2008年10月29日水曜日

[diary]ヨハネからキンバリーへ

ヨハネからキンバリーへ

08/08/24(日) 晴れ
[Johannesburg→Kimberly:South Africa]

朝日がのぼった7時頃、起床。今朝もそこそこ冷えている。

昨日と同じように昨晩作ったスープを火にかけ、朝飯。ゆがいたじゃがいも1kg相当は食べきれなかったため、持参しているビニール袋に入れ、持っていくことにした。

電車は10時半発だったものの明日の電車のチケットを買うために早めに宿を出る。

車で20分程度の中央駅までの送迎代は140ランド(約2000円)。宿代は安いもののこういったカネがかかるから結局1泊3000円程度かかったことになる。

バスの中央ターミナルと鉄道の中央駅は屋根続き。同じ屋内にある。ガラス張りの鉄道のチケットオフィスに行って、明日のキンバリーからケープタウンに行くチケットを頼む。窓口の女性は出発地がキンバリーになっていることを不思議に思ったようで、何度かぼくに聞き返す。なのでここからキンバリーまでのチケットを彼女に見せ、旅程を説明すると大きくうなづいてパソコンに向かい出した。

その電車は夜19時頃キンバリーを出て、翌日の昼頃ケープタウンに着く。だから1泊分宿代が浮くし、移動費もバスより安く、しかも明日朝から夕方までキンバリーのまちを見て回れるからロスがない。完璧な旅程だなと思いつつ、彼女の返事を待つ。

パソコンを見ていた顔をこちらに向け、彼女は言った。”No space(空きがない)”。えー!やっぱり。しかも次の同じ電車は金曜発だという。それまで待てるわけがない。

というわけで電車のチケットは買えず。ここじゃ行きあたりばったりだと移動もできないし、余計にカネがかかってしまう。

1時間ほどベンチで待ち、ホームに入る。すべて屋内になっており、警備員もそこそこ張り付いているため、外部から自由に人が出入りすることはできない。ただ、屋内の電灯は少なく白熱灯のような色であるから薄暗く、そのためどこかかに悪い奴が隠れているんじゃないかと思わせ、やや気になる。

『歩き方』などに電車は危険ですすめられないとあったから、てっきり白人も乗らないような電車かと思っていたが、電車待ちしているのは白人の方が多かった。

ホームは2車線で通路を真ん中にして右と左に電車が止まっている。防犯のためなのだろう、どちらも高さ3mほどの柵が、日本で言う黄色い線の位置に設置されていて、何カ所かあるゲートは閉まっている。電車が線路に入るとゲートが開くよう。

ホームにはどちらの車線からどこに行く電車が出るのかが書かれていない。そのためどっちの電車に乗ればいいのかわからない。加えてチケットには、座席番号が書かれていない。

ホームに降りる階段をおりきったところに女性の警備員がいて、”Hello"と声をかけてくる。切符を見せてというような仕草をするから切符を見せるとそこのインフォメーションに行くよう言われる。

ホームには円柱形のインフォメーションがあった。そこのおじさんにどっちの電車かと聞く。するとおじさんは冊子をパラパラとめくり、ぼくのチケットに「5G」と書いて、まだ電車はホームに入っていないが右側の車線に入ってくると説明する。

しばらくベンチで待つ。

電車が入ってきたのは出発予定時刻の10分前。車体はピンクと緑の線でデザインされているが、あまりかっこよくない。寝台車両がほとんどで食堂車もついている。

荷物を背負い、高さ3mほどある柵の格子状の「5G」、つまり5両目のG室に行くとすでに白髪の男性が窓際に座っていた。ハロウーと挨拶をする。

部屋は日本で言うB寝台のようなスタイルで2段ベッドが2つ。窓際のベッドとベッドの間には60cm四方ほどのテーブルが備え付けられている。驚いたのはそのテーブルの下が小さな洗面所になっていたこと。こんなのは初めて見た。また、内側からは鍵がかけられるようになっている。車両の端にはトイレとシャワー室、冷水機があり。

