2008年4月7日月曜日

サンサルバドルを徘徊

2008.4.1(火)

・ププス、ショコラーテ
・広大な路上市場
・消えたマヤ系の人々
・メトロセントロ
・グッドな博物館
・交差点でジャグリング

エルサルバドルには、ここサンサルバドルに1泊するだけで明日ニカラグアに移動するので、朝から晩まで見て回ろうと気合いを入れる。

旅に出てからというもの日が昇ると起きるような習慣になってきていることもあり、5時台に目が覚める。グアテマラシティより暑いが、まだ快適。蚊もいなかった。

しばらくは部屋でごそごそ。

まずは7時過ぎに明日のチケットを取りに行く。サンサルバドルでも会社によってバスターミナルがある場所が違う。昨日のことがあったので、よりよさそうなTICA社のバスにしようかとおもうが、そのバスターミナルはこの宿から少し離れている上、ニカラグア行きのバスの出発時間は5時半だから、もしそちらに乗るなら宿を替えないといけない。

あまり期待できないが、まずは昨日使ったKING QUOLITY社のターミナルに行く。ところで、この会社の名前、まさしく昨日の移動なんて、”KING QUOLITY”だったわ。

バスターミナルまでは歩いて3分ほど。窓口でニカラグアの首都マナグアに行くバスについて聞く。

窓口の女性に聞くと、バスは2種類あって1等と2等があるらしい。安いのはもちろん2等の方で、運賃は24米ドルと言う。1等の方は42米ドルと倍近くする。しかも、一等はここを朝の11時半に出て夜の10時に着くというスケジュール。これではまったく選択肢に入らず。

TICA社のバスも24米ドル程度だったので、それくらいだったらいいか、とその場でチケットを購入。バスは朝の5時半発。5時にここに来てと言われる。

宿に戻り、チケットを荷物と一緒に部屋に置いてから、外に出る。

宿を出て左に行き、さらに左に曲がると昨日の夜も通った19a Avenidaという大学街のメインストリートになっている。歩道に屋台が並び、コピー屋や事務用品屋、軽食屋などの店舗も並んでいる。

すでに屋台では大学生らしき若い人たちが食事をしている。ジュース屋さんの屋台もあり、そこでは5台ほどあるミキサーがフル回転している。

まずは交差点で果物を売っていた民族服を着ているおばさんからマンゴーを買う。でかいマンゴーを細かく切り身にしてビニール袋に一杯に入っている。例の粉をかけるかと聞かれたが、断りそのままのものをもらう。40センターボ(0.4米ドル)。

コインも米ドルのものがそのまま流通しているのだが、これが非常にわかりにくい。ロスに行ったときも閉口したのだが、いくらかのコインかはそのコインに小さな字で書かれている文字を読まないとわからない。地元の人は大きさの違いなどですぐわかるのだろうが、旅行者にしてみると使いにくいことこの上ない。しかも、単位がセントだったりダイムだったりして、使いにくいことこの上ない。これまで行った外国の中では、米国のコインが一番判別しにくく、使いにくいように思う。せめて数字を大きく記すとか金額の大きい順にコインの大きさもそろえるとかすればいいのに。

米国でなら1米ドル以下は端数みたいなものだから、適当でも良かったが、ここでは1米ドル以下の価格が多いため、いちいち払うときにコインを確認していると時間がかかってしょうがない。まぁ、宿で練習して覚えればいいんですけどね。そんなにマメではないので。でも、一目でわからない(特に金額を数字で記していない)コインなんて、通貨としての役割を考えると機能的ではないと思う。

マンゴーを食べながら、屋台が並んでいるところに行き、店を物色。この通りにある屋台はホットドッグ屋(具はソーセージ以外にも肉を焼いたものなどがある)とププス屋が多い。タコス屋はない。

ププスというのは、ここで初めて見たもので、エルサルバドル特有のものらしい。見た目は福岡は太宰府の名物梅ヶ枝餅(漢字が合っているかわからん)と一緒。やぶれ饅頭を円形に平べったくしたような形をしている。つまり、あんこのようなものが入っているのが特徴で、タコスで使うトルティージャとはぜんぜん違う。色もトルティージャは黄色みがあったが、こちらは白い。ププスを一目見たときは平べったい団子を焼いているのかと思ったほど。

