2008年12月16日火曜日

[diary]マプト(モザンビーク)へ移動

マプト(モザンビーク)へ移動

08/08/31(日) 曇り

[Mbabane:Swaziland→Maputo:Mozanbique]
1エマランジェニ=1ランド 
1USD=7.5rand=7.5Emalangeni


6時過ぎに起床。寒くもなく、暑くもない快適な夜だった。外では今朝も昨日に引き続き猛烈な風が吹いている。風に吹かれて揺れる木々の葉がすれる音が屋根を叩く雨音かと思うくらい。

この宿に泊まる前は、朝7時くらいには宿を出て、モザンビークに向かう予定が、昨日、ここの宿では朝食が出ると聞いたので、朝食の時間を待ってそれから宿を出ることにした。

食後、すぐに部屋を出られるように、荷造りをして朝食の始まる8時を待つ。

8時ちょっと前に部屋を出て、敷地の入り口近くにある食堂へ移動。ちょうど準備中だった。朝食のメニューはコーンフレークがプレーンとチョコ味の2種類、それから名前を聞いたが覚えられない名前のものが1種類、加えてフランクフルト1本、チーズ一切れ、トマト一切れ、スクランブルエッグがほどほど、焼いた食パン2枚。飲み物やインスタントのコーヒー、ティーバッグの紅茶、ホットミルク、フルーツジュース。

名前を聞いたが覚えられなかったものは、一目見たときはよくあるジャガイモのペーストかと思ったが、味はお粥に限りなく近い。ライスかと聞いたが違うというので、きっと何かのイモなのだろう。味はついていなかったので、テーブルにあった塩をかけて食べる。昼飯ぶんまで食べる。

8時半過ぎに宿をチェックアウト。歩いて中心部のバスターミナルに行く。途中、3人ほどの子どもたちがこちらを見て手を振ってくる。南アフリカに入って以降、まだ一度もチャイナとかチンチョンチャンとかと子どもからも言われていない。西アフリカではいらつくくらいに毎日のように言われていたのに、この違いは何か? 経済の発展の度合いに寄って違うのか? それとも人種がこっちの方が混在しているからか?

ムババネは坂が多い。宿から緩やかな下り坂を下って、警察署を右に曲がり、ちっちゃな川に架かる橋を渡ると急な上り坂になる。荷物は30kg程度とは言え、運動不足の身では歩くスピードが格段に遅くなる。

20分ほどかけてバスターミナルに到着。日曜の朝ということでか、昨日と比べるとターミナルの人出は少ない。路上で果物などを売っていた人たちも今日はほとんどいない。

ターミナルとは言ってもここはジョハネスバーグと違って、ただの駐車場。乗り場がいくつかあるのだが、それぞれには行き先は書いていない。ただ、バスやミニバスの車体に行き先が書かれているため、それを見ながらバスを探す。

ここからモザンビークへは直通のバスが出ていない。スワジランドのほぼ中央に位置するマンジニというところまで行って乗り換えなければならない。

というわけでマンジニ行きのバスを探す。停まっている車はほとんどが大型ワゴンのいわゆるミニバスで大型バスは2台ほどのみ。昨日、下見に来たとき大型バスがマンジニ行きだったので、フロントを見てみるとこれにもManziniと書かれていた。なので、バスに近づくと運転手らしい人が、マンジニかと聞いてくるのでそうだと答える。荷台にリュックを乗せ、自分も車内に乗る。が、車内には客がいない。しばらく座席に座って状況を伺っていたが、どうもこのバスも座席が埋まってからでしか出そうにない。バスは40人くらい乗れる古い型の大型バス。これは1時間待っても埋まりそうにない。

よって、ミニバスでマンジニ行きがないか探す。ターミナル内をぶらぶら歩いているとスワジプラザ近くの方にマンジニ行きがあった。すでに客が乗り込んでいて出発は近そう。なので、そちらに乗り換える。

