2008年5月8日木曜日

リマからナスカへ

08/04/24(木)

•進まないバス
•やっぱり砂漠ときどきまち
•ナスカで”トモダーチ”
•ガン ジャ de ナスカ

朝目覚めたのは5時過ぎ。同室の人が目を覚まさないように静かに荷支度をして、フロントに行く。

2泊分の宿代26ソーレス(約1100円)を払う。ターミナルまで歩いていくかバスで行くか、タクシーで行くかまだ迷っていたが、フロントの人がタクシーが必要なら外で待っているのに乗れという。値段を聞くと8ソーレス(約400円)ということで、またこの宿と関係ができているタクシーなら信用できるだろうとタクシーで行くことにする。

結果的にタクシーに乗ったのは正解だった。というのも、まず7時前だというのに、人通りがほとんどない。さらに日中はあふれんばかりに走っているバスやコレクティボがまったくいない。リマの朝が遅いのか、たまたま中心部だからこうなのかよくわからないが、とにかく幹線道路沿いにも人気がほとんどなかった。

朝早くから活動している強盗はあまりいないと思うが、人気のないところを歩いていくのは首締め強盗に会う危険性にさらされるから、タクシーでよかった。ちなみにこの首締め強盗は、数人で後ろから来て、柔道用語で言う「落とす」らしい。例えば、1人が首を絞め、残りの2人が片方ずつの足を持って引っ張る。そうすると”うまい”強盗に会うと一瞬で意識をなくすらしい。そして、気がついたら身につけてた貴重品はすべてなくなっている。外務省の安全情報にもそういう被害があったとあった。

信じられないほど空いている道をタクシーはスイスイ走り、アッという間にターミナルに着く。バスは1日数本あったが、8時のバスに乗ることにした。

ターミナルの入り口には、湯気を立てている飲み物屋やハンバーガー屋などの屋台が10軒近くあって、すでに商売を始めている。ターミナル内には、特別に許可を取っているのか、1軒だけ飲み物屋の屋台があった。

窓口に行ってまずチケットを買う。30ソーレス(約1500円)。これは昨日聞いて回った中では安い方だった。座席を窓際にしてもらう。

8時までは時間があるので、屋台で朝食。ハンバーガーは10種類ほど種類があるが、いずれも挟まれているのは単品だけ。例えば、焼いた肉ならそれが一枚、アボガドが一枚といった感じ。値段は屋台によって若干違うが、0.7ソル~1ソル。

それから湯気を立てている飲み物屋があってそこもけっこう客が入っていた。そのうちの一軒では、店のあんちゃん(まだ20代くらい)が、幅の広いとげとげのついたサボテンの葉のようなものを片手に持ち、その葉の表皮を剥ぐ。そこには薄く白い透明のプルプルしたゼリー状のものがあって、それを、あんちゃんは手に持ったスプーンでかき回し、スプーンを高く上にあげて伸ばす。どこかで見たことのある植物なんだがと目の前の植物の名がなんだったか頭の中をかき回す。

数秒たって、思い出した。これはアロエだ。バスに乗っていたとき、畑にこれと同じ葉を見たので、もしかしたらあれらはアロエ畑だったのかもしれないと、今頃思う。

女の人が注文していたその飲み物をぼくも注文する。値段は1ソル。あんちゃんは、またアロエの葉を取り出し、表皮を剥き、果肉(?)をスプーンでかき回し、伸ばす。そうしてある程度とろとろになると、まずはコップ(瓶製)に屋台の真ん中にあった寸胴に入っている液体を入れ、それをまず飲むよう勧める。受け取って飲んでみると、これが苦い。ウコン茶にドクダミを加えたような味で、クイっとは飲めずちびちびやっとこさ飲み干す。

そしてそのコップをあんちゃんに返すと、そこに溶いたアロエと何が入っているのかわからない瓶から数敵なにかのエキスを入れ、別の寸胴から熱い液体を入れ、飲み物を作る。

それはさっきのとは違って甘みのある飲み物だった。すいすいと飲み、最後にこれは何だというと、屋台に書かれていた文字を指す。ちゃんと見ていなかったが、屋台には”Mediccina Natural"とあり、スペイン語でアロエは何に効くといったことが書かれていた。