トルティージャと同じなのは、鉄板の上で焼いている点。鉄板の横では店の人が練った生地と中に入れる具材を3種類をそれぞれ別の容器(ボール)に入れ、それぞれから適当な量を取り出し、成形し、平べったく伸ばして鉄板の上で焼いてる。

ぼくは交差点にあった店に入る。ここは若い女性2人でやっている店。これまで見てきた屋台はたいていが、おばちゃんか男性(若い人も含む)だったので、若い女性が屋台をやっているのは新鮮だった。

その店は鉄板などを置いている調理場コーナーの他に、10人ほどが座って食べられるよう、歩道の上にプラスチックの椅子とテーブルを並べている。テーブルの上には、ケチャップと直方体のプラスチックの容器(駄菓子屋によくあるような蓋の部分は円形で、体は四角いやつ)が置かれている。

プラスチックの容器の中には、刻んだキャベツや人参などが汁の中に漬け込まれた状態で入っていて、客はこれを適当に自分の皿に取って食べている。

ププスは1枚単位で食べられるようで、注文するときに”Cuanto(クワント:いくつ、いくら)?"と枚数を聞かれる。すでに食べている人たちを見るとだいたいどの人も3枚くらいだったので、3枚頼む。

それから飲み物は?と聞かれたので、何があるか聞くと”Cafe y chocolate,・・・”と言う。みんな黒い飲み物を飲んでいたのでコーヒーかと思っていたが、ショコラーテもあるということがわかり、それを注文する。

グアテマラシティで会った人の話では、グアテマラなどはカカオの産地ではあるものの、日本で一般的な固形のいわゆるチョコレートは国内ではほとんど作っていないらしい。ほとんどが飲料としてのチョコレート製品になっていると言う。ちなみにスーパーなどでは、この飲料用のチョコレートが売っている。ついでに言うと、これらは熱い牛乳やお湯に溶かして飲むらしい。要は日本で言うココアみたいなものだが、スーパーで売っているものを見たら、粉状ではなく硬い固形状で売っていた。

古代マヤの時代から飲まれていたショコラーテとはいったいどんな味がするのか。発泡スチロールのカップに入って、それは出てきた。確かにチョコレートの味がするが、それほど甘くない。日本でもしゃれすました喫茶店に、ホットチョコレートという飲み物(ただのココアだと思うのだが)があるが、あれとはまた微妙に違う味がする。

ププスは、見た目の先入観から団子と同じような味がするのだろうと思ったが、ププスの餡は甘くなかった。逆にチーズも一緒に入っているので、塩気がある。

前に座って食べている女性等の食べ方を見ていると、半径10cmもないこのププスを破って、その破った生地で皿にとった野菜(キャベツの千切りなど)をつかみ、ケチャップを付けて食べている。

せっかく1枚になっているのだし、破ると中の餡が落ちそうになるから、何もわざわざ破ることはないと思うのだが、そういうふうな食べ方が定着しているよう。

タコス同様、手づかみで食べているが、タコス屋では生地の上に肉などが乗った状態で出てきたし、たいていフォーク付きなので、日本風に言うと、それほど手が汚れる(正確にはすでに手の方が汚れているので)ことはなかった。だが、こちらは相手が汁気たっぷりの野菜だし、その野菜も手づかみで食べているので、手が汁っぽくなる。

その手を拭くために紙ナプキンが用意されており、客は食べ終わるとそれで手を拭き、席をたつ。

ふと信長と秀吉の時代に日本に来ていたルイス・フロイスが書いていたことを思い出す。彼は日本(当時は日本ではないが)の人たちが箸を使って食事をしているのを見て、こういうふうなことを書いていた。ヨーロッパ人は手で食事をする(当時はスプーンなどは使われていなかった)ため、食事の前に手を洗うが、ここの人は違う。箸を使って食事をするため手を洗う必要もないし、手が汚れることもない。

世界で何割の人が箸を使って食事をしているかは知らないが(中国人全員が使っているとすれば東アジア・東南アジアを入れて3割くらいか)、スプーンやフォークよりも簡単に作れる(作らなくても2本の枝を拾ってくればいい)箸を使わない人たちが多いのはなぜなのか。

逆に箸を使うようになったきっかけはどういうものだったのか。衛生的なことが原因だったのか、それとも熱いものを食べようとしたときに必要になったからか。

フロイスの記述にあるように、一部のヨーロッパ人は箸の存在を1500年代には知っていたにもかかわらず、お茶などのように、それがオリエンタルなものとして貴族の間に流行し、定着しなかったのはやはり使うのが難しかったからか。