料金は大型バスが9エマランジェニ(以下、エマと略)でミニバスが10エマ(約150円)。なかなか安い。

ぼくがバスに荷物を取りに行っている間に3人の中国人が乗り込み、またすぐに2人客が来てあっと言う間にミニバスはいっぱいになった。

短い距離だからか大きな荷物を持っているのはぼくだけ。車自体に荷物を載せるスペースがないため、リュックは膝の上に載せる。荷物代は取られず。

9時過ぎにムババネを出発。郊外は昨日と同じような景色。枯れた草原にポツポツ木々が立つ。木々も葉を落としているのが多い。なだらかな山並みがつらつらと見え、ときどき牛が放牧されている。

マンジニには30分足らずで到着。ムババネと同じように中心部にターミナルがあって、近くには大型スーパーがあった。ガイドブックをちゃんと読んでいなかったこともあり、てっきり降りたところからモザンビーク行きのバスが出ていると思っていたが違った。ターミナルを歩いていてもマプト行きと書いたバスがない。声をかけてきたおじさんに聞くと、ここから離れたところにあるという。そこまで案内すると言われるが、これは断る。このターミナルの周りには4枚ほど大きなカラーの看板が立てられていて、それが目に留まる。一つはAIDSに関する啓発看板でこれはアフリカならたいていどこでも見るが、もう1つがなかなかショックなもので子どものレイプ被害についての啓発看板だった。ここまで大々的にやらないといけないほど、状況がひどいのかとふと思ってしまう。どこにでもある程度はある問題であろうが、気になるところだ。

ちょっと歩いて、別のターミナルがあったので、そこの人にもう一度確認のため聞く。ここの人は丁寧にその道をまっすぐ行って、ストップの看板がある交差点を右に行き、1つ目のロボット(信号)を左に行くとケープが見えてくるからそこだと教えてくれる。ケープ? がなんのことかわからなかったが、とりあえず行ってみる。

教えられた通りに行くと中国人の店があり、クーロンという名のファストフード店の向かいがちょっとした野菜マーケットになっており、その駐車場からマプト行きが出ているようだった。見た目はただの駐車場で、マプト行きなどの看板も出ていないから知らなければわからない。駐車場を取り囲むように中国城と書いた服屋やケンタッキーフライドチキン、同じようなチキンのファストフード店、そしてミニケープという名の商店があった。

駐車場にはそれらしき大型ワゴンがあったので、そこに近づいていくと帽子をかぶったおじさんが声をかけてくる。この人が運転手だった。リュックは後から乗せると言うので外の地面に置いて、小さいバッグを座席に置く。客は今のところ2人。時間は10時過ぎ。いつ客席が埋まることやら。

バス代は60エマランジェニ(ランド)+荷物代。手元にはエマランジェニは40しかない。もちろんランドで払っても問題ないのだが、あいにくそのランドが100ランド札しかなく、ランドで払うとお釣りがスワジのお金になってしまう。スワジのお金は他の国では両替できないという話を聞いていたので、ここでバス代ぶんだけスワジのお金にして残りはランドにしておきたいと考えた。

ただ商店や野菜売りの人に両替を頼むのは無理そうなので、商店で買い物をしたときに釣りを必要なぶんはスワジのお金で、残りはランドでもらおうと企んだ。

商店で3ランド程度の小袋のポテトチップス2袋とスワジのオブザーバーという新聞を1紙(2.5ランド)買う。そして、レジのおばさんに釣りの50エマランジェニをランドにしてくれと頼むが、このおばさん、聞こえていて聞こえない降りをしているのか、そもそも聞こえていないのかまったくこちらに気を向けない。後ろには5人ほど並んでいて、おばさんは次の客のレジ打ちにすぐ入ってしまったので両替は諦める。

