2008.4.8(火)
・忘れ物危機一髪
・国境はバナナ鉄道
・1時間後の世界
・約15時間の移動
5時頃、目覚める。扇風機をつけて寝ていたら朝にはちと寒くなった。外からはいろんな鳥の声がする。近くからは鶏の鳴き声と牛の声も聞こえる。
部屋をでてみると、部屋がある建物の裏は牛の遊び場になっており、1頭の牛が部屋がある敷地とその遊び場の境まで来ていた。境には有刺鉄線があるからこちら側には入ることはできない。一方、こちら側は鶏の遊び場になっていて、雄鶏・雌鶏がせわしく羽をばたつかせながら走り回ったりしている。そして、ときおりコケコッコッーと雄鶏が鳴く。ぼくが歩いていると鶏が集まってくるので、どうも餌をくれると思っているらしい。
ホテルが面している道路沿いにでる。このホテルは路線バス(長距離含む)の終着点にもっとも近い宿ということで、その運転手等が泊まっており、ホテルの前には10台近くバスが止まっていた。5時過ぎだが、もうだいぶ明るく、道端に停まっているバスの何台かからは低いエンジン音が聞こえる。小学生くらいの子どもたちが、そのバスに乗り込む。こんな朝早くからどこへ行くのだろうか。道路には人の姿はほとんどない。
バスに近づいていき、運転手の女性にパナマに行きたいんだけど、と言うと、タクシーで行ったらと言われる。が、そのあと、考え直したように”Pase(パセ:入って)”と言って乗せていってくれるようなことを言う。荷物を持っていなかったので、スペイン語で”荷物、荷物”とホテルの方を指さし、ちょっと待ってと言って部屋にあわてて戻る。
部屋に戻り、荷物を整理して、バスがいたところに急いで戻ると、バスはすでにいなかった。
リュックを背負ってバスのまわりをふらふらしていたら、準備をしていた別のバスの運転手がどこに行くのか聞いてくる。パナマと言うと、乗れと言われる。
ありがたい、ありがたいと思いながら、乗り込む。進行方向左手、カリブ海の方に太陽が見える。沿道の家家は高床式で、その奥にはわりと大きな集落が見える。
正面からは自転車に乗った男の人たちが数名、こちらに向かって走ってくる。
5分もしないうちに国境に到着。こんなに近かったとは。バス自体は国境に入る道路から左にそれ、路線バスの終着点であるターミナルに行く。その手前で運転手は降ろしてくれる。
国境に入るための道は1本のみ。まだ国境が開いていないのか、路上には20台以上トレーラーが止まっている。パナマ側からは何人もの人が歩いてこちら側に来るので、てっきり歩きの人は通過できると思っていたが、そうではなかった。
バスから降りて国境の方に向かうと、アフリカ系の男性2人が英語で話しかけてくる。トレーラーの運転手らしい。どこに行くのかと聞いてくるので、パナマだというと、パナマのどこだと聞いてくる。細かいことを聞いてくるので、もしかしたらタクシーの運転手かとも勘ぐったが、そうではなかった。彼はそこをまっすぐ行って、コスタリカのスタンプとパナマのスタンプをもらって、その先に行くと左手にタクシー乗り場があって、右手にバス乗り場があると教えてくれる。
トレーラーの間を縫って、歩いてくる人たちが出てくる方向に行くと、目の前に鉄橋が現れた。鉄橋はコンクリートやアスファルトで舗装されてはおらず、分厚い板が路面には敷かれている。それもよく見ると板の間には線路が見える。どうも元線路だったところを車が通れるよう、分厚い板を敷いて段差をなくし、平たくしているよう。
パナマ側からはその板の上を歩いて、パラパラと人が渡ってくる。長靴を履いている男性が多い。
確認したわけではないので、はっきりとは言えないが、つまり、ここの場合、パナマとコスタリカをつないでいるのは、バナナの運搬用に敷かれた昔の鉄道用の鉄橋のようだった。
鉄橋の手前右手にはイミグレの建物があるが、鉄格子の入り口は閉まっている。左手奥には警官が何人かいておしゃべりしていたので、そちらに行ってパナマに行きたい旨を伝える。すると、イミグレの建物を指さして、スタンプを押さなければいけないというような仕草をする。そして、イミグレは7時に開くと教えてくれる。
時間はまだ5時40分。6時の間違いじゃないかと思い、またしばしば7(シエテ)と6(セイス)を間違えるので、時計を見ながらその警官に”1 hora(ウナオラ)?"
