08/05/01
・早朝の路上市
・クスコ警察に拉致られる
・ターミナルの変なねえちゃん
・リャマ、アルパカ、流れ星
ケツが痛くて、何度も目が覚める。車内は暖房も冷房もついていないが、それほど寒くない。だが、みんな用意していた毛布をかぶって寝ている。
4時25分、クスコのキヤバンバ行きターミナルに到着。当然、外はまだ暗い。ぞろぞろとバスから降りる人がいる一方で、バスの中に残っている人もいる。ぼくはバスを降り、運転手にここがクスコであることを確認。
ターミナルにはタクシーが待機していて運転手が降りてきた乗客に”Taxi amigo?"と聞いて回る。気温は低く、吐く息が白い。
いったん外で明るくなるのを待とうとバスを降りたが、乗ってきたバスの中でずっと寝ている人がいるので、またバスに戻る。乗るときに聞いたら6時に別のところに行くらしい。そっちに行く人が乗りっぱなしになっているよう。ならばと6時までバスの車内にいることにする。宿に帰るには早すぎるし、だいたいコレクティボ(乗り合いワゴンルートタクシー)もまだ走っていない。
バスの車内で横になって寝る。
明るくなった6時前、バスを降り、幹線道路沿いに出てコレクティボを拾う。それに乗って中心部に向かう。0.6ソル(約30円)。
中心部で降り、朝の市場の様子を見ようと思い、そちらに向け歩く。時間は6時半頃、Mercado Centralは、まだ開いていない。が、周りにはジャガイモとゆで卵のセットを売る人たちやマテ茶を売る人がすでにいる。
ここから近いもう一つのメルカド(市場)に行く。こちらもまだ建物の門が開いていない。が、その周りの道ばたには、ずらっと野菜を持った人たちが並んでいる。インゲンやカボチャ、人参、キャベツ、凍っているらしいじゃがいもなどなど。
野菜を入れた袋や皮を剥いだ羊らしい肉の塊を背に乗せてそれぞれの店まで運んでいる人もいる。野菜の袋は麻袋だったりビニール製の麻袋(?)だったりするのだが、背負っている量はどれも100kgを越えているんじゃないかと思える量。口を縛った袋の真ん中当たりに強靱な紐をかけて、袋を背に乗せ、体の前でその紐を結ぶ。袋の背丈は運んでいる人の背では間に合わないくらい高く、よってみな前傾姿勢になっている。それも上半身が地面と平行になるくらい体を前に屈め、歩いている。
とにかくみんな背に何かを乗せている。男の人は、野菜や肉を背に背負って運び、女の人も同様にいろ鮮やかな風呂敷に葉物の野菜を入れていたり、子どもを背負ってたりする。
一帯を一回りし、さらにもう1回同じところを通ってみると、さっき葉物を売っている人で一杯だった路上から人がいなくなっている。もう商売を終えたのかと思っていたら、なんてことはないその通りの端まで行くと黒に近いネズミ色の制服を着た警官たちが、路上から立ち退くようせっついているところだった。それで、どうもこの朝市は違法らしいということに気づく。
警官の一団の脇をすり抜け、朝飯に何か食える物を探していたら、道ばたでチューニョというインカ時代から食べられている乾燥じゃがいもをゆでたものと魚のフライを売っている人がいた。
道ばたに立って、おばちゃんが"Hay chunyo,pescado"と言っている。だが、その人の足下には風呂敷に包まれた何かがあるだけで中は見ることができない。ただ、その人の周りで皿に盛られたじゃがいもなどを食べている人がいたので、ここですぐ食べられるものを売っているのだとわかった次第。
一皿頼み、食べる。チューニョは相変わらず味のないジャガイモって感じだ。魚のフライは塩気がきいていてちょうどいい。それにレタスとトマトのさらだもついている。フォークなどはないので手で食べる。料金は1ソル(約50円)。