もっとも箸になれた人間からすれば、手やフォークやナイフで食べる方が難しかったりするのだが。

ただ、現代となってはそれはそれで一つの文化なのだろうが、手を拭くためだけに使われる紙がもったいないですなぁ。まぁ、これは日本の方がひどいでしょうが。

ププスを3枚食べたくらいでは、なかなか腹が膨れるとはならないが、とりあえずまちを見に行くことにする。Calle Ruben Dario(ルーベンダリオ通り)を歩いて、カテドラルなどがある中心部を目指す。

ルーベンダリオ通りは片道1車線の比較的広い幹線道路だが、ここにも屋台が並んでいた。ボリバール公園を過ぎたあたりからは進行方向右手の車道にずらっと屋台が並んでおり、実質、片方の車線は車は通れなくなっている。

銀行や商店、ファストフード店の店舗もこの通りには集中しているが、まだ朝の9時前ということで、たいていの店が開店の準備をしている状態だった。やっているのは、ププス屋程度。

その通りにある観光案内所に行き、地図をもらう。国内とサンサルバドル市内の地図がそれぞれ片面に印刷された立派な地図で、国内各地の見所も書かれている。もちろん、無料。ただ、もらうときには他の国と同様、自分の名前と出身国を名簿に書かないといけない。対応してくれた職員のおじさんは丁寧だった。

屋台街は、午後にまた来ることにして、素通りして国立宮殿に行く。ここに博物館も併設していると思って、2米ドルと3米ドルのカメラ撮影許可料の計5米ドルを払って中を見たのだが、別の国の情報とごっちゃになっていたようで、ここはただ建物を見るだけだった。中は回収している部分が何カ所かあり、また事務所のようにして使っている部屋もあるが、基本は廊下を歩くだけなので、つまらない。5米ドルも払うことはなかった。

15分ほどで宮殿を出て、あたりを散策。このあたりは南に走る通りがほぼ完全に屋台街になっていて、車も通れないような状態になっている。直線距離にすると1kmや2kmは軽くありそうな様相。ただ、ここも準備中だったので後回し。意外とサンサルバドルの朝は遅い。

宮殿から見ると東の方に、グアルテル市場(Mercado Guartel)があるようなので、そこに向かう。そこまでの路上も果物売りの人などがいっぱい。期待して来たこの市場はまったくの土産物専用の市場だった。エルサルバドルは綿製品が有名とのことで、タオルを置いている店がけっこうある。が、デザインはいまいち。あとはハンモックなど民芸品など。グアテマラにあったような先住民族系の色鮮やかな生地や服などはない。

客がほとんどいないためか、次々と店の人に呼びかけられる。それが面倒なこともあり、さっさとこの市場は退散する。

歩いていると古本屋を何軒か見る。違法コピーであろうCD・DVD屋も多い。肝心の屋台や市場はまだ準備中ということで、中心部からはやや離れているショッピングセンターと博物館に先に行くことにする。

ショッピングセンターはメトロ・セントロと呼ばれている。ショッピングせんターのまわりには、広い駐車場に小さな遊園地まである。ここはすでにやっていて、お客も多い。ここもなかなか大規模で、日本で言うと、数十万の人口があるようなところでやっと見られるような規模。3階建てで真ん中は吹き抜け。メキシコのカンクンのショッピングセンターよりも店舗数は多い。

店もブランドの化粧品店から洋服店、電化製品店、携帯電話屋、小さな本屋、アイスクリーム屋、ナイキやプーマなどのブランドのスポーツ用品店などが入っている。iPodはここでも売っていた。

ある1階の電気屋では展示されている30台ほどのテレビすべてがドラゴンボールを放映していて、ナッパと悟飯が対決している。フリーザがどんな声になっているのか聞きたかったが、音声は消されていたのでわからず。2階にある別の電気屋ではNARUTOを放映していた。

本屋には漫画本は見あたらなかったものの、『OTAKU』というタイトルのアニメ・漫画を扱った薄い雑誌は売られていた。表紙の裏を見るとメキシコで出版されている雑誌のよう。載っているアニメは聖星矢など、日本では80年代に流行ったものが多い。

