2008年10月20日月曜日

[diary]アボメーへおでかけ

アボメーへおでかけ

08/08/08(金) 曇り、アボメーは雨
[Cotonou,Abomey:Benin]

夜明けよりやや早く起床。6時半過ぎに夜が明ける。

8時過ぎに宿を出て、アボメーに向かう。まずは宿の近くからバイクタクシーに乗り(300CFA:約75円)、ちょっと離れた乗り合いタクシーの乗り場まで行く。

タクシーはあったものの乗客が1人もいないため、しばらく発車しそうにない。なので、すぐ近くにあった屋台で朝食。ごま豆腐のようなフーフー2個と揚げ魚の半身にツルムラサキのような葉を炒めたカレー汁をかけたもの。これも300CFA(約75円)。量が少なかったので、目の前を通りがかったパン売りの少女からクロワッサンを買う。意外に高く200CFA。丁寧にビニール袋に入れてくれようとするが、断り勝手によさそうなやつを手でつかみ、むしゃむしゃ食う。見た目はクロワッサンだが、サクサクとした歯ごたえではなく、しなっとしている。

クロワッサンを食べているとタクシーの運転手が呼びに来た。予想よりも早い。1時間は待つかもしれないと思っていたのだが、もう客が集まったらしい。

例のごとく乗り合いタクシーの中はすし詰め状態。助手席に男2人座り、後部には成人男性2人に、おばちゃん2人。ぼくは後部座席だったのだが、おばちゃん二人で座席の約6割の幅を占めているから窮屈でかなわない。すぐに圧迫されている左の脚の方がしびれてくる。バスの方が良かったなと後悔。

昨日も通った道をタクシーは走る。ガンビエの入り口の通りを抜けると、舗装されてはいるものの穴がボコボコ空いた道に出る。穴を避けながらタクシーは走るのだが、運転手がまたへたくそなヤツで、急ハンドルで急停車を繰り返す。さらに事故なのか、渋滞で前に進まなくなる。窮屈な姿勢のままいつ走り出すかわからないのを待つのはつらい。

30分ほどかけて渋滞を抜ける。沿道には集落が見える。家は四角で赤茶色の土壁で藁葺きと思われる屋根。マリやブルキナファソで見たような円形の建物は見ない。パイナップルの季節らしく、山積みにされたパイナップルが沿道で売られている。パパイヤやみかん畑も見える。煮炊き用なのか木の枝などを頭に乗せて運んでいる人もときどき見かける。

途中、荷崩れしたらしいトラックが道路脇にいた。積んでいるのは大量の炭で、路肩の方に袋に詰められた炭がごろごろと転がっている。

Bohiconという道の分かれ目にあるまちで3人が下車。これでだいぶラクになる。Bohiconには鉄道の駅があり、そのまわりは露店市のようになっていて、人がおおぜい通りに出ている。売られているのは、トマトや唐辛子、キャベツ、人参、小さな大根など野菜や果物、輸入品らしいお菓子、服、箒などなど。

そこから9kmほどで目的地のアボメー。雨がポツポツと降り出す。アボメーではだいぶ雨が降ったようで、道の脇には水たまりができている。未舗装の通りは抜かるんでぐちゃぐちゃ。運賃2000CFA(約500円)を払っておりる。

アボメーの地図はなかったものの、途中、見た標識が指していた方向に向かって歩く。目的は歴史博物館。ダホメー王国時代の中心地であったここアボメーにはその当時の宮殿が残っており、それが今博物館になっている。ユネスコの文化遺産にもなっているらしく、博物館入り口近くの看板にはユネスコのマークも出ていた。

レンガ色の土壁に囲まれた敷地内は、壁が4mほどあるため外から中を伺い知ることはできない。入り口付近は未舗装のため、ぬるぬる、どろどろで靴が濡れてしまう。

チケットを買う。2500CFA(約600円)。一般的には入場料は1000CFAなのに、高い。ユネスコに指定されているなら英語も併記されているかと思いきやそれもなし。すべてフランス語。しかもガイドについて回らないといけないと言われ、わからないフランス語を延々聞かされても時間の無駄なので、さっさと出る。

展示品は何のためなのかわからない作りものや、当時着られていた服、奴隷貿易で入手したらしい鉄砲など。宮殿といっても壁に囲まれた中に長方形の平屋の建物が何棟かあるだけで、敷地内はほとんどが庭というか草も生えていない更地。通路用の飛び石のようなものもないので、これまたドロドロになる。

客はフランス人らしい人らが4人ほどと、ベニンあるいは近隣の国の人が5人ほど。中学生くらいの少女はメモをとりながら話を聞いていた。

なお、敷地内にある建物壁には彫り物の絵が描かれていて、見た印象だと奴隷狩りを表したような絵だった。

奴隷貿易はヨーロッパが主導したことには間違いないのだろうが、こうしてアフリカ内部にも協力者(共犯者?)がいたことは大きかっただろう。メキシコのアステカやマヤにしても、それらをよく思っていなかった周辺の国(日本で言えば藩?)や民族が、ヨーロッパ勢力に協力しなければ、あのように滅ぼすことはできなかったと言うし、要はどこも同じような手法でヨーロッパにやられているのが、今から見ればなんとも惜しい。また、それだけ現地の事情は複雑だったということは考慮に入れる必要はある。