もう1軒、繁盛している飲み物屋があったので、そこも行ってみる。そこもコップ1杯1ソル。だが、飲み物の中身はさっきのようなものではなかった。店の人にこれはなにかと言うと、”??de Quinua(キヌア)”といったこと言い、付け加えて"Desayuno(デサユーノ:朝食)と言う。なので、こちらはこちらの人が朝飯として食するものらしい。飲み物は白く濁ったもので、確かにキヌアが入っていた。日本でも一部の店でキヌアという穀物は売られているから、見たことがあったし、食べたこともあった。

その店では例の質素なハンバーガーも売っていたので、ハンバーガーとそのキヌアのスープ(スープというには動物系の出汁の味はいない。どちらかというと粥を飲んでいる感じ)を食べる。

時間までは、持ってきた本を読む。

8時前女の人からA5版よりも小さなチラシをもらう。その人はターミナル内にいる客にそのチラシを配ってまわっていた。チラシを見ると、ターミナル2階にあるレストランの宣伝で、どういうメニューがあるかなどが書かれていた。ターミナル内にはお菓子などを売る売店もあったが、まだ開いていない。全体的に暗いので、レストランがあるとは思っていなかった。こうして宣伝しないと客が入らないのか、それともこうすることが客の増加につながると知ってやっているのか。

こうしたチラシ配りというのも、一つの社会を見るときの目印になる。キューバではもちろんこんなチラシを配っている人はいなかった。グアテマラでも本屋でポストカードを買ったときにチラシがついてきたが、まちで配ってるようなことはなかった。コスタリカのサンホセの歩行者天国で、こうした宣伝チラシ(ぼくが受け取ったのは家庭教師のチラシだった)を配っていたのは印象に残っているが、その他の国ではそういうことはなかった。チラシがこれだから、もちろんティッシュなど配っているわけがない。

出発時間が近づいてきたので、荷物預け場に行き、荷物を預ける。荷物の識別カードをもらい、乗車場に行く。ここでは入場料などはない。この会社だけのターミナルだからだろう。

8時過ぎにバスへの乗車が始まる。10分ほど出発予定時刻を遅れてバスは発車。

バスに乗ると添乗員らしいおじさんが前にたってしゃべり始めた。会社の制服は着ていないし、こんな安いバスでこうしたアナウンスみたいなのがあるのは珍しいなと思っていたら、そのうち数字とソルという言葉が出てくる。窓の外を見ていたぼくはそれを聞いておじさんを見ると、おじさんは手に本みたい名なんかよくわからないものを持っていた。どうもこのおじさんも物売りのためにさっきからしゃべっているようだった。なかなかよくしゃべるおじさんで、発車してから40分くらいずっとしゃべり続けていた。

バスはとにかくトロトロ走る。なんでこんなに遅いんだと思っていたら、走り出して1時間もしない8時50分にバスは道ばたに停まってしまう。なんだなんだと思うも、乗客もあまりバタバタしていないから、そのうち走り出すだろうと待つ。

バスは10分たっても20分経っても発車しない。30分以上経過した9時35分、バスはようやく走り出すが、この会社の郊外にある事務所の前でまた停まる。

新しい客を乗せるだけかと思ったら、またずっと停まっている。えらく長い間停まっているなと思ったら、乗客がみな降り出す。なんだなんだとぼくも手荷物を持って降りる。バスを降りて乗ってたバスのフロントを見ると、出発時には1本しかひびが入ってフロントガラスが、石でもあたったようにある1点を中心に放射線状にひびが入っていた。停車の理由はどうもこれらしい。

バスから降りると、後ろから同じ会社のバスがやってくる。が、グレードは低い。どうもこれに乗り換えらしい。

バスを乗り換える。さっきと同じ窓際の席に座ると、なぜか新しく乗ってきた客にそこは自分の席だと言われる。おかしいなと思って、窓の上の座席の番号を見ると、窓際だったぼくの番号は通路側になっている。バスを乗り換えたことで、座席番号の配列が変わったらしい。

これではターミナルに早く行って窓際をとった意味がない。なので、ぼくは座席番号を無視し、どうせ人は乗ってこないだろうと一番後ろの窓際の座席に座る。これはこれでだ丈夫だった。それにしてもバスのグレードが下がってもいいからせめて同じ配列のバスをよこせよなと強く思う。

結局、バスが走り出したのは10時20分。実にリマで2時間も時間をつぶしたことになる。

乗り換えたバスはおんぼろだけど、きちんと走る。1時間もしないうちに太平洋が見える。

12時過ぎ頃にはPisco(ピスコ)というまちを通過する。この町中を通過するときには、ワインの瓶を店頭に並べている店を多く見た。そして、まちをすぎるとブドウ畑がずらり。ときおり日本で一般的な棚を作ってそこに蔓をはわす栽培方法をとっている畑もあったが、基本はヨーロッパのワイン産地のような縦に張った紐などに蔓をはわす方法が採られていた。

ぶどう畑の他に目に付いたのが、綿花らしい畑。白い綿状のものがそばのような植物の先っぽについていた。

この辺りになると、リマでは見なかった三輪バイクがよく走っている。通り過ぎる家家は日干し煉瓦でできているものが多いが、どこかの遺跡のように最初は角張っていただろうところが風化したように丸みを帯びている。中には人が住んでいるかどうかわからないようなぼろぼろの家もある。砂漠が近いこともあるのだろう、全体的に埃っぽい。

13時35分、Ica(イカ)という地域(県)に入る。14時半前、バスは昼食休憩のためレストランの駐車場に入る。駐車場には2m以上ある鉄の門があり、バスが入るとその門は閉じられた。レストランに行ってみると高かった。どれも10ソーレス(約400円)以上する。

外に出れば安い屋台があるだろうと思って、門のところまで行ったが、完全に閉まっていてでれない。同じ事を考えていたらしい、一緒のバスに乗ってきたおじさん、おばさんがぼくが開けようとしているのを見て、開くか?と聞いてくる。

開かないと答えたが、彼らは自分で試し、やはり開かないことを確認する。なので、休憩が終わるまで駐車場内で待つ。

たいていの客が昼食を終え、バスの周りに集まってきた。しかし、運転手はまだ来ない。数分してバスのドアが開く。席に座り、発車を待つが、なかなか発車しない。

もう一台、バスが駐車場に入ってくる。さっきちょっと話したおばちゃんたちは、こちらのバスから荷物を取り出している。どうもここで乗り換えのよう。

なかなか発車しないバスにいらだった一人の乗客が、大声で"Vamos(行こう:発車しろ)"と叫ぶ。それに促されてか、別の客が早く出ろと口笛をピーッ鳴らし、さらに別の客が床をどんどん蹴って大きな声で"Vamos(行こう:発車しろ)"と言う。みんなのんびりした人たちなのかと思っていたが、そうではなかったらしい。だいたい2時間は確実に遅れているから、みんなもさらに遅れることは嫌なよう。

運転手はなにやら言い返しているが、湯時が終わったところでやっと出発。

砂漠ときどきまちを繰り返し、ナスカには16時45分に到着。ここで降りたのはぼくだけだった。バスの周りにはジュースやハンバーガーを売りに来た子どもやおばちゃんたちが10人ほど群がり、それぞれ声をあげる。客がのっている席は2階席くらい高いところなので、手渡しでは届かない。そのため、ジュース売りの子らは長い木の枝の先に、器になるような形でペットボトルを半分にきったものをくくり付け、その器代わりのペットボトルの器に商品を入れ、窓際まで上げている。

バスを降り、リュックを背負い歩き出す。幹線道路沿いで降ろされたので、宿があるまちなかまでは少し歩かなければならない。

歩いているとおばさんが話かけてきて宿を探しているのかと聞いてくる。手には宿のチラシを持っていた。そのうちの1軒に泊まる予定だったので、そのチラシをもらいおばさんとは別れる。

ちょっと歩くとまた別のおばさんが話しかけてきて宿について聞く。適当にあしらっているとそのうちどっかに行ってしまう。中心街に向かう通りにはバス会社が4つほどあったので、そこで明日乗るクスコ行きのバスの発車時刻と値段を聞いて回る。

それから宿に向けて歩く。その通りには地上絵を見るための飛行機ツアーを扱うエージェントの店がずらずら並んでいて、表にいくらか書いてある。

そのうちの一軒の前を通ると、表に出ていたその店のおじさんが、”トモダーチ、ココ ニホンノガイドブックニノッテル”などと言って、店内に引き込もうとする。うっとうしいし、何より”トモダーチ”という言い方に違和感を感じたので、さっさと無視して通過。

”トモダーチ”ってあんた使い方がおかしいやろ、と思っていたら、続けざまにすれ違う人や道ばたでアクセサリーを売っていたラスタの格好をしているにいちゃん、さらには車で通りすがりの人に”トモダーチ”と言われる。やれやれ、面倒なところに来てしまった。

宿を探して歩いていたら、向かいから来た車が横で止まり、やはり"トモダーチ”とこっちに呼びかける。そして、宿はあっちだからと教えてくれる。その人はアメリカの青春ドラマに出てきそうなヨーロッパ系のにいちゃんでたぶん20代前半。なんで宿のことを知っているんかなと思っていたら、関係者だったようで、宿にチェックインした後、ロビーに彼がいた。

1泊10ソーレス(約400円)のドミトリー(6人部屋)に泊まることにする。ドミトリーは2階の屋上に取って付けたプレハブのような建物だった。2人部屋などは埋まっているようだったが、こちらのドミトリーにはぼくの他に一人しかいなかった。部屋には鍵もないし、貴重品を入れるためのロッカーもない。多少不安はあるが、1泊だけだからと運を天にまかせる。

それからさっき通ってきた通りに戻り、明日の飛行機の手配をする。3軒ほどまわったところ料金は40~45米ドル。いずれも7時過ぎにオフィスに行き、そこから飛行場まで送迎があるとのこと。代金は送迎代も含んでいる。

ぼくはあまり客引きをしていない感じのよさそうなエージェントで手続きをする。英語とスペイン語混じりで窓口の若いあんちゃんとやりとりする。朝は宿まで迎えに来てくれるという。

その後、晩飯を食べにまちを徘徊。もうすぐ日が暮れるということもあってか、店じまいを始めているところが多い。エージェントなどがある道から1本南の通りに屋台などが出ている。鉄板で肉を焼いているところで、まず食べる。焼かれている肉はどれも内臓で、それにじゃがいもなどが付けられる。

量は少なめだったので、もう1軒食堂に行き、適当に料理を頼むと、出てきたのは、卵焼きに白米、ゆでたばななという炭水化物系だけと言ってもいい料理だった。しかも飯の量が多い。

もう少し歩いてみるとえらく繁盛しているパパスフリート(フライドポテト)兼鶏の唐揚げ屋や、スープなどを出している屋台もある。屋台の料理は炭水化物系と肉が多い。魚はまったくない。

中心の広場には人がベンチに座っておしゃべりしている。夜でも外を出歩いている人はけっこう多い。

宿に戻って、自分のベッドでのんびりしようかと思っていたら、さっきのトモダーチのにいちゃんがやってきて、やはりトモダーチと声をかけてきて、こっちに来ないかと言う。

屋上にはドミトリーの堀立小屋の他にベンチや椅子、テーブルなどがおかれており、そこで10人くらい集まってわいわいすることはできる。

ちなみに道路を挟んで向かい側のビルの2階にはトレーニングジムがあって、窓が開いているから中でフンフンと頑張っている人の姿が見える。

そのテーブルなどがあるところに行くと、彼の他にイングランドから来たというやはり20代前半くらいの金髪青眼の男二人組がいた。一人の方はかなりスペイン語ができるようで、ぺらぺらとスペイン語でしゃべっている。下からもう一人女の子(20代前半くらい)が上がってきてテーブルに加わる。

で、何をするかと思ったらポーカーかなんかのトランプゲームだった。それもカネをかけて。5ソーレスや10ソーレスだったが、たまに20ソーレス(約1000円)をかけたりしている。一緒にやるかと言われたが、やったことないゲームだったし、カネがもったいないので、ぼくは脇でずっと見ていた。

そのうちトモダーチのにいちゃんが、乾燥した草と薄い紙を取り出し、草をもみ崩し、たばこのように紙に巻く。イングランド人も同じようにする。吸い出したのはガンじゃ(つまりはマリファナ)で聞くとペルー産のものらしい。イングランド人にどこで吸い方を覚えたのかと聞いたら、イングランドと言う。

スペイン語でしゃべっていたので、詳しくはわからなかったが、このトモダーチのにいちゃんはマリファナの売人をしているか、そういう世界のことをよく知っているようで、リマでマリファナ何kgがいくらだというような話をしていた。

下にいたスタッフらしき人等も上がってきて輪に加わる。賭事用のカネがなくなったところで、イングランド人は抜け、あとは地元の者ばかりでゲームを続けていた。

その間、上がってきたスタッフらしき若い男のうち一人にフジモリ元大統領のことをどう思うかと英語で聞かれる。ぼくはほとんどフジモリについては知らないので、そのように伝えると、彼はフジモリはマフィアだと言った。

ぼくは22時過ぎまで端でつきあい、人数が膨れたので適当にベッドに行った。

Fin

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