ファーストクラスというので、てっきり1人部屋かと思っていたので当てが外れる。電車の中で書き物をしようと思っていたが、それはヤメにする。

予定時刻の10時半になったが、電車は出ない。おじいさんは、時計を指さしながらだいぶ遅れそうだと英語で言う。ぼくがおじいさんに行き先を尋ねるとケープタウンまで行くという。おじいさんはぼくにどこから来たのかと聞いてくる。日本からと言うと、おじいさんは広島と長崎の名前を出し、原爆の話をする。アメリカは原爆を実際にテストしてみたいということで、広島と長崎に落とした。なんてひどいことを("It's terrible")。アメリカは原爆を使用した唯一の国。まったく信じられない。というようなことを言う。

ぼくが今も原爆症で苦しんでいる年寄りがたくさんいると彼に言うと、”Still"とちょっと驚いたように言う。

それからおじいさんは、あなたは英語がよくできる、とぼくを褒める。しかしぼくからすれば、おじいさんの英語の発音が聞き取りやすく、話すスピードも遅いため、理解しやすかっただけのことだった。相変わらずしゃべるのはつっかかりながらだし。

おじいさんに南アフリカで生まれたのかと聞くと、自分は南アフリカで生まれたが、両親はイギリスから来たという。キンバリーとケープタウンの間にあるリッチモンドという地で生まれ育ち、その後、家族でケープタウンに移る。彼はその後、仕事のためにヨハネに行ったという。

おしゃべりしていたら隣のおじさんがおじいさんに話しかける。英語ではない。二人の会話が終わった後におじいさんに何語を話していたのかと尋ねると「アフリカーン」だと言う。一般にオランダ系移民=ボーア人が話す言葉だとアフリカーン。アパルトヘイト時代には突然、学校の授業がアフリカーンのみで行われることになり、それが中・高校生の反アパルトヘイト運動に火をつけた。

おじいさんにアフリカーンは学校で習ったのかと尋ねると、学校でも習ったし、まわりにしゃべる人がいたからと言う。

おじいさんにいくつの言語をしゃべれるのかと聞いたら、英語とアフリカーンの2つだという。日本語も話したいが難しいと言い、さらにユダヤの言葉であるヘブライ語も話したいと言う。

なぜヘブライなのかと聞くと、ヘブライ語で聖書を読みたいかららしい。おじいさんは、聖書を知っているかと聞いてくる。中身は知らないけど知っていると答えると、聖書は神が人間に与えたものだが、神が与えたのは1つ限り。しかし、人間はそれを2つに分けた。1つはキリスト教となり、もう一つはユダヤ教となった。そのことが今、いろいろな問題を引き起こしている。それぞれの聖書に書かれていることはほとんど同じだし、そもそもは一つのものだ。神の言葉は1つなのに、人間がそれを2つに分けた。それが問題。だから自分はすべての教会は窓から捨ててしまえばいいと思っている。

そういうこともあり、自分はヘブライ語で聖書を読んでみたいと思っている。なぜなら英語版のユダヤ教の聖書もあるが、きっと翻訳者が意味を変えているだろうから。

おじいさんはだいたいこのようなことを言った。まったく同感。だから宗教は当てにならないと思うと思うのだが、それは言えない。仏教も同じように大乗仏教だの小乗仏教だのとあれこれぐちゃぐちゃになって、スリランカではそれがひとつの問題になっているというようなことを言いたかったが、単語が思いつかず。

電車は11時前に発車。もっと遅れるかと思っていたので、ちょっと安心した。キンバリー着は18時半となっていたので、あんまり遅くなると現地での移動が面倒になるなと思っていたから。

走り出したら5分もせずに止まってしまう。しかし、それほど停車することなく、また走り始める。ヨハネのまちなかを抜ければ近代的な建物は何一つ見えなくなる。窓からはレンガづくりの1軒家が立ち並ぶ住宅街や黒人やカラード、アジアンの居住区として作られたらしい地区が見える。居住区の建物は、コンクリート造りの家もあるが、トタンを張り合わせて作った家も半分くらいある。

強制移住による居住地の隔離政策は、そこが暮らしの場になるだけに誰にでも見える形で残り、かつ容易にはなくならない。

1時間近く走るとあたり一面が平原になる。枯れて白くなった草地にポツポツと木が生えているだけ。右も左も地平線。起伏もほとんどない。

ときどきマインダンプ(鉱石を採掘するときに掘り出した土が山のようになっているところ)が現れる。

ぼくは眠くなり、うつらうつらと居眠り。

ずっとそんな調子で変わり映えのしない景色が最後まで続いた。

夕方18時前に、日が暮れる。キンバリーの宿は予約していないから歩いて探さないといけないのだが、暗くなっていく外を見ながらやはり予約をしておけば良かったなどと思う。

18時前、進行方向右手にオレンジ色の明かりがたくさん見える。おじいさんはあれがキンバリーだと言う。電車の速度が遅くなり、19時頃キンバリーの駅に到着。おじいさんによい旅をと言われ、握手をして別れる。

キンバリーの駅舎は小さかった。改札を出ると右側に待合室があり30人くらいが電車待ちをしている。電車待ちをしているのは黒人ばかり。

宿に直接行かずに電話して空きを確認した方がいいなと思い、公衆電話から宿に電話する。が、悪い予感のとおり満室だと言われる。ゲゲッと思い、その宿の人に安い宿を教えてもらう。

そんでその名前を元に表でタクシーを拾おうと思ったら、駅前にはタクシーは一台もなかった。迎えを待っているらしい女性にタクシーはどこで乗れるのだと聞くと、どこに行きたいのかと聞かれる。なので、宿の名前を言うが、電話番号がわかれば電話してくれるとのことで、それがわからないから事は進展せず。ただ、電話番号案内をしている電話番号は教えてくれたから、そこで宿の電話番号を尋ねることにする。

電話はコイン式とカード式があり、コインは大きなコインを入れると戻ってこない。さっき釣り銭が出てくるだろうと思って5ランド(約80円)のコインを使ったら出てこなかった。おかげで手持ちのコインがなくなったため駅の窓口で両替してもらう。

10ランド(約140円)札を2ランドコイン5枚にしてくれ、それを持って公衆電話に行く。電話がつながり、宿の名前Great Batch hotelの番号を知りたいというと2度ほど名前を聞き返された後に番号を教えてくれる。だが、声が聞き取りづらくその番号が正しいか自信がない。それで、その番号にかけてみたら通話中のような音になる。

3度ほど電話したが、同じ調子。つながらない。しょうがないので安宿はあきらめ、ロンプラに載っている40ドルほどするやや高めのホテルに電話する。すると今度はこの番号はMTN(電話会社の名前)ではカバーしていないと女性の機械的な声が告げる。

安宿の番号を番号案内で聞き直すのにまたお金を使う気にはなれず(正確に聞き取れると思えなかった)、直接ちょっと高めの宿に行くことにする。その宿はまちの中心にあり、誰でも知っているであろうからタクシーに乗りさえすればたどり着けると判断した。

それでまた駅舎の表に出て、迎えを待っているらしいさっきとは別の女性にサヴォイホテルまでタクシーで行きたいんだがと聞いてみる。するとその女性は、近いからタクシーに載る必要はないと言う。そこの道をまっすぐ行って(straight downと言った)、ロボット(と彼女は言った)が見えたら右に曲がり、それをまっすぐ行ってるとホテルが見えると言う。

暗い中、しかも店も車の交通量も少ない中、知らない街を荷物を背負って歩くのはちと不安ではあったが、本当に危険な街では地元の人は歩くのは危険と教えてくれるから、ここは大丈夫なのだろうと思い、おばさんに教えられた道を行く。

10分ほど歩くと1軒だけ開いている店があり、その店に入ろうとした男性がいたので、その人に道を確認。そのおじさんはまっすぐ行けとだけ言う。

街灯はあるもの暗い。車のショールームは昼間と同じくらい明るく、そこを通るときだけなんだか安心する。歩いているのを見たのはこれまでのところ2人だけ。

歩いていたら紹介された安宿の方向を示す看板があった。なので、急遽サヴォイホテルはやめ、そちらに行くことにする。方向を指示する看板に従って行くが、これがなかなか見あたらない。そのうち歩き方に載っていた高級ホテルの前に着いたので、そこの警備員の人に聞いてみる。するとその人は「Just two」と言って、2つ交差点を越えれば着くと仕草混じりで言う。