一方で、たとえばベナン人でこの国に以前奴隷貿易で儲けた王国があったなんて知っている人はどれくらいいるものか、と思う。どこかで見た話では、義務教育の就学率は5割を切っていたように思う。学校で教えられなければ、そういうことを知る機会はないのではないか。

アフリカから南北アメリカやカリブ海に、またアラビア半島などに人々が連れて行かれたということは、親や音楽から知ることはあろうが、ちょっと細かな話になるとなかなか活字やテレビなど教育媒体を通してでないと難しいように思える。

まぁ、しかしそういうことを知っていることが生活上で何か役に立つかというとたいして役に立つようには思えないし、日本でだって学校でならってもたいてい忘れ去られているから、そうした歴史を記憶することと教育環境が充実しているかどうかというのは、あまり関係がないかもしれない。

それにしてもユネスコに指定されているくらいなんだから、英語で書いた説明文(紙)を貸し出すくらいのことはしろよな、と思う。フランス語がわかる人間なんて、たいしていないだろうが。まったく。

いらいらしながら歩いていると、ニーハオだのジャッキーシェンだのとといった言葉が飛んでくる。まったくうっとうしい。東アジア人はみんな中国語をしゃべると思ってるんじゃないか。暇なんだからちっとは勉強しろ。

雨がだんだん強くなってきたので、雨宿りがてらネット屋にはいる。1時間500CFA(約120円)。なかなか早い。ガーナから南アフリカに行くチケットをまたチェック。1000米ドル代ばかりで安いのが見あたらない。腹がへったので、ここで売っていた見た目小さなマドレーヌのような菓子を買う。100CFA(約25円)。甘さが足りない。

雨があがったところで帰りのタクシーを探しつつ、まちを散策。メインの通りは舗装されているものの、ほとんどが未舗装。今し方降った雨のため、あちこちに水たまり及び小さな川ができている。

客の入っている食堂があったので、そこで昼飯。鍋の中を見せてもらい、4種類ほどあった料理の中から選び、トータル400CFA(約100円)でとお願いする。主食はキャッサバをふかしてぺったんぺったんとついたらしいもの。名前はわからない。色は白く、歯ごたえはそばがきに近い。それ自体にはあまり味はないがさっぱりとしていてうまい。

店内の白黒テレビ(というかカラーなんだけど、色が出ていない)は、北京オリンピックの入場式の様子を映している。アフリカの国々の代表選手の数は少ない。ベナンなどでもサッカー以外ではいわゆるスポーツをしたことがある人なんて少数だろう。

食事をしていたらちょうど店の前で細長い臼を使って、女の子二人が今食べていたものをついていた。店のおばちゃんが、臼に入っているもののかけらをくれたので、食べてみるとさっき食べたものと同じ。

もうしばらくぶらぶらしようと思っていたら、食堂の前の通りを挟んで向こう側にたむろしていた若い男たちがプシューとかいう音を立てて、こちらを呼ぶ。そして、そのうち一人がニーハオ、ニーハオと連発しながら手招きする。こういうヤツに禄なヤツはいないからそいつは無視。手招きするくらいなら自分から来いや、ボケ、と内心つぶやく。

別の男が呼ぶので行くと思った通りタクシー屋だった。コトヌーまで行くというので、ちょっと早いかと思ったが、車に乗り込んで車内で待つ。しばし昼寝。

1時間ほど待って、タクシーは発車。自然とシャコタンになっているこの車は、ちょっとしたでこぼこがあると車の腹をガリガリと削りながら走る。窓を開けるためのノブはついていない。

客は助手席におばさんとおじさんの2人、後部座席にぼくと若めの男2人と2人の子連れの母親1人。子どもは1歳に満たないくらいの子と3歳くらいの子。なので、運転手を入れれば、普通の乗用車に9人乗っていることになる。当然、坂道になると20kmくらいしか出ない。ただ、行きのようにはきつくなかったのが良かった。

帰りも途中、事故で渋滞したり、道の脇を葬儀の人たちが歩いていたりで、かなり時間がかかる。

途中、休憩がてら休んだポイントでは、ネズミのような格好をした丸焼きの肉を売っていた。固そうなので買わず。

後部座席に乗っている女性はときおり授乳している。道ばたで立ち小便をしていた小さな男の子は、ぼくを見つけると、小便している格好のままニョボ(白人という意味らしい)と言いながらこちらを指さす。

そうしてコトヌーに着いたのは日暮れ後だった。帰り道、水、フランスパンのサンド(アボカドペースト)やドラム缶で焼いている肉などを買って、部屋で夜食。

割れていた時計のガラスの破片が中に落ち込み、時計の針が動くのを邪魔するので、すっかり時計が狂ってしまう。また修理しなければならない。

Fin

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