もうすぐ食べ終わろうかという頃に、警官の一団がここにもやってきた。それをちょっと早くに察知していたらしいご飯売りのおばちゃんは、風呂敷で中身が見えないよう、つまりこれは売り物ではなく、ただの荷物だというふうに隠してはいるが、周りでぼくのように皿を抱えて食べている人がいるからすぐにわかってしまう。おばさんも皿を返してもらわずにはすぐには移動できないから、そこから動けない。
なので、警察はそれが売り物だと用意に気づき、持っていくぞって感じで風呂敷をつかまれ、持っていかれそうになったりしている。警察の態度はそれほど強権的ではないが、早く退かせようという意志ははっきりしている。ある警官は、笛をぴっぴと鳴らし、路上の物売りの人にセニョーラ、セニョールと声をかけ、退くように言っている。
ぼくは魚を口に含んだままカメラを取り出し、その様子をパチリと撮る。
食べ終え、警官にせっつかれているおばちゃんに皿を返し、さぁて、もうちょっと見て回るかと思って歩きだそうとしたら、警官に呼び止められる。
そして、警官二人が乗っていたトラックの荷台に乗るように言われる。そのトラックは牛を運ぶときに使われていそうなトラックで、この人等(警官の一団)はこれに乗って移動しているよう。
深刻そうな顔をして乗るように言うので、さっき写真を撮っているところを見られたのかと思う。国によっては警官などを撮ると写真を没収されるところがあるので、もしやそれかもしれないとやや不安になる。
しかし、逃げるようなことはできないので、言われたとおりにトラックの荷台に乗る。路上の物売りに対する”
指導”を終えた警官たちが次々と乗ってきて、年輩の警官がスペイン語でここは危険だと言う。他にも何か言ったがよくわからない。別の女性の警官がそれを訳してか、補足してか、英語でここには”Bad man”がたくさんいると言う。
それから宿はどこかと聞いてくるので、アルマス広場の近くだと言うと、そこまで乗せて行くからというようなことを言う。どうもぼくは危険地帯で保護された外国人という立場になっているよう。
揺られながら荷台に乗っている間も、カメラやリュックなど持ち物にはよく気をつけるように言われる。案じていた写真の没収などはなし。
広場近くの交差点まで行ったら、そこで降ろされRV系のパトカーに乗せられる。早く解放してほしいなと思いつつ、言われたとおりに乗り換える。するとパトカーは宿の方には向かわずに、さっきトラックに乗せられたところにいく。そして、助手席に座っていた年輩の警官はぼくにどこから乗せられたのかというようなことを聞く。その他、どこから来たのか、これからどこに行くのか、ペルーの滞在日数はどれくらいなのかを聞かれる。
広場まで乗せてもらい、そこで降ろされる。そして、その年輩の警官は、十分注意するよう言い、何かあったらこうやって、と空手のマネをする。あまり様(さま)になっていないが、まぁ、いい。
ぼくはとりあえず礼を言い、さてどうしたものかと思う。まだ時間は7時前。これでまた市場に行ってまた警官に見つかったら変なことになるかなとも思い、それは辞め、宿の裏手の高台に行く。
そこからは朝日に照らされた街が一望できる。坂を登っていくと、なぜかこれまでのようには息が切れない。歩くスピードが遅いだけか、それともこの1~2日で体がなれたのか。
8度まで下がっていた気温も徐々に上がりはじめ、気持ちよい冷たさになっている。高台には教会があり、その前は小さな広場になっている。広場まで登ると太極拳をしているヨーロッパ系のおばさんが一人。初心者なのか、姿勢がなっていない。体も固いのか動き全体に柔らかさがなく、キリッとした動きになっていない。
なんて、勝手に評価しながら、ぼくは広場にあった石のベンチにごろりとなる。しばらくボーとする。
広場には観光客らしいヨーロピアンが数人登ってくる。地元の人らしいおじさんがランニングをしたりしている。若い子も景色を見ながらおしゃべりに興じている。
