2008.4.5(土)
・スクールバスとタクシーで国境へ
・わけのわからないニカラグアの出国手続き
・緑のコスタリカ
・サンホセフライヤー
・消えた屋台、それから武装警官
1米ドル=18コルドバ(ニカラグア)
1米ドル=490コロン(コスタリカ)
蒸し暑さもあり、5時半頃目が覚める。
荷物を整理し、出発の準備。
国際バスのTICA社のバスを使おうかぎりぎりまで考えていたが、ちょっとでも安い方がいいかと思い、一般のバスを使ってコスタリカに行くことにする。
6時に宿を出て、市場の裏にあるRivas行きのバスターミナルに行く。市場とその周辺の路上ではすでに野菜などを売る準備が始まっており、一部の人はすでに準備を完了して売り始めている。だが、昼と比べれば開店率は1割程度。
宿からそのターミナルまでは、歩いて10分程度。ターミナルはここもただの駐車場という感じ。路面はもちろん舗装されていない。
正面に行き先が書いている。ターミナルの入り口では、それぞれのバスの運転手が自分の行き先を大きな声で言いながら、客を集めている。ぼくにも行き先を聞いてきて、リバスに行くと言ったら、あれに乗れと指さす。
バスはアメリカのスクールバスのお下がり。荷物は屋根に次々と乗せられる。
バスに乗り込んで10数分後、ほぼ席が埋まった頃にバスは発車。時刻は6時半過ぎだった。
今日は曇り。車窓から空を見ていて気づいたが、けっこうやばそうな雲が見える。もしかしたら途中、雨に振られるかも、と悪い予感がする。
バスは乗客を乗せながらのびのび走る。しばらく行くと観光客向けの看板が見え、火山の河口の入口がそこであることを知らせている。
沿道に見える家は、板を張り合わせた家やコンクリート造りの家などが多い。薪を備えている家も多く、燃料は木に頼っているよう。また、渡る橋から見える川には水が流れていないことが多い。乾期だからこうなのか、それとも水量が減っているのか、気になるところ。
そのうちバスの客引き兼集金が係りのにいちゃんが運賃を集めに来る。代金は24コルドバ(約180円)。
しばらくすると、車内の前方からマラカスのリズムに乗って歌声が聞こえてくる。バスの後部左側に座っていたぼくの位置からは通路に立っている乗客が壁になり、誰が歌っているかわからなかったが、声からするとやや年輩の男性のよ。マラカスのリズムは小気味良い。
一部の若い乗客は、その歌を聴きながら、囃子を入れたりして盛り上がっている。ぼくの右となりにすわっているおばさんも、時折笑っているが、大笑いというよりも笑うのをこらえているようなので、何か意味深な歌詞のようだ。
時間にすれば10~15分くらいだろうか、聞こえていたおじさんの歌が止む。そして、どうやらお金を集めて通路を歩いているようだった。おじさんが歩くのをまわりの人が手伝っていることから、おじさんは目が見えないのだということがわかる。ぼくがポケットにあった幾ばくかのコインをおじさんの手の近くに出したのに、それを受け取ろうとするといった反応がなかったので、それではっきりと目が見えないのだとわかった。
目が見えない人が歌を歌って稼いでいるのは、メキシコシティでも見た。メキシコシティの地下鉄に乗っているとき、同じように目が見えないおじさんやおばさんが歌を歌って、それで小銭を集めてまわっているのを見た。その他にもメキシコシティの地下鉄では、やはり目が見えない人がCDを抱えて売り歩いたりしているのも見た。
おじさんは一通り客の間を歩き終わると、バスから降りていった。バスを降りる時は、入り口近くにいる人が手を引いて降りるのを手伝っていた。
グラナダを出てから1時間半後、バスはRivasに到着。予想外に早く着いたので多少あわてる。幸いなことに雨に降られることなく、ここまで来た。
そこから国境までは乗り合いタクシーで行く。バスターミナルにはバス客を狙ったタクシーの運転手が来ており、それぞれ行き先を言いながら客を集めている。
ぼくがリュックを背負おうとしていたときに、ひとりのおじさんが声をかけてきて、国境まで50コルドバ(約300円)と言う。