さて、どうしたものかと地面に置いたリュックの上に座り、新聞を広げる。とそこへ50代ほどの男性がエクスキューズミーと声をかけてきて、50ランド札をひらひらさせながら、両替したかったのではと言ってくる。レジで後ろに並んでいたのか、どうもぼくの様子を見ていたらしく、わざわざ両替を申し出てきたらしい。あまりに親切なので、もしや偽札をつかまされるのかと思ったが、それにしてはタイミングが良すぎるし(スワジでは両替屋を見たことがないし)、例え偽札でも相手がわからなければ本物と同じなので、ありがたく替えてもらう。これで両替問題は解決。さっき買ったポテトチップスをかじる。

11時。ここに来て1時間経過。まだ客は集まらない。車内や外で陽に当たって待つには暑すぎるので、商店の軒先で待つ。車内で待っていた女性が2人商店前に来て、二人で立ち話を始める。一人の女性は「I don't like to wait too much」と言う。英語で話しているからお互いの母語は違うのだろう。

時間があるので、さっき買った新聞をちらちら見る。どうも数日前だかがスワジの何かの記念日だったらしく、その日に行われた伝統行事の様子が詳しく紹介されている。また、獣にも人間にも移るなんとかフィーバーという伝染病がどこかの谷で発生したというニュースやジンバブエの危機についても丸々1面使って報道している。読んでいて一番気になったのがAIDSの記事。スワジランドは国民のAIDS感染率が非常に高いらしいが、その最新の現況調査の結果が報道されていた。


11時半過ぎになって、ようやく荷車が車の後ろに連結される。ヨハネスからムババネに行ったときに乗った車と同じスタイル。日本で言えば小型ボートなどを車で運ぶときに使うような4輪の荷車を車の後部に連結させ、荷物はそこに載せる。荷物を載せながら、荷台が徴収され、大きさや数によってその料金は異なる模様。安くしてもらおうとねばっている人もいた。

そしてようやく12時頃に車は走り出す。走り出すと5分ほどで、例のようにガソリンスタンドに停車。給油を始める。待っている間に給油しろよな!とやっぱり思ってしまう。この辺は西アフリカと共通。

給油が終わってやっと本格的に走り出す。車体はやや古く、側面にはさびて小さな穴があったりするが、走りは快調。道も良い。片道1車線や2車線の舗装された道路を走る。

ぼくは例のごとく、ぽかぽかするのでしばし昼寝。

外の景色は昨日と今朝とあまり変わりはない。空はうっすらと白い。影ができるほどには晴れているのだが、青空ではない。

ときどき大々的に野焼きをしているところを見る。焼いているのは畑として使っているようには見えない土地なので、なぜ焼いているのか気になるところ。

走り出して1時間ほどたった頃、バスは森林地帯に入る。この森林地帯が日本の山とそっくりで植林で作られた森は単種の木から成っているので、一律的で色に変化や深みがなく、見ていて退屈なのです。道ばたには伐採したばかりらしい直径20cmくらいの細い丸木が積み上げられている。

そうしているうちに国境到着。意外と速かった。時間は12時半。

まずはスワジの出国手続き。こちらの建物も木材をふんだんに使ったロッジふうの建物でとても雰囲気が良い。たぶんぼくがこれまで見てきた国境の施設ではスワジが一番暖かみがある。

そんな雰囲気の良い建物なのに、みんなバラバラと並び、というあ窓口に押し掛け、ぼくは後ろの若い男に追い抜かされ、最後から2番目にパスポートを窓口に提出。めがねをかけた女性の担当の人からは、マプトに行くのかとだけ尋ねられただけで、すぐに出国スタンプを押してくれる。

車は先にモザンビーク側に移動している。ぼくたちは歩いて出国ゲートを出る。出る前に椅子に座った女性がそれぞれのパスポートをチェックする。

ポルトガル語と英語でようこそモザンビークへと書かれたゲートを入る。そこには機関銃を持った迷彩服姿の軍人(警官?)がいて、入ってくる人をチェックしている。先に行ってた客が何やら言い合いをしているのを横目にさっさと入ろうとすると呼び止められ、パスポートをチェックされる。

