2008年7月7日月曜日

サンタクルスからカンポグランデへ その1

08/06/14(金)

天気が悪いこともあってさすがに一晩では乾かなかった。紙の類は乾いたが、シャツや靴、上着はまだ湿ったまま。

幸い宿のチェックアウト時間が14時だからそれまでは干すことができる。でかける気にもならなかったので、昼過ぎまで宿で読み物と書き物をする。

2時ちょっと前にチェックアウト。靴は濡れたままだが、他はほぼ乾いた。

宿の前の通りの屋台でパンなどを買おうかと思っていたのだが、昼休みなのか、夕方や朝方に立ち並んでいる屋台はきれいになかった。

しょうがないので何も買わずにターミナルに行く。客引きの声を無視しながら、待合いのスペースにある椅子に座り、天井からぶら下がっているテレビを見る。ワールドカップの予選でもやっているのか、ひたすらサッカーのニュースを流している。

3時過ぎにバス会社の窓口に行く。相変わらず窓口の人らはおしゃべりにインターネットに夢中。

どこからバスが出るのか聞いたら迎えに来るからここで待てと言う。当てにならないが待つしかない。

そろそろ屋台が出る頃だろうと荷物をおいたまま宿の前の通りにいく。予想通りバン屋の屋台が出ていた。五種類くらいあるバンを一個ずつ買う。トウキビの粉で作ったパンやユカ(キャッサバ)を練り込んだパン、クッキーのようなパンなど、それぞれ1ボリビアーノ(約20円)。

それから通りを歩きながら売り歩いているおじさんからピーナッツとポテトチップを買う。30gくらいずつで各1ボリビアーノ。あと別のおじさんからチュロスも買う。これは1.5ボリビアーノ。

4時前になってやっと声がかかる。女の人が乗り場に案内するという。客はぼくの他におじさん一人。しかもそのおじさんは毛布を持参している。豪華なバスのはずなんだが・・・

乗り場に行く前にターミナルの使用料を払う場に連れて行かれ、そこで3ボリビアーノ(約50円)も払う。入り口で入場チケットを見せ、乗り場に入る。

そして女の人があのバスと言って指さした方にあったバスを見て我が目を疑った。近くに行き、ため息をひとつ。乗り込んでまたため息をひとつ。

バスのフロントにはブラジルの地名ではなく、国境のボリビアのまちの名があるだけ。車内の後部五列ほどは荷物置き場になっており、便所もない。当然テレビもないし、窓は開くが開けるための取手のようなものもない。

これが10ドルなら、はいはい、そうでしょうよ、で済むのだが、その十倍払っているのだからだんだん頭にくる。クソ、あのオヤジ、嘘ばっかりだと、ぶつくさ言いながら車内で待つ。

そして今頃になって女の人が終点のまちに着いたらこの会社のオフィスに行くようにと会社の名前を書いた封筒をくれる。こっちはてっきり直通で行くと思っていたのに、これだ。

だいたい他の国でも国際バスは直通だし、乗り換えがあるなら発券時に二枚なりのチケットをくれる。それがボリビアに限ってはペルーからの入国のときもなぜか国境でボロいバスに乗り換えだった。一方、パラグアイからのバスは直通だった。まったくわけがわからんし、サービス業としてまったくなっとらん。グアテマラのあのバスといい勝負だ。

さらにわけがわからんのが、次々と待合室では見かけもしなかった人たちが乗り込んで来ること。多分、国境のまちまで行くバスを出している別の会社の窓口でチケットを買った人たちなのだろう。こうしてあちこちから人が乗り込んでくるのを見ていると、ぼくがチケットを買った業者はエージェントのようなただのピンハネ業者でバスを所有している会社ではないらしいように思える。