すぐにOKして、タクシーに荷物を載せる。ぼくが乗ってからもおじさんは客集め。”フロンテーラ、フロンテーラ(Frontela,frontela)と行き交う人たちに声をかけ、乗客を集める。すぐにもう一人は決まる。2人乗ったところで運転手は車を発車させるが、それからまたバスターミナル内を客集めに1周する。
結局ターミナル付近では客をゲットできず、車は走り出す。しかし、走る幹線道路沿いで客をゲット。後ろに3人乗り、助手席に僕がすわる。
舗装されたきれいな道を車は飛ばす。しばらくすると右側には牧場、左側にはニカラグア湖が見える。
車はまた道端の人の前で車を止める。後ろもいっぱいだし、どうやって乗せるのかと思っていたら、助手席にその人を二人で座ってくれというようなことを言われる。少し行った先で後ろの人が降りるからということもあり、数分間助手席に大の大人男性が密着した状態で座る。ぼくは運転席側だったが、ぼくの太股のすぐ裏にギアがあるような状態だった。
1時間たらずでコスタリカとの国境地帯に到着。一帯には露店が並んでいる。タクシーを降りると、入国カードの用紙を持った人たちがたくさんいて、それをいらないかと聞いてくる。そんなもの買うものじゃないだろ、と無視。
出国審査がある建物の敷地と露店が並んでいるところは国境のようにコンクリートブロックの壁で区切られていた。人が一人通れるだけの入り口があり、そこを通ろうとすると止められ、20コルドバか1ドル払えと言う。なんだこのおっさんと思って、無視して入ろうとしたら、どうも国境の職員だったようで、名札を見せられ、コスタリカに行くならこれを払わないといけないと領収書の用紙を見せながら言う。
しょうがないので20コルドバ払う。
それから出国審査場へ。こちら側にも出国兼入国カードの束を持っている人が10人ほどいて、すぐに寄ってきて売ろうとする。なんで公的な手続きに必要な書類、それも普通は無料で配布しているものを買わなければいけないんだと無視していたが、名札をぶら下げた職員らしき人が、その人等からもらい、それに記入しないといけないなどというので、しょうがなく側に来ていたにいちゃんから紙をもらう。
10代くらいのそのにいちゃんは、僕を出国手続きの窓口に案内する。そこには長蛇の列ができていて、30分はかか理そうな気配。並んでいる間にその紙に記入。記入が終わって知らん顔をしていると、その兄ちゃんは自分にいくらか払わないかというようなことを言う。いくらかと聞くと10か20コルドバと言う。
安いもんだし、もうコインもいらなかったので、適当にポケットにあったコインを渡すとにいちゃんは去っていった。周りを見ると、10歳くらいの男の子が同じようなことをしており、その子は代筆している。声をかけた人からパスポートを見せてもらい、それを見ながら必要事項をそのカードに記入していく。
そして、記入が終わるとお金をもらい、また別の人の所に行く。子どもばかりでなく、大人の男性も女性もそれをやっている。文字が書けない人のためのサービスかと思ったが、けっこう金持ちそうな人もいるので、そうでもなさそう。
だいたいこの人らはこの記入用紙をどうやって入手しているのか。よくわからん。こんな国境は初めて。
待っている間にはそれほど汚くはない格好をした10歳くらいの女の子がカネをくれと行ってくるし、足に障害のある男の子(15歳くらい)もカネをくれと人々の間をまわっている。
出国審査は特に質問もなく、何かの税金か何かで40コルドバ(2米ドル)払わされて、それでおしまい。
近くに銀行があったので、そこでコスタリカの通貨コロンに両替をする。
それから歩いてコスタリカ側へ行く。トラックがたくさん止まっている間を100mほど行くと警官がいて、パスポートを見せてと言われる。その警官は他の人としゃべりながら出国スタンプを確認するとすぐにパスポートを返してくれる。
そこを過ぎると左手にコンクリート造りの建物が見え、右手に首都サンホセ行きのバスのチケット売場の小屋がある。
バスのチケットを買いに、その小屋に行く。値段は3225コロン(約700円)。意外と高い。窓口に貼られていた時刻表を見ると30分後の10時半に出るバスがあったので、そのチケットを頼むとそれはすでに満席で、次は12時だと言われる。1時間半待ち。
向かいの建物にはレストランがあり、朝から何も食べていないこともあり、そこで食事をすることにする。
それにしても、安くすませようと思って一般の交通機関を使ったのに、どうもその効果はなかったよう。国際バスではマナグアからサンホセまで15ドルくらいで行け、国境もスムーズだと聞いていた。ここまでのバス代とタクシー代、サンホセまでのバス代は合計すれば約10ドル。それに昼飯代だから、ほとんど変わらない。しかも国際バスは同じ時間に出て3時に着くとあった。ここからサンホセまでは約5時間半。12時に出れば薄暗くなった頃の到着になる。
これだったら国際バスで行った方が、金銭的にも時間的もお得だったようなと今更おもう。
レストランのテーブル席に荷物を降ろして一服していると向かいの事務所のようなところに人が大勢並んでいるのが見えた。
何をしているのかと見ると、入国・出国審査をしているのだった。これまで中米ではほとんど入国・出国審査はなく通過していたので、うっかり忘れていたがコスタリカの入国審査を受けていなかった。
だいたいこの建物も悪い。表にはレストランとデカデカと書いているくせにこの事務所がイミグレだとかは目立つようには書かれていない。てっきりここはレストランだけかと思っていた。
長蛇の列ができていたので、あわてて荷物を持ってその事務所に行き並ぶ。30分ほど待って、入国スタンプをゲット。質問等はなかった。
それからレストランで食事。ショーケースに並んでいる料理を指さして頼む。ご飯と鳥の唐揚げ(というか丸揚げ)、2種類の野菜の炒め物に水をかって2500コロン(約700円)。ニカラグアと比べると単位が100倍、物価も約2倍になった。コスタリカもグアテマラなどと同じように、日本の3分の2程度の物価水準のよう。
飯を食ったりしてバスの発車時間を待つ。
12時前、手荷物検査を受けてからバスに乗車。50人乗り程度の大型バスは満席。
さすがエコツーリズムの国ということか、バスは冷房はつけない。走り出せばなんてことないが、停車している間は無風状態で、気温が30度以上あるので蒸し暑い。
バスは予定通りに発車。コスタリカ側に入る。これまで中米で見た国境地帯はどこも牧畜地帯で山の斜面などは軒並み牧場になっていたが、コスタリカはちょっと違った。沿道にはたくさんの葉を付けた木々が立ち並び、ちょうど緑のトンネルのようになっている。
その向こうにはとりおり牧場が見えるが、他と比べれば規模は小さい。見える山も緑が多い。
国境を出て3時間後、軽食屋の前にバスは止まり、休憩。運転手は乗客にトイレに行くことを奨める。その奨めに従って、みなバスをおり用を足し、アイスを食ったりなんたりしている。
暑かったこともあり、アイスでぼくも一休み。シングルが500コロン(約130円)。
20分ほど休憩して、バスは発車。バスの中で気温を計ると36度ある。暑いわけだ。
しばらくすると突然雨におそわれる。大型バスは荷物が濡れる心配をしなくていいから、らくちんだ。
途中うとうとしているうちにだんだんと車線の多い地域に入っていく。沿道には小規模のコーヒー農園も見える。
大型スーパーやショッピングモールも見え、終点が近いことがわかる。
そして、国境を出てから5時間半後の17時半にサンホセのこの会社のターミナルに到着。天気が悪く路面が濡れている。車や人通りは多い。地図で確認すると、地図にあったターミナルにちゃんと着いているよう。
バスを降りるとおばさんとおじさんが話しかけてきて、自分とこのホテルに泊まらないかと言ってくる。値段を聞くと10米ドル。グラナダの宿にあったサンホセのユースホステルのチラシではやっぱりそれらも10米ドルだったので、その程度かとも思うが、ネットがないとのことなので却下。
歩いてみると周辺にはホテルがたくさんあり、適当に1軒よって値段を聞くと、空いている部屋はないとのこと。
別の所を探して歩いていると雨がぽつぽつやってくる。これはやばいとあたりを見渡すと歩き方にも乗っているホステルを発見。ここは10米ドル以下だったと思ったので、そこに入る。
値段を聞くと5000コロンか10米ドルとことだった。値上げしたらしい。銀行のレートが1米ドル=490コロンだったので、米ドルで払った方が得だと、米ドルで支払う。
部屋は反省部屋のようにベッドと机があるだけ。小さな半径20cmほどの使えそうにない扇風機が壁に備え付けられている。コンセントもない。
とりあえず部屋に荷物を置いて、まちに出る。幸い雨は降っていなかった。宿から1区画移動すると歩行者天国になっており、その通りには多くの人が歩いている。
さすが中米の観光大国。これまでの中米の国と比べてまったく観光客への配慮が違う。通りには細かいまちの地図があり、さらに3ヶ月程度のイベントスケジュールも張り出されている。宿にはサンホセフライヤーという観光客向けのパンフがあり、片面にはサンホセの地図、もう片面には安宿も含めた宿情報やレストラン情報が載っている。
何よりこのフライヤーがいいのは、市内に点在しているバス30くらいあるバス乗り場を網羅していること。それからデザインもよく、日本でもこれほどの無料のパンフを配布しているところはそうないと思う。
それからこれまでどこにでもいた武装警官は消え、日本と同じような軽装の警官が基本になっている。店にもマシンガンを持った警備員はいない。なにより決定的に違うのが、アートがまちに散りばめられていること。どうも今は牛をテーマにしたアートフェアが行われているようで、ほぼ等身大の牛の作り物が、見る限りでは半径100m以内に30頭ほど置かれている。
それぞれの作り物はある感覚を置いて設置されており、それぞれにテーマと作者の名前が書かれたプレートが貼られてある。ある牛はコーヒーの収穫から飲みまでの過程をイメージしたデザインとなっていたり、ある牛は内部が機械でできている牛だったり、ピンクなどの奇抜な色をした牛もいたり、セクシーさを売りにした牛もあったり、多種多様。
歩いている人たちは、それらを楽しみながら歩いている。子どもは牛の作り物を見て、不思議そうな顔をしたり、面白いデザインを牛を見つけると互いに教えあったりしている。
こういうことがいつも行われているかどうかはわからないが、暗くなってからも多くの人が通りを歩いていることだけでも、この中米では珍しいことだろう(他では夜は出歩いていないので、はっきりとはわからないが)。
これまで行った感覚だとドミニカのサントドミンゴに雰囲気が似ている。
また、これまでの行った都市とちょっと違うのが、髪型。長髪の若い男性やモヒカン刈のような奇抜な髪型をしている若者がぽつぽつ見られる。また、女性の髪型も日本ではよく見るが、こちらに来てからはあまり見たことがなかった髪型(各髪型の固有名を知らないため具体的には書けないが)をしている女性もいる。
グアテマラやエルサルバドルを経由した後に、こうして夜に出歩いている人たちを見ていると、経済にとっても平和であることが、より好ましいように思う。一方で、戦争で儲ける経済もあるが(日本の経済復興もその面を持っていた)、より多くの人が十分で安定した暮らしを築くことができる環境をつくるための一つの鍵になるのが、治安の安定であるように思う。
ただ、外務省の安全情報によればコスタリカも特に都市部などでは近年治安が悪くなっているという。その一端を担っているのが、若者の麻薬売買などに絡んでいるグループで、また学校からの中退者などが犯罪に手を染める傾向も出てきているらしい。
あちこちで少しずつ情報をかじっただけでも、中米・カリブ海の国々はどこでも麻薬の密輸・流通をどうするかという問題を持っており、その購入者はアメリカやヨーロッパの人等であるという構造ができあがっていることがわかる。そして、その麻薬の流通の末端にいるのは往々にして、貧しい地区の出身者だったりする。