モザンビークの入国審査の建物は白のコンクリートづくり。それなりに立派で大きい。入り口にはなぜかヨーロピアンらしきグループが大挙して座り込んでいる。座り込んでいると言っても政治的なそれではなく、ただ何をするというわけもなく、地面に腰をおろしぺちゃくちゃしゃべったり、何人かは直(じか)に地面に仰向けになって寝ており、また何人かはバレーボールで戯れているという、国境ではなかなかあり得ない状況に何が起こっているのか察しもつかず。

スワジと違ってモザンビークはビザが必要。ケープでも取れたのだが、2日かかると聞いたので往復の交通費をケチって取らず、またスワジでも取れるのだが、あいにく昨日は土曜日で月曜まで待っている金銭的余裕がないので、国境で取ることにしたのであった。

しかし、これが裏目に出る。入国審査をしているおじさんにビザが必要なのだがと言うと、前に座っているヨーロピアンらしき人らを指さし、彼らもビザ待ちしていて今はFULLだと言う。そして申請用紙もくれない。隣の窓口は車や荷物のチェック(税関)をするところで、そこでなにやら紙を記入している人がいたので、そっちで申請用紙をくれるのかと思い、そちらに行くと隣だと言われる。ちょうど運転手がそこにいて、運転手がさっきのおじさんに何やら現地の言葉で言うとビザの申請用紙をくれた。まったく最初から出せよな~

ポルトガル語と英語の併記だったのだが、一部の英語がわからず。INSTITUTEとFIRMがわからず。確か団体とかの意味だと思うのだが、質問の意図がわからずなんと答えていいかがようわからない。しかし、これまでの経験では単語がわからないところを飛ばしても問題になることはなかったので、そこは空欄にして出すことにする。

さっきのおじさんところに行って、パスポートと申請用紙を渡そうとするが、おじさんはさっきと同じようにあそこで待っている人たち43人もビザを申請していて、今はいっぱい(フル)だからあっちに行って待てと言うだけで受け取ろうとさえしない。

順番で言えば確かにそうだが、のんびりと待っている彼・彼女らと違ってこちらは他の客が30人ほどぼくのことを待っているわけであるから、その辺は気をきかせてぼくの1枚のパスポートを先に裁くのが人の道ではないか? と思うが、あまりに杓子定規なので説得を試みて相手が余計に頑なになると、意地悪されそうなので言われたとおりに待つ。

20分ほど待っていると運転手が様子を見に来る。ここは運転手のコネの力でなんとかなるかと期待したものの、やはり窓口のおじさんはぼくに言ったことを同じようにポルトガル語で繰り返すだけ。運転手もあっさりとひく。

これは面倒なことになった。国境でこうやって時間がかかるとき、ひどい運転手は先に行ってしまうということもあると言うのは他ではときどき聞く話だ。ここからマプトに行くバスが頻繁にあるのなら乗り換えれば済む話だが、あいにくこの国境にはそうしたバスもタクシーもいない。両替屋さえもいない。これでは同じ車に乗った人たちには悪いが、つきあってもらうしかない。

それにしても43人が待っているっていうことは、一人ぶんを5分で裁いても200分以上、つまりは3時間半近くかかるということだ。たいていビザの処理はただシール貼って、そこに有効期限や発効した日付、国境の名前と担当者の名前などが記入される。なんぼ速く処理してもやはり3分はかかるだろう。これから3時間待ちなんてなったら、あんた・・・

あとどれくらい待つのか気になり、ビザ待ちしている一団の中の本を読んで待っていた女性にどれくらい待っているのか聞いてみる。彼女の答えは、2時間くらい。それが確かなら待つのはあと1時間ちょっとで済む。少し安堵する。しかしそれにしても、長い。そもそもなんでこの一団は、事前にビザを入手していなかったのか? 40人以上いる集団ならばエージェントが入っているはずで通常ならそのエージェントがビザの入手は代行するはずなのに、なんでこんな大勢で国境で取得するなどという迷惑なことをするのだ!と、だんだんいらいらしてくる。

