2008年7月16日水曜日

サンパウロに到着、日本人街などをぶらり

08/06/16(月)

・寒いバス
・地下鉄の乗り方
・路上の人々
・ブラジルの物価

夜中の12時、どこかのターミナルに到着。客が数人おり、数人乗り込んでくる。バスに乗ってからあっと言う間に寝込んでいたぼくは添乗員の声などで目が覚める。

15分ほどで出発。先ほどまで寝ていたため、今度は寝られない。外を眺めても星は少ないし、月に照らされて見えるのは、木々の影だけ。

2時頃、また別のターミナルに着き、そこでも新たな客が乗り込んでくる。しかし、それでも車内はがらがらでみな2人ぶんの座席に横になったりしている。

車内は冷房をかけているのかと思うくらい寒い。正面の壁に電光掲示板があり、そこに外気温と車内の気温、現在の時刻がずっと映し出されている。外の気温は9度、車内は16度。時計は8時頃になってり、まったくあっていない。

客の数が少ないせいか、車内は寒い。ブラジルの長距離バスはみた範囲ではどれもアルゼンチンやチリ、メキシコと遜色なかったため、寒ければ暖房がつくだろうし、暑ければれぼうがつくだろうと思い、毛布の類は持ち込んでいなかった。上着を着ている上半身は寒くないが、脚の方が冷える。

ちょっと寝ては起きというのを繰り返す。

いつの間にか寝ていて、6時30分ころ目覚める。外はすでに明るい。足はすっかり冷えている。外からの光で車内の様子が見え、それでみな毛布を持参していたことに気づく。

道端の標識にサンパウロまで50数kmと見える。もうだいぶ近くまで来ている。

道沿いには林が広がり、ときおり民家が見える。しばらくすると工場らしき建物が次々に現れる。

やがてレンガ色の一帯=まちが現れ、乗客のひとりがそこで降りる。道路のすぐ脇には小さいバラック街。壁は板の張り合わせ、屋根はトタン。一見するだけで、その一帯が貧しいことがわかる。

畑などは見えない。

さらに行くと正面奥に高層ビルが見えてくる。あれがサンパウロらしい。車の交通量が増え、道は混雑しだし、バスはスピードを落とす。橋桁や川の堤、敷地を区切っている壁、おんぼろなビルの外壁など、あらゆるところにスプレーで落書きがされてある。

外を歩いている人たちは皆コートを羽織っている。なかにはニットの帽子を深くかぶった女の人も見える。

工場や高層ビルの多さといい、道路の舗装率の高さ、またといくつもの道路が交わるジャンクションの作られ方や、緩衝帯の緑化のされ方などを見ているとさすがに大都市の雰囲気がある。

高層ビルの中にバスは入っていくのだろうと思っていたが、そこまでは行かず、鉄道に接したターミナルでバスは止まった。念のためまわりの人に、サンパウロか訪ねる。

バスを降り、リュックを背負って出口とポルトガル語で書かれている看板を当てにして歩く。ターミナルは1階部分がバスの乗り場や電車の乗り場になっていて、2階がチケット売場になっている。電車の乗り場はバスの乗り場とは金網で仕切られているので、2階を経由しないと行けない。

目的の宿は地下鉄(Metro)の駅近く。階段を上り、ターミナルの建物内に入る。小さなお店がたくさん並んでおり、人通りも多い。チリのサンティアゴの駅と似たような雰囲気だ。バス会社の窓口がずらっとあったので、後日乗ることになるバスを探したが、見あたらなかった。

Metroのチケット売場と書いた看板が天井から釣り下げられていて、その下を見ると蛇行している行列があった。50人以上並んでいる。チケット販売は機械化されていないらしい。これもチリと同じ。

15分ほど並んでチケットを買う。1回券が2.4ヘアル(約200円)。ガイドブックにあった値段より1ヘアルも上がっている。高い。チリよりも高い。

改札の仕組みはサンティアゴと同じで、チケットを機械に通すと回転バーのロックが外れるから、あとは自分でそれを押しながら通る。

改札機の近くに制服を着たおじさんがいたので、行きたい駅を伝え、行き方を聞くが”次の”という言葉がわかったくらいで、ほとんど聞き取れない。どうもポルトガル語の発音は耳にあわないらしい。とりあえずおじさんが指さしていた方の階段から下に降りる。

けっこうな人がいて、やや混雑している。壁などには路線図が書かれているのだが、肝心の現在地がどこなのか、その図からはわからない。

それでまたホームにいたごつい係員の男の人に聞く。親切に教えてくれるが、いまいち聞き取れない。オブリガードと言って、電車を待っていたらその係員が再び声をかけてきて全体の路線図が載っているパンフレットを見せ、今、ここにいるから、これに乗ってここで乗り換えて、こう行くとあなたの目的地に着くと教えてくれる。そうやって説明してくれてようやく現在地がわかった。

電車はそれなりに込んでいるが、ギュウギュウとまではいかない。リュックを背負ったまま乗り込んだが、他の人にぶつかることなく乗り込める程度。

車内を見渡すと14インチくらいのわりと大きな液晶テレビが4カ所ほどにあり、コマーシャルをずっと流している。携帯電話で話している人はいない。

乗り換え駅で降り、階段を上り下りして別の路線のホームに行く。こちらのホームに下るエスカレーターには行列ができていたが、階段はわりと空いていたためそこを下る。ちなみにエスカレーターは故障しているのか動いていなかった。なぜ動いていないエスカレーターに行列を作るのかがわからない。