8時前になって宿に戻る。宿の人に今日、出ることを伝え、預けていた荷物を受け取る。出発前に顔なじみになった同じ宿泊客とちょっとおしゃべりし、情報ノートにマチュピチュへの行き方を書く。
そして10時前に1泊7米ドル(または20ソーレス)の代金を払い、宿をチェックアウト。
アルマス広場で声をかけられたタクシーに乗って、バスターミナルへ。運賃は3ソーレス(約140円)。来るときは7ソーレス払ったから、実に倍の運賃を払っていたのだと気づく。
運転手は気のいいおじさんでいろいろ話しかけてくる。どこから来たのか、ペルーにはどのくらいいるのか、ペルーは他にどこに行ったのか、フジモーリを知っているか、サッカーは好きか、サワという日系人らしいサッカー選手を知っているか、日本でもクイ(大型ネズミ)を食べるかなどなど、乗ってから着くまでしゃべりっぱなし。
15分ほどでターミナルに着き、さてどの会社のバスに乗ろうかと各会社の窓口を見回す。入ってきた入り口近くにあった窓口の若い女性が、声をかけてきて半ば強引にチケットを買わせようとする。値段を聞くと15ソーレス(約500円)というので、それならいいかと乗客名簿に名前を書こうとする。
するとそのとき彼女は、運賃は20ソーレスと言い出す。今、15ソーレスと言ったばかりなのにと思い、聞き直すと15ソーレスと言い直す。意図的に20と言ったのか、間違えてそう言ったのかはよくわからない。
彼女は、チケットに行き先や発車時刻、ぼくの名前などを書く。ぼくは12時か13時発のに乗りたかったのだが、発車時刻は11時半となっている。もっと遅いのがないか聞くとないという。どうしようかと迷っていたら、それを見ていた彼女はキャンセルされるかもと思ったのか、チケットの発車時刻を書き換える。書き換えられた時刻を見ると11時45分。これって、11時半のバスの実際の発車時刻ってことじゃないのか、と思うが、まぁ、いいかと妥協。
荷物を窓口に預けて、いったん街に戻る。街に戻るときはターミナル近くの道を走っているコレクティボ(乗り合いワゴンルートタクシー)に乗る。運賃0.6ソル。
今朝、USBメモリースティックがないことに気づき、一昨日行ったネットカフェに行ってみる。万が一の奇跡を期待したが、やはりそこにはなかった。それからソルが少なくなっていたので、路上の両替のおばさんに声をかけ両替。レートは1米ドル=2.82だった。まぁ、悪くはない。
それでまたタクシーを捕まえ、ターミナルに行く。
窓口でリュックを受け取り、乗車場に入る。ここでも入場料のようなものが必要で、そのシールを売っている窓口で1ソル(約50円)を払ってチケットにシールを貼ってもらい、入り口の係員にそのチケットを見せて乗車場に入る。
バスは2階建てのバス。例のごとく、フロントガラスには1~2本縦にひびが入っている。
リュックを預け、バスに乗り込む。乗客は地元の人がほとんどで観光客はぼくの他に5人ほど。エアコンもないし、テレビもあるけど壊れているっぽい。座席の革張りはすれて一部破れているところもある。
窓際の座席を確保できたので、窓を開け、出発を待つ。さっき話しかけてきたおじさんは、今日は”Mucho Carol(とても暑い)”と言うが、気温は23度。暑くはない。
バスは予定通り?11時45分過ぎに発車。南に走る。
ぼくはしばし昼寝。2日連続のバス泊だったが、それほど眠気もなく、疲れもない。昼寝も1時間程度で目が覚める。
バスはまだTiponのあたりだった。一昨日通ったTiponの通り沿いのクイ屋(Quyeria?)さんには、今日は祝日なのか、ずいぶんなお客さんが入っている。
日干し煉瓦を作っている人たちやトウモロコシの収穫をしている人たち、鍬で畑を耕している人たちが車窓から見える。トウモロコシを収穫した跡の畑には牛や馬などが放牧されているから、それで地力を保っているよう。