2つなら近いと思い、また歩く。しかし、その2つまで来たはずなのにそれらしき宿はない。看板もさっき見たっきり立っていない。駅からここまで30分は歩いただろう。空気はひんやりしているもののすでに背中は汗をだいぶかいている。その汗は歩いてきたからだけでなく、このままでは宿が見つけられないかもしれない、あるいは1万円以上するさっきのホテルに泊まるしかないかもしれないという焦りによるものででもあった。

人が出入りしている病院があったので、そこの入り口にいた黒人の警備員に聞く。すると彼は表でたばこを吸っていた白人の職員二人を指さしあっちに聞けというようなことを聞く。たばこを吸っていた男女に宿の名前を伝え、ここらにあるはずだがと聞くが、宿の名前を繰り返しつぶやくだけで、宿自体を知らないようだった。

男性の方が、来た道を戻ってどっかを曲がるとゲストハウスがあるからそこに行けばというようなことを言うが、ぼくには彼の英語が半分程度しかわからない。列車で一緒だったおじいさんとはだいぶ違い、別の言葉かと思うくらい訛がある。

なので、これは何度聞き返しても聞き取れないと思い、さっき看板があってこっちだと示したと言って、教えてくれたことは無視してとりあえず歩いてみる。するとホテルから10mほど行ったところに表がライトアップされた家があった。そこだけずいぶん明るく、看板を見るとB&B(Bed&Breskfast)とある。きれいな建物だったが、1階立てのこじんまりしたものだったのでここならB&Bだし安いだろうと思い、玄関まで行く。

なんだかんだで宿が見つかって良かったと思いながら玄関のブザーを押す。玄関のドアの上部のガラスから光が漏れているから中に人がいるはずなのだが、これが何度ブザーを鳴らしても中から人の気配がしない。ブザーが壊れているのかと思い、音が鳴っているかじっと耳をそばだてて聞いてみると、確かにブザーの音はしている。5分ほどブザーを鳴らしながら待ったが、誰も出てこない。夜の一定の時刻を過ぎるとブザーを鳴らされても対応しないという宿はけっこうあるので、その類かと思うがまだ時刻は20時前。

しょうがないので、そこは諦める。またさっきの宿探しを始める。近くの路上にちょうど来客を見送っている家族がいたので、そこのパパに聞いてみるが知らないと言われる。

大きな通り沿いには営業しているパブがあって、そのパブに来る客の車を警備しているおじさんが歩道にいた。なので、そのおじさんに行きたい宿の名前を伝える。が、やはり知らないよう。が、そこへ一人男性が歩いてくる。おじさんはその男性に宿の名前を言い、場所を聞く。やりとりは英語ではなくアフリカーンだから何をしゃべっているかはわからなかったが、その男性はすらすらと答えているから場所を知っているようだった。

おじさんがその男性と一緒に行けというので、彼と一緒に歩く。なぜか彼はそこそこ広い歩道があるのに、車道の端を堂々と歩く。何も話しかけてはこない。なので無言で彼の横に並んで歩く。

そして、そのパブから100mほど行った先の信号機を左に行ったところに目指していたGreat Batch Guest Houseはあった。煌々と看板が光っており、そこにその名前が書かれいて、ひげのおじさんの古い白黒写真も載っている。どうもGreat Batchというのは、そのおじさんの名前らしい。宿は発見したものの気になるのが、看板に星が3つあったこと。これは10米ドルや20米ドルじゃすまいなと思いつつ、しかしまた宿探しをする気にはなれないので、とりあえず表のブザーを鳴らす。10秒ほどして男性の声が下ので、部屋があるかを聞くとあると言う。

男性は中の建物から出てきて、リモコンで2mほどの高さの格子状の門を開ける。30代前半くらいの白人男性で身長は190cmほどある。彼はにこっとして「You are looking for single room?」と聞いてくる。そのときぼくはこの宿にドミがあることを知らず、西アフリカのノリ(西アフリカではドミはほとんどなく、安いのはシングルルームだった)で、「Yes」と答える。

建物は洋風の木造建築で、入り口のドアを開けると壁には100年くらい前のこのまちの白黒写真が額縁に入れられ飾られてあった。白い壁の廊下は香水の香りがする。

部屋に案内され、入るとこれまた驚く。大きめのベッドが二つあり、落ち着いた茶色の布団はつやつやとテカっている。そのベッドの上にはこれまた茶色のバスタオルと小瓶に入ったシャンプーとリンス、小型の石鹸があった。また、壁沿いの棚には電気ポットと水の入った1リットルほどの瓶、ティーカップ、瓶に入った紅茶のティーバッグ、ネスカフェの棒状のコーヒー粉、砂糖などもあった。あと小型冷蔵庫も空り、その中にはきちんとペットボトルや瓶の飲み物が入っていた。この時点で5000円はするなと悟る。

部屋に荷物を置くと風呂やその他宿内を案内してくれる。部屋の向かいに風呂があり、そこもまた驚く。9畳ほどの広さがあり、左奥にはガラスドアに仕切られたシャワールーム、右の壁沿いには180cmはある広い湯船、あと水洗トイレがあり、脚拭きようのタオルや香水のような小瓶などがおかれ、自分には縁遠い世界の雰囲気を醸し出している。

部屋の隣はテレビルームで大型テレビと革張りのソファ、木製の本棚があり、その隣はバーになっていて、ビリヤードの台と小さなバーカウンター、それからインターネットができるパソコンが1台あった。また、台所や食事をする部屋も案内されるが、どこも広い(9畳以上はある)。食堂なんかはどこかのちょっとしたレストランかと思えるくらいきれい。

あまりの豪華さ(と言ってもきらびやかと言うわけではなく、落ち着いたヨーロッパふうの豪華さ)に、ちょっと後悔しつつ、疎外感を感じつつ、まぁ、ここはダイアモンドのまちだし、記念にいいかと自分を納得させる。

料金は一泊350ランド(約4500円)。大幅な予算オーバー(予算は80~100ランド)。しかし、日本ではもちろんこんな値段で泊まれるところではない。日本でなら15000円は堅いだろう。というふうな計算を用いるとぼくの予算はあっと言う間になくなるのだが、こういうときに自分を納得させる論理としては使える。というか、そういうふうに納得するしかない。

一通り宿の施設を案内された後、ぼくはネットをする。てっきりネットはタダだろうと思っていたのだが、翌日料金を請求される。1時間20ランド(約250円)は、南アフリカではそこそこだが西アフリカと比べれば2.5~5倍の値段。せっかくなので、写真のデータのバックアップとネットへのアップロードもしようと思ったが、アップロードはバージョンが古いようでできず。スピードはADSLなどと変わらないくらい速い。日本語も読める。

ネットで宿のホームページを見て料金を見るとドミトリーがあることを発見。88ランド(約1200円)とある。本来ならこっちに泊まるはずなのだが、今更部屋を変えるのもなんだかなと思い、動かず。

しばらくネットをやって部屋に戻る。どうもぼく以外には客がいないようで、他の部屋はとても静か。部屋に戻ってベッドとベッドの間にある棚(ではないんだけど、なんて呼ぶのかわからないので便宜上棚と言うことにする)にあった数冊の雑誌をパラパラ見る。その中にファイルが一冊あったので、それを見るとこの部屋の名前になっている人に関する資料だった。長ったらしい名前のこの人は、建築家でなんだかんだの建物を設計したとかと書かれてある。英語なのであまり読む気になれず。それくらいしかわからなかったが、どうもこの宿はGreat Batchというこの地の建築家の家を改装したもので、壁に掛けられている白黒の写真は彼が設計した当地にある建物の数々で、各部屋の名前は書れと同じようにこの地で活躍した建築家から取られているらしいことがわかる。

テレビも部屋にはあったが、さっきネットを見たらオリンピックは終わったとあったので、特に見る気にもなれず、ふかふかのベッドでさっさと寝るのであった。

Fin

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