08/06/09
・面倒なビザ申請
・コロニアオキナワへ
7時前に起床。蒸し暑くて眠れないかもという予感はどこへやら。けっこうきちんと眠ることができた。干していた洗濯物も一晩で乾いてくれたし。
しばし日記書きと『逝きし世の面影』。
10時前にチェックアウトの時間を確認してから、ブラジル大使館に向かう。チェックアウトは14時。それまでにビザの申請を終わらせなければならない。
宿の前の、つまりはターミナル前の道路で中心街に向かうバスを探す。74番などさまざまな番号を付けているバスが走っていて、どれがどこに行くのかまったくわからない。フロントガラスに行き先を書いているものもあるが、それがどこなのかがわからないから、ぼくにとっては意味をなさない。それにそれさえも書いていないバスもある。
バスと言っても車体はミニバンで10数人が乗れるだけ。ときおり、自動扉とドアに書いたバスが走っているから、ポトシと同じように日本からの輸入ものがけっこうあるようだ。ただ、車体はたいてい改めて塗装がされてあるので、ポトシに比べれば車体に日本語を書いたまま走っているバスは圧倒的に少ない。
同じくバス待ちしているおばさんにどのバスが中心部に行くか訪ね、教えてもらったバスに乗る。運賃は1.5ボリビアーノ(約30円)。パラグアイではバス代は日本でだいたい60円くらいだったから、ボリビアはその半分。改めて安いと感じる。
地図を見ながらバスの走っているルートを追っかけるが、ターミナル周辺の道路が載っていなかったこともあり、どこを走っているのかしばらくわからず。15分ほどして、道ばたの道路名を書いた標識から現在地がわかる。
中心部に入るとバスは渋滞に巻き込まれ、のろのろ運転になる。歩いた方が絶対早い。
ブラジル大使館に近いところで降り、歩いて大使館に向かう。
道すがら朝飯代わりにサルディーニャともちもちしたパンを買う。サルディーニャはカレースープのパイ包みみたいなもので、これがなかなかうまい。4.5ボリビアーノ(約70円)。パンは小さめのものを買い、1ボリビアーノ(約15円)。
チリやアルゼンチン、またパラグアイと比べても、ボリビアは道ばたで買える食べ物が豊富で、かつ安いからカネのない者にとっては非常に助かる。
ブラジルの国旗がはためいていたので、大使館の位置はすぐにわかる。大使館の領事部はドアがあけはなたれていた。中に入るとアフリカ系の若い男性が1人と中国系の夫婦らしいのが1組、あとヨーロッパ系の人が2人ほどいる。
窓口でビザがほしい旨を伝えると、申請用紙をくれ、黄熱病の予防接種証明書やチケットをもっているか聞かれる。やはりチケットはないとだめらしい。ただしバスのチケットでいいよう。それからビザの発給料金の50米ドルをBanco do Brazilで払ってくるよう言われる。窓口のガラス窓にはその住所が書かれている。ここの通り名とは違うので、どこか別の場所にあるらしい。
まずはバスのチケットを買わなければと思い、その前に銀行に行き、60米ドルぶん両替をする。レートは1米ドル=7.1ボリビアーノ。
それからツーリストインフォメーションに行って、Banco do Brazilのある通りを教えてもらう。その際、まちの地図をもらい、そこに書き込んでくれる。これがなかなかの地図で通り名がしっかりと書き込まれ、また広い範囲をカバーしているのでガイドブックのものよりよほど使いやすい。
それからバスターミナルに戻る。どの通りをバスターミナル行きのバスが走っているかわからないため、適当に見当をつけて歩く。途中、道ばたで寝ている人が4人。うち二人は親子のよう。あるとおりの壁にはスプレーでEvo(現在の大統領のこと)がどうのと落書きがされていた。たぶん悪口なのだろう。
何台かのバスに行き先を訪ね、ようやくターミナル行きに乗ることができる。