と聞くと、”そう、まだ1時間ある”と答える。
こんなことならホテルでゆっくりしておけば良かった。これからまた戻るのは面倒だからイミグレの鉄格子の前に荷物を降ろし、そこで待つことにする。あたりは木々にかこまれており、そこから何種類かの鳥の声が聞こえる。
そういえば、パナマは米ドルだから、細かい米ドルを用意しとかないといけないなと思い、財布と貴重品を入れていたバッグの中を探る。そんなことをしていたときに、ふとトラベラーズチェックと保険証書、さらにイエローカード(黄熱病の予防接種証明書)を入れた袋がまるごとないことに気づく。
ゲゲゲっと思い、どこにやったかを急ぎ思い出す。そう言えば、昨日、宿に着いたとき、ベッドの下に隠したような・・・。一応、リュックの中や手持ちのカバンの中を確認したがない。やっぱり宿に置いてきたよう。
急いでリュックを背負い、バスターミナルに向かう。さっき会ったアフリカ系の人が、パナマに行くんじゃなかったのか?と聞いてくる。忘れものをしたと言うと、パスポートかと聞いてくるが、そこは曖昧にして答えず。
バスターミナルに行くと、さっき乗せてくれた運転手がいて、パナマに行くんじゃないのかと聞いてくる。それで、手元の辞書で忘れたという単語をひき、適当なスペイン語でホテルに荷物を忘れたと言うと、パスポートか、と彼も聞いてくる。ここもとりあえず曖昧にして、出発しようとしていたバスの方に行く。こちらの運転手はいつのまにか去っていた最初の女性の運転手だった。
どこに行くのか聞くので、ホテルだと言う。どうも事態が飲み込めないようで、スペイン語でなにやら聞いてくるが、何を言っているのかわからない。さっき見たはずの忘れたというスペイン語の単語はすでに頭から飛んでおり、また調べる。すると後ろからさっきの運転手が大声で何やら伝えてくれる。それを聞いてようやくわかってくれた。
タダで乗せてくれるかと思ったが、一応、値段を聞くと容赦なく350コロン(約80円)と請求される。なんだよ、たった1kmくらいなんだからもっと安くしてくれよ、とスペイン語ができれば言いたいところだが、言えず。
バスは基本的に均一料金の前払い制。日本のように距離ごとに細かく料金が分かれていない。遠いところに行くには、非常にありがたいのだが、今回のように近場に行くときは損した気分になる(実際は遠い所に行くときには得しているんだが)。
バスはPuerto Limon行き。すでに20人くらい乗客がおり、ホテルに着くまでの間にも10人近く乗り込んでくる。
すぐにホテルの前に着く。バスを降りるとちょうどホテルの管理人のおじさんが表にいた。また、忘れるという単語を忘れる。おじさんに”en habitacion,mi equipaje(部屋に、私の荷物)”と片言スペイン語で言うがまったく伝わらず、おじさんは”1泊1人5000コロンだ”と聞いてもいないことを言う。やはり状況がまったくわかっていないよう。
そんなの昨日泊まったから知ってるよと思いつつ、また忘れるという単語を辞書で調べ、見せる。すると、すぐにわかって、部屋の鍵をくれる。
果たしてベッドマットをどかしてみると、捜し物はそこにあった。まったくアホだ。せっかくただで国境までいけたのに。少し部屋でゆっくりして、今日、使いそうな金額ぶんのお金を用意して、再度宿を出る。
ホテルの前には2台、バスが止まっていたが、その運転手らしき人はいない。まったく発車する気配がないので、ため息をひとつつき、歩いて国境に向かう。
制服を着た中学生くらいの男の子が二人前を歩いている。気温は30度にはなっていないようだったが、日差しはすでに強く、汗がじわじわと染み出してくる。
15分ほど歩くと、トレーラーが見える。また、トレーラーの間をぬって歩いていると、野球帽に半袖のポロシャツ、セミロングのジーパンにスニーカーという軽装のムラートのにいちゃん(30代くらいか)が英語で話しかけてきた。そして、どこに行くんだと聞いてくる。パナマシティだと言うと、タクシーを勧めてくる。