日本のショッピングセンターと比較すると、電気店が多い印象を受ける。

そこをぐるっと見て回って、バスに乗って博物館に行く。バス代は25センターボ(0.25米ドル)均一。中古のようだが、それほどひどくない。行き先は代表的なところだけ、フロントガラスの下に書かれてある。だから、それ以外のところに行きたいときはまわりの人に聞くか、運転手に聞くしかない。

ここのバスは前乗り、後部ドア降車式。前の入り口から乗って、運転手に手渡しで運賃を渡し、お釣りがあればその場でもらう。そして、座席が並んでいるスペースの手前(運転席横)には回転バーがあるので、それを押しながら通って車内に入る。この回転バーがあるため、前から降りることはできない。

目的の国立人類学博物館(Museo National de Antropologia)は高級住宅街があるソナ・ロサ(Zona Rosa)という地区にある。メトロ・セントロからはバスで15分ほど。宿などがある中心部からは5km以上離れている。

ここには屋台はない。人通りも少なく閑散としている。目的の博物館はなかなか近代的な建物だった。メキシコの多くの博物館のように、発掘物が多いのかと思いきや、それらは全体からすれば1~2割しかなく、エルサルバドルの農業や各地の宗教などについての展示が多かった。

農業の部分では、農機具や藍染の道具などが展示されている。テーマはコーヒー、カカオ、綿、藍、サトウキビ、トウモロコシなどに分かれている。なかなか興味深いのだが、なんせここも解説文はスペイン語だけなので、詳しくはわからない。

すぐ近くのバス停からは中心部に行くバスが出ていなかったので、15分ほどあるいて別のバス停に行く。そこからバスに乗り、カネがなくなったので宿に取りに帰り、郵便局によってから屋台街へ。

時間は3時過ぎになっていたが、まだまだ活気がある。歩きながら物を売っている人は、ひとついくらなどと声をあげながら売っている。歩きながら物を売っている人だけに限っても、売っているものはさまざまで、靴下や下着、シャツや携帯のカバー、財布、ベルト、水、アイス、かき氷、お菓子、包丁などなど。マッチ売りの少女ならぬ、マッチ売りのおじいさんもいる。すれ違ったおばさんは、カバーも何もしていない包丁を両手のそれぞれの指の間に6本ほど挟んだまま売り歩いていた。体がひっつくほどには混雑していないものの、ちと危ない。

服やベルトなどの類であれば、肘や肩などにかけて持ち歩いており、水などになると頭に乗せて歩いている人もいる。

ぼくの感覚からするとどう見ても供給過剰のように見える。つまり、客よりも売り手の方が多く、しかも同じようなものを売っている人が多々いる。毎日、どのくらいの稼ぎがあるのか気になる。歩いている人に比べれば屋台を持っている人は楽に見える。でも、これまた同じようなものを売っている人が、近場にたくさんいるから、どのようにして他との違いを出しているのかが気になる。その第一は値段なのだろうが、値札がないのが多いので、グルッと見て回っただけでは比較できない。

ここの屋台・露店街で目に付いたのが、農産物で言えば、イチゴとブドウ。グアテマラでもそれらは見たが、量がこっちの方が多い。あとこれは他の国にもあったが、ハーブの専門店もある。それから炭を売っている店も。

屋台でいうと、グアテマラやメキシコと比較して違うのは、鶏の唐揚げ屋やフライドポテト屋が消えたこと。ぼくが見た範囲では、ププスやホットドッグはけっこうあちこちで売っているが、鶏の唐揚げの類はほとんど見ない。

ルーベンダリオ通りに交差している3本ほどの通りが、これらの屋台街になっており、直線距離にするとけっこうな距離になる。たぶんひとつひとつの通りくまなく歩くとすると、すたすた歩くだけでも30分はかかるだろう。店をのんびり見ながらであれば軽く1時間はこえるだろう。

屋台街の一画には新しく新築されたらしい中央市場がある。2001年にエルサルバドルでは大地震があり、そのときにサンサルバドルもかなりの被害を受けたというので、そのときに立て直されたのかもしれない。

建物の内部は服屋や日常雑貨品、野菜、果物、肉、魚屋、食堂がある。食堂はお昼が終わったからか、客はいなく、店の人自体が食事をしていて、もう片づけるだけというような雰囲気になっている。

この市場で夕食を食べようかと思ったが、どこも店じまいをしてしまったような食堂ばかり。それで、これはダメかなと思いながら歩いていたら、SOPA(スープ)の看板が何枚か出ている通路があって、そのうちの1軒ではちょうど食事をしている人がいた。