チケットには4時発とあったが当然それはなんの意味もな
く、5時前になってようやくバスは動き出した。ターミナルを出る際、バスにはターミナルの使用料を払ったかチェックそてまわる係員が乗り込んできて、払ってない人からは3ボリビアーノを徴収していく。ここでこうしてチェックするということは、入場する際のチェックでは不充分ということなのだから、最初からここで徴収することにすれば全乗客を確実にチェックできるのだから、使用料を払う窓口や入口に立っている人には他のことをさせて、ここだけに集中すればいいのに。しかも売り子の人らは、ターミナル内でも、チェックをしている今でもばんばん車内に乗り込んで来ているのだから、防犯もくそもない。

ボリビアのバスのシステムは、他の国と比べてもわけのわからんことが多い。

やっと出発したかと思ったら、バスは1時間も走らないうちに前の車に続いて停まってしまった。そして、エンジンまで切られる。

昨日のような道路封鎖をしているらしい。路上には待ちぼうけをしている人たちを狙って、弁当や飲み物、みかんを売り歩く女性らがちらほら現れる。

乗客の男たちはバスから降り、道ばたで立ち小便を始める。すっかり日は落ちて、辺りには民家と車の明かりが見えるだけ。

30分たっても何も変わらず。乗客らは静かに待っている。乗り合いタクシーやバイクタクシーが路肩を通って先頭の方に行き、しばらくして客を乗せて返ってくる。

やれやれいつ出発するのやら。これだったらパラグアイからブラジルにさっさと行くんだったなぁ、などと今頃思う。

反対車線から大型トラックが来るのが見え、ようやく動き出しそうな気配。外に出てぷらぶらしていたが、車内に戻る。それからしばらくあって、ようやくバスのエンジンがかかる。停車してから1時間近く立とうとしていた。だが、予想よりも早く動き出した。

動き出しても進行速度は時速20km程度。ちょろちょろ走って見えてきたのは簡易な作りの雑貨店や食堂が集まっている地帯。30軒くらいの店が両脇に並んでいる。

後部の席に座っているおじさんが、窓から顔を出し、手にお札をひらひらさせて、店の人に向かって”セニョーラ”と声をかけている。何か買いたいらしい。店からバスまでは20mほど。店の人はその声に気づいたが、椅子に座ったまま動かない。2軒の店から無視された後、3軒目にして店のおねえちゃんがコーラの2リットルペットボトルを抱えて走ってきた。

さてさて、どこが道路封鎖の前線なのだろうと窓から顔を出して前方を見ていたのだが、それらしいところが出てこない。そのうち制服を着た警官が見えたので、警察の検問かとも思ったが、そういうこともなく通り過ぎる。

そうした後、やっと渋滞の犯人が出てきた。なんてことはない、犯人は橋だった。数十メートルの川幅がある川には自動車用の橋がかかっておらず、鉄道の鉄橋に板を敷いて、それが橋になっていた。ちょうどコスタリカとパナマの国境のときと同じかたち。当然、2車線ぶんも幅がないから橋を渡るのは交互通行になっていた。

鉄橋を渡り終えると反対車線には車がずらりと並んでいる。100台以上はある。そして道路沿いには川向こうと同じように雑貨屋と食堂が並んでいた。

進行方向右側には橋を架けている工事現場があったので、2年後くらいには鉄橋を使わずに通れるようになるのだろう。そのときには今通ってきた道路脇の商店なども場所を変えるかしないとやっていけなくなるだろうな、などと思いながら外を眺める。

ずっと舗装された道を通ってきたのに、突然未舗装の道路に入る。

8時を過ぎても、車内では当然晩飯のバの気配もない。隣に座る人がいなかったので、座席に横になる。

縦に横に揺れるから肘掛けに頭を乗せているとその衝動がもろに響く。やれやれ。さすがに南米最貧国というだけあって隣の国とをつなぐ道路も不十分な状態だ。もっともこの道路の整備は今現在進められているらしく、バスが走っている隣には整地された道が見えた。

ちと不安だった夜の寒気はたいしたことはなく、日中の格好で充分しのげた。

Fin

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