ちなみにこの団体年齢はおそらく20代前半で男女混合。基本的に白人ばかりで中国系の男性が1人と黒人女性が3人ほど。みんな英語で会話をしているのでアメリカ人かとも思うが、特に確認せず。

さっきの窓口に行ってみるとおじさんがいた窓口には女性の職員がいた。国境の手続きなどは担当者次第なので、この人ならと思って、ちょっとアプローチするが、やはりダメ。

で、諦めて窓口横に立って待っていたら、しばらくしてその女性がぼくの前を通り、ぼくを見て窓口のおじさんに何やら命令口調で言う。そしたらおじさんはご機嫌取りのような笑いをして、ぼくにパスポートと申請書をよこせと合図をしてくる。女性の職員とおじさんとのやりとりは英語ではなかったから何を言ったかはわからない。が、おじさんの変心ぶりを見ると、ぼくのをさっさと処理しろとあの女性は言ったに違いない。

ハハハ、ラッキーと思って窓口にパスポートと申請書を出すが、申請書の見記入の部分を指摘される。単語がわからなかったところはわからないと言うと、これは英語だぞと言われるが、辞書をカバンの中から探しているうちにその部分は見逃してくれた。

やっとパスポートと申請書が奥にある事務室に届けられる。同じ車に乗っている女性がしびれを切らしたのか、窓口に来ておじさんに何やらポルトガル語で言っている。運転手も様子を見に来て、パスポートは渡したのかと言うので、渡したと伝えるとグッドと1段階進んだことを喜んでいる様子だった。

それから15分ほど待った頃、パスポートが返ってくる。すばらしい。急転直下で事態が好転したことがうれしく、つい笑みがこぼれる。あの女性職員に感謝!

車の方に駆け足で行くと運転手が終わったのかと聞いてくる。イエスと答えると外で待っていた乗客に声をかけ、一斉に乗車。そしてすぐに発車。結局、出国手続きも入れれば国境を通過するのに1時間半ほどかかった。

モザンビークに入ってからは下りになる。同じように緑の薄い山を見ながら下る。

変化といえば道が悪くなったこと。舗装はされているのだが、どうも表面がぼこぼこしているらしく、盛んに上下に揺れる。

感覚的には1000m近いところからずっと下っていったという感じだったのだが、そのせいかだんだん空気が熱くなる。こちらでも大々的に野焼きをしていたから、そのせいかとも思うが、煙が見えないところでも空気が熱い。窓から手を出して比較したところであ車内よりも外の方が熱く、しかもおそらく30℃は確実に越えていて35℃くらいはありそう。

南アフリカやスワジではあまり見なかった山羊が沿道に見え、またきれいに作られている畑も見える。トウモロコシやブロッコリー、キャベツ、バナナなどが植わっているのが見え、また植えているのか自生しているのか車道沿いにポツポツと実を垂らしたパパイヤの木が見える。

30分ほどでまちらしいところに入ったが、雰囲気が西アフリカ的。女性は腰に鮮やかな布を巻いている人がそこそこ多く(3割くらいか)、子どもが路上で物売りをしていたりする。そして道ばたにはビニールゴミや紙ゴミが散乱している。道もこの道から横に入れば舗装されていない。家は藁を編んで作った壁のものやレンガ造り、コンクリートブロック造りなどいろいろ。店はタイル張りの簡単な造りのものが多く、道ばたでさまざまなものが売られている。ただ飯を食わせる屋台は通ったところが悪かったのだろうか見られず。だが、まちの雰囲気からはようやく西アフリカのように道ばたでうまいものが食えそうな雰囲気だ。