予定では、国境を渡ったところで、バスに乗り、パナマ側の国境近くでは交通の拠点になっているチャンギノーラ(Changuinola)というところまで行き、そこでバスを乗り換え、太平洋側のダビ(David)に行き、そこでパナマシティ行きのバスに乗り換えるつもりだった。
そのにいちゃんは、チャンギノーラまではタクシーで行ったほうが早くていいという。どれくらい時間がかかるか聞くとチャンギノーラまでは30分と言う。運賃を聞くと10米ドルと言う。30分で10米ドルは高いなと思い、妥当だと思う5米ドルにできないか聞くと8米ドルと言う。
彼は横浜や神戸に居たことがあるそうで、日本人にとっては8米ドルなんて安いだろと見込んで、そのような値段を言っているようだった。
考えている間、彼は加えて、国境の向こうでもしタクシーをひろうとなれば15米ドルは要求してくるはずと言う。さらにタクシーを使えば、今日の夜8時くらいにはパナマシティに着けるとも。チャンギノーラからダビまでは10米ドル、ダビからパナマシティまでは12.5米ドルかかるということも教えてくれる。
彼の話から推測すると、バスで行くとすれば、待ち時間も入れるとチャンギノーラまで1時間ちょっとはかかりそう。そうするとパナマシティ着はそれだけ遅くなる。到着が夜になることは避けられそうにないようだが、できるだけ早くつきたい。
そういうわけで、8米ドルの出費は許容するかと思い、彼にOKを出す。すると彼は”Vamos(バーモス:行こう)"と行って国境に向かって歩き出す。
イミグレの建物の前に着き"You have to wait here"と彼は言う。さっきは誰も居なかったが、4人ほどイミグレが開くのを待っていた。
待っている間、彼はぼくに名前を聞いてきて、自分の名前も名乗る。Jose(ホセ)と言うらしい。彼はマリーンで働いていたらしく、日本の他にも中国や香港、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)、インドなどに行ったことがあるらしい。
彼はぼくにコービーを知っているかと聞いてくる。コービー? 知らないというと、携帯を取り出し文字を見せる。見ると"koby"とある。はて?
そこで思い出したのが、NBAのスタープレイヤー、コービー・ブライアントの話。聞いた話によると彼のコービーという名前は、彼の両親が日本の神戸が好きだったかなんかで、その神戸から取った名前らしい。
もしや彼も神戸のことも言っているのかと思い、まちの名前かというと、"Yes, big city!"と言うからやはり神戸のことのようだった。
彼は"Japan is rich country."と言って、技術力は高いし、まちはとてもきれいだと付け加える。インドは嫌いだと言うので、なぜか聞くと彼の答えは”Too dirty"だった。
また、彼はベトナムにいたときに良い女の人がいて、その人とパナマで一緒に暮らそうと思いもしたらしいが、彼女をパナマまで呼び寄せるための飛行機代が高くて、それは諦めたらしい。たしかにベトナムからパナマじゃ20万円近くはかかるだろう。ベトナムじゃ20万円なんて、いい給料をもらっている人でも数年ぶんの収入だし、パナマ人にとっても金持ちじゃないとなかなか出せない金額だろう。
7時。イミグレの窓口が開く。パスポートを持って待っていたら、ぼくの後ろにいた男の人がこれが必要だと言って、彼が持っていた出国カードのようなものを見せてくれる。どこで手にはいるか聞くと、窓口の方をあごでさす。
窓口の男性にドキュメントをくれというと、何もいわずにくれる。そこに必要事項を記入し、それとパスポートを持って待つ。
10分ほどで自分の番がまわってくる。それらを出すとパナマに行くのかと聞かれただけで、他に質問はなし。スタンプを押してくれる。
さて、次はパナマの入国手続き。問題はこちら。情報によるとかなりの確率で、陸路での入国でも出国用のチケットの提示を求められるとあった。それは飛行機でもバスでもいいらしいが、昨日の結果、飛行機のチケットはないし、バスのチケットも買っていない。さてさて、どうなることやら。ただ、この国境の雰囲気から言うとチェックはぬるそう。
