、職員がさばけず、あるいは見落としたりしてこんなことになる。

予定では、このあとパスポートを持ってガーナ大使館に行って、ガーナのビザを申請し、明日は午前中から遠出しようと思っていたのに、それがパー。特にガーナのビザは中1日はかかるから今日申請しないと、土日が来るから受け取りが来週になってしまう。また、日程を考え直さないといけなくなり、いらいら。

イミグレの前からバイクタクシーに乗り、ウィダ行きの乗り合いタクシーが出ているところまで行く。

排気ガスで白く煙る広い通りを10分ほど走って、乗り合いタクシー乗り場に到着。ちょうど客がもう少しでいっぱいになるというタクシーがあったので運賃を聞いてから乗り込む。セネガルを出てからは大型バスで長距離は移動していたため、移動中きつい(狭い)思いをすることはあまりなかったのだが、さすがに乗り合いタクシーということで、助手席をあてがわれたものの、もう一人おじさんが乗ってくる。おじさんは、あまりこっちのことは考えずに幅を取るから、ぼくは助手席と運転席の間のわずかなスペースにまではみ出して座る。左太股のところにギアがあるので、運転手がギアを変えるときにはいちいち足をややずらさなければならない。

コトヌーを出ても、沿道には店がちょこちょこ並び、2カ所ほど大きなマーケットを見る。トウキビ畑やパパイヤがぶら下がっている木を見る。瓶にガソリンを詰めて、小売りしている人多数。

ウィダには1時間ほどで到着。運賃600CFA(約150円)を払う。

降りたところには広場があって、ポツポツと屋台や物売りの人がいた。のどが乾いたので、パイナップルを売っている若い女性からパイナップルを1玉(?)買う。ベニンでうれしいのは小型のパイナップルが50円程度で買え、しかもその場で皮を剥いてくれること。これはすばらしい商売だ。今回のお値段は175CFA(約40円)。

パイナップルを頬張りながら博物館を探して歩く。歩いているとやはりみんなの視線を感じる。小さい子どもの中には、異星人が来たかのような顔をして、親の陰に隠れながらこちらを見る子もいる。

ここはコトヌーと違ってバイクも少ないから、落ち着いていて日本で言えばさながら日曜日の雰囲気。なんだかいい。

広場から東へ200mほど歩くと、左手にわりとでかい教会が現れる。あとで聞いたところによるとベニン最初の教会らしい。その向かいにはちょっとした広場を挟んでブードゥー教の建物らしきものがある。ブードゥーでは蛇が神聖視されているらしく、その蛇を首からかけた女の人の像も建てられていた。

ロンプラの地図を見ながら、教会を右に曲がって歩くと、ブードゥーの建物の裏の広場で10歳前後の男の子たちがサッカーをしていた。だいたいみんな裸足。元気がいい。ぼくを見つけたある男の子が寄ってきて写真を撮ってというので、写真撮影。一枚撮るとすぐにサッカーに戻っていった。

その先を左に曲がってまた200mほど行った右手に目的の博物館はあった。ウィダ歴史博物館は、奴隷貿易が盛んだった時代に奴隷の収容施設のような形で使われていた建物を使っているらしい。入場料1000CFA(約200円)。

博物館の入り口の門をくぐると右手の建物に行くように言われ、階段を上って2階に行くと、なんと日本人が10にんほどいた。ツアー客のよう。ちょうどこれから解説員について展示を見て回るところだったらしく、ぼくも一緒に回ることになる。ツアーの添乗員が解説員の英語を日本語に訳してくれるのでラク。

展示されているのは、ダホメー王国最後の王の写真や対フランス戦争時の絵、奴隷貿易で稼いだヨーロッパ人の肖像画、壷のような形をしている楽器というか音を出す道具(法螺貝や鐘のような役割をしていたらしい)、アフリカで最初の貨幣(=貝殻)、ポルトガルから入ってきたパイプ、ブードゥー教に関する写真や楽器などなど。

興味深かったのが、ブードゥーがブラジルやキューバ、ハイチに根付いていて、そのハイチから持ってきたという太鼓があったこと。また奴隷貿易が廃止された後、ブラジルから帰ってきた人の料理がこちらでも一部取り入れられていることなど。

