2008年10月20日月曜日

[diary]バマコからセグーへ

08/07/31 晴れ
[Bamako→Segou:Mali]

6時半頃、自然と目が覚める。今宵も寝苦しかった。部屋が暑い。蚊の被害はなし。昨晩ひどかった雨もあがっている。

そろそろと荷支度をする。まだ7時だったが、同室の日本人2人も起きだしてくる。二人に見送られながら宿を出る。とその瞬間、タオルを忘れたことに気づく。今、別れを告げて背を向けたのをくるっと返し、部屋に戻る。

ベッドの蚊帳にぶら下げていたと思ったがない。おかしい。どうしたっけと2秒ほど考えたところで、首にタオルが巻き付いていることに気づく。

再度お別れをする。

タクシーをひろう。ぼくの姿を見て最初に駆け寄ってきた奴はソゴニゴというガールルティエール(バスターミナル)まで2000CFAとぬかす。なので、値段を聞いた瞬間に無視して別の方向へ歩き出す。

道を走っているタクシーを止めて値段を聞く。やはり2000CFAと言うが1500CFAでと言うと簡単に相手は折れた。

20分ほどでターミナルに到着。ターミナルと行っても各バス会社の建物が横に並んでいて、それぞれ駐車場を持っているスタイル。ターミナルに入ってタクシーがスピードを落とすと男たちが窓の所にやってきてどこに行くのか聞いてくる。ミニバスか何かの客引きのようで、これがけっこう面倒。適当に無視。

大型バスの他にトヨタのハイエースと思われる大型ワゴンのミニバスもあった。おそらくミニバスの方がやすいと思うが、荷物を屋根に乗せるので突然の雨のときには悲惨なことになる。一応、車主はシートをかけているが、大雨になれば耐えられそうにないような代物。

大型バスを走らせている会社はいくつかあって、見るからにオンボロで荷物も屋根に乗せるタイプのものから、チリやアルゼンチンで主流だった窓が開かない(窓が一枚ガラスになっている)タイプのそこそこ新しいタイプのバスもある。

ぼくは窓は開かないわりと新しいバスが止まっているバス会社に行き、チケットを買う。セグーまで3000CFA。荷物代なし。

しばらくベンチでバスの出発を待つ。待っている間、綿棒売りの少年が隣のおじいさんところに来た。しばらくしゃべって、ぼくのところに来て綿棒を買わないかと懇願するような目で見る。綿棒の袋には中国語。まだ手持ちがあるが、あってもいいかと買ってみる。試しに1本使ってみようとテープで留められていた袋を開けると、袋の口側の方の綿が赤茶けているもの多数。もしや手で詰め替えたのか? それとも長期間買い手がつかなったからこうなったのか? いずれにせよあまり使えない。

目の前の駐車場には1台バスが止まっていて乗客も乗り込んでいた。だから、ぼくが乗るバスはこれから来るのだろうと思っていたらチケット売場にいたおじさんがぼくに声をかけてきて、これだという。

時間は8時前。3時間程度は待たされるだろうと思っていたので、予想外の展開。ラッキー。

セネガルとの国境から乗ったバスと同じように、バスには勝手に乗り込めず、一人一人名前を呼び上げられたら乗れる。ただどこの席に座るかは勝手。

空いていた一番後ろの座席に座ると汗がにじみ出てくる。車内はムッとしていて外より暑い。かといって窓は開けられないから、耐えるしかない。

8時過ぎにバスは出発。車内は満席。冷房はつかない。天窓があり、そこから風が入ってきて涼しくなるが、停車するとまた汗が噴き出す。

トウモロコシ畑や落花生らしい畑、キャッサバ畑などが窓から見える。過ぎていく集落内の家は煉瓦と土塗り(?)でできている。畑には畝間の草刈りやロバや牛を使った耕うん、種まきなどをしている人が見える。

集落が切れるとサバンナのような景色が広がる。低木がポツポツと立っていて、全体が緑。山のようなものは見えない。

途中、何カ所かにバスは停車したのだが、そのたびにビニール袋に入った水やマンゴー、キャッサバ(生と湯がいたもの)、カップケーキ、パンなどを持った人たちがバスの入り口付近に殺到する。

セグーには12時半頃到着。リュックを受け取ろうと荷台の方に回ると、そちらは地面がドロドロになっていた。バスの添乗員が荷台のドアを開けた瞬間、ぼくのリュックが中から転がってきてビシャッと音を立てて地面に落ちる。ぼくはすぐに引き上げるが、リュックの背の所にはべったり泥が付いてる。このクソガキがとそいつを見るが、謝るどころか別の作業をし始める。そうだよな、客の荷物なんてこいつらにとってはどうでもいいんだよな、とため息。

近くに止まっていたタクシーが声をかけてくる。見回したところあたりに宿らしきものはないからタクシーで移動しないといけないなと思っていたところだったので、そちらに行き宿の名前を見せ、値段を聞く。すると3000CFA(約700円)というので、例のごとく無視してすたすた適当に歩き始める。この地の地図は持っていないからどこに何があるのかまったく見当はつかないのだが、まぁ、またタクシーを拾えばいい。

歩いていたらさっきのタクシーが後ろからやってきて、フランス語でいくらなら払うかと聞いてくるので1500と言うと、あっさり受け入れる。どうせ現地の値段は500くらいだろう。

予定した宿に行くが、満室。その宿に紹介された別の宿は11000CFA(約2500円)と予算オーバー。あたりにはフランス人が10人ほど。マリではやたらとフランス人旅行者に会う。モロッコの時からそうだが、この人等のおかげで安宿がかなりの確率で埋まっていて困る。

他にも宿はあったのだが、どこもそれなりの店構えをしているから似たような値段だろう。

11000CFAと聞いてぼくが別の所を探そうとしたとき、その値段を呈示してきた男が英語で宿代はどれくらいまで出せるのかというので6000CFAと言ったところ、民宿でもいいかと言ってくる。どこかで見た情報でこのあたりでは民宿ができるとあったので、記念にそれをしてみることにする。

男の横には二人の若い男がいて、彼らの家の一室らしい。男の話ではこれまでも何度か紹介している部屋だから大丈夫という。

道ばたで炊事をしていた立派な体格の母親からその男が鍵を受け取り、その部屋に行く。通りに面した鉄の扉を開けると左に便所、その右隣が物置、その隣が6畳ほどの部屋。もう一つ母屋のような入り口があってそこを入った奥がぼくが泊まる部屋だった。蚊帳はあるものの内装はあちこちはげ、ベッドはまったく掃除していないらしく誰が使った後のように汚れている。やっぱり薄汚いなぁと思いつつ、他を探すのも面倒なのでここでオッケーする。鍵を受け取り高いと思いつつ、家族の収入になるならと6000CFA払う。部屋の室から言えばせいぜい1000CFA(約200円)というところだが・・・。

改めて見ると水道はないし、シャワー室らしきところもない。便所はぼっとん便所。でも、そこそこきれいだから、まぁ許せる。便所の前にはでかいバケツがあって、これが水道代わりらしい。水を使いたければ本人の家かどこかに行ってくんでこいとのこと。まぁ、だいたいみな洗濯などはニジェール川でやったりするから、こうして家に水道がないのは普通なのかもしれない。

荷物を置いてふらついてみる。ここもバイクが多い。空気はバマコほど悪くはない。日差しが強いからタオルを頭に乗せる。子どもがこちらをじろじろ見る。自転車に乗った12~13歳くらいの男の子がすれ違いざまに”シヌワー(中国人)”と言って通り過ぎる。

一部の舗装道路を除けばすべて土の道路。ここも昨日雨が降ったのかあちこちに大きな水たまりができていて、その近くはどろどろになっている。舗装されている通りにはそれなりに店があり、日用品やちょっとした電化製品はそこでだいたいそろいそう。

舗装道路から一本川側のどろどろの道にも沿道に店が立っている。が、こちらはほっ建て小屋のような蹴れば倒れそうな簡単な作りの屋台。目立つのは服屋。

ニジェール川の方に行くと川辺で洗濯している人や水浴びしている子どもたち、緑の草を丸木舟に乗せている人等がいた。川幅はかなりある。200m近くありそうだ。水は茶色に濁っており、あまり入りたいとは思えない色をしている。

一部の通りは土産物屋が両脇に並んでおり、その店の男たちがあれこれと声をかけてくるが、軽く答えるだけで素通りする。

ある通りでは女性が細い臼でトウモロコシをついていて、トントンという音が一定の間隔であたりに響く。その近くでは安楽椅子のように寝そべることができる椅子に座って何をするともなくいる中年の男たちが4人ほど。他でも思ったが、男はまったくもって家事の類をしないよう。かと言って仕事もあるわけではないようで、一日中(かどうかはわからないが)、昼間っからずっと椅子に座ってぶらぶらしているのをよく見る。

道ばたでは子どもがじゃれあったりしていて、あちこちから子どもの歓声が聞こえてくる。

野菜市場のようなところもあったが、休みなのか終わったのか商品も人もいなかった。

最初に止まったバス停まで歩くとどれくらいかかるかと、舗装された通りを歩いてみたが、30分ほど歩いて引き返す。やはりタクシーに乗った方がいい距離。宿を出る前に水を一通り飲んだのに、もう喉が乾いた。