バスターミナルに行き、ブラジル行きのバスを探す。2社くらいしかないようで、そのうち1社でチケットを買う。ブラジルのカンポグランデまでの料金は100米ドルと言う。距離からすると60米ドルくらいだろうと思っていたのだが、やはりブラジルだからか、高すぎる。しかし、ビザを取らないと行けないので、その場で購入。しかも米ドル払いでもよかったため、さっきの両替の時間が無駄になる。
また、バスに乗って中心部に向かう。今度はBanco do Brazilへ。これはブラジル大使館のまだ向こうだったので、またブラジル大使館近くでバスを降り、歩いて探す。
これがけっこうな距離で、ブラジル大使館からは歩いて20分ほどかかる。この辺りは高級住宅街なのか、豪邸がちらほら。また、Collegeo Aleman=Deutche Shule(ドイツ人学校:スペル要確認)がある。建物だけ見たときは高級なアパート群かと思ったが、それが校舎のようだった。3階建てくらいでよく手入れのされた建物が数棟並んでおり、ボリビア的な雰囲気からはみ出している。
住所はわかっていたものの、それがどこにあるかはわかっていなかった。大使館で教えられた住所はサンマルティン通り1700番地だったが、サンマルティン通りを歩いていたら途中で道路名が変わる。地図を見てもまだサンマルティン通りにいるはずなのだが、標識に書かれてある道路名は別のものになっている。なんなんだ、と思い近くにいた警備員に聞くと、確かにここはサンマルティン通りだと言う。どうも同じ通りに2つ名前があるらしい。
そうして12時過ぎに目的のビルに到着。12時から昼休みに入るのではないかと心配していたのだが、しっかり開いていた。
近代的なビルの1階では大使館と違って身分証明書の提示を求められる。エレベーターで4階に行くと、小さなオフィスがそれだった。中にはブラジリアンらしき人等が10名ちょっと。窓口は一つしかないため、しばらく待つ。その間、備え付けられていたミネラルウォーターで喉をうるおす。
40分ほど待って、やっと順番がまわってくる。片言スペイン語でビザ代を払いたい旨を伝えると、いくら?と聞かれる。ビザ代など相手も知っているだろうと思っていたので、ちとビビる。50米ドルを払うと、領収書を出してくれる。これに自分のサインをし、1枚は銀行の控えになり、1枚が大使館に出すものとなる。
13時前に終えたが、次の心配はブラジル大使館が何時まで申請を受け付けているかだった。不覚にもさっき確認するのを忘れた。多いのは9時から14時だが、場所によっては違ったりする。
早足でブラジル大使館に向かう。無事、まだ開いていた。
まずは記入用紙を英語のものに取り替えてもらう。さっきもらったのはスペイン語とポルトガル語の併記で、しかも辞書を持参していなかったため、さっきの待ち時間で書こうかと思ったら単語がわからず書けずじまいだった。
自分のボールペンで記入用紙を埋める。立ち止まった途端に汗が噴き出してくる。
今回の旅でビザを取るのは中米のベリーズに次いで2度目。あそこもビザ代が60米ドルと高かった。ただ、国境ですんなりとれたので手間はかからなかった。一方のブラジルはこの始末。面倒くさい。記入用紙も両親の名前や国籍、勤め人ならその勤め先名と住所、電話番号まで書く欄がある。
申請用紙を埋めて、パスポートと3cm×4cmの写真1枚、黄熱病の証明書、バスのチケットを添えて窓口に出す。すると、これだけではダメだといい、クレジットカードはないのかと聞かれる。クレジットカードはないがキャッシュカードはあったので、それを渡す。
するとカードとバスのチケットはコピーをとって返してくれる。そして、6月11日に取りに来るよう書いた紙をくれる。
これでようやっとビザの手続きは終わり。次は宿のチェックアウト。14時のチェックアウト時間まであと20分しかない。