ブラジルやキューバ、ハイチで会った人の中に、もしかしたら先祖がここから連れて行かれた人たちがいたのかと思うと、なんだか不思議な感じだ。

展示品がある建物を出て、同じ敷地内の別のところに案内される。そこはスレイブパークとかなんとかと呼ばれていたところで、そこで奴隷は船に乗るまで拘束されていたらしい。そこには平屋の建物があるものの、それらは兵士用の部屋だったようで、奴隷は屋外で拘束されていた模様(はっきりとはわからない)。また、この敷地の外側には堀が掘られ、そこにクロコダイルがいたため、逃げようと思っても基本的に逃げられないような作りになっていたという。

ガイドのペースで進むので、あまりゆっくりできず、1時間ほどで出る。

日本人を案内しているこっちのエージェントのおじさんが、カーサ・ド・ブラジルという建物があるというので、そこに行ってみることにする。博物館を出ると待ってましたとばかりに一台のバイクタクシーが寄ってくる。若いあんちゃんが運転手で、カーサ・ド・ブラジルに行きたいというと、わかったようなわからないような様子だったが、とりあえず乗る。

ロンプラにはBrazilian Auberge de la Diasporaというのが載っていたので、そこだろうと思っていたのだが、バイクは途中で地図に書かれている方向とは反対に行こうとするので、運転手の背中を叩いてあっちと方向を示す。

運転手は、民族系の装飾がほどこされたバーのようなところまで行って停まり、そこの店の人に場所を聞いている。わかったようではあったが、こいつは当てにならんと確信。もしや本人はここまでのつもりで追加料金を取るつもりではないかと感じ、聞くと2000CFAがどうのという。言葉がわからないので、それが運賃なのかどうかははっきりとはわからなかったが、文脈からそうであろうと思えたので、バイクから勝手におり、ここまでの運賃500CFAを払ってバイクを追い払う。

ロンプラの地図ではまちから4kmとあったので、歩くと30分ちょいくらいかと思いながら歩き始める。道は砂浜のような砂地で、足をとられ歩きにくい。

集落と集落の間は、草ぼうぼう。15分ほど歩くと、左手に奴隷で連れて行かれた人たちを弔うための墓地のような施設があった。そこの前を通りさらに歩いていくと、前方に橋が見え、両脇には湖のような池のような、川のような水辺が広がっていた。水中にはマングローブのような木があったので汽水域(漢字が違うような・・・)になっているよう。

橋の袂から丸木舟が出ており、水上に作られているっぽい集落まで人を乗せていっている。

橋を渡って10分ほど行くと、海辺に到着。砂浜に奴隷が連れてた。

その近くには海の家のようなレストランがあり、道を挟んで向かいでは椰子の実を売っていた。のどが乾いていたため、椰子を1個注文。

180cmほどの身長の店のおにいさんは山刀(?)のようなナイフでサクサクっと飲み口を作ってくれる。一口飲んだところ、セネガルで買ったマンゴーのように、一瞬口の中がしびれるような感覚を覚える。発酵が始まっているためなのか? セボン(うまい)?とおにいさんが聞いてくるので、ダメと言いたかったが、そのフランス語がわからず、とりあえずウィと答える。まぁ、体に悪いものではないだろうとすべて飲み干す。量は400mlほどか?

飲み終わった椰子の実を渡すと、またザクザクと半分に切ってくれ、中の果肉をはぎ、食べやすいようにしてくれる。この椰子はだいぶ年をくっているのか、果肉が固い。これまで食べた物はどれもぷるぷるしていたのだが、今回のは薄く切った生の大根をかじっているような食感がする。あまりうまくない。

それでもほぼ完食して、捜し物を再開。海岸沿いを適当にふらついて歩くが、それらしきものは見つからず。その代わりでもないが、別の博物館を発見。2mほどの壁で仕切られているその博物館は、これまた不思議な作りをしていた。入り口の扉を入ると中はサッカー場ほどの広さがあって、右手すぐに人間を形どったモニュメントがあり、その後ろにはブランコや滑り台などの遊具が4点ほど。

30mほど行った左手に展示品をおさめている博物館があり、他はただの空き地というか広場というか・・・。まわりはぐるりと壁で覆われているから遊具で遊ぶ子どももいない。