鉄橋を歩いて渡る。歩行者はトレーラーなどが通る脇の鉄板の上を歩く。基本的にさびていて、一部隙間ができている。近いうちにこれは作り替えるなり改修するなりしないと、この鉄板もさびて弱くなり誰か落っこちることになるんじゃないかと思えるくらい。
鉄橋の下には幅30mくらいはある川が流れている。水の色は茶色。鉄橋の真ん中よりややパナマよりまで行くと、歩行者用の通路は欠けていて、前から来る人たちはトレーラーが通っている真ん中部分(枕木)を歩いていた。混雑しているのか、トレーラーが2台鉄橋の上で止まって動かない。前からも人が来るので、道を譲り合いながらでないと、前に進めない。
距離にすれば50~100mほどだろうか、鉄橋を渡り終え、パナマに入国。
パナマ側に上陸すると、靴磨きの道具を持った10歳前後の男の子が二人いた。鉄橋を渡り終えた左手にパナマ側のイミグレがある。ホセがこっちだと言って、そこを案内してくれる。
そこの窓口の女性にパスポートを出す。手続きが終わるのを待っていると、その靴磨きの少年の一人が寄ってきて、何やら言う。何を言っているのかわからなかったが、どうも靴を磨かせてほしいと言っているよう。ぼくのはランニングシューズだし、第一くさいから彼に良くない。
なので、断る。特に質問もなくパスポートは戻ってきた。パスポートを返しながら女性が何か言うがよくわからない。それをホセが訳してくれて、こっちでツーリストカードを買わないといけないと案内してくれる。
ぼくが理解したのを見て、窓口の女性はぼくの横にいた靴磨きの男の子を呼び、なにやら叱っている。彼はにこにこしながらそれを聞いていたが、たぶんここでの商売は禁じられているのであろう、バス乗り場などがある方へ歩いていった。
イミグレの窓口の3つほど隣に、また事務室があり、そこに入る。事務室には年輩の男性が一人いて掃除をしていた。彼がここの主らしく、ホセが彼に何か言うと、彼は机に書類を取り出し、ツーリストカードを発給する準備を始める。
名簿に自分の名前と国を書くように言われる。名簿を見るとUSAやAustraliaの人の名前がある。
すぐにツーリストカードは発給され、それをパスポートと一緒にしまっていると、ホセが入ってきて、それにスタンプを押してもらわなければいけないと言って、それを渡せと言う。渡すと、さっきの窓口に行ってスタンプをもらってきてくれる。
これで入国手続きは完了。
時計を見ているとホセが、パナマは1時間プラスだと教えてくれる。今の今まで7時すぎだったのに、橋を渡ると1時間後だった。時計の針を1時間すすめないといけない。
線路後を歩いていくとすぐに左手にタクシーが数台止まっているところがあった。そのうちの一台に案内され、運転手を紹介され、彼に8ドル払うようにホセに行われる。てっきりホセが運転手だと思っていたので、こうなるとは思っていなかった。
荷台にリュックを乗せる。後部座席にはすでに3人の地元の乗客が座っている。これまたてっきり一人乗りだと思っていたが、外れた。乗り合いタクシーとなれば8米ドルはかなり高い。でも、いまさらごねるのも格好悪いので颯爽と車に乗り込む。
タクシーに乗り込むとホセは握手を求めてきて、英語で別れの挨拶を言う。
車はすぐに発車。トヨタ製のタクシーは快調にとばす。道路も舗装されきれい。右手にはすぐに広大なバナナ畑が見える。
20分ほどでチャンギノーラのバスターミナルに到着。そこでダビ行きのマイクロバスに乗り換える。マイクバスの運転手に促され、リュックを後部の荷台に乗せる。良かった、これで雨がもし降ってもリュックが濡れることはない。
待つこと20分ほど。パナマ時間9時過ぎにバスは発車。発車と同時に頭の上から冷気が降りてくる。このバスも運転手と客寄せ兼集金の二人体制。客寄せ担当の方が、車の窓を閉めるよう言う。せっかく窓際に座ったのに、これじゃだいなし。しかもスモークがかかっているから、外界の色がちょっと変わってしまう。
頭の上から吹き付けてくる冷気は異常に冷たく、汗が一気に冷える。止めようと思っても、操作できないよう防御されている。それもあり、2度だまって窓を開けたが、その度に注意される。いつもそうしているのか、あるいは窓を開けるのを警戒してか、集金担当の彼は後ろを向いたまま立っているので、3度目はできなかった。他の乗客も強すぎる冷気を気にしている様子。一人の若い男は上着を取り出し、それを着ていた。なんで運転手に弱めろとみんな言わないのか、不思議だ。
チャンギノーラのまちは思いの外大きく、しばらく商店が並ぶ道沿いを走る。バナナのまちということなのか、道沿いに見えるレストランの中には、チキータバナナという看板を掲げいる店もある。
まちを外れると車道横に線路跡が見える。線路の脇には民家が建ち並び、それを抜けるとまたバナナ農園が広がる。
20分ほどすると、バスは信号待ちで停車する。信号は鉄橋の入り口にあり、ここも国境と同じく鉄道用の鉄橋のようだった。停まったバスにバナナチップスをかかえたおじさんが寄ってくる。が、入り口のドアは開かない。昨日の晩はクッキーを少し、今朝は何も食べていないという状況だったので、窓を開け、おじさんに向けて手を振る。おじさんは気づき、こちらにやってくる。値段を聞くと50センターボ(0.5米ドル)という。袋には小さい紙が付けられていて、そこには商品名と賞味期限らしき日付まで書かれてある。道売りの人から買ったもので、こんなものが付いてるのは初めて。
バスは、徐々に山の中に入っていく。山は、コスタリカ同様緑の種類が豊富。だが窓が開けられないのが、残念。
くねくねした山道を走っていくと、道に沿って高床式で椰子の葉葺きの家々が見えてくる。ベリーズで見た先住民系の人たちの家と同じ。沿道には制服を着た中学生くらいの男の子や女の子がときどきいて、何人かはバスに乗り込んでくる。たまに民族服を着た人もいるが、ベリーズの同様の地域やグアテマラに比べれば圧倒的に少ない。
パナマにも先住民系の民族が つあり、 と は自治区になっている。そのうちの は観光を受け入れており、観光客も行けるが、残りのふたつは基本的には入れないことになっている。
その地域にここが当たるのかは、勉強不足でわからない。
座席はすでに満席だったので、途中で乗ってくる子等は通路にギュウギュウに押し込められる。モンゴロイド系の子が多いが、アフリカ系の子やヨーロッパ系の子も見える。彼らは途中、学校の前でみんな降りていった。
11時30分、Chiriqui Grande(チリキグランデ)というまちのターミナルに到着。ここで客が3分の1ほど入れ替わる。
待っている間は、エンジンを切るため冷房も切れる。久々に窓が開く。そしてそれ以後は、2度と冷房が付くことはなかった。山の間だけということなのか、それとも単なる気まぐれか、なぜこの間だけ窓を閉めて切っていたのか謎だ。すれ違うバスの中には、窓を開けて走っているのもあったのに。
バスはさらに山の中に入り、ときおり左手にはカリブ海が見える。あいにく曇っているから、海の色も冴えない。右手には山並みが見え、見た感覚だと1000m超の山々が連なっている。相変わらず緑は濃い。
段々と窓から入ってくる風がひんやりとしてくる。
苦しそうに山道を登り終え、下りに入ると右手奥には平べったい空間が広がっているのが見える。曇っていて、空と地上との区別が判然としないためわからないが、おそらく晴れていれば太平洋が見えるのではないかと思う。ようやく太平洋側に出たのは間違いなさそう。
カリブ海側は緑の濃い熱帯雨林という様相だったが、一転して太平洋側の山の斜面は放牧場になっている。こちらの方が、傾斜がゆるいということもあるのだろう。
それから下りは、ずっと放牧場が続く。窓から入る空気も生ぬるくなってくる。グアテマラ同様、牛の数にしては土地が広すぎるように思うが、季節によって牧場の使い方が違ったりするのだろうか。なぜこんなにだだっ広いのか、謎だ。
チャンギノーラを出て、約5時間後、パナマ時間の13時半頃、ダビのバスターミナルに到着。久々の本格的なバスターミナルで、楕円形場の建物を取り巻く形で、各地に向かうバスが止まっている。
バスを降り、荷物を背負う。さて、パナマ行きのバスはどこかときょろきょろしていたら、建物の壁にこのターミナルの見取り図が貼られていた。これはありがたい。