貧しさを背景にした犯罪というのは、実際にもドラマなどでもしばしば結びつけて説明され、ジャマイカのギャングを扱った本『ボーン フィ デッド』でも、ギャングとして生きるしかなかった人が”豊かな人間が人の物を盗ったり、人殺しをしたりするか”というようなことを言っていたように思う。
そういう点で言うと、日本はこれらの国々とはまた違う次元にあるのだろう。違う次元というのは、犯罪が少ないとかそういうことではなく、貧しさと犯罪がこれらの国々のようには結びついておらず、しかし、逆にこれらの国々では、少なくとも現時点では、起こり得ないであろう犯罪が起こっているということ。
まぁ、こんなことは社会が違うから当たり前だし、教科書でもそのへんの本でも読めばわかることでもあるが、こうしてあちこちをふらついていると、実感としてわかった気になる。
ところでコスタリカが軍隊を持たない国であるということは、2004年頃だったであろうか、日本でもニュースやコスタリカのドキュメンタリー映画を通して紹介されたことがある。
ぼくはそのときにコスタリカが自ら軍隊を放棄し、積極的に中米の中立国としてふるまうようにしていることを知った。キューバで会った日本人旅行者の中には、そうした関心からコスタリカに行ってみたという人もいた。
その人は、そういう日本と共通の背景があるから、コスタリカの人の感覚がなんとなくわかる、というようなことを言っていた。
これについては自衛隊の問題があるので、そうことは簡単ではない。自分にしてもコスタリカのことをあまり知りもしないので、簡単には言えないが、経過からするとコスタリカの方がよほど思い切ったように思う。もちろん、その判断の背後には、自国と周辺国、そしてアメリカとの外交関係についてかなり研究したらしい。
いずれにしても軍隊を持たずにやっている国が中米にはあるというのは事実。キューバ革命が中南米諸国に多大な影響を与えたように、コスタリカのこの取り組みが今後、治安が安定したときに中南米諸国の目標になりえるかはわからない。おそらく難しいようには思う。
ともかくも、世界にこんな国があるということは、興味深いことだし、いろいろ考える材料を提供してくれるという点でだけをとっても良いことのように思える。
ここではひさしぶりに日本人を発見。やはりコスタリカの自然を見にきているのであろうか。
ただ歩行者天国のメイストリートには屋台はまったくなく、あるのは靴屋と服屋とチェーン展開しているようなファストフード店ばかり。よって、店を選ぶのに苦労する。屋台があれば一発なんだけどな。
屋台がないというのも、メキシコやグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアと比較すると不思議なところ。もともとないのか、それとも経済発展にともなって消えていった(排除された)のか、気になるところだ。
結局、食事は観光客もけっこう入っている店でする。600円ほどのSopa de Mariscos(シーフードスープ)を食べる。なんだか適当に作ったような感じで期待はずれ。やれやれ。
チュロスも売っていて、ひとつ試したがメキシコのグアナファトの路上でおじさんが売っていた物の方が、ぼくとしてはうまい。こちらのはでかくて味も大ざっぱ。でも、けっこう人気はあるようで買っていく客は多い。
エコという面では、中心街はごみもほとんどなくきれいだが、ぼくが泊まっている地域は市場があるということもあってか、生ゴミからプラスックゴミまでけっこうボトボト落ちている。どうも道路の端に落っことしたゴミを回収車が集めていくようだが、ちょっとね、見た目にも多少ある臭いもよろしくない。
宿に帰ってシャワーを浴びる。ここも水シャワーだが、グラナダと違って気温が低いせいか水が冷たい。
夜は静かだった。
久しぶりに寝苦しくない夜を過ごすことができる。
1 件のコメント:
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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