2008年12月16日火曜日

[本]『コーラン (下)』

08/12/13 in Keflavik,Iceland

『コーラン (下)』(改版)、井筒俊彦訳

80
「2[3](この)聖典は文句も一々わかりやすく、特にアラビア語のクルアーンとしてものわかりのよい人々に下されたもの。3[4](善人には)喜びの音信を伝え、(悪人には)警告を発するもの。」

97
「5[6]遠い昔の人々のところへも我らは、数えきれぬほど預言者を遣わしたが、6[7]みな、預言者が現れるたび、きまったように●(※わら)いものにした。7[8]かくて我らは今の人々よりもっと腕の強い者どもをたくさん滅ぼして来た。こういう遠い昔の人々の実例がいくらも起っておるではないか。」

103
「よいか、あれ(イエス)は、ただの僕(ただの人間)にすぎぬ。それに我らが特別の恩寵を授けて、イスラエルの子らの鑑としたまでのこと。」

124
「4 さて、お前たち(回教徒)、信仰なき者どもといざ合戦という時は、彼らの首を切り落せ。そして向うを散々殺したら、(生き残った者を捕虜として)枷(※いましめ)かたく縛りつけよ。5[4]それから後は、情をかけて放してやるなり、身代金を取るなりして、戦いがその荷物をすっかり下ろしてしまう(完全に終わる)のを待つがよい。まずこれが(戦いの道というもの)。勿論アッラーの御心次第では、(こんな面倒な道を踏まずとも)一度に彼ら(異教徒)を打って仇を討つこともおできになろう。だが、お前たち(人間)を互いに(ぶつからせて)それを試みとなそうとのおはからい。」

138
「13 これ、すべての人間どもよ、我らはお前たちを男と女に分けて創り、お前たちを多くの種族に分ち、部族に分けた。これはみなお前たちをお互い同士よく識り合うようにしてやりたいと思えばこそ(自分の部族や血筋をやたらに誇示し合っていた異教時代の風習に反対する)。

195
「6 マルヤム(マリア)の子イーサー(イエス)がこう言ったときのこと、「これ、イスラエルの子らよ、わたしはアッラーに遣わされてお前たちのもとに来たもの。わしより前に(啓示された)律法を確証し、かつわしの後に一人の使徒が現れるという嬉しい音信を伝えに来たもの。その(使徒)の名はアフマド(アフマドはマホメットの原名とほぼ同義。この一節はマホメットの出現をキリストが預言していたことを示す有名な箇所)」と。」

289
「9 よいか、孤児は決して苛めてはならぬぞ。
 10 物乞いに決して邪●(※けん)にしてはならぬぞ。」

330 訳者の解説より
キブラ:信者が礼拝するときにぬかずく方向のこと
「メディナに移ってきた当初、マホメットはユダヤ教徒のキブラを採り、エルサレムの方角に向かって礼拝することにきめた。これでユダヤ人に好感を与えるつもりだった、と近代の学者は解釈する。

しかしユダヤ人が俄然攻勢に出て来た今、彼らのキブラに従っていることは彼の面目をつぶすだけで、ほかになんの効果もない。彼はしばらく思いまよったあげく、ついに意を決してメッカの神殿カアバを回教徒の祈りの方向ときめたのである。この事情は『コーラン』第二章「牝牛」の136節以下に、ありのままに記されている。

そして、これを期として、従来異教邪宗の中心であったメッカの神殿が回教の総本山となったのである。」

0 件のコメント: