2008.4.17(木)
・また盗まれそうになる
・トンネルをくぐるとアーマーゾーン
・ツーリスティックなまち プーヨ
6時起床。熱はひいたが、腹の調子はいまいち。
荷仕度をして、フロントで宿代を払う。何泊とまったのか自分では数えていなかったが、結局、5泊もしていた。しかし、宿泊代は5泊で15ドル。ありがたいことだ。
6時40分頃宿を出る。今日も晴天のようで、空は青く晴れ渡っている。空気はほどよく冷たい。通勤・通学の人たちがすでに通りを歩いていて、人通りは多い。
今回はトローリーバスに乗ることなく、バスターミナルに行く。7時頃にバスターミナル着。
オタバロに行ったときとおなじように、チケット売場に行くと、各窓口の人が行き先を連呼している。窓口の上に書かれたバスの行き先を見ながらPuyo(プーヨ)行きのバスを出している会社を探す。
ふらふらしていると、どこかの客引きのおじさんが声をかけてくる。"A donde va(ア ドンデバ:どこの行くのだ)?と聞いてきたので、プーヨと伝えると、そこへ行くバス会社の窓口を指さし教えてくれる。
教えてくれた会社の窓口に行くと、窓口の女性が"8(オチョ)"と言うのが聞こえた。後から考えると"
A las 8(ア ラス オチョ:8時)"と言ったのかもしれないが、ぼくは8しか聞き取れなかったので、8ドルかと思い、高いなと思いつつ、まぁ、しょうがないかぁと思って、出発時刻を聞いた。するとまた女性は”オチョ”と言うので、さっきから出発時刻のことを言っているのだということがわかる。
それで8時かぁ、まだ1時間近くあるなぁと思い、どうしようかと思っていたら、横で見ていた男の人が、7時半発のどこどこ会社のバスがあると教えてくれる。その男の人は、そのバス会社の人ではなく、別のバス会社の人のようだった。教えてもらった会社の窓口に行くと、確かに7時半のバスがあった。運賃は5米ドル。
20米ドル札を渡すと、窓口のおばちゃんは釣り銭がないととりあえず5ドルぶんだけつりをくれる。そして、とにかく乗車場に入れと言う。例のごとく、乗車場に入るには、入場料のようなものを取られる。0.3米ドル。入り口の人に50センターボのコインを渡すと細かいコインに両替してくれるので、その中から30センタターボ(0.3米ドル)ぶん取り出し、コイン投入口に入れる。回転バーを押して中に入る。
さっきの窓口の裏手に行き、おばちゃんにここでいいかと仕草をする。すると、そこにバスが入ってくるからとバスが停車するところを指さす。日本でも駐車場内の各枠に番号があるように、ここでバスが入ってくるところに番号札が立てられていて、その番号がバス乗り場の番号になる。
24番の番号がついた駐車枠の前にあるベンチでしばらく待つ。まだバスは入ってこない。予定時刻の10分前をすぎた頃にバスが入ってくる。なかなか豪華なバスだ。
まだつりをもらっていなかったので、さっきの窓口の裏手に行き、中にいるおばさんを見ると、ちょうど目が合い、今、思い出したとばかりに、にこにこしながら釣り銭の残りの10米ドルを持って出てくる。
10分くらいしかたってないのに、忘れるなよな、と思いつつ、笑顔で受け取る。
バスの停車場の前には小さな屋台的キオスクがあって、そこのおばあちゃんがりんごだのを進めてくる。ぼくは朝飯代わりにパンだという茶色い紙袋に入ったものを購入。1米ドル。
それらを持ってバスに乗り込む。
バスに乗り込むと、おじさんが中にいて、ここに座れとすすめる。そして、ぼくの荷物を手に取り、網棚の上に乗せる。上に置くのはちょっとよろしくないんだけどなぁ、と思いつつ、おじさんが親切にそうするので、それに任せる。
てっきりバスの添乗員かと思っていたが、おじさんはなぜかぼくの後ろに座る。なんかおかしい。
まぁ、何か用事があってそうしているのだろうと、ぼくはさっき買ったパンを食べ始める。食べてみるとパンには違いないが、揚げたのかバリバリのスカスカのパンであまりうまくない。くそぉ、失敗したなと思いながら、それでも頬張る。
しばらくして巡回しているらしい警官が二人バスの中に入ってくる。そして車内をじろじろ見て歩く。若い方の警官が何か後ろのおじさんに質問していて、年輩の警官が、その若い警官を警棒でこづき、連れていけとあごで指示する。
おじさんは、とりたてて抵抗もせずに、警官二人に挟まれてバスを降りていった。う~ん、これはおかしい。バスの添乗員ならこんなことはありえないし、乗客でチケットを買っているなら、降りるわけがない。
これは何かある。素直に降りていくという事は、すでに降ろされても良い状態にあるということで、つまりはすでに目的を達しているということだろう。だとすれば、その目的は盗みしかない。
と、例のごとくあれこれ考えて、パンを加えたまま網棚(実際は網ではないが)に置いてたリュックの中を見る。すると、ない!このリュックの中に入れていた外付けの折り畳み式キーボードやカメラの充電器などがごっそりなくなっている。
あのおやじ!と思って、動きだそうとしていたバスを止める。パンを加えたまま運転手に”Un momento, un momento"と連呼する。バスは停まるが、ぼくはなんと言って説明すればいいかわからず、ただスペイン語で自分の荷物と言って、乗車場を警官二人に挟まれて歩いていたおじさんを指さす。運転手は何が言いたいのかわからぬようで、眉をしかめて何か言う。
が、ぼくにはそれがまたわからないので、とにかく”Un momento, un momento"を連発し、バスを飛び降りる。
そんで警官のところに走っていき、またスペイン語で”自分の荷物”と繰り返しながらおじさんを指さす。年輩の方の警官は、それを聞いておじさんの方を見る。
するとおじさんは、あっさりと自分のリュックを開け、中を見せる。
するとそこには、ぼくの荷物がどっさり入っていた。そして、なぜか一番そこには中学校などで使う体育館シューズ(と言っても各学校で違うだろうが)のような靴が2足ある。わりと新しいので、これも盗んだものかもしれない。おじさんはどちらかというと、見た目には金持ちそうではないし、どちらかと言えばカネに困ってそうな感じだ。でも、同じような様相の人はそこら中にいるので、とりたてて貧相というわけではない。
ぼくはリュックに入っていた物を自分の手で取りだし、警官に再度、それらを見せながら、自分の荷物だと言う。
年輩の警官は"Su maleta(あなたの荷物)?"と聞いてくるので、"Si"と言いながら、充電地の箱を見せながらこれは日本語だと伝える。
それで警官の方も確信したらしく、おじさんの方を見て、次の瞬間警棒でぶっ叩く。
ってことになるかと思いきや、年輩の警官はおじさんを、こやつめ、って感じで苦笑いしながら見ただけ。いやいや、もうちょっと厳しくしましょうよ、せめて時代劇で大岡越前が”ひったてぃ!”と言って小役人が悪人を連れていくように、おじさんの首根っこでもつかんで、ほら!、と心の中では思うも、それを言葉にすることができない。
バスの添乗員も降りてきていて、早く乗って、みたいなことを言うので、盗られていたものを持ってバスにそそくさと戻る。
バスの席に座ると、年輩の方の警官も乗り込んで来て、ぼくの横に来て"Todo bien(トドビエン:全部大丈夫か)?”と聞いてくる。"Si,si"と答えると、警官は通路の前方に行き、乗客に荷物を網棚の上に置かないようになどと身振り・手振りを交えながら話をする。乗客は4人ほど。みんな窓の外を見ていてあまり聞いてはいない。
バスがターミナルを出たところで、警官は降りていく。
ぼくは、どうしてこうなんでもかんでも盗むかなぁ、もう少し盗むものを選べばいいのに、なんてことを考える。充電式の電池とその充電器は売れるとしても、カメラ用の充電器なんて、そもそもそれらが使えるカメラも出回っていないのだから、そんなに売れないだろうに。
もしかしたらおじさんのような盗人は、盗るものの価値も知らずに盗んでいるのかもしれない。まんまと盗んだものの売れもせず、まして自分で使うこともできずに、放ってあるというものがけっこうあったりするのかもしれない。
あるいはとにかく出せば売れるという裏市場があって、そこでバンバン売り買いされているのかも。
しかし、それにしてもおじさんは、盗んだものにどう値段を付けるのだろうか。観光客から盗んだ物の中には、どう使えばいいのかわからないものとか、そもそもこの国ではそのままでは使えない(コンセントの規格などが違うなど)物もあるだろう。
どこかであった日本人旅行者に聞いた話で次のような話があった。彼はアフリカを旅行していたという別の日本人旅行者から聞いたらしいのだが、その人がアフリカで強盗に遭ったときに、カネなどは盗られたがiPodは盗られなかったらしく、あいつらはiPodの価値がわかってない、とその盗まれた日本人は言っていたらしい。
ショッピングセンターに行けば、いわゆる先進国で売られている物はたいていあるから、そこで値段を知ることはできるだろうが、結局、買い手に買い叩かれていたりするのではないだろうか。
