2008年7月7日月曜日

最悪の一日 --道路封鎖、そして雨

08/06/13(木)

・サンファンへ
・無駄な乗り換え
・道路封鎖
・雨に濡れて

曇り。雨は降っていなかった。9時過ぎに宿をチェックアウトし、リュックを背負い向かいのターミナルに行く。

ターミナルの入り口付近には各会社の客引きがいて、”アスンシン、コチャバンバ、スークレ”などと声をかけてくる。一人の若い男の客引きがどこにいくのかと聞いてくるので、サンファンだと言うと、こっちに来いと自分の会社の窓口に連れて行く。そして、壁に貼られている南米の地図を使って、ここだろとアルゼンチンのメンドーサを指さす。メンドーサにサンファンという地域があるらしく、彼はそこだと思ったらしい。危ない危ない。ボリビアのサンファンだと言うと、な~んだ、という顔をする。さっきまでの愛想のいい顔は一気に消えてしまった。

とにかく中南米は同じ名前の都市や地域が多いからこういうことになる。同じ国内でも同じ名前の地区や道路があるから始末が悪い。こうして移動していると、ちっとは他の名前を考えろよなと思ってしまう。

ターミナルの裏側の乗り合いタクシーの乗り場に行くと、そこにも客を待っている運転手がいた。声をかけてきたので、行きたい場所を言うと、このタクシーでも行けるというので、当初の予定とは違う行き先のタクシーだったが、乗ってみる。

運転手の男は30代くらいの人で、日系人に知り合いがいるらしく、Okinawaにいる知っている人の名前をいくつか挙げる。そしてサンファンにも日本人がいっぱいいるというようなことを言う。

乗客がこの間と同じようにぼく一人だったため、また乗り換えかと思っていたら、そのとおりだった。オデッセイタイプの乗用車でリュックが荷台に積めず、屋根にくくられる。乗ってきた車の運転手が、新しい車の運転手にこちらを見ながらいろいろ話していたので、ぼくの行き先を伝えているものと思っていたのだが、のちにこの運転手がモンテーロに就いてから、ぼくにどこに行きたいのかと聞いてきたことで、まったく引き継ぎされていなかったことを知る。よくあることだが、なぜこうしたことが慣習になっているのかが不思議だ。

運転手に改めて行きたいところを告げると、その先にTrufi(乗り合いタクシー)の乗り場があるからと教えてくれる。そこに行くと、若い女性がいて、今は車がないからそこで待っててと言われる。

どうせ何10分も待たされるだろうからと思い、近くに面白そうなところがないか歩いてみる。車が通ってきたところは、工具や携帯電話、薬を売る店が並んでいるだけ。昼も近かったから飯でも食おうかと思ったが、適当な店もない。

他に行く方法がないかとバス停らしきところで、聞くとmototaxi(バイクタクシー)で近くの乗り場に行って、そこから目的地に行く車に乗る方法はあると言う。が、でかいリュックと小さいリュックとウエストバックを抱えてバイクの後ろに乗るのはちと怖い。

別のところでやはり行き方を聞くと、さっき立ち寄ったところから車に乗る方法を教えてくれただけだった。

しょうがないのでぶらぶらして、さっきのTrufi乗り場にいったら、ちょうど車が来ていて客も数人乗り込んでいた。なので、ぼくもそれに乗り込む。運賃5ボリビアーノ(約80円)。

車は快調に舗装された幹線道路を走る。サトウキビを山ほど積んだ大型トラックを追い抜く。サトウキビの山は直方体のように積み上げられており、目測で縦が3m、横が2mちょっと、そして長さが10数mほど。とにかくでかい。

20分ほど走り、左手にガソリンスタンドがある地点で車は止まる。そこから先は一本道になっているのだが、その入り口には10トン級のトラックなどが数台、交互に道路を横切るように止まっていて、車が先に行けないようになっていた。

運転手はハッハと笑いながら、ここでおしまいと客を降ろす。どうやってこの先に行くのだと聞くと、モトタクシー(バイクタクシー)と客まちしているバイクを指さす。バイクの運転手らは15ペソ(たまにボリビアーノではなく、古い通貨名のペソを使う人がいる)などと言ってくる。

とりあえず目の前のトラックの向こうに行こうとリュックを背負って、路肩を歩く。

トラックの向こうにはやはりバイクタクシーが待っていた。見える限り道路が続く先は両脇に畑があるだけ。まだ集落らしきものが見えない。なので、バイクタクシーのおじさんにサンファンに行きたいと伝え、運賃を聞くと10ボリビアーノと言うのでそれに乗ることにした。

バイクは125ccくらいのバイク。リュックを運転手と自分の間に挟み、多少はみ出しつつも乗る。5分ほど走ると路肩に馬の死骸があった。

さらに行くと、道ばたに大型トラックがずらりと停まっている。工場かなんかからの搬出待ちかと思っていたら、その先にまたトラックで封鎖されている箇所が現れた。運転手と思われる男たちが検問をしており、1ボリビアーノを払えなどと言っている。数人は角材を手に持っている。

ただ、雰囲気は別に険悪ではなく、すんなりと通る。しかし、それからが大変だった。もう1カ所検問があり、そこも運転手がカネを払ってすんなり通ることができたが、その後はトラックに邪魔されて道路上にまったく通る隙もない箇所が10カ所近くあり、そういうときにはバイクから降りて、リュックを持って路肩の草地の斜面を歩き、バイクもそこを注意深く通って、また道路に戻ってしばらく走り、そしてまた路肩の下を通りというのを繰り返すのだった。

あまりに封鎖されている箇所が多いので、これは引き返した方がいいかもと思い、運転手に声をかけるがもうすぐそこだからと言うので、そのまま難儀しながら進む。

そこへ最悪なことに雨が降り出す。慌ててリュックカバーを取り出し、でかいリュックにかけるものの、残りの小さいリュックなどにかけるものがない。自分もかぶる雨具がない。

しかし、もうすぐだという運転手の言葉を信じて、乗り降りを繰り返しながら進む。途中、糞尿のにおいがするなと思ったら、牛が10頭ほど荷台に積まれたままのトラックが数台あった。

そしてようやく抜けたと思ったところで、バイクは角材を持った男につつかれて停まる。男の人はどうも活動家らしい。同じようにポンチョタイプの合羽を着て角材を持った中年男が3人ほど見張るように立っている。

たどり着いたところは三叉路になっていて右脇にはBienvenidos Santa Rosaと書かれた看板があり、サンファンではないことは明らかだった。角々に家が数軒あり、多くの人がそうした家や木の下で雨宿りをしていた。三方向からの道路それぞれの路面には廃材などが敷かれ、車が通れないようになっている。どうもここがバイクのおじさんが考えていた終点らしいし、この先も周りを見渡した限りでは行けそうもない。

ぼくは荷物を抱えて雨宿りしている人たちの中に入り込む。そこに立っている人たちは、早くこっちに来いというような雰囲気で迎えてくれる。見張りをしている人にたまに声をかけていたが、そのやりとりを見ている限りでは、活動家の人たちとは一線を画しているしている人たちで、ぼくと同じように先に行けずに待ちぼうけをしているだけのようだった。

ここについたのが13時過ぎ。モンテーロからの車を降りたのが12時過ぎだったから、バイクで1時間近く来たことになる。

雨宿りしている人たちが話しかけて来て、どこから来たのか、どこに行くのかというようなことを聞かれる。サンファンまでここからどれくらいかかるか聞いたら、2時間くらいかかるという。それを聞いて、サンファン行きは諦める。

雨は徐々に強くなる。そのうち落ちてくる滴が頻繁になったので、ほとんどの人が近くの家に移動した。ぼくは木の下で待つ。

1時間待ったものの、雨は弱まる様子はないし、道路封鎖の方は、新たにトラックで廃材が運ばれてきてより強化されている。バイクタクシーに乗ろうかと思ったが、ぼくがここに来てから以後、ぱったりとバイクが来なくなった。

ジャンパーもすっかり濡れ、やや寒くなってきたので戻ることを決める。何台か停まっているバイクがあったから、そこまで行って運転手を捜すがいない。

そのため歩くことにする。が、来たときの感じでは1kmや2kmの距離ではない。歩いていくとなると2~3時間はかかるなと思いつつ、でもほかに歩いている人もいるからと思い、歩き出す。

トラックの下で雨宿りをしている人が数人。トラックの運転手らは車の中でのんびりしている。

降りつける雨の中歩いていると、バイクの音がしてすれ違う。よりよって歩き始めてからバイクが来るとは・・・ああ。

向かいからきた同じように歩いているおじさんから、まだ続いているかと聞かれる。

20分ほど歩いた頃、後ろから来たバイクタクシーの運転手が次の封鎖地点まで行けばバイクタクシーがあるというようなことを追い越しざまに教えてくれる。

それで少し気分的になる。

確かに次の封鎖しているトラックの向こうに行くとバイクタクシーが5台ほど停まっていた。こんなところで待っていずに、向こうまで来いよな、と思いつつ、一台のバイクに乗る。今度のバイクはロープを持っていたので、リュックを最後尾に横にしてくくりつけ、ぼくは運転手の後ろに座る。

やっぱりバイクは早い。ここまで来てやっと雨が弱まる。路肩したのどろどろの斜面を数度通り、検問地点を2つ通過し、やっと入り口の封鎖地点に戻る。

歩いて30分、バイクで30分だった。バイクの代金13ボリビアーノ(約200円)。これだけあれば2食食えるのに、と思いつつ支払う。

入り口地点では、サンタクルスやモンテーロに行く乗合タクシーの運転手がそれぞれ行き先を叫びながら客引きしていた。

サンタクルスまで15ボリビアーノ(約230円)と言われ、高いと思いつつもしょうがないので乗り込む。そして大きくため息を1つつく。

同じように雨に濡れた夫婦が乗り込んでくる。子ども3人、大人4人を乗せ、車は発車。

サンタクルスと言ってもまたこの間のように、わけのわからないところに着くんだろうなと思っていたら、そのとおりだった。しかも途中で降りた夫婦が液体状の食い物をぼくのリュックの上にぶっかけたまま出ていく。

運転手にターミナルまでいくらか聞くが、行く気がないらしく降りるよう言う。

なので、リュックをおろし、別のタクシーをつかまえる。今度の運転手にいくらか聞くと15ボリビアーノなどと言ってくる。あんた1時間以上離れたところから15ボリビアーノで来たのに、15分もかからないところまで行くのにいくらタクシーとは言え、そんなかからないだろと思い、10ボリビアーノにしてと言うと、ちょっと考えてからそれでOKしてくれた。

運転手は幸い気のいい人でいくつか話しかけてくる。ターミナル前の宿に来たが、ここもけっこうな雨が降ったらしく、道路の一部が水没している。

濡れないところで降ろしてもらい、また同じホテルにチェックイン。もう顔なじみになったフロントのにいちゃんは、おおっと笑っていた。

新たな部屋に行き、荷物をベッドや机の上に広げる。ロープを張って、シャツなどを干す。

幸いでかいリュックの中の本は無事。ただ小さい方のリュックに入れていた本が数冊濡れていた。ああ。

夕方屋台で鶏の首とどろどろになった米が入っているスープを食べる。3ボリビアーノ(約50円)。その他、きりたんぽそっくりの焼き方をしていたキャッサバのちくわ的なものを食べる。食感はやわく、味はチーズ味だった。

夜は早々に寝てしまう。

Fin

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