またバスを探してターミナルに向かう。さっきのバス代でボリビアーノがすっかりなくなってしまったので、バスターミナルの両替所で両替。
それから宿に戻り、荷造りをする。荷造りをしている途中、泊まっていた部屋の廊下から見える屋根に50ドル札が引っかかっているのが見える。おおっ!と思い、手元にたぐり寄せる。50米ドル札が全部で4枚!ラッキーなんて思う前に、すぐに偽札だとわかる。インクが薄く、紙の質も悪い。どうせ作るならもっと精巧なやつを作れよな、と思いながらゴミ箱に捨てる。
2時半くらいにフロントに行く。すると、もう1泊ぶんの請求はなかった。1泊ぶんの25ボリビアーノ(約400円)を払って、またバスターミナルに行く。
ターミナル内の地下道を通って反対側に乗り合いタクシーの乗り場はあった。まずはMontero行きに乗る。運転手に運賃を聞くと7ボリビアーノ(約120円)だと言う。それを聞いて乗り込むと、他に乗客を乗せることなく、発車する。普通なら満席になるまで待つはずなのだが、おかしい。
走り出してから運転手が、一人で行く場合には35ボリビアーノ(つまり5人ぶん)だと言う。35ボリビアーノも持っていないと言うと、いくら持っているのかと聞かれる。それは無視。すると、運転手はとにかく乗り場に行こうと言う。その言葉の意味がわからなかったが、しばらくして別の場所で車は止まった。
どうもここがその乗り場らしい。他にもタクシーが止まって客引きをしている。運転手は急がないことをぼくに確認し、じゃあ、ここでしばらく待てと、彼は車を降りて、モンテーロ、モンテーロと声を出し、客集めを始める。
15分ほどで客は集まる。普通の乗用車なのだが、後部座席に3人、助手席に2人乗ってやっと出発。
車は舗装された道路を走る。ぼくは寝る。
気がつくと別のまちに入っていた。他の客がところどころで降りていく。モンテーロのまちもなかなかのもんで500mくらいの中心商店街には空きなく店が並んでいて、人通りも多く活気があった。
その通りでぼくは降ろされる。降ろされたところがOkinawa行きの乗り合いタクシーTrufiの乗り場だった。すぐに車を乗り換える。
車はまた他に客を乗せることなく走り出す。が、200mほど行ったところで停まる。運転手が降りてきて、こっちの車がオキナワに行くからと乗り換えるように言う。
乗り換えた車は新車っぽいランドクルーザータイプの車。窓にはタクシーの番号とOKINAWAと書いたシールが貼られていた。
すでに4人の客が乗っていて、ぼくが乗るとすぐに発車する。
車は途中、自動車部品屋でバンパーらしきものを積み込み、また給油をしながらオキナワに向かう。
オキナワに向かう道は一本道。両脇には広大なサトウキビ畑が見える。収穫が終わったあとの畑には牛が放たれていて、また一部の畑は焼かれていた。対向車線から10トンはあろうかというどでかいトラックがサトウキビを満載にして走っていく。
モンテーロを出てから約1時間ほどたった頃、目の前に”めんそーれ オキナワへ”(だったか?)と日本語で書いた看板が見える。
しかし、辺りは畑ばかりでたまに家がポツポツと現れるだけ。椰子葺き屋根の家が多く、中には壁も板を横に並べただけの簡素な家もある。屋外に水道施設があるようで、洗濯や炊事をしている姿が見られる。
5分ほどしてまとまった集落に入る。左手に巨大な工場が見え、日本語もちらほら見える。
道路沿いには不揃いの店構えをした商店が見える。
乗り合いタクシーのターミナルで降ろしてもらう。さて、宿探し。
ターミナル隣にPension Ryukyuと書いたところがあったので、そこに行き泊まれるかとスペイン語で聞くが、何がほしいのかと話が合わない。それでここはホテルじゃないのかと聞いたら違うと言われ思い出した。
ボリビアではPensionと言うと食堂のことで、宿泊施設ではない。