海外ドキュメンタリーを作るならこれをテーマにすると面白そう。外国で盗難に遭っている人は、そこそこいるだろうし、海外旅行経験者や希望者にもウケるかもしれない。ちょっとちゃちぃテーマなのが、難だけど。
ぼくは腹の調子がよろしくないのに、気分を落ち着かせるためにあまりうまくもないパンをパクつく。
バスは渋滞に巻き込まれながら、なんとかキトの待ちを出て、広い幹線道路を走る。しばらくすると、雪をかぶった山が正面に見える。地図で確認するとどうもCotopaxi(コトパクシィ?)という山のよう。標高は5897m。エクアドルにはVolcan Chimborazoという標高6310mの火山があるようだが、そちらはここから見えるには遠すぎるように思える。
周りの景色は、昨日、オタバーロに行くときに見えた景色と似たような感じ。てっぺんまで耕された、あるいは牧場になっている山々の間をバスは走る。トウキビ畑などが見え、牛や馬が草を食んでいるのが見える。
こうした風景は、”のんびりとした”という形容詞を付けられてしばしば言われたりするのだが、それは見ている人の都合でそう言ってるだけで、そこにいる人が本当にのんびりしているわけではない。そう思う。
日本でも”田舎はのんびりしていい”なんて言われたりするが、田舎の都市部は一部そうかもしれないが、田舎の田舎にいる人は、けっこうやることが多くて、休みという休みはなかったりする。
都会暮らしとは、ほとんどの人にとっては雇われ暮らしであり、雇われている以上は、自分の意思に関係なくやらなければならないことが次々と発生し、それをこなさなければ暮らしていけない(もっともこなし続けたことで逆に体を壊し、最悪の事態では死に追いやられることもあるが)。
そういう人にとっては、田舎の風景は、のんびりとして見えるだろう。ただ、実体はのんびりとしているわけではない。ただ、同じ商売をしていても自営業だったり、自作農であれば、より自律している面はあるだろう。そして、そのぶん-自分であれこれ決めることができる=誰かに決められるわけではないぶん、のんびりしているように見えるかもしれない。
つまり、ある人たちにとって、のんびりした風景とは、より自律した風景であるにすぎず、それ自体がのんびりしているわけではない。ただ、いずれにしても比較の問題だから、そうとも簡単には言えないかもしれないが、それを詰め出すときりがないので思考を停止する。
ある畑では、小さい子どもやおばあちゃん、おじいちゃんまで、要は家族総出で何かの収穫作業をしている。
LantacungaやSalcedoといった比較的大きなまち以外にも、いくつもの集落や村々を通り、10時半アマゾンへの分かれ道となるAmbato(アンバート)に到着。何人かの乗客を乗せ、すぐにバスは発車。
バスはこれまでの広いとおりから、谷がちでより狭い道路に入る。ぼくはうとうと居眠り。なんだかだんだんと暑くなって来たのを感じ、目が覚めるとBanos(バーニョ:正確にはnの上に波線が付く)に着いていた。時刻は11時半。
ここでしばらく休憩。バスの周りには飲み物やバナナチップなどのお菓子などを売りに来ている人がいる。
ここでいくらか客が入れ替わる。バスは再度発車。狭い渓谷の間に集落ができていて、ときおり広い農地が見える。沿道には苗屋さんをしばしば見る。
30分ほど走り、トンネルをくぐると景色は一変した。それまでは、山々は緑が薄く、頂上までなんらかの形で人に使われている様子だったが、トンネルのこちら側はとても人が入って行くには森が深すぎるように見える。
Rio Negroという地名を知らせる看板が見える。Rioとは川の意味であり、Negroとは黒色を意味する。谷間を流れている川は、黒とはさすがに言えないが、茶色い濁流で、アマゾンという言葉のイメージになかなかフィットする様相をしている。
道幅は大型バスがすれ違うことができる程度はあり、また路面も舗装されていて、問題はない。ここも観光地化が進んでいるようで、ときおり、エコツーリズムと書いた看板なども見える。また、途中にはバンジージャンプができるところもあり、ヘルメットなどをかぶって、これから飛ぼうという少年が、おそるおそるはるか川底を覗いているのも見えた。
2~3カ所ほど、滝となって水が豪快に落ちてくる場所もあった。
やがてShellというまちに入り、沿道に家や店が立ち並んでいるのを見る。また、小さな飛行場もあった。
一旦、家並みが切れ、くねくねとした道に入るも、30分ほどで広い通りに出る。そして、左手に見えてきたバスターミナルに、バスは入る。