相変わらず山には木はなく、てっぺんまで牧草地のような様相をしている。
バスは山に挟まれた畑の中の1本道を走る。プーノまで続いている線路が脇を走り、豊かな水量の川も蛇行しながら傍らを流れている。
集落が現れては、また一面畑になりという景色の繰り返し。見える家家は煉瓦造りの赤の強いオレンジ色をしているものが多い。
時折、乗客を降ろしたり乗せたりするために止まるまちでは、バスが止まった途端に窓の下からおばさんたちの声が聞こえてくる。ペットボトルに入ったジュースを売る人やトウキビの粒を売る人、ゼリーを売る人やパンを売る人がバスの周りに来て、それぞれ声を出して買い手を探している。
バスは2階建てのため、2階席に座っている人はおばちゃんたちとは手が届かない。そのため、買うときにはおばちゃんに下から放ってもらい、代金は上からポトンと落とす。
15時頃、ようやく道ばたの看板にPunoの文字が出る。Punoまであと208km。
この辺りになると羊の群れをよく見るようになる。ただ、そこに羊の群れがいるとは、ずっと窓から外を見ていてもすぐにはわからない。というのも、羊の体の白に近い薄い灰色が放牧されている大地の枯れ草(のように見える)の薄い稲藁色と混じって判別がつきにくいのだ。
牛や羊の放牧はしばしば見るが、リャマやアルパカの放牧はこれまでほとんど見ることはなかった。この日も、ずっと窓を開けて外を見ていたが、なかなか現れない。
やっと15時半頃になって、リャマの群れを見るようになる。アルパカはあまりいないが、時より塀の中で飼われているのは見た。ナスカで見たアルパカよりも、なんだかすすけて見える。
それからまたまちにバスは止まる。例のごとく物売りのおばちゃんたちが集まってくる。カップ入りのアイス売りのおばちゃんがいて、ぼくの4つほど前の席の人が一つ頼んだ。代金は50センターボ(0.5ドル)。おばさんは右手にアイスを持ち、下から上へアイスを放り投げる。うまく客のところまで届いたが、ここでバスが動き出した。おばさんは代金を受け取るために、バスと一緒に走り出す。だが、その客は1ソルのコインしか持っていないと言って、代金を払わない。おそらく今、おばさんに1ソルのコインを落としてもお釣りがもらえないと判断したのだろう。それにしても、えーっ!だ。
おばさんは50mほどバスと併走したが、バスのスピードが上がったところで諦めてしまった。代わりにぼくが払って後からその客から徴収する手もあったなと思う頃には、すでにおばさんは遠くなっていた。
17時をすぎると日が傾いてきて、半頃には進行方向右の空が赤くなり始める。そして山の向こうへ沈んでいった。
ちょうどその頃、これまでの中では大きなまちに入る。そこで何人か客を降ろす。そこで久々に見たのが、人を運ぶ3輪自転車。前が2輪で後ろが1輪。前に客を乗せるタイプで、バスはそれらを追い越しながら走る。これだけ普通に走っているのを見たのは、エルサルバドルとニカラグアの国境などの特殊地域を除けば、キューバ以来じゃないかと思う。少なくとも南米に入ってからは見ていない。
3輪のバイクタクシーもたくさん走っているが、これはペルーに入って以後、小さなまちではよく見るものだ。
日が落ちると、外の空気が冷たくなり、風にあたり続けるのがややつらくなる。
18時にはすっかり暗くなり、空に星が見え出す。アンデスでは他で見るよりも星の位置が低いように感じる。上を向いて眺めなくても横を見ると星が輝いている。オリオン座が右手に見え、それをずっと眺めていたとき、突然強い光を持ったものがオリオン座を斜めに横切って消えた。
これまで流れ星は、なんとか流星群が見えるときに数度見たことがあったが、そのとき見た流れ星は本当にほんの一瞬だった。だが、今、見えた流れ星は1~2秒ほども間左上から右下へと流れ、消えた。こんなに長く見えるものもあるのか?
外が暗くなり、風が冷たくもあるので、窓を閉める。バスは盛んに小さく揺れながら走る。舗装はされているものの路面はがたがたのよう。
やがて丘のようなところを登り、下り坂に入ると、突然眼下にたくさんのオレンジ色の光が見える。やっとPunoに着いたよう。沿道にはInternetと書いた看板が10ほど次々と見える。
坂を下り、いくつかの角を曲がり、バスはターミナルに到着。ここもクスコと同じく1カ所に各社合同のバスターミナルを持っているよう。
バスを降りて、リュックを受け取る。ターミナル内にはこれから移動するのか観光客の姿がちらほら見える。すぐに女性が寄ってきてホテルを探しているのかと聞いてくる。値段を聞いてみると20ソーレス(約900円)。その値段では泊まらないと断ると15ソーレス(約700円)の部屋もあると言う。だが、予算は10ソーレスだし、言ってきた宿はどれも市街地なので、断る。
どうせすぐに移動するので宿はターミナル近くがいい。タクシー代もかからないし、一般に宿代も安い。
ターミナル内のバス会社の窓口でボリビアのラパス行きのバスを調べる。運賃はだいたい20ソーレスらしい。
それからターミナルを出て歩いて宿を探す。だが、探すまでもなく、"Hospedaje"という宿の文字を書いた看板がすぐに3つほど見える。そのうちの1軒に行くと、ドアを開けたフロントらしきところには10歳前後の女の子が3人いて、そのうちの一番大きな子がにこっとして"Passe,passe"と中に入るよう言う。
中にはいると母親らしい女の人が外から戻ってくる。一泊の宿代を聞くと10ソーレスと言うので、即決。そのおばさんは、女の子に鍵を持ってくるよう言って、それから302に案内するように言われる。
女の子の後をついて奥の階段を上がる。302号室には2段ベッドが1つと普通のベッドが1つあり、合計3人が泊まれる部屋だった。トイレとシャワーは廊下にある。最近新しくしたのか、とてもきれい。
ぼくは晩飯を食いに外に出る。女の子に近くにレストランがあるか聞き、教えてもらった方に行く。ターミナルの灯りがあるから、だいぶ明るく感じるが、道を一本隔てるとけっこう暗い。
宿の周りで開いている店は10軒ほどで1軒はじゃがいもと鶏の唐揚げを売っている屋台のようなところで、2軒は食料雑貨店兼飲み屋。あとはレストランが4軒ほどとネット屋。
水を買おうかと一軒の食料雑貨店兼飲み屋に行くと、おじさんたちが4人ほどでビールを飲んでいた。店主はどっかに行ってるようでいない。飲み屋と行っても6畳ほどある店舗内の右半分に1つテーブルがあるだけ。
もう1軒もおなじ作りのようだったが、そこにはあふれんばかりに人が集まっていた。といっっても15人くらいだが。
ぼくはドアも何もない開けっぴろげなレストランに入る。メニューは1つしかないようで、入り口付近にいた女性が”Cena(セナ)?"というので、なんだかわからないがうなづいてそれをもらう。
まずはスープが出てくる。米粒の入ったスープでジャガイモを縦に切ったかけらやセロリやカボチャの小さなかけらも入っている。次に出てきたのが、部類で言えばカレーみたいなもので皿の半分に白米が盛られ、半分に小さく切ったジャガイモや人参、それから牛か何かの内臓の一部などを炒めて煮たような汁がかかっている。味はカレー味ではない。塩味が基本で、塩気もちょうどいい。これでお代は1.5ソル(約70円)。安いなぁ。店内には10人ほど客がいて、テレビではドラマをやっていた。
それからネット屋に行く。珍しくおじさんが経営している店で、1時間1ソル(約60円)。パソコン本体は持ち出されないよう、木枠の中に入れられている。日本語を読むことができ、速い。隣では10代くらいの男の子がゲームに興じていた。
21時頃宿に戻る。シャワーを浴びようと思ったが、お湯を使うには3ソーレス払わないといけないらしく、諦める。顔を洗い、タオルで拭くとタオルに黒い跡がつく。マチュピチュに行ったときに乗った砂埃を巻き上げながら走る車の中で窓を開けていたから、そのときにかぶった砂埃などのせいだろう。
部屋にはエアコンも何もない。毛布をかぶっていないとやや寒い。12時前には寝てしまう。
Fin
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