水を持って出てなかったため、水を買おうと店を探すが食料雑貨屋がバマコのようには見つからない。やっと1軒見つけ、そこで1.5リットルの水を買う。500CFA(約120円)。冷蔵庫に入れられていたやつだからきっちり冷えている。

1時間ほどだったが、歩いてみたら、なんだかもういいなという気になった。部屋に戻る。

すると部屋にあった新聞をかけてちょっと隠すように置いていたカバンがベッドの上にあり、前のポケットに入れてあった小型の辞書がベッドの上に飛び出している。宿を出るときに置いた位置から自然に転がり落ちたというには、ちょっと距離がある。

リュックの方は荒らされた形跡はないが、これは誰か入ったなと思い、この部屋を出ることにする。

ただカネを返してもらおうと、ここを紹介してくれた男と最初に会ったホテルに行く。そこには居なかったが、ホテルの人が電話するから表で待つように言う。その間、ホテルを探しているのかと声をかけてくる輩数人。うっとおしい。

20分ほど待ってその男が来た。英語であったことを伝えると、記憶違いではないかと言う。ノーノーと同じことを何度も言うと相手もわかったと言うが、でも誰かが入るなんてことはこれまでなかったというようなことを言う。カネを返してほしいというと、あの家族にもうカネは渡したし、彼らはたぶんもう使ってしまっているだろうと言う。

男の対応は、高圧的ではなく、わりと丁寧だったため嘘ではなさそうだったし、カネも戻ってきそうにないし、これから行こうとしていたモプティ行きのバスは今日はもうないらしいので、部屋に戻り、とりあえず一泊することにする。

気分的に外に出る気もしなかったためあとは部屋でたまっている日記書き。やれやれ。

日記書きをしていたら外から声がして、英語で表の鍵を開けてくれと言う。道路に面した鉄の扉の鍵をかけていたので、どうもそこを開けろとのこと。開けてみると、この部屋の主の家族の息子らしい男だった。物置の隣が彼の部屋らしい。

英語でいろいろ話しかけてくる。ぼくはすぐに部屋に戻りたかったのだが、ちょっと来てと言うのでつきあうことに。何かと思ったらそいつが取り出してきたのはお手製のネックレス。石や木を加工して作っている。彼が言うにはこれを作るのが彼の仕事らしい。アクセサリーになんてまったく興味がないし、どうせ押し売りだろうと思い、適当に話を聞いてやる。

彼は10品ほどを並べ、一つ一つ短い説明をする。そして、この中でぼくの気に入ったものはどれかと聞いてくる。それを押し売りする模様。興味がないから気に入ったも何もないのだが、そう言っては気分を害すだろうとマシなやつを一つ言うと、じゃあ、これを持っていけ(Take thisと言った)と言う。

こいつらがタダでくれるわけないので、念のためこれはあんながぼくにプレゼントしてくれるのかと聞くとそうだという。値段はfreeだな、0CFAだなと聞くとそうだという。それでも信じられない。

案の定、彼は、これはいくらくらいの値段がつくかと聞いてくる。質問の意図がよくわからなかったが、どうもいくらだったら買うかというので、ぼくだったら買わないがと前置きしたかったがせずに、本音では3000CFA(約500円)程度だろうというところを大負けに負けて15000CFAと言う。

そしたら、彼はその程度のものを何か自分にくれないかというようなことを言ってくる。初めはその英語の意味がわからなかったため何度もわからないと言ったところ、どうも何かほしがっている、それも結局はカネをほしがっているらしいことがわかる。

ぼくはカネは払わないし、そうならアクセサリーもいらない(そもそもいらない)から返すと言うと、これはプレゼントでここに泊まった人にはこうしていて、売っているんじゃないと彼も言う。だけども何かくれと言う。その”何か”は結局カネなのだが、それをもらうと自分はハッピーだと言う。

やっぱりこんなところに泊まるんじゃなかったと思いつつ、1時間ほど同じやりとりをくり返す。カネを払えば結局買うことと同じじゃないかとこっちは言うのだが、彼はアクセサリーは売るのではないと繰り返す。

日本式にズバリとは言わずにいたのだが、埒が空かないので単刀直入にいくら欲しいんだというと、それはあなたが決めろと言うようなことを言う。ぼくはシャワーもない、ベッドのシーツも交換されていない、掃除もされていない、シミで浅黒くなっている枕があるような部屋に6000CFA(約1500円)も払っているのだから、これ以上いっさい払うつもりはないと言うが、相手はしつこい。

