2008年8月22日金曜日

[Buenos Aires:Argentin]荷物発送、プエルトマデーロ、ボカ地区

08/07/02(水)

[Buenos Aires:Argentin]

・荷物発送
・フェリー下見
・プエルトマデーロ
・ボカ地区


目が覚めるも、外はまだ暗い。まだ夜中かと思って時計を見ると7時過ぎだった。廊下に出ると昨日よりもひんやりしている。気温10℃ちょっとくらいか。

しばらく日記書きしてから昨日結局できなかった荷物の発送をしに外に出る。

Retiroの駅の前を通る。屋台でできあがったばかりのピーナッツ菓子を買う。2ペソ。




国際郵便局に行って番号札を取ると9人待ち。しばらくベンチに座って待つ。9人なんてあっと言う間かと思っていたが、かなり待つ。




ようやく自分の番が来て、2kgタイプの段ボールを二つ出す。まず荷物の中身を聞かれ、本だと言うと中のチェックはされず。




それからその場で窓口の若い兄ちゃんから、2枚の紙を受け取り、ここに送り主と送り先の住所を書けと言う。段ボールにはそれらを買く欄があり、すでに書いていたのでなぜこれが必要なのか不思議に思ったが、とりあえず送り先を書く。




1つできあがるとその宛先の荷物を計る。両方とも3kg越えで合計8kg近くだった。




先ほど記入した紙はシール式になっており、窓口のおにいちゃんは一片15cmほどの段ボール紙を取り出し、そこに宛先を書いたシール紙を貼る。




そしてその横に航空便を意味するスペイン語のスタンプを3つ縦に並べるように押す。3つ縦に並べて押すならそれ用のスタンプを作ればいいのに、などと彼の仕事をぶりを見ながら思う。




それからパソコンになにやら入力し、プリントアウトした紙(何が書かれてあるかは未確認)をまたその段ボール紙に貼る。そうしてからその段ボール紙の上の真ん中あたりにボールペンで穴を開け、そこにひもを通す。




そこで段ボール紙の作業は終わったようで彼は立ち上がってカウンター左のところから身長160cmくらいの人ならすっぽる入るくらいの大きな白いプラスチック製麻袋を取り出してきて、口を開き、その中に段ボールを落とし込む。




そうしてから口を閉じるためのゴムひもらしいものを取り出し、さっきの段ボール紙の穴に通してから袋をねじり、そのくびれのところにゴム製らしいひもを回し、結びとめる。それで作業は完了。ちなみに荷物一つにつき袋は一つのよう。このような一連の作業を一人の窓口の係員がこなしていた。




計っていたわけではないが、おそらく窓口に立ってからすべえて終わるまで30分ほどかかった。代金はそれぞれ5kgぶんのカネを取られたため、予定よりも大幅な出費を強いられる。二つで計7kgの荷物を航空便で送るのに、約13000円ほど。




宿を出たのは11時過ぎだったのに郵便局を出たのは12時半頃。やれやれ。




郵便局前に人だかりができているサンド屋台があったのでそこでブランチ。ハンバーガーとチュラスコ(牛肉の薄いステーキ)のサンドを売っていた。チュラスコの肉は厚さは5mmほどであるもの縦は10cm、横は30cm近くある。サンドするパンは20cmくらいしかないから完全にはみ出している。




注文をするとその場で炭火の鉄板で、生肉やハンバーグのパテを焼き、肉がだいたい焼けると、スペースを作り、そこに生卵を落とす。卵は目玉焼きではなく、両面を焼き、さらに黄身の部分は崩して完全に火が通るまで焼く。




そうして卵ができあがったら、その卵を肉の上に乗せ、それをパンで挟む。屋台にはもやしの炒め物や唐辛子のピクルスなど5種類ほどの具(?)が用意されており、それを適当に乗せて食べるスタイルになっている。




これでチュラスコの値段は6.5ペソ(約300円)。近くの駐車場の縁に座って食べていると、後ろの駐車場を掃除しているおじさんが、後ろから「Amigo , quant bale?」とパンの値段を聞いてくる。6.5ペソと答えるとうんうんとうなづいて去っていく。




それからウルグアイのコロニア・デル・サクラメント行きの船が出ている港に時刻表と値段を見に行く。




途中、たまたま移民博物館があったので立ち寄る。無料ではあったものの、実物の展示はだだっ広い部屋に無造作に当時使われていた鞄などが置かれているだけ。パネル展示も非常に簡単なものばかりであまり力は入れられていないよう。説明はスペイン語のみ。




さっさと後にし、港に行く。船乗り場は古い煉瓦づくりの建物をリニューアル中で、外観と中がまったく雰囲気が違う。




サクラメントへは3時間かかる遅い船で往復約180ペソ(約60米ドル)。けっこう高い。




それから港沿いを歩く。プエルトマデーロ地区と言われるこの辺りはドックとして使われていたところを再開発したところらしく、赤煉瓦倉庫などがレストランなどとして使われている。ちと横浜の赤煉瓦倉庫街?に似ている。




ドックには日本にも立ち寄ったことがあるという練習帆船が2挺、博物館として公開されていたので、サルミエント大統領号博物館の方に入ってみる。船の内部には航海時の写真などが展示されており、その中には日本の船員らと写ったらしい写真もあった。




その後、サッカーチームで有名なボカ地区に行く。あること1時間近く。途中、国立歴史博物館に寄るが、ここも無料で展示はちょっと。民俗博物館の方がおもしろかった。




ボカ地区まで来ると人通りは少なく閑散としている。壁などにスプレーで落書きしている場所多数。サッカースタジアム近くまで行って引き返す。




右の靴のソールがはげてきたため、店でボンドを買い、宿に戻って接着作業。




空気が悪いせいか咳が頻繁に出るため、宿にいて養生するも、夜は腹が減ってしまい、近くの中国系の人がやっている食べ放題の店で晩めし。40種類ほどある料理を眺めていると肉の料理がかなり多いことがよくわかる。代金は飲み物題を加えて24ペソ(約900円)ほど。こうしたところに行かないの野菜が食えないのが、ここのつらいところだ。




腹が膨れたら宿に戻り、あとは宿でのんびり。宿のリビングでは夜中遅くまで笑い声がしていた。




Fin

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

Buenos Aires(良い空気)なのに、空気が汚いんですね。

ぶらぷらびと さんのコメント...

そうなんです。名前と実態がぜんぜんあっていないのです。バスの質が悪いので、バスが新しくなればちょっとはよくとなると思いますけどね。ただ、たばこの煙は変わらないでしょうが。