2008年5月8日木曜日

クスコ到着

08/04/26(土)

•石造りのまち
•観光客の多さに驚く
•ケチュア語を話す人々
•あめ玉を売る少女
•息も絶え絶え

夜中、2時頃、どこかのまちに泊まり、隣の人が降りる。ぼくは窓側に移動。一人で二人ぶんの席を占領できるかと持ったものの入れ替わりに別の人が乗ってくる。

隣に座るなり、にこやかに自己紹介してくるので、怪しいなと思ったが、結局、何もなかった。

外は曇っているようで、星は見えなくなっていた。乗客は寝込んでおり、どこかからいびきも聞こえる。空気が薄くなったせいか、それとも車酔いのせいか、ちょっと気分が悪くなっていることを自覚する。

5時、わりと大きなまちに止まる(たぶんAbancay)。ここで10人くらい客が降りる。そして、また客が乗ってくる。

6時をすぎると当たりは明るくなってくる。7時過ぎ、クスコ県(?)に入る。どうもこの県境(?)には料金所があるのが普通のようで、バスはいったん料金所で止まり、また走り出す。料金所にあった看板には3610mと書いている。富士山より150mほど低いだけだ。

まだまだ曲がりくねりが続くとちょっときついなぁと思っていたが、登りの道もどうもヤマは越したようで、曲がりくねりが少なくなってくる。

やがて山に挟まれた平たく、まっすぐな道に出る。赤茶色の煉瓦造りの家々が沿道に見える。エクアドルのアンデスのように、雲の中なのか朝靄なのかはよくわからないが、真っ白。しかし、すでに人々の一日は始まっているようで、道路の端を牛や馬を数頭連れて歩く人(子どもも含む)や野菜などを運ぶ人、畑に出ている人などが見える。

車内ではトイレに行く人が増える。このトイレのドアがまたなかなか開かないポンコツもので、女の人はまず開けられない。そのたびに、トイレの前の席に座っている男性が気合いを入れてこじ開ける。

しかもちゃんと閉めるにもけっこう力を入れないといけない。たまにちゃんと閉まっていないことがあり、バスがカーブを曲がった拍子にドアが開くということもあった。中にいたおばちゃんは慌てた声で何やら言う。かく言う私も用を足して始末をしているときにカーブにふられ、壁にもたれ掛かったところドアが開いて閉まった。鍵を閉めたつもりでいたが、閉まっていなかったよう。やれやれ。

曲がりくねった道がなくなったことで、気分の悪化は防げたものの、完全に酔った状態にあった。しかも便所のすぐ近くということでくさい。この臭いを嗅いでいると気分が悪くなるので、ぼくは窓を開け、外の空気を求める。

こちらの人は寒がりだから、こういうとき窓が開けられるのは、後ろに人がいない席のみ。つまり、一番後ろの席。それを狙って今回も一番後ろを選んだのだが、これが良かった。外の空気は冷たく、無臭でさわやか。すばらしい。

けれど、冷たさがけっこうきつく、長い間風を浴びていると手などがかじかんでくるから、間をおきながら新鮮な空気を体に取り込む。窓辺に温度計をおいて計ると10度以下になる。雪山も見えているところなので、やはりけっこう寒いよう。

やがて平坦な道から下りに入る。すると眼下にオレンジ色の盆地が見える。キトと同じように取り囲まれている山は木々が少なく、その斜面にまで家が立ち並んでいる。

急に沿道を歩く人たちの数が増える。車が増え、広告看板も増える。

そして、8時半前、クスコのバスターミナルに到着。クスコは一カ所に各社合同のターミナルがあるようで、バスから降り、ターミナルの建物に入るとペルー国内やボリビアに行くバスを走らせているバス会社の窓口がずらりと並んでいた。たぶん20社くらいある。

バスを降りたところからターミナルの建物に入るところにツーリストインフォメーションがあり、感じのいいおにいさんが英語で話しかけてくる。そこでクスコの地図と予定している宿までのタクシー代を聞く。

ターミナル内にはタクシーの客引きが2人いる。行きたいところを告げ、値段を聞くと10ソーレス(約400円)と言う。インフォメーションの人は5ソーレスと言っていたので、断るが近くの広場までで5ソーレスでどうだと言うので、それでOKする。

タクシーに荷物を載せ、走り出す。走り出してすぐに運転手は宿の前までで7ソーレスでどうだと言い出す。こうした後出しじゃんけんはよくあるパターン。が、2ソーレスは100円程度だし、ちゃんと宿の位置も知っているというので、それでOKする。

タクシーはマチュピチュやプーノなどを結んでいる線路をわたり、すぐに石畳のまちなかに入っていく。そして、15分ほどしてなかなかきつい坂を登り、宿前に到着。降りたところには大量の糞がキキキ。足下注意。くさい。

7ソーレス払って、宿に行く。

午前中は、しばらく宿でのんびりする。

午後はまちを見てまわる。う~ん、観光客がめちゃくちゃ多い。基本的にヨーロピアンらしき人ばかり。年輩者も若い人も多い。それからカメラ屋、写真屋が多い。20軒くらいは前を通った気がする。日本と同じようにメモリーカードを持っていけばそこで現像できる機械がある。

道ばたではマテ茶を売っているおばちゃんやパンを売っている人がいる。特に市場周辺は、ゆでたうずらの卵、じゃがいもとゆで卵のセットもの、マテ茶などを売っている人たちが多くいる。

言葉を聞いているとスペイン語で話している人もいるが、明からにスペイン語ではない言葉で話している人もいる。これがどうもケチュア語らしい。

市場はトタン屋根の1階建て。サッカー場くらいの広さがあり、食堂や八百屋、民芸品屋などがある。食堂は20軒ほどあり、肉料理を出す店はえらく繁盛している。その成果なのだろう、店の上には写真入りでメニューと値段を書いた段幕が掲げられてる。値段はどれも5ソーレス以上だから、安くはない。が、食べている人を見ると、なんだこりゃ、というくらいの大盛り。羊か何かの頭がどかんとスープに入っていたり、日本の感覚で言うと三人前くらいある。

ぼくはもっと安そうなセビチェ(魚のマリネ屋)で食事。唐辛子がきいていて痛い。こんなに唐辛子をきかせている店は初めてだ。横では学校帰りなのか、制服を着た男の子がスープを飲んでいる。また、食堂界隈には餌を求めて野良犬がうろうろしている。

腹が一杯になったところで、宿に戻る。

途中、レストランをまわって余りものの食べ物を求めている民族服を着たおじいさんを見る。小さい女の子を抱えて歩道に座り込んでいる女性も2人ほど。

教会の前の歩道を歩いていると路上に小さいものを広げて、座り込んでいる女の子がいた。民族服を着て、顔や手、足は黒くすすけている。アクセサリーか何かを売っているのかと思ったら飴玉だった。いくらか聞くと、弱々しい声で0.1ソルという。3個手に取り、0.5ソルを渡す。

ちょろっと中心街を歩いて見ただけでも路上で物乞いしている人は10人ほどいる。年寄りが多い。おばあさんもいる。

宿までは登り坂。これがなかなか肺に効く。10歩も歩けば、息づかいが早くなり、宿までの200mくらいの坂道を歩き抜いた頃には、息が完全にあがっている。加えて宿に曲がる角には糞が多い。

あとは宿でのんびり。だんだん冷えてくる。

Fin

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