沿道にはマプトまでの距離を書いた看板がちょくちょく現れる。30分も走るとあと40kmほどとなる。道は相変わらずぼこぼこ。

国境を出てから1時間半ほどした頃、マプトの郊外に入ったのか家が建ち並んでいる地帯に入る。踏み固められた未舗装の細い道に6畳程度の小さな家がひしめき合い、小さな子どもたちがじゃれあってたり、駆け回って遊んでいたりしていて、いかにも郊外の”都市下層民”が住んでいる地帯という雰囲気。

そうしたところをしばらく走っていくと右手遠くに高層ビルの山が見える。

乗客が沿道でポツポツ降り始める。いつの間にか車線は片道2車線になっていて、なかなか立派。

だんだんと背の高いビルが多くなるが、その外装はかなり古ぼけているものが多い。塗装が剥げているだけではなく、建物のあちこちにひびが入っていたり、ある建物では欠けているところがあったり、一瞬、キューバのハバナの旧市街の光景を思い出させるほど。

それから道ばたに落ちているゴミが多い。これだけ汚いのは久しぶりだ。南アフリカはまちなかにはほとんどゴミは落ちていない(ミニバス乗り場は別)し、スワジランドも比較的ゴミは落ちていなかった。ガーナもけっこうきれいだったし、トーゴにしてもベニンしてもここまでは落ちていない。もしかしたら首都の大きな通りでこれだけゴミが落ちているのは、ここが一番かもしれないとさえ思う。

中心部に入ると10分ほど走ったところで別の客が降りる。地図で見る限り予定していた宿に行きやすい場所のようだったので、ぼくも降りる。日曜ということでか、通りの店はほぼすべて閉まっている。人通りも数えられるくらいしかない。

地図で現在地と目的地を確認し、歩き始める。交差点には道路名が書かれているからわりと分かりやすい。

マプトの魅力と言えば、ぼくだったらこの通り名を挙げるかもしれない。通りの名前を見ていくとなんとも面白い。ホーチミン通りやカール・マルクス通り、ウラジミール・レーニン通りがあり、エンゲルス通りまである。そしてぼくの目的地は漢字にすると毛沢東通り。アルファベットで書かれていたからアフリカ人の名前かと思っていたが、上記のような名前を見ていて毛沢東かと気づく。

歩いていて地図で見てイメージしていたよりも地図に載っていない細い通りが多いように感じたので、後ろから来た男性に道を尋ねる。見た目からモロッコなど北アフリカからトルコあたりの人かと思う。

英語で話しかけると英語で返ってくる。ぼくが行きたい場所については彼は知らず、けれど宿を探していると行ったら安いところがあるからと案内してくれることに。

彼は見たところ30代。予想に反して彼はインドはボンベイ出身だった。インドで生まれ、10年前にここに来たという。今、ちょうど家に帰る途中で、その途中だからと案内してくれた。彼はここではファストフードの仕事をしていると言う。ここには家族と一緒ではなく、一人できた。ポルトガル語はここに来てから覚えたらしい。

どこから来たのかと尋ねるので日本からと言うと、OSAKA!と突然言う。大阪に住んでいたのかと尋ねると日本には行ったことがないとのこと。でもいつか行きたいと彼は言う。彼の移住話を根ほり葉ほり聞きたい衝動に駆られるが、まだ会って数分しかたっていないし、信頼できる人かもわからないので、とりあえず口数少なく相手の様子を観察する。

5分ほど歩いてポルトガル語で言うペンション(ペンサン)に到着。だが、満室でダメ。彼は店の人に別のペンションを聞く。ふたつのペンションを教えてもらい、1つが自分の帰り道なのだが、そちらに行ってみるかと言うので、そちらに行ってみる。

そのペンションに着く前に彼はぼくにちょっとコーヒーを飲みたいんだけどいいか? と聞いてくる。てっきりおごってくれという意味かと思い、ぼくはモザンビークのカネを持っていないと事実を伝えると問題ない、自分が払うと言う。