しょうがないので、持っていたオクスフォードのポケットサイズの仏英・英仏辞書をあげると渡すと不満そうな顔をする。何かくれというからこれをやるというのに、なんだその顔は! と正直思ってしまう。

そして彼は3000CFAでも2000CFAでもいいからカネをくれという。やっと本音が出た。だからそんなカネを払うくらいだったら他のホテルに泊まってるわ。アホか。安いからここを選んだのに、他にまたカネを払ったらここを選んだ意味がないじゃないか、と英語で言いたかったがどう言えばわからず。

んで、カネは払わないとくり返し、アクセサリーも返すと言うと、じゃあTシャツでもズボンでもいいからくれと言い出す。Tシャツは2枚しかないし、ズボンに至っては1枚しかないからやるわけにはいかない。両方とも自分に必要なものだからあげられないというと、じゃあリュックをくれと言い出す。小さいのでもいいからくれと(ぼくはでかいリュックの他にデイパックサイズのリュックと大型のウエストポーチを携帯している)。あんたねぇ、旅行者のリュックが欲しいって何考えてんの? とぼくは思う。グアテマラで買った小型のリュックはもう方のひもも壊れているからやってもいいが、その中の物をいれるものがない。

どれもぼくが必要なものだと繰り返すとじゃあボールペンをくれと言ってくる。しょうがないから、まだ使えるが壊れかけていた三色ボールペンをやる。その後、またカネをくれと言い出すので、やらないと繰り返すと、ようやくあきらめる。まったくなんなんだこいつらは。ダカールのあの宿のガキといい、こいつといい、なんでこんなにカネとかを欲しがる? こんなことは他の国ではなかったぞ。

正確にはドミニカとキューバで宿や道を教えたからカネくれと言ってきたのがいたが、それはいずれもおじさん。20代とか若い人間が、物乞いを除けば、こうして何かくれなんて言ってくることはまずなかった。物のあるなしで言えば、キューバだってここと似たようなもんなのに、どういう精神なんだ? 

だいたい旅行者に寄りついてくるのに、そういう奴が多いのだろうが、それにしてもアフリカは他と違う。こちらが頼んでもないのに、適当に”親切心”と見せかけて何かしてくれるとすぐにカネをくれと言ってくる。それも若い男たちが。これらは特殊事例かもしれないが、各国での特殊事例と比較しても、やっぱり多いように思う。

バマコで同じ宿だった人も西アフリカをまわっていて、そういう奴が多いため、何か絡んできたら事前にカネは絶対払わないと断って、その”親切”にのっかったものの、結局最後にはカネをくれと言われたという。そのとき、最初にカネを払わないと言っただろうと返したところ、あのときは理解していなかったなどと言ってきたという。

何かを探して道を歩いていると、その様子を見て、何を探しているのかと声をかけてくる人はおり、おそらくそれは本当の親切心なのだが、そういう人でもカネを要求してくることがあるため、ぼくはそういう人でも無視して、主には警察や店(屋台を含む)の人ばかりに聞くようになった。おそらく言葉ができれば、また違うのだろうが・・・。

ごく少ない実体験と人から聞いた話を総合すると、少なくとも旅行者に対する”無償の”親切心は、これまでのところ、アフリカがどこよりも薄い。たとえばアフリカの(と大きくくってしまうのは問題かもしれないが)文化として、あるいはイスラームの文化として、親切にしてもらった人にはカネでお返しをするものだというものがあるのなら、それも納得できるのだが、そうとも思えない。

もしかしたらこのあたりを旅行してきた日本人旅行者やヨーロッパの旅行者が彼らの要求に応え、または自ら感謝の気持ちをカネに代えて、カネを渡してきたからそういう輩が増えた(?)または定着したのかもしれないが、それにしたって誰もがそんなこと(たとえば道を教える程度)でいちいちカネを払えるほどカネを持って旅行しているわけではない。この”誰もが払えるわけではない”ということが、こういう輩にはわからない。

もちろん絶対的な数から言えば、カネを要求してくる輩は少ないのだが、旅行者が触れる相手の割合からすると、おそらくその地に暮らしている外国人よりも、そういう奴に巡り会う可能性は高いと思う。

いずれにしても、こうしていらつくのは、結局のところ自分らが金蔓(かねづる)としてしか見られていないと感じるからであろう。それだけ、こっちの人はカネに困っているのかもしれないが、それだったら旅行者を狙うより、もっとまともなことをしろよなと思ってしまう。

案の定、部屋は暑く、汗がしたたり落ちてくる。なかなか眠れないし、寝ても暑くてすぐ目がさめる。

Fin

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アフリカ「人」を満喫してますねえ。
南米とは違うんですよね。なんでなんでしょうね。