それでどこに宿があるか聞くと向こうにあるというので、そちらに行く。看板も何も見えないので、雑貨店に入り、”Hola(こんにちは)"と店の人に声をかけると、”はい、こんにちは”と日本語で返ってきた。
宿はどこですか、と店の女性に聞くと、その女性は旦那らしい男の人に、どこにするかね?と聞く。男の人は”2軒向こうにあるよ”と教えてくれる。
2軒向こうに行く。看板も何もないが、建物の入り口にいた女性に部屋があるか聞く。すると面倒そうに案内してくれた。案内された部屋は4畳半ほどの広さにベッドがあるだけ。ちとカビ臭い。鍵はない。シャワーとトイレは共同。1泊25ボリビアーノ(約400円)。
荷物をおいて外にでる。すでに日は傾いていた。とりあえず幹線道路沿いを歩く。途中、日本人学校の前に行くと、掲示板に運動会の案内が書かれていた。敷地内を除くとダンスか何かの練習をしている子たちがいる。
ここ第1移住地に加え、さらに第2と第3があるというから、パラグアイのイグアスよりもずっと大きい。歩いてまわるのは数日の滞在じゃほとんど無理。
また、予想以上に日本人比率は低い。歩いていて見かけるのはいわゆるインディヘナ系のボリビア人ばかりだ。この後、ネットで見てわかったが、ここオキナワはボリビアでも模範農村として知られ、ここに仕事を求めて多くの人が流入したらしい。
幹線道路から一本奥に入れば、未舗装の道路。椰子葺きの家がちょこちょこある。道と家の間には底の浅い堀が掘られているが、そこには汚れた水がたまって黒白くなっており、どぶになっている。蚊の絶好の生息地になっていそう。
電気はどの家にもひかれているようだが、排水施設が不十分なように見える。道ばたでは自転車に乗ったり、飛び跳ねたりして子どもたちが遊んでいる。こうして子どもが数人の集団で道ばたで遊んでいる姿は久しぶりに見たような気がする。子どもたちを見る限りでは、ここはけっこう豊かな地域に思える。
その裏通りにネット屋があったので、そこでネットをする。日本語が読める。8歳前後くらいの男のたちが5~6人パソコンでサッカーのゲームをしたりして遊んでいる。ぼくがネットをしていると4~5歳くらいの男の子が横に来てにこにこしながらこっちを見ている。そのこの方を向くとスペイン語でなにやら言うがその仕草で、ぼくの髭を面白がっているようだった。
ネット屋を出たときには外は真っ暗になっていた。幸い外灯はあるから道を歩くのには困らない。
幹線道路に戻り、晩飯屋を探す。串焼きの屋台も含めれば10軒以上食べることができるところはあった。
雨がぱらつき始める。宿近くの店にはいる。メニューなどは書いていないので、何があるかと聞くが、答えを聞いてもよくわからない。適当に頼み、出てきたものを食べる。
出てきたものは平皿の半分に冷えたライス、半分にマカロニがあり、その上からカレーのような汁がかかっている。具は鶏のセセリ(首)とどっかの切れ端、ジャガイモ、ピーマンと人参のかけらが少し。ラパスでもよく見た炭水化物ばかりのボリビアらしい食い物だ。
8時を過ぎるとほとんどの店は閉まった。宿に戻るとNHKの日本語が聞こえてくる。
土まじりの汚い床のシャワールームでシャワーを浴びる。もちろん水シャワー。排水口が詰まっているらしく、足下に水がたまる。やれやれ。
店の女の子がNHKのおしゃれ工房(竹製品)を見ていたので、日本語ができるのか聞いたが、できないとのことだった。
部屋に戻ってからは『逝きし世の影』を読みながら蚊退治。2~3匹始末していなくなったかと思ったら、始末する度に別の蚊が現れる。だいたい部屋は廊下や隣の部屋と壁で隔てられていない(壁はあるが天井までは届いていない)から、壁の上を通ってだろう、蚊が次々と入ってくる。
20匹ほど始末して横になるが、すぐに別のが現れるので、羽音がするたび目が覚め、成敗する。
結局始末した蚊は30は越えただろう。
Fin
0 件のコメント:
コメントを投稿