ガイドブックではターミナルから1kmほど離れたまちなかのホテルしか紹介されていなかったので、移動が面倒だなと思っていたが、ターミナル周辺にはホテルが10軒近くあり、ネット屋もレストランもあった。
バスから降り、ターミナルから50mほどしか離れていないホテルにまずは行ってみる。宿泊料を聞くと1泊6米ドルというので、そこで決定。ターミナルに近く、建物もコンクリート造りで比較的新しい。この宿で6米ドルなら4ドル位のところもあるかと思ったが、あまり費用の削減効果はないし、明日また朝が早いので、ここに即決する。
パスポートを見せてチェックインし、部屋の鍵をもらう。部屋は10畳ほどもあって、ダブルベッドでシャワールーム、トイレ、トイレットペーパー、石鹸、タオル、テレビ付き。加えてベッドの横にはベビーベッドまである。そのきれいさは日本のしょぼいビジネスホテルよりもずっと上だ。
あまりの豪勢さ(?)にぼくは感じ入り、しばしベッドでごろり。
それからネット屋でちょっとネットをする。1時間0.8米ドル。キトと比べるとちょっと高いが、早さは十分。パソコンは10台ほどあり、客はぼくの他に中学生くらいの男の子が一人。店主はおばあちゃんとおじいちゃん。
それから歩いて中心部に向かう。 ネット屋のおばちゃんに聞いたら通りをまっすぐ行って左に行けば行けると言うことだったので、その通りに行ってみる。通りを歩いていると、左の方からバスが来てこちらに向かって曲がって来た。フロントガラスにcentro(セントロ)とあったので、このバスが出てきた方向に向かって歩く。
左に曲がってみると、道は舗装されていないし、民家もあまりないし、人通りもほとんどない。幹線道路とまちの中心部とを結ぶ道路が未舗装というのはあまりないので、歩きながらこの道でいいか不安になるが、聞く人もあたりにいないのでとにかく歩く。
10分ほど未舗装の道を歩き、交差している通りを右左と見てみると、右の方に舗装されている道路や店が多かったので、そちらに向かう。そちらに行くとレストランやアマゾナスと書いたトラベルエージェンシーの店、中国語で書かれた中華料理屋の看板も見える。
適当に歩いていると三叉路に行き着く。そこには2体の銅像が立っていて、互いに握手している。1体は上半身裸に日本で言うとふんどしのインディヘナで、もう1体は白人系の人をイメージしたもの。どうもこれらの像は両者の友好を表しているよう。
ガイドブックによればミュージアムがあるというので、そこに行ってみる。広場に面した3階建ての建物の3階にそのミュージアムはあった。2階には行政の事務所か何かがあるようで、書類を持った人たちがずいぶん並んでいた。
その建物の手前、広場の端では男の子が3人、ビー玉で遊んでいる。あまりはっきりとはわからなかったが、ある地点からビー玉をはじいて、あらかじめ掘った穴にどっちが1発で入れるかを競っているようだった。
彼らが遊んでいるところへ別の子がやってきた。その子が歩いてきた方向には家などないように見えたので、どこから出てきたか確認すると、その子が出てきたのはコミュニティレストランと書かれた白い四角いコンクリート造りの建物だった。そのレストランは、底所得者のために普通よりも安い値段で料理を出している店のようで、表にはその日のメニューが0.5米ドルと書かれていた。
そこで飯を食ってみようかと思って、やや遠くから中を覗いたところ、もうほとんど昼の時間は終わったようで、片づけらしきことをしていた。
腹の調子も良くないので、そこでの食事はやめ、ミュージアムに行く。ミュージアムはビルの一室にあって、入場料は無料だっった。
中に女性の職員がいて、先客の男性2人にあれこれ説明をしていた。展示物は、アマゾンに住む人たちの家を復元したものや狩猟・採集、料理などに使う道具、アマゾンの生き物の剥製、多種の蜘蛛や蝶の標本など。解説文はほとんどない。
アマゾンでもいろんな部族のものを集めたようで、復元されていてる家も違う物が6種類ほどある。そのうちの一つはMitad del Mundのミュージアムにもあった家と同じタイプの家で、獣の進入から逃げるために、入り口が二つあるという家だった。
それからまちをふらふらする。人口が少ないからか、人通りは少なく、閑散としている印象を受ける。お店はそれなりに服屋からパソコンを売っている電器屋までそろっているが、客はあまり入っていない。ネットカフェも10軒以上はある。
歩いていたらツーリストインフォメーションを見つけたので、そこで地図とバスの情報をもらうことにする。対応は丁寧で早かった。市内の地図をプリントアウトしてくれて、市場の位置を聞くと、そこにマーカーを付けてくれる。バスについても相談に乗ってくれ、どういうルートで行けるかを教えてくれる。
さらに3種類ほどのカラーのパンフをくれて、極めつけにはそれらを特注の紙袋に入れてくれる。カラーのパンフのうち一枚はMAPA DE LA REGION AMAZONIAとタイトルが打たれたもので、エクアドルのアマゾニアと呼ばれている地域全体の地図が載っている。アマゾニアでもいくつかの地域に別れており、それぞれの地域名と主要都市名、アマゾンの旅のルート例、それからそれらの旅をサポートするエイジェントの名前と電話番号の一覧が載っている。
プーヨはPastaza(パスタサ)という地域の中心都市ではあるが、ここまでツーリストインフォメーションの対応がいいとは想像していなかった。エクアドルがどれだけ観光に力を入れているかが、こういうところでもわかる。
またここまでされると、エクアドルのアマゾンの中にもっと入ってみたいものだとも思ったのだが、あいにく腹の調子が悪く、明日もこの調子が続きそうなので、やめる。
目的の市場はここと同じ角にあった。外見からはそれとわからず、ぼくは近くの通りを何度も歩いて別のところを探していたりしたのだが、気づくと10m程度しか離れていなかった。
市場はコンクリートの3階建ての建物の中にあり、真ん中が四角く吹き抜けになっている。天窓からの光だけなので、中は薄暗い。
入ると4歳くらいの男の子がぼくを見て、”チーノ”という。ぼくがにこりともせずに、そちらを見ると、隣にいたその子のおにいさんらしき子は、その子に二度目を言わせないように制している。エクアドルに来てからは、チーノなどとは言われたことはなかったので、久しぶりだ。
中は20m四方程度の広さしかなく、店数も客も少ない。歩いていると、みんなの視線がこちらに集まる。1階は野菜や果物を売っている店が多く、2階には食堂が数軒と服屋さんが多い。野菜や果物の品ぞろえはキトと代わり映えしない。一回りして出る。
地図を見ると、まちの近くに大きな川が流れているようだったので、そちらの方に行くが、河原はジャングルさながらに草が生い茂っていて入れない。別のルートをとぼとぼ歩いていたが、とても川に出そうになかったのでやめる。
まだ明るかったが、さっさと宿に帰ることにする。
宿やバスターミナルが面している幹線道路に出て、歩いていたら焼きバナナを売っている屋台があったので、腹に何か入れとかないといけないなと思い、そこで焼きバナナを買う。キトで買ったときはバナナをただ焼いただけのものだったが、ここのは違った。
1本頼むと、店の女性はバナナを乗せる皿やきれいな紙がないと断った上で、バナナの皮を取り出し、そこに網から焦げ目がついたバナナを乗せ、ナイフで縦に切れ目を入れる。そこにふわふわしている(ぼろぼろとした感じ)チーズを入れ込み、最後にぼくに"Aji(アヒ)?"と確認した上で、緑色のサルサソースをかける。この緑はアボカドの緑のよう。料金は0.3米ドル。ここまで手をかけるならもうちょっと取ってもいい気がするが、まあいい。
食べてみるとなんとも不思議な感じだ。バナナの甘さにチーズの塩気に、サルサのピリッとした辛み。これは調和していると言っていいのかどうか、判断が難しい。これもまた誰かがただのバナナに飽きて、こうしたものを発明したのだろう。
宿に帰ってからシャワーを浴びる。シャワールームには、水用とお湯用と思われる2つのあの捻る取っ手(?固有名が出てこない)があるので、お湯用と思われる方を捻ってお湯が出るのを待っていたのだが、なかなか出ない。けっこう待ったのに出ないので、これはお湯はでないのだなと意を決して冷たい水の中に入る。なんとか水になれてきた頃、だんだんと水の温度が上がってきてお湯になり、今度は熱すぎるくらいの温度になる。慌てて水の方を出し、熱さを調整する。
時間はまだ17時前だったが、さっさとベッドに入る。
それにしても今回の腹の不調は長い。腹の不調の原因はいくらでも思い当たるので、どれがまずかったのかがわからない。もしかしたらそれぞれの要因が合わさって、これだけ長引いているのかもしれない。
キトでは毎日、道ばたで売られていたゆで豆やトウキビを食っていたから、それが消化に悪かったのかもしれないし(豆は歯ごたえがある程度に硬かった)、氷の入ったジュースも飲んでいる。また、食堂や道ばたで食い物を買ったときには、店の人は盛りつけるときに素手も使っていたから、そこからなんらかのばい菌が入ったのかもしれない。
とにかく自分の腸内細菌の力を信じ、寝ることにする。病は気から、信じる者は救われる?