それを見ると、このターミナルには40近くの乗り場があり、それぞれで行き先が違う。パナマ行きは29番乗り場で、一番北側。乗り降りしている乗客も多く、店も多い。面白いと思ったのが、売店で鞍を売っていること。土産物にしては、こんなところで売るのは不適当だと思うので、おそらく実用品なのだろう。
見取り図のおかげで迷うことなく、パナマ行きのバス乗り場にすぐにつく。運のいいことに、ちょうど14時発のバスがあった。窓口でチケットを買う。12.5米ドル。
乗り換えの時間が15分ほどしかなかったが、売店でハンバーガーとトルティージャケーキ(?トウモロコシの粉で作った蒸しパンみたいなの)を買う。二つ合わせて3米ドル足らず。コスタリカより安い。
バスは大型バスで、車内には2カ所ブラウン管のテレビがぶら下がっている。ほぼ満席。窓は開けられないようになっており、また寒い思いをするのかと思いきや、奇跡的なことにこのバスの温度設定はまともだった。
たぶん25度程度で、暑くもなく寒くもなく、やや涼しいと感じるほど。こんなまとな温度設定はアメリカ以来。やるな、パナマ。
気持ちの良い温度に、腹も膨れて、あとは終点を待つだけという気楽な状態になったこともあり、だんだん眠くなる。幸いなことに(?)窓の外は、雑草地ときどき牧場、ときどき民家とあまり変化がない。寝る。
バスは時折乗客を降ろしながら走る。
ダビを出て、約3時間後、Santiago(サンチアゴ)のターミナルに到着。レストラン付きのターミナルで、ここでみんな夕食をとる。ぼくもPapas salteadas(ジャガイモのペースト)とGuacho Deldoreo(※スペルが合っているか疑問。トマト味の鶏肉と野菜の炒め物)、Arroz con lecheを食べる。それぞれだいたい1ドル。
Arroz con lecheは、グアテマラシティで飲んだような暖かい飲み物としてではなく、ゼリーのように小さいカップに入った冷たいデザートとして売っていた。グアテマラシティで飲んだものよりも甘い気がする。
30分ほどここで休憩して、バスはまた走り出す。だんだんと空は暗くなり始め、6時過ぎには完全に暗くなる。暗くなると車内ではテレビで映画が放映される。
うとうとしながら、窓の外を見ていると、空がときおり光っている。音は聞こえないが、雷が鳴っているよう。国境で会ったホセは、20時にはパナマシティに着くと言っていたが、どうもその見込みは甘いような気がしてきた。グアテマラシティで買った中米の地図を見ても、もう1時間ちょっとで着くとは思えない。
雷の光を見ながら、パナマシティも雨が降っていたら最悪だなと思う。そもそもバスがどこに着くかわからないし、安宿街は治安が悪いらしいから、歩いて宿を探すのはちょっと面倒だな、と思いながらうとうと。
そして気が付いたら、パナマシティに着いていた。楽しみにしていたパナマ運河を渡る瞬間を完全に見逃す。地理的にはパナマ運河を渡ることで南米大陸に入ったことになるのだが、その瞬間を不覚にも逃すとは、アホだ。
まわりをみるとみんなバスを降りようとしているところで、ぼくも荷物を持って外に出る。
驚いたことに、ここのバスターミナルもでかい。2階部分にバスは止まったようで、一階部分を見下ろすとそこにもバスがどんどん入ってきている。ここも楕円形状になっており、建物の外側が乗り場になっている。そして建物の内側は10m近くある広い通路の両脇にきれいな店がずらっと並んでいる。
時間は21時30分。
リュックを一旦ベンチに置き、さてここからどうするかなぁ、と考えていたところへ、会社の制服を着た女の人が話しかけてきた。"Habla espanol(アブラ エスパニョール:スペイン語はしゃべれますか)?”と聞いてきて、少しと答えると、ホテルを探しているのか聞いてきた。そうだと言うと、トイレ付き、お湯が出るシャワー付きで20米ドルの部屋があると言う。
どうもホテルの売り込みの人らしい。見ると、近くにはホテルの写真、連絡先などが書かれた看板があり、その下には空港のインフォメーションのような受付ボックスがある。
聞くとホテルまでの送迎も含めて20米ドルと言う。パナマシティでは8米ドルくらいの宿に泊まろうと思っていたので、ちょっと予算オーバー。聞いても安くはならないらしい。
