08/06/06
・電気街
・飛び交うブラジル語
・アサードパーティ
やや出かけるエネルギーが落ちていた感があったが、今日はおでかけ。
イグアス移住地からバスで1時間ほど行ったところにあるブラジルとの国境のまちCiudad del Este(シウダデルエステ:東のまち。以下エステ)に行く。
幹線道路沿いにあるバス乗り場でバスを待つ。エステ行きのバスは1時間に1本あると聞いていたので、気長に待つ。すると15分程度でバスがやってきた。右手を横に挙げてバスに合図し、バスを止めて乗り込む。
エステに近づくほど沿道に建物が増えてくる。工場らしい大きな施設もいくつか見える。
近くまで行っていったんバスを降ろされ、そこで乗り換え、国境近くまで再度移動。
エステのまちはブラジルとの間に流れるパラナ川に架かる橋のたもとに広がり、橋を渡ればそこはブラジルという位置にある。
バスでまちに入ると驚いた。そこそこ高いビルが建ち並び、いろいろな店が立ち並び、人でごったがえしている。電気屋ばかりが入った5階建てくらいのビルがあったりして、ちょうど秋葉原の裏通りの一角のような雰囲気。
道路は舗装されているものの、あちこちに穴があき、路面が油ぎっているようなところもある。
ここで目に付いたのが釣り具屋。店先に釣り竿がずらずらっとつられている。
ブラジルとの国境ということで歩いている人もアスンシオンとは違い、アフリカ系の人が多い。前を歩いていた女の人がコインを落としたから拾って渡すと”Obligada(オブリガーダ:ありがとう)"と言われる。人混みの中で耳を澄ませているとブラジル語(ポルトガル語)が聞こえてくる。
ガイドブックによれば、エステのまちはブラジルからの買い物客によってここ数年でずいぶん大きくなったらしい。
ブラジルとの間に架かる橋は日本語で言うと友情の橋(Puente de la Amiztad)というらしく、勝手に渡ることができる。100mちょっとの橋で、目下のパラナ川はやはりチョコレート色。大きな買い物袋を抱えてブラジルに戻る人もいるし、ブラジル側から歩いて渡って来る人もいる。車の往来も多い。
橋を降りる右手すぐに入国手続きをする施設があって、ブラジルに入るならここで手続きを入らなければいけない。が、ビザがないから法的には入れない。ただ、イグアスの滝に行くときに通過はできるらしい。
パラグアイ側に戻る。ここからバスで行けるところに世界最大級のダム:イタイプーダムがあり、そこにも行ってみようかと思っていたが、なんだか行く気がうせる。
一部の街角の路上には6人ほどでいっぱいというくらいの規模の屋台が並んでおり、どこも人でいっぱい。空いている屋台を探すもあまり見あたらず、かつ鶏肉料理が多いらしいことがわかり、鶏肉は食傷気味なぼくは量り売りの食堂(por kg/ポルキロ)で昼食。
適当にバスを捕まえて帰途につく。これが目的地とは違う別の集落に入っていった。ヨーロッパ系の人が多い集落で、道路の状況などはイグアスと同じ程度。
幹線道路に戻ったところで降り、そこでバスを乗り換え41km地点まで戻る。
夜は宿で来客300人記念と1ヶ月滞在者記念にアサードパーティ。パーティの前にキャッサバ畑で芋掘り。
ドラム缶を縦に半分に切った炭火焼き器に火をおこす。この火のお越し方が一風変わっていて効率的。新聞紙と空(から)のビール瓶を使うやり方で、まずは新聞紙を大きく広げ、それをネジって小さいわっかにする。それを10近く作って、ビール瓶に通していく。
新聞紙で作ったわっかに包まれたビール瓶をそのままドラム缶の真ん中に置き、その周りに炭を集め山にする。そうしてからビール瓶を抜き取る。すると、火山のように真ん中に穴の空いた山ができる。その穴にマッチで付けた火を落とすとあっと言う間に火がつく。
客と宿の人とあわせて約20人に用意された肉は9kg。焼き方がまた豪快で、2cmくらいの厚さで長さが60cm、幅が30cmほどある肉をそのまま網に乗せて焼く。こうやるのがパラグアイ式らしい。
蒸かしたマンジオカや客が協力して作ったサラダなどと一緒にいただく。いいタイミングにこの宿に泊まった。肉は多少残る。
満腹になってあとは寝るだけ。
Fin
1 件のコメント:
シウダー デル エステに行ったんですね!
私はブラジル側(イグアス)から、友情の橋を渡ってパラグアイに日帰り入国しましたよ。MERCOSUR加盟国市民なら自由に行き来できるらしいです。私も黙って入国しようとしたのですが、不安になって国境の係官に「Un dia!」と連呼して、入れてもらえました。
ブラジルへのビザが取れなくて困っていたようなんですが、ここならとりあえず入れちゃうんですよね。(後のことは知りませんが)
ブラジル側の街は、街としては見所は特にありませんでした。奇麗に整備されすぎてつまんない街でした。パラグアイ側の方が、両替商が盛んに声をかけてきて、刺激的でした。ものすごく経済格差を感じる国境でしたね。
ただ、電気製品の店が多い等、国境の街としての商売が発達しているようで、中国(台湾?)系の銀行が幾つもあったのが印象的でした。
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