ぼくはその辺の商店で缶コーヒーや紙コップコーヒーでも買うのかと思っていたのだが、彼はファストフード店っぽい喫茶店の入り口で立ち止まり、中に入る。えっ?と思ったが、試しについていく。中にはいると彼に座るよう席を勧められ、彼はぼくのぶんもまとめてさっさと注文する。

すぐにブツは運ばれてきた。彼はカプチーノ(だっけ?小さいのは)で、ぼくにはコカコーラだった。よりによって炭酸嫌いのぼくにコカコーラとは・・・と思うが、飲まないわけにはいかないのでありがたくいただく。面白いのがコーラと一緒に運ばれて来たコップに氷とレモンが入っていること。氷だけならともかくレモンが入っているのは初めて見た。

飲んでいると彼は携帯電話でおしゃべりを始める。数分しゃべった後、今、恋人と話してたんだと言う。一緒に住んでいるのかと聞くと、一緒には住んでいないが、この12月に結婚する予定があるという。

会計は彼が本当に払った。ランドしか持っていなかったが、払おうと財布を出そうとするが、レシートを見せて2ダラーだからとそれを制す。ありがたくごちそうになる。

飲んだらさっさと店を出て宿探しの続き。すんなりとそのペンションには着いたのだが、なんとここも満室。彼は安いからみんなが泊まりに来ると言う。これらの宿は1泊200モザンビーク通貨(約700円)くらいのよう。

そこでまた彼は別のペンションを聞き出す。今度教えてもらったところは彼の帰路にはないそうで、I'm sorry, but I have to go."と言って握手してお別れ。アフリカに来てここまで親切にされたのは初めて。

彼に教えてもらった宿はそこから100mほどまっすぐ行ったところにあった。部屋の秋があるか聞くとシングルは満室だと言われる。開いている部屋の値段を聞くと450モザンビーク通貨というので、そこまでは出せないなと断る。まったくなんてついていないんだ。

さて、結局、ガイドブックに載っているバックパッカー向けの宿探しに戻ってしまった。ロンプラによれば10ドル以下の宿が2軒あるのだが、現在地からは右と左と正反対の距離にある。右の方がやや近いのだが、ロンプラの紹介文にはしばしば満室と書かれている。数分考え、歩くのが面倒だが左の遠い方の宿に行くことにする。中心部から離れるぶん客も少ないだろうと踏んだのが・・・

さっきのインド人にこれから行く宿がある毛沢東通りに行きたいと言ったとき、4kmくらい離れていると言われてそんなに遠いのかと思って一度は諦めたのだが、改めて地図を見ると1km程度しかない。どっちかが間違っている。ぼくはロンプラを信じ、宿に向かってレーニン通りを歩く。

こちらをちらちらと見る人はいるが、チーノなどと言ってくる人はいない。途中、どでかいごみ箱を漁っていたおじさんが、マイフレンドと言ってカネをくれと言ってくる。が、実際にモザンビークのカネを持っていないので、無視して歩く。

けっこう遠いかもしれないと思い始めてすぐの通りが毛沢東通りだった。手前の小さな通りが地図になかったので、もっと向こうかと思っていたのでラッキー。

宿の番地を確認して、それぞれ敷地の門に書かれてある番号を見ながら宿を探す。そして、それらしき場所に着いたのだが、ヨーロピアン4人ほどがちょうど中へ入ろうとしていた。イヤな予感。ここもまた満室なのではと不安がよぎる。

入り口の門を入ると駐車場があり、そこを通ってさらに仕切られている中が受付だった。その仕切を通り過ぎたとき、恐るべき光景が目の前に広がった。

なんと国境で会ったあの迷惑な団体客が、ここにすでに来ているではないか、しかもみんなビールなどを片手にぎゃーぎゃー盛り上がっている。くそうるさい。

ぼくはこれは部屋はないなと呆然としつつも念のため受付の男性に聞く。ドミトリーがあるかと英語で聞くと流暢な英語で満室だと言う。やっぱり。ハァ~やれやれ、このくそガキどもが、もっと高いホテルにでも泊まりやがれと心の中でつぶやく。