自分で探すとなるとここからバスに乗ってホテル街までどれくらい時間がかかるかわからないし、安宿がすんなり見つかるとも限らない。そうすると下手したら宿を決めるのに23時くらいまでかかる可能性もある。あれこれとしばらく逡巡した結果、予定を変更してこの宿にすることにする。
1泊だけと頼むと、迎えが来るから待ってとその女性はいい、ボックスの方で新聞を読み始める。
15分ほどしてHotelと書かれたトヨタのワゴンが到着。それに乗り込む。運転手は若いおにいさん。これがなかなかひどかった。
急発進、急ブレーキは当たり前。おいおい、アクセルの踏み方おかしいだろ、と思うのだが、キュッキュキュッキュと踏み込む。そして、交差点ではポッピングブレーキ。ヤン車ならともかく客を乗せたホテルの車がポッピングブレーキなんて、そんなことありえませんから。
背負いなおすのがめんどくさいからと、ぼくはリュックを背負ったまま車に乗っていたため、前に横に振られる振られる。おにいちゃんは、そんなことに気づいているふうもなく、ゴキゲンよろしく運転している。
オレンジ色の街灯の光をくぐり、静かに夜のパナマシティに入っていくつもりが、なんですかこれは!
幸いなことにホテルはターミナルからそう遠くなく15分ほどで宿に着いた。やれやれと思いながら車を降りる。このにいちゃんは、ぼくの荷物を持とうともしない。こちらではマイクロバスの運転手などは、客の確保のためだろうが、率先して荷物を運んでくれたりするのが当たり前だったから、あんたちょっとマイクロバスの運転手とかに弟子入りしたらと思うも、そんなことは言えず。
ホテルの受付で、宿泊カードに名前などを書き、1泊ぶんの料金を払う。鍵をもらう。408号室。エレベーターはなく、疲れた体にむち打ち、リュックを背負って4階まであがる。
ホテルは日本で言うビジネスホテルそのままという感じ。部屋はこちらの方が広いが、机にエアコンに、トイレとシャワールーム、ケーブルテレビがある。扇風機派のぼくとしては扇風機がほしいのだが、あいにくない。
シャワーを浴びて、ベッドにねそべりテレビを付ける。ここも圧倒的にアメリカの番組の吹き替えなどが多い。フランス語やドイツ語の番組はない。
CNNにチャンネルを合わせていると、ハイチのニュースが数秒だけ流れる。ポルトープランスをパトロールしていた国連軍の兵士が発砲したらしい。映像を見ているとぼくが泊まった宿の前にあった中心部の広場で、それは起こったよう。トラックに乗ってパトロールをしている国連軍に対し、ハイチの人が抗議をしていたら、突然ある兵士が発砲した様子をテレビは放送していた。
夜は蒸し暑さで何度か目覚める。パナマは蒸し暑い。
4 件のコメント:
ふうさん、アンネのバラ友です。トラベラーズチェックと保険証書、さらにイエローカードを入れた袋の忘れ物によく気がつきましたね。無事に回収できて、良かったですね。
バラ友の最悪の体験は、公衆電話の上に保険証を忘れたことでした。幸いにも親切な高齢の女性が見つけて、警察に届けてくれましたが、タイムラグがあり、紛失した保険証を使ってサラ金からお金を借りたりされると面倒なことになるところでした。
アンネのバラ友さま
ほんとに国境が閉まっていて良かったです。あわてると良いことはないですね。バラ友さまの場合も悪いことにならなくてよかったですね。私の場合は、クセのようなものなので、今後もまた同じようなことがありそうです。
陸路だと、国境トラブルも楽しみの一つですね。それにしても出国する前に気づいて良かったですね。
海外旅行での忘れ物と言えば、、、
私はサンパウロの山崎君の家にパンツを忘れ、日本に帰国してからメールで知らせてくれました。
kaw-kaw さま
ほんと気付いてよかったですよ。またもどったりするとそれだけでまた金がかかったりしますからね。それにしても kaw-kawさんのはかわいらしいエピソードですね。ぼくもそういうのがほしいです。
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