こちらのホームは、さっきよりも混雑していてどの乗り口にも20人以上の人が並んでいた。乗り換えの中心駅だからか、ホームの乗り口には行列を誘導するためらしい金属の柵であり、それに沿って人が並んでいる。

すぐに電車は来る。降りる人が降りてから乗り込むのは、日本と同じ。わりと空(す)いていたので、この電車に乗れるかなと思っていたら、前に並んでいた人がほどほどに満員になったところで乗り込むのをやめる。隣の人とは充分に隙間があるから、東京で言えばまだまだいけるというくらいの込み具合なのに。それもぼくが並んでいた列だけでなく、他の列もみなある程度までいっぱいになったら乗り込むのを止めているのだった。もちろんドアが閉まるところに走りこんで来る人などいない。

こういう習慣を持っている人たちが東京のあのドアに自らはまりにいく人たちを見たら、何かのジョークかと思うだろう。

次の電車の到着時刻を示す電光掲示板はなかったが、次の電車は5分と待たずに来る。停車位置も正確。

日本人街があるというLiberdade(リベルダージ)という駅で降りる。駅構内のエスカレーター上部の壁には、日系の子どもたちがモデルとなったポスターが貼られ、ポルトガル語で100周年を祝う言葉が書かれている。

地上に上がるといきなりカタカナや漢字が目に飛び込んでくる。適当に宿があると思われる方角へ歩く。道の両脇には刀や漆器など日本の土産物を売る店や布団屋(ローマ字でそのまま書いている)、格子戸の日本食屋などが並んでいる。久しぶりに木製の格子戸を見たが、かなり周りの雰囲気から浮いているように感じる。街並み自体は、日本と大して変わらないから、外国にいるという前提がそう感じさせるのだろうか。

道を歩いている人も日本人っぽい人、韓国系、中国系が多い。日系の人は、時間帯の問題もあるのだろうが、年寄りを多く見る。

ネットで見た情報を思い浮かべながら、この辺にあるはずなのだがと宿を探すが、見あたらない。手帳を取り出し、確認すると一つ前の駅で降りていたのが判明。また駅に戻り、高い電車賃を払って一駅ぶん移動する。

こちらの駅の周りは商店はほとんどなく、アパートのような建物ばかり。今度はすんなりと宿を発見できる。

ブザーを押すと、”はい、いらっしゃい”と中から日系のおばちゃんが出てくる 。日本語はときおり違和感のあるしゃべり方をするが、基本的に問題ない程度。

宿帳に名前を書き、宿のルールを書いた紙を読む。バナナ1本とコーヒーをさっそくいただく。本棚には日本語の本が何冊か並んでいる。

部屋に案内してもらう。今はほとんど人がいないらしい。2段ベッドが2つある部屋に入る。

荷物を起き、日本語のガイドブックを借りて、まちに出る。

リベルダージのまちには、赤提灯のぶら下がった居酒屋もあれば、日本語の本を売る本屋、マンガの貸本屋、寿司や天ぷらなどの弁当も売る食料品店、仏壇屋、風呂桶屋、宝石屋、たこ焼き屋など多種多様。はっきり言って予想外だった。ここまで日本のものがそろっているとは。

さらに驚いたのが日本語の本の値段。どれも一律日本円の価格の2倍以上になっている。こっちで売っているアメリカの本はそんなことないのになんで日本の本が倍もの値段になるのかが不思議。

リベルダージを抜けて、サンパウロの中心部に行く。中心部の広場には路上生活者とおぼしき人たちが植え込みの縁に座り込んでおしゃべりしていたりする。その後も歩いていて感じたが、路上生活者の数がかなり多い。広場という広場にいる。

また歩道などで商売している人の数も多い。串焼きや椰子の実ジュース、ジャックフルーツ、ピーナッツやカシューナッツなどナッツ類、それから靴下とか凧とかほんとに多種多様。なかなかおもしろい。

しかし、一部の歩道などでは商売は認められていないようで、警察が車に乗ってやってくると、みな一斉に屋台を転がし、あるいは荷物を黒ビニールで隠し持って走って逃げる。その逃げ足の早さは見事。今、そこで商売していたのに、あっという間にいなくなる。

それから目に付くのがフルーツジュース屋兼ハンバーガー等のファーストフード店。カウンターの周りに網に入れられたさまざまな果物が天井からぶら下げられ、それらを使ってその場でミキサーで砕き新鮮なジュースを作ってくれる店が、これでもかというくらいにある。日本でも最近話題になったアマゾンの果物アサイもポスターを使ってよく宣伝されている。こうした店はどこも同じような店構えをしている。

また中心部はよく掃除が行き届いており、落ちているごみが少ない。

交通機関としては路面電車はないもののトローリーバスはあり。バイクタクシーなどはなし。

ぼくはもっとアジアチックな雑多な感じのまちかと思っていたが、意外と整理されていたのでなんだか気が抜けた感じだった。

ブラジルに来て気持ちがいいのは、拳を握った形で親指を立ててグー(絵文字を入れたいところだがない)というジェスチャーをいろんな場面でされること。例えばお金を払うと親指でグーとやったり、ぶつかりそうになったときにこっちがうまい具合によけると親指でグーとやったり、なかには目があっただけで親指でグーっとやる。

また例えばぶつかったりして謝るときに軽く相手の背に手をおいて謝る仕草もなんだかやさしい。

カンポグランデで話をした日系の人は、サンパウロは危ない(というよりもブラジルはどこも危ない)と言っていたが、ごく狭い範囲だが、中心街を歩いた感じではそれほど危ないという感覚はなかった。警官の武装の程度もジャマイカのキングストンに比べれば軽装だし。

とはいえ、夜は宿ですごす。

Fin

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