きょろきょろしていたら、その食事をしている人が声をかけてきて、食べていかないかと言われる。その人たちはスープ料理を食べていて、それが気になったので、それを注文する。

牛の内臓のスープで、まぁまあの味。これで2米ドルしなかった。

それからカネをおろすために、またメトロセントロにいく。メトロセントロ方面に行くバスに乗って行く。10分もすると右手に大きなスーパーみたいなのが見える。入り口には"menber's only"と書かれており、どうも会員制の店のようだった。それだけなら、まあ、ありそうなことだな、で済むのだが、驚いたのが、その店の駐車場には、刑務所や軍のキャンプなどにありそうな周囲を見張るための5mくらいの簡易塔が建てられていて、そこにはマシンガンを持った警備員がいるのだった。ここまでやっている店を見るのは初めて。この人の出番があるほどに、治安が悪いのか。それともただの過剰反応なのか。

それから5分もたたないうちに通った地域はトタンを張り合わせた家ばかりが立ち並ぶ地帯で、歩道には手足、服がすっかり黒ずんで汚れている男の子が何かしていた。

バスに乗っている時間が見込みよりも長いので、おかしいなと思っていたらすでにメトロセントロは通り過ぎていた。それであわててバスを降り、通り過ぎたという方向に歩いていく。

さっきバスの中から見た男の子は、ほぼ同じ地点にまだいて、交差点に停まる車に寄っていき、カネを乞うている。だが、なかなか応じてくれる人はいないよう。

それからさっきの会員制のスーパーも通り、メトロセントロに行く。メトロセントロのATMでカネをおろしたところ、ちゃんと米ドル札で出てきた。しかも10ドル札ばかりで出てきたので、使いやすい。

午前中来た時は別の入り口だったので気づかなかったが、今回使った入り口には、そこに来る客を目当てしているらしき物乞いのおじさんとおばさんが数人。一人のおじさんは片方の目が見えないよう。

バスに乗って、宿に帰ることにする。メトロセントロからバスが走っている幹線道路沿いまで100mほど。歩いて行っていると、前方の交差点を裸足で行ったり来たりしている若い男性が見えた。

何をしているのかと思ったら、赤信号で止まっている車の前(横断歩道部分)に立って、ソフトボール大のみかんを3つ持ち、ジャグリングを始めた。30秒ほどジャグリングをしたら、止まっている車をまわり、運転席に向かって右手を差しだし、日本語で言う投げ銭を集めている。だいたい10台くらいまわったところで、その車線は青信号になり、そうなるとそのにいさんは、赤信号になった交差している方の車線に行き、そこで同じようにジャグリングをする。車線間の移動は駆け足。首もとのよれたTシャツに半ズボン、そして裸足。それを延々と繰り返していた。

見るとそのおにいさんがやっている反対車線の方で、別の若い男の人が2人でやはりじゃぐりんぐをしている。こちらは一人の背中(首の付け根あたり)にもう一人が乗り、その上に乗った人がジャグリングをするというなかなかアクロバティックな技を披露している。ただ、こちらは一人でやっている兄さんよりも下になっている人の披露が大きいのか、車線を移動することなく、青信号の間は中央分離帯で座って休んでいる。

どちらもおそらく20代後半もいってないくらい。しばらくすると、10歳くらいの男の子(女の子のようにも見えたが)もその交差点に加わる。その子は運転席をまわって手を差し出すのみ。

交差点で物を売って回っている人は、今回の旅ではもう何十人、何百人も見たがこうした芸をして稼ごうとしている人は初めて見た。3つだけとは言え、失敗せずにジャグリングができるようになるには、それなりの練習も必要だろう。それともたまたま簡単にできてしまったから、これをしているのか。また、もし、練習しているとすれば、どんな思いで練習しているのか。

見ている間、彼らにお金を渡している運転手はほとんどいなかったから、これが普通だとすれば、一日の稼ぎも、その日暮らしはできたとしても、大したことはないだろう。彼らは何を考えて、日々暮らしているのか。

エルサルバドルにも麻薬の取引にからんでいる若い人たちのグループがあるらしいが、一時のキングストンのゲットーの若者たちがはまってしまったように、麻薬で稼ぐしか生きる道がないということが、その背景となっている可能性もあるのではないか。

そんなことを思いながら、宿に帰る。

0 件のコメント: