08/03/28(金)
1米ドル=7.5ケツァール
曇り
・牧場
・武装警官・軍人
夜明けとともに目覚める。
荷造りをしてチェックアウトの準備をする。バスターミナルで前日までに確認したところ、グアテマラシティ行きのバスは1時間に一本あるようだったので、特に予約することなく、適当な時間にターミナルに行く。
宿を出たのは7時過ぎ。出口を右に間がり、マーケットの方へ歩く。5分ほどでバスターミナルに到着。10人ほどすでにバスを待っている。待合室の入り口にはパンを売りに来ている人の姿もある。
窓口でグアテマラシティ行きのチケットを頼む。次は8時15分だがいいかと聞かれ、それで頼む。料金は55ケツァール(約1000円)。予想よりも安かった。
しばらく待ち時間があったので、市場近くの屋台でPapas frite con Pollo(パパスフリートコンポージョ:フライドポテトと鶏ももの唐揚げ1ピース)を買う。8ケツァール(約100円)。昨日はポテトだけのを買って5ケツァールだったのに、鶏の唐揚げ代は3ケツァール相当というのが不思議。原価からすればジャガイモの方が安かろうに。
ターミナルの待合室でそれを食べながらバスを待つ。
8時頃、待合室前にバスが入ってくる。おんぼろではメキシコのように立派でもない。
荷台にリュックを積み、乗車口で荷物のチェックがある。乗客がカバンのチャックを開け、係員が中をごそごそとチェックする。
ほぼ予定時刻通りにバスは発車。乗車率は6割くらい。
地元の人が多い。旅行客らしき人はぼくの他にはいない。
ひっきりなしにトレーラーとすれ違う。まちを出ると両側に大規模な牧場が見え、その景色が延々と続く。牛が放牧されており、たまに馬も見る。牧場は山の斜面まで開墾され作られており、ここまでするには相当な労働力が必要だったろうとふと思う。車窓から見える山々は緑は少なく、ほとんどが山肌が見えている。
持ち主はもちろん違うのだろうが、30分走っても1時間走っても、両脇はずっと牧場。広さにすると数百ヘクタールは堅いだろう。ある牧場の管理事務所みたいなのがある入り口は強固な鋼鉄性の扉で仕切られており、銃を持った警備員が入り口で警備をしている。
グアテマラでこれほど放牧がなされているとは意外だった。
延々と牧場の景色が続くので、だんだんと飽きてくる。が、途中、1カ所だけ鶏小屋を発見。平飼いの鶏舎で広さは50m×20mほど。鶏の密度はけっこう高い。ギュウギュウ出はないが、あまり隙間がなさそう。
また、作物の収穫が終わった畑に黒マルチのビニールが畝に残っているのも発見。マルチが使われている畑を見るのは、この旅では初めてのようが気がする。
ときおり走っている幹線道路と交差する道路があるが、こうした道路はほとんどが未舗装。集落の入り口になっているようで、交差している部分がバスの乗り場になっていることが多い。
山の合間を縫ってバスは走る。車道は片道1車線。トレーラーとすれ違うときは手を伸ばせばトレーラーにさわれるくらい。道はすべて舗装されており、凹凸も少ない。エアコンはないものの、窓が開けられるのでその風が心地よい。
それまでもあったものの、だんだんと沿道に大型の商業看板が増えてくる。携帯の看板からファストフード店の看板、化粧品らしき看板など。あと大統領(政党?)の看板もある。
また、徐々に高度が上がってきたようで、窓から入る空気もはじめと比べればひんやりと涼しい風になる。外は曇り。
バスは細々とした住宅街の道に入り、 時 分、プエルトバリオスを出てから 時間後、このバス会社のターミナルに到着。狭いとおりにある小さなターミナルで大型バスはびっちりならべて4台ほどしか入らないようなターミナル。
グアテマラシティはキングストン並みに治安が悪いと聞いていたので、バスを降りる前にガイドブックで位置を確認し、すぐに予定していた宿に向かう。
ターミナルにはタクシーの客引きもいたものの、まったくしつこくはなかった。
歩いているとホテルが次々ある。安そうなところに入り、値段を聞くと20ドルくらい。結局、ガイドブックに載っていた安宿に行く。ここは個室が70ケツァール(約1000円)。自分では40ケツァールの方をお願いしたつもりが、うまくこちらの意図が伝わっておらず、部屋に荷物などを降ろしてからその部屋が70ケツァールの部屋だとわかった。
部屋には大型のベッドにテレビ、タンスつき。さらにカーテンで仕切っただけのトイレ、シャワールームがある。広さは9畳くらいか。
入り口の鍵は南京錠式で、それも南京錠をかける部分は、あの円形のわっかがついているネジ状ののやつ(名前がわからない)。つまりは、南京錠をかけてもそのネジを回せば外れるという、鍵と言うにはなんとも心もとないもの。
ただスタッフの人たちは良さそうな雰囲気だったので、一応、信用して泊まることにする。
宿に荷物を置いて、まずは両替に行く。宿の人に近くの銀行を教えてもらう。100mほどのところに銀行がある。入り口には当然、銃をかまえた警備員がいる。銀行に入っても金属反応のチェックがあり、何が目的かを聞かれてから入る。
最初行った銀行はレートが悪かったので、数件回って両替する。ここらでもレートは1米ドル=7.4~7.5ケツァール。
やはりここでも迷彩服を着、マシンガンを持った警官(軍人?)が車に乗ってパトロールをしているが、防弾チョッキにヘルメットという格好だったキングストンのダウンタウンと比べると軽装。ただ、それはそれ用の予算がないためだけかもしれないが、格好だけを見て判断するにはキングストンほど重々しい感じはしない。
また、一部の壁には”Donde Estan?(どこにいるの?)”と「落書き」がされ、その文字の下に顔写真をコピーした紙が10人ぶんくらい貼られている。スペイン語ができないので、はっきりとはわからないが、内戦中に起こった大虐殺時にいなくなった人のことを書いているよう。つまりは政府に対する批判のよう。
グアテマラでは政府軍などにより1966年から1990年にかけてマヤ系の人たちに対する大虐殺があり、その間20万人以上の人々が殺されたといわれている。
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人権侵害の実態解明か グアテマラで拷問資料発見
- 07/06/07 共同通信配信NEWS
【メキシコ市7日共同】1996年まで約36年間にわたり内戦が続いた中米グアテマラで、過去の国家警察による市民への拷問や不当な捜査などを記述した大量の資料が見つかった。内戦では左翼ゲリラ協力者と見なされたマヤ系先住民ら20万人以上が虐殺されたり行方不明になったとされ、警察による人権侵害の実態解明につながる分析作業が進んでいる。
政府の人権擁護官事務所などによると、捜査資料は1902-96年の間の約8000万点。2005年7月以降、グアテマラ市の警察本部の施設などに放置されているのが順次発見された。
同事務所が優先的にデータベース化を進めているのが、警察による過酷な人権侵害があったとされる1970-80年代の書類。これまでに、拷問ではがされたとみられる指の皮が張られたり、逮捕者について「共産主義者」と書き込むなど思想犯として取り扱っていたことを示す調書などが見つかったという。
(共同通信社)
http://mediajam.info/topic/122396
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ぼくが宿を取ったZONA1(ソナウノ=Zone1=1地区)は、グアテマラシティ内でも治安が悪いと言われているところ。そういうこともあってか、道沿いにあるホテルのほぼすべての入り口は鉄格子の入り口になっており、スタッフが鍵を開けないと入れないようになっている。
宿の前の通りは歩いている人はほとんどいないが、西へ二区画行った6a AV.の通りはメインストリートのようで、左右の歩道に隙なく露店が並んでいる。歩いている人も多い。
15時を過ぎていたので、16時までやっているというツーリストインフォメーションに行く。宿から南に向かうと200m足らずで、屋台がこれまた見事に密集している地帯(18calle)に出る。政府の庁舎らしき前の通りには、タイプライターの露店が5軒ほど並んでおり、客から注文された文章を路上でパチパチとうち、文書を作成している。
さらに南に行くと、裁判所や市庁舎が集まってる地帯に出る。ここの路上にも果物などを売っている人や、歩きながら時計のベルトなどを売っている人たちがいる。
それらの中の一軒で果物の詰め合わせの袋を買う。その店で立ち止まっていると小さい男の子を左肩にかかえたおじさんが、カネをくれと言い寄ってくる。周りを見渡すと同じような人が路上に数人。おじさんには悪いが、断り果物を受け取ると目的地に向かってスタスタと歩き始める。
それを見ておじさんは諦めて、おじさんも歩き出す。そして、別の人(地元の人)に同じようにカネをくれと言い寄っている。
裁判所と市庁舎は幹線道路を挟んで隣あっており、両者をつなぐ陸橋が設置されている。陸橋の階段の踊り場にはマヤ系の民族服を着たおばさんが小さな子どもを二人つれて座り込んでおり、前にはプラスチックのコップが置かれている。3歳くらいの女の子もプラスチックのコップを右手に持ち、通りがかる人に差し出している。
そこからさらに南に行くとツーリストインフォメーションの入っているビルがある。そこで地図をもある。地図は市内の簡易地図をコピーしたもの。あまり使いやすくない。
それから、また露店が密集しているところを歩いて回る。露店は服屋が圧倒的に多く、それからCD・DVD屋、工具などを売っている店、ピアスなどの装飾品店などがある。
店舗形式の店は電気屋からなにからなんでもある。4階建てくらいの薄暗いショッピングセンターの中にはネットカフェが4軒くらい入っていたり、ドラゴンボールのキャラクターも扱っているフィギアの店もある。ゲームセンターや映画館もももちろんある。
屋台はタコスやホットドッグが中心。具材はチョリソー(太いソーセージ)や焼き肉のようなものが多い。
ここでも民族服を着ている女性は多く、特に露店や屋台をしている女性は、その多くが民族服を着ている。歩いている人もマヤ系の人の比率が高い。8~9割くらいか。いわゆる肌の白い人は見ないし、旅行者らしき人も見ない。
夕方暗くなる前に宿に戻り、あとはずっと宿で過ごす。
4軒ほど南となりにはレストランがあって、そこから大音量の音楽が聞こえてくる。
シャワーは水のみ。そんなに冷たくないから浴びるのには問題ない。これまでいたところよりも涼しいためか、部屋には扇風機はない。また、それなしでも十分涼しい。
テレビはケーブルテレビで、数十チャンネルある。スペイン語の番組(スペインのニュース番組など)の他、英語の番組やCNN,FOX,ABCが入る。そのほかドイツ語のニュース番組が入るのがメキシコやドミニカと違う。
白熱電球1つなので、部屋はやや暗いが蚊もいないのでyろしい。
2008.4.3 グラナダ(ニカラグア)よりアップ
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人権侵害の実態解明か グアテマラで拷問資料発見
- 07/06/07 | 共同通信配信NEWS | 7 view
【メキシコ市7日共同】1996年まで約36年間にわたり内戦が続いた中米グアテマラで、過去の国家警察による市民への拷問や不当な捜査などを記述した大量の資料が見つかった。内戦では左翼ゲリラ協力者と見なされたマヤ系先住民ら20万人以上が虐殺されたり行方不明になったとされ、警察による人権侵害の実態解明につながる分析作業が進んでいる。
政府の人権擁護官事務所などによると、捜査資料は1902-96年の間の約8000万点。2005年7月以降、グアテマラ市の警察本部の施設などに放置されているのが順次発見された。
同事務所が優先的にデータベース化を進めているのが、警察による過酷な人権侵害があったとされる1970-80年代の書類。これまでに、拷問ではがされたとみられる指の皮が張られたり、逮捕者について「共産主義者」と書き込むなど思想犯として取り扱っていたことを示す調書などが見つかったという。
(共同通信社)
http://mediajam.info/topic/122396
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