係員のおばちゃんに案内されて、博物館の中に入るとまず奴隷貿易に関する展示があり、その奥には黒人解放運動の歴史に残る人々の紹介など。展示されているものは英語の本の見開き1ページだったり、ユネスコが2004年に作った奴隷貿易に関するパンフレットだったり、どれも英語のものばかり。さっき行った博物館はフランス語だけだったので、なんでここは英語なのかと不思議に思う。ちなみに係りのおばちゃんは英語がほとんどできない。

黒人解放運動で活躍したキング牧師やマーカスガーベイ、フレデリックダグラス、マルコムX、メアリー??のほか、アメリカ大リーグにおける黒人選手第1号のジャッキー・ロビンソンや、陸上100mのアメリカ代表だったジェシー・オーウェンスなども紹介されているから、もしやアメリカ人がお金を出して作った施設なのかとも思うが、言葉が通じないので聞くことができない。なお、南アフリカのマンデラ元大統領やツツ大司教の紹介もあった。

係りのおばちゃんがせかすので30分ほどでそこを出る。奴隷貿易に関する英語のパンフを1冊買う。2500CFA。

ここはそのおばちゃんが一人で管理しているので、そのおばちゃんに入場料の1000CFAとパンフ代2500CFAを払うため、5000CFA札を渡すと、釣りが1200CFAぶんしかないと言い、300CFAを私にといった仕草をする。しょうがないので300CFAはおばちゃんにプレゼントし、そこを後にする。

元来た道を戻る。途中、さっきとは違う人がやっている椰子屋で椰子の実をまた買う。ここも1玉100CFA(約25円)。さっきの椰子はかなりでかかったが、今回はちょっとこぶり。例のごとく飲み口を作ってくれる。飲んでみると今回はしびれるような感覚はなく、ぐいっと行ける。果肉もプルプルしていて良し。

例の捜し物のブラジリアンオーベルジュは結局、宿の名前だったようで、それがわかったところで海岸を後にする。帰りはラクしてバイクに乗る。500CFA。

ウィダの市場までバイクで行き、市場をぐるっと見る。野菜は小さなキャベツ、人参、ピーマンを小さくしたような唐辛子、赤とうがらし、トウモロコシ、米、レタス、つるむらさきのような葉ものなど。わりと種類は少ない。魚の薫製や小魚を揚げた物もあり。それから猿と思われる獣の頭やその他の獣の皮、角などを売っている人もいた。

その後、最初に着いた広場まで歩いていき、またパイナップルを買う。皮を剥いてもらっているときに、それらしいタクシーが通り、確認するとコトヌー行きだったので、パイナップルを受け取ってから乗り込む。

1時間ほどでコトヌーに到着。宿からだいぶ離れたところで降ろされたが、節約のためバイクは使わず歩いて帰る。歩いているとやけにビールの看板が目に付く。

宿近くまで来てキットカットのようなお菓子を売り歩いている少年から菓子を買う。ばら売りしており、1個50CFA(約10円)。この子は、5000CFA(約1200円)=100本ぶんのお菓子を売るのにどれだけ歩くのだろうかとふと思う。

宿近くの屋台で夕食。今回はこれもベニンの名物らしいウォという食べ物がお目当て。店のおばさんにウォ、ウォと5回ほど言ってやっと通じる。アクセントか発音が違ったよう。

ウォはタピオカ(キャッサバ)のでんぷんか何かを使って作った練り物状の主食で、見た目は湯がいたサツマイモをつぶしたような感じ。色は白っぽい。これに揚げた魚の半身がつき、カレーのような汁がかかる。あとオクラのソース(というか、オクラだけでかき混ぜてネバネバさせたようなもの)もついた。

カレー汁の味はなかなかいいのだが、予想外だったのが、目当てのウォの味。一口食べて”えっ?”と思う。なんと酸っぱいのだ。これは腐る過程で発生する酸味なのか、そもそも酸っぱいのかと考えるが、マリで会った旅行者がたしかこっちの方で酸っぱい食べ物があると言っていたから、このことかもしれないと思い、そのまま食べ続ける。やはり酸っぱさの原因がわからないとなんだか不安だし、実際にはあまりおいしいと思えない。酸っぱい物は主食ではなく、付け足しくらいがちょうどいいのかも。

腹が膨れたところで宿に帰る。宿の周りの裁縫屋さんは暗くなっても電気をつけて縫い物を続けている。なかなかよく働く。

Fin

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