5 件のコメント:
ふうさん、アンネのバラ友です。
お腹の調子が良くないとのこと、
ヨーグルトを毎日一回は積極的に食べること
をオススメします。現状ではかなりの量を摂取して腸内細菌のフローラを良い方向に立て直すことが大切だと思います。
確かに「自分の腸内細菌の力を信じ、寝ることにする。病は気から、信じる者は救われる?」ことも確かですが、ヨーグルトの乳酸菌はブルガリアの長寿村=ロドピー以来の
メチニコフの学説が最近は再評価され、腸内細菌の専門家のお一人も個人的にヨーグルトを毎日大量摂取しているようです。
追伸:盗難騒ぎはよくぞ、対応しましたね。
三度目が起こらないように、人間観察 と隙のない対応を!
アンネのバラ友さま
ヨーグルトのすすめありがとうございます。気にしてはいたのですが、中米では店で売っているヨーグルトは、のきなみ大企業の、それもほぼ一社のものしかなく、しかもプレーンのものがなく、あったとしても量が1リットル以上もあるため、ひんぱんに移動する間は買っていませんでした。
市場にはチーズはあるもののヨーグルトはあまりなく、またあったとしてもやはり量の問題があってなかなか買えないですね。とにかく一日で食べきる量で売っていないのがネックです。
ですが、ちょっと気をつけて探してみます。
すごい・・・盗難って日常茶飯事なっちゃ・・・。決してぷらぷらひとが抜けているんではなくて、いつも以上に神経は研ぎ澄まされてるっちゃろう??
こわいねぇ~~
バスで結構寝ているようじゃけど、その間は大丈夫なとけ?
んでもって、ホテルは安全??
日本ってほんとに安全っちゃねぇ~~~
はよう体調戻るといいでげすね。
薬、プレゼントしたらよかったわ。
くりこ さま
やっぱり気をつけてないと盗られるみたいね。寝てるときはまったく大丈夫なんだけど、人によってはバスの中で丸ごとやられたって人もいるから、運次第かも。
旅に慣れてきて、ジャマイカに行ったときとかと比べるとふぬけているから、こういうことが起こるのでしょう。
ホテルは基本的に大丈夫だね。ユースホステルのロッカーつきがたぶん一番安心できるかな。日本人宿も安全だけど、でもたいていがロッカーとかないから、気にはなるよね。最近は日本人を狙っている日本人もいるらしいからね。これも運次第かと。
薬は基本的に飲まない主義だけど、お心使いには感謝申し上げます。
>盗難
被害に遭ったその場に警官が来るなんて!私が事件に遭った時と同じパターンの偶然!
取り返したのはお見事ですが、カバンに南京錠を付けていないのですか?逆にそのことにビックリです。
>バニョス
通過したんですね。温泉があったのに!
このあたりは渓谷の景観が面白く(地形学的にも面白かった)、バンジーとか出来そうな場所ですね。
Rio NegroじゃなくてRio Verde も通ったのでしょうか。写真で見ました。私が行った時は、道路工事で足止めを食らった場所で、広場に見覚えがありました。川が本当に緑色で、私も写真に撮ったんですよ。凄くマイナーな所なのに同じ所を見たんだ!って嬉しくなりました。
>プーヨ
ペルーかボリビアの東部でも同じようなアマゾンの自然が楽しめると思います。お金があれば、ツアーを頼んだ方が良いですね。個人では奥地まで入り込めないですから。
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