だいぶ日が傾いて来たのに、また来た道を戻って宿探しかと思いつつも、今から移動するのは面倒だなと思い、あたりを見渡す。受付は屋外のバーカウンターにあってそこでやりとりしていたのだが、そのカウンターの向かいなどには屋根のついたテーブル席があった。またキッチンの上にはテントの生地のようなもので覆いがされている屋上があった。それを見て、あそこで眠れないかと思い、男性にあそこに泊まれないと指で指しながら聞くとテントは持っているかと尋ねてくる。

持っていないと言うと、テントは貸してくれてそれで1泊200モザンビーク通貨だという。ぼくは椅子の上で寝られれば良かったので、テントは必要ないと言ってもっと安く済まそうとするが、空を指さしながら彼は今晩は雨が振ると言う。荷物の置き場の問題もあるし、まぁいいかとそのテントで決める。

今はモザンビーク通貨を持っていないと言うと、ランドで良いと言う。ランドでいくらか聞くと2泊で120ランド(約1600円)という。まぁまぁいい値段。でも、同じ値段でペンションに泊まれたことを思うとこの日の不運を恨まずにはいられない。

お金を払うと彼はテント一式を持ち出してきて、屋上にあがり、そこにテントを張る。めちゃくちゃ簡単に張れるものだったので驚く。

そこに荷物を置いて晩飯を漁りに行く。ランドで払ったお釣りがモザンビークのお金で戻ってきたので、それで買い物をするのだ。

近くを歩いてみたが、ファストフード店が一軒とフライドチキン屋が一軒、あとコンビニが2軒ほどあるだけで飯を食えるような屋台がない。がっかり。

しょうがないのでコンビニででかいサイズのヨーグルトを買い、道ばたでパンを売っていたおばさんからフランスパン1本と油で揚げた小さなものを5つ買う。あと街角で12歳くらいの少年がやっていたお菓子の露店でブラジル産とUAE産(だったかな)のクッキーを買う。それぞれ100gくらい入って各約50円ほど。

さて帰ろうかとしたら、店の少年の横にいた別の少年が弟らしい横にいた少年と自分を交互に指さし何やら言う。店の少年に何を言っているのかと仕草で聞くと、一度頭を指さし、その指をくるくる回して頭がおかしいんだというような仕草をしたが、改めて聞くとどうも自分らにクッキーか何かを買ってくれないかと言っているらしいことがわかる。

それでどれが安いか聞くと、店の少年が5モザンビーク通貨と1つを手に取り言うので、それを彼らにプレゼント。20円ほどなら安いものだ。

宿に帰ると相変わらずぎゃーぎゃーうるさい。空いているテーブルでもくもくと買ってきたもので夕食。

小耳に挟んだ話では、このグループは南アフリカやヨーロッパなどの混合らしい。

こいつらが飯を食っている間にとシャワーを早めに浴びる。お湯がきちんと出ることに驚く。

それからテントには明かりがないので、屋内の明るいところで今後のルートを検討。宿にあったモザンビークのガイドブックを見ているとあちこち行ってみたくなる。

そこへ通りがかりのヨーロピアンらしい若い女性がふいにどこから来たのかと聞いてくる。日本だと答え、彼女の出身を聞くとオーストリアからだという。彼女はワークキャンプに参加した後、一人でモザンビークを旅しているらしい。彼女は外で騒いでいる人らをさして、今日は人が多くてやかましいというようなことを言う。激しく同意する。

その後、テントにこもって書き物をするが、暑い。しかも蚊がいた。南アフリカに入って以降、しばらく蚊を気にしなくて良かったのに、まただ。

夜は受付の彼が言ったとおり強風が吹き荒れた。

Fin

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